第九話 一番の薬は感謝の言葉 ありがとうの一言
勇者アッシュはトゥネーロ王国で僧侶カナリヤと戦士アンバー、魔法使いヨットの三人をパーティに加え新たな冒険を始めることになった。最初に四人で向かうのは機械の街アントムリット、そこで感知された強大な魔力のもとを退治するため彼らは馬車を走らせている。
トゥネーロ王国を出て数刻、御者のハイネが荷台の勇者たちに声をかける。
「アッシュ様、ここいらで休憩といきませんか。馬車に乗ってるだけでは皆さまのお体も鈍ってしまうだ」
ハイネの言葉に異議を唱える者はいなかった。馬車はアントムリットに向かう途中の村に到着し、勇者らはそれぞれ荷台から降りて背筋を伸ばしたりしている。
「ここはクレイド村というだ。農作物の収穫を主に村の経営をおこなっておりトゥネーロ王国にも作物の出荷などをしているだ。俺も何度か輸送に馬車は走らせているから顔見知りはそこそこにいる。勇者様のことはすでにシラセバトで伝えておいたから特に怪しまれることはないと思うだ。出発まで村でくつろいでくるといいさ」
ハイネの気遣いに痛み入るといった風にアッシュが「はい」と頷き、彼らはクレイド村を訪れることになった。
クレイド村は大きな岩の丘を中心に、それを囲むように民家や教会、宿屋などが立ち並んでいる。村を奥に進んでいくと、ハイネが言っていたように小麦のような作物が稲穂を輝かせる田園風景も広がっている。
そんな村に足を踏み入れ、アッシュは早速一番近くの家に立ち寄りツボを割りまくっている。カナリヤはそのあとにつき、まだ慣れない彼の行動を見守っている。そこにはアンバーとヨットの姿はない。恐らく彼らはそれぞれが思い思いに茶屋にでもよって一服をしているのだろう。
アッシュが三軒目の家でタンスを開け、女性物の下着をこれは必要ないと放り投げた後、「ぬののふく」を手に入れたところで彼は背後に視線を向けた。その家の中の一室で寝込んでいる十歳に満たないほどの少女とその横でタオルを絞り看病をしている女─少女の母親と見える─の姿がどうにも気になってしまい勇者は気づいたら彼女らのもとへ歩み寄っていた。
「相当苦しんでおられるようですが、大丈夫でしょうか」とカナリヤが母親に尋ねる。
母親の方は深刻そうな様子で「はい」と一言放ち、娘の容態の悪さとその原因、彼女らの現在の状況を話し始めた。
「つい先日です。私はこの子、エミーを外で遊ばせていたのですが、最近この辺りで悪さをしているというまものに会ってしまいエミーは呪いをかけられてしまったのです。私の監督不行き届きというのが一番の原因ですがこの子を助けてあげたいのです。この呪いはお医者様によれば村を出て西に向かった沼地に咲く“キアルの花”という花の蜜で治すことができるそうなのですが、それを聞いた息子、エミーの兄のタセルが一緒に遊んでいた自分が少し見ていないところで妹に呪いがかけられてしまったと自責の念に駆られ一昨日家を出てしまい、それっきり帰ってこないのです」
話せば話すほど母親の顔は暗くなっていき今にも涙を流してしまいそうだ。
「とても・・・とても厚かましいのは百も承知です。よろしければ冒険者さん、沼地まで“キアルの花”を採ってきて、私の息子タセルを連れ戻してきていただけないでしょうか」
娘をずっと看病しっぱなしなのであろう。疲れでとっくに重くなっているであろう頭を床につけ、母親がいささか無理ともとれる懇願を勇者たちにしてくる。ここでここで断り切れないのがアッシュである。勇者の性なのか困った人は助けずにはいられないといったようにこの家族を助けるとその瞳は決意に燃えた。
アッシュとカナリヤの二人があの母親の言っていた沼地にたどり着いた。沼地にはいくらかまものが棲みついており、キアルの花があると聞いた場所まで敵を掻き分け進んでいく。
「こんな危険な場所に子どもが一人と考えるとタセルさんの無事は・・・」
カナリヤの頭には沼地の湿気にあてられたかのようにジメジメとした考えが浮かんでやまない。そんな彼女のネガティヴな思いとは相反して、アッシュは前を向きその剣を振るう。
沼地をさらに突き進む。すると手ごろな大きさのキャンプ地のような場所が目の前に現れた。そのキャンプ地には小型犬が一匹、あまり食料にもありつけないのかクーンと弱々しく鳴いている。その犬はアッシュたちに気が付くと二人の足元に寄ってきて助けを求めるような仕草をする。キャンプには他に冷めているシチューが入った鍋が一つ、誰かがここにいた痕跡のようなものが確認できる。
と、その時、カナリヤの神の眼の力がはたらく。この場所で過去に起こったこと、この場所で神が見ていた光景が彼女の頭の中に流れ込んでくる。
