79話 おっさんの心
あれ……
まるで酔っぱらったかのように、目の前がぼやける。
あれ……
背中に感じる硬い何か。
どうし……
こめかみ付近に少し感じる熱さ。
自分がどうなっているのか理解が追い付かない。
ただ、それさえどうでも良くなるような気持ち良さが全身を覆う。
なんか気持ち良い。眠い……このまま眠りたい。
そんな欲望に抗えず、瞼がゆっくりと閉じていく。
暗く……暗く……
「……さん」
そんな中で一瞬だけ、笑美ちゃんが居た気がした。
でも多分勘違いだろう。ちょっと寝かせて……くれ。
……はっ。
それはまるで、仕事に遅刻した事を理解したような……そんなハッキリとした目覚めだった。
目の前に広がる青空がやけに綺麗で、鼻につく青草の香り。まるで春が来たかのような心地良さを感じながら、俺はゆっくりと体を起こした。
ここは?
辺りを見渡すと、一面が緑に覆われている。草原という表現が正しいのか分からないけど、見える限りに続くそれと、澄み渡る青空のコントラストが美しい。
居るだけで、見るだけで、なんて心地良い場所なんだろう。
心も体も全てが安らぐ。ずっとここに居たい。
「丈助」
その時だった、背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
思わず振り返ると、そこに居たのは……
「えっ……父さん? 母さん?」
どこか懐かしい2人だった。
それはそれは綺麗で透き通った川を挟んではいたけど、それは間違いなく父さんと母さん。
優しく微笑む2人の姿に驚きが隠せない。心のどこかから後悔が押し寄せる。それでもやはり嬉しさが勝った。
言いたい事はある。
2人が事故にあった後、婆ちゃんを家に1人にしてしまった事。
2人に合わせる顔がなくて、ずっと東京に逃げていた事。
2人が背中をしてくれた仕事を途中であきらめた事。
でも、なかなか言葉が出てこなかった。
「あっ……あぁ……」
「丈助。頑張ったな」
「うん。よく頑張った」
何……言ってんだよ……
「自分の信念を貫いて、子ども達の為に一生懸命だったじゃないか」
「慣れない仕事でも努力して、精一杯頑張ったじゃない」
それは……そうするしか……
「お前は自分を無下にしすぎだ」
「そうよ? 丈助は丈助が思っているより頑張っているし、たくさんの人に感謝されているわよ?」
「お前を見てきた俺達が言うんだ。間違いないぞ」
その瞬間、目から涙が溢れる。
訳は分からない。悲しい訳じゃない。なのに、涙が止まらなかった。
もしかしたら、2人の言葉を俺は求めていたのかもしれない。
後悔と悔しさにまみれた自分が欲しかった……言葉の1つなのかもしれなかった。
「ただなぁ丈助、これからはもっと頑張らないとな?」
「そうそう。まさかあの時の女の子があんな美人さんに……それもあんなに良い子に育ってくれるなんて、びっくりしちゃった」
えっ、笑美ちゃんの事か!?
「これからはもっと沢山の大事な物を守り抜く……ホントの男になれよ?」
「まぁ、丈助なら大丈夫よね?」
あっ、当たり前だろ? 俺は笑美ちゃんを守って、幸せにするんだ。
「笑美ちゃんを……いや、笑美ちゃん達を幸せにしろよ? そしてお前も幸せになるんだ」
「母さん達との約束ね?」
もちろ……あれ? なんで声が出ないだ。俺はちゃんと2人に……
「という事で、お前がここに来るのは早くても70年後だな」
「そうねぇ。丈助が来るまで私達もイチャイチャしとくからね」
「色々と頼みます。おかあさん」
「お願いね? おかあさん?」
おかあさん!? ……っ!
その言葉を聞いた瞬間、右手に温かさを感じる。思わず視線を向けると、そこには婆ちゃんが立っていて……俺の手を握っていた。
ばっ、婆ちゃん?
婆ちゃんは、俺の方を見てはいなかった。
優しい笑みを浮かべただ真っすぐを見つめる。そしてゆっくりと頷いた。
婆ちゃん? どこを……もしかして父さん達か?
思い出したかのように、俺はもう一度父さん達の方へ視線を向けた。けど、そこにはもう誰も居ない。
ただ、目を開けられないくらいの眩い光が、俺を包み込んだ。
ちょっ、ちょっと待ってくれ。
父さん、母さん。俺は俺は……
眩しさから瞑っていた目をゆっくりと開けていくと、ボヤケた視界のなかに薄っすらと優しい光が見えた。
徐々に視界が鮮明になってくるにつれて、体を覆う温かさを感じる。
そして一際温かいのが左手だった。両手で包み込まれているような温かさ。しっかりと握っているような強さ。
そしてその近くに見える……黒い影。
あれ……誰か手を……
今できる限りの力を左手に込めた瞬間、
「えっ……嘘……」
聞こえてきたのは……
「丈助さん!!!」
笑美ちゃんの声だった。
あれ? なんで?
てか、そもそもなんで俺寝てるんだ?
えっと、確か結婚の会見したよな? それでそれで……
「あぁもう、嬉しくてどうしよう、落ち着いて落ち着いて!」
なんか……驚いたり焦ったり……忙しそうだな……
「いや無理無理! だって、1カ月ぶりに目が覚めたんだよ? えっと……えっと……目が覚めたら絶対に言おうって言葉あったのにぃ!」
えっ? なに1カ月ぶりとか……
「って、それどころじゃないよ! そっ、そうだ! だっ、誰か呼んでこないと!」
まぁ……とりあえずはどうでも良いか。
それよりやっぱり、笑美ちゃんの顔が見れて……
「あっ、看護士さぁぁぁん! 丈助さんが……私の旦那さんが目覚めましたぁぁ!」
嬉しいな。
次話も宜しくお願いします<(_ _)>




