神埼蘭子の憂鬱2( 高倉の回想)
神埼と微妙は雰囲気から百瀬はかなり憂鬱になりつつ、彼女にどう元気付けれるか、、難しい。
「底辺、アイドルか、、アイドルか、、はぁ」独り言を言いつつ。
「自分は歌手時代は下積みが長かったし、夜間大学を卒業後、リズムボーイズの一員としてダンスボールで活動していて当時、大手レーベルで人気歌手の中野忠晴に拾われた」
「百瀬大了として、ナカノ・リズム・ボーイズとして、ジャズを歌った。承和7年から活動して、第二次世界大戦前夜の承和15年に高倉敏としてデビューする。だけど、8年もかかったし、、」
「31才にソロの歌手としてデビューしたし。私は遅いし藤山一郎や松平晃みたいなホープではなかった」
「自分がデビューした時には田端義夫や小畑寶、岡晴夫と若い歌手が出現して、、思った。僕は、藤山一郎になれない。本当にスター歌手になれるかと不安だった」
「結局、下積みが、長く実力も容姿も良かった歌手も私以上になれない人もいた」
「何て言えば言いのか」と思いながら「「緋總の籠」と「恋のマドロス」がヒットして、人気歌手になれた。時間がかかった。戦争に負けてからのヒットだから、遅い」
でも、宣伝レコードで「マドロスものの流行歌で人気の歌手、高倉敏でございます」と吹き込まれた時は嬉しかった。」
神埼さんに何かしら音楽に対して歌に対して好きでいて、粘り強くやれば道が開けると思いつつ、、
彼女に私の知る佳曲を教えてあげつつ、歌が上手くなりつつあるという実感を与えたら良いかなと思うにいたる。
そして、百瀬は「緋總の籠」を譜面にしつつ翌日、神埼さんに元気付けをしようと思い夜なべをして就寝した。
参考曲
「恋のマドロス」歌 高倉敏 昭和24年コロムビアの新譜
「緋總の籠」 歌 二葉あき子 高倉敏 昭和21年コロムビアの新譜