一人の少年が泥にまみれ重くなった足を動かしこのキャンプまでやってくる。その容姿はどことなくクレイド村で出会った母親に近しいものを感じられる。彼がこのキャンプで一息ついていると後ろからギラギラと輝く目が彼を見つめている。その目の主が少年の前に姿を見せる。それは小さな悪魔の見習いといったようなまもので少年を今にも襲おうといった風に彼を見つめている。少年の方は少年の方でとって食べられてしまうと考えているのか突然眼前に現れたまものに対し恐怖に顔を歪ませている。
「人間の子どもよ、オイラが怖いか?恐ろしいか?なあに、君を食べたり何かはしないさ。オイラがこれから君にするのは君の姿を変えてしまうことさ。怖がることはない。一瞬のことさ」
小さな悪魔が見た目通り可愛らしい─言っていることは恐ろしいが─声でそう言うと、持っていた先端が三つに割れる槍を振る。すると槍からビームのようなものが放たれる。少年はその波を一身に受けてしまう。
ここで神の眼の映し出す映像が終了した。近くにいたため同じ映像を見えていたのか、生まれ持って神に愛された勇者の特性なのかアッシュもここで何が起きていたのか状況を把握しているようだ。
二人は顔を合わせ、すぐに足元にいる犬に目を向ける。
「タセルさん、こんなものに姿を変えられてしまって」とカナリヤが犬を抱き上げその頭をなでる。
カナリヤが呟いたとき彼らの背後から声がする。
「そうだぜ。妹のためにキアルの花を探しに来たってのにこんなものに姿を変えられちまったんだからよ」
勇者と僧侶は声のする方に振り向く。しかし、そこには人がいるというわけでもない。
「声の主は・・・この子犬さん・・・ではない・・・ですよね?今、背後から声がしたはずです」と困惑しながらカナリヤがアッシュに訴える。
アッシュもカナリヤと同じようにポカンとした表情を浮かべている。
「あれ、気づいてないのか?俺だよ。タセルだよ。さっき名前呼んでくれたよな」
声は聞こえる。だが、肝心の声の主の居所が全くつかめない。
「タセルさんは一体、何に姿を変えられて?」
カナリヤは少年が悪魔にどのような姿に変化させられたのかをまず知ろうとしている。
「そこにいる犬、と言えたらよかったんだけど。俺・・・醜い野獣・・・・・・ならぬ・・・シチューに姿を変えられちまったのさ」
“シチュー”という言葉を聞きアッシュとカナリヤは、は?という表情になる。
「フラーム」
勇者はじゅもんを唱え火を生み出すと、鍋の底にそれを放ち、急速に鍋を熱していく。
「熱ィィ!!!熱ぃよ!!!このままじゃ俺、蒸発しちまう。死んじまうよ」
鍋の中から凄まじい叫び声が聞こえてくる。
「本当にシチューなんかに姿を変えられてしまったと」
ようやく事の顛末を理解したカナリヤが鍋に向かって話しかける。アッシュとカナリヤは鍋を囲むように切り倒された木に座り、この不思議な状況で会話をしている。
「そうだって。お姉ちゃんら、見たんでしょ。俺が悪魔にのろいみたいなのかけられたの」とシチューになったタセル。
「いや、見ましたけどまさか食べ物になるとは誰も思いませんよね。普通この子犬さんになると思いますよね」
カナリヤが淡々とツッコミを入れる。
「それは俺だって同じだぜ。妹を助けにせっかくここまで来たのに、川の氾濫や山賊の襲撃という試練をいくつも乗り越えてここに来たっていうのに。どうしてシチューなんかに」(タ)
「その言い方ですとあなたが助けようとしてるの、妹さんじゃなくてセリヌンティウスですよね?」(僧)
「いーや、俺は別に激怒なんかしない」
タセルがそう言うと安心したのかカナリヤが軽く息を吐き微笑みを見せる。
「ひとまずタセルさんが無事で良かったです。この呪いは恐らく呪いをかけたまものを倒すことができれば解くことが出来ます。ですのでキアルの花の採取とその悪魔さんを倒す、この二つを今からおこないましょう。アッシュ様、頑張りましょう!」
カナリヤが士気を高めるかのように掛け声をかけると、「その必要はねえぜ」とタセルが水をさすような言い方をする。
「必要がないとは?」とカナリヤが聞き返す。
「あの悪魔、俺の狙いがキアルの花ってことを知って花を摘みに行くと言っていた。だからこの沼地から花が全部摘まれてしまう前に、まだ残った花の場所で待ち伏せすればあいつはやってくる」
タセルのその言葉に勇者と僧侶の二人は再び顔を見合わせる。
「だから、早く残りの花のところまで向かってくれないか」
少年の頼みにアッシュが「はい」と言うと二人はすぐさま腰を上げ走り出した。
「ヒヒヒ、あとにおいがするのはあそこだけだね。これでラゲルタ様に魔力を与えていただけるぞー」
