第十話 記録館 (ニ)
「あー…………お前たちの仲がいいのは知っていたが…………済まない、ロラ、席を外そう」
「はぁーーー…………まてお前ら、誤解だ」
「おや、ロラ様にテト様も。お久しぶりです」
「てめぇは挨拶の前に何で俺の家に無断で入ってんのか説明しろ。しかもつい一昨日鍵を替えたばかりだってのに」
「市で鍋に良さそうなものを見つけてしまってつい」
「な~にが『つい』だ!ここは俺の家だ、出てけ!」
「しかしもうお鍋は出来ていますし、ロラ様のお腹もさっきから恋しいと鳴かれていますよ」
確かにさっきから下の方でグーグーとうるさい虫が鳴いていた。取り込み中の今お腹が空いたと駄々をこねられても面倒なので、仕方なく自分の頭を自由にする権利を与えて黙らせている。もう何度か耳の内側を撫でられて変な感覚になっているが。
「ダルエニ、そろそろ私は限界だ。こいつを抑えられそうにない。頼む」
「…………」
腹をすかせた金髪の大型犬は空腹を紛らわそうと無心で腕の中の猫の頭を弄っている。心なしか猫の顔はやつれ気味に見えなくもない。
「ほらほら、さあさあ、寒かったでしょう、温かいお鍋が出来ていますので入ってくださいな」
「なんでお前が…………っ、ハァ……もういい入れ!さっさと飯食って行くぞ!」
「ご飯!」
なんとかダルエニが折れた。ロラは靴を脱ぐと鍋の前に座り、エルが嬉しそうにお椀たっぷりに中身を注いで渡す。家主は片手で頭を抱えていた。
「私も食事をとるが、耳だけはこちらに繋げているから何かあったら呼んでくれ」
「便利なこったな」
ダルエニの小言を無視してテトは耳以外の霊猫とのリンクを切った。
「そういえば、お二人はどうしてダルエニ様と一緒に?」
食後の白湯を啜りながらエルが訊いた。腹を満たして機嫌を直したロラが口を開く。
「わたしたちはグルーニィを返してもらいに来たの。そしたらこのひとに会って、なんか借りを返すとかなんとか」
「記録館だ。血の魔女の魔石自体あそこに保管してるが、それを取りに行くついでに猫ガキに記録館の伝記や資料を一時間だけ見せてやる。そんだけやってやれば満足するだろう」
耳だけ動かしていたテトは急いで口の中の物を飲み込んで霊猫に口を繋いだ。
「――――猫ガキだと!?この……」
「食い終わってない奴が入ってくんな」
「っ!この、覚えてろ!」
そう言い残して霊猫の口のリンクを解いた。幽居の籠の自室でテトは牛乳を飲み干しながらもっと悪口の勉強をすることを心に決めた。
それからしばらくして、全員が遅めの昼食か、早めの夕食を終えたのを確認すると、ダルエニが床板の一枚を剥がした。何をしているんだと思えば、どうやら大事なものを金庫に入れ、それを床下に隠していたようだ。ダルエニはその中から一枚の紙を取り出して胸ポケットに入れると家を出るように言った。
ダルエニが大事にしまっていた紙は通行証のようだった。それを郷里の隅っこに建っている無機質な建物の中で覆面の男に見せると長く暗い階段に通され、ひたすらに上がり続けた先に待っていたのは夕焼けに照らされて染まった雲だった。当の太陽は頑強な都市の外壁に阻まれて見えない。
「ここは…………地上じゃないか!?」
「カトラス北部の封鎖された区画の一つです。空の脅威は引退された戦士の方々が相手をして下さっているのでご心配なく」
城塞都市カトラスは広大な面積を誇る大都市であった。英雄の郷里が出来る前の地下監獄も、もとはその大きさ故の弊害で造られたものだった。そんな巨大な都市の一区画というのは、『一区画』という言葉の印象に反してあまりにも大きく、テトもロラも、思わず首をあちこちに向けてしまう。建物はまばらだが、どれも立派なものだ。
