21話 女子大生と涙
「どうして…………」
笑美ちゃんのイメージとは、かけ離れてしまった今の俺。
その理由を余すことなく吐き出した先、想像していたのは惨めで無様な俺に対する、冷たい表情と罵倒だった。
ただ、そんな予想とは裏腹に、目の前の笑美ちゃんは泣いている。目を赤くし、まるで自分の事の様に……
その大粒の涙は、留まる事を知らない。
なんで……なんで笑美ちゃんが泣いてる。
俺に幻滅しただろ? あの時の俺とは余りにも違い過ぎるだろ? ショック過ぎて泣いてるのか? けど、さっきの言葉……
『なんで君島さんが、そこまで辛い思いをしなくちゃいけないんですか……』
どういう事だ。
「えっ、笑美ちゃん。なんで泣いてるんだよ。俺はさ逃げたんだ……夢を諦めて捨てた時点で、君の記憶の中に居る君島丈助じゃない。だから、もっと怒ってくれよ、幻滅したって言ってくれよ」
「そんな事出来る訳ないじゃないですか……」
「なんでだよ。じゃあ笑ってくれよ? 嘲笑ってくれよ」
「なんでそんな事言うんですか。君島さんは辛かったんですよね? 自分でも分かってるんですよね?」
「んな事ない。俺は……」
「だったらなんで……泣いてるんですか?」
「えっ……」
笑美ちゃんの言葉に、俺は思わず瞼に指を当てた。すると、温かい何かが指先に触れる。
ゆっくりと離し、まじまじとそれを見ると……確かに濡れていた。
なんだこれ……
自覚はない。ただ、その湿った指先を見つめた途端……頬を伝う熱い何かを感じる。拭っても拭っても溢れ出すそれに疑問しか浮かばなかった。ただ……
「話を聞いただけで、君島さんの置かれた状況の辛さは分かります。君島さんの努力も分かります。理想と現実に苛まれても、自分の夢とご両親に報いる為にもがいて苦しんで……選んだ結果に後悔してるのだって、痛いほど分かります。それも今まで口に出来ずに溜め込んでたんですよね? 誰にも言えなかったんですよね?」
「辛い時は、悲しい時は……誰かに言って良いんです。頼って良いんです。泣いたって良いんですよ……」
泣きながらも、俺を気遣う笑美ちゃんの姿が目に焼き付くと……体の力が一気に抜けていくのが分かった。
何も将来の事を考えられなかったそんな時、笑美ちゃんと出会い夢が出来た。
快く送り出してくれた両親の為に頑張りたかった。頑張って、夢である職場に就職できた。
ただ、突きつけられた理想と現実。ズレていく夢の形。
思い知った無力さ。絶望した光景。希望だった夢を諦めた後悔。
笑美ちゃんの記憶にある自分から、落ちぶれた今の姿。
……自分でも思ってた。けど、それを認めたら今までの努力を否定するようで怖かった。
だから胸に溜め込んだ。口には出さなかった。必死に自分の行動を肯定して逃げてきた。
そうして十数年過ごしてきた俺に、笑美ちゃんの言葉は……痛いほど突き刺さり、驚くほどに温かかった。
その瞬間、何かで堰き止めておいた色んな感情が……無意識に溢れ出す。
「俺は……自分が嫌だった。理想は理想で、あの時の俺みたいな一か八の行動が上手くいくなんて運が良かったんだって分かってた。それでも、思い描いた理想に縋って、現実を認めたくなかったんだ」
「そうですよね……」
「俺がどうにかしてたら、あの子は救えたかもしれない。けど、現実的にどう頑張っても無理だった。先輩達も他の皆も、際限なく増え続ける相談件数に一杯一杯で……そんな中でも、俺の話を聞いてくれてたんだ。なのに、認めたくなくて勝手に自信も失って……辞めた。けど、辞めても頭には父さんと母さんへの申し訳なさがあって、それを忘れる為に急いでまた就職して、働いて……思い出さない様に忙しさを利用した」
「辛かったんですね……」
「けど、結局転職先でもあんな事になって、何もかも失って……笑美ちゃんに再会した。嬉しかったよ? ただ、目の前の笑美ちゃんは俺が思うよりずっと立派になってて、今の自分が惨めに見えた。笑美ちゃんが俺を見る目が、あの時の……高校生だった俺を見ているようで怖かった。だから、必死に昔の俺に戻れるように、あの時の俺だったらこうすると思って、あの3人に復讐した。けど、無理だった……無理だったんだ。あの頃の自分に戻れない。笑美ちゃんの記憶の中に居る俺には戻れない。それが分かって……俺は……」