小さな二つの翼をパタパタとはばたかせ悪魔は目的地へ飛んでいく。
「あれ?あそこに人影があるじゃないの」
勇者と僧侶がすでにそこにいた。彼らは戦闘態勢に入り、彼の目的を阻もうとしているのは明白だ。
「なんだってこうジャマが入るかなァ?まっ、功績が増えるしいっか」と悪魔がアッシュたちに襲いかかる。
「バッテ」
悪魔が詠唱すると、炎が勇者たちを燃やさんと地面を走る。アッシュがそれを剣で受け流し、すぐさま前進しこの小さな悪魔に斬りかかる。
しかし、まものはフワッと体を浮かせ彼の攻撃を躱していく。中々の身のこなしでこの間のテツガラスとは打って変わり勇者の剣は相手を捉えることはできない。
悪魔の方も反撃を、と言わんばかりに体のサイズに合った槍を勇者の隙を突き、何度か突きつけようとする。
意外にもまものの攻撃は素早く、アッシュの顔を掠めた槍によって彼は左の頬に切り傷を負う。
「バッテ」
傷に気をとられ、注意が緩んだ勇者に追い打ちをかけるように悪魔はじゅもんを追ってか唱える。
足元から広がってくる悪魔の追い打ちにアッシュは新たに火傷の傷を負ってしまう。
「トリータ」
すぐさまカナリヤが回復のじゅもんを唱え、勇者の傷をいくらか癒す。
「アッシュ様!大丈夫ですか?」
カナリヤの心配を他所にアッシュは戦闘を継続する。
「フラーム」
アッシュも対抗して火球を飛ばすも、地面に叩きつけられそれは散ってしまう。
「おいおい、兄ちゃん!全然当たってねーぞ。バッテ!!」
一度効果のあったじゅもんを続けざまに悪魔は唱えて勇者を倒さんとする。
「フラーム」
またもやアッシュの攻撃は相手には届かない。
「いいのかい?そんなに距離をとってたら一生オイラに攻撃は当たらないぜ」
悪魔は煽るも勇者の顔色に特に変化は感じられない。
「アッシュ様、私もじゅもんで援護いたします。私は風のじゅもんで攻撃もおこなえますから」
戦況を劣勢と見たか、僧侶が励ますような口調で勇者に声をかける。
その言葉を聞き、援護が欲しい時に合図をこちらから送る、というようなアイコンタクトをアッシュはカナリヤに投げかける。
「バッテ」
悪魔がじゅもんを唱え地面をまたもや炎が走り、アッシュに対して近づいてくる。
しかし、アッシュはそれを避けるでも受け流すでもなく一直線に走っていく。
「おいおい、そんなことしたって無駄だぜ?お前の速さはすでに見切ってんだからよ。オイラの槍のエサにしてやる」
アッシュの動きを見た悪魔がそんなことを言った刹那、
「ヴィンド」
カナリヤの声が戦場を通る。途端に勇者の横を風が通り抜け炎を打ち消す。
「そんなことしたって・・・」と悪魔は余裕そうだが、言い切らないうちにアッシュが彼の懐に潜り込んで斬撃を繰り返す。
戦闘が終了した。一見勇者側の劣勢と思われていたが終わってみれば彼らの勝利だった。一度目にアッシュがチビ悪魔に詰め寄った際、彼は沼地の影響か本来の速度で戦うことが出来なかった。しかし、炎系のじゅもんの応酬により地面はすぐさま乾いていった。まものは浮遊していたためかその地形の変化に気づくことが出来ず、勇者に一本取られたという形になったのであった。
「アッシュ様、今回はアッシュ様の知恵の勝利だとは思いますがさすがに無茶をしすぎです。いくら私がいるからってあんなに傷を負うこともなかったのに。もう少しご自身のお体は大事にしてくださいね」
カナリヤは比較的強引に勝利を引き寄せたアッシュの行動を諫めながらキアルの花を手に、そしてもとの姿を取り戻した少年タセルとともにクレイド村へと帰っている。
「お兄ちゃんたち、悪いまものを倒しちゃうなんてすごいや。これでエミーも助かるし、本当にありがとう」
タセルが感謝の気持ちを言葉で表す。
その後、アッシュとカナリヤはタセルの家で呪いをかけられたエミーにキアルの花の蜜を与えた。少女は苦しそうな様子から解き放たれスヤスヤと久しぶりの平穏な眠りについた。
タセルを連れ戻したこと、エミーの呪いを解いたことで彼らは母親から何度も、何度も礼を述べられた。
クレイド村で出会った家族に別れを告げ、勇者たちは停めていた馬車のもとまで帰っていく。
「おい!どこほっつきあるいてたんだお前ら。探したぞ」と馬車からアンバーが彼らを出迎える。
「ちょっと人助けをば」とカナリヤは彼に返事をする。
そして彼女はアッシュに顔を向け、
「今回は物品などの報酬はありませんでしたけど、たくさんお礼を言葉で言ってもらえて、これから冒険をするのにとても元気貰えましたね」と嬉しそうに言った。
タセルたちの笑顔を思い返し、僧侶も一層素敵な笑顔を浮かべた。