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幕間 嗚呼、魔女よ、どうか……どうか……

 夜の冷たく、冬の乾いた風がカーテンをたなびかせる。新鮮な風が入り換気に気を使っているが、薬品の匂いは木目の隙間まで浸透しているようで、もうこの匂い自体が、この診療所の匂いと化していた。

「よっ!」「…………おかえりなさい」

 テトの魔法、猫の集会(イム・アリェス)で送られた先は、幽居の籠の民家群から少し外れた丘の上に構えるバライジという老女の診療所だった。一つまばたきをした瞬間に、その二階のベットの上にロラは座っていた。向かいのベットには両足を失くしたヘリトラと、最愛の弟を喪ったクレアが仲良く並んで腰かけていた。二人の間には我が物顔の霊猫が一匹、主が絶対にしないような姿勢でくつろいでいた。

「ヘリトラ!クレアも!ひさしぶり!」

「ロラ、ごめんなさい。私、あなたにお礼を言わなきゃいけないはずなのに、ずっと引きこもって…………」

 あって早々暗い顔をするクレアにヘリトラが手のひらで待てをした。

「まずはロラの手当てからだろ。…………うわっ、まったくどんだけ派手にやったんだよ」

「あっ!」

 顔を歪める工匠の顔を見て、ロラはあることを思い出して声を上げた。

「ヘリトラ…………これ…………」

 そう言ってロラは、刃が完全に消失し、柄も一部分が欠けてしまった炎響(えんきょう)と、全体にひびが入り、一部部品が欠損して刺剣の状態に戻らなくなってしまったツヴァイを工匠の前におずおずと差し出した。

「………………………………」

 見てはっきり分かる、彼女は絶句している。ここ数日見てきた人々の中で、一番衝撃的な表情をしている。

「あ……ああ…………まあ大丈夫よ、ロラ、気にしないでね。この子はすぐに立ち直るだろうし装備も修理してくれるはずよ。それに私がさっき本人に聞いたんだけど、『あなたの大切な装備品がボロボロになってたらどうするの』って聞いたら、『それだけ信頼されてる証だから、こちらとしては鼻が高いね』なんて、調子よく言っていたくらいだから」

 ヘリトラを見るクレアの目つきはとても優しいものだった。その目は、ロラにも平等に向けられた。

「クレア……」

「隣で放心している人の言うとおり、話は今度にしましょ。まずはあなたの怪我を見せて」

 クレアが立ち上がりロラの服を脱がし始めた。乾いた血で張り付いた衣服がぺりぺりと剥がれてゆく。

「あ、あのクレア…………う、後ろはいいから……」

「だめよ、背中の出血酷いじゃない。ほら見せて」

 クレアがベットを回り込む。ロラは見せまいと体の向きを変えた。

「ちょっ、ちょっと!それじゃあ見えないじゃない」

「い、いいよ」

「だめよ早く手当てしないと」

「いい!」

「だめ!」

「やだ!」

「っ……!ヘリトラ!」

 ハッと振り返った瞬間には、戦士の屈強な両手に肩をがっつりつかまれていた。

「武器の…………恨みィぃィぃ!!」

「う……うああ…………ぁぁぁ…………」

「その調子よヘリトラ!そのまま抑えて。さあ、観念なさい」

 青白い半透明の猫が我関せずと欠伸をして丸くなる。

 ロラの悲痛な声は、賑やかな籠を流れる風に混ざっていった。



『ロラの正体:不明(セレネの可能性は低い?』

『ロラの目的:自身の記憶の手掛かりの捜索及び贖罪者の殺害?』

『ロラの人間性:基本友好、友好と見なすや否や老若男女問わず距離感がゼロに近くなる。逆の場合はもう少し観察が必要。”良い人””悪い人”などと口にしていた。どういう基準?』

