十.真の絶望を見てしまった
ボンボン、ボンと、数発飛んだ。
俺の周りに降って来て、割れた中からトカゲが出て来る。
害意の籠った歯を煌つかせ、腹を空かせて喉を鳴らして。
「うああああ!あああああ!?」
一匹、這い出してくる前に刺して、傷がすぐに再生していくのを見て滅多刺しにして、下顎を貫いて首を割り裂いて、ようやく動かなくなったところでもう一匹を、
ダメだ。
間に合わない。
手も殺傷力も足りてない。
こうしてる間にも、卵が飛ばされG型が産まれる。いいや、よく見たらそれ以外も、このダンジョンに棲むモンスター達が、産み出され続けている。
一匹殺すのに何秒かかる?
その間に何体産まれる?
急にふと、丹本の創世神話を思い出した。
女性神が1000人殺す間に、男性神は1500人産むとか言う。
今の俺は、女性神の気持ちが分かる。
ウゾウゾうごうご増えやがって。気持ち悪いんだよ。全部死ね。死ねよ。増えるなよ。増えないでくれよ。
「あ あああああ!?」
足が、
足が痛い。冷や汗が噴き出して肌に衣服が貼り付く感触が不快だ。見れば、右足が嚙みつかれている。なんだよ、これじゃあ動かすこともできねえよ。俺は死に物狂いでナイフを突き立てまくる。なんだよコイツ早くはなれろよ死にたいのかだったら死ねよとっとと
「ああああ!あああ!あああああ!」
右肩と、右腕、一匹ずつ、食いついた。ヘッドセットが剥ぎ取られ、ザラザラとした舌で皮膚を削がれる。
G型が群がってくる。糞汚い便器みたいな匂いだ。べちゃべちゃと唾液らしき液が俺の頬を濡らす。叫んで叫んで、肺の空気を全部使って、無くなった分を求めて、口の中にじめついた臭気を吸引し、咽返る。涙も鼻水も失禁も止まらないが、それ以上に血が、俺の血肉が、啜られるようなこの感覚は、
厭だ。
『きたあああああ』
『おい………おい』
『やめて』
『お、待ってました!』
『ろっさんいったあああ!』
『ふざけんな、マジふざけんな』
『こんなのないだろ』
『ざまあwwwwww』
『リアルってマジクソゲー』
『やべえええ興奮してきたあああ』
『ここで喜んでるやつゴミだろ』
『誰かなんとかしろよ!』
『正義マン湧いてて草、今までダンジョン配信楽しんで来たんだから同じ穴の狢だろ』
妙に頭が冴えて来た。
A型達は、俺のことをいつでも殺せる。なのに、そうしない。
鬱憤でも晴らすように、G型に嬲らせている。ひと思いに殺さないよう、手加減して愉しんでいる。
そういうことも分かってきた。
喉が痛いな…、俺、まだ叫んでるのか。何か、飲みたい。喉越しがぬるついた水道水とかじゃなくて、アッツアツの緑茶とか、キンキンに冷えたサイダーとか、そういうヤツ。
こんな筈じゃなかったのに。
こんな、終わり方、厭なのに、
厭なだけじゃあ、どうにもできない。
俺は、弱い。
あの日から、俺は、ずっと、こんな——
サラサラと、頬を撫でる微風。
夏から秋へ、秋から冬へ、人の、動物の動く気力を奪う、そんな、享楽的なまでの、冷気。
グツグツと煮え滾った岩みたいなトカゲ達に囲まれて、押し潰されて、噛み千切られて、なのに、末端まで凍えるように、寒い。
あれだけ煩かった、激痛鈍痛が麻痺するくらいに。
血を失い過ぎたのか。死んだのか。
そう思うも、けれども景色は変わらない。
ただちょっと、眠たくて、冷たくて——
〈嗚呼、こんな処に居たのですか………〉
聲だ。
耳介を吸い、鼓膜の内側までしゃぶるような、昏くて、甘くて、恐ろしい声。
こわくてこわくて、たまらないのに、その音色の本に、惹きつけられる。
目玉が言うことを聞かず、見ようとしてしまう。見てしまう。
それは、化物共も同じだった。
俺の四肢をぶち抜いて、しっかりと噛み締めていた顎にすら、力が入らないようだった。どいつもこいつも、哀れで無力な潜行者など忘れて、
彼女を見た。
「彼女」、そう、それは女だった。
「少女」、と言うべきかもしれない。
広間の壁の上部に、新たな魔法陣が、隔世が開いていた。
そこから、
上下逆さの少女が、
静々《しずしず》と、歩み入って来る。
暗闇のような女だった。
高校生、くらいのお姉さん。
或いは、不老不死の化生。
不思議な事に彼女には、下から上へと重力が、働いているようだった。
灰の肌に黒づくめ。足下まで伸びた髪だけが、何にも染まらず真っ白で。
雰囲気と色とヴェールから、喪服だとは分かるのだが、
煽情的な着熟しが、楚々とした佇まいにそぐわない。
上半身は和装の着物風、だらしなく胸まではだけ落ち、下衣らしき黒い薄布が、代わりに外界から守る。
下半身は洋装のイブニング、それか旗袍を彷彿とさせ、長く足首まで落ちる側面に、高く深いスリットが入る。
両の耳朶にぶら下がる、非対称の耳飾り。
黒輪が嵌まった頸にかけられた、戦ぎ透き通る一条のショール。
チラチラと伸びる長脚を覆う、タイツとローヒールのジェットブラック。
レースのアームカバーと手袋で、露出と言えば喉元くらい。
ゆったりと羽織るように、隙無く控えめな振りをして、
胸・腹・臀部と起伏を描く、身体の曲線を惜し気無く晒す。
色彩は一点、
炎のように橙たる左瞳。
帽子から垂れた遮幕越しにも、そこだけ妖しく揺らめいている。
右目は前髪の裏へと隠れ、ただ一つだけの灯火が際立つ。
光を吸い込んでいるというのに、薄暗さの中でくっきりと煌めく。
音も、熱も、意識さえ、彼女が姿を現したと同時、
静止し、掻き消えてしまったようだ。
それほどまでに、“格”が隔たっていた。
この時の俺は、意識の全てで彼女を見ていた。
が、少しでも余所見ができれば、10万人の同接がある配信で、コメント欄が一切動かない、そんな奇妙な光景を見れただろう。
『カミザススム、伝説の8層配信』。
後にそう呼ばれる放送の、最後の山場がそれだった。
〈おや〉
声がひそやかに発されたと同時に、夕焼けを閉じ込めた宝石みたいな、麗しく、しかし危うい瞳がカメラを向いて、
そこでガバカメは、
位置情報含めて完全にロストした。