「元々あった古い建物は取り壊し、貴重な資料や遺物はここ一帯の記録館に保管しているようです。今回は奥の大きな、一番新しい記録館に」
「こんな場所の存在、私は今まで知らなかったし、籠の記録にもなかったぞ」
「そりゃあ極秘の場所だからな、外部どころか内部でも知ってる人間は限られた方がいいに決まってる。お前らは今回特別待遇だ。ったく、許可もらうのに苦労したぜ」
先頭を歩くダルエニがやれやれと頭を振る。この男は個人的に色々とうざったいところもあるが、なんだかんだで約束を違えたりすることはないと心のどこかで信頼してしまっている自分がいることをテトは理解していた。
「内部も?」
「郷里に何人人間がいると思う?中にはとんだバカも一定数いるってもんだ。ただ大事にされてるもんを壊したいだのと考えるような奴がな。バケモンどもは単純だ。俺たちを殺そうとするからその前に殺せばいい。だが人間が相手となると変わる。悪知恵を働かせ、徒党を組む。そして郷里には社会がある。向こうが何をやらかそうと、簡単に殺すことはできない」
「なるほど……」
「ダルエニ様」
エルに呼ばれ、後ろ歩きをしていたダルエニが振り返る。テトとロラも前を見て、見上げた。
石とはどこか違う頑丈そうな建材で造られた四階建ての建物が目の前に建っていた。ダルエニが重そうなドアのドアベルを鳴らすとゆっくりと両開きに開き、中から身なりの整った初老の女性が出迎えた。
「議長から話は聞いております。……よくもまぁ、魔女を入れようなどと」
「金髪の方は俺には制御できねぇぞ、噛まれても知らねぇからな」
女性は目だけ動かしてロラを見ると、一瞬だけ少し怯えたような目をした。足下にいたテトには見えなかったが、きっと、あまり機嫌のいい表情ではなかったのだろう。テトの中で、なんとなくロラの基準がどんなものか、輪郭を掴み始めている。とても極端な形のような気がする。
「…………あなたの名は、魔女に手を貸した愚かな裏切り者として紙束に埋もれていくでしょう」
「そりゃどうも、名も無きマダム」
盛大な舌打ちが静かな館内に響き渡った。唾でも吐いてきそうな勢いだったがそこは堪えたようで、それきり一言も口を開かずにダルエニの前を先導し始めた。
派手さはないが美しい装飾が柱や壁に梁と、いたるところにみられる。あまり目にしないそれらに内心興味を惹かれつつもテトはいつも通りの平静を装っていた。しかしなぜか、ロラには勘づかれてしまったようで、肩に乗るよう催促された。なんだか見透かされたようでモヤモヤするが、まあ、たいした断る理由もないし、ダルエニたちも猫が自力で歩くのが億劫になったとでも思うだろう。そう結論付け、少し高い肩に飛び乗った。長い髪の裏側に潜り込み、それを外からの目隠しにして思う存分目に新しい景色を堪能する。肩や項らへんをそろりそろりと動き回っていると、ロラがすごく微笑ましそうな目で見てくるが、あまりない体験を前に、テトはその視線を甘んじて受け入れた。
「寒い」
肩を震わせてロラが呟いた。
「貴重な資料が多くあるここで火を焚くなどできるはずがありません。そんなことよりも、さあ着きました」
一行が立ち止まったのは一階廊下の一番奥のなんてことない木目の扉の前だった。その周りには部屋の詳細を示す名札や目印も見当たらない。
「魔石の保管庫です」
マダムは鍵を開けると扉を開けるようにダルエニに顎で指した。重苦しい音が響き、ドアノブを握ったダルエニの太い腕に血管が浮き出る。見た目こそ変哲無い木の扉だが、実際には木材は表面だけで、その下は分厚い金属板の本体があるのだろう。鍵も二つかけてあったのも見るに、安全管理はしっかりされているようだ。
