213.誰かが繋いでくれた縁 part1
「大切な人に、会いに来たのか?」
俺が慰霊碑の前で、過去の思い出に浸っていたら、見知らぬおじさんが声を掛けてきた。
「えっと……」
「ああ、すまんな、急に話し掛けて。怪しい者じゃない」
別に怪しんだわけでなく、精神的な隙を晒してた時に、急に会話を振られて、処理が追い着いていないだけである。
でも、まあ、言われてみれば、確かに怪しい、と言うか、変な人に思えてしまう。
年の頃は、50とか60くらいだろうか?
背が曲がっている事もあり、俺と同じように小さめに見える。
肌は浅く染まり、皺も多く、頭髪は短く、白髪だらけ。
なんだか疲れた感じに見えるのは、俺の色眼鏡のせいなのだろうか。
「ほら、この辺りはな、普段はあまり人が来ない。そこで熱心にお祈りなんてしているから、関係者かって思っただけだ」
「えぇ、まあ………」
確かに、慰霊碑の中には、俺の家族の、父さん、母さん、にーちゃんの名前もある。
だから、関係者では、あるのだが。
「うーん、えっと、どう言うべき、ですかね…?」
「なんだ。家族とか友達とかが、眠ってるわけじゃないのか?」
「いや、何と言いますか」
ふと思う。
俺はなんで、他の人が共感しにくいだろう話を、行きずりの、よく分からない人に向かって、説明しようとしているのか。
別に、適当に話を合わせて、「そうなんですよ~」とか言って、さっさとどっか行ってもいいだろうに。
「家族が」
「うん?」
「8年前、家族4人でここに来て、俺だけ生き残ったんです」
こだわりなのだろうと思う。
ここでは嘘を吐きたくないから。
「それは………」
「色々ありましたが、最近ちょっと、失敗しちゃって、それで、自分の中の、正しさとか、願いとか欲とか、そういうのと向き合いたかったから、ここに来たんです」
ここなら、俺は正直になれるから。
だから、
「会いに来たんじゃ、ないんですよ」
「違うのか?」
「違うんです。だって」
俺は黒い光沢を見上げて、
「だってみんな、ここには居ませんから」
「居ない、のか……?」
「居ませんよ。居ちゃ、いけないんです。俺は、そう思ってます」
「いけない事、だと?」
「だって、死んでも更に先があるんだったら、死ぬことの意味なんかなくなるでしょう?」
それは身長が伸びたとか、
体の形が一部変わっただとか、
その程度の変化でしかない。
「だったら、何処かでとっくに、俺達は死んだ人と、会ってる筈なんです」
「会っている?」
「だってそうでしょ?死ぬって言う事が、単にある場所から別の場所への転送、みたいな事で、その人が死んだ場所に呼びかけて、届けられるとするなら、」
それは、繋がってる、って事になるじゃないか。
「繋がってるなら、行けるんです。少なくとも、やり取りが出来るんです。けれど俺達は、過去に死んだ人の想いも、何があったのかって真相も、全然分かってない。どんな顔をしてたか、って事すら、100年あれば、忘れられます。死んだら、終わりなんです」
「死んだら、終わる、か」
「終わっちゃいます。もし、死後の世界があるなら、死は今頃、終わりじゃなくて、中継地点になってる筈です。それで、死の後に、更に別の終わりが、見つかってる」
「死後の世界に、終わりがあるのか?」
当然ある。
終わらない物なんて、この世に無い。
世界の歴史を遡っていけば、最初は「何も無い」状態だった筈だ。
それでも、世界は生まれ、「有る」と「無い」に分かれて、今がある。
“絶対の真空”ですら、永遠じゃなくて、急に何かが発生し、終わりを迎える。
時間さえあれば、あらゆる状態は、いつか終わるのだ。
「死んだ後があるなら、人が死ぬのが、悲しい事じゃなくなります。単なる通過儀礼です。だけど俺は、みんなが死んでから、みんなに会えません。少なくとも今まで、会えた事も、声を聞いた事だって、ありません」
「もう、会えない……」
「会えないんです。それは、悲しい事です。とても、寂しかった、いえ、寂しいんです」
だから俺は、死後の世界がある、なんて事を、口が裂けても言えない。
「それはきっと、ある意味で安心、気休めにはなると思います。でも、そこで終わりじゃないって、そう思って、死後の世界も含めた人生設計をして、死んだ後でも、話せるからって、色々な事を後回しにして、」
それで?
