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第三話 英雄の郷里

 上空の鳥にしては大きすぎる何かが宙を回転し、奇声を上げた。木々は(やつ)れてはいるが生きている。地面は腐っているが所々に緑が生えている。鹿の腹が裂け肋骨の露出した死骸にはそれを貪る生きた者たちがいる。ロラたちはその間を突き進んだ。野犬や死にきれない人であった者たちを戦うことなく避けて走り抜ける。やがてなだらかな灰色の傾斜が緑の平面になり、広い平野が現れる。

「もうとっくにだが結界を抜けている。野生動物やウイブ、魔女に気をつけろ。できる限り戦闘は避けつつどうしようもない時は、お前の腕前を見せてもらう。それと平原の中央は通るな、厄介な奴らが多い」

「どんな?」

「怪我では済まない奴らさ。外では時間を無駄にはできない、行くぞ。この先の平原横の藪道(やぶみち)を北上するんだ」

 喋る猫の言う厄介な奴らにはすぐお目にかかれた。おとな大の大きさもある巨大な足を持った人の化け物が飛んでいる。それも二桁は。その向こうには頭のない不気味なほど細い巨人が突っ立っている。それらを藪を挟んで見つけ、速度を落として横切っていた。

「あの大きい奴、どこを見てるんだろう」

「さぁな、頭がなく目がないんじゃ何も見えないだろう。見えなければ見つかる心配は少ないだろうしそれに越したことはない」

「テトはあいつを見たことないの?」

 ヘリトラやいくらかの人間と霊猫越しに冒険をした彼女なら知っていると思ったがどうやらそうでもないようで、「残念ながらな」とさらにジトりとした目で猫は言った。

「狂い魔女達は人をウイブに、人とウイブ、ウイブとウイブだったりと今もなお()()()()()。その度に尊厳も姿もぐちゃぐちゃにされているんだ。いまだに見たことない、認知すらされていない人であった者たちが大勢いるだろう」

 その狂い魔女に、まだ見ぬかつての仲間たちが含まれていないことを祈っていると、地面のいたるところに動物の頭だけの死骸が転がっているのに気づいた。

「嫌な趣味だね、どうしてこんな事をするんだろう。…………ん?」

「どうした、なに――か――――」

 人の頭が落ちていた。横半分が潰れ、むき出しの肉からは腐臭がする。無残に残された遺体。そう一瞬錯覚したかったがそれは許されない。なぜなら頭の大きさが馬のそれより大きく、ぎょろりと見開かれた目が二人を追ったからだ。その頭は、さっき見た巨人の首に乗ればちょうどよさそうなもので――――直後、後方からドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と地ならしの音がすさまじい勢いで近づいてくる。

「っ!」

 その判断をするのに言葉は要らなかった。一瞬で血の気が引いたが冷静だ。全速力で走る馬に距離を詰めてくる足音に恐怖しながら藪や林の中に飛び込み、なんとかそれ以上近づかれないように鞭を振るう。鼓膜が震える奇声を発しながら巨人は遮る木々を抉り、粉々なった木片が刺さったことを気にもせず、片手に頭を掴んだまま長大で醜悪な四肢を馬よりも速く振り回してひたすら追いかけてくる。林から平原に戻り、岩を飛び移り川を渡る。田畑の亡骸を踏み荒らし、小さな廃屋を盾にした。廃屋を粉砕した奇声は鳴り止まず、むしろ見晴らしのいい平原に出たことでその数は増えていた。だが、目的地の廃都市は目前に迫っていた。吐き気のする見た目の人間鳥や人間犬のちょっかいを紙一重で躱し、腹に響く轟音がステラの尻尾に届きそうになったとき、部外者を阻む都の城壁のひびの隙間から、ロラたちは城塞都市、カトラスの廃墟に足を踏み入れた。


「ハァ、ハァ、もう――――追ってきてない――」

「……そのようだな。この外壁がまだこれほど堅城なのは驚きだ」

「あんなのがまだたくさんいるの……」

「もっと恐ろしいのがたくさん待ってるさ。さぁ、ここも完全に安全とはまだ言えない、警戒しつつ行こう」

 城壁の亀裂には巨人が挟まっていたが、すぐに諦めて引き返したようだ。ほかの魔女の奴隷(ウイブ)の気配ももうない。ロラは震える身体と肺をなんとか落ち着くように説得し、手綱を握りなおした。

 所々欠損した石畳の上を、ステラは蹄の音を楽しむように駆ける。廃墟と化した街は静かで、むしろその異様なまでの静けさが不気味だった。人やウイブの死体はおろか、動物の死骸すら見当たらないのは、外壁と屋根の上でじっとこちらを窺う大きな黒い鳥たちのせいだろうか。大きさでいえばきっと猫でない方のテトよりも大きいだろう。それが何十何百と高い屋根の上から見下ろしていた。

 かなり大きい都のようで、いくつかの大通りを通り、脇道に入っても建物の密度はたいして変化がない。初めてのロラには今どの方角を見ているのかわからなくなり始めたころ、テトの案内がようやく終わりを告げた。

 周りの建物より明らかに堅固な造りをした箱型の建物は、鉄製の大扉を携えている。その鉄扉をステラと協力し、てこの原理まで用いてやっとの思いで押し開け中に入った。窓一つない建物の中には明かり一つなく、それほど広くないはずの建物内に暗闇が延々と続いていた。

「そこで止まれ、右手を壁に当てるんだ。突起が三つ平行に並んであるのが分かるか、その真ん中を振動が二回するまで右に、そのあと左りに三回、右に五回回せ」

 テトの言うとおり拳くらいの突起を見つけて回した。それからしばらく経ち、ゴトゴトと床が鳴り、こことは違う空気が流れ込んできた。

「おい」

 突然暗闇の中から低い男の声が響いた。

「ヒッ!?」

「……何してんださっさと入れ。それとも茶化してんのか」

 鉱石の明かりを持った背の高い男が顔に血管を浮かせて現れた。

「い、いや」

「ならさっさと来い」

 男は踵を返して目の前の床に現れた地下へと続く階段を下って行った。なんとか入り口の扉を閉めてロラたちもそれに続くように、容赦なく離れる明かりを頼りに都市の地下へと沈んでいった。

 男は一言も口を開かず、ステラを連れてゆっくり階段を下るロラをおいてさっさと行ってしまった。結局持参した明かりを頼りに永遠と思える階段を下り終えると、途端に明るい空間へと迷いでた。

 そこはまるで、地下の別世界であった。

「うわぁ!」

 ロラは口をあんぐりと開け、目を見開き瞳を輝かせた。少女がおもちゃ箱を開けた時のような、そんな表情だ。

 地面の下をくり抜いた巨大な空間には、いくつもの屋台や掘っ立て小屋が整列し、高い天井からは橙色の明かりが降りそそいでいる。その下を血液のように人々が行きかっていた。ここだけで籠の人口をゆうに超えていそうだ。多くの人々のざわめきがその活気さを物語っていた。

「ここは元々地下監獄だったらしい。英雄の郷里には当時の看守や囚人もごちゃまぜになっている。だからといって危険なことは基本それほどないはずだが、とりあえず正体がバレないように立ち回ろう。目的の場所は中央の通りを突き進めばいい」

 ステラを地上とつながる通路近くの馬屋に預け、彼女に背負わせていた荷物を手に喧騒の中に身を投じた。筋骨累々の老若男女から四肢の一部を欠損した者、幼い子どもが駆け回り、通り沿いの屋台では酒盛りや喧嘩が行われている。

(こんなにたくさん人が――すごい――!)