「君島さん?」
それは、一瞬の出来事だった。
笑美ちゃんの呼びかける声と共に、両肩に感じる柔らかく温かい感触。まるで背中を支えてくれているかのような優しい感覚。
それを感じ取った俺は、いつの間にか項垂れていた顔を上げた。目の前のソファに笑美ちゃんの姿はなかった。その代わり左側に……それもまるで寄り添うような形で、誰かが俺を支えてくれている。
それが笑美ちゃんだと気付くのに、時間は掛からない。
「笑美……ちゃん?」
「君島さん? 君島さんが頑張って、もがいて辛い思いしてるって、今話しを聞いた私でも分かります。それを誰にも言えなかった苦しみも分かります。でも、それは普通の事ですよ? 人生の中で後悔しない人なんていますか? そんな人いませんよ」
「けど……」
「君島さんは私にとっては英雄で、命の恩人です。でもそれは私が勝手に思ってるだけなんですよ? それ以前に君島さんはただ人。一般男性なんです。でも、私の抱いたイメージが逆にプレッシャー与えてて、本当にごめんなさい」
「なんで……謝るんだよ」
「そう思わせちゃったから。君島さんを追い込んじゃったから。けど、これだけ覚えて下さい? 私の中の君島さんは命を救ってくれた恩人です。あれからどんな事があったとしても、それは変わりませんよ? 君島さんは今の自分の姿に、私がショック受けてるとかって思ってるみたいですけど……そんな訳ないじゃないですか。君島さんは君島さんです。あれからもこれからもずっとずっと!」
覗き込む笑美ちゃんの顔は、穏やかだった。目は赤くて、涙の痕は残っているけど……その表情はどこか優しさが漂っていた。
「だから君島さん? 今度は私が助ける番です」
「助ける?」
「君島さんに助けてもらって、この16年間幸せでした。つまりそれって、君島さんが私の為に作ってくれた時間なんです。だから、私は最低でも16年間……君島さんを助けます。恩返しします。それは私が決めた私の生き方です」
その言葉は意味が分からなかった。そんな事したら笑美ちゃんの負担が増えるだけで、何1つ良いことがない。順調なモデルとしての仕事に影響しかないし、何より自分が願っていた生活を自分のせいで放棄してしまう。それだけは嫌だった。
「なっ、何言ってんだよ。それじゃあ迷惑通り越して最悪だ。大体俺は、君に幸せになってもらいたいって……」
「幸せですよ? 今も十分。それにこれからも」
「えっ……」
「幸せの中に、君島さんを助ける事も入ってます。誰が命の恩人を助けるの事を迷惑だって思いますか? そもそも私は16年だけじゃない。命を救って貰えたんだから、君島さんが困ってるなら一生助けたいって思ってますよ」
「いや、でもそれじゃ……」
「これは私が決めた、私なりの幸せです。そこに文句は言わせませんよ? それが君島さんだったとしてもね?」
なんで……なんでこの子はそこまで俺の事を……
「なんで……俺なんて……」
「あなたは君島さん。私の命の恩人。困っていたなら助けます。いえ、助けさせてくれませんか? 君島さん言ってくれたじゃないですか、私は大きくたくましく成長したって。もうあの時の私じゃないですよ? だから、あの時の君島さんみたいに……」
「今度は私に君島さんを守らせてください」
その瞬間、笑美ちゃんが浮かべた笑顔は……とんでもなく綺麗だった。
……本当に、強くて優しくて……言い女に成長したよ。こんなおっさんの心を酔わせて……
「……ったく、いったいどこでこんな魔性の女になっちゃったんだ? 大体、この状況……あの時の、笑美ちゃん助けた時のまんま逆じゃないか」
「狙ってました……なんて格好良い事言えれば良いんですけど……とっさにこうしてました。でも、だったら君島さんも感じてくれました? 私があの日、君島さんに肩抱かれてた時に感じた……安心感と温かさ」
「俺の場合はこんな優しくなかっただろ」