いざ死んで、
その後が続かなかったら?
「しかし、あんたはその時、死んだんだから、答えが間違っていたとしても、分からないのじゃないか?」
「そうかもしれません。でも、自分が知らなければ、それでいいんでしょうか?勿論、最後の最後、究極的には、“人”って自己満足で終わるしかない生き物です。でも、もっと自由な世界があるから、面倒事は全部その時まで保留にして、まあまあ好きに生きて、死んでから後にまた目が覚めるか分からないけどどっちでもいいや、知ーらない、って、それって——」
——“生きてる”、って、言えるんでしょうか?
俺は、生きていたい。
ちゃんと、全力で、生き切りたい。
「例えどっちであろうと、俺は、今出来る事をやっておきたい。死後の世界があっても無くても、どっちでも、俺がやる事は変わりません。だったら、『無い』と思ってた方が、より本気になれます。ちゃんと、生きていけます」
「背水の陣、みたいなものか?」
「そんな感じです。万が一、死後の世界があったとして、こちら側に触れない、戻れないなら、結局『無い』のと一緒なんです。こちら側でしか出来ない事が、もう取り戻せない手遅れな事が、存在するって意味になりますから」
個人的な主義だ。
俺は、死んだ後を前提に動かない。
俺自身に言い続ける。
そんな物は無い。甘えるな。
やりたい事があるなら、この世界でやるしかないんだ。
“次”なんて、どこの誰にも、用意されてない。
「残酷な、世界だな。一度、偶然に奪われたら、それっきりか」
「そうですね。多分、そうなっちゃうから、『死後の世界』っていう物が、発明されたんだと思います。死んだ人達は可哀想だけど、だからと言って何もしてあげられなくて、可能性を奪われた人が、それでも生きると言いたくて、でも、心は納得出来なくて、その気が起きなくて。
それを補うために、生きてる人達の重圧と絶望を、少しでも和らげる為に、死が終わりじゃないって、そう言い聞かせるようになったんでしょう」
「あんたは」
視線を落とし、相手と目を合わせる。
小さく、色が抜けたような、薄い瞳。
「あんた自身は、理不尽に奪われて、もう二度と会えない、それに耐えられるのか?死後の世界は、欲しくないのか?」
「欲しいです。だけど、それが無かったとしても、後悔しない人生だったって、そう思える人間でありたいと、思ってます」
難しい事だけれど。
ついこの前だって、また一つ大きな後悔があった。
出来なかったことばかり、積み上がっていく。
「じゃあ」
その人は、慰霊碑に目を遣り、
「あんたはどうして、ここに来たんだ?」
ここに誰も居ないなら、
どこにも居ないなら、
どうして?
「慰霊碑が……つまりその、『思い出す』為の物が、あるからです」
「思い出す……?」
「そう、ですね。思い出して、おきたかったんです。俺がここで、もう二度と手に入らない物を、失った、それを思い出す為に」
「どうして、そんな事を?」
「自分の本心が知りたくて」
俺が俺の中で、何かを誤魔化してる、ような気がした。
何か、疲れて、途中で考えを打ち切って、
それ以上は見ないふりをしているような。
だから、この地に来て、思い出そうとした。
お前はこのままだと、明日にも、1秒後にも、
こうやって消えて、どこにも居れなくなる。何も出来なくなる。
俺はみんなが、大好きだった。
永遠に、あの中に居れるって、そう思っていた。
いつまでも家族なんだって。
だけど、俺は一人になった。
もう二度と会えない。
俺は父さんと母さんに、将来の夢を伝える事も、出来なくなった。
家族をどれだけ好きだったかを思い出せば、
どんなに輝いている物でも、大切に思っていても、
いつかは消えると思い知れる。
そうすれば俺の中で、本当の、本性の、願望が、
尽きる前に燃えてやろうって、我慢出来ずに燻り出されるって、
そう思った。
お墓とか、慰霊碑とか、生きる人が思い出す為にある物。
それを使えば分かるんじゃないかと。
「そうか……」
「ま、まあ、ちょっと偉そうな事言って、結局まだ見つけられてないんですけど………」
ここに来たのも、この辺りをぐるぐる回って、それでも自分が分からなくて、
だから改めて、言い聞かせに来たのだ。
それでも、俺はまだ夢を見ている。
「もしかしたらまだ、心のどこかで、“次”を期待しちゃってるのかもしれません」
また会えるって。
誰かがそう言ってくれるのを、待っているのかも。




