第十話 記録館 (三)
「ふぁぁぁ~~~~…………」
「眠いか?」
「ごめん」
「いい、私が記録しておくからお前は休んでいろ。帰りもあるんだ」
「んん」
陽が落ちる前に籠に帰る予定であったのに、窓の外はすっかり暗い。どうやって触れられない資料を見るかというくだらない押し問答をした末、エルはダルエニの膝で寝息を立て始め、ロラはダルエニと資料を交互に睨んでいたが、やがてテーブルに顎を乗せ夢の世界に旅立ってしまった。最終的にダルエニがページめくりと資料漁りをすることになり、テトは岩のように固い肩から資料を見下ろす形となった。
調べているのは贖罪者に関してのことや、昨今の魔女やウイブの動向、ロラの記憶の手掛かりになりそうな大戦前後の記録等々、それだけでもあまりに膨大なため、かなり流している。テトは片目で霊猫から資料を見つつ、もう片方で自分の手帳に箇条書きでメモを取っていた。
ダルそうに肩肘を付きながらダルエニがページをめくる。うだうだ言いつつも、なんだかんだでやる男だ。そんなことを思っていると、資料のとある文章が目に止まった。
(ん?『銀騎士の遭遇頻度増加。害なし。益だが敵と誤認注意』…………)
そこでふと、昼過ぎのことを思い出した。あの廃村での出来事だ。
「ダルエニ、うっかり忘れていたんだが一つ話しておきたいことがある」
そうしてテトは、廃村で出会った探求者とそれに襲い掛かった騎士の話を要所を踏まえつつ簡潔に伝えた。話を終えた時には、ダルエニの表情から気怠さは消えていた。
「魔女どもに起きている異変は深刻に見た方がいいだろうな。奴らの行動パターンも活動範囲も変化している。んで、お前らが会ったのは間違いなくここに書いてある銀騎士だろう。そこでアホ面で寝てるやつの言うとおり、焦土の魔女ラー直属の部下、使徒ジョバンニだという噂もある。…………というかコイツ、なぜ見ただけでジョバンニだと分かった?守護者のお前ですら分からなかったのに」
「あ……」
ダルエニはテトを摘み上げると、向かい合うようにテーブルに座らせた。ふんぞり返っているのがウザいが、残念ながら今は弁論が先だ。
「金髪は何者だ?考えてみりゃあ、なぜお前以外のまともな魔女が現代のこの大陸にいる?話せ」
つるハゲやろうは無駄に頭が切れる。とても厄介だ。エルに中和してもらいたいが、彼の膝をよだれで汚すことに勤しんでいるため期待はできない。
(…………いや、こいつになら……)
テトは落ち着いて深呼吸をした。
「他言無用だ。――――ロラは戦前の魔女だ。どういうわけか、征戦魔女隊を率いていた大魔女、セレネのものと思しき記憶を有し、外見も瓜二つのようだ。目覚めたのは約三か月前、それまでおそらく魔法によって隠されていた空間に眠らされていた。曖昧な意識と記憶に混乱してウイブに襲われていたところをヘリトラが救出した。そのあとは断片的なセレネの記憶を頼りにかつての仲間や自分という存在が何なのかを求めている。初めて郷里に来た際やグルーニィの狩りで会話を試みようとしたのは」
「自分がセレネである証明を自分自身にするためか」
「…………ああ。吞み込みが速くて助かる」
驚くほどすんなり吞み込んでいる。あまりにスムーズ過ぎて裏があるのかと思いもしたが、この男のことだ、薄々何かしら勘づいていたのかもしれない。無駄な毛一本ない顎を撫でながらダルエニは唸る。こいつなりに理解しようとしてくれているのだろう。
「それで?結局初めてのお相手は自分で殺しちまったわけだが?」
今度はテトが唸る番だ。
「正直、私もよく分からないんだ。本人は「もう大切じゃない」なんて言っていたが、それがあまりにも急な変化過ぎて、私にはどういった感情の変化なのか、その基準となった価値観が理解できないんだ」
「…………ふん、まあそれはお前らが解決すべき問題だ。早いとこしねぇとババアが来るぞ」
無理やり話を終わらせられたが、正直ありがたかった。雑に相手していいせいか、つい喋りすぎてしまったと口を閉じてから気づいたのだ。
「三ヶ月ってーと、魔女どもの動向がおかしくなり始めたのと大体被るな」
「私もその考えに至り、今日は彼女が目覚めた場所を見に行ってみたんだが、手掛かりはあった。ありはしたんだが、それが何なのかがまだ分からない。これから調べてみるつもりだ。ただ、ロラと魔女たちの異変には関係はあると考えた方が自然だろう。………………そこに悪意が無いと信じたい」
ロラの目覚めはなにか連鎖反応的なものであり、悪い関わり方をしていないことを祈るしかない。例えば、ロラが目覚めたから魔女たちに異変が起きた、なんてことが。
「血の魔女を殺した後お前に伝えたこと、覚えてるか?」
「『魔女に心を許すな』か、お前に言われるまだもない」
「どうだか」
「第一なんでお前に忠告されなきゃ……ダルエニ、銀騎士の注釈にあるこの、『魔女狩りの銀食器』というのは?」
テトはころりと興味を移すと、前足で該当箇所を指した。銀騎士の注釈には、『魔女狩りの銀食器との関係性は不明。銀食器については別紙に記載』と書かれており、その後に詳しい別紙の所在が書かれているが、どうしてかその別紙は子ども用の童話を集めた倉庫にあるらしい。
テトはダルエニを見上げるが、大男はふんッと意地悪に鼻を鳴らした。
