232.誰かが望んだかのように
バッタ共は、自然に集まるようだった。
ローカルによる能力上昇を最大限に活かす為か、寂しがり屋のように団子状態になろうとする。
お蔭で一度見逃されたアルファ・ワンの周囲には、人が集合していた場所から遠かった事もあり、敵影がぱったりと消え去っていた。
この任務が始まって以来、初めての幸運。
彼は親指と人差し指で、何かを摘まむような形を作り、胸の前で円環状をなぞる、救世教の様式の祈りで、居るかも分からない全能者とやらに感謝する。
教典では、神がある男の信仰心を試す逸話がある。
財産や子を奪い、それでも変わらず信じ続ける男を、魔王に自慢するのだ。
だが財産はともかく、子は元の通りとはいかない。
新たな子宝には恵まれたが、結局最初の子供たちは返って来なかった。
もし今、神が彼の信仰を試す為に、彼女を連れて行こうとしているのだとしたら、
彼はこう言うだろう。
「彼女の命だけはご容赦下さい。それは得策でありません。俺が信仰を失い、如何なる手段を以てしても、貴方様の御顔の穴数を増やさんとする、悪魔の尖兵となる前に」、と。
〈ケタケタケタケタ〉
〈ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ〉
「おっと」
どうやらおいでなすったようだ。
数は2匹。
どんな生物、どんな集団の中にも、こういうメインストリームに属さない、“逸れ野郎”共がいるものだ。
それは種族の、そして社会の余剰であり、全体が疲弊しないようにするリミッター。
又は、全員で同じ崖から飛び降りないよう、担保とされた進化の脇道。
こういうのが居ないと、ちょっとした事ですぐに全滅する、脆い共同体が生まれる。
つまり、異端とは必要不可欠な物であり——
——いや、言い訳か。
彼がやっている事が、進化の為とは言い難い。
寧ろ逆、道を一つ潰す行いだ。
だが彼の思慮は、勝手に先へと進んでしまう。
“正義”によって、人殺しを容認された彼だからこそ、強く囚われる。
もし、
もしも、
人間社会の中で悪とされ、どう見ても居ない方がいい、彼らのような存在が、
今日ここに、一人の少年を始末しに来た、救い難い罪人達が、
進化の為に、必要とされる時が来るなら、
それは、どんな世界の淘汰によるのか。
その時、どんな理屈が正義となるのか。
「……フン」
我ながら考え過ぎたと、彼は小さく笑いを漏らす。
そんな壮大な規模で考えて、物事を決めるわけじゃないだろ。
第一、あのモンスターが担う役割が、彼が思うような物だと、そう言ってしまえる根拠が無い。
モンスターはモンスターだ。進歩も進化も無い。変化という概念すら怪しい。同じダンジョンの中、同じ事を繰り返し続ける。
生物、非生物の枠には無い、ウイルスのような別カテゴリーだと、そう言う者も居る。
彼らを生態系に当て嵌めて考えるのは、ナンセンスだろう。
プログラムされた、物言わぬ装置と考えた方が飲み込み易く、
では、逸失とは?
“不可踏域”とは、なんであるのか?
〈ケラケラケラケラケラケラケラケラ〉
「っとぉ…!虫ケラにまで嗤われちまうとは、いよいよ焼きが回って来てるな」
彼を追い掛ける集団を増やすのは、うまくない。
密度に釣られた別の集団を引き寄せてしまうからだ。
少数なうちに個別で処理、それがいい。
「よう、明日のランチに並びたくなきゃ、引っ込んでな?」
彼はゴーグルの機能も使い、相手との距離感を探る。
「俺にはそのケはないが、ジッピー共はお前みたいなのでも、食っちまうらしいぞ?ライスに乗せて」
忠告を聞かず、後ろ肢の力を強め、向かって来る凶兆昆虫。
そうか、それなら、仕方ない。
「“後跪”」
無詠唱だと、彼の体を起点にしないといけない。
余裕もあるので、簡易詠唱で行く。
バッタの進路上を横断する、単色レーザーめいた赤いライン。
奴等はそれすら、魔力の切れ端だと喜んで噛みついて、
勢いそのまま2枚におろされた。
これが彼の能力。
彼が指定した相手が赤色の範囲に入ったら、止まらなければならない、そういう呪い。
動く物なら、それこそ戦車でもミサイルでも魔力でも、指定は可能。
止まるという事は、重く強固という事と、ほぼ同義。
今奴等は顎の間のどこかが固定され、しかし強い脚力による前進パワーは止められず、自分の骨格だか器官だかに両断される事になった。
あのレーザーは彼が任意に動かせるので、相手の急所に直接照射して、一部固定してから振るう事で、重要な臓器を刳り抜きながら、敵を切断といった使い方もする。無詠唱では、主にこのやり方だ。
面として展開すれば、盾にもする事ができるし、連射される弾丸や、複数の敵からの攻撃など、彼が意識すれば別々の物だって、同時に停止させる事も出来る。
単純な効果。
精密機械であるバッテリーより、簡易的な構造のガソリンエンジンの方が、耐久性に優れるのと同じように、魔法は効果が簡単であるほど、起動までのプロセスが簡略、高速化し、破綻、無効化されづらい傾向にある。
勿論、魔力の質やそれを操る頭脳、つまり使い手の才覚もまた、無視できない要因ではあるが。
対人、対物を問わぬ汎用性、殺傷性、制圧力、魔力消費、解呪への抵抗力。
どれを取っても文句ナシの性能と、彼はそう自負していた。
道中は退屈とすら言えた。
今更一人の人間くらいでは、大した注目が集まらないらしい。
遠くでは黒い豪雪が続いているが、彼を追うのは多くて数匹。
10秒も掛からず処理する事がほとんどだった。
しかし、気を抜けるのは、手前まで。
彼が踏み入るべきは、より深く。
この騒ぎの中、それでも操作可能な状態で残った、幾つかの偵察ドローンを活用し、
あの少年を捜す。
死を確定させる事すら、過去最大の困難となるだろう。
けれど彼はやり遂げるまで、この罪科から抜ける気は無く、
「………あ、ああ……!」
そんな果敢さに応えるかの如く、
天は暗雲を晴らし、大地に光あれと仰った。
「おう……!おお…!」
晴れ間は、丸かった。
円環だ。
徴だ。
彼が決死の面持ちで突入する、その前に、
バッタ達は暴食を罰され、バタバタと短い命を散らした。
視界状況が良くなった中をドローンが飛び、カメラアイがあっさりと目標を見つける。
生きている。
まだ、終わっていない。
「神よ………!」
彼の右手は〇字を切り、
機関銃を携えて、
その足は疲れを忘れたように、
一心不乱に駆けていた。
青い、
あの時と同じ色の、空の下。
全ては、決まっていた事なんだ。
彼が咎を負ったのは、この罰の為であり、
それは全て、あの少年を殺させる為の、巡り合わせである。
彼はその時、本気でそう信じていた。




