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第一話 魔女と魔女と魔女

 魔女とは悪魔と人間の両方の血を持つ存在である。魔女は人の世界の中で悪魔の知恵である魔法を操り、人智超越を起こす。悪魔が常世(とこよ)に現れない以上、魔女の存在は人の世で神に近しい存在であり崇め奉られ、同時に畏れられた。――――だがそれも、今となっては太古の昔の話である。



 脱いだ服が半分水に浸かり、そんなこと気にも留めず魔女は姿見の前で自分の姿をまじまじと観察していた。上半身を軽く捻り、背中の()()が見えるように。

 肩甲骨の下縁辺りから生えるその醜い羽は悪魔譲りのものだ。広げてみると腕より一回り大きい。羽毛がなく見た目は蝙蝠(こうもり)のそれに近く、歪な形で穴すら開いている。骨は通っておらず、肉と皮が少々。関節がないので普段はボロ雑巾のようにしわくちゃになって折りたたまれており、意識したり興奮すると血が巡りその全景を現す。

 自分の一部だが、魔女は(みな)自身や他者のそれに大きな嫌悪感と羞恥心を覚える。この魔女もそれは例外ではなかった。鏡に映る恥部よりも、髪に隠れた豊かな乳房よりも、背中の羽を見せたがらない。

(まるで魔女として産まれた罰みたい、自分の体だけど……自分の体だから……?)

 魔女は一人考えた。先ほど観た記憶を、そこから推測される、自分がなぜあの場所に死体の山のなか眠っていたのかを、大切な()()の所在を。だがそれも、外から漏れる喧騒によって遮られた。

 魔女は水路で濡らした布で軽く体を拭き、用意された服に着替えを終えて部屋を出た。

 中央の泉の傍にクレアを含め数人の人だかりができていた。そしてその中心には一人の帽子をかぶった少女がいた。

 円形に広く薄い笠とその中心から垂直にのびる先の折れ曲がった円錐のとんがり。体全体に余裕で影を落とす大きな帽子をかぶった少女は、クレアからなにか熱心に話を受けていた。そんなクレアはまた感情を乱しているようで身振り手振りが大きい。会話の内容はどうやらヘリトラのことのようで、魔女は近くまで話を聴きに行くことにした。

「クレア、どうしたの?」

「あっ!あなたずいぶん長くて心配し――」

「全員離れろ!お前は何者だ、どうやって入ってきた!」

 少女は突然叫び、右手に持っていた腕ほどの長さの白い棒を魔女に向けて言った。先端には赤黒い光沢のある石のようなものがはめ込まれ、薄く光を漏らしている。魔女はそれが魔法を使うための触媒である杖だということを理解していた。

 不意に現れた見知らぬ女に、少女は臆することなく帽子の影から覗く赤い眼光で睨んだ。魔女は突然向けられた敵意と少女の気迫に気圧され言葉を紡げなくなってしまった。

「テト様待って!この娘はね――」

 クレアが間に入り事情を説明し始めた。どうやらヘリトラのことでいっぱいで、拾ってきた魔女のことを話していなかったらしい。その間も少女はこちらから目を離すことなく、あからさまに警戒していた。簡略的な説明を受けた少女はそれでもなお警戒を緩める様子はない。

「――――つまりヘリトラが、死にかけてた素性も知らないこいつを連れ込んだと。無警戒にも程があるぞ……おい、お前名前は、ってまだ思い出せてないか。どこから来たとか何しに来たとか、自分のことで何かわかることは」

 高圧的な少女に対し、記憶を観る前の女であったら怖気づいて言葉が出なかったかもしれない。だが今は自身が魔女であり、何か使命を持った存在であることを知っている。魔女は胸の中で燃える使命に背中を押してもらいながら少女の目を見た。

「名前は……まだ思い出せなくて。ただ、一つ思い出したことがあって…………わたしが魔女だっていうことだけ」

 彼らについての記憶はまだ自身でも整理しきれておらず、魔女は確信的なその事実だけを言った。と言うよりも、それしか言うことが無かった。しかし、言葉を切ったその瞬間、その場の魔女以外全員の表情が強張り、人々が大きく後ずさりをする。優しくしてくれていたあのクレアでさえも。そして目の前の少女は再び魔女に杖を向け、今にも魔法を放とうとしている。小さな体から溢れ出る殺気に魔女は身を縮めることしか対抗策がない。一瞬で張り詰めた空気と向けられる殺気や視線は小心者の魔女にはよく応えた。

(もしかして……なにかまずい状況、だよね……)

 あきらかにまずい状況だった。杖の先の光が強くなり、それに伴い帽子の下で赤い輝きも強まる。徐々に心臓の鼓動が主張激しく騒ぎ立て、その拍動が耳にまで届く。

「ま、待って!どうしてそんなに皆怖い顔するの。クレアもなんで……」

 そこで魔女は治療中にクレアから聞いた話を思い出しハッとする。まさか、自分は化け物を生み出す魔女と誤解されたのかと。

(そ、そんな!)

 クレアはさらに身を引いた。その瞳にはついさっきまで魔女自身が宿していたものと同じ恐怖が見える。言いようのない悲しさが伸ばしかけた手を止めた。

 (わたしは今殺されるかもしれない)、そう魔女の理解が追いつき呼吸が荒れる。だが言葉を発し戸惑う以外の為す術(なすすべ)はない。

「お前に何か目的があってヘリトラに接触し、この()に来たのなら、このまま為す術なく殺されることはないだろう。武器を取り、抵抗すればいい」

 今、魔女(ひと)を殺そうとしている少女に迷いは見えない。それどころか、絶対的な悪を今すぐにでも打倒さんとする使命感のようなものまで感じ取れる。

 魔女はただただ訳が分からなかった。魔女というだけでこんなにも周りの態度が急変したことが、そして目の前の少女も明らかに魔女ではないのかと、だったら他にもいい魔女がいてもいいだろうと。怒りよりも困惑の方が勝り、しかし無情にも、少女の赤い輝きが最高潮に達した。

猫だまし(イム・ト)

 少女が魔法を唱えた。杖の先から青い閃光が閃き、反射的に体を()らして縮こまった魔女の腹を貫いた。冷たい感覚が腹から背中へと抜け、その後に焼けるような痛みが――。

(………………?)

 いくら待っても想像していたような痛みはなく、それどころか何の痛みもないことに疑問を持ち、恐る恐る目を開いた。地面には真っ赤な血が飛び散っているわけでもなく、体に穴が開いていることもなかった。

「お前、本当になにかやましいことを考えてここに来たわけじゃないのか」

 少し呆れたような表情の少女は、わずかに肩を落としながらそう問うた。

「そう、なはず」

 最低でも自分にはそんな力も意思もないと付け加える。状況がいまいち飲み込めない魔女は身構えたままの姿で、間抜けに答える。

「も、もう!だから言ったでしょ。この子はただ危ないところを助けられただけだって」

「その状況自体がまず不自然なんだ、武器も持たずに外を彷徨うなんて……平和ボケにも程がある。…………ハァ、お前、今殺されると思っただろ、表情から丸わかりだ。そのアホ面はなかなか演技では出せないだろう」

「………思ったよ」

 あんな殺意を向けられたら誰でもそう感じてしまうだろう。魔女は状況から察して、試されたという事を理解する、その方法が方法ではあったが。今は騙された怒りよりも困惑が勝っている魔女は、そのまま静かに少女の声に耳を傾けた。

「だが、隠していた武器を取り出すやら飛び掛かってくるとか、反撃しようとする素振りもなかった。まるで赤子だな、ヘリトラに拾われるまでよく生きていられたもんだ……。お前は嘘つきだが、まぁ、害意はないとしておこう。今は追い出さないでやる」

 そこでやっと口の悪い少女は杖を下ろし、あからさまな警戒を弱めた。

「お前、しばらくここにいるつもりか?」

 目の高さは圧倒的にこちらの方が高いのに、魔女は見下ろされているように感じた。

「そう……なると思う。あなたたちがいいって言うなら、ここにいさせてもらってもいい……?」

 魔女はたどたどしく、まるで子供のように言う。使命に気づいた直後の強かなきもは、もうずいぶん柔くなっていた。

「まぁ、いいだろう。それじゃあ一応、お前はここの住民として仮ではあるが受け入れてやろう。……一応、ここの守護者として名乗ってやる」

 そう言って少女は、泉の縁で音もなく素顔を隠していた帽子を脱いで見せた。

 青い月と泉が背後で彼女を照らす。

 足まで伸びる長い白髪は静かに揺れ、頭頂から毛先にいくにつれて透き通った青色へと変化している。今宵の月色とそれを反射して淡く輝く泉の色をした美しい髪だ。その下に隠れる宝石のように輝く澄んだ空色の右目と、不自然に血の色に染まった赤い左目。けだるそうな、冷淡そうな印象を与えるジト目だが、瞳からは彼女の芯の強さが窺える。肌の露出は顔以外にはなく、体の輪郭は分からないが、身長からしてとても小柄だろう。見た目はまだ十五にも満たないが、身にまとったその体には大きすぎる外套(がいとう)と彼女の堂々たる立ち振る舞いによって、彼女の言う守護者たる威厳を十分に発揮していた。

