82話 ある女の子
目を閉じれば、嫌でも思い出す。
『あんたなんか産まなきゃよかった』
目を閉じれば、嫌でも聞こえてくる。
『あんただって、結局私みたいになるんだよ!』
ゴミが溜まり汚い部屋。
汚れたままの服。
放り投げられたドッグフード。
毎日どこかが痛かった体
出ない水。
孤独だった日々。
機嫌を損ねないように従った。
帰って来てくれると思って待った。
優しくしてくれると思って耐えた。
今思えば、良くそんな状態で生きていられたと思う。
ただ、それらも全部含めて、今の自分が乗り越えないといけない事だ。
……公園の端。聞いた話だとこの辺り。あった。段ボールで作られた見た目は犬小屋。
そして、その前で地べたに座りタバコをふかす……女。
「やっと見つけた」
「はぁ? 誰だよあんた」
「忘れたの? まぁいいや。私は美浜礼。あんたが捨てた……」
「娘だよ」
小さい頃の記憶は、今でもはっきり覚えてる。
苦しくて辛い地獄。
物心ついた時から、私はなぜかママと呼ぶ人に殴られていた。
良い子にしなきゃと思い、常に謝っていた。機嫌を損ねない様に気を付けていた。
お腹が空いたなんて言えない。
新しい服が欲しいなんて言えない。
『あんたなんか産まなきゃ良かった』
『母子家庭なら支援も充実なんて嘘じゃねえか』
『ったく邪魔なんだよお前! あのクソ男に似てきやがって』
ママと呼ぶ人の口癖に、自分は本当は必要とされていない。言う事を聞かないと捨てられる。
そんな考えに支配されていた。
結局、捨てられたんだけどさ。
知らない人に連れられて、知らない場所に連れられて来た。
そこが児童保護センターだと気付いたのは、すぐだった。
職員の人が色々言ってたけど、全然内容はうろ覚え。でも、
『もう大丈夫』
その言葉と笑顔を見た途端……涙が止まらなかったのは覚えている。
それからの私は、本当に恵まれていた。
センターの皆さんは優しく、時には厳しく……私に接してくれた。
鯉野さん夫妻は児童保護センターの管理者だけど、常に私達の目線に立ってくれて、温かくてすごく面白い。
碧と蒼はセンターに来た時から仲良くしてくれて、不安な気持ちを取り払ってくれた親友。
碧と蒼のママとパパ。私の事も実の娘の様に可愛がってくれた。
年頃で不安な時期も、優しく諭してくれたっけ?
私も大人になったら、自分の母親の様になるんじゃないか不安だった。
でも、碧ママの話聞いて安心したよ。
『私も母親に捨てられたよ? でも、今こうして幸せになってる。誰の子どもとか関係ない。環境と、自分次第でなんとでもなる。環境は私達に任せて? あとは礼ちゃんが……どうなりたいかだよ』
ふふっ。嬉しかったなぁ。
だから私は皆の力を借りて、皆の愛情を受けてここまで成長して来た。
だからこそ、乗り切らなきゃいけない。
実の父親、黒滑颯は色々としでかして何度も捕まっている。それも常に諸見里って男と一緒らしい。そんな仲の良さは見本にはしたくない。今も揃って刑務所の中。
最初の罪が碧ママと蒼パパに対するものだと知って、怒りが湧いたよ。
そしてそんな奴の娘を保護してくれた2人に、改めて感謝しか浮かばなかった。
もちろん謝ったよね。でも、礼は関係ないだろ? って笑ってくれて……だからこそ、あいつに言ってやった。
『誰だぁ? お前』
『誰でも良いじゃないですか。私としては一言言いたい事があっただけなので』
『おいおい。何ふざけて……』
『ざまぁ。私は幸せに生きて、幸せに死にますので悪しからず』
それと、碧ママのお母さんにも会ったっけ。まるで自分の母親のような存在で蒼パパの頭を殴った女。嫌悪感しか浮かばない。まぁ罰が当たったのかな? 薬の中毒者として本州最南端の病院に入院してたよね。
空を眺めてよだれ垂らした姿を見たら、言いたい気持ちがすっと冷めた。
そして最後にこの女。
さぁ礼? 乗り越えないと。
「娘? あんたれっ、礼か!」
「そう。今は19歳だから15年ぶりかな」
「うっ、うるさい! てかどうやってこの場所を」
「まぁそれはいいじゃない。別に?」
「別に? てめぇ、ちょっとデカくなったからって調子に乗んなよ?」
「別に乗ってませんけど? そうそう、道行く人にご奉仕して過ごす生活はどうですか?」
「なっ、このクソがぁ! てっ、てめぇだってどうせ同じ事になる。あぁそうだ、このアタシとあのクズの血を引いてるんだからなぁ」
「残念ながらそんな気は全然しませんけど?」
そうだ。私はお前とは違う。
「はぁ?」
「私には心安らぐ場所がある。温かく迎えてくれる場所もあるし、帰る場所だってある。そして、愛情を向けてくれる人達が沢山居る」
「なっ、なに気持ち悪い事言ってんだ!」
「ふふっ。私も来年二十歳だし、ケリつけたいと思ってさ? こうして来た訳」
「ケリだぁぁ? ふざけやが……」
「私は沢山の人に愛されて、沢山の人と笑って、沢山の人と一緒に成長してきた。聖母みたいな人、女神の様な人、神様みたいな人達に見守られてる」
「なに……」
「あとさ? 小中高と学業は平均的だったけど、健康優良児で皆勤賞。それに処女純潔で未来の旦那様を迎える準備も出来てるんですよ。さらに今は温泉旅館で働いてまして、ここのスタッフの皆さんが良い方ばかり。家族の様に接してくれるんだよね? 温泉も源泉掛け流しで毎日入り放題。ほら? 肌もツルツル。つまり何が言いたいかというと、私は今順風満帆で最高潮に幸せなんですよ? だから……」
お前の様には絶対にならない。
「私を産んでくれてありがとうね? マ・マ? それじゃあね」
「なっ、このぉ!」
私が後ろを向くと、女は殴りかかろうとでもしたんだろう。
しかしながら突然の動きに体がついて行かなかったみたいで、
「あっ! ぐぅ!」
骨が地面に当たるような鈍い音が聞こえた。ただ、私はそんな事どうでも良い。前を向いて歩き続けた。
そして公園を出ると、徐に夜空を見上げる。
すると真ん丸な大きな月が、私を見ていてくれている気がした。
やった。言えた。
やった。言いたい事言った。
「あっ、そういえば皆にお土産買っていかなきゃ」
これで、私は前に進める。
「三月さんは何がいいかな? 碧ママは名産物かな? 千那さんはお菓子系かな?」
そして私はこれから……
「ふふっ。待っててね? 皆」
皆に恩返しするんだ!
「今度は私が、幸せを届けます」
これで一先ず完となります。
ここまで読んでいただき有難うございました。
別作品についても宜しくお願い致します<(_ _)>




