230.お祈りタイム part1
ゲラゲラゲラゲラ。
耳に障る哂い声。
またこの夢かと、
彼はうんざりする。
ゲラゲラゲラゲラ。
五月蠅い奴らだ。
夏の蝉だって、
もう少し聞いてられるだろうに。
ゲラゲラゲラゲラ。
あの日から、
過去の彼から、
ただただ逃げて。
ゲラゲラゲラゲラ。
面白いのか。
彼を見るのが、
そんなに楽しいか。
無力な彼が、
汚い彼が、
弱い彼が、
臆病な彼が、
ここではいつもそうだ。
8年前から変わらない。
ゲラゲラゲラゲラ。
ゲラゲラゲラゲラ。
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。
「パイセン!ちょ、ノリド!大丈夫そ!?」
違う。
これは、夢じゃない。
「酷い顔色ですねぃ。無理はないですけど」
「私じゃないのだから、怖気づいても仕方ないわ。そこで震えていても文句は言わないわよ?」
「………うるせえぞ、ガキども。俺は大丈夫だ。しっかりしてるさ。ああ、全部問題ねえ」
乗研竜二は、それが現実である事をなんとか思い出した。
「ダイジョウブイなら良いですけど……うぉわっ!また噛まれた!」
「ちょ、これマジでイケる?まぢのガチ?ガチめにえっぐくね?」
「び、微妙かもしれないねぃ……」
「おいおいテメエがしっかりしろや……。六本木も、不安にさせるような事を言うんじゃねえ。魔法はそういう弱気の影響をモロに食らうぞ」
「め、メンゴ…」
「触れた物を磔の後に串刺しにする意気よ!はい復唱!」
「はい!私はバッタの串焼きを作らせて頂きます!」
「何か違うけれど声は出てるわね!良き哉!」
訅和の完全詠唱、“我が家へようこそ”で生み出された、白い立方体の中。
トクシ6人組は、全員が五体満足だった。
「うーん、マズい食べ物に対する態度、ッスね……」
兎の耳を壁に張り付けて、八守が外の動きを報告する。
「噛むと痛いし、なんか気持ち悪いから、まだ避けてくれるッスけど、食べれそうだから、どっか行ってはくれないッス。お腹空き過ぎて、“セミアブラは耐えられない”…「背に腹は代えられない、な?」それッス、そうなったら、たぶん無理矢理食いついて来るッス」
「それがどれだけ後になるか、って所だねぃ」
この魔法は、魔力の負担や、壁へのダメージを、内部の人間で割り勘する。
幸い、強いモンスターが数多く居るお蔭か、魔素の供給には困らず、成立させるだけなら幾らでも引き延ばせる。
しかし、バッタ共が飢え死にを避けようと、岩で歯を研ぐ虎のように齧りつき、それを何十匹も同時にやられてしまえば、6人を内包していても10分も持たないだろう。
壁が削られ、その損傷が使い手に回される前に創を広げられ、配分されてなお大きなダメージが全員を襲い、その治療に魔力が大量に消費され、壁の治りが遅くなり、あとは悪循環だ。
「“醉象”、つったっけ?ガッつき過ぎてありえんくらいサガる」
「めっキモー……」
「永級のモンスター、しかも逸失で出て来てる連中に、イリーガルが憑依するなんてなあ……前代未聞だぜ」
「何か最近はいつもの事って感じに思えてきたッス……」
「確かにカミっちと一緒だと、今までにない事ばっかで、退屈しないねぃ」
illモンスター、“醉象”。
「十人寄らば智賢も形骸」。
憑依されたモンスターは、群生相へと変異したバッタに似た部位を生やし、生物や魔力関係の物を、美食悪食の区別なく喰い荒らすようになる。
このイリーガルに感染したモンスターの数が、多ければ多い程一体ずつが強化され、特に、密度が高まると、乃ち、肢が触れ合う程ぴたりとくっついて行動している集団は、飛躍的に凶悪になる。
固まって波や壁のように移動し始めると、硬くなって加速するだけでなく、呪いへの耐性まで上がる。
新幹線と“醉象”、簀巻きにされて、どっちの前に放り出されたいか究極の選択、なんていうブラックジョークがあるくらいだ。トロッコ問題も裸足で、いや、脱輪して逃げ出す解決不能ぶりである。
黒々とした集塊が車道を転がるように食い浚っているのを見て、乗研はその正体に気付いた。
暗殺者達は即座に撤退を開始して、彼の黄金への解呪も中断され、故に能力は十全に活かせた。
バッタ共の複眼——が付いているようには見えなかったが——に、御馳走を映してやって、彼ら6人から離れるように誘導。
最も避けるべき密集した群体が出来る場所を操り、暴流の向きを調整する事で、彼らの周りにバッタが集まりにくいようにした。
それでも向かって来た逸れ個体はトロワが処理し、その間に訅和が完全詠唱。この籠城陣形が完成した。
因みにこれが、この魔法の本来の用途である。
「こうなっちまえば、国から戦力を、それも可及的速やかに送らざるを得ねえ筈だ。助けは来る。確実にな」
「完全なる持久戦ね。壁が壊れるのが先か、防衛隊が来るのが先か」
流石のトロワも、あれを一人で殲滅する、なんて事は言い出さなかった。
それを有難くも思う一方で、彼女ですら尻込みする本物の災厄、その中にいる事を思い知らされる。
1日の間に、と言うよりここ1時間で、危機という危機がぎっちり詰められている。とんだハードスケジュールだ。乗研はきっかけとなった後輩の顔を思い浮かべる。
あの少年は、ただやれる事をやり続け、世の可能性を広げるという偉業を成し遂げつつある。
そこまでの成果を、光を見せても、人は変わらない。
それどころか、あらゆる悪意も、偶然も、その未来を拒絶しようと、酷く抵抗しているようだ。
どういった力学が働いているのか?
本当に偶然なのか?
彼の知らない所で、彼とは違う理屈による判断が、幾つか絡み合って地球を回している。
この中で最も、歳だけは食っていても、乗研はまだ「ガキ」で、知らない事が多過ぎる。
今のままでは、心を入れ替え、決意を新たにした所で、何も知れない。何も出来ない。
彼に必要なのは——
——いや、今は、そうじゃねえ。
今は己の怠惰を悔いても、それこそどうにもならない。
将来なんてのも贅沢な悩みだ。
兎にも角にも、生きる心配をしなければ、
ガリィ!
「ッ!?」
「痛った!」
「今の!」
「辛抱たまらなくなってきたみたいだねぃ!反撃上等で魔力の塊を齧り取り始めたよ!」
バッタ共が、ここを毒ありの置物から、マズい餌へと昇格した。
1匹がそれをやり始めて、同じように飢餓に苦しむ他の奴らが、真似し始めないとは思えない。




