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第八話 テトの平和な一日 (二)

 子どもを送り届けたあと、テトはそのまま馬で北東の墓地に足を運んでいた。名前の彫られた墓石が数十個並んでいる共同墓地だ。そのうちの一つの前にしゃがみ込み、名前を撫でて静かに祈る。墓前に手向けられた花はまだ新しい。

「また、来てもいいだろうか?」

 何百と繰り返した無意味な問いを冷たい墓石にして、なんの反応もするはずがない無機物をしばし見つめ、帽子を目深に被り直しテトは馬に跨った。

「おや、テト様もう無くなっちゃったんですか」

「ああ、舌がより肥えてきたようだ」

 腹の肥えた男が玄関先でテトを出迎えた。中からはわずかにアルコールの匂いが漂っている。

「ははは、それは作り手としては嬉しいかぎりですね。同じ物でよろしいでしょうか?」

「ああ、すまないな」

「いえいえ」

 男は丸い体をせっせこせっせこ動かして中に消えていった。何度か棚を開ける音がした後、麦色の中身がいっぱいに溜まったビンを持ってくる。

「そういえば空ビンは?」

「あ……」

「ははは、これを切らした時一緒に持ってきてくださればいいですよ」

「ありがとう、助かるよ」

 テトはビンを受け取りスァルトの鞍につけた鞄に入れた。

「ただ……ひとつだけよろしいでしょうか」

 奥歯に物が挟まったような男の言葉にテトが振り返る。

「お気に召されたことは確かに嬉しいのですが、あまり飲みすぎないように。――こんな体の人間が言うなって話ですがね。ははははっ!」

「…………いや、ありがとう。気をつけるよ」

 そう言って少女は乾いた笑いをした。

 酒造家の主人に別れを告げ、赤くなり始めた空の下を駆けて平野を通る。テトの身長ほどの柵と並行して進むと見えてくるのは、二階建ての一軒家と大きな馬屋だ。

 トントントン、軽く家の戸を叩くが反応はない。呼び鈴を鳴らすが鈴の余韻が消えてもしんと静まりかえったままだ。スァルトがテトの髪を唇ではみはみと遊び始める。

「いないのか?……いや」

 馬屋に馬がいなかったことを思い出したテトは家を離れ、柵の向こうに目をこらした。案の定数頭の馬と戯れる青年が遠くに見える。彼の母親もその傍で毛並みを整えていた。動物好きの似た者親子だ。

「私の声では届きそうにないな、スァルト」

 青がかった灰色の馬は大好きな髪遊びをやめると高らかに嘶いた。ようやく訪問者に気が付いた青年が走ってくる。

「ハァ、ハァ……ごめんなさい、夢中になっちゃって」

「いや、私が少し遅くなってしまったから仕方ないさ。ただ彼女はお腹が空いて少し不機嫌気味だ」

「ああ…………スァルト……おいで…………」

 馬はテトが鞄を取り外すのを確認すると助走をつけて柵を飛び越え、息切れする青年の背中を馬屋の方へとつついて催促しだした。

「で、では!」

「ああ、明日もよろしくたのむよ」

 スァルトとルーメンが屋根の下に見えなくなるのを見届けるとテトもその場を離れ、平野を徒歩で抜けて林に入る。もう空は夕焼け色に染まり暗くなり始めていた。だが、回る場所はここで最後だ。

 ここの扉は硬いので杖を使って軽く叩く。叩きはするが、今までのとは違い気持ち程度の些細なものだ。そう待たずしてテトにとっては重い扉を頑張って開き、薄暗い室内に入っていく。足元の悪い土間を慎重に進み、居間でせっかくの布団を豪快にはだけて眠る少女の隣に腰かけた。

 ヘリトラはロラ専属の鍛冶師兼戦術指南役として、昼夜逆転の生活を送っていた。だから夕方のこの時間はまだ夢の中だ。それでもテトは毎日のように顔を見に来ていた。

「…………」

 布団を掛けなおしてやり、そっと頭を撫でる。スースーと寝息を立てて眠る寝顔を見ていると、鬼神の如き戦士であることその瞬間だけ忘れてしまいそうになる。いや、それはほんの数ヶ月前までの話だ。

(もう、危険な戦場には出れない。ヘリトラ自身は復讐の代行をロラに見ていたが、もし仇が見つかり、その居場所をヘリトラが知り得たら、彼女は本当にロラに任せるのだろうか…………)

「ふがっ!」

 布団が払いのけられた、さっきまで若干震えていたというのに。そのせいで隠れていた膝から下がない脚が目に映り、その途端、赤と青の目が悲しげに歪んだ。

(後悔ばかりだ、いつまでも後ろを見ているわけにはいかないのに)

 もう一度布団を掛けなおし、そっと林の鍛冶場から出ていった。

 夕焼けの赤が外套と帽子を容赦なく襲っている。早いところではもう煙突から煙が上がっていた。


「いけない、少し飲み過ぎてしまったか」

 暖炉の隣で安楽椅子に腰掛けていたテトはグラスをテーブルに置いた。昼過ぎにもらったビンは既に三分の一程度なくなっていた。

「はぁ……」

 水浴びと夕食を終えたあと、部屋着一枚で暖炉の横にテーブルと椅子を用意して独占する。彼女のルーティーンであった。テーブルには古い書物と真新しい書物が並んでいる。紙は保存状態が良くてもいずれぼろぼろになって崩れてしまう。だからこうして古い書物の内容を新品の物に転写する作業が必要であった。毎日やるようなことでもないが、ロラの件から過去の記録を頭に入れるために習慣化してやっていた。

(最近、無意識に嗜好品に頼り始めている気がする。しかし…………晩秋から今にかけていろいろと考えなければいけないことが多すぎた。今後もだ、不安要素が多すぎる)

「はぁ……」

 自然とグラスに伸び掛けていた手を直前で気づいて止めた。心労が無意識に体を操っているようだ。背もたれにもたれかかって脱力する。

(結界の修復方法も並行しているが、先人たちの研究から引き継いでもほとんど進展が見れない。なのにこの数十年で劣化の勢いは大きく増している。…………もし劣化する速度がこの勢いのままで研究が進まなければ…………二十年、二十年は保つ。その間に子をなし、引継ぎもできる。だが、その先は…………)

 不安と焦燥感で頭が爆発しそうになる。

(結界の現状、モリーの動向、この二つの住民たちへの説明、ロラのこと…………ああ!)

 グラスをつかみ、残りを乱暴に口に放り込んだ。

(一日も休んでいられない状況なのに、疲れは溜まってばかりだ。もう…………)

 やけになって一気に飲んだせいか、それとも疲れのせいか、目を閉じた瞬間強烈な眠気に襲われた。

(まだ……今日は文献を漁らなきゃなのに……………………)

 少女の細腕が肘掛けからだらんと垂れ下がった。彼女の思考は深い夢の中へと落ちていく。


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