第十五話 秘め事と珍客 (一)
テトはバライジに敵わない。この老女は自身を産んだ魔女とともにテトのおしめを替えていた、そして魔女没後しばらくテトの面倒をみていた、謂わばもう一人の母に近い存在だった。そんな人物に逆らう性質をテトは備えていない。
「今日の具合はどうですか?」
「いつもどおりさ」
あれから数日後、毎日朝一にバライジはテトの部屋を訪ねるようになった。朝食の量や栄養の偏りまで確認してくる。一度ここまで来るのは老体に堪えるだろうと言ったのだが、ボケ予防になると軽くあしらわれた。
「そろそろ結界の状態を診にいかないと」
「この半年、それまで数日に一度でしたのに、どうして毎日確認するようになったのですか?それこそ体に堪えるでしょう」
「…………」
テトは言葉に詰まった。バライジのことは信頼している。だが、それでも。
「まだ、言いたくない」
危惧すべきことが多い。杞憂と思いたいが、もし事が起きたとき、自分では解決できると思えない。
「そうですか」
諦めとも受け取れる返事に安堵と寂しさを覚える。感情を悟られないよう努めていると、また老女が口を開いた。
「私はこの七十年一度も籠の外に出たことがない狭い世界の人間ですが、それでも魔女という種族が長生きをするものだと知っています。病気にもならないと知っています。――――貴女様のお母様は、私より十年早く産まれました。たった十年早く産まれたのです。しかし、今、あの方はいません。――――テト様、あの方が若くして亡くなられたのと、今の貴女様の不調には、何か関係があるのですか」
これは質問ではない。ただ、架空に呟いただけなのだと分かった。その推察を証明するかのように、老女は一言二言体に気を付けるよう言って部屋から出ていった。
一人になったテトは静かな部屋を椅子に腰かけたまま眺めた。母という存在がいたころと比べると、どこか物悲しく感じる。母に関しての記憶は少ない。そもそもテトが幼いころに死んだせいで、一緒にいた時間自体が少なかったのだ。それに、母は、テトの相手をほとんどしてくれなかった。
「結局、遺物から読み取れたのはさわり程度。分かってきたと思っていたのは、巨木から折れた小枝一本だけだったらしい。その後はこのとおり、少し不貞腐れているよ。…………母よ、私たちは戦前の魔女に遠く及ばないのかもしれない。結界は劣化の一途を邁進し、唯一それに繋がれた私たちはその性質を理解できず共に朽ちていく。凡庸な私にできることは、この身をできる限り長く保ち、次の世代にこの苦痛と絶望を受け継がせるだけなんだ」
――――そうだろう?それしか分からないんだから。
テトは壁に飾られたナイフに囁く。刃の中心に嵌められた赤い石を見つめる。答えが返ってくることなどないと知っているのに、もう何年も繰り返している。
小鳥のさえずりが遠くから聞こえる。日が昇り始めたのだろう。
テトは小さな重い腰を上げ、明日のために今日を苦しむ日々をまた始めるのだった。
銀騎士の存在はいい方向にも悪い方向にも影響を与えている。銀騎士が籠の周辺に現れるようになってから、結界の外に魔女やウイブを見かけることは少なくなった。その反面、こちらも魔女なので、敵視されているから迂闊に外には出られない。
ロラに関しての情報は手詰まりに等しかった。代わりに進んだものといえば、キャバルリーの隠れ里でくすねた資料から判明したことだろう。
西の山間の奥には地下に続く洞窟があり、その先には広大な地下墓地があるという。戦時中、絶え間なく増える死者を弔い、死体を安置するために元々あった囚人の収容所を改修して造られた大規模な集団墓地だと。そして、狂い、醜い姿となった焦土の魔女は、誰一人殺さずに半ば自ら地下墓地の奥底に潜っていった。
(人を殺さずウイブも創らず、自分が危険な存在になることをいち早く察して自らを閉じ込める。高尚な魔女だったのだろうか)
木漏れ日の下、テトは資料の内容を頭の中で整理していた。手にした手帳には今書いたばかりの結界の状態が記されている。
(いけない、今は結界の方を――――)
立ち上がろうとしたその瞬間、テトは口を塞がれ、体を拘束された。帽子が落ちる。
驚いて顔を上げたテトは、自身を拘束する人物を確認する前に動きを止めた。結界を形成する杭の向こうに銀色の甲冑を見たからだ。甲冑はじっと籠のある方を見つめていた。見えないはずだ。結界は機能している。それが分かっていても不安になる。
テトは瞼をきつく閉じ、平静を呼び寄せた。背中や頭の上から感じる柔らかな温もりと耳を撫でる金色の髪も、認めたくはないが安心感を感じさせる。
銀騎士は狂い魔女を見つけては殺しまわっている。その目的は分からないが、かなり長い間そんなことを続けている。それこそ、戦争が終わった直後からの可能性すらある。彼に、意思はあるのだろうか。それともただの操り人形なのだろうか。ロラと関わるようになってから、それまで外の世界を彷徨うのは全て化け物としか考えていなかったのに、生者であった一面の存在を認識してしまった。化け物にも背景があるのだと。また、見えないふりをするのは難しいかもしれない。削られていく心身を支えられるか、テトはもう分からなかった。
「行ったね」
銀騎士は森の奥へと消えていった。口を覆っていた手が離れるが、体は密着したまま離れる気配がない。
「ロラ、銀騎士……ジョバンニといったか、彼はなぜ魔女を殺してまわっているのか分かるか?」
