光
由因国は海に囲まれた島国でありながら、自然溢れる豊かで美しい国だった。
民の頂には大王が君臨し、国を巻き込んだ内乱もここ数百年は起きておらず、長く平和が保たれている。
まだまだ教育が高価なものであることや、平民の暮らしへの制度が行き届かないなど至らぬ点はあるものの、国民はそれなりにささやかな幸せがある生活を送っていた。
それもこれも、民の縁となる“神”という存在が国を支えている所以である。
神とは、1柱につき1つの力を司る者のことで、その数は八百万に及ぶ。
神の中でも、豊穣神や円満神などの福の性質を司る“表”の神と、厄神や死神などの禍の性質を司る“裏”の神に分けられる。
また、その力の源を司る“大神”と、大神から派生した、範囲や期間を限定された“下神”が存在する。
例えるならば、山の大神は全土の山を司り、その配下に、それぞれの地方にある山を司るといった範囲を限定された下神、紅葉や雪山といった期間を限定された下神たちが属する。
そして、表の神は天上界に、裏の神は冥界に住まう決まりとなっている。
さらに、神の下には天人が存在する。
天人は力を司るものの、力の行使は神によって制限されているため、世に影響を及ぼすことはできない。下級、中級、上級の階級を踏み、やがて自身が神と認められるよう精進している。
これら1柱1柱の動向によって、平穏が保たれることもあれば、時には大災害をも引き起こすなど、国の行く末を左右する担い手であった。
即ち、この世は神によって支配されていると言っても過言ではなかった。
そして、今まさに、この国は水不足の進行に悩まされていた。
被害の範囲は地域に限定されず由因全土に及ぶため、おそらく水の大神に何かあったのだろうという答えに行き着いた。
そんな中、“白堂河”という小さな村のみ干魃の影響がないという情報を得た。その真偽を探るべくして、1人の青年と5人の少年がそこに赴いた。
彼らは“顛武一門”という審神者の一団。
頭領の顛武 崇影という青年と、凪助、汐彦、洋成、浦雅、波紀の少年5名で小隊“霙座”を構成している。
審神者とは、占いによって神託を得ることができる人を指す。
普通、人は神の姿を目にするどころか、声を聞くことも、存在を感じ取ることもできないため、民はこのような霊力を持つ特殊な者たちを頼って生きているのだ。
その中でもこの顛武一門は、由緒ある審神者と名高い。崇影は腕が立つ審神者として、若くして名実ともに頭領の座を継ぎ、依頼を受けた村の神託を受け、手助けに回っていた。
また、彼は背が高く、女と見間違う者もいるほど整った顔立ちをしている。さらに、男ながらに艶やかな長い黒髪と、切れ長の目に承和色の瞳が浮かび、まるで夜空の髪と月の瞳を持つと例えられ、一部の物好きからは「月夜の君」と呼ばれていた。
白堂河村は、由因の西方に位置する山間の村だった。
さっそく手始めに調査してみると、確かに普段より水は少ないものの、生活に支障が出るほどではないというので、どうやら噂は本当のようだった。
つまり、水の大神はこの地に祀られていることになる。
神託を伺うには、その神が祀られている社の目の前で神事を行うことが基本となる。そこで、村長に社の所在を尋ねてみたが、どういう理由か、なんと何処にあるのかは知らないという。
誰にも認識されていない小川や木々を祀る下神の社は、もはやその土地の村人にすら忘れられているという話はよくあることだ。
だが、この世の全ての水を司る大神の社を知らないとは、おかしいにも程がある。
国を代表して崇められる日神は、屋敷のように大きな社を持ち、参拝者が後を絶たない。
その他の稲神や海神といった大神も、立派な社を持っており、同じく丁重に祀られている。
水は人間が生きる上で必要不可欠なものだというのに、社の場所が分からないなど、村としても汚名を被る状態である。
村長を問いただしてみても、この村に水の大神がいたこと自体初めて知ったような状態で、自分たちとて以前のように豊かな水の量を取り戻したく社の場所を知りたいぐらいだと嘆いており、嘘をついている訳ではないらしい。
手掛かりなく探すのかと溜息を吐くと、村長が申し訳なさそうにしながら「少しでも助けになれば」と不思議な話を教えてくれた。
この村は、古来より川の神を祀っていた。
しかし、ここ数年の出来事であるが、日照り神によって川は枯れてしまい、同時に川の神も消滅してしまった。
すると、青鬼が現れ、日照り神を浄化させた。
川の神官は鬼に感謝し、鬼を祀る社を建てた。
