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26話 踊る仔兎亭にて




 マリアージュが存分に祭りを楽しみ、ドナの勤め先である『踊る仔兎亭』を訪ねたのは陽が沈み始めた刻限だった。

 パームの下町はうっすらとオレンジ色に染まり、本格的な夜が訪れるのはもう少し先の話である。


「そろそろ公爵邸に戻りませんか、マリアージュ様。今日一日歩き回って、こっちはクタクタですよ……」

「何を言っているの、ユージィン。コーリーからちゃんと聞いておりますわ。パーム祭の一番の目玉は夜に行われる盆踊り……じゃなくダンスだって! そんな面白いもの、参加しないわけにはいかないでしょう!?」

「ですよねー♪」

「ねー♪」

「コーリー、お前、余計なことを……」


 今日一日、マリアージュの護衛兼お守りで疲れ切ったユージィンだったが、帰宅の進言は早々に却下された。

 19時からパーム区のメイン広場で行われる大規模なダンスに参加するため、少し早い時間に食堂の扉を開く。店内は同じように早めの夕食をとる客で、ごった返していた。


「いらっしゃいませ! コーリー、ユージィン、それに医術士様。お待ちしておりました」

「お言葉に甘えて御馳走になりに来ましたわ。こちらのお勧めのメニューは何かしら?」

「今夜は小海老ときのこのガーリックオイル炒めがおススメ品となっております。スパークリングワインをサービスさせて頂きますね」


 ドナは笑顔でマリアージュ達を出迎え、特別席に案内する。

 と言ってもそこは下町の食堂。個室があるわけでもなく、案内されたテラス席からは陽気に祭りを楽しむ人々の様子が窺えた。


「では食事ができるまで少しの間、お待ちください」

「おーい、ドナ、ビールおかわり!」

「こっちにはフライドポテト二人前追加なー!」

「はい、ただいまー!」


 給仕を担当するドナは客から大人気で、あちらこちらから声がかかる。その見事な働きぶりは見ていて気持ちがいいほどだ。


「ドナって本当によく働くわね」

「でしょう? この町で彼女を悪く言う人間なんていませんよ」

「美人で働き者の上に、病の娘を抱えている。みんなが彼女を応援するのは当然かもね」

「そう言えばニーナは?」


 マリアージュは辺りを見回すが、当然ニーナの姿はない。


「さすがに食堂には連れてこれない……か」

「ええ、この時間、ニーナは自宅であるアパートでお留守番です。近所で助け合ってるので、何かあればすぐに誰かが駆けつけられるようになってますけどね」

「ふーん」


 ユージィン達の話に相槌を打ちつつ、マリアージュは運ばれてきたニョッキフリットを手づかみで食べる。その姿にユージィンは、ほとほと呆れた。


「あんた、本当に公爵令嬢なんですか? 庶民の仕草が板につきすぎてるんですが」

「だから言ったでしょう? 私には元庶民の経験ありだって」


 マリアージュは悪戯が成功した子供のように、無邪気に笑った。

 そしていよいよコーリー一推しのポークチョップがテーブルに届き、箸をつけようとした――その時である。




「フリッツ、もういい加減にしてちょうだい!!」




 突然、ガチャンッ、と。

 ドナのヒステリックな叫び声と共に、食器が割れる音がした。

 何事かと視線を向けると、店の中央付近でドナが一人の男と揉めている。


「ド、ドナ、考え直してくれ。俺はお前とニーナのために言ってるんだ……」

「私とニーナのためじゃなく、自分のため……でしょう? あれだけ真面目に働くと約束していたのに、またお酒に手を出したなんて呆れるわ!」


 聖母のような印象は一変、男と対峙するドナは本気で脅え、憤っていた。

 ドナと揉めているのはアッシュ系の髪をした、40代くらいの中年男。薄茶色の上着を着ており、額に大量の汗を流しながら両手をブルブルと震わせている。

 

「酒には手を出しちゃいない。それはドナ、おまえが一番よく知ってるはず……」

「おい、フリッツ、これ以上ドナにまとわりつくのはやめておけ!」


 困るドナを見かねたのか、数人の男性客がフリッツの前に立ちはだかった。

 客達にドンッと強く押され、フリッツは足をもつれさせる。


「お、俺とドナのことは放っておけ! 他人が口を出すな!」

「口を出すなと言いたいのはこっちのほうだ。ドナもニーナもオレ達下町の者にとっては家族同然。元恋人だからって、好き勝手出来ると思うなよ!」

「そうだ、そうだ、あんまりしつこくドナに言い寄るなら、衛兵隊を呼ぶぞ。それでもいいのか!?」

「……っ」


 散々言い負かされたフリッツは、ぎょろりと大きな目を剥き出しにしたかと思うと、よろよろとした足取りで店を出ていった。ドナはすぐに周りに頭を下げ、騒ぎを起こしたことを詫びる。


