21.「面白い」とかよく分かんなくなってきた
illモンスター、可惜夜にとっては、どっちに転んでも良い局面だった。
彼女は日魅在進の右眼に寄生した時に、その記憶も一通り閲覧済みである。故に、彼を襲撃したディーパーの正体も、その動きの癖などから瞬時に同定していた。
あれはかつて、この“魔人窟”で進の命を救った、あの潜行者だ。
恐らく脅迫や恐喝の常習犯。弱みを握って奴隷のようにコキ使うというのが手口。気が弱い人間なら労せず掌握できる。肉体が弱い相手ならもっと簡単だろう。このダンジョンの窟法が、恐怖した者の動きを縛るという物であることも、彼の商売には追い風となる。一度優位を取れば、二度と逆らえなくなるからだ。
そういう意味では、日魅在進は絶好のカモだったに違いない。
が、状況は変わった。
少年は時の人となり、実績と自信を身に着けつつある。
弱者でなくなる。つまりその内、脅迫者にも反抗するだろう。
そうなる前に、再度上下関係を結び直す。
進はローマンだ。
ローマンから取り立てることすらできない、そんな評判は、恫喝で商売する男にとって、何よりの致命傷。進が下手に有名になってしまった事で、のほほんと野放しにすることも出来なくなった。
もし仮に進が社会的地位を得てしまったら、男を告発する危険すらある。
愚かな事である。
自分の成果を喧伝したりしなければ、問題になどならなかったと言うのに。
大方、犬が縄張りを主張するような勢いで、手に入れたオイシイ金蔓の事を、自慢して回っていたのだろう。でなければ、知らん振りで済む話ではあったのだ。
進が成功者にならんとしている今、かつての大燥ぎが裏目に出て、こうして無茶を通してでも、動かざるを得なくなっている。
口は禍の元、それだけの話。
進がその場をどう切り抜けるか、或いは切り抜けられないか、カンナと名乗る彼女にとって、どっちでも良い事だった。精々が少しでも面白くなるよう願うくらい。
カンナと名乗る彼女にとって、どっちでも良い事だった。
だから何の気なしに進を見て、
見上げるその目とぶつかった時、
何故だか楽しくなっている、そんな奇妙な自身を知覚した。
彼の目は、こう言っていたのだ。
「お前が気に入るやり方で行ってみる」、と。
進が襲撃者に向かって駆け出した。
右眼に棲むカンナには分かる。彼は逃げているのではない。
攻勢に出た。
勝つ気なのだ、自分を支配していた格上に。
確かに、この前戦ったD型とやらと比べれば、遥かに容易な相手ではある。
が、魔法が使えない彼が挑むには、対人に慣れたディーパーというのは、些か荷が勝ち過ぎる。
順当に考えれば返り討ち。二度と這い上がれないように、念入りに叩き潰されるだろう。
「普通なら」、そうなる。
普通ではない物を、見せようというのか?
だとするなら、彼の持つ特性を活かすしかない。日魅在進の優位性。カンナも、彼に目を付けた後に気付いた、細やかだが無視できない長所。
本人が何処まで自覚的かは微妙な所だが、しかしそれさえ掴めていれば——
襲撃者はこの期に及んで暢気だった。接近する進の攻めっ気を最初から考慮に入れておらず、頭から逃亡の為の全力疾走であると決めてかかっていた。この男は進路を妨害しようとただ工夫も無く進の前に立ち、右手のアームを振り下ろした。
速い。G型など比べ物にならないくらい。が、来ると分かっていれば、あまり問題とはならない。
見え見えの大振り、見え見えの縦軌道、時機さえ分かってしまえば、回避は至って簡単。
では、その「時機」を測れるのか?
頭上にアームが降りて来る直前まで幾許の減速も進路変更も無く、故に男は進が反応出来ていないと判断した。必中を疑わずに恥ずかしいくらい愚直な一撃を繰り出した彼は、硬い地表を叩いた感触だけが返ってきた事に僅かな狼狽を見せる。慌てて目視で自分の打撃の成果を確認。遅い。そこで防御でも索敵でもなく安心しに行くような甘い精神性に身を浸しているからこそ、彼はチンピラ止まりなのだ。
覗き込むように屈んだ彼は、その間は体格の有利を手放している。
もしも先程の一撃が紙一重で躱されていたら、直ぐに取り付かれ登攀されて、頭部という弱点に届かせてしまうことになる。
では、少年は果たして躱せたのか?