「知るかっ!ガキを慰める話なんざ興味ねぇ、自分でしら――――ッッッんで霊体のくせに爪立てられるんだよ!?」
「魔法だからだ」
「クソッ、だから魔法なんか嫌いなんだ」
ダルエニは爪を立てられた手を摩りぼやく。膝の上でくすんだ緑の髪が身を捩った。見ればよだれの占める面積が広がっていた。
「ったく…………俺も聞き齧っただけだ」
どうやら話してくれるらしい。なんだかんだでやってくれるありがたさ半分、こうでもしないと話してくれない面倒くさい性格だとの呆れ半分、片方を胸に仕舞い込み、テトは耳を傾けた。
「大戦前後、悪事を働いた魔女やそれを支援した人間を殺して回る奴がいた。集団をド派手にぶっ殺す時もあれば、一人ひとり暗殺まがいのやり方をする時もあったらしい。その姿を見た者はほとんどいなかったが、片手で数えられる程度の情報から『銀色』という要素だけが浮かび上がった。そいつが殺すのは不貞を働いた奴だけだったから当時の魔女や民衆からは支持されたらしい。そういった『国の毒』を排除するってところから、魔女狩りの銀食器と呼ばれるようになった」
ダルエニは言葉を切る。二人の寝息が静かに合わさり、冬の寒風が窓を揺らした。雲は重く、明日は白い綿を降らすだろう。
「銀食器は大陸内の秩序が崩壊するまで一度も表立つことはなかったが、今の俺たちでもその存在があったのを知れるほど記録され続けてきた。子どもに聞かせるおとぎ話として遺される程度にな」
「魔女たちが狂った後も銀食器が現れ、悪しき魔女たちを打ち倒してくれることを願っていたのか…………種族も性別も分からないその存在を」
「そんなとこだ。――――で?そんなに銀の付くものを調べて、なにか引っかかることでもあったのか?」
「…………」
テトは耳を猫のものに切り替えて建物内に意識を集中した。ロラの事情を語る前にも同じように確認したが、マダムは変わらず部屋でゆっくりしているようだった。
「はぁ……、ロラに関しては話した通りだ。私も分からないことが多いが、それでも私なりに籠の中で調べている最中だ。長い月日の中で焚書したものも多いが、それでも膨大な量だった。それでつい最近、気になる記載を見つけたんだ」
「前置きがなげぇ」
「愚痴の代わりさ、目を瞑ってくれ。――――それで、古い書記に見つけたのは、『銀の跡継ぎ』という文字だった。『銀の跡継ぎは現状を打開するものであり、全てを解決に導く』と。ただ、これを書き遺した本人曰く、この情報は正確なものではないらしい。元は籠を造った魔女バァニの手記の一つに書いてあったらしいが、何度も複写しいくつもの謄本か作られ、焼かれ、破かれ、内容はずいぶん少なくなり一部変わってしまっている可能性もあるようだ。最終的に残ったのは、銀の跡取りが全部解決してくれるという、大雑把で投げやりなものだけになった」
テトは視界を自分のものに戻し、机の上にメモと共に置いてある小さな手帳を見た。奥の部屋の書庫、その奥まったところで見つけたものだった。見つけるのも読むのも苦労したのが記憶に新しい。
「『銀騎士』に『銀食器』に、『銀の跡継ぎ』ねぇ」
「全て銀という言葉が付くが、全てを同じには見れそうにないな。…………はぁ……」
ついため息が漏れる。こんな癖がついたのはいったいいつからだったろうか。
(あの、ノアとかいう魔女なら何か知っているのだろうか)
「呼んだかい?」
「…………?――――!?」
気がつけば目の前には半ば岩壁に同化したノアがいた。場所もあの、夢の中で連れてこられた洞窟だった。
テトの意識は霊猫から無理やり剥がされてここに連れてこられたのだ。あんな状態で、ノアは容易くテトの生来の魔法を凌駕してみせた。
「なっ!?よ、呼んでない!」
「おや残念。なにかワラワに聞きたかったのではなかったのかい?」
「それは……」
「まあ、教えてあげないがね」
「…………」
「ははははっ!その不機嫌な顔、とってもいいよ。君はもっとそうやって感情を表現した方がずっといいとワラワは思うんだがねぇ」
「うるさい。それで、なぜ私をここに?」
「?」
「わざわざ呼んだんだから、お前の方から何かあるんじゃないのか」
「いいや、君がワラワの名を思い浮かべ、僅かでも願ったから連れてきただけだが?」
「は?」
「それ以上でも以下でもない、君がワラワを呼んだんだ」
口元が不敵に歪んでいる。目は隠れているはずなのに、その目であらゆる真実を、テトの内面を無遠慮に掠め取る。とても腹立たしくなった。
「だがお前は何も教えないと」
「ああ」
「つまり、こうして私で遊びたかったと」
「そんな人聞きの悪い、ワラワは楽しくおしゃべりしたかっただけさ」
「つまり、私の願いを聞き受けたというのは都合がいいただのきっかけで、根本にあるのはお前の浅い願いということか」
テトの双眸が鋭く睨む。その先で、ノアの口が不満気な子どものように曲がった。
「もう少し警戒心を解いてくれたっていいじゃないか。あんまりいじわるしないでくれよ」
拗ねた子どものようなそのもの言いに、テトは開いた口が塞がらなかった。ノアのそれは、明らかに本心のように感じられ、だからこそ、正体不明でテトの魔法を簡単に上書きしてしまえるような魔女が、こんなにも幼稚な考えでしか動いていなかったことに驚いたのだ。
(……いや、それともこいつにとって私は、本当にただ暇をつぶすだけの存在?)
