89.胃薬とか、差し入れしましょうか…? part1
「あのー………」
「何ですか?君、高等部の子でしょ?それも、例の子よね?ここは初等部の校舎ですけど?用が無いなら、あまりこの棟には入らないで貰えないかしら?外から来たから分からないのかもしれないけれど、上級生がここに来るなんて、それだけで剣呑なんですよ?トラブルは御免被りたいです」
「す、すいません……」
か、仮にも同じ学園内の生徒なのに、まるで外部から侵入した不審者みたいな扱い……。
北側に位置する、第24棟、初等部一般棟である。
先日の、救助隊参加の件で、初等部主任の壱先生なる人に、お礼を言いに来たのだ。
一応ホームページとかから、顔は確認済みだが、何処に居るかが分からない。
と言うわけで、最初に目に付いた職員さんに聞こう、そう思っていたのだが、
近付くだけで奇異の眼に襲われ、建物の手前まで来たら、生徒も含めてメチャメチャ警戒された。その内少なくない人数が、俺が例のローマンだと気付き、道場破りとかカチコミでも来たみたいに、敵意を露にされてしまった。
ほとほと困り果て、進むも帰るも出来なくなったところに、目つきの鋭い女性の教員がやって来て、チクチク痛むような注意を受けた、という流れである。
ローマン云々以前の問題として、普通に迂闊な行動だったらしく、ちょっと反省。
………待てよ。だったら白取先生がどうして教えてくれなかったんだ?
あの人は浮世離れしてるからそういうの疎いって?……否定できない。
「あの、初等部主任の壱先生は」「聞いていませんでしたか?お引き取りください。あなたの応対に使う時間も勿体ない。私これから、放課後クラブの顧問の仕事があるんですけど?忙しいんです」「はい……ごめんなさい………」
うーん、出直そう。と言うか、別の接触方法を考えよう。
「お、お邪魔しましたー……」
「ええ本当に。もう来ないでくださいね?また私みたいな若手が、応対を押し付けられるん」「三谷先生何か問題でも?」「ひぃっ!?」「うぇっ!?」
びっくりした。
気配も無く女性教師の背後に誰か立っていたのもそうだが、それに驚いた彼女の悲鳴も突然だった為、跳び上がる程に驚いてしまった。
外見だけで判断するなら、まだ若そうに見える。
30代前半か、なんなら20代かも。
ペタリと整えられたマッシュルームヘアや、皺の無いシャツやスラックス、などの清潔感が、そう見せるのだろうか?
瞳が見えづらい程に度が強い眼鏡もあって、神経質そう、なんて勝手なイメージを抱いてしまう。
「あ、ああ、壱先生。ど、どうも」
「三谷先生速やかにご報告をお願いします。何か問題が発生しましたか?」
「も、問題…?いえっ…?全然、何でもないんですよ。ただ、用も無く訪問した生徒に、お帰りいているだけで…」
「『用も無く』?先ほど私の名が聞こえましたが、つまり私の客人という事では?」
「い、いえ、なんと言いますか」
「それと、『中・高等部生が初等部を訪れてはいけない』という規則はありません。これまでに彼らがここを訪れる際はトラブルに発展するような例の方が多かった、というだけです。教員の方々はそういった前例に鑑みて用心してください、という話であって、用件を聞かずに追い返す事を奨励した覚えはありません。剰え彼は編入生です。学園内の空気によって醸造された“不文律”など知る由も無いのでは?加えて——」
「あ、あの!壱先生!」
聞いてるだけで胃がキリキリし始めたので、気は進まないものの割り込んで、なんとか話を変えようとする。
「三谷先生?はその、壱先生がご不在であると、勘違いされたみたいで、決して、追い返していたわけではないと言いますか、あ、初めまして、日魅在進です。先日助けて頂いた事で、お礼が言いたくてですね、ええと…」
フォローにも何にもなっていない。グッダグダな弁解になってしまった。三谷先生にも「余計な事言って逆撫でするな」っていう眼で見られたし、黙ってた方が良かったかも。
