70話 おっさんと懐かしの場所
これから不定期ですが更新できればと思います。宜しくお願いします。
それは懐かしい場所だった。
真っ先に思い出すのはツラさやキツさ。無力さに悔しさ。ただ、その中にも経験や達成感、誰かの笑顔……それら嬉しい思い出も少なからず残っているのは確かだった。
それも全部含めて、今の俺の糧になっているのに違いはない。
全くその面影は変わっていない。変わっていないからこそ印象に残る……それもまた公共施設の役割なんだろう。
とはいえ俺は今、その場所へ来ている。8年前に後にした……静川区家庭総合センターに。
「よっし。じゃあ行きますか」
体が覚えているように、その歩みを進めると。俺は久しぶりにその中へと入る。懐かしい内装、右手に見える受付。本来ならそれらの感傷に浸るんだろうけど、今日の目的はそれじゃない。早速俺は、受付に向かう。
「すいません」
「はい。おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
小窓越しに対応してくれたのは、若い女の職員。来所者にはとりあえず笑顔を忘れず……そんなしきたりを思い出す。
「あの、せんっ……所長さんいらっしゃいますか?」
「所長……ですか?」
ただ、一瞬だけその雰囲気が変わった。
「失礼ですがどのようなご用件でしょう?」
「本日10時にお会いする約束をしておりました」
「それではお名……」
「あら、久しぶり!」
その時だった、女の職員の横から聞き覚えのある声が耳を通る。そして現れたのは、これまた懐かしい人だった。
佐伯さん。俺がここに居た時にもいたベテランの職員。ましてや事務仕事をさせては右に出る者はいない縁の下の力持ちであり、ムードメーカーだった人だ。
「えっ、佐伯さんお知合いですか?」
「えぇ。本当に久しぶり。声は変わらずだったけど、顔色はすごく良いみたいね?」
「お久しぶりです。佐伯さん。佐伯さんこそお変わりなく」
「あらそう? ありがとう。えっと所長室は分かるわよね? 所長もお待ちかねだからどうぞ?」
「そうですか。ありがとうございます」
「えっ、ちょっと佐伯さん? 勝手にお通しして良いんですか!?」
「いいのよ? 彼が君島君よ?」
「えっ……そっ、そうだったんですか?」
佐伯さんが俺の名前を伝えた瞬間、若い職員の表情が変わる。事前に何か伝えていたのか、どんな風に伝えていたのか……それについては知る余地もなかったけど、とりあえず今日の目的はそれじゃない。
「ありがとうございます。今度色々話しましょう」
「はーい。じゃあ行ってらっしゃい」
挨拶もそこそこに、俺はゆっくりとその場を後にすると……突き当りの廊下を右に曲がる。そして一番奥に見える所長室。そこへ向かって歩みを進めた。
この建物の至る所の廊下は、何度も往復した。ただ、この所長室へ向かう廊下だけは今でも変な緊張感を覚える。
所長室へ向かうここだけは、苦い思いでしかない。
頭を抱え、気が滅入りながら重い足を引きずる。
そして、この重厚感漂う木製の扉の先に居るのは……
コンコン
「どうぞー」
「失礼します」
「よう。久しぶりだな」
「お久しぶりです。鯉野所長」
懐かしい先輩だった。
「まっ、座ってくれ」
「はい。お邪魔します」
ふぅ。
「さて、挨拶は今更だろ? 早速、要件聞こうか」
……変わらない。
目の前に座る所長。その人は、俺も良く知る人物だった。俺と一緒に働いていた……といえば当てはまる人はいくらでもいる。ただ、この人は……出身も同じ青森。しかも大学も同じ。まぁ仕事の考え方の相違を含めても、先輩は俺が一番お世話になった人物だった。
ここへは来ないといけないとは思っていた。ただ、電話越しに聞いた名前と声にまさかとは思ったけど、そのまさかだった。
「その前に……所長になったんですね? 鯉野さん」