 感動と興奮をフードの内に隠して籠とはまた違う人々の営みに横目を奪われながら、比較的立派な看板の前へとやって来た。

(この字は…………読めない)

「革屋、そう書いてある。外の大陸の文字だ、気にするな」

「そっか」

 中に入ると革製の鞄や靴、防具に手袋等々が壁や机に並び、奥のカウンターには長い白髭を伸ばした老齢の男がうたた寝をしていた。

「ロージェス、おいロージェス、起きてくれ」

「――――ん?あ、おう!テト嬢ちゃんか、久しぶりだなあ。革の買い取りかい?」

「ああ、よろしく頼む」

「ところで、となりのべっぴんのお嬢さんは」

「こいつはロラ、ヘリトラの代わりだ。話が長くなるから省略するがヘリトラは今動けなくてな」

「そうかい、じゃあ査定が終わったら話してくれるんだね」

 老人の目が鋭く光っている。侮れない人だ。どんな情報源も逃す気がないのだ。

「ロラちゃん、ロージェスだ、よろしく頼むよ。君みたいな美人をまだ目にかかれるとは嬉しいよ」

「…………よ、よろしく」

 侮れない雰囲気を醸し出す老人を前にロラは緊張してしまっている。

「はっはっはっ、そんな畏まらんでも取って食いやせんよ。ここは初めてかい?」

「う、うん」

「そうかい」

 ロージェスはカウンターの下を漁ると、錆色の小さな円盤を不自然に硬くなっている女に手渡した。その円盤にはロラの名前の由来であり、止血やときに灯りにもなる花、ロラキートが精密に掘られていた。

「初回サービスだ。いらっしゃい、英雄の郷里へ」

 老人は欠けた歯をむき出して不敵に笑った。



 革の査定にしばらくかかるからその銅貨で飲み食いするといい、そうロージェスは言って店を追い出されたテトたちは、とりあえず散策することにした。

 酒場、武具屋、広場、風呂屋、ある程度歩き回っている間にテトはロラに説明する、ここは栄えるためにできた人々の憩いの場であり、壁沿いに行けば、こことは別として横穴からは居住区が見える。横穴はこの巨大な空間を中心に幾方にも延びている。居住区以外にも土の匂いや家畜の鳴き声のする横穴も見かけた。籠と違いずいぶんと賑やかな場所なのだ。

 元は地下牢獄だったらしいが長い年月の中で幾度も拡張したのだろう、今や当時の面影を感じさせるようなものはなく、総面積も直上の都市の半分はありえる広さだ。

 ロラがその地下の大都市をフードがはだけたのも気にせずにきょろきょろと見回し、興味のままに見て回る。

 その間、腰鞄の中でじっと黙っていたテトがここにきてロラに囁いた。

「ロラ、この辺りはやめておいた方がいい。別の場所に行って食事でもとろう」

「……?なんで?」

 ロラが視線を鞄から周囲の建物や人へと移した。中心部から少し外れた、周りの区画より物理的にも雰囲気的にも離れた場所だった。

 一部の建物の窓は閉ざされてはいるが、人々が往来し適度に賑わっている。たしかに初見のときはテトにも今まで見てきたものとあまり変わらないように見えた。ただ、少し違和感があるのは、通りを歩いているのはほぼ全員が男であり、女は建物の窓や入り口に突っ立っている者がほとんどだった。そして女たちの服はどれも奇抜というか、露出のやけに多い衣装だった。鞄の隙間から見る限りだと今も変わらないようだ。

「わっ、は、恥ずかしくないのかな」

「言うな。さっさと広場の方へ戻ろう」

「うん……」

 言われてから気になり、チラチラと横目で見てしまうロラをテトが注意しつつ、一人と一匹は屋台の並ぶ広場へと向かって行った。――――背後の視線に気づくこともなく。

 一人と一匹は広場に入ってすぐそばにあった屋台で串肉と水を買い、テーブルと椅子の密集したスペースにやって来ていた。ロラは初め皆がこぞって買う麦色の飲み物を頼もうとしていたが、テトが首を振ったことでそれにありつけず、少し拗ねていた。そんな彼女たちは今、なにやら周りから視線を集めている。

「な、なんかわたしたち見られてない?」

「なんだ、気づいてなかったのか。郷里に来てからずっと見られていたぞ」

「え……」

 周りの物珍しさに夢中になっていたロラは今受けている刺すような視線の数々に気づいていなかったようだ。

「向かいの席いいかい」

 テーブルを挟んだ向かい側に大男が立っていた。傷だらけの太い腕とツルツルの頭が印象に濃い。その男が現れた途端、野次馬が騒がしくなった。

「チッ、厄介なのが」

 テトは小声で呟いた。

「魔女、今日はどんな御用かな」

 ロラの体がびくりと震えた。大男はテトに向かって言ったはずだが反応してしまうようだ。捕食者に睨まれた過食者に見える。それほど男は大きく、あからさまに威圧していた。

 そんな怯える草食獣の肩から猫が机に飛び降り、肉食獣との間に入る。

「ロージェスのところだ。革を売って薬を買いに来た。ただそれだけ、すぐに帰るさ」

「そうか、まあそんなことはいいとして……こいつは、ヘリトラはどうした」

 大男はロラを見ずに指をさした。

「籠にも外の世界を夢見るものがいる。こいつも――」

「下手な嘘はつくもんじゃねぇぞ」

 言ったとおり、厄介な奴だ。

「っ…………、ヘリトラは今自由に身動きができない状態だ。こいつはその代わりだ」

「ほぉ、そんじゃいつ戻ってくる」

「戻っては…………おそらくこれない」

 大男が眉尻を上げた。でかいチンピラのような見た目だが、ツルツルの頭の中にあるものには沢山の皺が重なっている。

 大男はテトの返答に追及せず話を続ける。だがなんともいやらしい、いかにも気づいているという表情であえて触れないのだ。好機を窺っているのだとテトは身構えた。

「そう……か、それは残念だ。俺たちにとっても、大きな戦力だったんだがな」

「だったら今まで通りお前らに協力するのは無理だな!」

 大袈裟に天井を見上げた大男に続いて野次馬の一人が騒いだ。それに続き別の野次馬が吠える。

「そうだ!魔女狩りにヘリトラが来れなくなったぶんお前らに寄こす物資は減らすしかねぇな!」

「革はこっちでも多少は作ってんだ、閉じこもった腰抜けどもより世界に貢献してる俺たちの方が薬草を必要としてんだからお前らにやるもんはねえ!」

 罵声が飛び交う、ロラは周りの剣幕に押しつぶされ肩を縮めてしまった。

 大男は頬杖をつきながら知らん顔で大きな木製の水飲みに口をつけている。

(っ……なんだ?籠から始めて来た人間に警戒することはこれまでもあったが、にしてもやけに…………)