「初めまして、壱前灯です。先日は災難でしたね。私の行動については職務の一環ですのでお気遣いなく。他に何か?」
「え、いえ、それだけ言いに……すいません」
「謝罪の必要も特にありません。他に無ければ、これで」
それだけ言って回れ右した彼は、
「センセ~?なあんで、逃げたのか、なあー?」
そこに立っていた女子生徒に呼び止められ、背中からでも分かるくらい、驚き竦んでいた。
「え、エカトさん。私は逃亡したのではなく、出入り口付近で何らかの問題が発生している可能性があったので、念の為に向かったに過ぎず……」
「えぇ~?それで自分の生徒ほっぽり出して、行っちゃったんですかあ~?サイテー!」
「いえ、私には責任というものがありまして、生徒の皆様にご不快な思いをさせてはいけないと……」
「それでアタシのこと、後回しにしちゃうんだあ?アタシは大事な生徒じゃないんですかあ~?あーあ!プロト、傷ついちゃったあ!」
「大変申し訳ございません。緊急性の高い問題であったので、ご理解頂けると……」
教師にも大きな顔をしている、赤髪ツインテール。こんなに強烈なキャラを、忘れるわけがない。
生徒会の総長、パラ……なんとかエカトさんだ。始業式の時、「プロト」というあだ名で呼ぶよう、言っていたが、一人称にもなるのか。
「んん~??」
夜のネコ科動物のように、黄色く光る目が、こっちを見る。
あ、どうも……
「アンタ、確か……」
「か、日魅在進です…。よろしくね、プロトさん」
「雑魚が気安く呼ばないでくれる?」
「はい、すいませんでしたエカトさん!」
「………チェッ」
怖ええええ。
さっきまでウッキウキで壱先生に絡んでた時と比べ、応対態度が一気に悪化した。
壱先生が、救助隊に割り込めるくらいの実力者であることを考慮すると、あれかな、強くなければ人ではあらぬ、みたいな思想の持ち主かな?
初等部という事は、まだ明胤の情操教育も、始まったばかりくらいだし。いや、明胤のやり方だと、この認識のまま、「まあ生かしといてやるよ」みたいな、王様気質になるのか?
「“理事長室”のエッラーい人達が、寝ぼけてアンタの編入を決めた時は、びっくりしちゃった。壱先生も、票を入れてましたよねえー!?」
「エカトさん、会議内容をあまり他言しないようにお願いします」
『理事長室』って言うのは、理事長を含んだ、この学園の意思決定機関だ。
そこで過半数が賛成したから、俺の編入が許された、といった流れ。
しかも壱先生は、賛成派だったのか。
俺がこの人に助けられるのが、都合2回目という事になる。
足向けて寝れない。
「カワイソー。雑っ魚いアンタじゃ、通用しないの分かってるのに、珍種だからってライオンの檻に入れられちゃったんだあ?ま、早いとこボコボコになって、自分を弁えてぇ、アタシの目に入らないくらい、小さくなっててよね~」
最初よりは態度が軟化しているが、それは敵視の言葉の端々に、半笑いの嘲りが注入されたからだ。
俺を軽く見ているし、良く思ってない、それがヒシヒシと伝わって来る。
少しムッとするが、相手が相手な事と、この前こういうのに言い返してたら、痛い目に遭った事もあり、大人しく殊勝な顔を作って黙っていた。
「エカトさん、やめなさい。彼には彼の努力と理由があります」
「…チッ、えー?センセーは自分の生徒より、弱っちい高等部生の味方するんですかあ~?」
「私は平等に生徒の、学ぶ方々の味方です。彼の学習と成長を害してはいけません」
「は、あ~い!それじゃあ、センセー、今度こそ、アタシの相談、聞いてくれますかあ?あ、拒否権はナイでーす!」
「必要な助言はします。ですので生徒指導室で待っていなさい」
「はやく来ないとお、センセーの査定に不利な“証言”、しちゃうかもよ~?」
「2分で来てねえ?」と傍若無人を崩さず、エカトさんは教室に戻っていった。壱先生は、「申し訳ありません、そういったわけですので」と言いながら後を追う。三谷先生から「早よ帰れ」オーラが全開となったので、「お手数おかけしました」とお辞儀だけして、スタコラ逃げ出した。




