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第十三話 嵐の前 (一)

 冬は峠を迎えて猛威を振るう。大陸南部にひっそりと佇む幽居の籠(ゆうきょのかご)にも、空から白い天使が舞い降りてくる。彼らが降臨してくるさまはなんとも幻想的なのだが、地に触れた瞬間、その多くは悪魔へと変貌し、暮らしを脅かす存在へと変わってしまう。

(この世に悪魔と対を成す天使がいるのだとしたら、悪魔の被造物と云われる私たちにも敵対するのだろうか)

 薄暗い空を窓越しに眺めながらテトは耽っていた。食卓のテーブルに頬杖をついて、少しばかりの現実逃避。これからやらなければいけないことを考えると、いろいろと心が落ち着かなかった。

(魔女を、皆んな倒してくれたらいいのに……)

 少し冷ますつもりでいたホットミルクの湯気は、もう五分以上前には立たなくなっていた。代わりに、少女の口から白い息が漏れる。凍えたその息は口から放り出されると、儚い夢のように跡形もなく霧散していく。

 まだ朝だというのに、テトも、空も、憂鬱な表情を浮かべ、ため息を吐くのだった。


 ロラの部屋の前で、テトは少しだけ躊躇していた。先日の一件以来、一度も顔を合わせていない。ただ、住民たちから近況は聞いていて、なんでも朝型に変わり籠の仕事を手伝っているだとか。ありがたいことだが、正直心配でもある。それで体を壊してしまったら目も当てられない。なにより、なぜ今になってわざわざ朝に起き、仕事を手伝うようになったのだろうか。

 疑問を抱き、それらを一度棚に仕舞い込む。今はただ、目の前のことに集中せねば。頬の縫い跡が寒さできゅっと閉まってしまった。

(何を今更緊張してるんだ。大丈夫、いつもどおりにすればいい)

 テトは顔に仏頂面を貼り付け、扉をノックしようと片手を上げた。

「あっ」

 直前で扉が開いて金髪長身の女が顔を出した。髪を後ろで一つにまとめていて、いつもより雰囲気が違って見える。

「テト……」

 驚いて剥がれかけた守護者としての貌を咳払いをしてなんとか誤魔化す。最近皮が脆くってきたような気がするが、それを悟られる訳にはいかない。

「…………少し、話をしよう」

 ロラの部屋に入り、椅子に腰かけた。背もたれがあるとつい体を預けてしまう。

「テト…………このまえはごめん」

 意を決したようにロラがそう切り出した。

「わたし、籠のことまで考えられなくて…………テトが向こうのひとたちと仲良くする理由をちゃんと分かってなかった。…………それで、いろいろ考えてみてね、少しだけ理解出来てきたと思うんだ」

「…………」

 ロラがどう解釈したか知りたかったテトは黙って聴いていた。魔女は人間と価値観が違うらしい。しかし、テトはそれを実感したことが無かった。――――ロラは私と同じ価値観なのだろうか。

「うん、全部じゃないけど少し分かったと思うよ。籠と戦士のひとたちが争わないようにっていうのと、テト自身、ひとが死ぬのを見たくないんだよね」

 目線を合わせては避けを繰り返しながら大きな少女は確認するように言った。テトは目を閉じ一つ息を吐く。

(まるで私が我がままを言ったみたいじゃないか。…………いや、そう……なのか…………?)

「…………まぁ、そんなところだ。無益な血を流さないためにも、我慢してくれるか?」

 これが一番大事なところだ。ロラに対して誤解しがちなことが一つある。それは、彼女はこう見えてかなり武闘派な気質があるところだ。一度、郷里の酒場でそれを疑い、先日の二度目でそれを確信した。普段その敷居がどれくらいの位置にあるかは分からないが、どうやらテトのことになるとかなり下がるように見える。

「たぶん…………できると思う。わたし、ちゃんとテトのこと理解できてる?」

 歯切れの悪い返事だ。本当に分かってくれたのだろうかという不安と、今まで深く関わることを避けてきた後悔が浮かぶ。

(理解…………理解、か…………)

 ロラの口からその言葉を聞いていると、自分がどれだけ棚に上げた態度をしていたかが身に染みた。いろいろといっぱいいっぱいで、上手く自分を見つめ直す時間がなかった、という言い訳は通用するだろうか。

