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第八話 テトの平和な一日 (一)

「――――――――んぁ…………」

 幽居の籠現守護者である猫の魔女テトの朝は早く、日が昇るのとほぼ同時に目を覚ます。

「ん~~~…………ん?」

 のそりとベッドから起き上がった彼女は不思議そうに自分の体を見下ろした。そしてしばらくするとピョンっと立ち上がり、部屋の奥の本棚たちに隠れるように存在する横穴へと入っていった。横穴の先には上下に階段が続いており、テトは一直線に階段を降りていった。上下階段の間を貫く吹き抜けの天窓から少し早めに起きた太陽が会釈とばかりに微かな明かりを届けてくれる。

「ん~~んん~~~」

 階段にはかわいらしい色合いの手すりとカーペットが敷かれており、貧弱な魔女の体をそれらが気遣っている。もともとは手すりもカーペットも質素な色合いであった。しかし、異例の若さで守護者へとなってしまった、早くに家族を喪ってしまった彼女のために、籠の職人たちが特別に拵えたものだった。

 階段を降り切って扉を開ける。こじんまりとしたそこには小さな穴が開いた椅子のようなものと、反対側には(とばり)と段差によって遮られた空間があった。帳を天井に填め込まれた溝に沿って動かすと、何やらからくりが施された壁と小指よりも細かい穴がたくさん開いた天井があった。

 唯一身に着けていたぶかぶかのシャツを扉に一体化した仮の物干しに掛け、帳を閉じ、からくりを軽くいじる。真冬の冷水が天井から降り注いだ。

「ンンーーー!!!」

 昔、このシャワーを温水にできないかと四苦八苦した魔女がいたらしい。まぁ、四苦八苦しただけで結局これが現状であるが。しかしテトは冷たさに悲鳴を上げはするが、ある程度慣れると再び上機嫌に鼻歌を歌い出した。

「あぁ~~んん~~~」

(今日はなんだか調子がいいぞ、体が軽い〜〜)

「んぁ〜〜あぁ〜〜んん!?」

 伸ばした羽が冷水をもろに受け、そこから一気に体温が下がる。テトは身震いしてそそくさと水浴びをやめ、扉の外に用意していたタオルと着替えを手に取った。

 着替えを終え、タオルを頭に巻いたテトはバスルームと向かいの部屋に入る。大きめの桶と水の流れをわざと遮った水路、洗濯をするための部屋だ。水流を遮っていた仕切りを開き簡単に水洗いを済ませると、水路を跨ぐように配置された筐体(きょうたい)に近づく。上部に円柱が二つ横になって並んでおり、その隙間に洗った物を挟む。筐体の側部にあるハンドルを回すと歯車でつながった円柱が回転し、挟まった洗濯物が飲み込まれて水を真下の水路に吐き出していく。水路の先は網状の石材がはめ込まれているため大きな心配はないが、そのまま洗濯物が下に落ちないよう注意しながらハンドルを調整する。

 これも力の弱い魔女のために造られたものだった。幼い頃のテトは母がやる姿をなんとなくおもしろそうと見ているだけで、母がこういった物を整備しにやってくる人に感謝するよう解いていても、有耶無耶な返事をするだけだった。しかしこうして独りになった今、精神的に成長したテトは母の言っていたことがよく分かる。こうして普段力を使わずにいられるのは人々のおかげなのだと。だからテトは人々にいつも感謝の念を抱いていた。

 脱水した物をカゴに入れ階段を上がる。今度は一番上まで上がり、窓から外の様子を確認してから扉を開ける。

 岩山に空いた穴から朝の日が指そうとしていた。こじんまりとした天然のベランダにある物干しにさっさと洗濯物を掛け、太陽から逃げるように扉の中へと戻った。

(そういえば、今日は()を見なかったな。どうりで寝覚めが良かったわけだ。喜ぶべきかは…………)