「待ってろ」
そう言ってダルエニが部屋の中に消えた。ロラが好奇心を刺激されたようで中を覗き込もうと扉の枠に手を掛けると、マダムに止められてしまった。
「許可を貰っていようと、魔女にここの物を触れさせる訳にはいけません。あなたがわたくし殺そうとも、それは変わりません」
そう言うマダムの目には、魔女への嫌悪以外の感情も見られた。ロラもそれを感じ取ったようで、素直に引き下がってくれた。
ダルエニが魔石の保管庫から持ち出したのは手のひらサイズの小箱だった。中をテトたちが確認すると、あの時と一切変わらないグルーニィの魔石が丁寧に綿布の上に乗せられていた。ロラがそれを受け取り鞄に入れた。
「贖罪者の魔石…………貴重な歴史の証拠品だというのに」
「魔石は打ち取った奴の勲章だ。それに代わりの帽子があるだろ」
ダルエニはグルーニィ討伐後、戦利品として魔石以外にも帽子を持ち帰っていた。帽子の方は帽子としての用途以外がなく、ロラも何も言わないのでそのまま寄贈となっている。
「はぁ…………戦士ダルエニ、あなたはどちらの味方なのでしょうね」
「俺が正しいと思う方だ」
それきり、また会話は途切れた。
その後、テト達はそのまま三階に上がった。その階は丸々資料室になっており、膨大な量の紙と本が天井まである棚にみっしり詰まっていた。棚のところどころに名札が挟まれており、そこにある資料群の分類を示してくれている。テトとロラはしばし、その迷路の中で迷ってみた。
(本当に多いな。『魔女の討伐記録十二』『外界との通信記録七』『銀騎士出没記録』『英雄の郷里内勢力記録三十一』『総食料備蓄記録九十』…………『贖罪者及び関連記録』)
「なあ、マダム……と呼んでいいか?この膨大な量の紙やその複写はどうやって…………あれ?マダム?」
迷路から出てロラの頭の上から周りを見るが、椅子に腰かけて目を瞑るダルエニとその膝に座ろうとしているエルしかいなかった。しかし、どこに行ったのだろうかという思いはすぐに消えた。
「紙の製造も古い記録の複写も、専門の者がやっております。あなたのところにもそれくらいのシステムはあるでしょう」
初老の女性が音もなく棚の間から出てきた。
「い、いや。作る者はいるが、私たち籠の魔女の仕事だ。…………というより、それは?」
マダムが持っていた物をロラたち三人に放り投げた。中に綿が詰められた羽織だった。
「わあっ!…………あ、ありがとう……?」
「ありがとうございます」
「俺はいらん」
「その…………すまない、無理に気を使わせてしまったようだ」
「勘違いしないでくださいな。わたくしはあなた方に風邪をひかれて資料に鼻水でも付けられやしまいかと心配になっただけですので」
マダムは素っ気なく言うと棚の間に消え、再び出てきたとき、片手に一冊の本を持っていた。
「大雑把に贖罪者や征戦魔女隊の近況を知りたいのならこれを読みなさい。――――近況と言っても、古ければ数百年も前のものですが」
「助かるよ、ありがとう」
しかし、ロラが受け取ろうとするとマダムはその本を引っ込めた。ロラの口がへの字に歪む。
「言ったでしょう。魔女にここの物を触れさせないと。ダルエニ、あなたが見せてあげなさい」
「ハァ!?」
「あなたが嫌と言うなら、あなたの奥方にでもさせなさい。子どもに読み聞かせる予行演習とでも思えばいいじゃない」
ダルエニは心底厭だという感情を表情で叫んでいる。マダムはそれを無視してダルエニの目の前のテーブルに本を置き、出ていくときは一階の自室に声をかけるように言って階段を降りていった。