「悪いがすこ~~し、最近あいつらの機嫌が悪くてな。いろいろとつつかれるだろうが、まぁ清廉潔白な魔女サマに隠し事なんかねぇよな」

(………………時期が悪かったか)

 ついテトは霊猫との口のリンクを解き、自室で独り舌打ちをした。

 幽居の籠と英雄の郷里は長らく協力関係にある。外が外だ、そうする以外の選択肢はない。郷里に比べ人も土地も少ない籠だが、幸いにして優れている点もいくらかあるおかげで、完全な平等にはいかなくともそれなりの目線の高さを維持していた。だが、籠には外の脅威を払いのける十分な武力がなかった。ほぼ全て、ドルーの子孫たちに委ねていたのだ。

(今ヘリトラの状況を話せば多少は補ってくれるだろうが、それを交換条件にどんな要求をしてくるか…………。最悪それは世代を超えても課せられる可能性もある。…………だが……この状況は…………)

 仕方ない、とテトは一つ息を吐いた。

「もったいぶってると今後取返しがつかねぇかもしれねぇぞ」

「…………っ。はぁ……ヘリトラは贖罪者モリーと遭遇し、両足を失った」

「なに!?」

 いつの間にかさらに大所帯となった野次馬が一層騒がしくなり、「嘘つけ!」「冗談言ってんじゃねえこのクソ魔女!」などの罵声がどこからともなく飛んできた。ロラの体がピクリと動いたのを背中越しに感じた。しかし驚いたのとは違うようだ。ロラに興味を示さない大男は体を乗り出して話に食いついた。

「モリーを見つけたのか!どこにいたどんな奴だどんな魔法を使ってきた!」

「落ち着け、その情報は然るべきときに然るべき報酬と共に話す。とにかくヘリトラは今、もしかしたら今後一切、お前らと関わることはないかもしれないということだ」

「…………つまりこの金髪の小娘が本当にヘリトラの代わりなのか」



 不機嫌になった大男が初めてこちらを見た。ロラは視線を合わせることができずひたすらテトの背中を見ていた。籠の人里に降りたときもそうであったが、ロラは大勢の人から視線を向けられると子犬のように縮こまってしまうようだった。軍の演説をしていたセレネとはえらい違いだ。

「ヘリトラの代わりって、あんたみたいなのがぁ~」

 酒臭く際どい衣装を身にまとった若い女が割って入ってきた。美しく張りのある整えられた体と人懐っこい顔には色気が溢れている。かなり酔っているようで倒れるように机に寄れかかり、その衝撃でゆさゆさと揺れる大きな二房(ふたふさ)のそれは今にも袋から溢れてしまいそうだった。

「あんたぁ~娼館の通りでうろちょろしてたわよねぇ~、きょろきょろ見回してちらちらあたしたちのこと見て、もしかして~~きょうみあるのぉ~?」

 女は肩が触れる程身を寄せた。ロラがさらに委縮する。

「ん~~顔はバッチリ!体は少し細いけど出るとこ出てるし……よし!肌よし!髪よし!綺麗な瞳ね、家に飾りたいわ~。やっぱり、一目見てピンッときたのよ、つくりものみたいに綺麗ね~~」

 女は両手でロラの顔や髪をまさぐり、鼻がぶつかるほど近くに顔を寄せて瞳を覗いてきた。

(な、何この人……怖い、臭い、臭い――!)

「フフフッ、怖がらなくていいのよ子犬ちゃん。ほら、服の中を見せて、体に傷がなければ合格よ」

「い、いやそれはっっ、な、なんでっ!」

 こんなところで女は服を脱がそうとしている。ローブは前面を開いていたため、その下にあるシャツを引き上げようと腕を伸ばしてくる。そんなこと許すことはできない。ロラ自身の小さな名誉のためにも。そして何より背中を見られたら全て駄目になる。

「あのむさい男やヘリトラみたいに血に濡れるよりも、泡に堕ちちゃった方がきっとあなたにとっては幸せだわ。大丈夫、あなたほどの美貌ならきっとあたしと同じくらい――」

「スーラ」

 そこでやっと大男が止めに入った。

「なによ!こんな綺麗で弱そうな子あたしのとこに呼んでもいいじゃない。それとも団長は綺麗なものを壊すのが趣味なのかしら」

「スーラ、そいつは一人であの臆病者どもの鳥かごからここまで無傷で来たんだ。その時点でお前と比べるまでもない」

「っ――――!!」

 女は顔を赤らめて団長と呼んだ大男への罵詈雑言を叫びながらどこかへ行ってしまった。突然現れては突然消え、まるで自然災害だ。

「うちのが悪いな、酒癖が悪いんだ。それで、金髪はヘリトラの代わりになんのか?見たところそんなひょろい腕じゃあ新米どもにも敵わなそうだが」

 何事もなかったかのように団長は再び目をぎらつかせて続けた。

「わ、わたしは……」

「いや、完全に代わりとはいかない。彼女には目的があってな、以前のように何でもかんでも飛び込むことはできない」

「ほう、その目的とやらは」

 団長はまたロラを見た。手汗で手が濡れている。下手なことは言えない。テトが横顔で落ち着けと諭している。

「…………わたしは、征戦魔女隊に……き、興味がある……の、贖罪者と使徒のことが知りたくて…………」

 ロラは今までになく必死に脳みそを回転させた。一言でも間違えたら首を撥ねてきそうな気迫に気圧されそうになる。

(わたしはただ、わたしを大事に想ってくれた仲間たちのことを知りたい、それだけは変わらない。でも、それを直接伝えるのはわたしが魔女だって言うようなものだしできない。テトは前、外の世界にも当時の資料が残ってるかもしれないからまずはそういうのを探そうとか言ってたけど……このひとたちはたしか外の世界で魔女を探して戦ってるんだよね。だったら、このひとたちに協力したら仲間たちにまた会えるかもしれないんだよね。――――分かってる、テトと契約したときにああ言ったけどやっぱり怖いことに変わりなくて、モリーやジュダ、他の生きているかも狂っているかもわからない仲間たちに会って、わたしの顔を見てもらって…………モリーのようにお前は違うと言われるのかな?その声で喋るななんて。わたしはあのひとたちのことをこんなにも想っているのに…………怖い、分からない、わからないんだ何もかも。――――だから怖いけど、調べて、探して、会って、聞かなきゃ。何も得られないかもしれない。また殺されかけるかもしれない。また違うって言われるかもしれない。それでも、わたしにできるのはそれくらいしかないから。胸の炎があのひとたちを求めてる意味は、あのひとたちを助けるためのはずだから。だから大丈夫、わたしのやることは変わらない。今わたしにできることは…………)