 灰色のカーテンで日光を弱めた薄暗い部屋でテトは朝食の用意をしている。今日は身体の調子がいいこともあり、気持ち多めに用意しているようだ。

「おっと…………す、すまないが私は君が苦手なんだ、どうか引き返してくれないか?」

 換気のため開けていた窓から蜘蛛が入ってきていた。まだ小さいが苦手なものは苦手だ。

「な、なあ、頼むよ。追い返すにしても魔法は使いたくないんだ」

 細い前足で頭をかいた蜘蛛は窓枠から室内に数歩入った。テトが顔を引きつらせて後ずさりし、洗ったばかりのまな板を及び腰でつかむと蜘蛛に突き付ける。

「あっ!」

 珍客の姿が見えなくなった。まさか潰してしまったのかと慌ててまな板を持ち上げるが、そこに潰れた死骸は見当たらず、テトは安心したように息を吐いた。では、どこへ?と、パッとまな板を裏返すと、元気な蜘蛛がまな板をテトの方に向かって這い上がってきていた。

「はあッっ!?」

 咄嗟に放り投げたまな板が窓の向こうへと落ちていき、地面に落ちる小さな音が空虚に響いた。

(…………あとで拾いに行こう。どうか自分の家に帰っておくれよ)

 朝食をとりながら固く閉じた窓に向かってテトはそう念を送るのだった。


「おはようございますテト様」

「ああ、おはようルーメン。いつも早くにすまないな」

 身支度を終えたテトが洞窟の入り口に出てきたところで、馬を一頭連れたルーメンがやってきた。時間ピッタリだ。

「テト様のお力になれてるのなら些細なことです。それよりも、実はさっきこんなものを拾ったのですが…………」

 そう言って青年は馬の鞍に挟んでいた物を取り出した。ついさっき投げ捨ててしまったばかりの物だ。

「あ……ああ、いや、えと…………アリガトウ」

 引きつりそうになる顔を抑え、入念に裏表を確認するとテトは受け取った。

「それにしても、今日は顔色が良さそうで安心しました。ロラ様が郷里から帰ってきてからというもの、ずっと顔色が優れていなかったようでしたので」

「う……バレていたか」

「なめないでください、普段と少し表情が暗いことくらい分かります」

 青年は「ねぇ」と馬に賛同を得ようとしたが、馬はそっぽを向いてしまった。気恥ずかしそうに乾いた笑いをすると、ルーメンは手綱をテトに手渡しつま先の向きを変えた。

「では、スァルトのことよろしくお願いします。スァルトもまたね」

 ルーメンは手を振ると背中を向けて帰って行った。その背中に手を振りかえし、テトはため息をついて一度自分の部屋まで戻りまな板を適当に置いてきた。脚を曲げて静かに待っていたスァルトにお礼を言って帽子を被りなおし、朝日が眩しい洞窟の外に踏み出した。


(気が抜けていたのかもしれない。ロラの件で疲弊していたのもあるかもしれない。今までは誰にも気が付かれなかったのに、まさか普段一歩引いた発言をするルーメンに指摘されるなんて)

 青がかった灰色の毛並みをした馬に跨りながらテトは耽っていた。彼女を乗せたスァルトは気を遣って速度を落として歩いている。

(いつもどおり表に出さないよう努めていたつもりだったが、さすがに疲労が溜まりすぎていたか……。グルーニィを倒してから今日で四十日、完治にはまだ早いがロラも動きたがっている。それにモリーの動向もできる限り把握しておきたい)

「はぁ…………気を引き締めなければ」

 少女が思考の世界から帰還したことを認識した馬はやれやれと頭を振る。そして一つ(いなな)いた。

「ああ、分かっているよ。もうぼうっとしないさ」

 馬はもう一度不機嫌に嘶くが、テトはその意味を理解できなかった。

 そうこうしていると今日の目的地に到着だ。籠の端っこ、結界の外周を成す魔法が編み込まれた杭が足元にあった。

 スァルトの背からするりと降り立ち、鞍に取り付けていた鞄からノートとペンを取り出して杭の前でしゃがみ込む。杭にはひびが大きく走り、縄や鉄板で何度も補修された跡があった。また、杭の頂上には六という意味の数字が書かれた立て札が取り付けられていた。