「私の名はテト、この安住の地、”幽居(ゆうきょ)(かご)”の守護者であり、()()()()()だ」

 美しい絵画のような神秘的すら思える彼女の姿にしばしば見とれていた魔女は、その言葉を聞いて驚きを隠せなかった。

「ま、待って!最後の魔女って」

(そういえばさっきわたしのことを嘘つきって)

「そのままの意味だが?まぁ正確には、()()()()()()()()()()最後の魔女だ」

「まともな理性……?」

「あぁ、だから自分は魔女ですなんて見え透いた嘘をつかれてもな」

(嘘だと考えていたにしては殺気がすごかったような……って、そんなことよりもあの子の誤解を解かないと。記憶のことを探るにはきっと魔女のあの子が必要になるはず。でも、今わたしに自分が本当に魔女であることが証明できるものなんて…………)

 魔女には当てがあったが、どこか複雑そうな表情であった。それでも誤解を解くことを優先したらしく、しばらくもごもごと口を動かした後、ようやく口を開いた。

「いや、わたしはほんとうに魔女で、証明も……一応…………できる……」

 徐々に語尾が小さくなったのは自信がなかったからではない。今できる証明の手段が魔女が恥じらう()()を見せることだからだ。なにかを察したのかテトの目が鋭くなる。

「…………背中を向けろ。服は脱がなくていい、余計に動くなよ、私はまだお前を完全に信用したわけじゃないからな」

 魔女は杖を低く構えながら近づいてくるテトにおとなしく背を向けた。服の裾から入る小さな冷たい手が背中に触れ、徐々に背中を伝い上がる。わずかに体を震わせながら耐えていると、細い指がついに羽の付け根に当たった。それの存在を予想していなかったらしいテトは、伸ばしていた手を勢いよく引っ込め、まるで未知のものに触れたかのような反応をしている。

「ほ、ほんとうにあった――。だ、だが……なぜ?今になって言葉の通じる魔女がどうして――!?」

 守護者の(かお)から少女の顔になり、驚きを隠せないテトに向き直り「でしょ」と若干不機嫌さを魔女はあらわにする。不機嫌だが羞恥で顔も耳も真っ赤だ。だが少女の威圧が消え、そのまま調子に乗り一転攻勢と見たか、魔女は小さな魔女に怒涛に質問を投げかけた。

「ねぇ教えて、まともな魔女がいないって、ほかの魔女はどうなったの?それに外の魔物は、この籠っていう場所はいったいなんなの?この世界はいったいどうなってるの?あなたも、魔女なんだよね?」

 テトは魔女がある単語を口にした瞬間、わずかに驚いた表情をした。

「…………わかった教える。だが、そうだな……お前が本当に魔女だとすると先ほどと少し話が変わる。私の監視の下、一つ言うことをやってもらう。でなければ話もここに住まうのも考え直す必要がある」

 守護者に戻ったテトは杖を下ろし、腰のベルトに挿した。そして魔女にある条件を出してきた。魔女の抱える疑問に答えることを交換に。だがそれは、魔女本人はもちろん、傍で聞いていたクレアも難色を示す内容だった。

「お前を助けたヘリトラ、あいつはお前を保護したあと無理を押し切ってすぐにここを発った。いくら英雄の娘とはいえ人間だ、三日もろくに休まず剣を振るえば疲労が溜まっているだろう。それは彼女の命に直結する問題だ、だから――――」


「ヘリトラを連れ戻してこい」テトの言ったことはつまり、また恐ろしい化け物たちのいる世界に飛び出し、ましてや正確な居場所もわからない一度しか会っていない人間を探せということだった。そしてもちろん自分もヘリトラもそこから無事に帰らなければならない。

 魔女は外の世界にすでに恐怖を感じていた。死ぬ思いをしたのだからそれは当然の反応である。だが、引き受けた。

 恩人であるヘリトラにもしものことがあってはならない。できるのなら彼女の力になりたかった。一度拒絶されたが、クレアに対しても魔女はまだ好感的であり、彼女を喜ばせたいと思ってもいた。そして、テトと名乗る魔女から話を聞くためにも。

「さっきは本当にごめんなさい、私自身、あんなに怯えるなんて自分でもびっくりしちゃって、あなたを傷つけちゃったかもしれないのに」

 魔女は考えていることが直ぐに顔に出るが、それはクレアにも言えることで、明らかに落ち込んでいることが見て取れた。

「全然だよ、わたしは気にしてないから。だって何もわからないわたしのことをあんなに安心させてくれたんだもん。クレアはわたしの事を考えてくれるいい人だからね」

「そう……?まあ、そう言ってくれるととても気が楽になるわ、ありがとう。にしても」

 クレアはまた表情を曇らせた。

「本当に大丈夫?まだ断れるかもよ。断るなら私も手伝うわ」

 洞窟の出口、背の高い木々の生い茂る森の入り口でテトに待つよう言われ、魔女はクレアに着替えなどの軽い身支度を手伝ってもらいながら待機していた。服もクレアから借りたものではなく、男物の黒いズボンに袖にフリルのような布が縫われた白い前ボタンのシャツ、と、ザ・在り合わせ、といった風貌だった。

「まったくテト様ったら……普段はあんなに強引な人ではないんだけれど」

「そ、そうなんだ…………。まぁ、でも、クレアはヘリトラや弟のことも心配でしょ?」

「それは心配よ!心配でおかしくなりそうなくらい。だけど……でもあなたは怪我人よ、それに怖くないの?また襲われたらって」

 ロラは表情を曇らせた。危惧していることをまんま言われたのだ。

(怖い。けど……なんだろうこの気持ち、まるで誰かに背中を押されてるみたいな……あの暗い世界、記憶?のなかでわたしはあの影からなにかを受け取った。それの影響?この……小さくて……でも揺るぎない炎のようなこの感情も)

「ロラ?やっぱり怖い?」

「ううん、大丈夫」

(この感情はなにかを成し遂げようとしてる?でもわたしには……今のわたしにはそれがなんなのかわからない……行き場が見つからないこの衝動、いったいどうすれば……………………ん?)

「ロラ?」

 間抜けな声を出して顔を上げた魔女に気づいたクレアが微笑む。

「あなたの名前。約束したでしょ。見て、この植物からとったの」

 そう言ってクレアは魔女の腰に付けたばかりのポーチから透明な小瓶を取り出した。中身は緑色のドロドロとした粘性のある液体が入っており、表面に植物の絵が描かれた紙が貼られている。

「ロラキートっていう植物でね、綺麗な金色の花を咲かせる花なの。暗いところだと花弁が光って周りを照らしてくれるし、茎をすりつぶして傷口に塗ると止血を助けてくれる効果があって治りも速めてくれるの、根っこは真っ赤で毒があるけどね。――――まぁつまり、あなたのキラキラした綺麗な髪と、記憶の傷が早く癒えますようにっていう意味を込めて考えてみたんだけど――どう?」

 そう早口気味に説明を終えたクレアは少し照れくさそうに聞く。

「っ……!!ありがとうクレア……大切にするよ!」

「ちょっちょっとロラ!?……ウフフ、どういたしまして」

 新しく授けられた自分の名前にロラは、心底嬉しそうに笑ってクレアの柔らかい体に抱きついた。一見クールな印象を与えるロラの無邪気な表情は、元々の美しさと相まって、同性のクレアでさえも見惚れるほどであった。また、その感情を全面に出す大胆さも、いくらか心臓に悪い。ついさっきまでの儚げで震えていた女が、今は一時の感情を爆発させて抱き着いているとは、同じ人物だとは想像もしずらいだろう。

「よかった、気に入ってくれて。――そういえば着替えたときから雰囲気とか口調もなんだか丸くなって、まるで人が変わったようなみたいだけど……」

「そう……かな、たぶん魔女だって記憶を思い出したからだと思う。昔の自分の記憶を見て…………あれ?」

(記憶の中のわたしってこんな感じだったっけ?なんか違うような気もするけど、でも、なんかこれが自然な感じだなぁ)

「……?じゃあ、昔のまねっこ?もしかしたら他の記憶を取り戻すには大事なことなのかもね。明るくて好きよ」

「そう……かな……?そう……だね、きっとそう」

 クレアの言っていることは半分当たっているような気がしないでもなかったが、ロラはそれ以上考えるのを諦めた。ただ、身体の内側で燃える意思とは裏腹に、この振る舞いはなんだか身体に合っている気が彼女はしていた。

 あらかた準備を終えたところで視界の端で青白い何かが通り過ぎた。視線だけで追うとその青白い何かは猫であることが分かった。猫は隠れるわけでもなく、むしろ堂々と地上にむき出した木の根の上に座り、まばたきもせずこちらを見ている。しかも森の中をよく観察してみると、どうやら一匹だけではないようだ。

「クレア、あの猫たちは?」

「あっ!もうほんとテト様ったら――」

「私がなんだって?」

 その声の主は洞窟ではなく、木々の間を抜けてやって来た。背後には馬が一頭彼女の帽子の上から顔を覗かせ、手綱は彼女の手に握られている。

「テト様いくらなんでも」

「言っただろ、私はこいつをまだ信用していない。監視をつけるくらいするさ」

「監視?」

 テトが軽く片足を二度鳴らすと森の中から先ほどのを含め三匹の猫が姿を現した。どの猫も青白い体をしている。まるで生きているのかさえ怪しい猫たちはテトの足元まで来ると思い思いにくつろぎ始めた。

