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馬←→鹿

作者: 南野 武

全て読者様にお任せします。

一度読んでみてください。

 ―一三年前―

 周辺は、誰かが投げたであろう火炎瓶が割れた後の炎が上がり、窓ガラスも無数も割られていた。

 無数のケガ人もいる。

 どこかで、警官隊と学生達がもめている。それは、まるで昭和の時代のあの狂乱した時代を思い出させるものだった。

 周囲の大人達も、容易に手を出せなかった。

 しかし、中には、それらの行動を煽る大人達もいた。

 そんな中、頭から滝の様に夥しい血を流し、身体中の骨が全て砕け折れた肉体の男を抱き上げながら、一人の男が顔を涙で濡らして絶叫した。

「いつまでこんな馬鹿馬鹿しい事やってんだ!!!とっとと止めっちまえ!!!」

 その場に居た全ての人間がその絶叫に震え、動けなかった。


         1

 飛行機の客室。

 女性客室乗務員に揺らされながら男は、あわてて眼を覚ました。

 男は、恥ずかしそうに乗務員に聞いた。

「うなされてました?」

 乗務員は、すっかり安心した表情でコクリと頷いて、柔らかい笑顔を見せた。そして、引き返して行った。

 男は、その後ろ姿に頭を下げながら、思った。「また、あの時の夢。見ちまったようだな。いかんな。これじゃ。」


         2

 福川県。

 「(株)サンライズ食品」

 社長室。

 応接用の椅子には、二代目社長の伊達喜一郎が笑顔で座っていた。

 飛行機の男は、緊張していた。

 「どうした?そんなに緊張しないで座ったらどうだ。君はこの会社のエースなんだぞ。」

と、伊達は、笑顔のままで言った。

 男は、ただただ恐縮して頷くだけだった。

 2~3回のノックの共に、社長室の扉が開き社長秘書の松本彩がお茶を運んで来た。  

 「彩君からも座るように言ってくれ。儂の言う事より、フィアンセである君が言ってくれた方がよく聞く。」

と、伊達はまだ笑顔で言った。

 彩は、テーブルにお茶を置いて、 微笑みながら、座るように促す動作をした。

 男は緊張のため苦笑するだけで、決して座ろうとしなかった。

 伊達は、耐え切れなくなり自分から椅子から立ち上がって、男の両手を無理やり取り自分の両手で握りしめながら、

「ありがとう。藤野君。君のおかげで北海道の件はうまくいった。お客様からの反応も我々が考えていた以上のものだ。勿論。わが社の売り上げも上がっている。本当に君には感謝してもしきれんくらいだ。そこでだ。君の今回の功績を認めた上で、朝、緊急の取締役会を開き、新たに我が社に「営業部開拓推進室」を作り、北海道に続き新たな拠点づくりを進める事とした。そこで誠に勝手だが、その室長に藤野君。君を任命したいと思う。スタッフの人選。次の候補地等全て君に任せたい。当然の如く、全て取締役の承認は得た。どうかね?急で悪いと思うのだが引き受けてくれんかね。」

と、一気に早口でまくし立てる様に言った。

「・・・」

「藤野君。どうかね?」

「・・・少し考えさせてもらえませんか?」 

「それは構わんが、時間は余りないと思ってくれ。」

「・・・」

「どうかね?」

「・・・もう決まっているわけですね。後は私が引き受けるかどうかだけ・・・」

「そういう事だ!」

「わっ分かりました。私で良ければ、その役目。引き受けさせていただきます・・・」

 伊達は飛行機の男イコール藤野の両手を再び力強く、そしてしっかり握りしめて、

「ありがとう。君なら引き受けてくれると思ったよ。」

「あっありがとうございます。この藤野昌弘。一生懸命やらせていただきます。」

昌弘は、深々と頭を下げた。

「うん。ありがとう。この計画が上手くいけば、この業界でも大手に負けないくらいの

会社になるはずだ。こう言ってはあれでだが、君には相当なプレッシャーになる。それも踏まえた上で、全てを君に託す・・・頼んだぞ。」

「・・・わっ分かりました・・・」

昌弘の緊張度は増していた。

「良かった。本当に良かった。これで万事うまくいくだろう。君達二人の結婚も含めてだ。どうだ。藤野君。一週間程休みを取ってみたら。と言うよりも一週間。君に休暇を取らせる。二人で結婚の準備でもしたらどうかね?」

「・・・あっ有難い事ですが、時間が無いのでは?・・・それに北海道の件もまだ完璧とは言えませんし・・・」

「いかにも君らしいな。しかし、これは社長命令だ。いやっ取締役会でも決まった事だ。北海道の方はこちらの方でやっておく。」

「・・・そっそこまで・・・」

昌弘はある種の感動すら覚えた。

「とは言ってみたものの、彩君に今休みを取らせる訳にはいかなくなった。何日間か遅れて休暇を取らせるようにする。それで了解してもらえんかね?」

伊達が申し訳無さそうに言った。

「・・・いっいえ・・・そこまでのお気遣い心より感謝しております・・・」

「なあに構わんよ。でっどうする?彩君と合流するまでの数日間は?」

「・・・はっはい。戸上(とがみ)に・・・戸上に帰ろうかと思います・・・」

「とっ戸上・・・戸上か・・・」

伊達は、座り込み、何かを考えている様だった。

「はい。あそこは私の実家ですし、両親の墓も有ります。」

「・・・しっしかし・・・」

伊達は、急に不安になった。

「必ず帰って来ます。」

昌弘は、自信有り気に答えた。そして、彩に対して軽く頷いた。

「・・・わっ分かった。その言葉を信じよう。しかし、必ず何かあったら・・・」

「何かはありません。」

昌弘は、はっきりと言い切った。

 

        3

 福川県。戸上町。

 人口二八五〇人。大蔵市や八万市等と隣接し、大手企業の企業城下町として栄えてきた町であった。

 しかし、この町もご多分に漏れず、若者の都市離れが進み、人口減少が始まっていた。

しかし、実は、それだけではなかった。ある過去の出来事からその事を伝え聞いた若者。特に二十代から三十代の若者達がこの町から離れていったのである。

 そんな中、戸上町役場二階。選挙管理委員会室。

 そこに二人の男の代理人が、選挙管理委員

と対面する形で座っていた。

 委員長らしき男が、立ち上がって言った。

「お二方には、公正な選挙を。」

 代理人達は立ち上がり、委員長に深々と頭を下げた。

 戸上町の町長選挙が公示されたのである。

 

         4

 戸上駅。

 休暇をもらった次の日。昌弘は駅の入口に出て来ていた。

 駅前だけに人通りが多い。

 しかし、何故か異様だった。

 駅前に居た人間全てが、昌弘に向かってやって来ている。中にはどこかにスマホで電話している人間もいた。

 昌弘は、本能的にその場を逃げ出した。  

 逃げても追いかけて来る人間達。

 「なんなんだ?こりゃ。」

昌弘は呟きながら走った。

 そこに滑り込むように止まる車。

 何とか立ち止まる昌弘。

 「早く乗れ。藤野。」

車の運転席のドアが開き、叫ぶ男。

 昌弘は、慌てて車の前を横切り、助手席に乗った。

 「歓迎も話も全部後だ。取りあえずどこに行く?」

 「はっ墓だ。墓地に行ってくれ。」

昌弘は躊躇わずに言った。

 男の運転する車は、うまい具合に昌弘を追いかけて来る人間達を振り切り国道へと出て行った。

 「久しぶりだ。藤野。」

男が前を見たままに言った。

 「すまないな。吉岡。」

昌弘は、男の顔を見ながら言った。

 「気にすることはないさ。しかし、最悪のタイミングの時に帰って来たな。」

 「・・・」

 「知らないとは言わせないぞ。藤野。一三年前の騒動の主役にして英雄。そして今回の選挙戦のキーマンの・・・」

 「やめてくれ。俺はただの休暇で帰って来ただけだ。」

 「お前はそう思っても、今のこの町じゃ誰にも通用しねえぞ。とくにあの二人にはな。」

 「・・・」

 「俺も仕事で、こっちに来ている。これはお前用に作った資料だ。読む時間があったら読んどいてくれ。」

男イコール吉岡は前を見ながら、紙袋を指さした。

 「・・・」

昌弘は、紙袋をチラ見しただけで、再び前を見た。 

 吉岡は、信号待ちした時に昌弘の顔を見た。

 昌弘の顔に何の変化も無かった。

 吉岡は、ホッとした。

 車はそれから一〇分程走ったところで、「戸上霊園」に着いた。

 昌弘は、紙袋を持って車を降りながら、

「ありがとな。吉岡。」

と笑顔で言った。

 「あっ。藤野。何かあったらここに電話しろ。すぐに駆けつける。」

と、吉岡も車を降りて上着の内ポケットから名刺を出して、昌弘に渡した。

 「毎朝新聞西部本社。政治部記者。吉岡徳治。それと電話番号・・・か。何もねえと思うがな・・・ありがと。貰っておくよ。この紙袋といっしょにな。」

 「油断は禁物だ。お前は一三年前の英雄であり、この選挙の・・・」

 「もういいよ」

昌弘は、吉岡の言葉を制し、霊園の長い階段を上って行った。 

 吉岡は、昌弘の後姿が見えなくなるまで見送っていた。そして、車に乗ろうとした瞬間、得も言われぬ感覚が背中を走り、階段の方を振り返った。

 肩から鞄を下げた三人の男女が、昌弘の後を追うように、階段を上がって行った。

 吉岡の視線が鞄の方に集中した。

「ふっ藤野が危ない!!!」

直感的にそう思った吉岡は全速で三人の後を追った。

         

         5

 「戸上霊園」のとある一角。

 そこには「松井家の墓」があった。

 墓は綺麗に掃除され、花も供えられていた。

 昌弘は、墓前に持って来ていた酒をかけ、中腰になって両眼を瞑り両手を合わせた。

二~三分後、墓をじっと見つめながら立ち上がり、

「・・・帰ってきたぞ・・・健介・・・」

と、微笑みながら、呟いた。

 数分間。昌弘は、墓前で何やら会話している様だった。

と、突然。

 「思い出話の邪魔だ。何か用があるんなら、さっさと済ませてくれねえか?長谷川。白戸。篠田。」

昌弘は、墓前を見たままではあるが、声を荒げた。

 昌弘の後ろに確かに先程の鞄を持っていた三人組の男女がいた。

 「どっどうして分かった?」

と、三人組のリーダー格である長谷川が驚いた表情で言った。

 「答えたくもねえ・・・さっきも言った通り、思い出話の邪魔だ・・・」

 「わっ分かってるさ。そんな事。しっしかし、こっちも色々と事情があるんでね。」

長谷川は少し怯えた表情で、言った。

 「フン。こっちはただの休暇だ。選挙の事なんざ興味もねえ。これが俺の答えだ・・・解ったら、とっとと帰ってくれ。」

「そっそう言う訳にはいかないんだよ。」

長谷川は、持っていた鞄からナイフを取り出して、言った。しかし、身体中は震えている。

 昌弘は、溜息交じりで三人の方を見た。そして、

「それで俺をどうする気だ?長谷川!!!」

と怒声を上げた。

 長谷川の震えがさらに大きくなった。

 白戸。篠田も昌弘の迫力に押され、少し身体を後退させた。

 「こっこうするんだよ。」

ナイフを持った長谷川が、昌弘目掛けて突進してきた。

 昌弘は、ナイフを持った腕を簡単に払って長谷川の頬を目掛けて、拳を出そうとした。

 「やっやめてとけや!!!藤野。」

吉岡が、肩で息をしながら、叫んだ。

 昌弘の拳は、長谷川の左の頬に当たる寸前のところで止まった。当たるか当たらないか正に紙一重のところだった。

 「ふっ藤野・・・おっお前・・・利用されるところだったんだぞ。」

吉岡が、まだ肩で息をしながら昌弘達の方へ近づき、白戸。篠田の鞄を無理やり取り上げた。そして、中からそれぞれのハンディタイプの撮影用カメラを取り出し、昌弘に見せた。