『今後の方針:ロラが目覚めたという神殿?の捜索及び対モリーの備え。結界の補強、住民たちへの説明…………(できたら)』

『総括:多くの犠牲と怪我、体力を消耗したが贖罪者の一人、グルーニィを撃破した。魔女が狂ってからの数百年贖罪者が倒された記録はなく、これは確かに歴史に残る偉業となった。ロラと戦士が手を組めば本当に外の世界を自由に見て回れる時代が来るのかもしれない。しかし、肝心のロラの正体が結局何もわからなかった。知りたい救うんだとか言ってたのに、なんだいきなり当たり前のように殺すだのなんだのと!私がどれだけお前の心を慮ったと思ってるんだ!もちろん多くの人々を欲のままに殺してきた魔女は許せないし倒すのは賛成だけど、少しはこっちの気遣いに気づけ!勝手に推し量ったのはこっちだけど!結局分からないことは増えた。やることは変わらず多い。疲れた』

 暴れていた羽ペンを放り投げて少女は椅子の背もたれに深くもたれかかった。この二日間のまとめをしていたはずなのに、気が付いたら日記のように好き勝手書いて不満をぶちまけていた。

「はぁ…………」

 空になった二本の薬瓶、血の付いた布切れが数枚入った木箱、少し汗の染み込んでしまったクッション。頭を背もたれに預けたまま、机の上のノートに目をやった。ロラに関しての考察や確認できた事柄を箇条書きに記し、先ほどのまとめも真ん中あたりに書かれている。テトはノートの最下段、その端っこに殴り書きした一文に何度目かの目を通した。

『ダルエニからの忠告:”魔女に心を許すな”』

(魔女に心を許すな、か…………。私も魔女なんだがな。まぁ、この場合魔女が指すのはやはりロラのことか?あいつは何を見たんだ?もちろん私はロラを妄信する気はないが、なぜあいつが私に対してそんなことを言う必要がある。私が気を失っている間に何があったんだ)

「…………はぁ」

(わからないことだらけだ、頭がいたくなる。ダルエニはどこまで読んでいるか知れないし、ロラは言わずもがな問題だらけ。というか魔法をどれだけ使ったんだ、こんなに……体がなるなんて…………。こんなことを続けていたら、すぐに限界が来てしまいそうだ。ただでさえ、日々消耗が激しくなる一方だというのに)

 貧血気味の頭を抱える。目を閉じると、この数日で嵐のように彼女の悩みを増やした魔女の顔が思い浮かぶ。謎が多く、時々何を考えているか分からなくなる。だが、彼女は魔女だ。テトにとって、自分を産んだ魔女以外に、初めて話して見て触れた魔女だった。それは、テトに少なくない感情を抱かせるには十二分だった。

(………………でも、何もせず放っておくなんて、できない……よな…………。とにかく、ほんとうに…………疲れた……)

 ペンをペン刺しに戻しノートを閉じた。瓶は……後でいいや、とテトは立ち上がる。目眩がしてよろめき、机の上の円の形をした金属に指が触れた。昔幼いヘリトラから貰った英雄の郷里の通貨だ。壁に掛けてある小さなナイフと同様、毎日大切に磨いており、色褪せない光沢がある。

(結局、戦士の多くは死んでしまった。目の前で…………なにもできなかった。いったい私は…………何人見殺しにするつもりなんだ…………)

「はぁ…………」

(今はとにかく休もう。明日も結界の見回りをしなければ)

 テトは机から手を離し、ベットへと歩きだし――――そこで突然、口を押さえて跪いた。背中を威嚇する猫のように震えさせ、押さえた指の隙間から血が溢れ出していく。

(まずっ――!もう布切れはないぞ!)

 一瞬考えたのち、着ていた白シャツを脱いで口に押し当てた。瞬く間に真っ白なシャツが赤くなっていく。

「ゴフッッ…………ウ゛…………」

 血が喉を詰まらせ、ゴポゴポと品の欠片もない音が口から漏れる。全身が力んで細腕に血管が浮き、丸く縮こまった背中の羽がそれを嘲笑うかのように大きく広がる。

「…………ッハーーッ!ハーーッ!」

 やっと空気を吸えた。そのころには綺麗だったシャツは見るも無残な様になっていた。血と唾液混じりの粘液が口からシャツに糸を引き、そこに脂汗が滴り落ちる。全身の筋肉が無理に強張ったせいでひどく張っていて痛い。