 どんなに辛く、残酷な結末が予想されても、彼女の胸に託された使()()はそれを無為にすることを許さない。ロラは気づいていなくとも、彼女の使命は前進以外の選択肢を与えなかった。

「…………会って、話してみたい……使徒や贖罪者と呼ばれたひとたちと。あのひとたちのことが何でもいいから分かるなら、そのためならわたしはヘリトラの代わりに、あなたたちと一緒に戦うよ」

 屋台の店員の声や食器のぶつかる音が良く聞こえた。人の息遣いさえ聞こえそうな静けさのあと、それは大男の大きな笑い声で壊された。周囲も腹を抱え、大口を開けて嘲笑している。テトとロラはそれが収まるまで静かに待った。

「お前、魔女と話してみたいなんて本気で思ってんのか。お前を連れてきた猫魔女は例外中の例外だと分かってんのか。いや、そいつもまともなのか謎だがな。――――狂った魔女もそいつと同じように言葉を発す。だがそこに正気な理性はない。欲を満たすための道具としてただ垂れ流してるだけだ。そんな生きた殺戮兵器と仲良くおしゃべりしたいとは」

「それでもっ!……顔を合わせて話してみたい。情報だけでもいいから」

「…………何が目的だ」

「え?」

「話して、そいつらのことを知ったとして、それで満足です、なこたぁねぇだろう。命を()した先でそこに何を求める。お前はなにモンだ、魔女のなんだ」

 団長の言うとおり、たしかにそこに何か求める答えが必要だ。記憶を取り戻す手掛かりを探している、なんて正直に言ったらそれこそ怪しまれるかも…………なんて考える一瞬の間が、埋まらぬ疑念を生み出していく。

「それ、は…………」

 問いかけに対しての沈黙は、時に疑惑を生んでしまう。相手は自身の不信感を肯定されたように思う場合があるからだ、今回のように。団長が立ち上がった。野次馬が沸き、誰かが叫ぶ。

「身体検査しようぜ団長!着てるもん全部脱がせろ!魔女かもしれねぇぞー!」

 それと内容のほぼ変わらない、恥辱的な野次が群衆から浴びせられた。団長はそれを止めずにこれ見よがしに得物を見せびらかした。

「待てダルエニ、話はまだこれから――」

「猫魔女は黙ってろ。最近魔女も魔女の奴隷(ウイブ)も活動が活発すぎる、過去にもない異常事態らしい。さっきも言っただろ、みーんな虫の居所が悪いんだ。そんなときに戯言をのたまう奴が来ちゃあ、ちぃっと疑うしかねぇよ。魔女って生き物は人と価値観も倫理観も違う得体のしれない化け物だからな。――おい金髪、お前が真っ当な人間ってことを証明して見せろ」

 迷ったばかりに状況が最悪の方向へと進路を変えた。疑惑をかけられた途端、この空間は殺気で溢れかえり、目の前の大男はすでに得物である大鉈(おおなた)を片手にしている。野次馬の中には今にも飛び掛かってきそうな者が数人いるのをロラは見ており、その他大勢も武器を手にした者がほとんどだ。ここで魔女かそれに付随する者と判断されれば命は間違いなく彼らの刃の錆になるだろう。

「黙ってなどいられるか!お前たちの判断はあまりにも早計だ、彼女を(はずかし)めたところで私たちの関係にまた傷ができるだけだ」

「だったらさっさとそいつが何者なのか証明してみせるんだな。あいつらが言うには、身ぐるみ全部取っ払って「私は無害です」とでも言えばいいんじゃねえか」

「ちっ、このアホウめ。お前が周りに流されてどうする」

「どうとでも言え。俺はこの場の秩序を守るためにお前らを犠牲にすることに決めた。方法は俺の趣味じゃねえが、大勢の人間が確実に納得できる手段はその目で直に見ることだからな。だからまぁ、観念するこったな魔女サマ?」

「っ……」

(ど、どうしよう…………)

 ロラは大男と猫の火花散る言い争いに介入することなどできず、おろおろと首と視線を右往左往することしかできなかった。ただその目には確実に飛び掛かる準備を始めた者たちの場所が記録されていく。

(わ、わたしのせい…………だよね――わたしが納得させられる確実な理由を考えられなかったから…………テトに迷惑かけちゃった)

 振り返ったテトが涙袋を腫らしたロラを見やり、普段聞かなかった声色で語り掛けた。

「お前が気に病む必要はない、あのハゲ面が出しゃばってきたのと、その厄介さを誤算した私のせいだ。だからそう泣くな」

「はっ!身内にはずいぶん優しいじゃねえか」

「それはお互い様だろう」

 テトが再び振り返り、身を翻して肩に乗った。つまりはそういうことだ。

 それを見た大男が何かを確信し、大鉈を振り上げた。

「ほとぼりが冷めたらまた来る。まぁ、それまでお前が生きていればの話だが」

「たわけが」

 振り上げた大鉈を逆刃にし、刃先の残像が弘を描き、そして――――――大男が脇腹からくの字に曲がり吹き飛んだ。

「……………………ぇ?」

 テトのか細い声が倒れるテーブルと弾ける食器の歓声に掻き消えた。先ほどまで大男がいた場所には女が横たわっている。今さっき横から大男に飛び蹴りをして机と椅子ごと吹き飛ばした女だ。手には無残に零れ散った麦酒の入れ物をがっちりとつかんでいる。

「っっっっ!?おいエルっっ!てめぇまた酒飲みやがったな!!!」

 生まれたての小鹿のように立ち上がった女は誇らしげに胸を張った。

「そうです!だれもこの(わたくし)を止めることなどできないのです!嗚呼(ああ)、やはりエールとは罪深き飲み物、天より人が授かりし(しゅ)の賜りもの。あなたと私の名前の響きが似ていることをお許しください」

