228.流石にこれは想定してないか…
「ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!」
ヘッドセットの下で、荒い息を吐きながら、男は眩しい空を見上げていた。
大空を飛翔するのは、爆撃機だろう。
地下施設をも破壊する、地中貫通型爆弾を、腹一杯に搭載して、
ここを更地にする勢いで、景気よく炎の絨毯を敷く。
だが、彼には分かる。
彼が戦った者達は、緑の一枚も無い不毛の地でも、その存在を色濃く残すだろう。
「ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!」
全てが遠く、膜を隔てたように聞こえる。
この銃声は、爆音は、
鉛が風切り炎が猛り、
それが起こったのは、どこか遠くか?
それとも死神は、隣で添い寝しているのか?
「ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!」
彼は今、何をしていたのだったか。
祖国の為、人類の為、世界の為に、
人道と、正義の為に、
何か、しなければならない事が、
全うするべき使命が、
——使命?
——あれが、使命か?
ある建物の、破壊命令だった。
モンスターの巣窟になっているから、そこで数を殖やしているから、だから攻撃する必要があった。
そこまでの敵性地上戦力を一掃し、制空権をも確保。
爆撃でズタズタにしてやって、彼と、親友だけが気付いた。
その時ビルの中から飛び出したのは、
——…!………!…い…!
親友と話し合って、部下には黙っておく事にした。
彼らは戦場で充分苦しんだ。これ以上、余計な荷を背負わせたくない。
「ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!」
——…!……しろ…!……う一度……!
籠った呼吸音だけが、妙に大きく響いている。
それ以外の全てが、今の彼には他人事のようにしか思えなかった。
軍を退役した後も、どこか遠くから、残響が聞こえる。
車のクラクションも、大通りの広告も、彼女の笑顔も、
全部、全部が他人事だった。
自分の身に起きる事じゃないようだった。
「ハァーッ…!ハァーッ…!ハァーッ…!ハァーッ…!」
——……!しっかり……!……おい……長…!
彼はずっと、ここに居る。
血で地を洗い流し、その湖に火と鉄の島を浮かべる。
命の対価としては軽いメロディーに合わせ、空っぽの肉が踊っている。
渇いた異形共が、彼の体液の喉越しを想い、昂奮して駆け回る。
彼はその業火の芯に居ながらにして、
“幸せで平和な家庭”という映像作品を、VRで体験している。
そうとしか思えない。
怒号も、轟音も、彼女の愛の言葉も、
同じだけ遠くて、
全部が夢のようで、
「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ………!」
この、息苦しさだけが、
焼ける大気を吸って、傷だらけの呼気を吐く、
それだけが、本当に起こっている事で、
「大丈夫か!おい!隊長!しっかりしろ!」
「トゥ、ウ、か…?」
その声によってアルファ・ワンは、本物の戦場に戻って来た。
「起きたか!?俺が分かるか!おい!今何がどうなってるか、憶えてるか!?」
親友のトゥウは、彼の頬をペチペチと叩き、意識回復に努めているようだ。
そのお蔭でまだギリギリ、お出迎えサービスをクーリングオフ出来たらしい。
「どう、なって…!」
「しっかりしろ!“逸失”だ!それも永級ダンジョンから!管理不行き届きだと思いたいが、最重要ダイジョンでそれが起こる事は、まずないだろう。作為が介している可能性が高い」
「あ、ああ、そう、だった。そうだった、な…!」
思い出した。