「『霊猫(イム・オス)』、私の魔法で生み出した眷属たちだ。私はこの猫たちと視界や音などあらゆることを共有できる。外ではこいつらを通してお前に指示を出す」

 半透明の可愛らしい猫たちが応えるように「ニャー」と鳴いて見せた。

「テト様この子は、ロラは怪我人よ、やっぱり考え直せないかしら」

「じゃあお前が行くか?五分ともたないぞ。それとも何もせず待つか、ヘリトラを盲信して」

「っ……」

 矛先の向けられたクレアは言葉に詰まった。自分の生存能力がどれほどか理解しているのだろう。

「クレア、私はお前たち籠の人間が危険にあうことを許さない。それに比べこいつは危険度の分からない不穏分子だ、どこから湧いてきたかも分からない怪しい存在。だったら話を聞けるうちに都合よく使わせてもらう。それに怪我をしていても魔女だ、最低でも戦闘経験のない人間よりかはチャンスをつくれる。そしてこいつは私と取引をしているんだ。こいつは私から信用と情報を、私はヘリトラの安全を、だろ」

「問題ないよ、行けるよ」

 そう、これは取引なのだ。テトから情報を得るための、ロラの胸の内で燻っている炎の意味を知るための。

「……これを羽織れ。あとこいつも」

 馬の背に乗せていた布と帽子を渡された。布はロラには少し小さめの黒いローブだった、厚い生地はある程度の防御力を持ち、防具の一切を身に着けていない身にはありがたかった。そして帽子はテトの被っているのと同じような魔女を象徴する形状をしている。

「魔女は日光に弱い、陽を浴び続けると数分で動けなくなる。そのくらいは覚えているか?今はいいが朝日が昇り始めたら被れ。必ず返せよ」

 ローブを羽織り帽子を馬の鞍に固定する。腰のポーチにはロラの名前のもととなった花の薬、包帯に乾燥させた果物などの携帯食料その他もろもろ。準備は淡々と進んでいく。

「馬には乗れるか?」

 黙々と作業を進めるテトが目も合わせずに聞いた。

「わかんない」

「そうか、じゃあ乗れ」

 有無を言わさぬ問答に驚くクレアを背中に感じながら、手綱を渡されたロラは勢いに任せて馬に跨った。すんなり乗れたことにクレアが後ろで驚き、ロラも内心で驚いていた。馬はおとなしい性格なのか暴れることはなく、ロラ一人の体重などものともしない。

「…………私の霊猫(れいねこ)は人や動物に憑く。今はお前とこの馬、スピカに憑いている。霊といっても物質をすり抜けたりとかはできないから、くれぐれもこの子たちを置いていったりするなよ」

 静かな森の入り口で馬の鼻息と服のすれる音、テトの平坦な声だけが風に流れる。

「場所の目処はついている、霊猫から私が指示をする。なにか質問は?――……いやなしだ質問は受け付けない。そして最後に――――魔法の使い方はわかるな」

 そう言ってテトはロラの腕ほどの長さの杖と短いナイフを取り出した。

 ――覚えている。ロラは知っている。杖の使い方を――

 頷いたロラを確認したテトは表情こそ変えていないものの、どこか躊躇っているような、そんな雰囲気をごくわずかにさせた。内心でこの素性の一切を知れない魔女に大切な杖の一つを託してもいいのかと不安になったのかもしれない。しかし、すぐにテトは結論を出したようだ。

「腰のベルトに挿しておく、このナイフも。指示を出すまで触れるなよ、いいな」

 馬に跨ったロラのローブを退け、革製のベルトに武器を挿すために背伸びをしながらテトは忠告する。

「ロラ……行くのね……」

「大丈夫だよクレア、わたしは大丈夫、ヘリトラも。それに弟は大事なんでしょ」

 それは虚勢だった。本心ではなかった。なぜなら震える手を必死で隠していたからだ。本当は怖くて仕方がなく、到底大丈夫とは思えなかった。しかし、不思議と覚悟は決まっていた。

「準備はいいか?」

 手綱を握りしめ覚悟を決める。前を見据え力ずよく頷いた。

(怖い……、けど、行かなくちゃ!)

 胸の内で主張し続ける炎に煽られながら、ロラは身構える。

「それじゃあ、行け!」

 テトが馬の尻を叩き、それを合図に馬は前足を高く上げる。嘶き(いなな)をひとしきりあげた馬は勢いよく走りだし、ロラは必死にそれにしがみついた。激しく揺れる馬の背に振り落とされそうになる――――と思われたが、森を進むにつれて自然と体勢が整っていく。まるで乗馬慣れしているかのように。

(これは……馬の乗り方を体が覚えてるの?不思議、知らないはずなのに思うように動かせてる)

「なんだ、お前馬乗れるじゃないか」

「なんか、体が覚えてるみたい」

「体が覚えてる、か……お前はほんとにいったいどこから来たんだ」

「それは……え?」

 さっき別れたばかりの魔女の声とロラは会話していた。周りを見ても過ぎ去る木々や小動物だけで人影はない。

「ここだここ」

 声はロラの股のあたりから聞こえた。そしてそこには猫が、霊猫が二匹ちょこんとおとなしく座っていた。片方は青い瞳で明後日の方向を見ている、まるでこちらに関心がなさそうだ。もう片方は両の瞳が赤く、じっとこちらを見ている。そして赤い目の猫が口を開いた。

「言っただろ道案内をすると、お前の監視も含めてだが」

「そ、そんなこともできるんだ……」

 猫のテトはひょいとロラの肩の上に乗り、進行方向に向きを変えてから伸びをするように前後の足を伸ばしてお腹を肩に密着させた。洗濯物のようでまぬけにも見えるが、大きく揺れる馬の背の上において、猫の背丈で安定して前方を見るにはそれがいいようだ。

「森を抜けるぞ、同時に結界の外にも出る。周りに気をつけろ、魔女やその操り人形に堕ちた者たちがどこに潜んでいるかわからないからな」

「出くわしたら、どうするの」

「逃げろ、全力で。安心しろ、私が憑いている」

「信用していいんだよね」

「今更だろそんなこと。そんなことよりも周りの状況把握に集中しろ」

 ひたすらまっすぐ走り高速で過ぎる森の景色に慣れたころ、徐々に林冠に隙間が多くなり、やがて森を抜け岩山の隙間に位置する渓谷に出た。それと同時にほとんど地面に埋まっているのか、背の低い木の杭を飛び越える。それは籠の護りを司る結界の外に出たことを意味していた。ついに出た、出てしまった、またあの恐ろしい世界に。ロラは手綱を握る手に力を籠め、真夜中の暗がりに紛れていった。


 ごつごつとした岩肌が、まだかろうじて残っている月明かりによって影をつくっている。ロラたちは渓谷の一番下、川沿いに広い谷間を奥へ奥へと進んでいた。時々道を指示するためにテトが口を開けるがそれ以外で会話はなかった。

 硬い岩肌に苦戦しながら進み、隠れた月の代わりにランタンを灯したころだ。

「正直、自分でも無茶苦茶だと思っている」

「え?」

「この”ヘリトラを助けに行け”っていう話のことだ」

 突然なにを言い出すんだとロラは肩の上の猫を横目で見る。怪物を見つけしだい避けているおかげで幸いまだ危険な目にはあっていないが、死地に出て今更そんなことを言われても困ってしまう。

「今更なにを言い出すんだという顔をしているな、まぁ当然だろうが。……私は守護者だが、特別な権力があるわけではない。そもそもそんな権力はあの場所には必要ない。クレアの他にも私の強行に対抗する者は探せばいただろう。それしだいでは、私も考え直す可能性はあったかもしれない」

「え、えぇ〜」

 衝撃の事実につい気が抜けた声が出てしまう。有無を言わさぬものだと思い込んでいた。いや、思い込まされていた。

「さっき言ったろ、利用させてもらうって。お前は魔女で、外から来たくせに狂っていない異物だ、外にいようと中にいようと観察する必要があった。できるなら外でじっくりと、籠の安全のためにも、お前を騙すようなことになっても。――――お前は、どうして私の依頼を引き受けた?しかも行くのに肯定的な雰囲気を感じたぞ。私の無茶に対しクレアはずっとお前に味方していたが、お前からは一度も断ろうとする素振りも意思も感じ取れなかった。駄々をこねるくらいはできたはずだ。単純に私に逆らえない、恩人を助けたいと感じたのかもしれないが、それだけの怪我と死にかけた経験をした直後にもかかわらず、迷いがほとんど感じられなかった。…………お前は何が目的だ?」

 肩の上で猫の赤目が鋭く光り、ロラの内側にあるものがなにか吟味する。姿は変わっても、中身は厳格な守護者である。股の間で丸くなってるもう一匹の猫が恋しいとロラは思った。

「…………わたしは、目覚めたときはなんにも記憶がなかった。自分が何者かも、なんで自分があそこにいたのかも分からなかった。ヘリトラに助けられて、鏡で自分の姿を見て、そこでわたしは自分が魔女だということ、それと、なにか使命があるといことを思い出したの」

「使命?それは?」

「わかんない、ただこの胸に宿った使命は多分……過去のわたしが託したもの……だと思う。それに、他にも思い出したことがあって……」

 そこからロラは()()についてのことを簡単にテトに話した。整理しきれたわけではないが、何かしらカギになるかもしれない魔女ならと、覚えている分の一部をぽつぽつと口にした。話を聞いたテトは何も言わないが、遠い空を眺めては、瞼を閉じていた。