 女は空っぽの盃に頬ずりをしている。それを大男が奪い取り手の届かない高さにまで掲げた。女はそれをつま先立ちでなんとか取り返そうと両手を上げている。数秒前までの出来事を忘れてしまえばなんとも和やかなやり取りだ。

「お前の酒癖は最悪なんだ!それ治すまで飲むなって言ってんだろ!!」

「さいあく…………フフフ、無害な女子(おなご)に刃を向ける貴方様の方がよっぽどでは」

 女の登場で殺気に満ちて騒いでいた空気が一変した。

「ましてや彼女は己の運命を突き進む迷い人、つまりは英雄になり得る茨と狂気を持った候補者です。そう、ダルエニ様やレイス様、英雄の郷里の戦士たちと同じものを彼女から感じるのです!」

「ああ……?こいつがか…………」

 女の言葉に大男はよく耳を貸し考える。それは野次馬も同じだった。この女は何者なのだろうか。最低でも今は敵ではなく、むしろ恩人と言える。

「ええ、感じるのです。この方は新たな世界をきっと私に見せてくれると――――なんとなくですが」

 女は両手を大きく開いて掲げ、大衆に言い聞かせる。登場時の酔った姿とはまるで別人のようで、神々しさまで感じた。

 団長は一瞬テトに目を合わせ、また女に視線を戻した。

「チッ分かったよ、お前がそんだけ言うんじゃあ『今』は、そういうことにしといてやる。だがそうでなかったら――分かるな」

 驚くほど素直に、団長は捨て台詞を吐くと野次馬に散るように怒鳴り、視線の中心が広場でなくなると倒れた椅子や飛び散った食器らを片付け始めた。ひとまず危機は去ったようだ。

「あ、あの」

「礼は要りませんよ未来の英雄」

「え、英雄……」

「そうです、あなたはきっと偉大な英雄になるでしょう」

(な、何かよく分からないけど……けど)

「それでも、ありがとう」

「おや、なんと謙虚な方なのでしょう。そういえばまだ名乗っていませんでしたね。(わたくし)は英雄を志す者たちからエルと呼ばれています。謙虚な英雄よ、どうかお見知りおきを」

 (うなじ)まで伸びたくすんだ黄緑色の髪と、とろけそうな色素の低い薄緑の瞳。少し童顔で背丈はロラよりいくらか低いが、人としての年齢はロラとそこまで変わらそうな見た目。全体的に鷹揚な雰囲気だが、怪奇さというか妖艶さを混ぜたような不思議な女性だ。

「わたしはロラ、よろしくね、エル」

「ええ、ロラ様、よろしくお願いいたします。そして初めまして、魔女テト様」

「ああ、話には聞いていたが話どおり飛んだ奴だな。だが助かった、礼を言う」

「いえ、私はただ彼女が英雄になり得るか近くで見てみたいだけですので。それに数少ない生きた魔女であるあなた様にも」

 溶けるような、しかし底を見るような得体の知れなさを感じる眼差しに、猫はわずかにたじろいだ。その反応を見たエルは何を思ったか、一歩引いたテトに腕を伸ばした。

「おや?」

 ロラは反射的に二人の間に割って入ったが、その行動もその後も計画していなかった彼女は硬直した。そもそも遮る必要などあっただろうか、目の前の女は愛玩動物に触ることができずただ残念そうな表情をしているように見える。瞳にはさっきのような怪しさは光っていない。

「フフフッ、どうやらロラ様とテト様は互いにとても大事に思われているみたいですね」

「いや、こいつが勝手に――」

「ロラ様はこちらにいらすのは初めてでしょうか?もしよろしければ私たちにご案内させていただきませんか」

「おい話を――――おいっ!勝手に抱くな!」

「さあこちらです、私についてきてください」

 テトを両腕で胸に抱えたエルが広場の奥へと歩き出す。ちょうど片付けを終えた団長、ダルエニに小悪魔のようないたずらな微笑みをすると、心底嫌そうにうなだれながらもロラたちの後ろについた。

 ロラが団長から離れるように速足でエルの隣へと向かう途中、横目に広場を見ると、荒れていた広場は来た時よりも綺麗になっていた。


「戦時ここには多くの国や地域、特に大陸外の人々が集まりました。さらにこの大陸の気候は主要な作物が十分に育てられる環境のようで、おかげで食文化は多岐にわたります。お食事をしたいのでしたら、中央部の屋台もいいですが、家畜や植物、畑のある生計部という区域に近い西側の端の方や上層では比較的静かで量の多い食事がとれるので、とてもおすすめですよ」

「上層部?この上にもまだあるんだ!」

 ロラは高い岩盤の天井を見上げた。高い高い天井に埋め込まれた光石(こうせき)が彼女の顔を照らす。

 開けた視界には周りの住人の顔が映った。

「真上ではありませんが、ええ、お暇な時間があれば行ってみましょう」

「う、うん」

 ロラは素直に喜びたかったが少し肩身を狭そうにしていた。また睨まれている、多くの人々に。静かな陰口がロラの胸に刺さっていく。

 突然、目の前に中年のたくましい体の男が立ちふさがった。その拳には歪な形の魔石が装飾品として身に付けられている、趣味の悪い男だ。

「お前が、あのヘリトラの代わりかぁ?」

 煽るように語尾を上げ見下す、体と態度だけは大きい。ロラは一瞬ビクついて小さくなった。だが――。

(………………ああ、このひと、さっきあの広場でテトのこと『くそ魔女』とかひどいこと言ったひとだ。すごく、イヤなヒト…………)

「なんでお前みたいな弱っちそうなのが、だいたいヘリトラが怪我を負ったのもお前やそこの無能魔女のせいなんじゃねえのか。なあなあなあ!おい魔女も黙ってねぇで必死に弁明したらどうだ。あっ!そうか、やっぱりお前も狂ってるから人の言葉が分からねぇんだな!」

 テトはエルの腕の中でじっと丸くなっている。言い返すこともせず、ただ嵐が過ぎ去るのを待っている。

(イヤなヒト…………?違う、わたしのテトを悪く言っていやな思いさせてる。――――こいつ、ワルイヒト)

 ロラは、重心を片足に寄せてゆったりと腰に手を当てた。その動作は怖気ずく、というよりもめんどくさそうな感じであり、今まさにビビり散らしているはずの者がやることとは到底思えない行為だった。

 明らかに自分に対して恐怖していた女が、その動作に伴って表情も感情も分からないものになってゆく。その時間はわずかで、彼女の変化を感じとれた者は正面にいた悪趣味男だけだった。その男だけが(おのの)き、半歩後ろへ下がった。

