うつしみ
そして歩くこと数刻、一行はようやく目的地の“六花咲邸”に辿り着いた。
大富豪よろしく、年季を感じさせながらも手入れが行き届いた立派な豪邸である。
門前にて掃き掃除をしていた使用人に崇影が声を掛けると、その者はハッと顔を明るくさせ、
「まぁ、顛武様。みことお嬢様でしたらあちらで塾の最中ですよ」
とにこやかに教えてくれた。
使用人に言われた通り屋敷の裏にまわると、10人ほどの子らの前に立ち、身振り手振りを交え話を聞かせている女性の姿があった。
くりくりとした丸い白青色の瞳をぱちぱち瞬きさせながら、活き活きと講義の説明している。
色白であるが、頰はほんのりと紅く、編み込まれた髪には桃色の蝶結びが飾られていたりと、なんとも可愛らしい乙女である。
「では今日の神話はここまで。明日は星の神についてのお話です。」
ちょうど手習いを終えたようで、子供の賑やかな声が室内に広がる。
「みこと先生さよなら〜!」
「はい、さようなら〜。道草しないのよ〜」
子らが各々帰るのを見送り、崇影が声を掛ける。
「みこと先生、戻りました」
その声に彼女はパッと目を輝かせ、ぱたぱたと袴を振りながら駆けてきた。
「まぁみんな、お帰りなさい。
も〜、首を長くして待っていたのよ。現地に行きたい気持ちをぐっと堪えていたのだけれど、あと1日遅ければ私も出向いていたわね〜」
そう言いながらもみことは1人1人の顔を愛おしそうに確認した。
いつも涼しげな顔をしている汐彦だけはそわそわと落ち着かない様子だったが、その他の顛武の団員は、みことの顔を見てほっとしているようだった。
「あら?その子は……」
順に眺めていくうちに、背の高い崇影の陰になっていた、小面で顔を覆う子に気がつく。
「……まぁ、色々あって」
「色々あって、また引き取っちゃったのね。
それにしても、今度は随分小さな子ねぇ」
崇影の答えに嬉しそうに微笑むと、彼女は京の目線の高さに合うように腰をかがめた。
「初めまして、私は“六花咲 みこと”よ。崇影とは、審神者の同士なの」
上品でふわりと丁寧な挨拶に同性ながらどきりとしつつ、京も礼をした後、名を答えた。
「私は京と申します。顛武様からお話は耳にしておりました、お会いでき光栄です」
「あらまぁ、礼儀の正しい子ね。歳はいくつ?9つくらいかしら」
みことはにこにことご機嫌であるが、京が今年で12歳を迎えるということを聞くと目をぱちりと丸くさせた。
「12歳……ということは、波紀と同じ歳よねぇ。
……もしかして、女の子?」
京はこの時代では珍しく、女子というのに髪は短く、男袴を履き、何より小面を付けているため顔など見えない。
顛武一門の誰しもが見抜けなかった性別を一目で言い当てたことに、どよっと歓声が上がった。
「すっ、すげー! さすがみこと先生!」
「お師匠さま聞いてくださいよ!頭領ってば京ちゃんのこと男だと思い込んで連れて来ちゃったんですよ!」
凪助と浦雅がやんやと囃し立てるが、それを見抜いた誉れよりも興味が向くものがあったのか、みことの瞳の中できらりと光が流れた気がした。
「そうねぇ、私も最初、格好が男の子かと思ったのだけれど、波紀と同い歳なら声変わりくらいしてるのかと思って……。
それにしても、綺麗な言葉を使うのねぇ。西域の発音もあるし……。
もしかして、京ちゃんて白堂河地域の生まれ?」
その一言を聞き取った崇影は待ったと言わんばかりに話を切り出した。
「そうです先生、その事で……。
先生の読み通り、白堂河に祀られていたのは確かに水の源の力です。
霧を結界として社を隠していました。
しかし、大神ではなく、天女。そして、その天女は何故か地獄に堕ち、力が抑制されてしまった、とのことで……」
みことは顎に手を添え、ふむ……と考え込む。
「なるほど、なるほどね……」
どこか心当たりを探しているようだ。
そこで、ふとあることに気づく。
「そういえば、あそこの神官は代々吉河家が担っているのだけれど、志ノちゃんには会えた?5年前と変わらないなら、社司はあの子のはず……」
その純粋な発言に息が詰まりそうになった。
……まさか先生の知る人だったとは。
心苦しかったが、その神官は亡くなったと伝えた。
それを聞いた途端、
みことから今までのにこやかな笑顔はふっと消え、呆然と、白青色の瞳は氷を張ってしまったように虚ろな目に変わっていた。
「……あぁ、そうなのね……。
……神官は神に身を捧げる者。みな短命だから、
志ノちゃんが行方知れずと聞いた時には、そうかなとは覚悟していたわ。
……けれど……、惜しい子を喪ったわね……」
余程驚き、悲しかったのだろう。体裁を保とうと話してはいるものの、その声は震えていた。
「京はその神官に、扶養されていたようです。
神官亡き後に社で独りだったので、顛武に入るよう連れてきました」
見兼ねた崇影が少しでも救いになればと伝えた一言だったが、みことは目を開いた。