 記憶の世界で輪郭を無くした自身から託された使命や想いは確実にロラの行動の原動力になっていた。真っ暗で形の見えない世界でも、燻る炎は一つの光として強く存在している、唯一の存在として。今の彼女にとってそれは自分を構成する唯一の要素であり、決して手放すこともおざなりにするわけにもいかない大きな(くさび)となっていた。

(今のわたしにはそれしかないんだ、この託されたものしか――必ずこれがなんなのか突き止めて、皆を、あの人たちを探し出さないと!でも、今はそれと同じくらいに…………)

 脳裏には記憶の中の彼らの姿があった。その存在は大きく、常に意識の一部に彼らがおり、こんな状況でもそれが覆ることはないほどだ。今すぐにでも探して回りたいという欲求が膨れ続け、それが今の彼女を突き動かす力となっている。

 しかしロラは、それに加えてもう一つの思いも抱いていた。

「わたしの目的は自分の使命がなんなのか知ること。そのためには魔女であるあなたからの情報が必要になると思う、だからあなたの指示に従うよ。――でも見くびらないでね、今のわたしは、魔女のわたしは命を助けてくれた大事な人を見捨てるほど弱くないよ。あなたに強制されなくても、わたしはヘリトラを助けに行くから」

 それは素直で強い想いだった。猫の顔からテトの表情は読み取れない、しかし、ロラはなんとなく笑っているんだと感じた。

「……いい大口だ、なら必ず二人を無事に連れ戻すぞ。お前に関してはひとまず後回しだ」

 岩と小石ばかりの不安定な道を駆ける。だが、一人と一匹はなんとか同じ方向を見ることができた。揺れる背の上で多少軽くなったロラの口が開く。

「ねぇ、もしわたしが行かないって言ったらどうしたの?」

 雰囲気が(やわ)くなったことから、ロラは自然と好奇心を吐き出した。

「どうするもこうするもお前を無理やり行かせた。と言いたいがそれがダメだったらもう、ヘリトラ自身が無事に帰ってくることを祈るしかできない」

「あなたは戦えないの?」

「どうだろうな、私は結界の外に出たことがないからそんな場面に出くわしたことがない」

「外に……なんで?」

 ロラは驚きを隠さず、子どものように聞き返した。それに対し、猫はそっぽを向いて不機嫌を隠すこともなく答える。

「今お前に話す義理はない」

 キッパリと断られてしまった。自分語りをする気はないということなのだろう。猫の魔女は警戒心が高く、機嫌も変わりやすいようだ。

 そんな話を中断させたテトが口を開いた。

「前払い、としておくか。最低限、この世界と魔女について少しだけ話してやる。……今はあまり深く考えるなよ」

 そう前座を置き、短い歴史の授業が始まった。願ってもないことにロラは黙って耳を傾けた。

「――この大陸特有の種族である魔女は人間たちと共存していた。人が魔女の社会に溶け込み、やがて人の社会に魔女が溶け込んだ。小競り合いもあったが基本的には平和で、文明の発達も(いちじる)しかったらしい。しかし、今から幾年幾百年前、後に魔王と呼ばれる魔女が北の果てに突然現れた。魔王はあらゆる物や生物から魔物を生み出し人や魔女を襲っていた。そしてそれに対抗していたのも魔女だ。人間と協力して約百年の戦争を続け、そして負けた。敗戦後、魔王の力なのか、生き残った魔女達は理性を失い狂った。人々を襲い、その死体から生きる屍、魔女の奴隷(ウイブ)を発明してしまった。――お前を殺しかけた奴らだな。人間も黙ってされるがままにはいかず魔女を狩り、そんなこんなで魔王と魔女と人間の三つ巴(みつどもえ)の争いの結果が今の死んだ世界だ。争いの爪痕は怪物として残り、淘汰されていった人間は息を殺して隠れ住み、魔物と魔王は姿を消した。だが、当の魔王は今もどこかで生きているだろうな。そして残る魔女がこの大陸を好き勝手闊歩している、と言った具合だ」

「幾百年って…………」

 ロラは記憶を(さかのぼ)る。彼らの一人、黒髪の少女、モリーが魔王について言及していたことを思い出す。つまりそれが意味することは。

「そんなにも前ならもう魔女達はいないんじゃないか?と、思うだろ。お前のその大切な者たちも。そして人間たちも」

 ロラが嫌な想像を膨らませるのを遮るようにテトは続ける。魔女の寿命は二百年から特異ではあるが長い者なら倍以上にもなる、しかし彼女の口ぶりから過ぎた年月はそれを少なくとも一度は越しているだろう。いくら魔女といえど生物の(ことわり)を無視することなど不可能に近かった。

「そうだな……私としてはそれならよかったんだがな、残念ながら魔王とやらは神にも等しい力を持っていたらしい。そいつの力で狂った魔女どもは不老の体を得てしまった」

「不老?」

「ああ、文字通り老いない。時間の束縛から逸脱したんだ」

 ロラの目に微かな光りが宿った。それとは逆に、テトの目は光りを弱める。

「そして寿命から解放された今の魔女たちは、欲望のまま魔法を探求する者、ただひたすら殺戮する者、増え続ける死体から新しい玩具を生み出し続ける者、己が奥底の欲望をタガの外れた理性で永遠に与えられた時間で謳歌(おうか)する亡者だ。老いることはなく、ただ己の欲に醜く歪められた世界の敵、化け物、それが今の魔女の姿だ。お前の言う人間の仲間もウイブと成り果てているか、運よく原型を留めていても中身がどうなっているかは分からない。…………この大陸はもう、終わらぬ地獄と化しているんだ。だから今も生き残った人間たちは息を殺して生活している。……永遠を生きる力――――――――私にもその力があれば……」

 最後の一言は風に掻き消え、ロラの耳に届くことはなかった。

「なら、あなたは――」

「そこを左に曲がれ、その先の坂を登ればすぐだ」

 「あなたはなぜ狂ってないの?」そう聞こうとした途中で再び話を遮られてしまった。信頼を得るまでは自分のことを一切話すつもりはないのだとロラは悟り、それ以上無駄に口を開くのは止した。

(この子はつまり、()()()()()ができる可能性は低いって言ってるのかな、覚悟はしておけって。最低でも魔女以外の人たちにはもう…………いや、後に、後にしよう。このままだと受け入れられずに逃げてしまいそうだから。テトの言うとおり今は深く考えない。――目の前の事に集中しなきゃ)

 乾燥して固まった土と無機質な岩々で飾り付けられた小道から馬が坂を駆けあがり、ついに目的地にたどり着いた。岩山に大きくぽっかりと開いた坑道の入り口のそばには、不安そうに同じところを歩き回る馬が縄によってつながれている。

「当たりだな」

 テトが安心と不安の混ざった声色で呟きながら飛び降り、つながれた馬に駆け寄っていく。軽く鼻先を合わせると馬は落ち着いたのかおとなしくなり、主の進んでいったであろう大きく口を開けた暗闇を見つめた。

「一つだけ言っておく。もしヘリトラよりも先に魔女に遭遇した場合は迷わず逃げろ。戦おうなんて思うなよ。それと、絶対に私から離れるな、いいな」

 「二つじゃん」という野暮なことは言わなかったが、先をせく猫の背に一つだけ質問をした。

「もし、もし万が一……遅かったら」

 こちらを振り返りもせずに魔女は静かに言った。

「全て忘れて帰るだけさ」


 この辺りの坑道は今ロラの持つランタンや幽居の籠の洞窟で明かりとして使われていた光る鉱石、光石(こうせき)を取るためのものであった。この鉱石は空気に触れると活性化し、わずかに周囲の気体を吸収して発光する。その便利さゆえ、鉱山は虫食いのようになってしまっていた。

 二頭の馬と一匹の猫を残し、暗い坑道をランタンの明かり一つで進む。心なしかランタンの明かりが不安そうに揺れている気がした。大昔の鉱石の採掘場は小規模ながらも幾重にも枝分かれし、まさに迷路のようだった。この暗闇と閉鎖感にロラは息を詰まらせる。きっと彼女一人なら気が狂ってしまうだろう。

(この中をヘリトラは一人で)

「万一魔女がいたとしても、不老ではあるが不死ではない。永らく生きていれば坑道の危険性も理解しているだろうからあまり深くには潜っていないはずだ。ヘリトラもそれを理解している、だから見つけるのは時間の問題だが――」

 不意に前を歩いていたテトの耳が動く。何かを聞き取ったらしい。

「何か聞こえる!屈め、音を殺していくぞ」

 明かりに揺れる壁面が不気味に影を作り、ロラたちを奥へと(いざな)う。不安定な足場を猫の足づかいで軽やかに進むテトが少し先を先導し、その後を音を立てないように不格好にロラが続く。霊だからなのか、テトがいくら段差を飛び降りようとも音はせず、ロラの息遣いとわずかな足音、ランタンの金具が軋む音が静かに眠る洞窟の体内を駆け巡る。この静寂さは、あの村を思い出すような不気味さと違和感を感じさせた。生者のいない無音。…………そう、あまりにも静かすぎたのだ。

