第十四話 遭遇 (二)
「あいつら、何してる?」
隠れ里を出てしばらく、木々の生い茂る森を目前にしてダルエニは呆れたように呟いた。その視線の先にいるのは、低木と密着して息を潜め、その向こうを覗き込んでいた金髪と猫、そして馬。
(先頭のやつから話を聞いて来てみれば、なんだってまたあいつらと関わらにゃならねぇんだ)
先を急ぐ隊列の先鋒から「籠の魔女が怪しい行動をしている」と伝えられたのだ。戦士、というよりも郷里の人間にとって、魔女は敵だ。幽居の籠の魔女がいくら例外だと訴え続けても、それを受け入れる者は少ない。共に行動し貢献したとしても、『魔女は仇敵』という根を取り除くのは容易ではないのだろう。だから魔女を発見した先鋒は、自分の許容範囲を理解し、団の長を頼りにすることを選んだ。感情や虚構に囚われ盲目に刃を向ける人間と比べれば上々の判断だ。
後方で待機している団員たちに要らぬ心配をさせないよう、ダルエニはさっさと終わらせようと愉快な人外三人衆に近づいていった。始めに振り向いたのは猫。次いで馬と金髪がダルエニに気がついた。三人衆はダルエニに気づくないなや、「しゃがめ」「静かにしろ」とジェスチャーを送ってくる。不穏な気配を感じたダルエニは素直に従い、乗っていた馬に少し離れるよう伝えて近づいた。
(何か、いる)
身をかがめる馬の背後からその向こうを覗き見ると、道のど真ん中で黒いものが鹿の死骸の前でもぞもぞと動いていた。
(っ!?……魔女)
黒づくめの魔女だ。無秩序に伸び荒れた黒髪で顔を見ることはできないが、着込んだ姿からでも小柄だとわかる。子どもの狂い魔女だ。
ダルエニは目を細めた。子どもの狂い魔女は珍しい。そもそも魔女は個体数が少なく、かつ長寿であり、種族を増やすこともできない。故に相対的に子どもの魔女自体少ないのだ。加えて、魔女であっても子どもは未熟だ。狂って人を襲えば相応の報復にもあう。
黒づくめの魔女が突然、灰色の石の塊を鹿の頭に突き刺した。
「…………哀レナ…………死ヘノ恐怖ヲ…………共ニ…………」
ここからではよく聴き取れないが、何か唱えているようだ。魔法かと警戒したが、魔女の声が止んでも何か起こることはなかった。
「マタ…………カ…………オ前……名ハ……」
魔女は何か言うと鹿の死骸から離れた。その直後、死んでいたはずの死骸が四肢を暴れさせ、膨張していった。
「っ!そうだ、クレアの弟をウイブに変えた魔法だ!」
金髪が小声で言った。つまりは厄介者が目の前で生まれたと。…………籠の住民がウイブにされる瞬間を見た?そんな状況限られている。少なくとも金髪が目撃したとなると、ダルエニが籠の状況から聞いた限り思いつけるのは…………。
「奴は?」
嫌な予感を胸に相手の正体を尋ねた。
「影の魔女モリー、規格外の化け物だ」
ダルエニは不運続きの今日という日を呪った。
「逃げるぞ」
猫の意見にダルエニも同意する。だが、不運続きの今日はまだ、夕刻にもなっていないのだ。
鹿のウイブが慟哭しながら起き上がった。尋常ではないそれを聞きつけた戦士たちが音を立てながらダルエニのもとにやって来る。それは自分たちの仲間に危険が迫っていると判断しての至極当然の行動だった。至極当然で、だからこそ止めようがなかった。
黒づくめの魔女が振り返り、一瞬驚いたように口を動かすと、次の瞬間には歓喜を表すように歪めた。
「団長!!」
「来るなぁぁぁァァァ!!!!贖罪者だ!逃げろ!!!」
「ステラ行け!崖を降るんだ!」
ダルエニは両腕を振り逃げろと叫ぶ。猫と金髪は青白い猫を乗せた馬を崖の下に降らせると魔女の前に飛び出した。金髪たちは魔女だ。魔法に対抗する術を持っている。迷う間もなくダルエニは背中を向けて走り出した。待機させていた自分の馬まではまだ少し距離があった。
「アブルティ・エヴァ・エン・ペアー、カラント・イェト……」
影の魔女が魔法を唱え始めた。長々とした詠唱だが、途中にも拘わらず魔女を中心に円状に地面を影が這い広がっていく。
「望郷の光!」
金髪が刺剣の先から魔法を放ち牽制をするが、影の魔女は無詠唱でそれを真っ向から弾き、魔法の詠唱を続ける。
「ジーセ・ウト・ルーフ・ウト……」
地を這う影はダルエニにまで届いた。それでもまだ広がり続ける。状況を察した馬がダルエニのもとまで走りその背に乗せた。
