105.一つ解決したら、まあ次があるよな
「いやー、参った参った、こうなると、わたしらからは仕掛けられないね」
ビキニ美女はそう言って、パラソルの向こうのお日様を見上げる。
「流石にこの数の目撃者が居て、何かやらかしたら誤魔化しが利かないな。してやられたよ。まさか民衆が、ローマンの味方をするなんて」
「気まぐれで手の平を返す“大衆”って奴は、ある意味“彼女”より厄介だね」、彼女は悔やむ様子もなく、陽気に無貌の集合を揶揄する。
己を貫くでも、無力に黙るでもなく、
薄っぺらな“世間”が波打つ方向を、ルールも持たずに変化させる者達。
変化させ続ける、節操無し達。
「………」
「うん?ああ、いいのいいの。収穫が、ゼロってわけじゃないしねー。“彼女”がどれくらい優しいのか、基準の一つにはなったよ?」
失敗ではなく、
思ったよりも手に入らなかった、
彼女にとっては、それだけの事だった。
「ま、しょっちゅうやってると、人間の主勢力に目を付けられるし、暫くは様子見かなー?その間に、“彼女”を歓待する為の、楽しい楽しいイベントを、用意しておこうか。じっくり一歩ずつ、やってこ?」
「………」
鳥マスクは、ただ一度、頭を大きく振った。
意気込む声が、聞こえるようだった。
「そうだ、そう言えば、カン君から連絡があったよ?」
そこで美女は家族へと、慶事のお報せを齎した。
「おめでとう。きみに、真名が付いた」
デビュー戦から、少し。
そろそろだとは、思っていた。
「“北狄”。illとしての、きみの名前だ」
「………ゼ、ブラ……」
蚊の鳴くような声で、噛み締める彼女。
「どう?結構嬉しいもんでしょ?改めて、ようこそ、“環境保全”へ」
美女の問いには言葉を返さず、
態度で雄弁に答えていた。
「“ゼブラ”…、わたしは、家族の敵を——」
——殺す…!
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「よう。凱旋か?」
「善意の御協力に感謝だ」
ダンジョンから出ると、シャン先生と、宍規刑事が出迎えてくれた。
「よく生きて帰ったな。お蔭で責任の投げ合いも無くなった。俺の仕事も楽になる」
宍規刑事は相変わらずだが、口調がどことなく軽くなっていた。
本人が言うように、面倒が減ったから、だけなのだろうか?
そう聞くと、
「おいおい、これでも刑事だぜ?誰も傷つかず、事件解決。更に俺が楽なのが一番だ。だろ?」
それもそう。
「ま、お疲れとは言っとくぞ、無鉄砲少年」
「警視総監賞とか貰えます?」
「金一封も付けるよう言っといてやるよ」
「嬉しい臨時収入です。運動にもなったし、良い単発バイトでした」
「言ってくれる」
みたいな会話をする俺達の視線の先には、ディーパー達に囲まれて、今まさに再会した親子3人の姿があった。
「ゆうくん!ゆうくん!」
「パパ!ママ!」
「よかった!ほんとうに!」
「パパ…!ママ…!くるし…!」
「もう離さない!もう絶対離したりしないぞ!」
「ずっと一緒に居よう!ゆうくん!」
「ううん、ぼく、といれにはひとりでいけるよ?」
妙に冷静なツッコミを入れる佑人君が、なんだか可笑しかった。
ふと遠目、管理ビルを取り巻く人の中に、ドレッドヘアの後ろ姿が、見えた気がした。
すぐに見失ってしまい、それ以上、確かめようがなかったのだが。
事件は一旦の収束を見たが、人生も世界も、「めでたし」だけでは終わらない。
あの家族は、ローマンと周囲に気付かれない状態で、レストランに入っていた事で、「マナー違反」だと、一部からバッシングを受ける事になる。それについての反論が、人権方面からも立ち上がり、論争、と言うより悪口合戦が始まってしまった。
俺とく~ちゃんがやった事も、「ローマン同士の馴れ合い」、「下らない話題による客引き」、「安いお涙頂戴」、「人命を使った金稼ぎ」、「被害者ビジネス」、「ダンジョン内外での通行障害の原因」等、厳しい見方もされた。マッチポンプを疑う声もある。
く~ちゃんは両親から、言いつけを破った事について、こっぴどく叱られる事となった。まあ、「今回のケースは仕方ない部分もある」、という事については、理解を示してくれているらしいから、大丈夫だとは思う。
壌弌潜窟は、杉嵜のダンジョン侵入を許した失態について、世間に追及され信用を失墜させてしまった。遠からず、丹本三大グループ、所謂御三家の、壌弌を除いたどちらかの傘下が、“奇械転”の管理権を、握る事となるだろう。
世知辛く、流れの速い世相。
でも、悪い事ばかりじゃない。
今回の事件は、大勢では、美談として語られた。
多数の人間が、「ディーパーがローマンを助けに行った」、その事実に驚き、心を動かされていた。動画サイト等に出回った、喜ぶ家族の姿に、胸打たれた人も居るだろう。
そうそう、途中の階層で見かけて、びっくりしたのだが、六本木さんと狩狼さんも、潜っていた。「救助とか関係無く、普通に潜行していただけ」と言うが、本心はどうなのだろうか。訅和さんに関しては、当然のように駆け付け、「遅かったー!」と嘆いていた。
意識改革にはほど遠くとも、「ローマンを叩く」という行為に対し、後ろめたさが蔓延し始めた事も、また事実。これまでの「無料サンドバッグ」というポジションから、脱却出来るかもしれない、その光明が差して来た。
仨々木さん家族に届く言葉は、殆どが祝福だった。配信上で、生きる佑人君を見せたのが、結果的に良かったのかもしれない。
プライバシーの問題もあるから、配信アーカイブを消そうかと提案したのだが、むしろ残す事を強く望まれた。「何かが変わるきっかけになれば」、という事だった。どうせ国中に知れ渡ってしまったのだから、今更隠す意味も無い、とも。
俺にも、多くの応援メッセージが届いていた。
中には、
「最後の一秒まで足掻くススムさんに、勇気を貰いました」
なんて、
俺の理想を、写し取ったようなものまで。
ただ、今の俺に、それを受け取る資格があるのか、分からない。
こう言ってくれるこの人の事も、俺は自分の幸せの為に、一度は裏切ってしまったのだから。
別れ際に、佑人君が、こう言って来た。
「ぼくも、おにいちゃんみたいに、なれるかな?」
温かい、程よい火加減のお湯のような液体が、胸中に満ちていく、そんな気分。
喜んだ、のだと思う。
だけど、俺をそのまま、見習って欲しくはない。
そうしてはいけない。
だから、こう言った。
「佑人君はこれから、本当になりたい物が、見つかると思う。その為に、頑張りたくなった時——」
——お兄さんの事を思い出して、
——元気を貰ってくれると、嬉しいな。