「俺が止めなきゃ、これを使ってお前を傷害犯に仕立て上げ、今度の選挙戦。上手く立ち回ろうとしたんだ・・・そうだろう?お三人さん。」

 長谷川。白戸。篠田の三人は、力無くその場で正座した。

 「このナイフも偽もんだ。」

吉岡が、長谷川からナイフを取り上げて、昌弘に見せた。

 ナイフは、刃の部分が出たり入ったりするおもちゃであった。

 「馬鹿馬鹿しい。」

昌弘の言葉に嫌悪感が漲っていた。

 「すっすまん・・・藤野・・・こうするしか・・・こうするしか・・・」

長谷川が土下座した。勿論、他の二人も同様である。

 昌弘は再び墓前の方を向き、

「健介よ・・・また来るわ・・・」

そう苦笑しながら言って、その場を離れようとした。

 「どうするんだ?この三人は」

 「好きにしろ・・・そのかわり俺の前に二度とその(つら)出すんじゃねえ。」

 三人は慌ててこの場を立ち去ろうとした。

 「忘れもんだ。それと今回の事は毎朝新聞がいつでも相手になる。あんたらの出方一つで新聞社がどうとでも書く。それがどうなる事になるか?分からんあんた達でもあるまい!?」

吉岡は偽物のナイフと二台の撮影用カメラを投げながら、苦笑気味に言った。

 「今の脅しじゃないのか?」 

 「向こうが仕掛けた事だ。心配ねえよ。」

 三人は、二人に深々と頭を下げ、その場を逃げるように去って行った。

 昌弘は侮蔑した表情で、吉岡は苦笑気味にそれを見た。

 吉岡は、昌弘の方を再び見て、

「この町に帰って来た以上、お前がどんなに嫌がろうと今度の選挙選に巻き込まれる。断言できる・・・一三年前と同じ様にな・・・それは否定出来ない事実だ・・・「運命」かもしれん・・・」

と、言った。ある種の憐れみの表情で。

 「・・・「運命か」・・・」

 「ああっ。それ以上でもそれ以下でもねえ・・・「運命」だ・・・」

 昌弘は、墓前に再び行き、

「運命だとよ・・・健介・・・」

と、吐き捨てるように言った。

 「・・・」

吉岡には、何も言えなかった。

 「・・・行こうか。吉岡・・・ただし、俺は今、ただの休暇中だ。それを邪魔しない程度の「運命」とか言うやつなら受け止めるしかあるまい・・・なあっ。健介・・・」

昌弘は、自嘲気味に言った。

 「・・・藤野・・・お前・・・」

吉岡は、それ以上言うのを止めた。

 「本当にまた・・・来るわ・・・健介・・・」

そう言って昌弘は、吉岡と共に墓前及び霊園を後にした。


         6

 昌弘の実家。

吉岡に霊園から送ってもらった昌弘は、前で車を降り、

「すまなかったな。色々。」

「全然構わんさ。大学の時はお前に散々世話になったからな。これからは、こっちが世話する番だ。いつでも言ってくれ。」

吉岡は、笑顔で言った。

 「ありがとう。」

昌弘は、そう言って家の中に入って行った。

 「ただいま。」

昌弘が、疲れ気味に言った。

 家の外では、車の走り去る音が聞こえた。

 「お久しぶり。お帰りなさい。今の吉岡さん?」

妹の貴子が、出迎えに玄関先までやって来た。

少々緊張気味だった。

 「そうだ。それがどうかしたか?」

昌弘は、本当に何気なく聞いた。が、しかし、彼は、この家の異様な雰囲気を察した。

 「だったら、今この町で何が起こっているか分かっているわよね?」

貴子は、まるで昌弘の感じた異様な気配を察して、彼を諭すかの様に言った。

 「そんなことより、親父達の仏壇に手を合わせるのが先だ!」

昌弘は、少々語気を荒げた。

 貴子は、そんな昌弘に一瞬気後れしたが、何とか平常心を保ちつつ、昌弘達の両親を祭った仏壇の部屋へ通した。

 昌弘は、仏壇の前に座り、両手を合わせた。

 「明日。親父達の墓参りに行く。」

昌弘は、貴子にはっきり言った。

 「ただいま。」

玄関から声が聞こえてきた。貴子の夫の関口である。

 「・・・おっお義兄さん・・・」

関口はすごく驚いた表情で、言った。 

 「お久しぶりです。関口さん。ようやっと帰って来ました。」

昌弘は、何とか笑顔で言った。

 「おっお義兄さん。どっどうぞ・・・こちらへ。」

関口が、挨拶もそこそこに貴子と共に昌弘を客間として使っている部屋へ通した。

 昌弘は関口に促せるままに、上座に座った。関口はテーブルの前に正座していた。

 貴子が、緊張した表情でお茶を持って来て、

それぞれを二人の前に置き、そして、関口の

横に正座で座った。

 昌弘には、この部屋に充満していた嫌な空気の理由(わけ)解った。そして、一気に不機嫌な表情になった。 

 関口は、元ヤクザではあるが、かなり緊張した表情で、

「おっお義兄さん・・・おっお願いします・・・こっ今度の選挙・・・よっ米山に・・・米

山に協力を・・・おっお願いします・・・」

と、貴子と共に土下座した。

「・・・関口さん・・・あなたの今の仕事・・・確か・・・?」

「・・・はい・・・よっ米山の・・・米山の運転手をしています・・・」

関口には、そう答えるのがやっとだった。

 「・・・」

昌弘は、何も言わなかったが、苦渋の表情だった。が、その表情のまま、

 「貴子。お腹の子。何か月だ?」

昌弘が、貴子のお腹の方を見て言った。

 「・・・さっ三か月になります・・・」

関口が、言った。昌弘が、まだ誰にも知らせてもいないはずの貴子のお腹の子の事を知っている事に驚きながら。

 「どっどうしてそれ・・・?」

関口にしては、当然の如くに聞いた。

 「・・・」

昌弘は、語らなかった。と言うより、語りたくはなかった。

 昌弘は、「怒り」にも似た感情が表情にでていた。そして、しばらく無言の時間が家の中を過ぎ去った後、

「関口さん。今の仕事。辞めてすぐに今からでも北海道に行って、うちの子会社のトラックの運転手になってもらえませんか?」

 「えっ!?」

今度は逆に関口が驚いて言葉にならない。貴子も同様である。

 「うちの社長には勿論、向こうの社長にも全部話は通しています。お願いです。貴子と共に北海道に行ってください。」

 今度は昌弘が土下座した。

 「・・・」

関口は、本当に何も言えなかった。

 「関口さん。お願いします。貴子とお腹の子といっしょに北海道に行ってください・・・今の生活よりもマシになるはずです・・・だから・・・だから北海道に行ってください。お願いします。」

 関口も貴子も両方が真剣な表情で、それぞれが昌弘の表情を見た。

 「・・・今しかないんですよ。関口さん・・・」 

 「・・・」

関口は、無言で昌弘の顔を見た。

 昌弘の表情は、「怒り」を通り越して「全てを解かっている。」というそれだった。

 「・・・おっお義兄さん・・・」

関口は、ただその一言しか言えなかった。

 「・・・おっお兄ちゃんの気持ちも分かるけど・・・今、米山の所を逃げ出したら、それこそ・・・」

貴子は、この家族にとっての当然の心情を吐露した。

 「そんな事。分かった上での話だ・・・どうせこの家にも見張りがついてるんだろ?気にする事はない。さっきも言った通り、全てに手は打ってある・・・もたもたしている時間はねぇんだぞ。」

 「・・・おっお義兄さん・・・ほっ本当にいいんですか?」

 「何度もおんなじ事。言わせんで下さいや。関口さん。」

昌弘の表情は、真剣だった。

関口は、今でも驚きながらも、肚は決まっていた。

「いっ行こう・・・貴子・・・お義兄さんの言う通りだ・・・今しか・・・今しかないんだ。米山の・・・米山の呪縛みたいモノから抜け出せるのは・・・行こう・・・貴子・・・行こう・・・」

関口は、今度は貴子を説得していた。

 「兄ちゃん・・・本当に大丈夫なの?」

貴子は再び、昌弘に聞いた。

 「しつこいな。貴子。全ては大丈夫だ・・・全てがな・・・」

昌弘は、今度は笑顔で言った。

 「わっ分かりました・・・行きます・・・」

貴子は、決心した表情で言った。

 「もしもし、俺だ。さっきの件。話がついた。頼む・・・うん・・・うん・・・二人だ・・・うん・・・ただし、やっぱり腹の中に子供がいる・・・あーそうだ・・・一〇分後だな。分かった。それじゃ頼んます・・・はい・・・はい・・・」

昌弘は、上着の内ポケットから自分のスマートフォンを出して、誰かに電話をして、約束の時間まで指示して切った。

 「二人とも急げよ。一〇分後に家の会社からの迎えが来る。」

昌弘は、スマートフォンを上着の内ポケットに片付けながら、言った。  

「荷物は・・・?」

貴子が聞いた。

「後で送るよ。二人が住む家も決まっている。安心しろ。」

昌弘が、苦笑気味に言った。

「・・・おっお義兄さん・・・」

関口は言葉も出なかった。

 「関口さん・・・貴子とお腹の子の事。よろしくお願いします・・・」

昌弘は、頭を下げた。

「・・・おっお義兄さん。頭。上げてください・・・」

 「・・・おっお兄ちゃん。せっ選挙の事は・・・」

 「お前達には、関係ない・・・それに、俺は、今。休暇中だ・・・そんな事より急げ。会社のもんが迎えに来る。取り敢えず必要な物だけは持っていけ。」

 関口夫妻は、大急ぎで出かける準備をした。

 「関口さん。北海道に着いて落ち着いてからでもいい。米山宛てに「辞表「を送ってください。まっ。明日以降、俺の口から言ってもいいんだが・・・」

昌弘は、後半は独り言の様に言った。

 「はっはい・・・」

関口が、心配そうに答えた。

 「心配するような事はありませんよ。関口さん。俺はただ、貴方方三人の幸せを考えているだけです。」

 それから、数分後。裏口の方で車のクラクションの音がした。

 「少し早目に着いた様だな。北海道のまでの道程は全て会社のもんに話してあります。現地に着いたら、ここに電話してから行けばいい。さっきも言った通り、話は全部つけてあります。心配なく。」

昌弘が、上着の胸ポケットから一枚のメモ用紙を関口に渡しながら、少々早口で言った。

 「あっありがとうございます。」

関口は、泣きそうだった。

 「ありがとうお兄ちゃん・・・」

貴子は泣いていた。

 「急げよ。」

 「はい。」

三人は急いで裏口の方へ行き、昌弘が「(株)サンライズ食品の社用車できた社員と共に上手に関口夫妻を車に押し込んで乗せた。

 「頼むわ。」

 「分かっています・・・じゃあ。行きましょう。」

社員は後部座席の関口夫妻に声をかけ、車を発進させた。

貴子は後ろを見た。

昌弘の姿はもう無かった。ただただ長年住み慣れた家が、離れていく現実を関口夫妻は確認した。

「すみません。お義兄さん。」

「ありがとう。お兄ちゃん。」

二人は、それぞれの思いを口にして言った。

 社員が、バックミラー越しに言った。

「後の事は心配なく。」

 二人は、運転席に向かって、深々と頭を下げた。

 車は夜空の下、走り去った。

 昌弘は、家の中で、崩れるように倒れた。そして、

「ここまでやるか!?普通。」

と吐き捨てるように呟き、

「関口さん。貴子とお腹の子と頼みます・・・貴子。幸せになれよ。」

半分眠りながら、言った。

 