先鋒の数人が騎乗したままダルエニの隣を通り過ぎ突撃する。一人は時間を稼ぐと言った。一人は構うな、走れと言った。一人はじゃあな、先に英雄になるわと言った。突撃していったやつらは皆、相手が誰かを理解し、未来を悟ってなお行動していた。ダルエニもできるならそれに混ざりたかった。だが、自分は今、彼らに託された側なのだという理解と理性がそれを抑える。
「ルド・クニス……」
影は広がり続ける。先へ先へと伸び、人の範疇に収まるダルエニにはどうすることもできない。ただ幸いなことに、突撃した数人以外の戦士は範囲外に逃げることができていた。その中にはエルの姿も見え、変に安心する。
「ダルエニ!」
名前を呼ばれ振り返ると金髪が地面を蹴り馬にも勝る勢いで跳んで来ていた。範囲外まではまだ遠く、ダルエニは猫に賭けて馬を止めた。
向こうでは戦士が一人魔法に射抜かれ馬から転げ落ちていくところだった。他二人は頭の裂けた鹿のウイブに足止めされている。魔女の魔法を阻止しようとしているが、軽くあしらわれている状態だ。装備自体は万全だ。遭遇戦の戦術も郷里の外に出る前に叩き込まれている。しかし、この広い大陸の内で現存するたった五人の規格外の内の一人に遭遇するとなると話は別だ。ただでさえ不意の戦闘、血の魔女の時とは準備の規模が違う。
ダルエニは今日という日を呪った。
猫と金髪がダルエニに追いつく。
「――――ザ・シャドウ・オブ・デマイ…………」「猫の集会!」
ほぼ同時に二人の魔女が魔法を発動させた。地面を埋め尽くす影から身の凍る寒気を感じた直後、ダルエニはパニックを起こした馬から転げ落ちた。
「これ以上待つわけにはいかねぇ」
「ああ、いくら日が長くなってきたとはいえ、傾いてくれば後はあっという間に暗くなるだろう」
「何でまだ俺といるかと思えば、お前らも来るのか?」
「見殺しにしたら寝覚めが悪いだろう。それに、影の魔女の魔法の跡を見たい」
「ふん、冷酷ぶりやがって」
影の魔女が展開していた魔法の範囲内であったダルエニたちだが、直前で猫が唱えた魔法により、崖を降らされた馬のもとに転移することができた。馬から転げ落ちたダルエニを、転移先の無垢な猫が迎えのは二十分前になる。
「モリー、やっぱりわたしのこと分からなかった」
金髪が落胆したように呟いた。金髪は元々魔女が狂う直前の戦時に生きていた、または生きていた魔女の記憶を有しているという。金髪的には自分は生きていた本人であり、当時共に戦った贖罪者をどうにか正気に戻したいとかなんとか考えているようだ。と、言いつつも、障害になった血の魔女をその手であの世に送ったのもこいつなのだが。その点、一応味方という認識でいいのだろうが、正直、猫とは別にみている。
猫が金髪を不器用に慰めるのを背中に聞きながら、ダルエニは崖を迂回する山道から顔を出した。人も動物も、魔女も見当たらない。
「ステラ、お前はここで待つんだ。何か危険を感じたら、構わず籠に逃げるんだ。ロラ、またモリーに会ったとしても、語りかける時間は少ない。もしモリーが魔法の兆候を見せたら、私はお前がチャンスだと思っていたとしてもそれを潰して連れ戻す」
一番ちっさいやつが指揮棒を振る姿は少し滑稽に思えた。だが、結局は結果次第だ。結果で淡く抱いた滑稽という感想をいくらでも覆せる。ダルエニは一瞬後ろを振り返り、また、前を見据えた。
影の魔女はいなくなっていた。そして、あるはずの戦士の死体もそこにはなかった。代わりにあるのは、動かなくなった鹿のウイブと、魔法に射抜かれていた戦士の血痕のみ。テトはロラの肩の上から辺りを見渡した。
「あの二人は?連れ去られたのか?」
モリーと聞くと…………やっぱり生きていた、という予想はしていたがあまりに恐ろしい事実は一度脇に置いておいて…………テトは以前籠から抜け出した少年のことを思い出す。家畜が逃げたとはいえ、結界の外に出てはいけないという言いつけを破ってしまった。言いつけ程度では、好奇心の塊ではある子どもを縛ることは難しいのだと実感した出来事だ。あの件で、目撃者、つまり姉であるクレアの話によれば、黒い頭巾を被った背の高いウイブが瞬く間に弟を攫ったという。戦士たちの痕跡が無いのを考えるに、おそらくその黒頭巾に運ばれたのだろう。ただ、どこにいたのか、抵抗の形跡がないのも引っかかった。