けれども、鬼は人を喰らう恐ろしい存在であるため、村人がいたずらに近付かないよう、その社の在処は明かさずに建てたのだという。
崇影はこの話に違和感を覚えた。
確かに、神は地獄の鬼を不浄なものとして嫌うため、姿を見るや逃げ帰るかもしれないが、相手は日照り神。
鬼というのは日の光の下で生きることはできないため、日照り神と対峙する事など不可能なのである。
加えて、不浄な鬼が神を浄化するという、奇妙な入れ替わりが起きている。ましてや、鬼が由因に這い出る話など、もう昔話の世界である。
この考察より、言い伝えは作り話と考えるのが妥当であろう。
しかし、神官は何を思って己の村人まで騙したのだろうか。
厄介事になりそうだと肩が重くなるのを感じながら、顛武一門の6人はそれぞれ社探しに出向いた。
村人たちですら見つけられないとなると、最も人目につかない場所、木々が覆い茂る森になるだろう。そう考え、頭領の崇影は誰も寄せ付けなさそうな森を探すことにした。
そしてようやく、村から外れたところに陽の光など到底届かぬような深い森を見つけた。
麓には霧が薄っすらとその森を守るように広がっている。人どころか動物すら息をしていなさそうな、静まりかえった不気味な森である。存在自体を殺すように辺りに溶け込む様はかえって不自然で、生き物が森へ立ち入ることを避けているようであった。
崇影は入り口のないその森に、草木を踏み分け入って行った。
森の中は濃霧が視界を奪ったが、暫く進むと獣道に出た。手足に枝が絡まなくて楽なものだと思いながら開けた場に出ると、初めて人によって作られたと思われるものが目に映りこんだ。
逞しい2本の木に四手の垂れた注連縄が巻かれ、幹には乾いた竹が横倒しに置いてあり、まるで鳥居を模しているようだった。
その先は森の碧など見えぬほどさらに白い霧が立ち込めており、鳥居の向こうの様子など見えたものではない。
この人工のものは、探し求めていた水の神の為に建てられたのだろうか。
中には社から立ち去る神もいるため、そもそもここに神が御座すのかも不明である。
試しに、神の告の有無があるかを確認するため、白紙を折り畳み、思いを念じて振りかざす占術、文占いの“紙折の舞”をしてみた。
しばらくすると、指先がしっとりとする感覚があった。紙を開くとそこには『可去』の文字。占いに返事がきたということは、やはりここは神域であった。
思った通り、厄介なことになった。おそらく、ここに水の神の社があるのだろうが、返ってきた神託を噛み砕くと『立ち去れ』といったところだろう。
ここで無理に立ち入ると神の怒りに触れ、余計に干魃を悪化させてしまうかもしれない。その2文字が書かれた紙を見つめながら、どうしたものかと頭を悩ませていると、ふと、紙の違和感に気付いた。
墨が変に滲んでいたため、もう一度目を凝らしてその紙を見た。
不思議なことに、2線の水の跡が交わるように残っており、まるで『入』と書かれているように見てとれた。長らく審神者をしてきた崇影だったが、こんなことは初めての経験である。
水の跡、ということは……。
崇影は顔を上げ、鳥居を見据えた。
そして意を決し、彼はその鳥居を潜った。
鳥居の内側は驚くことに視界が透き通っており、少し離れた所に建つ社も十分確認できた。今まで辿っていた獣道は鳥居を境に綺麗に整えられており、まるで参道である。
先ほどの視界を邪魔した霧は1種の結界だと分かった。
傍に添えられた手水舎で手を清め、この社の神官を探す。
敷地に拝殿はなく、小さな本殿と横家のみの簡素な造りだった。
てっきり荒廃していると思っていたが思いのほか綺麗にされており、人の手に守られた此処は、とても干魃を引き起こすような状態とは思えない。
神官を訪ねようと横家の戸を叩いてみたが返事はない。しかし、錠は開いているようだった。
そっと戸を開け、中を覗いてみると、薄暗い部屋の中にきらりと光るものがあった。
きらりと光るものは、隅でうずくまる少年の瞳……、いや、涙だろうか。
「……貴方は、誰ですか?」
鈴を転がしたように綺麗な、それでいて、か細く幼い声だった。
「俺は、審神者の顛武 崇影。この社の神官を探していたんだが…… お前、ではないよな?」
部屋の暗さに瞳が暗順応できず、少年の表情は分かりにくい。
「……神官は、すでに亡くなりました。
……お帰りください」
力ない声でそう答えると、膝に顔を埋めてしまった。
「なぁ……どうして泣いているんだ」
「……貴方には関係のないことです。慰めも必要ございません。
優れた審神者として名高い顛武家の方が、あの霧を抜けてまでおいでになられたのは何かお探しなのでしょう。