答えはこうだ。
彼ならば、
日魅在進ならば、
正確に測れる。
だから躱せる。
彼は今、襲撃者の頭上を獲った。
自分のケーブルを引っ張り出した少年は丸みを帯びたヘルメットの目線部に何重にも巻き付ける。前が塞がれ、更には少年の魔力が触れる事で発生する閃火。バイザーやカメラの破損という危機が迫り、外を見る術が奪われかけていることを漸く理解する。
ヘルメットを脱いで外を見ればいい?確かにそうすれば視界不良は直ちに解消される。と同時に、彼の潜行者生命も終わる。生放送中のカメラの前で、掟破りを堂々とかまし、その上で素顔まで晒すのだから、無事で済む道理など有り得るわけもない。よって、バチバチと火花を散らすケーブルに覆われながら、上体を捩って抵抗するしかない。間抜けな光景だが、本人としては必死なのだろう。
そう、必死だ。
だから、忘れている。
それを好機と見たから、自分から仕掛けたと言うのに、完全に頭から抜け落ちている。
今この場には、G型が3体居るのだ。
人の都合など理解しない、ただ目の前の敵を殴るだけのモンスターが。
誰も居ない第一層且つ、その中でも最高戦力を相手にする、その瞬間に横から襲えば、必殺となる。進に奇襲するならそれがベスト、そう見積もったのだろう。
だが、けしかける為の敵集団が、今は完全に襲撃者の側を狙っていた。
二人が固まっているのだから、大柄な方が優先して狙われるのは、全くもって当然の話である。
包丁めいた刃物は刺さらず弾かれた。が、次に来た棍棒の一撃はどうやら無視出来ていない。更に手斧が襲う。まだ痛いだけで終わっているが、これを何度も繰り返されれば、アーマーの機能に不具合が生じ、そのうちに身動きが取れなくなるだろう。
鉤爪アームが横に薙ぎ払われれる。一呼吸の間、モンスターの猛攻から解放される。が、進はまだ離れない。そしてモンスター共も直ぐに攻撃を再開する。
今度は大顎を使って装甲を引き剝がしにかかる3体。男は考えているのだろう。ここから無傷で助かる方法。が、仮にも人を追い詰めるプロなら、自分が今望み過ぎであると察するべきだ。
不可能。何かしらを犠牲にしなければ、彼は生きて帰れない。
更に少しの逡巡、欠伸が出る程の遅れがあったが、しかし決断は為された。
ヘルメットを射脱して少年を振り落とし、顔を出す事と引き換えに視界を手に入れた彼はG型一体の頭蓋を即握壊、その胴を武器にもう一体を叩きつけで粉砕。更に突進して最後の一体を壁と挟み圧殺。進からも距離を取った。
彼にしては見事、最善最適最短の手並みであった。これにより状況が五分まで戻る。ならば、次の一手こそが肝要。引き込んだ流れを、自分の物として完璧に、御することができるのか。
それが、次で、決まる。
と、いうところで、
男は果敢にも、再び正面から進へと挑みかかった。
彼の魔法は、痛みを伴うものなのだろう。
それに触れた者は、彼の魔力によって浸食される。その過程で拒絶反応としての痛覚を呼び覚ます、そんな副次的効果を持つ魔法もあるが、彼の場合、寧ろそちらが主作用となっている。魔力や肉体を蝕み、生ずる痛みで脅しつける。彼の練度では、相手を視認しなければ使えないらしい。
虚仮脅しだが、咄嗟の一挙手一投足が勝敗を左右する戦場では、極めて有効な武器である。特に、進のような格下には。
戦力評価の結果だけで考えてしまえば、勝つのは襲撃者の側だ。
しかし、何だろうか。カンナの中の経験則、勘、とでも言うべき部分によって、彼女は進が敗けるなど、微塵も危惧していなかった。
ついさっきまでの彼では、この戦いの天秤を、引き戻すだけの何かを持っていない。それは自明。明々白々。
で、あるのに、何故か?