「半分当たりでもう半分は外れだ」
その声には今までの嬉々としたものがなかった。冷たい無色の声だ。ボロ布と成り果てた服の隙間から、肋骨の浮き出た胸部が僅かに膨らむのが見えた。
「確かにワラワが君を呼ぶ理由は幼稚と言えよう。ただ、それだけでは、それだけではないのだよ。初めてここに呼んだときワラワが言ったことは覚えているかい?」
「『計画通りの終着点にたどり着くために、私に全ての力を捧げる』」
思い出すまでもなくテトは言った。初めての邂逅以降、何度もその意味を考えてきたからだ。
「そのとおり」
ノアは満足そうに口元を緩めた。
「…………では、そのために今呼んだと?」
「いいや」
「では、それに関する何か、説明のため?」
「それも違う」
「ならいったい何の…………」
頭を捻り思考が一巡し、始めに戻る。その瞬間、ある屈辱的な考えに思い至る。
「ま、まさか…………っ!」
「ふっ……あっはっはっはっ!!」
テトは怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。怒りと恥の感情でここまで感情の均衡を乱されたのも初めてで、ただ四肢を振り乱して目の前の愉快犯に飛び掛かりたい感情を何とか抑えるのに必死だった。いや、別にここまでされたらやってもよかったのかもしれない。どうせ自分の力でどうにかなる相手でもなさそうだし。それでもそうしなかったのは、精神を吹きっ曝しにされているこの魔女の前でも、今にも吹き消されてしまいそうな尊厳や体裁の火を守るためだった。この行為すら彼女にとっては滑稽なのかもしれないが。
洞窟内に反響する哄笑がやがて落ち着くと、むき出しの細い腹を押さえていた腕がテトの方へ伸び指先を向けた。
「君は本当にかわいいね。表面上疑うような素振りを見せていても、理性でそうしようとしていても、本心では簡単に尻尾を振ってしまうんだ。それが君の本質」
ノアの口調は以前にも増して嬉々としたものになっている。
「っ……どうとでも言え!結局……私を遊び道具にしたいだけじゃないか」
「そう拗ねないでおくれよ。確かにもう半分が君の期待する真っ当な……もう半分も君にとって真っ当でないワラワの幼稚な、君を揶揄いたいという理由であったのは今思うとすこーーーし身勝手だったと思わなくもないが、嘘はついていないだろう?」
「そういう問題じゃない!」
歯をむき出してテトは威嚇の唸り声を上げる。テトが猫であれば尻尾を立てて毛を逆立てていただろう。
「用がないなら私を元の場所に戻せ!じゃないとお前の言う計画とやらを無茶苦茶にしてもいいんだぞ!」
「はっはっはっ!計画の君に力を捧げるというのはもう少し先のことだから、その時までにそう言われないように仲を深めねばいけないね」
「誰がお前なんか!」
誰がこんな人を馬鹿にするような奴なんかと仲良くなれるんだ。自分を買いかぶりすぎなんじゃないか?
「私は大事な調べものをしていたんだ、お前のくだらないお遊びに付き合っている暇はない!」
「そのことに関しては安心したまえ。君の意識がこちらに来てからすぐ、いつまでいるんだと癇癪を起こした人間が君たちを追い出したからね」
つまりは貴重な時間を無駄にはしていないと。つまりはリードの握られていない大型犬が野放しと。
テトは悪寒を覚えた。嫌な予感がする。
「おっと、少し話過ぎてしまったね。仰せのままに、君の意識を元の場所に戻してあげよう」
「待てお前、まだ言い足りないことが!――――くそう……おぼえ……てろ…………よ……………………」
ノアが指を鳴らした瞬間、強烈な眠気に苛まれる。立っていられなくなり膝を突いて、最後には倒れた。この空間は意識や夢の類の存在だからだろうか、痛みを感じない。無機質な空間であるのに、温かさすら感じる。それが眠気を加速させ、この空間から意識を遠ざけていく。
――――できるのなら、この先もこうしたおしゃべりがしたかったよ。…………かわいそうに――――
途切れていく意識の中で、女の冷たい声が微かに聞こえたような気がした。