「フル、そこらへんにしとけ」

 さらにでかい大男の団長が図体だけの男を道の端の方へ引っ張る。ずいぶんと軽そうに。

「だ、団長!こいつらの話を信じんのか!?」

 我に返り団長に抗議する男だが、それでも肩をつかんだ剛腕が少しも緩まないことで大人しくなり、無理やり団長の手を振り解いて嫉み口をぶつぶつと吐き出しながら路地の暗闇へと消えていった。

「申し訳ありません、彼は少し思い込みが激しいので」

「ううん!」

 エルの何ともいえない謝罪にロラが振り返る。まるでさっきの男の存在なんか無かったかのようにケロりとし、早く行こうと催促すらしている。

 エルが目を細め、しかしそれだけでロラの隣に戻った。その後ろに団長が続く。ロラに合わせ、エルもまた、何事もなかったかのように案内を再開した。

「あれ?テト?」

 しばらくしてロラがエルの方を見たとき、ふいにその腕の中で丸くなっている猫に声をかけた。

「おや?」

 エルも猫の状態に気づき嬉々とした驚きの声を上げる。顔を見合わせた二人はそのまま歩き続けるが、少しだけ声のトーンを下げるのだった。



「――、――、―ト、テ〜ト〜」

 テトはゆっくりと瞼を開けた。

 酒と香辛料の香り、遠くから漏れ聞こえる喧騒、目の前には口を利かなければ男女問わず虜にしてしまいそうな美しい顔立ちの金色の瞳をもつ女、脳が瞬時に目覚める。

 テトはエルの膝の上に四本足で立ち両耳をピンっと立てた。

「おはようテト」

「ずいぶんとぐっすりでしたね、お疲れなのか、それとも私の腕の中がそれほど快適だったのでしょう」

 ロラが嫉妬深そうに半眼でエルを睨んだ。

「フフフッ、起きてしまわれたのでロラ様にお返ししますね」

 エルにつかまれロラの膝に輸送されると、撫でようとするロラの腕をするりと抜けテーブルの上へとテトは移動した。とても悲しそうなロラを無視してテトは二人に尋ねる。

「私はどれくらい眠っていたんだ、ここは…………外の騒がしさからして中央に近い酒場か?」

「時間としては二時間ほどでしょうか。場所は、流石聡明なテト様ですね、その通りです」

「そんなに――」

 猫は絶句し、やってしまったと尻尾や耳を垂れた。

(たしかに最近ずっと忙しなかった。ロラに関する準備に結界の状況観察の倍化、今後の対策のための過去の魔女の遺したものの整理、慣れないこともした。だが、だからと言って居眠りしてしまうなんて……もしここが安全を確保できない外だったら…………)

「私やダルエニ様がついていたので安心感もあったのでしょう」

「いやそれはちが――」

 エルに気をとられている隙にロラに捕まり膝の上に幽閉される。渋い顔をしながらもテトはもう開き直って成すがままになった。やけくそである。捕らえた本人は満足そうにしている。

「はぁ……、それで、お前たちはどの程度話したんだ」

「そうですねぇ、とりあえずロラ様方が知っていれば自ら足を運びそうなところをひととおり」

「おじいさんのところに戻って薬草も買ってきたよ」

 ロラがロージェスに預けていた革の入っていた鞄を取り出した。中には予め用意していた瓶の中に黄色の草やロラキートの茎を薬研(やげん)ですりつぶしたどろどろの緑の液が入っていた。

(…………普段は瓶いっぱいになるまで入れられてないんだがな)

 テトは横目でエルを見た後、首を上に向けた。

「そうか、よくやった」

「えへへへへ」

 嬉しそうな感情が頭を撫でる手にも表れる。テトの頭の毛がぼさぼさになった。

「お前やダルエニのことはまだ話していないのか」

「ええ、それはまた次の機会にでも。今日はもうゆっくりと過ごしましょう」

「エルの話?なになに知りたい!」

「次の機会だと言われただろう」

 ロラはなんだかんだで魔女より魔女っぽいエルに懐いたようだ。距離感も相変わらずでわざわざ椅子を寄せて肩を並べている。むさくるしい酒場でこの二輪の花は目立つだろう、だがそれを守る大きな棘が見当たらない。

「そういえば、当のダルエニは?」

「お二人の後ろに。どうやら両手に花は不釣り合いだと感じてしまったようです。まったく、可愛らしい事です」

「…………」

 ロラたちの後ろで大きなため息が聞こえた。

「そういえばテトとエルは初めましてだったよね?でもなんかもっと前からの知り合いみたいに話してるけど」

「フフフッ、私、どうやらテト様に避けられていたようです」

「お前があまりに胡散臭いからだ。遠くから一目見ただけで関わらないと決めるほどにな。それに、そもそもここに来るのは数ヶ月に一度程度だ」

「おやおや、人を見た目だけで判断してはいけませんよ」

 花々の駄弁りは続く。それを耳に挟みながらダルエニが憎き魔女、ではなく、ロラをじっと見つめていた。その視線に気づいていたテトはさりげなく耳を離れた席の大男の方へと向けた。ぼそぼそと独り言を言うのが聞こえる。

「…………あの女、なんか引っかかる。明らかに危険ってわけじゃねえが、俺の勘があいつを気になって仕方がねぇ。ただ、まともな奴ではねぇのは確かのようだ。じゃなきゃ、吹っ掛けられただけで一切迷わず武器に手を伸ばすわけねぇ。それも冷静に、殺す気で。俺が入らなかったらあいつは何をしでかしたか…………。剛腕のガキに仕込まれたか?まぁなんだっていい。あの金髪は郷里やエルにこれ以上近づけさせないほうがいいか」

(ロラが武器を抜こうとした?殺す気?こいつ何を言っているんだ。――――おい、もっと考えてることを口にしろ!黙り込むな!)

 テトは我慢しきれずに二輪の体の間から隅っこの大男を盗み見た。ダルエニは水しかない簡素な卓の上で肘を立て手のひらに髭の一本もない顎を乗せていた。視線はしばらくロラに固定されていた。しかしふいに視線を動かした。

 エルが飲み干した杯を持ち、店主に微笑んだ。麦色の液体が再びエルの杯を満たす。

 ガタリッと椅子が倒れる音が店の中に響いた。

「おい、エル、()()()、なんだ」

 ダルエニが指差すのはエルが握っている物。正確にはその中身だろう。

 エルがわざとらしく小首を傾げたあと立ち上がった。

 酒の入った杯は力強く握りしめられたままだ。

 ダルエニに向かって彼女は微笑む、とても優雅に。

 そして、酒を握りしめたまま、綺麗なフォームで酒場から走り去った。

「なっ……なぁぁっっ!!」

 わなわなと身体を震わせた大男は酒飲みの消えた出入口とロラたちを迷うように何度も見比べる。

「そこから動くんじゃねえぞ!」

 どうやら彼の中ではむこうの方が厄介らしく、ダルエニはそう言い残して外へ走り去った。

 酒場がさらに騒がしくなる。ロラも自分に注目が集まっていないときは平静を保てるようで、周りの少し下品な笑い声や談笑を肴に楽しむことができているようだ。エルの残した食べ物をつまむ余裕さえある。野次に耳を傾けると、こういったことはたまによくあることだそうだ。ここは血の気が多く少々騒がしいが、人々が笑い合う日常は籠と大して変わらないのだろう。そう感じた刹那、耳にまだ新しい嫌な声が轟いた。