「うおっ、気持ち悪っ!」
「えっ?」
「いやいや、お前に名前で呼ばれるなんて違和感しかないぞ? 普通で良い」
本当に変わらないな。イケメンにダンディーな低音ボイス。にもかかわらす、軽い言い回し。
だから、真剣な時とのギャップがヤバイんだよな。
「ふっ」
「おっ? 何笑ってんだよー! 四六時中葬式みたいな顔してたくせによ」
「あっ、いやすいません。その節についてはご迷惑お掛けしました」
「まぁいいけどさ? ははっ」
それは懐かしい感覚だった。
過去に何度も経験した感覚。
忘れかけていたそれを、思い出すのに時間なんて掛かる訳もなく、そこからは互いの近況から何やらをずっと話し込んでいた。
俺がここをやめた後も、センターの雰囲気は変わらず重かったらしい。
仕事量に、職員不足からくる重労働にストレス。思い出すだけで吐き気がした。
ただそんな中、先輩は色々と考えていたそうだ。それが職場改革。
当時係長だった先輩。とはいえ、方針や所長らの行動には不安を持っていたそうで、俺の前ではあえて従っていたらしい。後々やり易くする為に。
あえて全部は聞かなかったものの、先輩は友人やあらゆる人脈を使い……前所長の定年前にこれまでのずさんさや対応の甘さなんかを区に報告したらしい。もちろん出所不明の匿名で。
そんで課長級の連中は大目玉だったらしく、左遷対象に。もちろん一般市民らにはそういった情報は出回らなかったらしいが、区役所内でセンターの評判はガタ落ちだった。代わりの人材も他の部署からは困難を極め……そこで手を挙げたのが先輩。区としても、誰もやりたがらないのなら……って事で、思いのほかすんなり所長への昇進が決定したらしい。
とまぁ、それだけでも壮大だとは思ったけど……先輩の凄さはそれからだった。
「でも、なんか受付から少し見えましたけど、職員の皆さん雰囲気明るかったですね」
「あぁ、まずは働く人が充実してないと、福祉も充実は出来ないからな」
そもそもの人手不足。その解消の為に先輩が取り組んだのが仕事内容。
今まで1人で複数人を担当するという仕組み自体を排除して、全員が全員を担当するようにした。
対象者の情報等々をデータ化し、さらに職員にはタブレット端末を支給していつでも閲覧できる環境を整備。そのデータベースも先輩の知り合いにシステムを組んでもらい、セキリュティ面もばっちりだそうだ。
「起動のタイミングでパスワードは必須。もしどっかで落としたとしても、すぐさま事務所に連絡すれば遠隔でデータも消去出来る。個人情報保護も大丈夫だ」
「紙持って出歩いてたのがウソみたいですね。でもタブレットって高いんじゃ……」
「別に新型にこだわる必要ないしな。システムが動く容量があれば問題ないし、全然旧型で事足りる。地元の電気屋さんの協力で、型落ちの提供してもらってんだよ」
さらには面談で訪問するタイミングも共有のスケージュールで一目瞭然。そして3人に1組で行くのが原則だそうだ。人手は足りるのか……なんて思ったけど、そこも計算済みというから驚きだ。
「あぁ、あれから3分の2は辞めてな。まぁ俺としては残った人達こそ、ちゃんと子ども達と向き合いたいと考えてると思ってさ。いい機会だった」
「佐伯さんもその1人ですね。でも人手が居ないと、環境を整えても……」
「だからこそ、臨時職員を増やした。区も正職員はさすがに厳しいけど、臨職ならって事でな。でも、給与は正職と変わらないし、3年ルールも撤廃したし基本的に1年経ったら必ず更新する。財源も……まぁ、表立ってあの事は出てはいないが、噂自体はあったからな。なんとかしないと区の印象悪くなりますよ? なんて感じの事言ってたら、案外要望通りくれてさ? いまではお前がいた時の倍は居る」
仕事のやり方。環境。人員。
それらをここまで変える。先輩は……やっぱりすごい。
