第十一話 衝突 (ニ)
「……っ!?」
ロラが驚愕の表情をして詠唱途中の口を止め武器から手を離した。それでも、血の色の輝きはもう治まることはなかった。剣先の魔石は光を放ち、真正面に立っていたテトの頬を掠めて背後の椅子に穴を開けた。
一直線に焼き切れた所から血の滝が出来上がる。暖かな炎の匂いに、濃い血の臭いが合わさる。でも興奮しているせいか、痛みは感じなかった。
「あ……テ、テトごめ……ごめん…………ごめん……」
テトは無表情のまま、今にも泣きそうなロラに詰め寄った。テトはロラよりも頭一つ分以上小さいが、大きい方は小さい方に迫られると後退りをして身体を強張らせる。
テトは疑問に思っていた。得体の知れないこの女は何故か自分に対してはとても従順で、異常とも思えるような執着を見せる。自分がバァニの子孫だから?似てるから?それとも、手助けをしているから?はたまた、自分以外で唯一のまともな魔女だから?…………どれも考えてみる。立場を置き換えてみる。親しい人に似ていたりしたら、確かに少しは親しみを感じる。でもその程度だ。だって本人じゃないんだから。魔女仲間だからだとしたら。それも種類は違うが親しみや繋がりは感じるだろう。でもきっと、生まれてこの方同族と疎遠だった自分ほどじゃない。セレネの記憶を自身のものと認識していたなら、目覚めたばかりの彼女にとって魔女はそこまで特別な存在ではないはずだ。では、自身の存在証明や使命の協力者だとしたら。どれも確かにありがたいし、大切な協力者と認識できる。しかし、どうも引っかかってしまう。ここまでの執着の強さは、本当にそれだけで成立するのかと。
ただ結局、どの仮説もテトの感覚と照らし合わせると成り立たず、しばらく前にお蔵入りとなったのだった。
そしてそんな仮説の数々を頭の隅に放り捨てた今のテトは、まどろこっしい考えを椅子に置き去りにして堪忍袋の緒を切らした怒れる守護者なのだ。
「テ、テト…………?」
「…………者め……」
小さな肩が噴火を目前にした火山のように震えている。そして噴火を止める術などそこら辺に転がっているわけもなく。
「この大馬鹿者め!!!」
胸ぐらを掴んで飛びそうなほど精一杯背伸びをして顔を近づけた。金色の純朴な瞳に怯えた色が浮かび、体勢を崩して押し倒すような形で倒れた。倒れた反動で血がロラの服に着くがそんなのかまうことではない。馬乗りになって、かのセレネと瓜二つだというご尊顔を見下ろして言ってやる。
「この大馬鹿者め!私たちが築いた戦士たちとの関係を全て台無しにするつもりか!それだけじゃない、戦争にすらなり得るんだぞ!」
ロラの顎を掴んで頭側にある本棚に無理やり向ける。
「この部屋の本を見てみろ!奥の部屋の本を見てみろ!これだけだ、これだけしかないんだ!!何百年あるはずの記録がたった二部屋に収まるんだ!旧時代の魔法の伝承も、結界の修復方法すらないんだ!…………なら、ただの記録不足だと思うか?残念だが不正解だ」
ロラは苦しいのか首や頬を僅かに震わせていた。でも、拒む気配はなかった。
「全て戦争によって燃やされた。焚書さ。人がいれば、いずれ戦争が起こる。考え方が違えば、それも戦争の火種になる。個々の小さな諍いが、何百の人死にに繋がる。…………戦争は相手の全てを、存在や考え方すら否定してしまえるんだ。もちろん亡き者たちが遺した歴史や思い出も」
ロラは静かに聴いている。彼女にこの言葉が、意味が届いているのかは分からない。それでもテトは、子どもに言い聞かせるように淡々と、心に染み入ってくれるように話した。
「幽居の籠と英雄の郷里の衝突は一度や二度ではない。魔女を狩る者たちと魔女に護られた者たちの関係など、この部屋の暖炉の炎がどれだけ熱いか想像するよりも分かりやすいだろう?それでも、時に争い、時に共生してきたんだ。ある時には郷里から籠に幾人か移住させる計画も行われた。その計画で当時の守護者の魔女と郷里からの移住者の人間が結ばれた。――――そして戦争が起きた。たくさん人が死んで、たくさん記録が焼かれた」
テトはようやく顎から手を放し、ロラの上から退いた。乱れた金髪がゆっくりと起き上がる。
「私が話したことはどれも記録に遺されたものや、人間たちの間で語り継がれてきたものだ。実際に経験したことが無い、言ってしまえばお前の記憶よりも現実味のないもので、説得力がどれほどあるか分からない。だが、私の話だ。私にご執心のお前なら、よく聴き、想像くらいしてくれるだろう?」
「……………………ごめんなさい…………」