「テト、虫や動物はこの洞窟に入ってから見た?」

「――!?いつでも杖、ナイフでもいい、すぐ出せるようにしておけ」

 ここに来るまでにいくらかの野生動物を見てきた。この岩山にもその痕跡はあり、洞窟なんかは彼らのいい住処のはずだ。だがこの死んだ穴には彼らの息遣いが感じられない。それが示すことは……。

「どうやら”当たり”らしいな」

 この先に魔女がいる。正気を無くした古き魔女が。長い歴史を知る魔女が。そう思うと少しばかりの期待がロラの中で持ち上がった。(もしかしたらわたしのことを知っているんじゃないか)と、(わたしはその魔女を知っているんじゃないか)と。そんなロラの思考をまるで読みとったかのようにテトが釘を刺した。

「いいか、相手はとんでもない力を持った魔女の可能性が高い。誰かれ構わず殺して自分の傀儡(くぐつ)にする化け物だ。お前の記憶の手掛かりになるかもしれないが――」

「大丈夫、わかってるよ。今の目的はヘリトラ達を連れて帰ることだけ。そうでしょう」

「ああ」

 ロラは右手をローブの内側に入れ、テトから渡された肘から指先ほどの大きさの歪な形をした杖を取り出した。赤黒い石が不気味に光る。

「――――!!」

 ヘリトラの声だ。奥の方から金属が激しく衝突する音とともに突然響いてきた。

 ロラたちは走り出した。始まってしまった以上、時間を急くことが優先だ。奥に行くにつれて音が大きくなってくる。段差を飛び越え朽ちた木の柱をくぐり、やがて広い空間にたどり着いた。

 その空間にはロラの持つランタンの物と同じ、光石の明かりがいくつもあり、この広い採掘現場の大半を可視化していた。

 ロラたちが出たのはその現場の上の方にある入り口であり、そこから大岩の段差を数段飛び降りた約十メートルほど下の空間に彼女はいた。いや、彼女達は。

 飛び散った血、切り裂かれた服と腕、見るからに満身創痍のヘリトラの前には、全身を鎧に身を包んだ騎士らしきものがいた。その鎧もいたるところが欠け、中の顔が見えてもおかしくはなかった。だが、その中は暗黒で、ヘリトラのように息を切らしているようには見えず、ただじっと彼女の剣の動きを眺めている。まるで何も考えていないようにも見えた。

「ヘリト――」

「待て」

 声が大きくなる前にテトが遮り、そのまま大岩を一段降りて岩陰に隠れる。

「ヘリトラが苦戦してる時点でお前が出ていける相手ではない。それに魔女がどこにいるか――」

 顔を出していたテトの口が止まる。恐る恐るテトの視線を辿り、そして彼女が悔しそうに目を細めている理由が分かった。

 視線の先、騎士の後方に椅子に縛り付けられた状態の麻袋(あさぶくろ)があった。袋の頂上に鋭い鉱石のようなものが深く刺さっており、赤い液体が湧き水のようにそこから溢れ、袋をじわじわと潤していた。その麻袋の大きさはちょうど――――子どもが入る大きさだった。そしてその隣には、テトと同じように大きな三角帽を被った人影も。

 ヘリトラは怒号を上げながら騎士に突進する。自分の身長以上はある特大の剣を振り、騎士もそれを自身の剣で防ぐ。ヘリトラの動きはまるで人間とは思えないほど超人的であり、振るう剣は速く重く、なにより欠けた鎧の隙間を狙う正確さがあった。剣の腕だけなら互角だと言えたであろう。しかし、騎士は鎧に身を隠しているせいでどれほど傷を負っているかわからない。立ち振る舞いも未だに余裕が見えるようだった。

 (らち)が明かないとヘリトラは一度距離を離し、そしてまた突っ込んでいった。だが今回は違った。片手に剣を持ち正面から騎士にそれを受けさせると、もう片手で腰から短剣を取り出し眼前に突き付けた。カンッ、と切っ先と兜のぶつかる音、あまりに無意味な攻撃の音。しかしその直後、甲高い金属音がしたかと思うと、突然騎士の顔面が爆発した。さすがの不愛想な鎧もよろめき、無駄に豪奢な兜にひびが入る。再び距離を置いて「してやったり」とするヘリトラは、その陰で静観していた魔女が動いたことに気づかない。

「ざまぁみやがれこの化け物鎧、このまま中身を引っこ抜いてやるよ」

 ヘリトラがそう息巻いた直後、重く、低い少女の声が歪に響いた。

「愚カナ人間、オマエは愚直ニ()テレバ良カッタものヲ、我ガ眼前デ唯一無二ヲ傷ツケた。最早、一刻の時モ掛ケズ苦シミ(もが)くコトすらデキないト知レ。自らノ灯火ガ消えたコトも悟ラヌまま死にゆくとイイ」

 魔女が自身の背丈ほどにもなる杖を騎士の背中越しにヘリトラへ向けた。(やなぎ)のように(こうべ)を垂れた杖の先に脈が走る。

 一瞬、ロラとテトは顔を見合わせた。やるしかないのだ。ロラもあの中に割って入るしかない。そうしなければあの勇猛な戦士は理不尽な魔法によって殺されてしまう。テトもロラも同じ考えに至っていた。迷えるほどの猶予(ゆうよ)もない、即断即決、目覚めたての魔女は杖を握りしめて飛び出した。脳裏に唯一今使える魔法を反復しながら。

 ――洞窟に入る前に「私から絶対に離れるな」とテトは言った。そして、その理由を洞窟内でテトは話してくれた。「万が一魔女やそれに並ぶ脅威が現れた場合、確実に逃げる手段を私は持っている。お前たちを連れてな。だから生きて帰りたいなら絶対に私から離れるな」と。今こう出てしまってはもう彼女の言う手段を信じるしかない。

 狂気の魔女が口を開き、到底人間には抗えない絶対的な力の名前を唱え始めた。だが、それと同時に金色の髪を棚引かせた魔女が、鋭く、速く力を行使した。

「アブルティ・エヴァ・エン・ペア――」

望郷の光(ノスィト)!」

 鋭利な細い光線が屈折しながら飛び、詠唱する魔女の数歩手前の地面に突き刺さり焦げ跡を残す。

(外した……!)

 だが目の前の死神と従者は動きを止め、突然現れた謎の人物であるロラに注目している。…………あれは?――――ロラの胸が焼けるように熱くなった。

「ヘリトラ!諦めるんだこっちに来い!」

 テトがすぐ後ろからヘリトラに呼びかける。

「――!?いやっルトが……」

「お前も死ぬだけだ!」

「まだ決まったわけじゃ……クソッ!」

 テトの必死の説得も、ヘリトラの諦めきれない憤りの混じった声も、ロラの耳には遠く聞こえていた。ただ、ロラと()()()はじっとお互いを見つめ合っていた。まるで、久しぶりに旧友に会ったかのように。

 ロラは()()()を知っている。なぜならついさっき見たからだ。どこで?そう、記憶の中でだ。

「…………モリー?」

 記憶の中、あの十九人の中の真ん中にいた黒髪の少女。いつも後ろにくっついて回り、誰よりもこちらに笑顔を向け慕っていた少女。今、暗い瞳に輝きはない、長い黒髪は手入れされておらずボロボロだ、幼さの残る表情は死んでいる。しかし、姿はあのころの少女のままだ。

(モリー、モリーだ間違いない!会えた!)

 胸の熱が彼女の方に行けと全身を煽り、ロラ自身もそれに抗おうという考えが脳内から除外される。両手を広げ、あの少女に感動の再開をしようと。

「…………ドウシテ…………ドウシテここに居られるんですカ……貴女様ハ」

 モリーは体を震わせている。表情はわずかにしか変わらないが、瞳孔の開いた目からは確かな驚きが感じられる。

「モリー?……モリー!?モリーだと!?あれが……」

 テトが足元で何かうろたえている。

「何故……あぁ………………アァ、いや、イヤ違ウ!お前はアノ方ではない!」

「えっ」

(違う?)

 無表情な魔女の表情が激昂に歪み、荒々しく杖を振るう。

「ヘリトラ急げ!お前も少しは動け!」

 テトがズボンの袖を噛み、我に返ったロラはひとまず急いでヘリトラとの距離を縮めた。

「あの方の姿ヲ真似る痴れ者メ、塵すら残サズ消え失セロ!」

 赤い光が(またた)き、直後背中に衝撃が加わり前のめりに倒れる。

愚者の断頭台(ルー・エン・ギルィン)!」

 魔女の影から複数の黒い刃が現れた瞬間、不可視の速さで飛び、ほんの数瞬前までロラのいた場所を地面や壁ごと、彼女を突き飛ばした青白い猫ごと切り裂いた。真っ二つになった猫は何を残すこともなく、青い塵となって霧散してしまった。

速い弾(ペレット)

 テトが消えるのを見届けるまでもなく続けざまに魔法が放たれる。赤い弾がただまっすぐに速く飛ぶだけの魔法。ロラはそれを反射的に岩裏に身を隠すことで直撃を(まぬが)れた。直撃を免れただけだ。弾は岩を易々貫通し右脇腹をかすめた。

「ア゛ア゛ァ゛ァァ!!}

 右の脇腹から出血している。コートや中に着ていた服ごと脇腹が抉られていた。かすめただけ、かすめただけなのにこれだ。倒れたロラの頭が岩裏からはみ出てモリーの濁った水晶体に映る。