低空の雲のように分厚い層となった、黒いモンスターの大群。
あれがその面積を広げていき、彼らの頭上にすら着いて、空爆のように一斉に地を目指した。
腹が減ったから、食事をしに来たのだ。
当然ながら応戦した。
特にワンの魔法は、直線的に嚙み砕こうとしてくるその咢共に対しては、相性が良かった。
が、たった数人に対して、視界の全てを占拠する程の巨大軍勢。
火力は足りず、退きながらの戦闘を余儀なくされ、少しでも遅れた者から死んでいった。
「隊長!たいちょおおおおお!」
殺傷力で言えば一番低いエイトが、真っ先に脱落した。
彼の周囲の弾幕が少しだけ薄く。頭を鉛でノックされながら怯まぬ敵の勢いを、削ぎ切る事が出来なかったから。
「俺はアノイクミーヌを生き残ってエエエエ!」
選抜射手のシックスは逆に、エイトを助けようと攻撃に固執し過ぎた。
足を鈍らせてしまって、列どころか壁に近い物量に追い着かれ、鋭さと怪力を持った肢でバラバラにされた。
「軽機関銃《LMG》でも持って来るんだったなあ!折角の撃ち放題だったのにあがばっ!」
火力支援のフォウが後追いしてしまう。
他の隊員へのヘイトを少しでも引き受け、分身で銃列を作り軍勢の進行を滞らせ、追撃を緩和させようとしたのだろう。
「隊長!俺達はどこに行っても、ゴアいのがお似合いなようですね!それではお涙頂戴映画にお手本って奴を見せて来ます!」
もう一人の遠距離担当、セブンは、手榴弾4個のピンを抜いて、正面にボトリと落ちた虫溜まりに突っ込んだ。
「あった!100m先を左に曲がって右手二軒目!へへっ!ロクデナシの人殺しにしちゃあ!良い感じの最期じゃあねえか!」
スポッターのスリーが、彼らが探していた物を見つけ、方向を変える角の前での、敵の足止め役を買って出た。
残ったワン、トゥウ、ファイブの3人で、特定された民家に突入。
他二人が外に向かって乱射している間に、床にあった落とし戸をファイブがこじ開けて、全員がそこに入った後に、彼の魔法で内側から完全に接合させ、開閉できなくするつもりだった。
「ファイブは…?どうなった…?」
「カバー仕切れなかった個体に体当たりされて気絶したお前を引っ張って、この中に放り込んだ後、外で戦いつつ《《施行》》した」
「そう、か……」
トゥウの隠蔽魔法は、指定範囲の内側に入られれば、敵からも認識される。
ああやって数撃ちゃ当たるで押し寄せて来る敵とは、相性が悪い。
その為、こういった狭い床下収納のように、相手が入って来ない空間が必要だった。
彼らはそこで、横になって天井を、地階の床の裏を見ていた。
「ワン、ここまでだ。手を引こう」
トゥウが悔しさを滲ませながらも、言わなければならない事を切り出した。
「俺達はもう、充分足掻いた。天命は、どうやら“余計な事はするな”と仰せだ」
少年一人を殺す。
一見卑小な、陰謀とも言えない醜行の果てに、この馬鹿騒ぎである。
彼らの力が、想像力ですら、及ぶところではない。それが明らかだった。
「帰ろう。くそったれホッパー共のお蔭で、魔素の供給は充分にある。カミザblah blahもあいつらが食ってくれるさ。この国の政府に見つかるまで、ここに隠れているんだ。逮捕されて、送還される。それで終わりだ」
「帰してくれると、思っているのか?」
「拘束される時に、映像配信を同時に行えば、下手に拷問や処刑したりは出来ない。生き残れるさ」
そう。
それ以外に無かった。
彼らはもう、無力なのだ。
「いいや、そうはいかない」
ガンスリングで体から提がっていた機関銃のマガジンを入れ替え、スライドを引いて薬室に弾丸をセット。
「俺は行く。止まる事はない」
「バッ……!」
魔法効果の範囲内とは言え不安になったのか、トゥウは怒鳴る直前、反射的に息を潜める。
