第十二話 籠の小鳥たち (一)
何の予定もない日なのに朝に起きたのはいつぶりだろうかと彼女は寝ぼけた頭でぼんやりと思う。昨夜はあのまま寝てしまい、その結果朝に起きてしまった。しんしんと足先が冷えて痛い。暖炉に火を入れようかと考えはするが、布団が食いついて体を離さない。それに、昨日のことを思い出してしまい尚更体が重くなった。
(テトを傷つけちゃった…………)
ロラは布団に包まった。昨日テトにしてしまったことや言われたこと、血を流しながら怒っていた顔が思い浮かぶ。
(テトを怒らせちゃった…………)
あんな風に怒られた経験は記憶にもない、初めてだった。自分がしたことに驚いて、怖くて動けなくなった。ただ、感情だけがぐるぐると頭の中を駆け回って、テトの声と押し合いになって、それで一旦全部箱の中にしまった。空っぽな頭の中にテトの声だけを入れた。
ぐー、と布団の中で音が鳴る。
(お腹すいた)
悶々とした考えに蓋をして、ロラはとりあえず布団から這い出した。
朝食と身支度を終えたロラは部屋を出ようとしていた。何をするといった予定はないのだが、何もしないでいるとなんか嫌だった。
「ヘリトラ寝てるかな」
魔女は本来夜型であり、いわゆる健全な魔女の生活リズムで過ごすロラに合わせていたヘリトラは昼夜逆転の生活をしていた。
部屋を出ようとして奥歯に違和感があった。
(忘れてた)
猫の足取りが込められた魔女ルビスの魔石と、それが嵌め込まれた歯に固定するための金具だった。昨日、外すのを忘れてたみたいだ。
ハンカチで拭いて小箱にしまい、ロラは日の昇り始めた外に出た。横目に見たテトの部屋はいつも通り静かだった。
籠の住民たちはロラを見つけると揃って驚いていた。朝に彼女の姿を見るのはグルーニィと戦う前以来であり、約二ヶ月ぶりなので当然といえば当然の反応であった。
朝食に誘われたりもしたが、もう食べたし気分でもなかったので断った。そしたらまた驚かれて体調を心配されてしまった。寒いのかとコートを貸そうとしてきたり、熱した石を包んだカイロを渡されそうになったりと、全て断るのには苦労した。でも、お節介であっても気遣ってくれる人々の温かさが心地よく、ロラは少し気分が良くなっていた。
そんなこんなで寄り道をしつつ人里から離れた林の中のヘリトラの工房にやってきた。薄暗い室内を進み、奥の小さな生活空間に近づく。以前クレアから臭いについてきつく言われたらしく、それ以来換気の頻度を増やしたらしい。ロラとしては、あの鉄や煤の匂いは嫌いではなかったのだが。
(あれ?陽があるからって寝るとき窓開けてるって聞いたけど閉まってる)
豪快に両手を広げて眠るヘリトラの隣に座りこんだ。凄まじい寝相の形跡が見て取れるが、不思議なことに三枚重ねになった布団はしっかりと暴れん坊の体を覆っていた。足先を同席させてもらいながら、ぼーっと窓の外を眺める。
ぐるぐると頭の中をいろんな考えが巡り、文字たちが窓枠で踊りだす。文字たちはどれも今で言う、旧時代、戦前の文明が崩壊する前の文字たちだ。郷里で普及している文字は敗戦前後郷里に住み着いた外の大陸のから来た者たちの文字で、発音自体はほぼ変わらないが形が違っていた。
そんなことを今思い出して、とても厭な気持ちになった。
ロラは分からない、なんで周りが知らないこんな文字を知っているのか。
ロラは憤った、どうしてテトがあんな理不尽に耐えていたのに自分は耐えれなかったのか。
ロラは不安になった、テトにどう顔を合わせればいいか。
(頭の中…………ぐちゃぐちゃ…………)
絡み合った思考が気持ち悪くなってロラは膝に顔を埋めて避難しようとした。
すると、目が合った。
「あんたはあたしを寝かさない気かい?」
「わ!」
大欠伸をして暴れん坊が目を覚ました。足先を入れていたことに気が付くと、やれやれと布団を被せてきた。暑くて臭い。
「どしたんこんな朝に?」
「……起きちゃった。昨日夜寝ちゃったから」
「その困り眉の理由はそれだけか?」
羽織に腕を通したヘリトラが訝し気にロラの目を見て言った。返す言葉が見つからず、ロラは布団と膝の間に顔を埋める。
「この時間だと…………なるほど、無断で部屋に忍び込んで寝てたのがバレたってところか」
「それはバレてないよ」
「…………忍んでたことは認めるんだな」
ヘリトラは器用に移動してお湯を沸かし始めた。
「んじゃあそれで?何したんだ?あんたのことだしテト様関連なのはあってるだろ?」
「…………怒らせちゃった……………………怪我させちゃった」
「ん?…………はぁ!?」