        7

その日の昌弘は、朝から両親の墓参りを済ませて、少し早い昼食を食べに子供の頃に通っていた「うどん屋」に向かっていた。

 勿論、昌弘は、周囲からその一挙手一投足が見られているのも知っていた。最早慣れていると言うよりも諦めている言う風でもあった。

 昌弘は、そのまま三年程前に、生徒の減少で廃校になった「戸上高等学校」のグラウンドに来て、入って行った。

「「今度の選挙。どっちかがあの高校を潰し、県が高齢化社会を見越して推し進めている「生涯現役活躍総計画」の一環でもある「高度生涯活動センター」って訳の分からない箱物を造るか。って事につきる。そんな訳で、とにもかくにもあの高校が邪魔なのさ。自分達にとっての「負の遺産」だからな。勿論、その計画には、この町の議員全員が賛成している。あの「共生党」もだ。皆多かれ少なかれ裏では、例の二人にお世話になっているのよ。だから必死なのさ。お前は、あの高校を守る言わば、”最後の砦”みたいなもんだからな。」」

        7―1

―一三年前―

 この学校で、一人の転校生が原因となった所謂「校則改革運動」なる運動が生徒を中心になって生じた。

 これに当時の教師の言わば行き過ぎともいえる「体罰」が加わった。

 それらを改善しようと立ち上がった「改革派」と称する生徒側と反対する教師・PTAそして「改革反対派」の連合による力づくとも言える闘争が激しさを増していった。

 勿論。マスコミも面白おかしく報道していった。

 昌弘達は、そんな「闘争」とも呼ばれる騒動に全然と言っていい程興味がなかった。自分達は「行き過ぎ」あるいは「変」とも言うべき校則の中でいかに「自由」を満喫するかそれしか考えていなかった。

 そんな昌弘らに、双方からいろんな誘いがあったが、全て断ってきた。

 そんな時に、学校の教務主任の発言や教育委員会の人間の度重なる挑発的言動で、「運動」はエスカレートしていき、ケガ人等出す事態にまで陥った。

 勿論、この二人は、後に「辞職」という名の「更迭」により町を去った。

 しかし、この「闘争」の最後は昌弘の親友の「死」と言う最悪の終わり方で幕を閉じた。


        7

昌弘はグラウンドから、吉岡の言葉を思い出していた。

「馬鹿どもの考えそうな事だ・・・何が高度何とかセンターだ。ここは、あの馬鹿どもの思い出の地として残しといてやるさ・・・そうだろ?健介。」

昌弘は、吐き捨てる様に呟いた。そして、「健介よい。ここまで知ったからには、連中。潰すぞ。必ずな。」と心の中で誓った。

ふと、自分の靴の紐を締め直そうと前にかがんだ瞬間、グラウンド脇の樹の傍に立っていた二人の男達に感づいた。

「ご苦労さん。平上。村山。お前達のご主人様が俺に会いたがっているんだろう?」

二人は、驚いた。ここにいる事は絶対にばれていないと思っていたからだ。

「朝っぱらから二人して探偵の真似事見てぇに人の事見張りやがって。さあっ。案内しろ。ご主人様の所へよ。」

二人は驚いたまま、昌弘を挟む様な形で、今来た道を引き返した。

「お前達も大変だな。」 

昌弘は双方の顔を見ながら、嫌味っぽく言った。


戸上町にあるフレンチレストラン。

昌弘を乗せた車が、入口前に止まり、昌弘は平上と村山にまるで連行されるか様に、入口から中に入って行った。

 「いらっしゃいませ。お待ち申し上げておりました。」

昌弘は、女性オーナーと三~四人の給仕達に迎えられた。

 「また。こんな所を・・・」

と、昌弘は溜息交じりに言った。

 「お見えになりました。」

オーナーが個室の入口で聞こえる様な声で言った。

 「どうぞ。」

中から重々しさを装った声が聞こえた。

 オーナーが個室の入口の扉を開けた。

 平上と村山が、昌弘を部屋に入るように促した。

 昌弘は、もう一度溜息をついてから、中に入った。

 「後で呼ぶ。」

そう言いながら、重々しさを装った男イコール米山が昌弘を座るように促した。

 個室の扉が閉まってから、米山が笑いながら、

「久しぶりだな。藤野。何年ぶりかな?まっ。座ってくれ。」

と、再び、昌弘に座るように促した。

 「さあな。」

昌弘は、惚けた表情で座った。

 「そんな事言わずに、まあっ。飲め。」

米山が、高そうなワインをすすめた。

 「フン。飲めねえな。お前の酒なんざ。」

昌弘は、きっぱりと拒否した。

「それにこんな監視カメラみたいなモンがついてるような部屋で飲めるかよ。飲んだ瞬間、お前のいいようにされちまうわな。」

と、部屋の天井を見ながら、嫌味を言った。

 確かに部屋には不釣り合いなカメラが、天井に二~三台取り付けられていた。

 「悪趣味だな・・・昔からそうだったが。」

昌弘が、侮蔑に満ちた表情でまた嫌味を言った。

 米山の手は震えていた。

 「用があるなら、早く言ってくれ。折角の休暇を一日でも、変な事で潰されたくはないからな。」

 米山の震えは、身体中に達していた。そして、その震えた身体で、

「たっ頼む。藤野。こっ今度の選挙。俺に・・・俺に協力してくれ。おっお前の・・・お前の力が必要なんだ。頼む。頼むよ。藤野。」

と、座っていた椅子を蹴って、土下座しながら言った。必死で絞り出した様な声であった。さっきまでの態度とは、まるで真逆であった。

 昌弘は、しゃがみ込み、

「フン。はっきり言っておくよ。俺は、お前にも、そして、もう一人にも絶対に協力はしねえし、するつもりもねえ。」

 「じゅっ一三年前の事があるからか?」

 「ああっ。勿論だ。関係ねえと言えば嘘になる。ただ俺は、昔からお前も、それにもう一人も大嫌いなんだ。心の底からな。憎いくらいだ。だから、今回の選挙とやらに協力するつもりは毛頭ねえ。それだけだ。」

昌弘は、吐き捨てる様に言ってから、部屋を出ようとした。

 「これだけ頼んでいるのにか?」

 「何度も言わせるな・・・何故。大嫌いな奴の言う事なんか聞かなくちゃならない?お前らだって俺の事。嫌ってたじゃないか・・・?あっ。それと家の義弟の関口。お前の運転手とかいう仕事。辞めてもらったからな。スマホも繋がらんだろうな。二、三日したら、「辞表」と共にスマホも送り返すように言ってある。」 

そう言って昌弘は、微笑みを浮かべながら、部屋を出た。余裕があった。

 「くっくそが・・・」

米山が、テーブルの上を滅茶苦茶にしながら、叫ぶ声がした。

 「ふっ藤野。家の「最終兵器」の前でも、そんな・・・そんな態度が取れるのか?」

米山が、大声で怒鳴った。

 「・・・」

扉付近の昌弘は、それにはあえて答えず、

「ご主人様ってのは、よく考えて選ぶべきだ。」

昌弘は、平上。村山にそう言って店を出た。

 オーナーは、慌てて部屋へ入った。

 平上。村山も後に続いた。


         9

 選挙カーの中。

 もう一人の男。杉田が、若い女性ウグイス嬢を後ろから、自分の肉棒で攻めていた。俗に言う後背位である。

 「いくぞ。いくぞ。」

杉田は、興奮気味に腰を全力で振った。

 「あーっ。あーっ。」喘ぎ声を上げ続けるウグイス嬢。

 「いくぞー。」

絶叫と共に女性器から自分の肉棒を出し、ウグイス嬢の腰からお尻に向かって、自分の精液を出して果てた。

 ウグイス嬢も快感からくる何とも言えない表情で、果てた。

 「ウン・・・ウン・・・分かった。引き続き追ってくれ・・・ウン。頼む。」

秘書兼教育係でもある瀬戸が、無表情でスマートフォンでの話を終えて切った。そして、

「坊ちゃん。「センデルパス」の一件。失敗だったそうです。」

 「そっそうか。失敗か・・・失敗。」

肩で息をしながら聞いていた杉田は、ズボンのチャックを閉めながら爆笑した。

 「米山なんかが藤野を自分の味方にするなんて所詮無理な話だ。やはりここは俺しかいないはな。」

 「しかし、米山のところには、最終兵器が・・・」

 「まだ、残っていたな。そういうのが・・・しかし、それでも向こうにつくか?」

 「分かりません。相手が相手なだけに。」

 「そうだな。瀬戸。お前が行って奴をこちら側につけろ。お前ならできるはずだ。向こうが最終兵器を出す前にな。」

 「分かりました。必ず。」

 「頼んだぞ。」

杉田は、そう言って、別のウグイス嬢と性行為を始めようとした。

 その時、瀬戸のスマートフォンが鳴り、彼が話し始めた。

「はい・・・はい・・・はい。かしこまりました・・・それでは三〇分後に・・・はい・・・かしこまりました・・・」

と、電話を切り、杉田に言った。

 「坊ちゃん。お父様がお呼びです。三〇分後に大博市の旅亭「すざ久」です。」

 杉田は、別のウグイス嬢と性行為を行いながら、面倒臭そうに、

「分かった・・・分かった・・・」

と、言った。

 選挙カーは、外には夥しい音を。中では淫靡な音を撒き散らしながら、走り続けた。

         

         10

昌弘の実家。

 昌弘と吉岡が、客間で話していた。

 「大丈夫か。この部屋。いやっ。この家全体が・・・」

吉岡が、怪訝な表情で言った。  

 「一応この家は、全て調べてもらった。盗聴器の類は発見できなかった。いやっ。なかった。だから安心しろ。米山も杉田も夫婦のプライベートにまでは、干渉したくはなかったんだろう・・・それで・・・」

昌弘は、安堵した表情で言ったが、すぐに引き締まった表情で、言った。

 「「それで」は言いが、良いのか?色々聞いて。ただの休暇じゃなかったのか?」

 「休暇も何も・・・」

 「潰された腹いせって訳か。」

 「それもあるわな。」

 「だろうな。米山の方は、頭自信がいきなり出て来た。残りの杉田の方もそれ相応の相手をお前に出してくるんじゃねえか?」

 「一三年前とおんなじか・・・」

 「なるな・・・」

 「どうしても・・・か?」

 「いやっ。今度は違う。違うぞ・・・お前にとっては許せねえし、許しちゃいけない事だからな。」

 「うんざりだ・・・」

 昌弘がそう言った時、テーブルの上に置いてあった昌弘のスマートフォンが鳴った。

 「今の彼女か?」

 「そのようだ。」

と言って、スマートフォンに出た。

「はい。俺です・・・はい・・・はい・・・なに・・・分かった。明日朝一番で戻る・・・うん。社長にもそう伝えておいてくれ・・・うん・・・うん。分かった・・・分かりました・・・じゃあ・・・明日・・・。」