「よぉ、ずいぶんとたのしそうじゃねぇか」

 煽るような口調、ダルエニほどではないにせよ大きな体躯、ついさっき絡んできたフルの姿がそこにはあった。どうやら店の奥でわざわざタイミングを見計らっていたようだ。

 酒場の客は変わらず騒いでいる、空気が重くなったのはテトたちだけのようだ。

「真に受けるな、できる限り穏便に」

 膝の上で猫はささやいた。ロラは素直にそれを聞き入れ、聞き入れすぎたのか食事を再開した。テトにお腹は空いてないのかなどと訊きながら。

 テーブルが倒され卓上の食べかけの練り物やスープが散らばった。店主はそのことに嫌な顔をするが、自分よりも一回り小さい女を硬い壁に押し付けた男にはなんのお咎めもしない。エルの接し方が異端なだけで、ロラたちの立場とはその程度だということだ。ここは彼らのテリトリーなのだから、気に食わない部外者は排除対象でしかない。

「っ……」

 ロラは襟首をつかまれたまま、打ち付けられた背中の痛みに顔をしかめている。胸の下ではテトを大事に抱えている。

「ロラ!」

「ぜんぜん……痛くないよ」

 テトの心配そうな声は周りの中身のない与太話に埋もれ、それでも刺激に飢える人々は何か何かと両目をそろえて見世物を嬉々として見る。

 壁を背に、ロラは玩具を見つけたハイエナに囲まれてしまった。彼女の目から恐怖しているのを感じとった。しかし、よく見てみると。

(ロラ?)

 ロラは怖がっていた。服を掴み至近距離で吠える男にではなく、周りの寄ってたかって貪ろうとする目に。こんな状況で、こんな状況でもロラは未だに注目されることに慣れていない、彼女にとってはそちらの方が問題のようだった。というより、テトの目にはロラは目の前の男にもうほとんど関心を持っていないように見えた。ただ、少し邪魔だというように一瞥する。

「てめぇ、きょろきょろしてんじゃねぇよ…………っ!こっち見ろっっ()ってんだろうがぁっ!!」

 再度、さらに強く叩きつけられたロラはさすがに反応し、襟首をつかむ男の手首を嫌そうに握った。片手になったことで抱えられていたテトが床に降り立つ。

 男はテトに気づく様子もなく、自身の手首をつかんでいた細い左腕をもう片方の手でつかみ返し、肩よりも高い位置に乱暴に掲げた。手首が壁に当たり、ロラは小さく痛ッ、と悲鳴を上げる。

「エルに気に入られて調子乗ってるみてぇだがな、お前に居場所なんかねぇよ。ヘリトラを出せ、俺はあいつやその親父しか認めてねぇ」

「…………」

 ロラは黙り込んでいる。話す気はない!と抵抗しているというより、テトの言うとおり、ただ相手にしていないというふうだった。それを愚直に守っている。

(だめだ、このままではロラが怪我をしてしまう!)

 二人の間に立ったテトは男に向かって叫んだ。

「やめろ!だからヘリトラは――――」

 その瞬間、テトはやってしまったと思った。最近疲れが溜まり寝不足であったとはいえ、あまりにも迂闊だったと。男の血走った眼がテトを見ていた。短絡的で、怒りや排斥に染まった目だ。

 男が右足を上げた、自分の楽園を壊しかねない邪悪な魔女を、踏みつぶしてやろうと。

 その瞬間、テトは背中に、刺すような得体のしれない恐怖を感じた。ありありとした確かな殺意だ。その出所は言うまでもなく、彼女の背後からだった。

 猫の目を借りていなければテトは周りの人間たちと同様に何が起きたか分からなかっただろう。

 ロラの左足が一つの瞬きをする合間にテトに向かって伸びていた男の足を踏みつけ軌道を変えたのだ。それでひとまず一時の被害は免れた。しかし、それで終わらなかった。もう一つ瞬きをやりきる前にテトの耳はその音を拾ったのだ。ローブの内側に手を滑り込ませる()()()音、金属製の金具が二つほぼ同時に外された()()()音、革製の鞘から短剣が抜かれる()()()音、どれも、瞬きにうちに聞こえた。

 ――――そして、革を握る指に力が入る音。

「まあまあフルさん、団長さんたちが目をつけていることですし、今はひとまず様子見ということにしませんか」

 白髪の丸っこい頭がロラの鼻の先に滑り込んだ。勢いよく間に入ったことにより、慣性で左右に揺らぐボブカットの髪からは、どこかあまい果物のようなよい香りがした。

 驚いて固まるロラの前で、白い頭が必死に身振り手振りを交えながら男を宥める。綺麗な澄んだ声だが少女にしては低く、ズボン越しの足腰は骨格がしっかりしているように見える。

「ノエル、おめぇもこいつを庇おうってのか」

「違います、"様子見"です。彼女の実力はこれから分かるはずですよ、力がなければすぐにいなくなるわけですから。もしヘリトラさんに並ぶほどでしたら、それはそれでこれまでどおりになりますし」

 男はノエルと呼んだ白髪の少女?の顔から頭一つ覗かせたロラに視線を移して睨み、片足を高く上げると、くるりと踵を返した。

「これが最後だ、もう二度と俺の前に出てくんな」

 そう吐き捨てて男は出ていった。ハッとテトは振り返りロラを見上げた。何ら変わりない、つかまれた手首をさすって少し不機嫌そうだが、普段どおりの様子だった。

 珍しい修羅場が不完全燃焼で終わりを迎えたことに観客たちは不満や野次を飛ばしながらも彼らの世界へと戻ってゆく。喧騒が健全なものに遷移し始めると、ノエルが軽やかに振り返った。

 背丈はロラの顎の高さで白髪に黒い瞳と均整のとれた中性的な顔立ち、ロラほどではないが腕は戦士には思えない細さだ。テトは最初女かと思っていたが、どうにもそう判断しきれない性別不明の人間だ。