「どうだ? 少しはお前の理想に近付けたか?」
「えっ?」
『君島。理想を追い求めるなっ! だから、考え直せ』
先輩の言葉が頭を過った。
「あの時は悪かったな。言葉が足りなかったのは重々承知だった。でも、あくまであのクソ狸の思想に賛同してる風に装わないといけない時でもあった。それに、辞めるお前を止める権利なんて俺にはなかった。まぁ、今となっちゃただの言い訳だけどな」
「いえ、先輩の言葉の意味を理解出来なかった自分が悪いんですよ」
「そんな謙遜するなって。それよりどうだ、君島」
「ここに戻って来ないか?」
それは正直言うと嬉しい言葉だった。ただ……
「ありがたいお言葉です。ですけど……あっ、申し遅れました」
俺には今……大事な場所がある。
「私、サンセットプロダクションでマネージャーしてます。君島丈助と申します」
スーツから名刺入れを取り出し、そっと机の上に置くと先輩はその姿をニヤけながら見ていた。
「おぉ、随分と板についてるな。じゃあ俺も……静川区家庭総合センター所長の、鯉野集と申します」
「ありがとうございます」
こうして、やけに長い挨拶を終えた俺達は……姿勢を正し、互いの名刺を目の前に置く。
まぁ、本来の目的は別にある。ある意味ここからが本題だった。
「えっと、それじゃあ本題聞こうか?」
「はい。あのまず端的にお話します」
「どうぞ」
「私、君島丈助はモデルで俳優でもある相島笑美さんと入籍します」
「ほうほう……ん? 相島ってあの……えっ!? 入籍!?」
「はい。つきましては、報道各所が私の過去の勤務先であるこちらにも色々連絡等するかと思いますが、ご迷惑お掛け……」
「ちょっと待て! 色々と端的に話過ぎだっての!」
なかなか見た事のない先輩の姿を目の当たりにしつつ、俺は事の顛末を先輩へ話した。
最初、先輩は信じられない様な表情を見せていたけど、俺からしてみれば先輩も同じくらいおかしな事をしたんじゃないかと思った。
だからなのか、ものの数分で全てを理解してくれたようで、その返事は俺の望むもので間違いなかった。
「全然気にするなって。もし聞かれても個人情報云々で躱すから」
「本当にすいません」
「なんで謝ってるんだよ。まだそんな電話も……ありえるかなぁ、あの相島笑美だもんな」
「いやぁ……」
「まぁ、安心しろよ」
「ありがとうございます。電話でも話しましたけど、すぐにウチの社長も来ますので」
「本当に来るのか? 律儀なもんだねぇ」
こうして、元職場に対するこれからの対応及び謝罪について、トップである所長のお許しを得た俺は……少しだけ安堵感を覚えた。
それに先輩が俺と同じ思いだった事を知られて、とんでもなく嬉しかった。
「そういえば先輩、結婚しないんですか? あんなに子ども好きなのに」
「うるせーよ! そういうお相手に巡り合えないだけだってのっ!」
コンコン
「所長? サンセットプロダクションの社長さんがお見えになりました」
おっ、ナイスタイミング烏真社長。
「はいよ~どうぞ」
あとは、烏真社長と先輩で上手く行ければ……
「あっ、失礼します。初めまして、私サンセットプロダクションの……はっ……」
「わざわざお越しいただいてありがとうございます。私、静川区家庭総合センターの……はっ……」
って、ん? なんだ?
かっ、烏真社長? なんか顔赤くないですか?
せっ、先輩? めちゃ烏真社長の顔見てないですか? ボーっとしてません?
「あっ、あのお2人共、一体……」
「あっ、すいません。かっ、烏真三月と申します」
「こっ、こちらこそ。しょっ、所長の鯉野集と申します」
「「よっ、宜しくお願いします」」
「ははっ……」
「ふっ、ふふふ……」
あれ?
なんだこの雰囲気? あの……
お二人さん??
次話も宜しくお願いします<(_ _)>