ヘリトラに肩を掴まれて詰め寄られ、ロラは慌てて事情を説明する。ヘリトラはよっぽど驚いていたみたいで、始めのうちは加減も気にせずに掴まれていたせいで痛かったが、ある程度話を進めると肩から手を放して落ち着いていった。
「あんたもあんただけど…………はぁ、あの人もあの人だ。平和主義のお人好しめ」
ヘリトラはお茶を啜り深呼吸をして自分を落ち着かせていた。そうして肩の力を抜くと、ロラの分にも用意し始めた。あんたも飲んでリラックスしろということなのだろう。素直に受け取って一息ついた。
「まあ正直、頭にくるのも無理ないし、籠と郷里がそこまで仲が悪かったなんてのも分かるわけないよな。最後に争いあったのは百年以上前で、籠そのものに憎悪を向けてるやつはもうほとんどいない。ただあんたら魔女さまが怖くて仕方ないって、でも憎くて馬鹿みたいに吠えまくる。――――しかし、だ。ロラ、あんたが向こうで問題を起こせばその面倒は籠とテト様が被ることになるのは理解した方がいい。あたしも初めて向こうに行くことになったときテト様に嫌ほど聴かされたよ、『お前は向こうでは籠の代表者として見られることになる、嘗められすぎると籠の立場が弱くなってしまうから堂々とするんだ。だが、だからといって切っ先を向けるようなことをしてはならない。実物など尚更だ。理不尽なことを言われようとその身で受けろ。安心しろ、あとで私がその傷を癒す』」
ヘリトラはまさにテトが言ってそうなことを暗唱してみせた。それができてしまうほどしつこく聴かされたのだろう、言い終わってから少し照れくさそうにしていた。
「とまあ、あたしから言えることはこんくらいかな。あの人は良くも悪くもああいった方法しか知らないんだ。まあ、あの人自身は涼しい顔してるから、あんたもそれに付き合ってやるしかないな」
そう言ってヘリトラは話を締めた。「ああいった方法しか知らない」、それはテトがロラに言った「耐える」という方法だ。ヘリトラはもしかしたら気が付いていないのかもしれない。あの愛らしい猫の裏で心を痛めているのを。それとも、そう見えたのはただの気のせいで、ヘリトラの言うとおり本当に気にしてない?
(ううん、テトは確かに悲しそうだった。でも、じゃあ、耐えるしかできないの?テトが傷つくのを見てることしか…………)
「わたし、分かんない。頭悪いから分かんない」
提示された「耐える」以外の選択肢が思い浮かばなかった。
(ワルイ奴は倒さないと。…………でも、テトと籠のためにも倒しちゃダメ…………)
布団の山の中でロラは唸り声を出して悩んだ。いいや、現状できる手段はそれしかないのは分かってはいる。分かって入るが認めたくないのだ。
「残酷かと思うかもしれないが、解決策がない以上そうするしかないんだ、頑張って耐えるしかない。しいて言えば、必要以上に郷里の人間に近づかないってくらいだな。毎日のように顔を合わせることはないし、気軽に行く場所でもない」
「…………」
ロラはひとしきり唸ったあと、小さく頷いた。
これは妥協だ、認めたわけではない。
ロラは忘れていない、テトを罵った少年の顔を。
重い話をしたあとは二人とも肩の力を抜いてだらだらと新装備や備品の話で盛り上がり、気が付けば朝というには遅い時間になっていた。
「もう昼前か、今更寝れんしちょっくら仕事するかね」
「仕事?わたし以外に武器使うひといるの?」
「ああ、魔女や人は結界を越えられないけど野生動物は入ってくんだよ。中には家畜や人を襲おうとするのもいるからそれを狩る人間がいるのさ。そいつらのために弓やらクロスボウやら作んのも、あたしの仕事さ」
「へー」と間延びした反応をしてロラはてきぱきと動く筋肉質な腕を観察する。そんなロラに気づいて、ヘリトラは何か思いついたようだ。
「ロラさんよ」
「……?はいよ」
「あんたの仕事は基本外に用が無ければ暇なんだよな?」
「うん?」
「ちょっくら籠の中で働いてみないかい?住人の中にはまだあんたのことをよく知らない人もいるし、何よりあんたが精力的に籠のために何かしてることを知れば、テト様も悪い顔はしないだろ」
「お、おお!」
そうだ、テトにどう顔を合わせればいいかも悩んでいたんだった。
テトが大事にする籠に貢献すれば、失敗をしてしまったロラであってもきっと認めてくれる。ロラはそう確信した。次面と向かうとき、籠のために頑張ったと多少なり胸を張れる。
「やるよ!働くよ!なにすればいい?」
「お、おう、ずいぶんやる気だな。まあそれならそれでいい。そうだなぁ…………」
若き職人はいくつか人手を欲していそうな所をぽつぽつと挙げていく。
そうして、ヘリトラの紹介のもと、新人バイトロラは昼間の籠に繰り出していった。




