111.更なる狂騒の足音が
「はい、私です。……はい……ええ……はい、全て順調です。ええ……、こちらの思惑通りに………はい……はい………フフ、壌弌は今頃、途方に暮れています。……はい、ご命令通り、信用取引の利益も、抜かりなく………、ご心配なく、口座はこちらでご用意させて頂いております。………はい勿論、すぐにでも洗浄させて頂きます……はい、足はつきません。………そのようです、魔力使用規制緩和の声は、順調に大きくなっています。………はい、大筋では、予定通りに。ただ、一つだけ、予定外が……、ええ、例の少年です……はい……はい、そうです。どうやら、我々が思っていた以上に、彼は計画の障害になるやも………はい、そうですね、大会の結果次第では、対処なされた方が宜しいかと……いえ、決して。こちらの領分を踏み越えるようなつもりは、御座いません。飽く迄、ご参考までに、ご注進申し上げたまでで御座います………はい、プランβを、本格的にご検討すべきかと。……はい……はい、……それでは、そちらで対処頂ける、ということで。……はい、こちらでは引き続き、潜伏を続けます。……はい、そのように報告しておきますので、……畏まりました。それでは、また」
SNAP。
………
tap、
taptap、
ring-ring-ring、
ring-ring-ring、
「はい、私です。……はい、定期連絡です。……まず、先日の吸収工作の件ですが——」
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「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
廊下をドタドタ早歩く、横に広い初老の男。
忙しない事この上ないが、彼の心中を慮ると、無理もない狼狽である。
「前代未聞だ!空前絶後だ!前人未到だ!大胆不敵だ!」
自分でも何を言っているのか、
分からなくなってきているのだが、
兎にも角にも口を動かす。
でないと頭が詰まって爆ぜる。
「どうしろって言うんだ!どういう待遇を用意しろって言うんだ!」
相手は人間、言葉も法も持つ。
けれどディーパー達であっても、彼らを畏れ、一歩引く。
メタボな重役であるだけの彼が、それを前にして、平気で居られるのか?
「ここに来て数年にはなるが、こんな来賓は初めてだぞ!」
経験値で負けぬと豪語した、
彼でも震える一大事。
「この数の“チャンピオン”が一堂に会する!?
しかも救教も、オウファやキリルも、ルカイオス本家まで代表を寄越す!?
ふざけている!戦争になるぞ!?
国際問題の火薬庫だ!」
好戦的で、最強に近い彼らが、
一室で面を、突き合わせる。
どういう化学反応が起こるか?
どういう爆発が危険視されるか?
何も、何一つ分からずに、今の彼はただ、走るしかない。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
滅多な事が起こらないよう、祈りを込めて床を踏み、
肥満体型は、
手続きと根回しに奔走していた。
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「いやあ!良い匂いだ!」
「くぅ~!潜行帰りはここいらで、何で腹を満たすのか、考えるのが至福の時間よぉ~!」
「まったくだ!」
央華人民国、首都京京。
ダンジョンから這い出て来た潜行夫達が、土埃に塗れた顔を拭いながら、酒と晩飯を物色していた。今が彼らの日々の中で、最も満ち足りた時間なのだ。
昼と、夕。飯時のこの通りには、移動式屋台が立ち並び、フードコートへと様変わる。
腹を空かせた、探窟労働者達が、穴の奥からワラワラと。
それはまさしく、商機であった。
肉に麺に、果物、甘味。
あらゆる物が、なんでもござれ。
違法に陣取る物も含まれ、居なくなったり、また現れたり。
彼らはそれを承知で、それもまた一期一会だと笑い、今日も今日とて、一夜の恋人を探して彷徨う。
その中に、ふと、
今日初めて見るような、トラックを改造した一台があった。
見慣れなかったから、それもある。
けれど、そこから立ち昇る焼煙が、大気組成に溶け込んで、香ばしさが風に乗り、人々の鼻から、腹を打つ。
「おい、あれ……」
「いー匂いだなあ……。何の肉だ?」
誘惑のままにフラフラと、彼らは吸い寄せられていく。
「や、やあ、姉ちゃん!」
「……どうも」
煙で隠れていた店主を見て、人々はまた一度、息を呑む。
美しい。
病的なまでに白い肌。
顔の左右に、幾つもの輪っかを作って、
垂らす形となっている髪も、また白い。
西洋風な面立ちに、東洋風な髪型。
鳩の血のように、真っ赤な眼。
アルビノ、そう呼ばれる遺伝子疾患だろうか?
ともすれば病がちな、窶れた姿と見られる特徴が、
髪色に幾本か金糸が混じるだけで、繊細と高貴に様変わりした。
こんな熱気の中には不釣り合いに、儚く透き通り、可憐に見えて、
光る結晶を端から散らす、綺羅星のような純白と言えた。
三角巾の野暮ったさも、これまた浮いている深緑のレインコートも、
彼女の煌めきを、鈍らせる事など出来なかった。
「………食べる?」
「…え」
「買うの…?買わない…?どっち…?」
「あ、ああ!悪い悪い!一本頂こうかな!へへへへへ…!」
「ん…、どうぞ…」
黒手袋が、肉串を一本取って、お代と交換で渡される。
最初の一人は、彼女の顔を目に焼き付けようと、後退りしながら、串に齧り付き、
「…!?……うっ、うまい!」
その歯が破り、舌がタレと汁で浸されると、今度は味に夢中になった。
何の肉だろうか?
これまで食べた、何の食感とも、舌触りとも似つかぬ、
しかし異物の感も持たない、何か。
食らいつくと、少しの戸惑いの後、充足感と幸福感が押し寄せ、
数秒が経つと、「もう一噛みを」と、脳が求める。
「うまい!うまいぞコレ!」
「本当だ!なんだコレ!?」
「へー、不思議な味だなあ……!」
「今まで食べた物と比較できないのに、何故かすんなり口に馴染む……」
「興味が湧いて来た。俺にもくれ!」
「こっちにも!」
「姉ちゃん!俺にもう一本!」
「5本くれ!」
「ちょ、押すなよ!」
「………順番……」
その後、トラックに積まれていた材料全てが、30分で使い切られた。
明くる日も、
そのまた次の日も、
誰かが彼女の屋台を見つけ、
その香りと味に人が群がり、
瞬く間に売り切れる、
その一連が繰り返された。
その屋台は、暫く近隣の評判となったが、
他の数多と同じように、ある日突然、姿を消した。
惜しまれつつも、けれど良くある事と、
皆はやがて、その不思議な屋台の事を、忘れていった。
とあるウイルスの変異株によって、
世界で感染爆発が引き起こされるのは、
それから暫く後の事である。