「ハァ…………ハァ…………」

 なんとか体が落ち着きを取り戻した。心臓が耳のすぐ真横にある。とてもうるさい。

(………………危なかった。絨毯が血で汚れていたりなんてしたら、処分するにも人目を引くし、余計な心配をさせてしまうからな…………。服は布切れと一緒に入れて、明日焼却炉に持っていくとしよう。着替えはもう、明日でいいや)

 身を起こして口も手もシャツで拭い、それを木箱に入れて蓋をした。

(あ、まず――)

 やっと寝床にというところで、全身から一気に力が抜け、受け身を取ることもできずに倒れた。

(こうなると見込んで柔らかい絨毯を用意してもらって助かった。だが…………くそ、動けない。それに、急に眠くなってきた。こんな、素っ裸な姿、鍵を閉めておくんだった。どうか誰も来ないでくれ…………)

 赤と青の瞳の中で暖炉の炎が揺れている。炎の中に、眠りかけた意識を躍らせる。

(本当に、散々だ。魔女なんてもの。モリーにグルーニィ、それにこの大陸の多くの魔女たち、彼女たちはなぜ、嬉々として悲劇を生むんだ。魔女というのは、そんなにも根幹が邪悪に染まっているのか?)

 少女は独り、孤独な魔女だ。何も知らない、自分という存在を比較できず、どこに枝を伸ばせばいいか分からない迷子だ。だから、彼女はひたすら考えた。ひたすら見えない存在に問いかけた。

(狂った魔女たちの行動が根幹の欲からくるものなら…………私も、魔女である以上、ああいった化け物になり得てしまうのか。…………嗚呼、いやだ。もう壊さないでくれ、もう罪のない人々の生活を、心を壊さないでくれ)

 そう望む少女だが、彼女にはまだ、それを実現する力がなかった。だから、願うことしかできなかった。願わずにはいられなかった。

(もし、魔女がそんなにも悪魔のような存在なら…………)

 起き上がる気力も失った少女は、心からの願いを炎に焚べる。

「嗚呼、魔女よ、どうか……どうか………………この世界から、消えてくれ」

 少女はそれを最後に、長い一日に別れを告げ、深い闇に意識を手放した。



 薪がパチパチと燃える部屋にノックの音が響いた。中から何の反応も帰ってこないことに焦ったのか、次のノックは少し強くなった。

「テト?入るよ?」

 扉に錠はあれど、部屋の主はそれを一度も掛けたことがなかった。そんなもの必要ないと思っているほどだった。だから、包帯を巻いた魔女も何の障害もなく少女の領域に足を踏み入れる。

「わっ」

 暖炉の前で気絶しているテトを見つけると、そそくさと靴を脱ぎ棄てて傍に膝を突いた。背中も尻も情けなく天井を向き、グロテスクな羽も同様に魔女の目に晒されていた。テトはロラの羽を見ようとはしなかった。他人であっても羽は恥ずかしいものであり、忌避するものであった。しかし、この魔女は、どこか恍惚とした表情を浮かべる。

「テト、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ。火も消さないと」

 優しく優しく少女の体を抱きかかえ、寝床に寝かせて布団を掛けた。暖炉をつついて火を消し、部屋を寝静まらせる。

「ふう、抜け出してきて良かった。でも、朝には戻らないとクレアに怒られちゃうから、あんまり長くはいられないけど」

 魔女は少女の眠る布団に潜り込んだ。少女を腕に抱き、髪を、頬を、肩を、身体を愛おしそうに撫でる。

「テト…………フフ…………ヒヒヒ……………………わたしの…………トクベツ…………」

 しばらく大地を照らしていた月明かりは厚い雲によって遮られ、世界は光一つない魑魅魍魎の巣窟と化した。今日も幽居の籠の結界は、化け物たちから住民たちを守るために、守護者から命を吸い続ける。

 少女は呻いた。悪夢にうなされて苦悶の表情をし身をよじる。しかし、狭いベッドのさらに端で満足に動けず、長い手足が絡みついてきて尚更思うように動けない。しまいには布団をはがされてしまった。

 ――――少女はうなされる。悪夢は終わらない。まだまだ終わらない。その悪夢は永く永く続く。

 ――――なぜならそう、夜はまだ、始まったばかりなのだから。

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