 薄絹のような肌の指が補修跡の隙間を縫って杭の本体に触れる。テトは目を閉じて指先から伝わる情報を読み取っていく。彼女の背後ではスァルトがさり気なく自身の体で日光を遮りつつ、その様子を静かに見つめていた。

 しばらくしてテトは目を開けておもむろにノートを開いた。そのページにはこんなことが書かれていた。


 南東/損傷/前回比/対策

 

 一番/悪/変化なし/変更なし


 二番/悪/変化なし/変更なし


 三番/悪/物理的悪化/補修工事の要請……(要請済み)……(工事済み)


 四番/超悪/魔法的悪化/力を注ぐ量を調整


 五番/中/魔法的悪化/上に同じ


「ふう、大丈夫、まだ大丈夫さ」

 テトはそれらの下にスラスラと文字を付け足した。


 六番/悪/変化なし/変更なし


 テトは立ち上がり、スァルトに跨った。

「さぁ、調子がいい今日中に北まで行ってしまおう」

 そうしてテトは淡々と日課をこなしていき、あっという間に太陽は真上を通り過ぎてやや傾いていた。真冬にもかかわらず少女の額には汗が滲んでいる。

「次は…………ああ、あのエインスティン(大天才)か。フッ、当時の人たちはこの名前を聞いただけで震え上がったかもしれないが、私にとっては救世主だな」

 今までのどの杭よりも損傷の少ない杭がそこにはあった。目立った傷もない比較的新しいもののようで、傷よりも意図的に彫られたであろう「我、天才なり」といった文字の方が目を引く。

 その文字を指でなぞり、また目を閉じる。

「…………ふぅ、やはり、お前は大馬鹿で、かつ貴方は大天才なんだな」


 北/損傷/前回比/対策


 一番/良/変化なし/変更なし


(今日の分はこれで終わりだな。こんなに順調にいくなんていつぶりだろうか…………)

 ノートを閉じ、大きく伸びをする。集中が切れた途端胃が駄々をこね始めたようで騒がしい。そんな折、スァルトがテトの背を小突いた。

「どうした?お前には昼食もやっただろう、足りなかったか?」

 スァルトは能天気な反応をする守護者をさらに強く小突き、鼻先を明後日の方向に向ける。テトはその先を目で追った。そして、表情こそ大きく変えないものの、ぐっと全身に力を込めた。

「ユーリ、出てきなさい」

 いつもより一つ声のトーンを落として言った。葉の枯れ落ちた木の陰に隠れていた影がビクッと動き、恐る恐る顔を出した。

「て、テトさま……その……」

 まだ五つにも満たない男の子がそこにいた。顔を伏せてもじもじとしている。

「何度も言ったはずだ。君のお母さんからも言われているだろう?杭の近くには近寄らないようにと」

 呆れと怒気の含んだ声に男の子はなおさら小さくなり、目からは涙が溢れている。

「ルトのことは君も聴いているだろう。外は危ないんだ」

「…………」

「どうしてこんなところに来たんだ?」

「…………」

「今日の授業…………はもう終わっているころか、皆と遊ばないのか?」

「…………」

 男の子はもじもじとするだけで一向に答えてくれる気配がない。

(大方、悪いことだと知りながら好奇心を抑えられずつい……といったところか)

 行き当たりばったりの大冒険は、こうして守護者に見つかってしまったわけだ。結界の干渉を受けない野生動物のことを考えれば、すぐに見つけられたことが幸運といえるだろう。