「皆さん、すいません。お騒がせしちゃって……」

「気にしなくていいよ。困った時はお互い様さ」

「でもドナ、男と別れる時は後腐れがないようきっぱりと別れなきゃダメだよ」

「フリッツも昔は悪い男じゃなかったんだが……。今は落ちるところまで落ちたねぇ……」


 客は皆ドナに同情的で、ほとんどの者がフリッツを責める口調だった。

 事情がわからないマリアージュは、無意識に眉を顰める。


「ドナとフリッツとか言うあの男の関係は?」

「みんなが言っている通り元恋人……ですかね。つい最近別れたみたいですが」


 ユージィンは抑揚のない声で、事実だけを淡々と述べる。


「恋人というには、随分周りの評価が極端な気がするけど」

「仕方ないですよ。フリッツは以前暴力沙汰で捕まったことがあるんです。確かお酒が原因で、前科もついたとか」

「そんな人間がどうしてドナと?」

「そこが不思議なんですよねぇ。ドナならもっといい男性と付き合えるはずなのにって、一時期すごい噂になりました」


 コーリーは小声で、その時の様子を説明してくれる。


「でも当時のドナは、フリッツも酒さえ飲まなきゃとても優しい人なのよって、みんなに惚気てたんです。私、ファムファロスに在学中、月に一度はこっちに帰ってきてたんですけど、つい三カ月前に会った時は、とても幸せそうでしたよ」

「そうだな。フリッツも改心して、鍛冶屋の職人として真面目に働いてたし」


 ポークチョップに齧り付きながら、三人は世間話に花を咲かせる。


「でもさっきのフリッツの様子、見たでしょう? あれはまた酒に手を出して、アル中が再発したのかも」

「確かに足元も覚束なかったわね」

「それにほら、目の下に濃いクマが出来て、人相も変わってたし! 結局お酒が原因で、ドナに見限られちゃったんじゃないかなぁ?」


 手の震えや多量の発汗、さらに精神が不安定になる点など、確かにフリッツにはアルコール中毒の症状が表れている。


「なるほど……ね。でもそうなるとドナが心配ね。別れた男が元恋人に執着するってよくあるパターンじゃなくて?」

「まぁ、ドナほどのいい女なら、執着する気持ちもわかりますけどね」

「え!? まさかユージィンって、ドナみたいな大人の女性がタイプなのかしら?」

「あのね、一般論ですよ、一般論」


 マリアージュのツッコミにも、ユージィンは冷静に対処する。


「まぁ、いざって時は下町のみんながドナを守りますよ。団結力が強いですもん!」

「それならいいけど……」

「ところでマリアージュ様、何気にポークチョップのおかわり頼むのやめて下さい。広場のダンスに間に合わなくなりますよ」

「……くっ!」


 ユージィンにオーダーを止められ、渋顔になるマリアージュ。

 すると背後から、くすくすと明るい笑い声が響いた。


「ではお持ち帰り用にお包みしましょうか? 我が仔兎亭自慢のポークチョップ」

「あ、ドナ!」


 気づけば再びドナがマリアージュ達に近づいていた。その微笑はいつものように慈愛溢れ、見る者全ての心を和ませる。


「あら、御馳走してもらった上にお持ち帰りなんていいのかしら?」

「当然です。今日は医術士様には良くして頂きましたから……。コーリー、ユージィン。二人とも、素敵な同僚に恵まれたのね」

「はい、そうなんです」

「いや、そうでもない……」


 ――ゴンッ!


 ユージィンの返答を聞くや否や、マリアージュとコーリーの二人が両脇から同時に肘鉄を食らわした。

 それを見て、ドナだけでなく周りの客もドッと笑い声をあげる。


「おいおい、下町期待の星も、女には弱いなぁ!」

「ユージィン、女の尻に敷かれないよう、しっかりしろよ!」

「コーリーも王立医術院なんて立派なところに就職したんだって!? うちの子に何かあった時には往診頼むよ!」

「みんな応援ありがとう! これからも助け合いましょう!」


 祭りのクライマックスを前に、食堂は異様な盛り上がりを見せた。

 明るく、朗らかで、誰も彼もが、普段の憂さを晴らすように腹の底から笑っている。


 ――もちろん、下町の皆に聖母の如く慕われるドナも。




 けれど、この日、この夜。


 この時見たドナの楽しそうな笑顔が、彼女の最期の姿となった。







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