温もりに包まれていたい欲求を抑え、抱擁を振りほどいたテトは帽子を被りロラに向き直った。
「ごめん、わかんない。なんか、思い出そうとはしてるんだけど、嫌な感じがして」
「嫌な感じ?それはどんな?これまでもあったのか?」
初耳の情報だ。
「たぶん、あったんだと思う。でも前までは気になるほどじゃなかったよ。いろいろと思い出せそうなときに、気持ち悪いけど気持ちいい変な感覚がして、それで考えるの止めちゃった」
ロラはえへへと頬をかくが、それってかなり致命的なのではとテトは思う。自分という存在が何か確認するためにロラは奮闘しているのに、肝心の記憶を取り戻せないなんて繋がりが絶たれたようなものじゃないか。
「はぁ……まぁ無理しないようにな。最近魔女たちの様子がおかしくなってきていることもあるから、私や向こうの人間たちも贖罪者に関しての情報を集めて精査を続けている。…………お前の時間は長い、急ぎでもないのなら、無理はしないことだ」
「……?うん、なんかみんな結構元気に動き回ってるのは十分わかったし、前ほどやらなきゃっていう衝動みたいのはないよ。もちろん無理しない範囲で急ぎたいけどね。でもそれよりもわたしは」
ロラは腰を屈めてテトに目線を合わせた。手袋を外し、テトの鼻の下を軽く擦る。赤く濡れた指を自身の服で拭うと、ロラは少しだけ冷たい眼つきをした。不意のことに、テトは息を詰まらせる。
「ねぇ、テトは無理してない?わたしのことすごく気にかけてくれるけど、あなたもいつもギリギリだよね。なにかしら終わりが見えてやってるの?それとも、わたしみたいにやらなきゃってなってるの?」
「何かしら終わりが見えて」、それはテトにとって痛いところだ。一瞬、全て打ち明けてしまおうかと迷う。しかし。
「確かに少し根を詰め過ぎているのかもしれない。実際お前には迷惑を掛けている。だが、結界の点検や魔女たちの調査は必要なことだ。なにせ、しれっと遭遇してしまったが、やはりモリーは生きていた。結界の鍵を拾われたかはまだ判明していないが、少なくとも彼女にある程度対抗できるような策と戦力は早急に用意したい。最悪籠が滅びかねないんだ。そうなる未来があり得るのなら、そうならないようある程度の無茶は必要だろう。もちろん、お前が外界で危険にあったときのための余力は残している」
事実だ。事実の半分を言った。テトは手帳をコートに隠しながら淡泊に言ってみせる。
ロラは拗ねた犬のように鼻を鳴らして顔を離した。詰めても意味がないと思ったのだろう。
尋問が終わったところでテトは、ずっと座って待っていた馬のスァルトに跨り、次の杭のもとへと向かった。
昼になると冬の寒さもいくらか恋しくなる。手袋の中が汗で濡れて気持ち悪いし、日差しも強い。油断していると項を火傷してしまったりもする。
「お前、裁縫やら何やらの仕事を手伝っているんじゃなかったのか?」
どういうわけか、ロラはテトの仕事に同伴していた。テトはただ馬に跨っているだけで、地上でロラが手綱を握っている。
「しばらくはお休みだって。なんか、お祭り?の準備が一段落したって。それまではすごく大変そうだったよ」
「そうか……もうそんな時期か。年に一回、籠の暦を次のものに替えるんだ。それを大々的に祝うのさ。酒や料理も振る舞われるし、私は詳しくないが楽器を奏でる者たちもいる。お前はきっと、かなり気に入るだろう。春の終わりから夏の始めの時期に数日行われるから、それまで大人しく待っているといい」
年に一回籠が郷里のように騒がしくなる行事だ。今年は隠れて酒だけつまもうかとテトは思う。
昼食を終え、作業を進める。手帳に書く内容は悪くなる一方だ。ロラの視線を感じるが、帽子のおかげで何を書いているかまでは分からないらしい。
「結界って、テトが維持してるの?」
ロラが隣まで来て唐突に言った。
「ああ」
「わたしはできない?」
「できない。籠を創造したバァニの血縁者で、バァニの魔石を填めていなければならない」
「填める?」
「私の胸に填まっている。まぁ、填まっているというより刺さっているが正しいのかもしれないが」
テトは手帳を閉じ、外套の上から胸の中心に手をやった。僅かな膨らみがあり、石のように硬い。この魔石を突き刺されたときの記憶や痛みは今でも鮮明に覚えている。これをテトに突き刺した瞬間の、母の声と冷え切った手の感触を忘れたことはなかった。あの母の役を、次は自分がやるのだとテトは不意に想像してしまった。血の気が引き、全身が冷えて吐き気がした。
ふらついたテトをロラが支える。支えるだけなら肩を持つだけでいいのに、テトの帽子が落ちるのも構わず抱きしめられる。籠の守護者になってから、胸に呪いを受けてから、こうして温もりを与えてくれる者はいなかった。
(温かい…………)
自分は間違っているのだろうか?という不安が血管を伝い全身に廻る。頼ってもいいのだろうか?代わりに無理をしてもらってもいいのだろうか?そんな、今までなかった考えが頭を支配していく。
気づけば、テトは囁くように声を上げていた。
「…………ロラ。バァニは天才だ。彼女の創造したこの結界は魔法という概念を超越していると私は思う。だが、時間という絶対的な概念には敵わないんだ。時間に負けた部分は直すか、他の部分が補わなければならない。直るまでか、要らなくなるまで補い続けるんだ………………………………っ、ロラ――」