ダルエニは仲間を探しにキャバルリーの隠れ里に向かって行った。単身危険だろうと言いかけたが、そもそもそんな馴れあう仲でもないという意識がそれを抑えた。口の中で持て余した言葉を、テトは道外れの藪の中をかき分けるロラにぶつけた。
「ロラ、休んでいる間、何か見つけたか?」
「うん。テトが予想してたとおり、ラーのことが書いてある本あったよ」
そう言ってロラは鞄の底から長方形の革で挟まれた紙束を取り出した。本というにはあまりに薄いが、貴重な情報源だ。隠れ里があるのは籠や郷里よりも西で、山岳地帯の入り口でもある。昔からここより北の岩山や峡谷で焦土の魔女の出没が確認されている、というのは以前郷里の記録の中で確認していたから、もしかしてと思っていたのが当たった。ここに住んでいた者たちは、焦土の魔女の情報を集めていたのだ。
郷里はこれを回収しなかった。つまり向こうでは既知の情報なのだろう。残念なのは部外者である自分たちが見る手段がないことだ。再び記録館に入れてもらうのはダルエニの苦労を見るに、ほぼ不可能だろう。
本当に、対立とまではいかないにしても、この垣根はどうにかならないのだろうかとテトは思う。
それと、無心に藪を漁るこの魔女も。
「ロラ…………」
「ねぇ、これ見て」
ロラが手のひらに何かを乗せていた。小さなつぶのようなものだ。
「虫?」
黒の手袋の上には小さな甲虫の死骸が三つあった。どれも潰されたり鳥に食べられた形跡もなく、天寿を全うしたような綺麗な状態だった。
ロラはさらに奥へ進む。
「あの、坑道の時と同じ」
「同じ?」
「うん。テト、何か聞こえる?」
「いや、何も…………っ!何も、虫や鳥のさえずりすら聞こえない……」
そうだ、静かすぎるのだ。生物の息吹が周囲から感じられない。ヘリトラが両足を失うことになったあの坑道も同じだった。あの時は単に、動物たちが殺されたり、本能的に逃げたのだと思った。洞窟性の虫もたまたま皆眠っているのだろうと。だが。
雌鹿が横たわっていた。ロラが確認するが、とうに事切れていた。健康な状態から、まるで、突然病に罹り心臓が止まったとしか思えないような、綺麗すぎる死骸だった。
「わたし、こんな魔法知らない。モリーは影を使うけど、絶対痛そうな魔法だもん」
「そうか…………」
山道に戻るロラの上で、テトは酷く眉をひそめた。これは、自分のお得意な妄想なのかもしれない。そうであってほしいが、今のところ妄想を否定する材料をテトは見つけられなかった。
「エル大丈夫かな?」
「心配ないさ。ダルエニも合流して、そのまま隠れ里に一晩泊まるようだし」
あの後、テトたちもキャバルリーの隠れ里に向かうと、ダルエニに加えて生き残った戦士たちも見つけた。テトはダルエニに近づくと、「出会えば即死だ。人も動物も関係なく。モリーはおそらく住処に戻った」とだけ伝えた。それを聞いた団長さまは、守護者と同じように酷く険しい表情をした。
「今お前が心配するべきなのは無事に帰れるかだ。私が猫目で見て警戒はするが、もう明かりが無いと足元も危ないだろう」
「ん?」
「ん?」
「いや、もう着くよ。テト山を下りた後同じようなこと言ってたけど」
「え?…………あ、そうか……いや、すまない」
「ぜんぜん。わたしが戻ったらゆっくり休んでね」
「ああ、そうさせてもらおう」
十数時間ぶりに、自分の目に映る景色を見た。軋むのは長年使い古した椅子と腰だ。
「っ、まったく」
鼻血が出ていたのに今の今まで気が付かなかった。着替えたいが、腰が重い。気分も重い。
(明日は結界の確認と、以前土の中から回収した遺物の解読の続き。まぁ、いい感じに進んでるし、あれを解読できれば結界の修復法の有力な足掛かりになるだろうから、頑張らないと。…………ああそうだ、今日ロラが回収してくれた資料も受け取りに行かないと)
鼻血はとっくに止まり乾いている。今更急いだところで…………。
「まぁ!?テト様その血は!」
テトはびくりと身体を跳ねさせた。いつの間に、籠の医者であるバライジが部屋の入り口に立っていた。
「扉を叩いても返事が無いので見てみれば…………いったいどうしたのです?」
「え、あ、いや…………」
これは少し面倒くさいことになったなと、テトは張り付いた血を剥がしながら思った。