昌弘は、そう言って、電話を切り、スマートフォンをテーブルの上に苦々しい表情で置いた。

 「甘い恋のメッセージじゃないらしいな。」

吉岡が苦笑しながら、言った。

 「うちの会社に圧力かけてきやがった。」

 「米山のところか?」

 「さあな。とにかく明日。会社に戻るよ。」

 「結果が分かったら、教えてくれ。充分。脅迫罪に抵触するかもしれん。」

 「奴らだって馬鹿じゃねえ。そんな事くらい分かってるはずだ。」

 「ともかくは。だ。」

 「分かってる。」

昌弘の表情は、心なしか曇っていた。


         11

 大博市。

 旅亭「すざ久。」

 仲居が、杉田と瀬戸を、奥の部屋に通した。

 中から慌てて、杉田の父。源九郎の秘書が数人。部屋を出た。

 「何かあったんかい?」

息子が、何食わぬ顔で聞いた。

 「別に・・・お前には関係ないわい。」

と好物で、喉から手が出るほどの高い刺身を食べながら、言った。

 「あっ。そう。用がないなら帰るよう。こっちは選挙で忙しいんだ。」

 「その選挙の事だ。誠よ・・・何やら”亡霊”が帰って来てるそうじゃな。そして、早くも米山の息子を叩きのめした・・・」

 「よくご存じで。」

 「お前は、大丈夫なんだろうな?えっ。誠よ。」

 「大した事は、ありませんよ。親父殿が気にする事も必要もない。奴なら私の力で何とかして見せますよ。それぐらいできないとあんな小さな町の町長なんて、務まりはしない。そうでしょう?親父殿。」

 「分かっておるではないか。それを聞いて安心したぞ。」

 「俺は、米山みたいなバカじゃない。それをはっきりとさせて見せますよ。」

そう言って、杉山は部屋を出ようした。

 「期待しておるぞ。我が息子よ。」

源九郎は、笑いながら、言った。

 「はーい。」

杉田は、そう言って、部屋を出た。

 その様子を見ながら、源九郎は、瀬戸に対して、

「もう忘れてしもうたんかいの?」

と、酒を一口飲んで、言った。

 「”亡霊”の怖さを忘れられているということなんでしょうか?」

 「その通りよ。あのバカ息子。一度は、”一三年前の亡霊”の前に屈しよったくせに。それを忘れてあまりに軽く振舞っておる。町長になるならんの問題ではない。いかに” 一三年前の亡霊”を退治するかだ。あの”亡霊”は一筋縄ではいかん。そのことは、他でもない。あのバカ息子が一番よく知っているはずじゃ。もしかしたら、以前よりももっと”力”をつけとるやもしれん。」

 「御前。その前に・・・」

 「瀬戸よ。あのバカ息子に言われた通りに・・・よいな。」

 「承知いたしました。」

そう言って、深々と頭を下げて部屋を出る瀬戸。

 それを見送った後。源九郎は、スマホで呼び出し、出た相手に対し、

「後も頼む。」

と言って、スマホを切った。

「しばらくは、儂の天下が続けばいい。」

と、再び酒を飲んだ。


       12

 次の日。

 同じく大博市。

 「サンライズ食品(株)」

 会議室。

 取締役全てが集められていた。

 昌弘は、かなり緊張していて、直立不動で立っていた。

 営業本部長の正田が

 「県知事の神崎が「わが社系列の全レストランの許認可を県知事の一存で全て取り消す。」と言ってきているんだがね?藤野君。」

と、怒りに任せて言った。

 「本当に申し訳ありません。」

昌弘が深々と頭を下げた。

 「君が誤る事は一切ない。」

伊達が苦笑気味に言った。

 「しかし、関係者の息子の選挙の為にそこまでやるとは・・・」

レストラン事業部長の門田が絶句した。 

 「一三年前と同じです。子供の喧嘩に大人が首を突っ込んでくる・・・」

昌弘が、申し訳なさそうに言った。

 「そう言う事はどうでもいいんだ。重要なのは、この問題をどう解決するかだ。」

秘書課長の広末が、怒鳴り気味に言った。

 「広末君。今、社長が仰った通り、藤野君には関係のない事なんだ。」

と門田が、言った。

 「しっしかしですね。藤野君が米山の側につくと言わない限りは、この問題は解決しないんじゃないですかね?」

広末が言った。

 昌弘の表情は、曇っていた。

 「どうする気だね?藤野君。」

正田が、決断を急がせようとした。

 「・・・」

昌弘は、何も言えなかった。

 「藤野君。全ては君に任せるよ。君の返事通りにこちらは動く。」

伊達が、はっきりと言った。

 「・・・」

 伊達の言葉を最後に、取締役全員が黙り込んだ。そして、昌弘を見ている。

 部屋の中にいた全員が数十秒後。いやっ。もっと長く感じた瞬間。

 「今回の件。一三年前の事が絡んでいるとは言え、会社にご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございません・・・ただ、自分としては、米山側にも杉田側にも、味方する気は毛頭ありませんし、選挙自体に係る事もしたくはありません・・・だからどうでしょう?「レストラン事業部」はそのまま営業を続けてください。」

昌弘が、きっぱりとした口調で言った。

 「ふっふざけるな。このまま県知事を怒らせてしまえば会社の経営そのものがたちゆかなくなる。それを知っていて君はそんなバカな事を言うのかね!!!」

広末が、怒鳴った。半ば半狂乱だった。

 「確かにそうだ。」

門田も賛同する。 

 他の取締役全員が、騒めきながらも、最終的な決断を得る為に、伊達の顔を見た。

 伊達は微笑(わら)っていた。

 「面白い。だが、広末君や門田君の言う事も一理も二里ある・・・」

伊達が、言った。昌弘にとっては禅問答をするかのような気持ちであった。

 「勿論、普通に営業してください。なんて言うつもりは、ありませんよ。」

昌弘が苦笑交じりに、言った。そして、上着の内ポケットから大きく「辞表」と書かれた封筒を伊達の前に置いて、深々と頭を下げた。 

 会議室が、騒然となった。

 「藤野君。これはどういう意味なのかね?」

伊達が怒りを抑え込むように、言った。

 「ぞうだ。こっこれは何のつもりかね!?」

広末は半狂乱で言った。

 「これは、僕の身勝手から会社を窮地に追い込んだ僕なりの責任の取り方です。」

昌弘が冷静に、言った。

 「ふざけるな。君のやっている事は、ただの「逃げ」なんだぞ!!!」

伊達がたまらず怒鳴った。

 「そうだ。君を新部署のリーダーに格上げしていただいたのも、社長のお力添えがあったからなんだぞ。君はそれを無にしてしまうつもりかね!?」

広末は相変わらず半狂乱だった。

 「県知事とたかだか一人の社員です。どちらを選ばれるかは社長の判断です。しかし、これだけは忘れないでください。社長の両肩には「サンライズ食品株式会社」約一五〇〇人近い従業員の生活が懸かっているんです。それに比べれば、私一人の首で済むなら安いじゃないですか。」

昌弘が、苦笑気味に言った。

 門田が、

「「どうしても。」と言うのかね。」

と、説得するように、言った。

「それだけ相手はデカいって事ですよ。本部長。」

昌弘が真顔で言った。

 「しかし、もう少し考える余地があるんじゃないのかね?」

門田も説得し始めた。

 「もう何もありませんよ。」

昌弘が、本当にきっぱりと言った。

 「君がこの件で会社を辞めようとするのだけは許さん。いいね。」

伊達の言葉には怒気がはらんでいた。

 「社長。そして、取締役の皆様方。長い間大変なるご迷惑とご心配をおかけいたしました。この藤野昌弘。一身上の都合により、本日をもって当社を退社させていただきます。」

昌弘は、伊達に向かって深々と頭を下げ、そして、会議室の扉付近でもう一度深々と頭を下げ、部屋を後にした。

 「認めんぞ。こんな事は!!!」

伊達の怒声が、部屋にこだました。

 昌弘は、入口の扉に向かって、再び深々と頭を下げた。

 彼は、会社を出ようとした時に、恋人でもある松本彩がやって来た。

 「どうして?」

彩にはそれしか言えなかった。

 「俺のケンカ相手が、それだけデカいって事だ・・・いずれ君にも解ってもらえる日が来るさ。」

昌弘は、彩の両肩にそっと自分の両手を置いて優しく言った。

 彩の両眼には涙が溢れている。

 「また。どこかで会おう。」

そう言って、昌弘は会社を後にした。

   

        13

 戸上町。

 とある超高層マンション。

 その一室。

 米山が、母順子の膝の上で、号泣していた。

 「よしよし。良ちゃん。泣かないの。あの男の件は会社の方まで、ちゃんとしておいたからね。いい子だから泣かないのよ。」

順子が、あやす。

 「でっでもね。ママ。あいつは・・・あいつは昔より・・・昔よりも強かったんだよ。僕。もう勝てないよ。ウエーン。」

さらに号泣する米山。

 「貴方、そんな事はないわ。あの男より貴方の方が何倍も強いわ。」

妻の沙織が、慰めるように、言った。

 「そうですよ。良ちゃん。沙織さんの言った通りですよ。貴方があの男に勝てない事なんてないのよ。貴方の方が断然強いわ。」

宥める順子。

 「お母様。やはり私が行きましょうか?」

沙織が言った。

 「まっまだよ。あなたは家の最終兵器なんだから。まだ行くのは早いわ。陽子さん。貴女。行ってちょうだい。貴女なら良ちゃんの敵が取れる。」

順子は沙織の決心に驚かされながらも、沙織の秘書の甲斐陽子に頼むように言った。

 その時、部屋のブザーが鳴ったと同時に福川県知事神崎洋三が入ってきた。

 「順子さん。大変じゃ。」

神崎が言った。

 「どうしたんですか?知事。」

順子があくまで冷静に神崎に応対した。

 「べっ別の部屋に行こう。」

神崎はなおも慌てている。

 「沙織さん。良ちゃんの事頼みましたよ。陽子さんもね。」

順子は泣きじゃくる米山を沙織に渡した。

 「もう泣かないで貴方。貴方には私がついているわ。」

沙織が、米山の耳元で囁いて慰めた。

 「さっ沙織ちゃん。」

泣き止む米山。

 それを見た順子は、安心した表情で、神崎を別室に案内した。

 「貴方は強いわ。あんな男よりもね。だから・・・」

沙織がそう言うと、自分の唇を米山の唇を押し当て舌を絡ませあった。それで安心したかの様に、米山は、沙織の服の上から彼女の胸を揉んだ。勿論、下半身は、堅くなっていた。

 沙織は、ズボンの上から米山の下半身のそれを優しく握った。そして、さすった。

 陽子は、それを見て部屋を出た。


        14

 米山邸の別室。

神崎が順子に対し、困惑の表情で、

 「”亡霊”の会社に、圧力をかけたんじゃが、逆に”亡霊”の方が会社を辞めよったよ。社長の伊達が最終的には判断したようじゃが、”亡霊”は最初から辞める決意をしとった様じゃ。これで会社に圧力。と言う手も使えなくなった。どうしたもんじゃろうかのう?順子さん。」

