212.赦される日なんて、誰にも無いのかもしれない
みんな同じだと、その人は言った。
「同じ、って事は、ないと思いますけど……」
「同じだあ。同じ同じおんなじ。人間なんて、碌なもんじゃねえ。ここに居る奴らは極端な例だけどよ。人ってのは、居るだけで金が掛かるし、その為の食い扶持をもぎ取らなきゃなんねえ。で、どうしてもあぶれる奴、食いっぱぐれる奴が居る」
「それは、そうでしょうけど……」
「って事は、生きてる間ってのは、リソースってのを食うんだ。そんで、そのリソースは、もっと別の誰かを食わせて、生かす事だって出来るんだよ。死なないって事は、ある程度のリソースを占拠して、他に渡さねえ、って事だあ」
「それはまあ、分からない理屈じゃないですけど……」
8月25日。
“箴埜筵”付近の、廃墟区画。
無人の跡地は、正式な持ち主でない人々が居着く事で、全然無人ではなくなっている。
かと言って、活気がある、なんて表現も、少し違うけれど。
俺は5日くらい前から、この付近をウロついている。
今の俺が生まれた場所、と言っても過言ではないからだ。
その結果、潜むように住んでいる人達と、何故か顔見知りになってしまった。
最初はこの人が転んでたのを助け起こして、“家”まで肩を貸した事が始まりだったが、それ以来なんだか気に入られ、今に至る。
あちこち補修したシャツと短パン、髪は細く艶も無く、顔の左右から首まで伸び放題。口周りも髭で隠れて、全体が色褪せたように白っぽく見える。
“サブロー”と名乗ったその人は、冤罪、失業、家庭崩壊と言った、悲惨な不幸を立て続けに経験して、そうしてここに至る、と言っていた。
俺はその話を聞いたり、それか逆に相談に乗って貰ったりもしている。
今も、罪悪感を吐露した俺へ、静かに自説を聞かせてくれている。
「俺達はな、こうやって息をしてるだけで、人様と、他の命と戦ってんだ。“罪もねえ”、なんて、どいつもこいつも軽々しく言うけどよ。そんな事は、ねえだろ。誰だってやらかしてんだ。生きてるってのは、やらかしなんだよ」
「救世教が言う、原罪、みたいなものですか?」
「宗教は関係ねえよ。もっと根本、人間が猿だった時から、まだ神様の化身でも何でもなかった昔から、そう出来てるんだよ」
誰も居ない立体駐車場の最上階。
サブローさんは縁に腰掛け、遠目に見える壁を、封印された国内最大のダンジョンを眺めながら、萎々《しなしな》になった煙草の箱を懐から取り出し、
「いいか?」
「どうぞ」
100円ライターで火を点けて、「ぷふぅ」、と白い煙を吐き出した。
「あんちゃんが、何をそんなに悪いと思ってるか、知らねえけどよ……。あんちゃんが生きてて、起こる不都合なんてのは、他の人間も、とっくに起こしてるもんだ」
「いや、でも、法律守ってる人と、そうじゃない人は、違うでしょう?」
「あんちゃんは、法律破ってんのか?」
「それは………」
どうなんだろう?
カンナの事を隠すのって、法律的にはどっちなのだろう。
ダンジョンで発見した“物”を報告する義務、みたいなのって、この場合適用されるのだろうか。
「微妙、ですけど、でも、犯してるかもしれません」
「だとしても、あんちゃんが気にしてるのは、そこじゃないだろう?正しい行いかどうか、違うか?」
「それは、そうです」
確かに、“人”という大枠を裏切る裏切らない、といった事が、俺にとっての問題だ。
「だったら、それについては、俺ぁ何度でも同じ事を言うだろうな。『お前の悩みは、他の誰しものそれと、同じだ』。あんちゃんだけ特別、なんて事は無いさ」
「無いですかね?」
「自分の欲望の為に、世界を犠牲にする。普通よ、普通。人によっては、その“欲望”が、うまい事他の奴らの欲にハマってくれる、なんて事があるけれどよ」
「その理屈だと、人の為の発明をした人と、法律も知らんぷりで突き進む凶悪犯が、同じ、って事になりませんか?」
「そりゃ違う。本当に行動力があるヤツは、自分の欲望を邪魔する障害を、排除するヤツだ。例えば、人を殺したいなら、人を殺せる立場になるような」
「犯罪者になってるヤツなんて、二流だ二流」、
喉を攣ったように笑い、もう一度白包に口をつける。
「本物はな、邪魔をされない為の手間を、惜しまねえ。法を変えて、或いは既に合法である場所を探し出して、社会的に許されなかった欲を、満たすんだ。その方が楽だって分からない馬鹿や、そうする能力の無い貧相な愚者が、犯罪者になっちまう。俺みたいになあ」
「サブローさんは、冤罪でしょう?」
「ここに居座ってるのに、持ち主の許可を得てねえ。立派な違反者だ。ポイ捨てだってしてるしなあ」
この人達は、俺と同じように、行き場を失くした、どこに行けばいいのか分からなくなった、そんな人達だ。
社会の側からすると、役に立たず、法的に居ていい場所を持たず、居なくなって欲しいと、そう思われる。
「ま、んな感じで、半端モンかどうか、一流か二流かの違いはあれど、結局は程度の差なんだよ。誰にも迷惑を掛けないなんて、そんなもんは無理だ。電球を作った奴は商売人で、人類賞を作った奴は爆弾の父だ。スゲエ事をやった奴は、その規模に合わせて、スゲエ被害をどっかで出してんだ。それが“罪”か、“必然の犠牲”か、どっちの呼ばれ方をするかは、本人の人徳やら解決能力次第だあ」
逆に言えば、うまくやり遂げたかどうか、その違いしかないって事か?