「志ノちゃんと一緒にいたの……?」
澄んだ瞳が真っ直ぐ、京に語りかける。
己の恩人を知ってくれている人に出会うことができた。死を惜しんでくれる人に出会えた。
あの人の清らかな優しさが思い出され、胸の奥でつかえて
「……はい」
と一言を呟くだけで、京は精一杯だった。
その様子を見たみことは、先ほどの慈愛に満ちた優しい目に戻っていた。
ようやく真実を知ることができた。彼女の行方を探そうと焦り急ぐことも無くなった。
「……そう……。
私、吉河家の氏神が蒸発して、志ノちゃんも消息不明になった時からね…ずっと探していたのよ。あの子みたいに真面目で賢明な神官は珍しいから…。
私が白堂河を水の大元と突き止められたのは、彼女の清廉さあってこそよ。神々が気に入りそうだもの。
いくら探しても見つけられなかったのは、霧の結界を張っていたからなのね。
……やっぱり私じゃ見つけられなかったわ。ありがとう、崇影。
そして、京ちゃんも。来てくれて、ありがとう」
京もまた、人の温かさに触れ、心がくすぐったい思いをしていた。
今まで、自分は人と生きていくことはできないと思っていた。
人と共に生きてはいけないと思っていた。
この小面を外した時の人の変わり様が、それを表すように。
でも、それでもなお、出会ったこの人たちと生きたいと感じた。
そう思い巡らせながら、それを妨げる小面に無意識に手が伸び、そっと触れた。
「ねぇ、京ちゃん。ずっと気になっていたのだけれど……
そのお面、人前では外してはいけないものなのかしら?」
ハッと自分の手に気づき、京の肩が強張る。
「は、はい。これには訳が御座いまして……ご無礼をお許しください」
その様子を見たみことは両の手をひらひらと左右に振り、一所懸命に誤解を解く。
「あぁっ違うの、謝らないで。ちょっとしたまじないを感じるから、外せない理由があると思ったの。京ちゃんが窮屈じゃなければいいのよ」
……窮屈。確かにそうかもしれない。しかし、自分の抱える秘密を伝えるのも、今はまだ躊躇われる。
「……ありがとうございます。お心遣い、痛み入ります」
でも、いつかきっと伝えよう。
自分を受け入れてくれたこの大切な人たちに。
空に少しの赤みを残して、宵が訪れた。
崇影一行は、みことの厚意で六花咲邸に宿泊することとなった。
離れた部屋から霙座の5人の賑やかな声が響いてくる。
京は崇影と部屋を共にすることにした。
やっと面を外すことができる。
いくらか息苦しさが和らぐ気がした。
「疲れただろ。今日は早めに休もう」
崇影は早々に布団を取り出し、ばさばさと広げる。
それをきちんと敷き直しながら、京は温かな記憶を思い出していた。
「……誰かと並んで寝るのは久しぶりです。神官が天に召されてから、もう独りきりで夜を過ごすものだと思っておりました」
「……そうか」
そう一言呟いたきりだったが、崇影の目は優しいものだった。
神官の話でふと、あることが思い出された。
「そういえば……。白堂河で霧の中に入る時、珍しい神託を受け取ったんだ。
文占いでは普通、墨で神託を寄越すんだが…、あの時は水で文字を送られてきたんだ。地獄にいながらも神託を寄越すのは、さすが水の源…」
話の途中で、京の手から布団がすり抜け、ばさ、と音を立てて落ちた。
その音に崇影が視線を向けると、京の目は大きく開かれ、視点が合っていないような、驚いた顔をしていた。
「……京?」
「水の……神託……って……」
一語を声にするにもやっとのようである。
……そうだった。京は水の天女が地獄に堕ちたきりだと思っていたのだ。
「……悪い、言わず終いだったな。
あの霧に踏み入る前に、神域か確かめるために占いをしたんだ。そして、墨で返ってきた告は『去れ』だった。
……だが、もう一つの告が水で記されていた。
『入』、と……」
京は瞬きすることさえも忘れたように、何を見るわけでもなく、ただ瞼を開いていた。
「……生きて……おられる……」
息とともに吐き出された安堵の声。
水の天女に対する執着が強いようだが、京は確か……
天女が地獄に堕ちてからの後、神官の元で世話になったと言っていた気がする。関わりがあったのは、あの社の神官だけではなかったのか?
疑問に満ちた崇影の視線に気付いたのだろう、京は目を伏せた。
その漆黒の瞳が僅かに瞬き、京は言葉を音にした。
「……六花咲様にはあのように申し上げましたが……
本当は、あなた様には明かそうと思っていたのです。
私のこと……」
目線を上げ、大きな瞳で今度はまっすぐに崇影を見つめる。
「水の天女は……
……私の母です」
▶︎みことは志ノに大きな信頼を寄せていましたが、川の神が蒸発してから所在が分からず、文のやり取りができなくなっていました。
志ノは淡白な性格なので、向こうから文を送ってくることはまずなく、まぁ志ノのことだから相変わらず元気にしているだろうと思っていた矢先の報告でした。