「顔ヲ歪めるナ、その顔ヲ。あの方の顔を。なぜオマエはあの方の顔をシテイル……顔ヲ見せるナ、その顔をミせるな!あの方の……アノカタのそんな表情ハもう見たくは…………」

 まるで見たくないものから目を背けるように、恐ろしい魔女は突然逃げるように(きびす)を返して血だまりを作る椅子の脇まで戻った。そして、袋のてっぺんに刺さった鉱石に手を添えて一言一句確認するように丁寧に唱えた。

「――哀れな死者よ、終わりなき生を受けヨ。これは死への冒涜デアリ生へノ冒涜である。今この時も汝の魂が生への渇望ヲ残していルなら、死への恐怖を覚えてイるなら、今一度、この我ト…………ボース・アーク・エル」

 錆色の鉱石が光り、麻袋の中で()()()が生を受け蠢きだした。動きは激しくなり今にも袋を内側から突き破る勢いにまでなる。

「あァ、この石もこの魔法もまたチガう。また失敗ダ。モウ少しだと言ウのに……新たに産まれたお前、オ前ノ名は……油断(レネス)。レネス、あの痴れ者と野蛮な女ヲコロセ、そのアとハ好きにその永遠を生きルガいい。――――ジュダ、行くぞ」

 魔女は振り返ることなく騎士を連れて洞窟のさらに奥へと姿を消した。ロラたち二人にそれを追う気力は残っていなかった。腕を伸ばし、それが届かない虚しさに歯を食いしばることしかできない。

(そんな、待って!待ってよモリー、せっかく会えたのに。なんで……行かないで…………淋しいよ…………)

 二人の足音までもが闇へと飲み込まれ、ヘリトラとロラは満身創痍の状態で残された。いや、三人?それとも二人と一体が適切だろうか。魔女の残したおぞましい()()が目の前に鎮座している。モリーになぜ見逃されたのかはわからないが、二人はそんなことより、目の前のレネスと名付けられた()()から目が離せなくなっていた。あの中にいるのはクレアの弟のルトではなかったのか。どちらにしろあの中身は想像もしたくないが。

 ヘリトラが一瞬躊躇いつつもそれに近づき、意を決して袋の端を切り開くと、ビチャビチャと細長い肉の塊が顔を出した。元々の中身が何であれ、もうそれは人ではなくなっていた。

 ヘリトラは得物を高く振り上げた。一思いに終わらせようと。そして諦めた。無念に刃を下ろしそれを見つめている彼女の背には、迷いや悲しみのほかに様々な感情が渦巻いているようだった。やがてそれに背を向け、ロラの腕をつかんで引っ張り起こした。

「どうして助けたばっかのあんたがここにいるんだ。英雄志望の死にたがりか?まぁそんなことは今はいいか。毎度のことで悪いがあんたの傷は後回しにさせてもらうよ、今はさっさとここをずらかろう。あんたに聞きたいこともあるし」

 そしてロラたちが背を向けたときだった。

「ギャャャャァ゛ァ゛ァ゛ァァァーーーーー!!!」

 産声を上げてそれは産まれてしまった。卵から(ひな)(かえ)るようなものではない、殻からその何十倍もの体積の幼体が産まれたのだ。体長は馬十頭分、小さな小屋なら腹で踏みつぶしてしまえそうなほどで、(ワニ)蜥蜴(トカゲ)を合わせたような見た目だが、頭には大きく裂けた巨大な口以外の器官が存在しない。皮膚がなくブヨブヨとした肉が全身に露出している。

 愕然とするロラたちを前に、生まれるべきではなかった化け物レネスは、魔女の指示に忠実だった。生まれた瞬間から二人に目がけて突進してきたのだ。

 巨体に似合わぬ速さの突進をロラはヘリトラに抱えられるかたちで避けることはできたが、代わりにその巨体を受け止めた壁が悲鳴を上げ、天井から岩の涙が降りそそいだ。それはロラとテトが、ヘリトラが使ったであろうたった一つの出入り口を占領した。

「くそ!あいつ出口を塞ぎやがって、もう背中を向けて逃げるのはムリだ。おいあんた、丸腰じゃあないんだろ、少しでいい、あのデカブツの注意を引いてくれ。その隙にアタシが()る」

 疲労と傷でいっぱいのヘリトラだが、そんな彼女に頼るしかない。できる限り力になろうと、痛む脇腹を力づくで押さえながらロラは決意した。結局戦うしかない、ここで死ぬわけにはいかないのだ。理由も分からず拒絶されてしまったが、モリーがモリーとしてこの世界に残っていることは分かったのだから、諦めるわけにはいかない。

 二人に正確な作戦はない。痴れ者がちょっかいをかけ注意を引き、野蛮な女が攻撃するだけの作戦とも言い難いお粗末なものだ。転がっていた借り物の杖を拾い上げ、付け焼き刃の共闘作戦は始まった。

 あの巨体に対しボロ雑巾二人、ロラは絶望的な戦況になると思っていた。だが、予想以上に付け焼き刃の作戦は有効だった。

 レネスの知能は高くない。今のところ突進と前足や尾を使った単調な攻撃ばかりで、二人のどちらか片方を粘着に狙うなんてこともしてこない。幸いこの採掘場はかなり広く遮蔽となる柱も多いため、傷の痛みさえ我慢すればロラ一人でも逃げ回ることができた。

望郷の光(ノスィト)

 魔法を撃つたびロラの体が熱を帯び、疲労感が足の動きを鈍らせる。

「ノスィト!」

 ロラの魔法はどうやら小石よりかは有効打になるようで、肉の体を少しずつ抉ってはレネスの熱い視線を集めていた。ただいかんせん、体力の消耗が激しく、あの巨体を葬れるほど使えそうにはなかった。だがその隙を確実にヘリトラが捉える。

 歪な5本指の前足を軽く体を(ひるがえ)して躱し、その指を全てきれいに切り捨て、続けざまに後ろ足の膝から下を切り落としてしまう。

 この戦士は本当に人間なのか、そう疑ってしまうほどヘリトラは強かった。常人では立っていられないような傷を負っていても、人型の獣のように俊敏に動き長剣を振り回す。ロラは遠巻きから動きを目で追うのがやっとのことだ。

「ノスィト」

 ロラはその身に初めから身についていた魔法を放ち続ける。

 魔女はこの世に生を受けた瞬間に一つの魔法を授かる。贈り物は各々違い、魔女の数だけ魔法は多岐にわたった。その恩寵を探求し、自身が創り出した新たな贈り物を世代や血縁を超えて遺す者もいれば、ひたすら遺されたものを集める者、それ一つで腹を満たし満足する者もいる。――何はともあれ、魔女は必ず一つは魔法を扱えるということである。ロラの脳裏にあったものも、まさにそれだった。

 そもそも、魔女の扱う魔法は欲や願い、想いを力にしたものであり、魔女は悪魔の血と言葉を用いることでその力を借りることができる。その力の強さは研鑽により底上げすることもできれば、魔女自身がその言葉に込められたものを理解し、強く想うことでも強化することができる。また、魔法の名を頭の中で唱えるだけでも魔法を行使することはできるが、瞬間的に最大限強く想うためには音として自身の内外で反芻することが有効であると魔女たちは考え、そのため彼女たちは必然的に魔法の名を叫んでいた。

 光の線がレネスの指を裂き、ヘリトラがもう片方の後ろ足を切り落とした。

 化け物が叫びながら腹ばいに倒れた。指のないズタズタの前足だけではあの巨体を支えられない。巨大な赤子は馬を容易く一飲みできてしまうほど大きく口を開け、見えない空に向かって咆哮を上げた。好機と見たか、ヘリトラが正面から高く跳躍し、レネスの脳天に狙いを定めた。

 (やった!)、そう思ったロラが肩を下ろした。

 そのとき、レネスの下顎から肉の塊が立ち上がる、舌だ。舌が空中のヘリトラに向かって伸びる。だが遅い、あの戦士なら手負いであっても軽く切り伏せるであろう。そうロラは思っていた。しかし実際は、ヘリトラはそれを――――切らなかった。

 その舌の先尖(せんせん)は色こそ赤い肉のままだが、子どもの上半身の形をしていた。丁寧に表情まで作り、微かにうめき声のような音を発していた。

 舌は両腕を広げ、無防備な彼女を迎え入れた。固まってしまった彼女を両手で掴み、口の中へ。

 勢いよく閉じた口は、はみ出した未来ある戦士の両足を胴体から分断した。

 無残に残された両足が、ロラの前に鈍い音を立てて落ちた。

「ヘリ……トラ……」

 呆然とすることしかできない。何が起こったのか理解が追いつかず、ただ怪物を見上げていた。

 レネスの喉が音を立てて動く。そしてロラを見た。目はなくとも見られているのが分かった。次はお前だと。今まさに仲間を飲み込んだ薄く開いた赤い暗闇から肉塊の頭がわずかに覗き、こちらを睨んだ。次の餌を迎え入れる準備ができたようだ。

(まだ……まだ諦めるには早いはず。腹を裂いてでもヘリトラを助ける!)

 放心し、一度失いかけた戦意をなんとかつなぎ止め、ロラは再び杖を構える。

 狙いを定めた怪物は、歩行は困難と考えたか、蛇のように体をうねらせ向かってくる。あの巨体に轢かれれば終わりだが、うすのろさ加減には磨きがかかり、余裕をもって進路外に外れることができる。

(威力を上げればお腹に穴をあけれる?)