 「心配はありませんわ。知事。そうなった方がでこちら側としてはやり易い。」

 「順子さん。アンタは強いの。」

 「ありがとうございます。知事。今回のお礼は後程。「知事室」の方へ。」

 「わっ解った・・・しかし、順子さん。もし何かあったら、何でも言うてくれ。儂に出来ることがあれば、何でもやるぞい。」

 「本当にありがとうございます。知事の方こそ無理をなさらずに・・・」

 「ようく分かった。」

神崎は、そう言って、順子に見送られて、米山邸を出た。

 息子達の部屋からは淫靡な声が聞こえた。


       15 

 昌弘の実家。

 客間で昌弘と吉岡が、話し合っていた。

 「まさか本当に会社まで圧力をかけてくるとはな。」

吉岡が呆れた表情で言った。 

 「それが奴らだよ。しかし、県知事まで味方につけていたとは。」

昌弘が、憮然とした表情で言った。

 「対策は打ってきたのか?」

 「ああっ。かなり大胆な対策だ・・・俺が会社を辞めたって事だ。」

 「なっなにっ!!!お前があの会社を辞めたってか?」

吉岡が、驚いた表情で言った。

 「他の従業員を守る為だ。俺なんかの私怨で会社に迷惑なんかかけたくはない。」

昌弘が何の後悔もなくきっぱりと言った。

 「そこまでの相手なのか?連中は。やっぱり。」

 「県知事まで味方につけて、会社に圧力をかけてきた。生半可な事じゃ潰せる相手じゃねえ。だからこっちもそれ相当の覚悟で臨むよ。」

 「簡単にできるか?」

 「だから、吉岡。お前の協力がいる。」

 「分かってるよ。あの時にも言ったが、大学の時はさんざんお前に世話になったんだ。その恩はちゃんと返すよ・・・」

と、その時、吉岡のスマートフォンが鳴った。

 「会社からだ。」

そう言って、電話に出る吉岡。

 「はい。そうです・・・はい・・・どう言う事ですか?・・・はい・・・はい・・・それじゃ向こうの言いなりじゃないですか?・・・はい・・・はい・・・私が明日会社に行きます・・・はい・・・そんな事。到底受けられませんよ・・・だから明日私が会社に行きます、行って話をさせてください・・・はい・・・はい・・・分かりました・・・必ず伺います・・・はい。失礼します・・・」

吉岡は、電話を切った。「怒り」に満ちた表情である。

「家の会社にも圧力かけて来やがった。」

吉岡が、昌弘に吐き捨てる様に、言った。

 「俺から手を引けってか?」

 「そのようだ・・・無論、お前と会って以来。想定の範囲内だったがな。」

 「大丈夫か?・・・」

 「フン。いざとなれば、これを出す。」

吉岡は上着の内ポケットから「辞表」と書かれた封筒を昌弘に見せた。

 「おっお前・・・そこまで・・・」

 「新聞社を辞めてフリーになると仕事はできにくくなるかもしれないが、そんな事はどうでもいい。お前から受けた恩だけは、必ず返す。」

吉岡の決心は堅かった。

 「吉岡。守るモノがある奴が、そう言うモンを簡単に出すもんじゃねえ。」

昌弘は、そう言うしかなかった。

 「心配するな。」

 「本当にすまん。」

昌弘は、テーブルの上に手をつき、深々と頭を下げた。

 「気にするな。全ては明日だ。」

吉岡が、昌弘を気にさせないように、笑いながら言った。


        16

  大博市。

 「毎朝新聞株式会社・西部本社」

 政治部ある部屋の中のとある個室。

 デスクらしき男は、吉岡の意見に耳を傾けるという態度ではなかった。

 「いいですか。これは向こう側からの不当な圧力なんですよ。まだ別に両方に不利になる原稿は世にも出てないし、書いてもいない。そんな状況で、ある人物だけには協力するな。とはどう言う事ですか?」

 「とにかく上からの命令だ。」

デスクはそうしか言わなかった。

 「だったら、この不当な圧力を記事にしましょうか?」

吉岡が、脅し口調で言った。

 「天下の毎朝新聞が、今度の戸上町の町長選挙で謂れのない不当な圧力に屈しました。って出版社系の週刊誌に言えば喜んで書いてくれますよ。」

 「お前っ。会社を裏切るつもりか?」

デスクの表情が一変に変わった。

 「こっちにだって意地ってもんがあるんですよ。デスクがどうしても協力するな。と言うのであれば、私は、会社辞めてでもそっちに行きますよ。」

 「その男から、まともな情報が入って来るんだろうな?」

 編集局長が、いきなり部屋に入ってきた。

 二人は、立ち上がった。

 「まあっ。座りたまえ。」

編集局長が、二人に座るように促した。

 「何も局長自らお出で・・・」

デスクがそう言いかけた途端に、

 「今も言ったように、君が協力しているその人間からは本当にまともな情報は、入って来るんだろうね?」

 「まともな情報どころか、彼は一三年前の出来事の証人でもあります。そして一三年前の出来事が今度の町長選挙はリンクしています。その男の動き一つで、今回の選挙どうなるか分かりません。下手をすれば、中央政界にまで広がるかもしれません。そうなれば、わが社のスクープになる事は間違いありません。」

 「中央政界までか・・・」

 「出鱈目じゃないのか?」

デスクが、遮ろうとした。

 「実はもう一方の杉田の兄貴の件で、東京の特捜部が動いていると耳にしました。」

吉岡は、デスクを完全に無視し、編集局長に向かって言った。

 「杉田の兄と言えば、現職の国会議員だぞ。それを今このタイミングで・・・」

 「局長。お願いします。もう少し戸上町の件。追わせて下さい。」

吉岡が、深々と頭を下げた。

 「小さな町の選挙が、中央政界までか・・・よしやってみろ。この一大スクープ。逃がすんじゃないぞ。」

編集局長が、はっきりと吉岡に厳命した。そして、

 「君達政治部もできる限りの人数を割いて、彼のサポートを頼む。遊軍の方にも応援を出すように私の方から言っておく。」

と、デスクにも厳命した。

 「相手方には何と?・・・」

デスクが、心配そうな表情で言った。

 「のらりくらりでかわすよ。」

編集局長が、笑って言った。

 吉岡の闘志に火がつき、

「藤野。まだまだやれるよ。」

と小さく呟いた。


         17

 東京。赤坂。

 衆議院議員の宿舎の一室。

 「先生。お呼び出そうで。」

 東京地検公安部の職員で、昌弘や吉岡の大学時代の同級生の岩城が、とある議員に呼ばれて部屋に来ていた。

 その議員と岩城しかその部屋にはいない。議員が、人払いをした様だった。

 「君に来てもらったのは、他でもない。戸上町の町長選挙の件だ。」

 「と、言いますと・・・」

その議員の一言で、ある程度は理解していた岩城ではあるが、少し惚けて見せた。

 「戸上の選挙に杉田のバカ親子や現職の県知事が絡んでいるね。それに君の友達もだ。」

 「よくご存じで。」

 「実は、君に特捜部の主任として、杉田親子だけじゃなく、戸上町の選挙の関係者を全て捕まえてもらいたい。入口は、杉田のバカ息子の戦艦造船に関する贈収賄疑惑だ。」

 「先生は、そんなに杉田親子がお嫌いで?」

岩城が、苦笑気味に、間髪入れずに言った。

 「同じ福川県を選挙区としている身としてはね・・・福川をそろそろ「老害」や「妖術」みたいなものから解放したいんでね。」

議員も、苦笑気味に、言った。

 「で、私の友達の方はどうなさるおつもりで?」

岩城が、真顔で、言った。

 「君の正体がバレた時に考えればいい。その時のための要員は連れて行きたまえ。」

 「分かりました。」

岩城は、躊躇なく、返事した。が、心中は複雑であった。彼は、それを必死に表情に出さないようにした。

 「君の上司や特捜部長にも話はつけてある。今すぐにでも、戸上に行ってくれ。」

 「分かりました。早速にでも。」

岩城は、そう言って、部屋を出た。

 「どいつもこいつもタヌキ面しやがって・・・藤野。何とかしてやるよ・・」

と。廊下で、岩城は独り言の様に呟いた。

 「これで福川は儂のモンだ。」

議員は、窓の外を見ながら、笑って言った。


        18 

 北海道。

 とある警察署の前。

 関口夫妻がいた。

 「どうしても行くの?・・・」

 「何度も何度も話し合ってきた事じゃないか?」

 「でっでも・・・」

 「お前の気持ちは分かる。しかし、ここでお義兄さんへの恩を返したいんだ。俺達二人を結婚させてくれ、そして子供のことまで心配してくれる。お義兄さんを何とか助けたい・・・だから、行くんだ。決して長くなることはない。必ず帰って来る。」

 「分かってる・・・分かってる・・・けど・・・」

 「心配ないさ。必ず・・・必ず帰って来る。」

 「この子が産まれるまでには・・・?」

 「ああっ。」

 「お願い・・・必ず・・・」

 「分かってる。お義兄さんにはくれぐれもよろしくな。」

 「分かった・・・」

 「じゃあっ。行って来る。」

 「あっ貴方・・・」

 関口は、貴子に背を向けて、何も言わずに警察署の前に立っている見張りの警官に向かって一直線に歩いて行った。

 貴子の眼は涙で溢れていた。

 「すみません。三年前に福川県戸上町で起きた轢き逃げ事件についてお話があるので、誰か担当の刑事さんに会わせてください。関口と言います。」

関口は、はっきりとした口調で言った。

 「ちょっちょっと待っていろ。」

警官が慌てて言った。

 「案内してください。直接自分で行きますから。」

関口は、そう言って中に入ろうとした。

 「ちょっちょっと待て。」

警官はもう一人の見張りの警官と話し合って、関口と共に中に入って行った。

 それを見ていた貴子は、その場で泣き崩れた。そして、いつまでも泣き続けた。


         19

 戸上町。

 とある本屋。

 昌弘が、週刊誌を立ち読みしていた。

 勿論、昌弘は大勢の監視下にある。

 「久しぶりだな。藤野。」

後ろから突然と瀬戸が、声を掛けてきた。

 昌弘は驚いて振り返った。

「せっ先輩・・・」

そう答えるのがやっとだった。

「厭らしいページを見ているのか?」

瀬戸が微笑いながら、言った。

「馬鹿馬鹿しい。そんなページが、この週刊誌にない事くらい先輩。知っているじゃありませんか。この町の選挙の事。おもしろおかしく書いてありますよ。」

昌弘が、週刊誌のそのページを見せながら、少々苦笑いして言った。

 「冗談だ。冗談。」

 「でっ。話は何ですか?先輩得意の喧嘩なんてしませんよ。こんな監視下でそんな事すりゃどうなるか分からない先輩じゃないでしょうに。」

 「もし、その喧嘩だったら・・・?」

 「先輩が恥も外聞もなくやるって言うなら、こっちはとことんやりますよ。」

昌弘の顔は、真剣だった。 

 「勿論、冗談さ。喧嘩なんかするつもりは無いよ。とにかく場所を変えよう。」

 二人は、海の見える小高い丘のある公園に移動した。

 「でっ。話は?」

昌弘が、急かした。要件は、もう分かっている。

 「なあっ。藤野。分かっているんだろうが。この町の状況を?」

瀬戸が、説得するような口調で、言った。

 「興味ありませんね。俺は親友と親の墓参りに帰って来ただけです。それを・・・選挙なんてもんを口実に色んな人間がやって来る・・・正直もう面倒くさいんですよ。」

昌弘が、ウンザリとした表情で、言った。

 「確かにお前の言っている事も分かる。だがな。この町で暮らしている以上はどんな事情があっても、あの二人。特に杉田には逆らえんのだ。」

 「だから、杉田につけってですか?馬鹿馬鹿しい。俺は奴らが大嫌いなんですよ。一三年も前からね。それは、先輩も知っているでしょう。」

 「お前は、一度この町を捨てた人間だからそれで良いかもしれんが、残って生きてきた人間達はそうはいかないんだ。」

 「平行線ですね・・・僕ら・・・やっぱり先輩の好きな喧嘩で勝負をつけるしかないんですかね?」

 「俺はそんな事。微塵も思っちゃいない。ただ俺はお前を説得して、杉田に協力さえしてもらえればそれでいいと思っている。」

 「先輩も丸くなりましたね。昔ならこういう場合。即。力づくになってたじゃないですか?」

 「なあっ。藤野。お前の気持ちも分かるが、そこを曲げて杉田についてくれ・・・頼む・・・」

 瀬戸は、哀願口調で言いながら、深々と頭を下げた。

 「真花(まいか)ちゃんでしたっけ。娘さんの名前?」

 驚いて頭を上げる瀬戸。

 「かわいいんでしょう?真花ちゃん。」

 「なっなぜ・・・なぜそれを知っている?」

 「真花ちゃんが重い心臓の病気で杉田の親父の経営する病院で、延命治療。受けてるんでしょう?」

 「なぜだ・・・なぜお前がそれを知っている?・・・知ったところでどうなると言うんだ。えっ。藤野?」

瀬戸が、狂乱したかの様な態度で、昌弘の胸倉を掴み、吠えまくった。

 昌弘は、冷静に素早く瀬戸の腕をほどき、

「助けましょうよ。先輩。」

と、優しく言った。

 「だっだから、どうやって?」

瀬戸は、まだ興奮している。

 「娘さんには、東京に行ってもらいます。」

 「とっ東京だと・・・」

 「ええっ。東京の慶真大学の医学部です。

そこに心臓が専門の浅倉という女性助教授がいます。話は全部つけてあります。先輩の名前を出せば、すぐにでも真花ちゃんの手術ができるように手筈が整っています・・・杉田の病院から慶真の医学部への転院手続きも、もう終わっています。後は、先輩の返事だけです。」