「実は……肩の骨が痛かったです」
「おいおい、そこは嘘でもそんな事なかったですって言うところだろ?」
「ふふっ。すいません。でも君島さん? 本当ですからね?」
「うん?」
「助けられることに戸惑わないでください。辛いなら言ってください。もっと私を頼ってください。君島さんは君島さんなんです。昔とかあの時のとか……関係ない。私は目の前に居る君島さんに会えて良かった。そして恩返しがしたい。それは紛れもなく、相島笑美の本心ですから」
その言葉の後、肩に感じる少し硬い感覚に……不本意ながらドキッとしてしまう。
そして笑美ちゃんの言葉が、ゆっくりと頭の中を駆け巡る。
……もしかして、俺自身心のどこかで、笑美ちゃんにあの時の姿をまだ重ねていたのかもしれない。20歳になっても、成人してもまだ子ども。だから無理させたくないし、迷惑も掛けたくないって。
けど、笑美ちゃんは……その容姿だけじゃなく心も立派に成長してくれた。
そして何より、
『君島さんは君島さんです。あれからもこれからもずっとずっと!』
その言葉に、心がすっと軽くなった。
自分でそうだと決めつけて、自分で自分を苦しめていたんだ。
……ったく、仮にも福祉を勉強して、精神保健福祉士も持てるってのにな。傾聴は大事だって習っただろ? それをろくにしないで、勝手に判断して……本当に俺はダメな奴だよ。
けど、それを込みにして、助けてくれるって言ってくれる人が居るのは……安心する。
……ありがとう、笑美ちゃん。
「ありがとう笑美ちゃん」
「いえ……全然です」
「けど、そろそろおっさん。そんなおでこ付けられたりすると勘違いしそうになるからさ?」
「えっ? あっ、あぁ! すすすっ、すいません! 調子に乗りました!」
「気にするなって。人気モデルに肩貸すなんて、一生の自慢モノだ」
「もっ、もう……君島さん!」
「ははっ。でも本当にありがとうね? 気持ちが……楽になった」
「全然ですよ。私なんかが、お役に立てて嬉しいです」
今すぐに、ガッツリ助けてもらうなんて無理だけど……これからは笑美ちゃんが言ってくれた通り、少しずつちょっとずつ……頼らせてもらおうかな。
「じゃあ笑美ちゃん? 改めてお願いするよ」
「はいっ! 何でしょう?」
「ちゃんとした……ブラックではない場所への就職が決まるまで、掃除洗濯等々家事はするので……ここに住ませてくれませんか?」
「ご飯は交代制にしましょ? 私はさっき言った通りワガママなんです。作ってくれた物を食べるのも嬉しいし、作った物を美味しいって言って貰えるのも嬉しいんです。それでも良ければ……」
「ずっーと、居てくれても良いんですよ?」
そんなのお安い御用だよ。だから……
「是非お願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますね」
「じゃあ、途中だったご飯……食べようか」
「はいっ!」
よろしくね。笑美ちゃん。
「そういえば、笑美ちゃん?」
「ふぁい?」
「その、洗濯とかってどうすれば良い? その、昨日もだけど洗面所に置いてるじゃん?」
「もし、時間があれば洗濯して欲しいなーなんて。てへっ」
「えっ? それは全然良いんだけど……その……」
「ん? どうかしました?」
「えっ、あっ、いや……ゴメン! 見るつもりは無くてたまたま目に入って……」
「んー?」
「その、洗濯入れにその……パンツとかあって、それも洗濯……」
「ブーッ!!! ゴホンゴホン! すすっ、すいません! そっち系は別個にしますから!」
「うっ、うん……じゃあ、任せて……」
「はっ、ははは……君島さんのエッチ」
「えっ、えぇ!?」
「えっへへ。冗談ですよ? ……………………あぁ恥ずかしい。昨日どんなの穿いてたっけ。」
「なんか言った?」
「全然です! おっ、お願いしますね? じゃあ改めて、いただきまーす」
「おっ、おう。いただきますっ!」
読んで頂きありがとうございます!
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