 側面に周りつつヘリトラに当たらないように腹の輪郭の縁辺りに狙いを定め、魔法を放つ。全身の血が沸き立ち、一瞬遅れて倦怠感が身を包む。魔法を使う度全身の血管を巡る悪魔の血が活性化し、鼻血や目が充血することによって痛み、魔法で消費した血の分貧血を起こして意識を保つのが難しくなる。それでも何度か同じ場所に攻撃し続けた。髪が乱れ、額に脂汗が浮き立つ。だが、抉れた腹からは腐食した血と肉塊がこぼれるだけで、人影はに現れなかった。ヘリトラを打ち抜いてない安心感と、ヘリトラの安否がわからない不安にしびれを切らしたロラは、杖の先を腹から頭に向けなおした。

(やるしかない。わたしがこいつを倒すしか!)

 ロラはさらに威力を上げるために全身から杖の先まで集中した。自らの体に限界が近いのを感じながらも。魔法はもういくつも撃てないだろう、だから一発一発確実に――――。

(………………?)

 直後、視界が暗転した。頭の中にあった考えを形にした言葉たちが歪み、崩れて、氷のように解けていった。無の空間を漂う文字たちをロラはただ見ている。何もせず、ただぼうっと。――――遥か遠くに白銀の光が見えた。光は徐々に姿を変え、やがて人型になった。

(わたしは今何を……。――!?)

 文字たちが一瞬にして元の形へと戻る。ロラは今戦っていたことを完全に忘れていた。

 その一瞬から数瞬にも及ぶ大きな隙は、頭の悪い怪物でもさすがに見逃してはくれない。今にも千切れそうな前足を振りかぶり、立ち止まって呆けている魔女を吹き飛ばした。

 細い体が宙を駆け、硬い岩壁に激突する。周辺には血の化粧ができた。

 息ができない。筋肉が悲鳴を上げ痙攣する。自分の体なのに自分のもののように動かせない。周りには空気があるはずなのに肺の中は空っぽだった。

 ロラは悟った、どうやらとっくに体力は限界に至っていたらしい。顔を上げると目の前には怪物が迫っていた。手探りで杖を探しつかもうとするが、震える指は言うことを利かない。額から流れる血で視界が真っ赤に染まるその先で、怪物は口が裂けるのではと思うほど大きく口を開いた。

「ギェェェェェ!!??」

 突然レネスが体を捩じらせ悶え始めた。そして、でこぼこした不対称な背中の中心から一本の剣が突き出し、そこから血みどろの女が顔を出した。それが味方だと知らなければ、まさに悪魔が誕生したと勘違いしてしまうだろう。

(ヘリトラ!)

 彼女は右手に剣を、左手に短剣を握りしめていた。怒号を上げ、刃を体表に突き立て回転する。長い刃と炎を纏った短い刃の回転ノコギリがレネスの体表を駆け抜け、切り刻んでいく。飛び散った血肉と炎が怪物の全身を飾り付け、ある種の彫刻品かのように空間を映えさせた。

 彫刻を削り終えたヘリトラはその勢いのままロラの前に両腕を使って着地した。そして半分壁にめり込み口を開閉しているロラを見るや否や、拳を腹に一発刺した。

「かはっっ!」

 とても痛かったがおかげで呼吸のリズムが戻ったロラは、荒く何度も吸っては吐くを繰り返した。

「はぁっ、はぁっ、荒治療で悪いが……これで勘弁してくれ、あたしにできるのは、ここまで……だから……後は頼む…………」

 それだけ言うとヘリトラは糸が切れたように動かなくなった。ロラは慌てて呼吸を確認する。息はある、気絶しているだけだった。それに安堵しつつ、根本的な問題はまだ解決していないことをロラは思い出す。

 戦士様が目の前で気絶した今、正真正銘ロラ一人でこの状況を切り抜けなければならないことが確定した。だが、ここまで弱らせてくれたおかげでロラにも勝機をつかむチャンスはあった。

 レネスは今、ヘリトラの反撃によりほとんど死んでいる状態に近かった。炎は消えているが立ち昇る煙と肉の焦げる臭いを漂わせ、わずかに体を這わせるのがやっとの状態だった。かくいうロラも、呼吸はもどったものの、もうこの自分の型に窪んだ壁から一歩も動ける気力も体力も残っていなかったが。

(全身が痛い……怠い……もう……)

 全身から力が抜けていく。

 瞼を閉じた。

 瞼の裏の暗闇はただただ真っ暗で、不気味なほどに静かで、死の臭いがした。

 さらに深い夢の中の暗闇は、音はなくともなぜか騒がしく感じた。とても懐かしく、そして、白銀の光が(またた)いた。

(――まだ、終わるわけには……わたしは!まだあの景色を思い出してない!)

 ズルズルと怪物の地を這う音と振動が全身を揺らし、怪物の死臭が鼻先まで届く。

(記憶の中のわたしは(したた)かだった。だからこそ多くの仲間が集まって、信頼されてた。あの人たちのことをわたしはまだ思い出してない。自分の事さえも。あの人たちとわたしに何があったかも。わたしは知りたい。今のわたしには記憶も力も何もかもがない、それでも、ただのあのころの()()()でも、ただの()()()でも、それに近づきたい……。モリーに会って確信した。わたしは、皆を助けるために目覚めたんだ。方法はまだ分からない、本当に分からないことだらけ、――だからこそ、ここで死ぬわけにはいかないんだ)

 杖を握った。震える指は今にもこの武器を離してしまいそうだ。喉の奥から血がせりあがってくる感覚が気持ち悪い。それでも、ロラは溢れる血を口の端から垂らしながら魔法を唱えた。反撃の狼煙(のろし)を。

 ――――しかし、何も起こらなかった。

 魔法を顕現(けんげん)させるには体内を流れる悪魔の血が必要だ。そして、悪魔の血は消費するものであり、また、大量の出血もしていた。すなわち、もう、魔法すら撃てなくなってしまったのだ。ロラはそんなことを頭で理解するまでに何度も唱えた。理解しても唱え続けた。身動きの取れない魔女が唯一できる、抗う手段だったからだ。

 レネスは死にかけの虫を無邪気に観察する子どものように、じっと視線を動かさず近づいてくる。

(な、なんで……なにか、何か何か何か手は!絶対に生きなきゃいけないんだ、知らなきゃいけないんだだから…………っ!)

 ロラも怪物も、戦いの終わりが近いことを察していた。だからこそ、優位な状況であった怪物は、形勢が逆転した瞬間を察知できなかった。

「ランボス」

 それは、ロラが半分無意識に呟いた言葉であり、その言葉は空気中に波紋する振動となり、姿を変え、やがて白銀に輝く巨大な槍となった。

 空中に現れたそれはレネスの体長にも及ぶ長さであり、その切っ先は怪物の背中を貫通して地面に突き刺さった。

 怪物は突然のことに驚いて声すら出せていない。

「ファエトン」

 同等の槍が空中に現れ、レネスを貫き地面に強く縛り付ける。

 やっと自分の置かれた状況を理解したレネスは叫びもがくが、上空から交差するように貫く二本の槍はそれ以上の抵抗を許さず、煌々(こうこう)と薄暗かった洞窟内を己の輝きで圧倒していた。槍は穢れた怪物の血に汚されず、物質として存在しているかも怪しい。明らかにこの場には異質すぎる存在だった。そして、ただ主の命令を待つ忠犬のように静かだ。

 ロラは杖を掲げた。

 杖の先の赤い石にはいつの間にかひびが入り、中から赤黒い液体が漏れ出て、重力に従い杖から魔女の指、肘まで流れ落ちる。銀色に照らされた赤はどこか生き生きとしていた。血が沸き立ち全身が炎に包まれるかのように熱を帯びた。ロラはこの感覚がとても懐かしく感じられ、精神が今までにないほど落ち着きはらっていた。

 銀と赤の輝きが強くなった。

「へ―リオス」

 その言葉とともに辺りが白とも赤とも似つかぬ光に包まれた。槍の光の比にならない絶対的な光により、視界が意味をなさなくなった。

 ――――しばらくして光が弱まり、待ち遠しかった暗さに目が慣れたころ、ロラはようやく顔を上げた。

 目の前には恐ろしい怪物も光り輝く槍もなく、黒焦げてプスプスと煙を出す何かの残骸と、気絶したときのままの態勢のヘリトラだけが残されていた。夢うつつな状態であったロラはハッと我を取り戻し、倒れているヘリトラに身を寄せた。

「いったい何が……!ヘリトラっ、ヘリトラは…………よかった……」

 あの光は()()()()を焼いたらしく、ヘリトラどころか洞窟の床や壁にも焦げ跡一つなかった。まるで自分のしたことを理解していないロラは膝を着き、震える肺で深呼吸をした。脅威は去った。そう理解する。

(わたしが、やったの?……今の魔法はなんだったの…………。だめ、考えるのはあとにしよう)

 ヘリトラを連れてどう帰ればいいか、そう頭を切り替えたときだった。

「ゴフッ……!?ゥ゛ウ゛…………!?」

 腹のそこから血が濁流となり抑える間もなく体外へと流れ出た。急激に視界が暗くなり平衡感覚が消える。

 一瞬にしてロラの意識は深い眠りについた。



 ――――――瞬く間に薄暗い坑道内からさらに暗い月明かりすらない岩山へと景色が変わる。馬たちが静かに嘶いた。

「っ!」

 ロラに憑いていた霊猫から意識を弾き出されたテトは、外に待機させていた馬のステラに憑けていた予備の霊猫に意識を憑依させた。

(まずいまずい、モリーだと、なんでそんなのがここにいるんだ!落ち着け、とにかく今は)