 「ほっ本当なのか?・・・本当に真花は治せるのか?・・・」

 「浅倉は、僕の先輩群の中でも、秀才でかつ腕もいい。若くして助教になった人物ですよ。真花ちゃんの心臓のあらゆる写真を見せて、「やれる。」と判断した人物です。そんな人物に任せましょうよ。先輩・・・後は先輩次第ですよ。」

 「おっお前を・・・お前を信じていいんだな?真花の生の心臓を見た・・・」

 「先輩・・・信じましょうよ。」

 昌弘は、瀬戸を説得した。

 「どっどうしてこんな事まで・・・?」

瀬戸が聞いた。至極当然な疑問であった。

 「さっきも言ったでしょう。俺は奴らが大嫌いなんだって。だからですよ。俺は一三年前に大切な人間を二人も失った。それも同時にね。先輩にはそんな風になってほしくないんですよ・・・それに俺って結構しつこいんでね。」

昌弘は、事も無げに答えた。

 瀬戸は、何も言わず、ただずっと考えていた。そして、

「藤野よ。いいのか?本当に・・・」

と、言った。正確に言えば、そうしか言えなかった。

 「大丈夫ですよ。後はその浅倉って助教に任せれば・・・」

 「藤野。ありがとう。本当にありがとう。真花の件。必ず実行するよ。」

 「いいえ。こちらこそ決断してくれてありがとうございます。」

 「しかしよ。藤野。相手は杉田だ。そう簡単にはいかんぞ。」

 「分かってますよ。先輩。心配してくれてありがとうございます。」

 「真花の件が落ち着き次第、杉田に関する俺が知っている情報を全て流す。それをお前のその「しつこさ」の為に使ってくれ。」

 「分かりました。」

 「ここにいたか。」

吉岡が、やって来た。

 「先輩。俺の大学時代の親友の吉岡です。吉岡。こちらが、俺の高校の先輩の瀬戸さんだ。」

昌弘が、二人を紹介した。

 「瀬戸さん。真花ちゃんは、明後日には、東京に行きますよ。」

吉岡が、自己紹介もせずに言った。

 「ほっ本当か?・・・早いな。仕事が。」

瀬戸が、驚いて吉岡に言った。

 「これで、杉田の秘書。辞められますね。」

昌弘が、笑顔で言った。

 「ああっ・・・これで・・・これでやっと・・・」

瀬戸が、心から安心した表情で言った。

 「早く行って上げてください。奥さんにも伝えています。」

 「本当に・・・本当に何から何までありがとう・・・なあっ。藤野。一つだけ聞いていいか?何故。お前はあの二人を恐れない?何か特別なモンでもあるのか?」

瀬戸が、解っては要る事ではあるが、あえて聞いた。

 「「恨み」ですよ。大切なモン同時に失った「恨み」ですよ・・・」

昌弘が苦笑気味に言った。

 「自分の会社。辞めてまで晴らしたい「恨み」か?」

瀬戸は、再び聞いた。

 「ええっ。先輩も解りますよ。本当に大切なモン無くした時の気持ちが・・・そんな事より早く行ってあげてください。大切な人達の所へ。」

昌弘が、瀬戸を送り出そうとした。

 「ああっ。解った。行くよ。本当にありがとう。」

瀬戸は、二人にそれぞれ頭を下げ、乗って来た車で去って行った。

 「でっ。会社の方はうまくいったんかい?」

昌弘が、瀬戸の車を見ながら、吉岡に言った。

 「うまくいったから、ここまで来たんだ。」

 「なるほどね。」

 「また一人か・・・?」

 「・・・」

昌弘は、無言で頷いた。

 「さっき北海道の道警の記者クラブの友人から連絡があって、関口さん。三年前の事。話始めたらしい。」

 「そうか・・・」

 「瀬戸さんもお前に協力してくれるだろう。お前の勝ちだな。」

 「まだ分からんさ・・・まだな。」

 「それともう一つ。東京地検の特捜部が動き出した。入口は、杉田の兄貴の贈収賄に関することだがな。この町の選挙違反等々についても特捜部が指揮するようになった。」

 「県警では、心許ないってか。」

 「ああっ。県警や福川地検じゃすぐに圧力がかかる。」

 昌弘は、無言だった。

 「おもしろくなるな。」

 吉岡が笑顔で、言った。

 昌弘は、無言のままだった。ただ顔に暖かい風が当たっていた。


         20

 大博市。

 旅亭「すざ久」の一室。

 「誠よ。瀬戸のバカたれが、向こうの側についたようじゃの。」

と、源九郎が、酒を飲みながら、言った。

 「瀬戸が向こうについたのは想定の範囲内ですよ。親父殿。」

杉田は、まるで意に返さなかったような言い方をした。

 「誠よ。お前はまだ解っておらんのか!?あの”-亡霊”の怖さを!!!」

源九郎が、テーブルをひっくり返すかのような「怒り」で吠えた。

 余りの剣幕に後ずさりする。杉田。

「誠。貴様。この町長選に負けるような事があれば、上の兄。二人に大きく後れを取る事になるんだぞ。それが解っているのか!?」

 「・・・」

息子は何も言えなかった。震えてもいた。

 「とにかくあの”亡霊”をお前の力で何とかしてみろ。それでお前の真価が問われる。」

 「・・・」

息子は、黙って頷いた。

 「もし、お前の力でどうにもならなければ、儂の方で何とかやっておく。いいな。行け。」

源九郎は、杉田の顔を両手で握り締めながら、言った。

 「わっ解りました・・・」

杉田は、そう言うと、素早く部屋を出た。

 源九郎は、スマートフォンを取り出し、何処かに電話した。 


       21

 昌弘の実家。

 玄関に長谷川が、茶菓子を持って立っていた。

 「今度は、贈答品作戦ってか。」

昌弘は、嫌味で言った。そして、

 「後の二人は?」

と、長谷川に聞いた。

 「あの二人気持ちも込めて。これを・・・何と言われようと構わない。しかし、あの時の事だけは、謝罪させてくれ。」

長谷川は、茶菓子を差し出しながら、深々と頭を下げた。

 「もういいよ。済んじまった事だ。気にしてもねえよ。それにその土産。悪いが受け取る訳にはいかねえ。気持ちだけは貰っておくから、悪いけど持って帰ってくれ。」

昌弘は、土産物の受け取りを明確に拒否した。

 「しかし、それじゃ・・・」

長谷川も、引き下がれなかった。

 「お前の気持ちは解る。けどな。お前も少なからずこの選挙に関わっている以上は・・・」

昌弘が、諭すように、言った。 

 「お前が俺ならこうまでしたか?・・・」

長谷川が、徐に聞いてきた。

 「解らん・・・しかし、もしかしたら最後は力づくで受け取らせたかもしれん・・・」

 「どうしても、これは受け取ってもらえないか?」

 「くどい様だが・・・」

 「・・・」

 「・・・」

 「分かった。諦めるよ。ただ、これだけは教えてくれ。お前はどうするつもりだ?」

長谷川が、聞いた。

 「どうするつもりもねえさ。俺は二人ともが大嫌いなんだ。ただそれだけさ。」

 「やっぱり一三年前の事があるからか?」

 「それがあるからかな。」

 「分かった。俺達は独自の道。選ぶよ。」

 「その方がいい・・・いい結果が出ると思うよ。」

 「お前に一三年前の時と同じ様になってもらいたかったんだがな。」

 「俺には、そんな事。するつもりもねえし、できもしねえよ。」

 「関口さんや瀬戸さんが・・・」

 「あれは、それぞれの意志だ。俺には関係ねえ。」

 「分かったよ。お前の意志が・・・俺からは何も言わない。ただ気をつけろ。二人とも裏部隊がいる。」

 「長谷川さん。それには、心配いりませんよ。ちゃんと手は打ってあります。」

奥から吉岡が、出て来ながら、言った。

 「あなたもいたのか・・・強いな。二人は・・・」

 「お前も強くなれる。自分の道。行くって決めたんならな。」

 「そうだな・・・色々すまなかったな。」

 「気にするな。」

 「それじゃ。」

 「ああっ。」

長谷川はもう一度頭を深々と下げてから、昌弘の実家を出た。

 昌弘と吉岡はそれを見送った。

 「これでまた一人か・・・」

吉岡が、昌弘の顔を見て、言った。

 「その裏部隊って、なんなんだ?」

 「ヤクザだろう?・・・心配するな。もう手は打ってある。二人ともって言ってはいるが、実際は一つの組だ・・・「岩田會」・・・お前の心配は絶対に稀有に終わるさ。」

吉岡は、微笑いながら、言った。

 昌弘は、少しホッとした表情で、吉岡を見た。


         22

 大蔵市。

 建物の周りは無数の機動隊員で、囲まれていた。

 指定暴力団「四代目岩田會」総本部。通称「岩田會館。」

 会長応接室。

 「岩田會」四代目の森田。NO.2の理事長。岩永。総本部長の神林。のトップスリー。そして、地元大蔵署暴力団係の警部補。片桐.その部下の橋本。毎朝新聞社会部記者で吉岡の先輩にあたる川谷。が、森田を上座に座って話し合っていた。 

 「なあっ。四代目。あんたなしじゃ生きられなかったはずの“福川の魔女”と”福川の妖怪”があんたを裏切って神戸の「四代目坂口組」と手を結ぼうとしているじゃないか?なんなら神戸の福川進出に手を貸そうとしている。現に今年の県発注の公共工事の半分以上と言っても良いくらい。神戸の企業舎弟に取られてるって話じゃねえか。」