人はみんな罪人で、それを何処まで糾弾するか、人同士で取り決めを作って、
そこからはみ出ないように、罪を重ねるのが、“生きる”って事なのか?
「それじゃあ法律って、単なる檻でしかないんですか?上手く抜け出せる穴を探した人が、得をするだけ、なんでしょうか?」
「それは少し違うなあ。法って言うのはな、正義へ向かおうって意思だ。誰も正しくない世界で、それでも正しさに近付こう、そういう思いが堆積して、今の形になってんだ。その落ち度を、見つけるのは賞賛されても、そこから出るのは後退、それか堕落だあ」
「でも、法律の中に居ても、正しくはないんですよね?」
「そうだなあ。だけどよ。正しい事を求める、それ自体は、失ってはいけない意志だって、俺ぁ思ってんだ」
ど、どういう事…??
法は正しくなくて、でも正しい?
こんがらがってきた……。
「法を守るってのは、大事な事だ。同じ事をやっているようでも、合法か違法か、そこには雲泥の差がある。その違いは、意志だ。“俺達は正しくない”、“なら正しい物ってのはなんだ”、“探さなくちゃいけない”、“過去も未来も、人類全てで”、その“意識”が、あるかないかだ」
「俺達は、みんな正しくなくて、でも本当にいけない事は、“自分は正しい”と思いこんで、止まっちゃう事だ、っていう話ですか?」
「そうだ。“俺は正しい”、“間違ってない”、そう思って法を破る奴は、最悪だ。例えば、“弱肉強食”とか知った口を利いて、丹本で誰かを、法に権利を認められた何者かを、時に奪い、苛み、あまつさえ殺すなんて、そんなのは人類が真っ先に切除するべき、悪なんだあ」
「誰もが許されない中でも、それでも“悪”って、成立しますか?」
「正しい世界ってのは、誰でも納得が出来る、幸福な世界だあ。つまり“悪”ってヤツは、自分で自分を“理想郷”から遠ざけてる、って事になるだろ。絶対に納得させられない事を、諦めてるんだからなあ。俺達が許されない者だからこそ、存在して良い物になりたいからこそ、欲望があるからこそ、“悪”は滅ぼしていかなきゃなんねえ」
「とまあ、偉そうな事を言ったが、俺もあと一歩でそっち側だ」、
サブローさんは肩を竦めて、表情も声色も緩めた。
「こんな事になったのは、誰のせいか分からねえ。仲間の中には、貧乏や虐待で法から外れざるを得なかった、そういう奴らも居るけどよ。でも、法律に意識的に逆らってんのは、おんなじだ。“真の邪悪”と違う所は、自分がダメ野郎だと気付いている所、くらいだあ」
「サブローさんは、ダメなんかじゃあ……」
「いいや、俺は諦めちまった。どんな原因があったとしても、“正しさ”を求める戦いから降りたんだあ。世間や社会からもそうだろうし、不屈の意思で正しさを求めた先人からだって、きっと軽蔑の目で見られるだろうなあ」
みんな同じだと、その人は言った。
違っているのは、そこから変わろうとしているかどうか。
「あんちゃんはな、自分が正しくないと思ってるだろ?」
「それは、だって、そうじゃないですか」
俺がやりたい事の為に、俺が欲しい物の為に、
貰った物をなんでも捨ててしまえる。
恩知らずにも程がある。
「俺ぁな、そう思えてるって事が、そこに気付けてるって事が、あんちゃんの人間的な強さになってるって、そう思うぜ…?」
「そんな、その程度で、強いなんて、言っていいんでしょうか?」
「ま、俺の勝手な理論だけどよ。だがなあ、」
ピンと指で弾かれた燃えさしが、回りながら落ちて行く。
「あんちゃんは俺達と、他の誰とも同じように、正しくない。だがよ、それをちゃあんと知っていて、その先を考える時間を持っている」
「その先、ですか……?」
「そうだ。どうせ正しくないからと腐って、法や社会から外れちまうには、ちっと惜しい気がするんだ」
俺にもまだ、正しさを求める、その権利があるって言うのか?
正しい事の為に、俺にやれる事が、何かあるって?
「いや、もしもあんちゃんの欲が、この国ではどうしても違法になるから、もっと別の場所を見つける、ってんなら良いんだけどよお。あんちゃんの場合、“人間”から離れようとしてるように見えてなあ。だから、言ったんだ」
「みんな同じだって」、
まだ人間で、居ていいんじゃないかって。
「悩んでるなら、あんちゃんの悩みから、“正しい”と“正しくない”って分類を、取り除いてみろ。どうせ何やっても、良くない事なんだ。それさえ念頭に置いてれば、正当性なんて横並びでいい」
俺の迷いから、正しいかどうか、それを考慮から外して、
そうして見えてくる、俺が本当に気にしている、忌避している事は、
そこに残っているのはきっと——
「………ちょっと」
何でか分からないけど、思いついた。
「ちょっと、行きたい所が、出来ました」
きっと、自分の逃げ場所を、偽る余地を、無くしてみたくなったのだ。
「そうかあ。ま、俺が言った事も絶対じゃねえ。あんちゃんはまだまだ若人だ。よく食って、よく寝て、よく悩め」
「ありがとうございました。モヤモヤしてた物の、形が見えてきました。流石元心理カウンセラーですね」
「ヤブだよ。患者が自分に本気で惚れて、嵌めようとしてるなんて、全く見抜けなかった。距離感を間違えちまったからなあ」
「コロッと好きになっちゃうのも分かります。サブローさん素敵ですから」
本心から俺が言うと、
彼は「よせやい」と照れくさそうに、
さっさと行けと手を振って示した。