ですが、この通り神官はおりませんし、私も何も持ち合わせておりませぬゆえ……どうかお引き取りください」
まるで生きるのを諦めたようなその様子に、崇影は直感で少年の思いを悟った。
「……俺がここで引いたら、お前……死ぬ気だろう」
少年は何も答えない。
崇影が少年に近付こうと足を踏み入れると
「来てはなりません!!」
キンと張った声が耳を貫いた。
「私といると、貴方まで不幸にさせてしまいます……」
少年は顔を上げ、ポロポロと涙を溢しながら言葉を紡いだ。
その涙が、堪え難い経験を物語っていた。
この歳で自らの命を絶つ事を決意するほど、辛い出来事に襲われたというのか。
「その不幸、って……、水の神のことか?」
核心を突いた言葉だったらしく、それを聞いた少年はきょと、と目を大きくした。
「なぜ それを……」
「今、由因は天災に見舞われているんだ。
……この社は霧で守護されていたようだが、お前は此処から外に出た事があるか?」
「いいえ……」
「……じゃあ、国で何が起きているのかは……知らないんだな」
含みを持たせた崇影の発言に、少年は何の事かと言わんばかりの様子だった。
「少し前からこの国は、全ての地で水不足が進んでいる。だが、この村だけはさほど影響を受けていない。
だから、此処に水の大元の神が祀られていると踏み、顛武の審神者が行くよう命じられ……俺が来た」
その話を聞くと、少年はまるで時が止まってしまったかのように固まった。
崇影はその様子を伺い、ただ1つを確認するように問いかけた。
「ここは水の神を祀る社。で、合っているか?」
「……祀っているのは神ではありません。神ではありませんが……
……国は、干魃が起きているのですか?」
「天気も日照りが続いたわけではない、どういうわけか、水そのものが減っている感じだ。今はまだ何とか食い繋げてはいる、が……」
少年を追い詰めたくないとその後の言葉は省いたが、勿論このままの状態が続けば国は飢饉に陥るということだ。
「……申し訳ございません。
仰る通り、それはきっと我々のせいです。まさか国にまで影響を及ぼしていたとは……知らずにおりました。
……本当に、申し訳ありません」
抱え込んでいた膝を離し、姿勢を正し座り直す。少年から重い自責の念がこちらにまで伝わってきた。
「何があったか……話してもらえるか?」
そう促すと、少年は呟くように、事の経緯を語りはじめた。
「……この社は、以前、水を司る天女をお祀りしていたのだそうです。
ですが、その天女は、数年前に地獄に堕ちました。
……水不足の原因は、その天女の力が地獄によって抑えられてしまったからなのでしょう。
この社の神官も、水不足を懸念していました。ですから、干魃を防ぐために何とか天女を地獄から救おうと、先月、昇天されたのです。
されど、神官亡き今、ただ独り残された私にできることは御座いません。
社を守ろうにも、当の神体はもはや座しませんから……。ですから、命絶えてしまえば、と。
……そう浅はかな考えで過ごしておりました。我が社に祀る天女の過ち、代わってお詫び申し上げます。償いをせねばなりませぬが……お恥ずかしながら、長きに渡り外へ出たことはなく、何も分からず……。
……顛武様。私は……、一体、私はどうすればよいのでしょうか」
齢いくつと数えぬ子から明かされた言葉1つ1つが痛かった。
ただ、この子を助けたいという意思だけが崇影の感情を支配した。
「……そうか。よく、話してくれた。
この真実を由因で知っているのは、お前だけだ。
だから、生きて、俺たちと共に解決の糸口を探そう」
少年は涙を飲み込むように堪え、僅かに頷いた。
「お前、名は?」
「私は、“けい”と申します。京という字を書き、京。
……以後、何卒、よろしくお願い申し上げます」
それに応えるように、崇影は京に手を差し伸べた。
手のひらに添えられた京の手は、想像よりもずっと小さくて、細い指は氷柱のように冷たかった。
薄暗い横家から外に出ると、穏やかな日差しが降り注いでいた。
溶け残った雪はそれを反射させ、優しい光が2人を包んだ。
無事に水の社を見つけ、一安心したものの、これで終わりではない。これから、先の見えないこの一件を紐解いていく必要がある。
「……とりあえず、みこと先生の所に行くか」
「みこと、先生?」
崇影の独り言だったが、京はその人物が気になったようだ。
「あぁ、優秀な学者だよ。水の神がここにいることを突き止めて俺をここに寄越したのも、その人なんだ」