「バカか…!?意味が無い…!そんな危険を冒して、結局お前が見つける前に、標的がバッタのディナーになってたら、どうするんだ…!?無駄死にだぞ…!彼女をまた一人にするつもりか…!」
「トゥウ、お前は道理を分かっている」
だが、
「お前は、俺を分かっていない」
「何を…!」
アルファ・ワンはゴーグルを上げて、その青い瞳でトゥウを見る。
あの空を映したままの瞳で。
「俺は、帰れない」
ここに来る前は、半分は持って帰れたと、そう信じていた。
しかし、戦場に戻って、分かった。
彼は、ここに居た。
故国に戻って、平和な街中で平穏な郊外で休んでいても、彼の魂は戦場と繋がっていた。
鉄と硝煙の臭いが、彼の臓物に沁みついて取れないのだ。
「彼女はきっと、そんな俺の臭いを嗅いで、俺が居ないって気付いたんだ」
彼女はいつだって正しい。
何が誇りだ。愛国心だ。人類の為だ。
行くべきではなかったんだ。
「『意味が無い』と言うなら、トゥウ、同じ事なんだ。俺が戻っても、意味が無いんだよ」
「おま、おまえ、は、お前は…!」
「帰っても、彼女を寂しがらせる、どころか、怯えさせるだけだ。人殺しが横に居て、夜も眠れなくしてしまう。俺を有効活用するには、彼女を救う為に俺が出来る事は、ここであの少年の生存率を、0.1%を0.00%にする事だ」
戦場でしか生息出来ないなら、戦場でやれる事を見つける。
銃把を握った者には、引鉄を引いた兵士には、
戦争のルールしか適用されない。
敵の殺傷が良い事で、
任務失敗こそが悪だ。
「俺は行く。俺は行くぞ。必ず行く。この任務の中で、そう決めた」
「………なら、」
だったら、
「俺もお前に付いて行くぞ」
彼も兵器だから、
彼は親友だから。
「いや、いいや、」
自身の命を人質として、説得を試みた友に、男はただ首を振る。
「お前には、帰って貰う」
「そんな勝手な言い分が…!」
「彼女の為だ」
「………何?」
「この仕事が終わったら、クライアントから確実に報酬を出させろ。彼女の治療費を払って貰う」
「踏み倒させはしない。取立人が必要なんだ」、
それは、
その理屈は、
やり返された形だ。
大切な人の命を、盾に使って要求を通す。
それをそのまま、そっくりと。
「ふざけるな!」
狭い中で胸元を掴むトゥウ。
声を抑える発想すら、熱された鉄板の上の雫みたいに、気化して飛ばされていた。
「ギャンブル狂いに金の管理頼んでんじゃねえ!お前が渡せよ!お前の手から、お前の手で、彼女を守るんだよ!」
「トゥウ」
抜けるような青空を宿して、
「出来ないんだ」
彼は結論を繰り返す。
「出来ないんだよ」
耳元で聞こえた吠え声は、バッタが鳴いているのか、悪夢の中にある戦場の咆哮か、誰かの悲鳴か哀号か。
「俺はもう、彼女に会えないんだ」
彼女の前に、その身体を引き摺り出した所で、
「もう、あそこに居れないんだ」
上からの振動が収まって来た。
この辺りに食い物が無いと分かり、狩り場を移動したのだろう。
男は身体を裏返し、匍匐姿勢で前進。離れた場所に、高熱で物体を焼き切る魔具で穴を開けて、そこから外に出ようとする。
「まだ、決まってないからな」
一時的に、能力の範囲をそこまで拡張したトゥウが、そう言葉を掛けた。
「まだ、今生の別れと、決まったわけじゃない」
二人は目を合わせる。
「賭けるぜ。お前は生きて帰って来る。俺が勝ったら一発ぶん殴らせろ」
「俺が勝ったら?」
「あの世で拳骨を一個くれてやるよ」
男は含み笑いを漏らしながら、地上に出る。
バッタはいない。神様か死神か知らないが、彼の番はまだ先らしい。
「お前はギャンブルが下手だからな。きっと俺が勝つさ」
「言っとけ。次こそは当たる」
「それでこれまでの負けはチャラだ」、
親友の懲りなさに肩を竦めながら、
最後の戦場へ、その身を投じた。