「ステラ!アスター!」

 小さな猫の呼び声に二頭の馬が上機嫌に嘶いた。アスターはヘリトラを乗せてきた牝馬(ひんば)であり、土色の毛並みと(したた)かな目つきをした馬である。ステラは白毛の牡馬(おうま)で、かなり気分屋だった。二頭は猫に鼻先を向けて、まるで指示を待っているかのようだ。

「すまないが、私と共にこの坑道内に入ってもらうことになる。暗く、とても危険だが、いいか?」

 霊猫は憑いている対象とあまり離れられない、離れすぎると自然消滅してしまう。だから憑いている宿主と行動を共にしなければいけないし、逆に言えば霊猫が動くためには宿主がそれについて行かなければならなかった。今回の場合宿主はステラだったが、アスターをこのまま放置するわけにもいかない。

 人語を喋る猫の願いに二頭は顔を見合わせ坑道を見、そして猫の垂直に伸びた尻尾に釣られるように後ろに並んだ。二頭は賢く、言葉など通じなくとも主のいないこの状況から何をすべきか理解したようだ。

「ありがとう、私から離れるなよ」

 二頭の了承を得たテトは数分前とは打って変わって騒がしくなった坑道の中に速足に入っていった。

 比較的広い坑道を小さな明かりと二頭の馬が進む。明かりの正体は光る鉱石のランタンであり、テトのすぐ後ろを歩くアスターの首に()げられていた。

(あれからどれだけ経った?途中坑道全体が大きく揺れるようなこともあった、二人はまだ無事か…………?くそっ!今すぐにでも向かわなければならないのに……)

 馬たちの通れる比較的広く安全なルートを手探りで進んでいたためかなり時間がかかってしまった。それに加え、今テトの目の前には落石によって塞がれた大空間への出入り口があった。この先にヘリトラたちがいるはずだがとても通れそうにない。下手に壊せば崩落の危険も考えられた。そのもどかしさがテトを焦らせる。

(どうする、他の出入り口を探す?馬が通れそうな大きな安定した道を?…………そうするしかない、迷っている暇はないはずだ。――――――――ヘリトラは無事か?あの金髪の魔女は?だいいちあの魔女を受け入れたのは正解か?モリーの顔を知っていて、本人からもなにか反応を得られていたあいつは何者だ。あいつ自身それを知ろうとしていたが、それは真実か?嘘が得意なようには見えなかった、そう感じた、会ってからずっと監視していたがなにか企てていた様子もなかった。何より私たちを(たぶら)かす利点がないとそう判断したはずだ。なにを今更不安になっている…………違う。状況が状況だから私は焦っていたんだ。あいつが都合よく動かせそうだから、だから私もあいつを都合よく信用しようと理性よりも心が動いたんだ。初めての…………初めて母以外の魔女と話したのもあったかもしれない…………。そしてしまいには調子よく相手の求めに従った。昔話を信じて、言葉や行動の裏があるかも疑わず殊勝に…………くそっ!普段の私ならもっと用心深かったはずだ。ヘリトラ、無事でいてくれ…………っ!)

 突然、人のものとはかけ離れた絶叫が分厚い岩壁越しに響き渡った。苦痛に喘ぐような叫びは馬たちを怯ませ、この岩山を震えさせた。天井の小石がパラパラと崩れ落ちては背中に当たり、不安をさらに煽っていく。

(な、なにが…………)

 嫌な想像が何度も脳裏に(よぎ)るのを無理やり理性で抑えながら、テトは他の道を探すために来た道を戻ろうと振り返った。ステラはふさふさの尻尾を後ろ足の間に巻き込み不安そうにしており、アスターは……。

「アスター?おい、アスターっどこにいるんだっ」

 もう一頭の土色の馬が見当たらない、怯えていたステラもそれに気づき辺りを見渡し始め、パニックになりかけている。こんなところで逸れてしまってはもう二度と再開するのは難しい、テトは焦る気持ちに任せてアスターの行ったと予測した脇道に走っていった。だが角を曲がれば瓦礫で埋まった行き止まりであり、すぐ後ろからついてきていたステラが壁にぶつかりそうになる。

 これではステラまで危険だと、途方に暮れそうになる心を普段の冷静さに戻すために目を瞑ったとき、丁度真後ろから高い(ひずめ)の音が響いた。黒いタールが固まったような真っ黒い岩質のせいで行き止まりだと思い込んで通り過ぎていたところから、茶色い頭がぬっと出てきた。

 「どうした?何かあったのか?」とでも言っているかのような澄ました顔で、アスターはかっぽかっぽとテトの下まで歩み寄った。

「はぁ、お前は主人と一緒で本当に……いや、とりあえず無事で良かっ――お、おい!」

 馬が人に似るのかそれとも人が似るのか、どちらにせよ話を聞かない馬はついて来いと言わんばかりにさっさと自身が出てきた真っ黒な岩の隙間へと滑り込んでいった。

 慌ててテトがあとを追うと、緩く下り坂になったカーブの横穴があり、その先からわずかだが光が漏れていた。幅は狭いが馬一頭が通るには十分だ。アスターがドヤ顔で鼻を鳴らし、上機嫌に蹄を踏んだ。

「でかしたぞアスター!よくやったな」

 褒められたことでさらに機嫌をよくしたアスターの足の間をすり抜け、テトは光条の手前までステラとの距離を気にしながら進んでいった。

「チッ、また落石か」

 横穴の先は崩落により半分以上ふさがっていたが、猫一匹が向こうに行ける程度の隙間があった。テトは一瞬迷うが、馬たちに下がるように言うと、姿勢を低くして慎重にその隙間へと身をくぐらせた。その先から血の臭いと得体のしれないなにかの気配を感じながら。

「っ……!?」

 視界が真っ白に染まる。単に暗闇から明るいところに出たとき程度のものではない。視覚がもはや意味をなさないその絶対的な輝きに、テトは何もできずに腹ばいにしゃがみこんだ。なにかが焼けるような音が一瞬しただけで、霊猫の体が消えるようなことはなく、しだいに輝きが弱まり目が機能できるまでに収まっていった。伏せていた耳と瞼をゆっくりと開くと、かなりの量の煤の塊とその先の隅っこの真っ赤に染まった壁際で今まさに血を噴き出して倒れる魔女の姿があった。

「いったいなにが……」

 様子を見に行きたい衝動を抑えてテトは周囲の状況を確認する。怪物の姿も二人の死を確認しに来る魔女と騎士の気配も感じられない。テトは耳を立てて注意深く音を拾うが、馬たちの鼻息や消し炭の中から空気の抜ける音くらいしか聞こえなかった。テトはそこで安全だと判断し、振り返っては前足を落石に向け一つ魔法を唱えた。

猫の殴打(イム・パーチェ)!」

 青白い光弾が猫の前足から放たれた。粉砕まではいかずとも落石にはひびが入り、自重で傾き倒れた衝撃で砕けた。なんとか通れるようになった隙間から馬たちが顔を覗かせる。それと同時に坑山全体が大きく振動し始めた。

「まずい、ここも限界か」

 賢い二頭はすぐに状況を理解すると素早くテトのそばまで寄り、それを確認したテトはロラたちの下まで走った。

「っ…………!!」

 倒れて動かない二人を見てテトは唇を噛んだ。ヘリトラの無くなった足を、苦しそうに歪んだロラの表情を見て思うことがあったのだろう。それでも冷静に、二人の安否をテトは確認する。

「まだ、息はある。二人とも重傷だが……」

 砕けてドロドロとした液体を流す杖を意味深に見つめ、ロラから炭の塊へと視線を順に移す。

魔女の奴隷(ウイブ)は無から生み出すことはできない、必ず(もと)となる生物が必要になる。つまりこれは…………いや、まずは)

「アスター、鍵を探してくれないか。ヘリトラはいつも腕に巻いていたはずだが見当たらない、どこかに落ちているはずだ」

 テトは沈んでいく感情に気づかないふりをして指示を飛ばす。その鍵とやらはクレアの言っていたものと同じものだ。こんな状況でも優先せざるを得ない大事なもののようで、テトも二人の容態を気にしつつもステラの上から周りを見渡して探し始めた。だが、捜索を始めてすぐに、明かりのない暗い坑道の奥から鉄靴の微かな音が耳に届いた。その音はテトたちに気づいたのか、間隔が早く大きくなっていく。さらに坑道自体も今まさに全体が崩落している真っ最中だった。どこかで地下水が噴き出る音も聞こえる。

「アスター戻れ!」

 時間切れ、そう判断したテトは奥の暗闇を睨みながら飛び降り、馬たちと倒れた二人の中心に立った。暗闇からヒュンッ、と風切り音が鳴る。天井の崩落が始まる。大岩が全員の頭の上に、飛んできた長剣がステラの頭に当たる直前に、テトはまた、魔法を唱えた。

猫の集会(イム・アリェス)!」

 黒こげの燃えかすに埋もれたひし形の宝石を残して、二人と二頭と一匹は跡形もなく消えたのだった。

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