「ふぅ、なんとか引いてくれましたね。お怪我はありませんか?」

 男とも女ともとれない声がロラに尋ねる。

「う、うん、なんともないよ」

「ああ、助かった。礼を言う」

 テトたちの応えを聞いて安心したように微笑んだノエルはそれは良かったと胸を撫で下ろした。

「では、まずは片付けましょう。ぼくも手伝います」

 ノエルはそう言って床に散らばってしまった物を見た。店主はすでに掃除用具を持ち出して、お前らがやれと言わんばかりに倒れたテーブルに立て掛けている。ロラとテトは互いに顔を合わせるが、テトは顔を逸らした。ロラが仕方ないと箒を手に取った。


 ここの住民はあの粘着質に吹っかけてくるフルほどではないが、多くの人々が排他的だった。その原因は魔女だと知れ渡っているテトが原因かもしれないが、彼女が害のない存在だと伝えたところで、魔女という大きな一括りの中にいる以上、それが改善されることはなかった。それほどまでに、この郷里に住む人間と魔女との間には大きな溝があった。その深い溝には憎しみや怒り、恐怖、そして多くの死体が埋まっていた。

 そして、テトはそれを理解していたのでいつかくるこういったトラブルを避けるために積極的には郷里に近づかなかった。

 片付けの最中、テトはそう小声で説明した。気を落としているらしく、声も毛並みも(しお)れている。

 ノエルは酒飲みのエルと同じく『例外』らしい。

 時々話しかけてくる飲み客の誰に対しても丁寧に接し、そこにはロラとテトも含まれていた。今更ながら、思い返せば革屋の老人もそれに近かったのかもしれない。初めから彼は人を喰ったような目をした変わり者だったのだ。雑巾を店主に返すロラを見ながらそんな事をテトは考えていた。

「お疲れ様でした、やはり一仕事した後は喉が渇きますね」

 ノエルはちゃっかりロラと同じ卓につき顔を合わせて言った。

「そうだね……、ありがとうノエル!……ノエルって呼んでいいんだよね?わたしはロラ、よろしくね」

 すっかり普段通りになったロラはにこやかにかえす。

 会ってまだ時間は経っていないが、すでにノエルはロラの中のお気に入りリストに登録されたらしく、雰囲気が柔らかい。助けられたとはいえついさっきまで片言だったのに、いつの間にやら。この中間はないのかとテトは呆れながらも、同時に不安も感じていた。

 テトはロラが何をしようとしていたのか完全には認識できていない。だが、あの瞬間の殺意には気づいていた。今新たな友人の前で頬をとろけさせる彼女からは点と点で結ぶには難しい事実であり、いろいろと頭を巡らせた挙句、結局彼女はあとで聞くという方向に落ち着けることにした。最低でも、当初危惧していた孤立無援の状態にはならなかっただけというだけで、テトはいくらか安心したのだ。

「すまない、私が無理に刺激してしまったようだ。本当に助かった、ありがとうノエル」

「い、いやいやぼくは……なんというか……」

 ノエルは途端に周りを気にするようなそぶりを見せると、ロラの耳元までやって来て囁いた。

「じ、実は…………ぼくも魔女に興味があるんです。ロラさんのように話をしたいとか、そういった具体的に何をしたいかとかはまだないんですけど、なんと言いますか、そう……神秘的、と言いましょうか。彼女たちがなぜああなったのか、欲に覆われた頭で何を考えていたのか、とても気になってしまうんです」

 周りの者たちに聞かれないよう声を殺しながら、徐々に興奮がその声色から漏れていくのを抑えられないという様子でノエルは語る。

「もちろん魔女は危険な存在だとは分かっています。この想いを打ち明けたら皆から軽蔑されるのも分かっています。ですが、この好奇心を留めておくにはここは狭いんです。テトさんとの接触もありましたが、声をかけるにはここは環境が良くなかったんです。――――そんな時、突然現れたロラさんがぼくと同じ方向の思いを大勢の前で語って、ぼくは……感動したんです。ここにも同志がいたんだって」

 ノエルはゆっくり身を引いた。一通り語り終えたのだろう。今になって、耳元で熱弁していたのが恥ずかしくなったのか少し赤くなっていた。

「じゃあノエルはなんて言うか……」

「つまりは私たちを利用してくれるということだろう。なんにせよ、ロラ、お前の仲間が増えたということなんじゃないか?」

「――!?い、いや決して、決っしてお二人を利用しようとか、するために助けたとかそういうわけではないんです!これはただ……その…………お二人に近づくいい口実だと思ったとか……すみません」

「フッ、正直でいいじゃないか、その方が信用しやすい。ノエルは確か、()()()だったよな。戦場に出るのならその分情報を集めやすい。もし村や街に出ることがあれば()()に関しての文献を探すのがいいだろう。と言っても当時の本はほとんどが触れれば塵になるような状態だろうから望みは低いが、ロラ(こいつ)と二人でやればまだ希望は持てるかもしれないな」

 テトは尻尾で後ろの女をぺしぺしと叩きながら言った。叩かれている方は満更でもなさそうな表情をしている。もはや構ってもらうだけでも嬉しいようで話をちゃんと聞いているのか怪しい、彼女こそこの話題の起点であり中心であるというのに。

「それにしても、ここの価値観に染まらずそんな思いを抱くとは、人の好奇心とは環境を凌駕するんだな。恐れ入るよ」

「そう、ですね。ですがこの好奇心は自然に生まれたわけではないんです」

 自身のパンの片割れをロラに手渡しながら白髪の異端者は言う。ロラはお礼を言いながら渡されたものを頬張った。見事に餌付けされている。

「ぼくの育ての親であるレイスに影響されたんです」

「レイス……ダルエニ以前に戦士たちを仕切っていたアイツがか……!?いや、そういえば奴が恐ろしく変わった奴だと噂は耳にしていたし、実際私に対しての関わり方も他の者たちとは違っていたが…………それに養子がいたとは。そういえば最近見ないがどうしているんだ?」

「それが――」

 静かな喧騒は、より大きな喧騒の到来で終わりを迎える。酒場の外、広場方向からそれは広がってくる。

「団長!ダルエニ団長!」

 血走った眼の男が扉を開け放ち店内までやって来た。あれはたしかテトたちを迎え入れた門番だ。

「ルザークか、どうした」

 ちょうどあとから酒場に戻ってきたダルエニが門番の声に答えた。肩には呑んだくれを担いでおり、取り上げた酒はもう片方の手で死守している。

「見つけたんだ!レイスたちが……あれを、あいつを…………」

 よほど緊急事態なのだろうか、あの強面の男が息を切らしてダルエニに(すが)り付いている。テトは巻き込まれないようにここを離れようとロラに耳打ちし、ノエルに別れを告げ酒場をあとにしようとしたとき、やっと門番は言葉の続きを口にした。

「見つけたんだ…………贖罪者、血の魔女グルーニィの住処を」

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