14話 女子大生に気付かされる
目が覚めると、途端にみそ汁の良い匂いが鼻を通った。
アラームは掛けたはずなのに、いつの間にか止まっている。居候として、朝ご飯は自分が作ろうと決めた矢先の寝坊に……つくづく自分が嫌になった。
とはいえ、笑美ちゃんは昨日と変わらない雰囲気で接してくれる。和食のラインナップだって大したもんだ。味だって格別で、体の隅々まで染み渡る。
可愛くて、仕事上では美人で……話も上手で気遣いも出来る。そしてこんなおっさんにも、笑顔を見せてくれる程の優しさ。
隙がない。完璧すぎる。
同じ学校に居たら、絶対に惚れてしまうだろう存在。
そんな姿は、素直に嬉しくて安心する。
ただ、それを感じるたびに……
ズキッ
なぜか胸は痛み続ける。
その理由は自分でも分かる。分かっているからこそ、この状況が……笑美ちゃんと居る事に疑問が浮かぶ。
なぜ俺は居る? まるで見合わない男だっていうのに。
「君島さん、どうかしました?」
「ん? 何でもないよ? それにしてもこの味噌汁美味しいな」
「そんなの誰でも作れますよ? 大袈裟だなぁ」
笑美ちゃんの中で、俺という存在はあの時の……高校生の時の俺だ。
そんな眼差しで見られる度に、今の自分と比べてしまう。
そんな笑顔を向けられる度に、変ってしまった自分が恥ずかしくて仕方がない。
どこで変わった? どうして変わった?
なんで俺は……こんな男になった。
どうして……
★
「じゃあ行ってきますね? 今日も6時くらいには帰れると思いますっ!」
「了解。晩御飯は何が良い? リクエストあるかな?」
「良いんですか? じゃあ……オムライスなんか大丈夫です?」
「もちろん。準備しておくよ」
「えっ!? 半分冗談のつもりだったんですけど……何気に君島さん料理のレパートリー凄くないですか」
「そうでもないだろ?」
―――今の時代、男ならそれくらい作れて当たり前よね―――
「そんな事ないですよ! いくら巷で料理男子が増えているとはいえ、実際に作って貰う嬉しさは格別です」
「格別って……」
「それに味付けも最高ですし、色々な手料理を毎日堪能したいくらいですもん」
―――またこれ? 飽きたんだけど―――
「毎日……? でも、笑美ちゃんだって料理上手じゃないか。俺は笑美ちゃんが作る料理の方が美味しいと思うけど」
「本当ですか? それも嬉しいお言葉です。私としては……半々が良いですかね?」
「半々?」
「そりゃ作って貰える嬉しさもありますけど……自分が作った料理を食べてくれて、美味しいって言って貰えるのも嬉しいじゃないですか? 私はその両方を感じたいんですよ」
―――私が? 無理無理。だったら料理が上手い丈助が作ってよ―――
「食べてもらえる嬉しさと、作ってもらえる嬉しさ……か」
「はいっ! 贅沢かもしれませんけど……今、私はすっごく幸せな気分なんですよね。その欲望が満たされてるんですからっ」
その笑顔を見た瞬間、頭の中で何かが弾けた。
同じ女性として、どうしてこんなにも考えに違いがあるんだろう。いくら個人差があるとはいえ、その差は明らかに大きすぎる。
冷静に考えれば、都合よく使われていたって分かるのに……どうしてそれに従っていたんだろう。
頼られるのが嬉しかったから?
自分の見る目を信じたかったから?
少しでも存在意義を……感じていたかったから?
…………バカらしい。
結局良い様に使われて、裏では寝取られ、嘲笑われてたんだろ?
邪魔にされて、会社をクビにさせられたんだろ?
その事実を聞いて、嵌められて俺はどうした? 直接面と向かってなんか言ったか?
あの場から逃げ出して、アルコールに逃げて……笑美ちゃんが居なかったらどうなってたんだよ。
いつからこうなった。
逃げるだけの自分になった。
あの時の……笑美ちゃんの中に居る俺。高校生の俺ならどうした? どうしてた?
「ふふっ」
「えっ、どうしたんですか君島さん? 私変な事言いました?」
「いいや全然。むしろ嬉しくて心が洗われるよ」
「なっ、煽てても何も出ませんからねっ?」
「はいはい」
「そっ、それと……あの、今日も出来れば……」
家に居てくれかな? その言葉の意味は分かってる。でも、今さっき決意した所でさ? 今日ばっかりは、そのお願いは無理かもしれない。
「今日はゴメン。ちょっとヤボ用思い出してさ?」
「きゅっ、求人見に行くんですか?」
「それもあるけど、もうちょっと大事かな?」
「だっ、大事って……」
笑美ちゃんの表情が少し曇る。
まぁ、あれだけ早くここを出たいとか言った奴が、大事な事なんて言っても信用出来ないよな。
「大丈夫。いきなり居なくならないって。それに就職が決まるまで居ても良いんだろ? 俺としては、こんな居心地の良い場所早々に出る理由が見当たらない」
「けっ、けど……」
「じゃあさ、帰ってこなかったら、前に笑美ちゃんが言ってたように通報して?」
「何言ってるんですか!」
「いやぁ……信用してくれないから。心配ご無用、オムライス作って待ってるからさ?」
「むぅ……約束ですよ!? 絶対居て下さいね?」
「はいよ」
「じゃっ、じゃあ行ってきます……君島さん?」
「なんだい?」
「……暗証番号分からないと部屋は入れませんよ?」
たっ、確かにっ!
「あっ……じゃあ、入口で待って……」
「0812ですから」
「えっ?」
「暗証番号です。覚えてくれましたよね?」
って、何の迷いもなく教えちゃダメだろっ! でもあれ? 0812って……なんだろう、妙に覚えやすい気がする。08……12……まさか!
「なぁ笑美ちゃん。もしかしてこの番号って……」
「気が付きました? あの日ですよ。ふふっ。じゃあ行ってきまーす」
8月12日。まさに俺が笑美ちゃんを助けた日じゃないか。にしても良く覚えてたな……
「あっ、君島さん!」
「今度は何だー?」
「オムライス、楽しみにしてますね?」
明るい笑顔を見せながらそう言うと、笑美ちゃんは颯爽と大学へ向かって行った。
そして、ドアの締まる音が……妙に部屋へと響き渡る。
普通暗証番号をそれにする? 辛さを覚える数字じゃないのか。いや、彼女にとっては……思い出の数字なのかもしれない。
とにかく、これ以上笑美ちゃんにみっともない姿は見せられないし、見せたくない。
その為にはやり逃した事を成し遂げるしかないだろうな。それは何か……思い当たるのは1つ。いや? 3つか。
ヴーヴー
その時だった。スマホのバイブ音が耳に入る。ガラスのテーブルに振動して、それはいつもよりも存在感をアピールしている様だった。
ただ、画面に写る見覚えのある着信番号を見た途端、それがあながち間違ってはいないのだと感じ取る。
「ははっ、丁度良い。最初はあの女って思ってたけど……どの道あんたともケリをつけたいと思ってたんだ。それにしても着拒されたからって、わざわざ別の社用携帯使う事はないだろ」
あの時の俺だったらどうした?
笑美ちゃんを救った俺ならどうする?
……決まってる。
きっちりと落とし前付けてもらうだろうよ!
ピッ
「はい。どうしました? ……先輩」
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