と、片桐が言った。

 「それが、どうした?」

神林が、怒鳴った。

 「神林さん。そんなに怒鳴らなくてもいい・・・ただこっちは、「岩田會」を心配して言ってるんだがな。四代目。」

片桐が、神林を宥めながらも、森田に対して優しい口調で言った。

 「どう心配してるって言うんですか?片桐さん。」

岩永が、逆に凄みを効かせて片桐に聞いた。

 「だから、さっきも言ったろう。”妖怪”と”魔女”があんたらを蔑にしてるって。神戸は本気でこっちに進出してくるぞ。」

片桐が、岩永の凄みを微笑みでかわし、逆にトップスリーに脅しをかけた。

 「だったら、どうなんだ?」

神林が、再び語気を荒げて、言った。

 「戦争しろと仰っているんですか?」

岩永が、今度は冷静な口調で言った。

 「誰もそんな事は言っちゃいねえし、あんた達も望んじゃいないでしょう。」

橋本が口を挟んだ。

 「だから・・・?」

森田が、初めて重たい口を開けた。

 「今回の戸上の選挙。たとえ”妖怪”や”魔女”から何らかの要請のようなモンがあったとしても、動かないでいてほしいんだ。」

片桐が、森田を見て、言った。

 「何の為に?」

岩永が、口元に薄ら笑いを浮かべながら言った。

 「戸上の町の未来の為ですよ。」

橋本も、口元に薄ら笑いを浮かべて言った。

 「それと、神戸とどう関係があるんです?片桐さん。」

岩永が、微笑みながら言った。

 「何も言わなくても、もう全部解っているとは思うけどな。四代目。」

片桐も、微笑みながら言った。

 「だから・・・?」

再び、森田。

 「今回の戸上の町の選挙。動かないって約束してくれるのなら、県警はこっちで抑える。毎朝新聞の暴追キャンペーンも取り止める事もできる。」

 「そのつもりで来ました。」

川谷が、彼らの迫力に押されながらも、言い切った。

 「俺達が、動かなくても・・・」

神林が、言った。

 「神戸の方も心配ない。戸上にちょっかい出せないように兵庫県警と大阪府警の合同本部が連日のようにションベン刑くらいの事で総本部事務所を家宅捜査してるよ。だから、神戸の事はこっちで何とかするよ。」

片桐が、念押しした。

 「それなら・・・」

森田が、言った。

 「シャブと殺人(ころし)さえしてくれなきゃ、今回の戸上の町の選挙が終わるまでは、俺達が大目に見るよ。」

 「それに今度の選挙に関連して東京地検が動こうとしています。あなた達に傷がつくことの無いように私達毎朝新聞も配慮します。」

川谷が、言った。

 「あんた達は、義理を欠いた連中の末路を高笑いしながら、見てればいい。それだけの事だ。」

片桐が、笑いながら、言った。

 「約束は、本当に守ってくれるんでしょうな?片桐さん。」

森田が、重みのある声で、言った。

 「さっきも言った通り、シャブと殺人(ころし)さえしてくれなきゃ、約束は必ず守りますよ。なあっ。ブン屋さん。」

橋本が、まだ笑いながら、言った。

 「はっはい。」

川谷が、はっきりと答えた。

 「そういう事だ。四代目。後は頼むわ。」

片桐と橋本と川谷が、席から立ち上がって、言った。

 「こっちこそ頼みますよ。片桐さん。」

神林が、立ち上がって、言った。

 「全部。解ってるよ。」

神林に見送られる様な形で、片桐と橋本と川谷は部屋を出た。

 「どうします?親父っさん。」

岩永が、森田の顔を見て、言った。

 神林も座り直して、森田の顔を見た。

 「ここは、ひとつ。警察サツに借りを作っておくか。」

森田が、口元にうっすらと笑いを浮かべて、言った。

 「解りました。では・・・」

岩永が、言った。

 「今回の戸上の選挙等で依頼のあった件。全て反故にする。また両者から催促等の連絡があっても一切これに応じてはならない。面会も拒否だ。これでいいな。剛太。」

森田が、重々しい口調で、言った。

 「分かりました。今、戸上に行っている連中を早速にでも引き揚げさせます。その上で、最高幹部会を開催します。」

 「連中の引き上げだけでいい。最高幹部会は開かなくても、儂からの緊急通達として、全組織に伝えればいい。神林。頼むぞ。」

 「はい。かしこまりました。」

神林は、部屋を出た。

 「やっと、復讐できますね。親父っさん。」

岩永が、笑って、言った。

 「通達を破った者は、即「絶縁」と言う事も忘れるなよ・・・俺達に散々泥水を飲ませるだけ飲ませやがって。あいつら・・・これで終わる。何なら剛太。その東京地検とやらに今までの爺ぃと婆ぁに関する事。匿名でいい。全部ぶちまけてやれ。」

 「はい。」

岩永が、笑いながら、言った。

 森田も、笑っていた。


         23

 「岩田會」総本部前。

 「これで大丈夫ですかね?片桐さん。橋本さん。」

川谷が、少々不安気な表情で、言った。

「大丈夫ですよ。あの人達も一応は「任侠道」とか言うモノを持ってます。一回約束した事は必ず守りますよ。」

橋本が、笑いながら、言った。

 「そうですかね!?」

川谷なおも不安そうだった。

 「俺達が、率先して約束を守れば、奴らも守るよ。だから心配するな。ブン屋さん。」

 「そうですね。」

三人は、それぞれの表情で、その場を立ち去った。


         24

 戸上町。

 ラーメン屋。 カウンターだけの席で、昌弘はおいしそうにラーメンを啜っていた。 

 「うまいな。藤野。」

横で一緒に食べていた吉岡が、言った。

 「だろう?俺は、この店が好きで、小学校の時から親に連れて来てもらったもんだ。そん時から味は全然変わっちゃいねえ。」

昌弘は、笑顔で言った。

 吉岡は、戸上に帰った時以来、昌弘の心からの笑顔を見た気がした。

 「ここにいたのね。」

甲斐陽子が、後ろから突然に声をかけた。

 吉岡は、驚いて、麺を吐き出しそうになった。

 昌弘は、笑顔が消えて、

「解ってたくせに・・・いくら陽子ちゃんでも、ラーメンくらいは最後まで食べさせてくれるだろう?」

と、少々怒気をはらんだ口調で言った。

 「いいわ。」

陽子は、あくまで冷静な口調で言った。

 吉岡は、二人を見ながら、慌ててラーメンを食べた。そして、

「じゃあっ。行くわ。」

と、代金を払って店を出た。

 「ああっ。」

昌弘は、そう言っただけで、まだラーメンを食べていた。

 「・・・」

陽子は無言で待っていた。

 数分後。昌弘は、セルフサービスの水を飲み干し、一息ついて、店主に代金を払った。

 昌弘は、冷静を装っていた陽子に向かって、

「行こうか。」

と、言った。

 二人は、海の見える小高い丘の公園にいた。

 「ここは、瀬戸君を説得した場所ね。」

陽子は、苦笑交じりに、言った。

 「よくご存じで・・・」

昌弘が、無表情のままで、言った。

 「私も同じようにするつもり?」

陽子は皮肉たっぷりに言った。

 「陽子ちゃん次第だ・・・で?」

昌弘は、苦笑交じりに、聞いた。

 「どうあっても、米山に協力できない?」

と、陽子は、昌弘の想像通りの言葉を放った。

 「フン。聞かなくても解かっているはずだ。」

と、昌弘も、陽子の想像通りの答えをした。 

 「どうして?やっぱり一三年前の事があるから?」

陽子が、言った。

 「そうだ。それに俺は何度も言っているが、あいつらは大嫌いなんだ。」

 「嫌いなのは、解ってる。しかし、一三年前の事を今頃言っても・・・」

 「確かに、陽子ちゃんの言ってる事も分かる。しかし、俺にとっては、絶対に許す事はできないんだ・・・俺にとって大事なモノを奪っていったんだからな。」

「どうしても・・・?」

「どうしてもだ。それに一三年前の件に関して、陽子ちゃん。あんたに何ができた?当時。教育実習生だったアンタに。」

「・・・」

陽子は何も言えなかった。

 「誰に想像できる。あんな事になるなんて。誰にも想像できないよ。」

 「それは・・・」

陽子には、それ以上の言葉が出なかった。

 「俺にもできなかった。だから、悔しいんだ。だから、あいつら二人を許せないんだ。陽子ちゃん。もうあいつらに関わるなんて止めた方が良い。あいつらに関わって、何か良い事があったか?あるわけないような。」

 「・・・」

もう陽子には、何も言葉が出なかった。

 「陽子ちゃん。あの二人の事は、俺がきっちり決着(カタ)をつける。だから陽子ちゃんには、幸せになってほしいんだ。」

 「ふっ藤野君・・・」

 「待たせたな。藤野。甲斐さん。やっと来てくれたよ。」

吉岡が、大声で叫びながら、言った。

 「やっとかよ。」

昌弘が、苦笑気味に言った。

 陽子が、振り返った。そして、驚いた。

 「お連れしましたよ。甲斐さん。あなたを恋焦がれている(ひと)を。」

吉岡が、一組の親子とともに昌弘達の方までやって来た。

 「おっお義兄さん・・・どっどうしてここへ・・・」

陽子はそれ以上の言葉が出なかった。

 「しっしかし、驚いたよ。陽子ちゃんが、元の家の会社の最大の顧客にして、会社の特別顧問でもある。「暴胃(ボウイ)」グループの代表取締役社長。大瀧詠一さんと親戚関係にあったとはねえ。」