「ロラ、お前は私を大きく買ってくれているのかもしれないが、私は…………そう高尚な魔女ではない。日々体裁を保つので精一杯なんだ」

 今だけ、今だけだ。この一瞬だけ、人前で仮面を取ろう。ロラにもう少しでも自分を理解してもらえば、今後今回のような大きなトラブルに見舞われる可能性も下がるはずだ。少し怖いが、そうと決めたのだからあとはやり切ることに専念しよう。

「以前にも言ったが、私は争いも血も人死にも見たくない。臆病者、そう言っていいだろう」

 ロラの眉が動いたような気がする。気がするだけだ。ちゃんと見れていない。

「私はあらゆることが怖いんだ。恐怖に負けて判断を誤ったことも…………誤ったかもしれないこともある。話さなければいけないことも、その後のことが怖くて言えていない。……………………守護者として私は弱い。大きな問題が起きたとき、弱い私は狼狽して何もできないかもしれない。だから極力波風を立たせたくないんだ」

 自分を打ち明けるのは初めてだ。怖いし、緊張する。それに、情に訴えるようで意地悪なやり方だ。それでもやった。

「…………テト、あんまり自分をいじめないでね」

「あ、ああ」

 思っていたよりロラは冷静に答えた。少し拍子抜けした。

「さすがにテトのことを全能だとは思ってないし、わたしはテトが凄いから好きってわけじゃないんだから」

 ふんっと鼻息を吹かしてロラが言った。

「一回失敗しちゃったけどさ、もう大丈夫、テトの嫌がることはもうしないよ。さっきは不安にさせるような言い方しちゃったかもしれないけど…………うん、わたし、我慢するよ。テトと籠の迷惑になるようなことはしないって約束するよ」

「…………そうか…………分かった、ありがとう」

 空回り感が否めないが、ひとまず彼女の口から欲しかった言葉を受け取れた。朝から身体に圧し掛かっていた重りが降り、ずいぶんと気が楽になった。

「ふぅ…………それじゃあ、本題に入るとしよう」

 ロラの意思確認はあくまでも前提に話しておくべきことだ。今日時間を作って面と向かったのは、それ以外の重要な事柄を話すためにある。

「グルーニィの魔石を出してくれ」

「待ってね~…………あった!はい」

 先日記録館から返してもらった血の魔女の魔石、これは魔女にとって有用な武器になる。籠の結界を通過するための鍵を拾ってしまったかもしれないある恐ろしい魔女に対抗するため、籠の戦力、つまりはロラの装備を強化するにはうってつけの物だ。

「しかし、本当に私でいいのか?仮にもかつての仲間だった可能性があるんだろう。ならお前がやる方が相応しいと思うんだが」

「ん~~…………、もう、そのヒトはいいかな。それに、テトの方が慣れてるでしょ」

 なんとも…………。

(私がこいつを真に理解できる日はくるのか?)

「分かった。確か籠手(こて)だったか?こっちに」

「うん、これね」

 受け取った籠手を膝の上に置いた。見た目以上に軽く、強度が心配になるが、自分はこういった物には疎いので口出しは避ける。

「ひし形、奥行きは…………これくらいか。よし、少し待っていろ」

 テトはそう言うと躊躇なく魔石を口に含んだ。目を瞑り、完成形をイメージする。

 魔石は物理的には不変の石だ。どんな金属や宝石よりも硬く、人間が加工することは不可能な代物だった。しかし、魔女はそれを口に入れ、唾液に僅かに含まれる魔法の力とイメージによって、形と大きさを変えることができた。

 しばらくして、テトは懐から手拭いを広げてその上に魔石を吐き出した。纏わりついた唾液を拭き取り、籠手の中央の溝に嵌め込む。

「我ながらいい出来だ」

 ピッタリだった。顔を上げるとロラがニコニコ笑っていて気持ち悪かった。テト自身表情が緩くなっていたことに気が付くのは部屋を出た後の話になる。

「ありがと」

「礼はいい。それより、本題第二だ」

 テトは手拭いの汚れた面を内側に折って仕舞うとそう話し始めた。

「以前、お前が目覚めたという場所で見つけたあの帯状の物。あれに書かれていることの法則性が六七割分かってきたんだ。だがこの先は未回収の分も含めて全体的に調べなければ不確実でな」

「あれ、全部持ってくるの…………」

「ああ、重労働になるだろう。頼んだぞ」


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