そう言いながら振り返ると、光に照らされ、はっきりと見ることができた京の姿に思わず驚いた。
短くはあるが絹のように照る美しい濡羽の髪、青白く透き通った滑らかな白肌。長い睫毛に、光が籠った漆黒の大きな瞳。小柄だが頭身の高い身体。そして漂う柔らかい花の香り。
心なしか、うっすらと輝いているようにさえ見える。
京はこの世のものとは信じ難い、大層な佳人だった。
髪は後ろで留められた一房以外は顎下の長さで揃えられており、彼が頭を動かす度にその長い髪は艶めきながらさらさらと絡まりを知らずに揺れる。
華奢な腰に合わせたためか、男袴の紐は大分詰めて履かれている。
他人のことを言えたものではないが、これでは格好次第では女童に間違われるだろう。
これほどまでに綺麗な顔立ちを見るのは初めてで、思わず見入ってしまう。
京はまじまじと自分の顔を見られたのが不安になったようで、
「何か顔に付いていますか?」
と自分の頰をペタペタと触る。
「いや、さっきは暗くて顔がよく見えなかったんだが……お前、随分綺麗な顔してるな」
「えっ?あ……、あっ!」
と、何かを思い出したように、腰に付けていた小面で顔を覆う。
「す、すみません!人に会わない暮らしにすっかり慣れておったもので……あの、大丈夫ですか?」
せっかくの綺麗な顔を隠しながら、京はなぜか申し訳なさそうに謝る。
目の保養になるのに勿体無いな、と思いつつ、
「何の心配だ?」
と尋ねた。
その答えが京にとっては心外だったらしく、
「私の顔を見ても無事なのですか!?」
と、声を高くし驚いていた。
「何だそれ、目が合うと石にでもなるのか?」
「あ、いえ……その、顔を出していると他の人にとって危ないからと、この小面を付けるよう母に言い付けられていたので……」
その言い分には納得できるものがあった。
「あぁ、確かにお前の顔、神にも勝るくらい整ってるもんなぁ。そういうワケか?」
その一言に、京はまたも驚かされた。
「……え?か、神?神の御尊顔を拝見された、と……?」
そう、この顛武 崇影は、世にも珍しく神の姿を目にすることができる奇異な人間であった。
そもそも、この由因には、神託を知ることができる、”神官“と”審神者“の2種の神職が存在する。
まず、神官は、原則として1柱の神にのみ仕え、祭神の社を造り守っていく。
神と人の相互に結び付きが強いため、仕える神であれば、はっきりと声を聴くことや姿を見ること、身に降ろすこともできる。
神官は死後、天人に迎えられ、ゆくゆくは神にもなることができるとされている。
参拝者の多い社は繁盛に繋がり、その恩恵で豊かな生活を送る神官も多い。
しかし、神官が告を知ることができるのは仕える神に限定され、その他の神に至っては存在を感知することもできない。
一方で、審神者は、満遍なく神の存在に気が付けるものの、声を聞くこともできなければ、姿を目にすることも当然できない。
占いを用いて神の告を知ることはできるが、その結果はあやふやなこともざらにある。
また、神託を必要とするのは周知されていない下神ばかりで、報酬も多くなく、己が生活していくのでやっとの審神者も多い。
この格差が一般的だが、もちろん腕の立つ審神者は依頼が全国から舞い込んでくる。
先述にある通り、顛武家は歴史ある一族で、中でも崇影は、歴代最高と称される才能を持っており、それゆえか、神を目に映すことができるのであった。
しかし、世間には好ましくない言い伝えもある。
神は見えないことが通説だが、稀に悪戯でか、自ら姿を明かしてくる神もいるという。だが、その美しさに耐えられず、人間は魂を抜かれてしまうというのだ。
だが、崇影は生まれながらに見えていたために慣れたのか、神の美しさに気が動転した経験など一度もなく、彼の人生19年、平然と過ごしてきた。
「まぁ、人に神を見る力は無いと言われているが、俺は見えるんだ。
何を持ってお前にそんな言い付けをしたのか知らないが、俺は平気だ。あまり気にしない方がいいんじゃないのか?」
冗談のような言い分を一笑に付すと、京も
「……それもそうやな」
と納得したようで、小面を外した。
そうして2人は、先ほど潜ってきた鳥居の前にて立ち止まった。
京はどこか寂しげな様子で社を振り返る。
無論、世話になった神官との思い出が蘇るのだろう。
「……行けそうか?」
崇影の問いかけに微笑み返し、
「私のいるべき所はここではないので」
と答えた。
鳥居を潜り、今度は2人で霧の道を歩み進んだ。
▶︎2つの神職を簡単に例えると、神官は「飼い神の世話」、審神者は「野良神の保護」になります。