ロラは膝をハの字に折り曲げてしゅんと俯いた。郷里で見せた寒気すら感じるあの殺気を出した本人だとはとても似つかない。が、確かに彼女のものだ。既に一度、ノエルと出逢った時にも感じたものと同じものだった。
「お前に郷里との関係の、こういった背景をきちんと説明していなかった私にも責任はあるが、だからといってお前の過ちを帳消しにするわけにもいかない。謝ったからには、お前は私の考えを汲んでくれたと解釈させてもらう」
ロラは頷きはするが、どこか奥歯に物が挟まったような返事をして、躊躇って何度か口を開けては閉じた。
「言いたいことがあるなら言え」
「あ…………、……………………かなし、そうだったから」
意を決したように潤んだ瞳が見上げた。
「テトが、いろいろ言われてた時、すごく悲しそうに見えたから」
「――っ!?」
心臓が跳ねた。見透かされたような気がして、すごく、すごく不愉快だ。
「だから……でも、ごめん。わたしが間違えちゃったみたい」
同時に、自分の至らなさに不快になった。
「…………お前は……怒れない私の代わりに怒ってくれたということなんだな……そうか……」
テトはロラの前にしゃがみ込んだ。こうなるとまた、ロラの方が目線が高い。
「それは……その…………ありがとう、私のために怒ってくれて。それと、すまない。普通なら怒るべきは私だった。ただ、以前も説明したと思うが、ああいった待遇に慣れてしまっているんだ。お前が心配するほど傷つきはしない」
得体の知れない女は何も言わず、悲しそうな目を向ける。初めて受ける種類の視線だった。胸がざわついて、すぐに視線を逸らした。そうしないと、何故だか泣いてしまいそうだと思った。
「お前が私を大切に想ってくれているのは嫌ほど分かったさ。だが、だからといって私はお前を甘やかしたりなんてする気はないし、お前に私を守らせる気なんてものもない」
テトは立ち上がり、ツヴァイを拾い上げるとロラにも立つように言った。落ちた帽子も拾わせる。
「ロラ、私は…………私は戦いがきらいだ。血を見るのが嫌いだ。人が傷つくのが嫌いだ。傷つけるのが嫌いだ。お前が傷つけられるのも嫌いだ。もちろん、自分が傷つけられるのも嫌いだ。私は争いを好まない魔女だ。――――しかし、争いを避けるためには時にどちらかが一歩退かなければいけない時がある。自分や、自分の仲間が傷つけられるのを黙認しなければいけない時があるんだ。生きている者と関わる以上、思考の角が引っかかってしまうことはどうしても避けられない。――――だからロラ、争いの嫌いなこの魔女の為に、どうか耐えてほしい。差別に。偏見に。理不尽に。直接現場にいるお前といられない私とでは感じ方は大きく異なるかもしれない。それでも、どうか耐えてほしい」
「…………」
ロラは俯いたまま何も言わない。表現としては悪いかもしれないが、普段は飼い主に尻尾を振る犬のように思えて、考えていることも分かりやすかった。そう、思っていた。
「…………はぁ……、私もお前も、少し頭を冷やす時間が必要そうだ。お前はしばらくの間、籠の中ですきにするといい」
小さく頷いたあと、覇気のない背中が通り過ぎてそのまま部屋から出ていった。足音も遠ざかっていき、部屋の中は薪の弾ける音に支配される。
テトは足音が消えてもなお扉の方を見ていた。なにを考えることもなく、時間だけが空虚に過ぎた。三回ほど薪が弾けた音を聞いて、ようやく視線を外して椅子に深く腰掛けた。沈み込むように。
「はあぁぁ…………」
(…………私は馬鹿だ。ロラのことを心のどこかで侮っていたんだ。ほぼ無条件に向けられる信頼に無意識に甘えていたんだ……)
背もたれにもたれかかり、そのまま全てを預けたくなる。頭を悩ませるいろんな厄介ごとから逃げ出したい欲求が形を成して手と成り、椅子に縛り付けようとする。
(本当に、疲れるなぁ…………猫の集会を使ったせいもあるか……)
重い頭を支えようと肘を付こうとして、指に血が付いて驚いた。そういえば怪我をしていたんだった。それもかなり深いようで、まだだらだらと流れ続けていた。初めて絨毯が汚れている事にも気が付いた。
(っ…………バライジのところに行こう。起こすのは忍びないけど、血を失ってはそれだけ寿命が縮んでしまう)
簡単な処置をしてからテトは立ち上がった。部屋の外は真っ暗で寒く、寂莫とした雰囲気に吞まれている。その雰囲気は慣れ親しんだものだった。テトの周りはいつも温かかったが、冷たく暗いそれも同時にあったのだ。しかしこの数ヶ月は何故かその感覚を忘れていた。でも、また戻ってきた。
テトは独り、雲のかかる夜空の下を白い息を吐きながら歩き出した。
「はぁ…………馬鹿だなぁ…………ほんとうに、大馬鹿だ…………」