「はぁ…………ユーリ、おいで」

 声色を変え、優しい声で呼びかけて両腕を広げる。男の子はわずかに顔を上げて困惑の表情を見せ、しばらく悩んだ末にテトの腕の中に納まった。小さなテトよりも、更に小さな子どもだ。体も心も守る存在が必要な小さな命だ。それを抱きしめて、守護者は落ち着いてくれるのを静かに待った。テトの見立ては当たり、男の子は口を開く。

「ご…………ごめん……なさい…………。外に…………行ってみたかったの」

 ぼろぼろと大粒の涙を流して男の子は鼻水諸共顔をテトの外套に押し付けた。その頭を優しく撫でながらテトは耳をそばだてている。目線を馬にやると、蹄の音もたてずに二人の隣に立った。

 この辺りは森が深い。故に、よくないモノがうろついている。そして、テトの耳は結界の向こうの森から草花を踏みしめて近づいてくる音を拾っていた。その音は目前に迫り、杭の手前で足を止める。

 男の子の頭に手をやり、少しだけ力を入れて自分の胸に押し当てる。あれは見てはいけないモノだ。

 眼窩に収まるべきものはなく、黒がかった灰色の肌は生者ではないことを知らしめている。老婆のように折れ曲がった腰と、その体全体を覆う薄汚いローブに、眉間に突き刺さった杖。紛れもない魔女だ。

 杖を握る手に力が入る。それ以外の体全体にも力が入る。決して狂った魔女と対面したのが初めてではないが、緊張と恐怖を無垢な子どもに伝わらせまいと努める。

(大丈夫、結界は音や匂いは筒抜けだが、それらを認識できたとしても向こうから私たちは見えない。結界に少しでも触れればその瞬間、対角線上の位置に瞬間移動させ記憶もその数瞬分改ざんし何があったか認識させることはない。それにこいつは征戦でない野良の魔女みたいだ。だから……大丈夫)

 そう思いつつ杖を構え、無詠唱で霊猫を召喚する。自分自身を跳ばすことはできないが、馬と子どもは送り出せる。

(ロラに連絡用にと常に憑けさせておいて助かった。無詠唱だから猫の耐久力はないが、送るだけならいけるだろう)

 テトと野良魔女は睨み合う。野良魔女が手を伸ばし、鼻を利かせ、またこちらを睨む。そして、テトはあることに気が付く。

(…………まさか…………こいつ、結界の存在に気付いているのか!?外からは杭すら見えないんだぞ!どれだけ敏感なんだ!?――――そうか、こいつ、探求者か。厄介な…………!)

 征戦魔女隊に属していない魔女、いわゆる野良魔女は二つに分けられた。一つは単純に戦争から逃避し魔女隊の招集から隠れた者や戦闘も支援も丸っきりできない者。野良魔女のほとんどが彼女らであり、狂った後は総じて野良魔女とされた。ただ、もう一つの方が問題であった。魔女隊の招集を実力で跳ね除け、ただひたすらに自分の魔法を探求するためだけに世を捨てた魔女たちだ。彼女たちは共通して強かった。下手な征戦魔女よりも。

(だが、結界に気づいていようがいまいが、鍵が無ければ干渉は不可能だ)

 探求者が一歩踏み出し、その瞬間目の前から消えた。結界に触れ、効果が発動したのだ。

「ふぅぅぅ…………」

「て、テトさま」

「あ、すまない苦しかったか」

 男の子はすぐ近くまで迫っていた死のことなどつゆ知らず、テトや親に怒られる恐怖に対して不安そうにしていた。だが、それでいいのだ。

「ユーリ、ひとまず今日は私が君の家まで送ろう。そのとき、お父さんお母さんに私から説明させてもらうよ」

 無垢な瞳から涙が再び流れ始めた。それでも、小さくだが頷いた。

「うん、じゃあ手をつないでいこう」

 結界の外を横目に睨んで、テトは背を向けて籠の内側に戻っていった。

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