「“烈河”!」
男が魔法を発動した。
少年の痛覚は自らの魔力を浸蝕する異物の存在を感知。これはやがて肉体に、全身に回る。
痛みによって鈍ったことで大きな隙を生じさせ、そこを狙った一突に掴まれ自由を奪われる。と、これが男の想定だった。
が、少年は全身から流出していた他の魔力を、男の魔法に触れた部分へ供給し続け、押し出すように患部を切り離した。本来数秒は行動不能に出来るレベルの激しい痛みを、一秒以内に無力化。余裕こいて止めを刺す気全開だった襲撃者の右腕を跳び超えて足場のように蹴り、再びの上方位置確保。隔てるヘルメットはもう無いのだから、当たり前のように直接その首にケーブルを巻き付け、
跳び下りる。
体格差。
進がその首からぶら下がって尚、地に足が着かない程の巨躯。つまり少年の全体重を、首に掛けてしまえると言うこと。
「ガ、ア、コンノ、チビ………」
身長150cm未満、体重40kg前後と、同年代の男子の平均から見ても小柄な彼であるが、それでも人を殺すには十分な荷重。そこに潜行用装備と、中身入りのバックパックの質量が重ねられる。
頸部に15kg以上の負荷が掛かるだけでも気道は塞がり、30kg以上なら動脈閉塞により数秒と意識を保てないとされる。
魔力による基礎的な身体能力向上の恩恵を受けていた男は、即死だけは免れた。が、短時間で急激な圧力が首に掛かる現象に対して、即座に対応できる程の手練れでもなかった。
「ク、ソ、ガ、キ………」
20秒。彼が持ち堪えた時間である。
「も、問題のあるディーパーに、粘着されている、皆さん……」
「シニ、サラ、アアア………!」
意地と全神経を集中させた体内の魔力操作によって、20秒間、彼は脳に酸素を無理矢理に送り続けた。そして、それだけだった。体勢を変えて打開する、反撃に転ずる、そういった一切が、今の彼には出来ない注文だった。
「このように、対処すれば——」
——万事解決、ですよ。
「ムン゛…っ!」
脱力の後、昏倒。
輝かしい栄光の日々、弱者から小銭を巻き上げるお山の大将としての玉座は、呆気なく終わりを告げたのだった。
まあ、それはいい、カンナはどこまでも冷淡だ。
目の前でつまらない俗物がどうなろうと、彼女の関知するところではない。
今の関心事は、その男を倒して見せた、少年の方に占められている。
その兆候はあった。
漏魔症は、魔力漏出を強いられる代わりに、とある特殊な魔力運用を可能にする、一長一短の体質である。
が、それは、「やり方」を習得した者にのみ言える話。
大抵の罹患者にとっては、恩恵など存在しない、単なる呪いでしかない。今の日魅在進にとっても、それは同じこと。
が、彼には、他の患者達より、否、他の潜行者より優れている点が、一つあった。
“敏感さ”である。
人は痛みを忌避し、流血を嫌悪し、苦しみを憎悪する。
安定した生存を目指す本能がある以上、それは避けられない脊髄反射と言える。
が、ごく稀に、自らの傷口を覗き込み、まじまじと観察してしまう、そんな精神性の持ち主が存在する。
痛みを感じていないのではない。鈍感なのでも、快楽に変換しているのでもない。ただ、苦痛に喘ぐ自らを、客観的に見下ろすことのできる、そんな人間は確かに居る。
恐怖を誰より感じながら、最後には恐怖と向かい合う事を選べる人間。そんな稀有事象が、漏魔症という体質を得てしまった時、そこに相乗効果が発生する。
全身から魔力を、つまり自分の一部を漏らし続ける漏魔症とは、自由神経終末が、平たく言えば痛覚が剥き出しになって、漂っているのと同じ状態だ。そしてこの問題に、大抵の生命体が、魔力と繋がる感覚を、鈍化させることで適応する。それこそが自然の知恵なのだから。
だが“稀有事象”は、日魅在進は違った。
受容器達をむしろ伸ばし、広げ、世界により触れようと求めた。
魔素や魔力の揺らぎを見て索敵し、筋肉や機構の動きを感じて次手を予測した。「ここを狙う」という、殺気にすら反応した。
それらを無意識に行っていたのだ。
当たっていない攻撃を痛がり、魔力の通り道を浸食されれば、「痒み」という形で鋭く感じ取った。
ダンジョンカメラマンという、危機や死線を回避し続けなければいけない、そんな経験が活きたのかもしれない。カメラをブレないよう固定しながら、敵の本陣を突っ切って、被弾を抑えて生還する。自身の肉体の隅々にまで、意識が及んでいなければ、凡そ困難な芸当である。
カンナが漏魔症を戦士へ育成する上で、最大の関門。それが初手で解消されていたのだ。
彼女が感じた僥倖を、言葉にするのは難しい。
少女が此岸に発生してから初めて、運命というものに感謝した程だった。
彼女の笑みは益々深まる、が、
調子に乗ってカメラやカンナに向け、ポーズを取って格好をつけている進を見て、表情は徐々に、苦笑いへと変わっていく。
(((全く……、有望なのか、先が思い遣られるのか、分かった物ではありませんね)))
「え?なんて?」
(((何でもありません。ほぉら、虚空に向けて話していると、観客の皆様に、変に思われてしまいますよ?)))
そこで今更慌てて表情を整え始める少年を見ながら、
まあ今の内に浮かれる分にはいいかと、ついつい相好を崩してしまうカンナだった。