昌弘が、微笑いながら、言った。

 「陽子お義姉ちゃん。」

大瀧の女児の架純が、嬉しそうに、言った。

 「ふっ藤野君・・・どう言う事?・・・」

 「どう言う事も何も・・・ねえっ。大瀧社長。」

 「よっ陽子ちゃん。この娘の・・・架純の母親になってくれないか?」

大瀧が、深々と頭を下げた。

 「なっ何を突然・・・」

陽子が、驚いた表情を、見せた。

 「架純も、陽子お義姉ちゃんにママになってもらいたい。」

架純も、喜んで言った。

 「私に姉さんの代わりになれと言うんですか?お義兄さん。」

 「礼子の代わりにではなく、その・・・」

 「陽子ちゃん。大瀧社長と結婚しなよ。」

昌弘が、微笑ましそうに、言った。

 「陽子ちゃん。俺と結婚してくれ。」

大瀧が自分の思いの丈を全てぶちまけた。

 「陽子ちゃん。だいの男が、ここまで言ってるんだ。とっとと結婚しちまえ。」

 「でっでも・・・」

 「でももへったくれもねえんだよ。」

 「陽子ちゃん。頼む。」

 「陽子お義姉ちゃん。ママになって。」

 「ここまで親子で言ってるんだ。とっとと決めちまえ。」

昌弘が、急かした。

 「おっお話はありがたいです。私も架純ちゃんのママになりたい。でっでも・・・お姉ちゃんみたいにはなれないし。それに・・・」

 「米山の事か・・・?」

昌弘が、溜息交じりに言った。

 「わっ私は・・・あの人達の事を知りすぎたから・・・」

 「だから・・・?」

 「えっ?」

 「だから、それがどうした?そんな事もう。あんたが心配する必要はこれっぽっちもねえんだよ。」

 「でっでも・・・」

 「心配いりませんよ。甲斐さん。米山の婆さんも馬鹿じゃない。あなたを消そうなんて絶対にしませんよ。」

吉岡が、微笑いながら、言った。

 「現に家の妹夫婦は生きている。」

昌弘が、念を押した。

 「米山や杉田が頼りにしている連中は、今回の選挙に関して動く事はまずありません。」

 「新聞記者がここまで言ってるんだ。後はあんた次第だぜ。陽子ちゃん。」

 「藤野君。信用していいんだね。」

大瀧が、心の底から絞り出す様な声で言った。

 「勿論です。嘘は言いません。」

昌弘が、自信を持って答えた。

 「陽子ちゃん。」

大瀧が、陽子の顔を見た。

 陽子は、ずっと考えていた。そして、

「おっお義兄さん・・・おっお願いします」

 「陽子ちゃん・・・」

 「架純ちゃん。私。架純ちゃんのママになって良いかな?」

 「本当・・・本当になってくれるの?わーい。わーい。パパ。陽子お義姉ちゃんが、架純のママになってくれるんだって。わーい。わーい。」

架純は、喜びを爆発させた様だった。

 「ありがとう。陽子ちゃん。」

大瀧が、再び、頭を下げた。

 「しっ死んだあっ姉ようにはできませんが・・・こっこちらこそよろしくお願いします。お義兄さん。」

陽子は、緊張した様子で頭を下げて、言った。

 「ありがとう・・・ありがとう。陽子ちゃん。」

大瀧も、喜んで、陽子を抱きしめた。

 架純は、大喜びして、その場を走り回っていた。

 「良かったな。陽子ちゃん。」

昌弘も嬉しそうに、言った。そして、

 「社長。おめでとうございます。」

と、言った。

 「藤野君。本当にありがとう。」

大瀧が、陽子と一緒に昌弘を見て、深々と頭を下げた。

 「いいえっ。僕は何も・・・」

昌弘は恐縮した。

 「何を言っているんだ。こうなったのも、君のおかげだ。」

 「社長。そんな事よりも、これからも元ではありますが、家の会社をよろしくお願いします。」

 「解かっいるよ。伊達にも色々伝えておくよ。ただ、今回の君の取った行動で伊達はかなり怒っているよ。」

 「そうですか。でもいつか解ってくれる日が来るとは思いますが、ご忠告ありがとうございます・・・社長。陽子ちゃん。末永くお幸せに。」

 「ありがとう。藤野君。私は今日をもって米山家とは関わりを持たない。私の知るべき事実は、全て検察に伝えます。それともう一つ藤野君。米山家の最終兵器・・・」

と、陽子が、言いかけた時、

 「フン。陽子ちゃん。関係ないよ。それは。あくまで俺の問題だ。」

 「しっしかし・・・」

 「そうだ。藤野君。」

 「こっちの問題はこっちでケリつけますよ。だからご心配なく。」

 「だっ大丈夫なの?」

 「心配ないさ。いえっ。ありません。大瀧夫人。」

昌弘は、再敬礼した。

 「陽子。藤野君がここまで言ってるんだ。彼を信用しよう。」

大瀧が、陽子の肩に優しく手を置いて、言った。

 「そうですよ。大瀧夫人。あなたは御自身と新たな家族の幸せだけを考えて下さい。」

昌弘が、微笑いながら、言った。

 「後の事は藤野君達に任せて、我々は行こう。」

大瀧が、言った。

 陽子は、何も言わずに、大瀧について行った。ただ後ろ髪引かれる様な思いだった。

 昌弘は、三人を見送った。

 吉岡が、

 「これでまた一人か・・・」

と、昌弘に問いかける様に、言った。

 「一人じゃねえよ。」

と、言った時、吉岡のスマートフォンが鳴った。

 二人は、驚いた。

 吉岡が、恐る恐る電話に出た。

 「久しぶりだ。吉岡。」

その声に吉岡が、再び驚いた。聞き覚えのある声だからであった。

 「いっ岩城か・・・?」


        25

 八万市のとあるホテルの大会議室となった大部屋。

 膨大な数のパソコンと、大勢の捜査員達が動き回っていた。

 「そうだ。岩城だ。」

一番上座の中央に座って、電話していた岩城が、嬉しそうな声で言った。


        24

 「だっ大学時代のあの岩城か・・・?」  

吉岡が、再び聞いた。

 

        25

 「そうだ。あの岩城だ。」


        24

 「あっあの岩城が、いっ今何を・・・?」


        25

 「聞いたら更に驚くぞ。今はな。東京地検の特捜部の主任検事の一人だ。」


        24

 「なっ・・・」


        25

 「今回の戸上町の町長選挙に関して、東京地検の特捜部が動く事が、正式に決まった。その陣頭指揮を俺が執る。証拠もあるし、裏付けも取れた。傍に藤野もいるんだろう?代ってくれ。」


        24

 吉岡は、驚いた表情のまま、横にいた昌弘に、

「あの岩城からだ。」

と、言って、昌弘にスマホを渡した。

 昌弘は、あくまでも冷静を装って、スマホを取った。

「もしもし。俺だ。藤野だ。」


        25

 「おーっ。藤野か。久しぶりだな。」

岩城が、更に嬉しそうに、言った。


        24

 「亮介。久しぶりだ。本当か?今、吉岡に言った事・・・」


        25

 「本当だ。こっちは、何時でも関係者に任意ではあるが、事情聴取もできるし、家宅捜査もできる・・・勿論逮捕状付きでな。そして、それもお前の合図でだ。」


        24

 「本当なのか?それは・・・」

 

        25

 「嘘をついてもしょうがない。後は、お前が俺を信用するかしないかないんだ。」


        24

 「そこまで言うんなら信用しよう。」


        25

 「ありがたい。ただ、これだけは言っておく・・・一三年前の自殺事件の”教唆”については残念ながら・・・」


        24

 「解ってるよ。そんな事。あいつらを塀の中に送りこめれば、それでいい。」


        25

 「分かった・・・お前からの合図。待っている。」


        24

 「分かった。それじゃあ。」


        25

 「それじゃあ。」

と、岩城は、電話を切った。そして、部屋にいた捜査員全員に向かって、

「急げよ。時間はないからな!!!」

と、大声で発破をかけた。

 その場に居た全員が、

「はいっ。」

と返事をした。


        24

昌弘は、電話を切って、吉岡にスマホを返した。 

 「予言した通りになったな。」

吉岡が、言った。

 「大がかりだな。」

と、昌弘が、苦笑気味に言った。


         26

 それから数日間。昌弘に対する来客は無く、

ゆっくりと過ごせた。


         27 

昌弘が、久しぶりに町を歩いていた時、後ろから二人~三人の男達が、昌弘に近づいて来た。

 昌弘は、立ち止まり、振り返って、

「馬場。山崎。立花。ご苦労さん。俺はどこにも行かねえから、お前達の御主人様の所へ連れて行ってくれ。」

 三人は、驚いて、それぞれが顔を見合わせた。

 「あんまり遅いんで、待ちくたびれちゃったよ。」

昌弘が、嫌味っぽく言った。

 三人は、昌弘をまるで警護するかの如く、一緒に歩き出して、止めてあった車の後部座席に乗せた。

 「これじゃまるで犯人だ。」

昌弘が、また嫌味を言った。

 三人は、それぞれが与えられた仕事をただもくもくとこなしている様だった。

 「お前達も大変だ。

昌弘が、苦笑交じりに、言った。

 三人と昌弘を乗せた車は、走り出した。

 数分後。

 車は、「戸上高等学校」の校庭に止まった。

 昌弘は、一瞬、嫌な表情になった。

 昌弘は、三人に囲まれるように中に入って行き、「校長室」に入るように促された。

 昌弘は、溜息交じりに、中に入った。

 中には堂々と町のケーブルテレビのテレビカメラが置かれ、どの位置からでも昌弘と、中にいる杉田を撮れるように設置されていた。

 「久しぶりだな。藤野。」

杉田が、笑顔で立ち上がって言った。握手を求めている様だった。

 「フン。馬鹿馬鹿しい事してるな。相変わらず。」

昌弘は、鼻で笑いながら、言った。当然の如く握手はしなかった。

 「そう言わなくてもいいじゃねえか。こうして昔の友人に会えたんだ。どうか座ってくれや。」

杉田は、少し引いた様な状態になった。

 「どこか友人だよ。それより、用があるなら、早目に言ってくれ。お前も忙しい身体だろうからな。」

昌弘が、吐き捨てる様に、嫌みを言った。

 「だったら、単刀直入に言おう。関口やら、瀬戸。甲斐。長谷川。全てお前の手に落ちた。

そのやり方で良い。俺の手助けをしてほしい。いやっ。俺を助けてくれ。」

 「答えが解ってて、そんなバカげた事。言ってるのか?」

 「どう頼んでも同じか?」

 「くどいな。」

 「どうしてもお前の力が必要なんだ。」

 「俺がどう言う性格か解ってて、言っているのか?」

 「解っている。解っているからこそ、頼んでいるんだ。」

 「解ってないな。全然。」

昌弘は、「もう話したくもない。」というような表情になった。

 「なあっ。頼む。藤野。」

 「無理だな。」

昌弘は、はっきりとした口調で言った。

 「・・・やっぱりお前は、”一三年前の亡霊”だな・・・!!!」

杉田が、罵る様に言った。

 「持ち上げたり、落としたり、大変だな。お前も。」

昌弘が、呆れた表情で、言った。

 「お前が帰ってさえ来なければ、こんな風にはならなかった。」

杉田が、絶叫する様に、言った。

昌弘は、片方の耳を人差し指でほじくりながら、

 「俺は、ただの墓参りで帰って来ただけだ。それを邪魔し続けてきたお前らは何なんだ?」

昌弘が、如何にも冷静であった。

 「・・・」

何も言えず、ただ身体を小刻みに震わせている杉田。

 「それに今の町長でも何にも問題がないのに、それを引きずり降ろして、どっちかがこの高校を潰して、生涯学習施設みたいなモンを拵える。そんな事に誰が協力するか。」

昌弘が、きっぱり言い放った。

 「だっだからお前は、じゅっ十三年前の”亡霊”なんだ。今頃のこのこ帰って来て、俺達の計画を邪魔する・・・」

 「邪魔する気なんかあるか。かえってお前らのこの学校に対する思い入れみたいなモンが解かってこっちはせいせいしてるんだ。いつまでもこんないわくつきのモン。残しておいてもなあ。そうだろう?杉田。だがな。この学校を潰すんなら、最初に話す相手がいるんじゃないのか?」

昌弘が、力強く言った。

 「誰に謝れと言うんだ?藤野。」

少しは怒りが収まったかの様に見える杉田。

「惚けて何になる杉田。健介だろうが・・・松井健介。」

昌弘が、始めて、杉田の表情を見て言った。


        28

  米山の自宅。

 部屋の一室で沙織は、杉田と昌弘のやり取りをケーブルテレビで見ていた。

 「まっまさか・・・彼は・・・」

沙織は、絶句した。


        27

 「なっなぜ、おっ俺が松井健介なんかに謝らなければならいんだ!!!?」

 「お前だけじゃねえ。米山もだよ・・・二人して健介の墓前に頭下げてこいや。」


        28

 米山の自宅。

 「やっやはり・・・かっ彼は・・・」

沙織はそう言って、項垂れた。


        27 

 「だから、どうして俺と米山が・・・」

 「フン。惚けても無駄だ。俺が一三年前の話。知らねえとでも思っているのか?杉田。」

 「なっ・・・」

驚いた様子の杉田。

 「一三年前。あの当時。この学校で起きた訳の分からない学園闘争みたいなモンを主導していた

お前達は、学校側との最後の交渉役に健介を選んだ。健介が絶対に断れない理由でな。」

 狼狽える杉田。

 「お前達は、健介の双子の姉で俺の当時付き合ってお互いを恋人だと思っていた沙織を凌辱輪姦し、その写真を盾に健介を脅した。」

 「ちっ違う・・・そっそんな事・・・」

 「健介が、断れないことを知っててな。しかし、健介を交渉役にしたのは、単なる後付け。話は学校。PTA。教育委員会。そしてお前達”改革派”なんてきどっていた当時の連中。この四派で既に着いていた。後は覚書みたいなモンにサインするだけで良かったはずだ。しかし欲の皮のつっぱったお前達は、「慰謝料」という名目で金の増額を要求した。そこで出番となったのが、かねてから脅しておいた健介。と言うよりも、初めからこうなるストーリーにしておいて、健介の出番と相なった。俺が、祖母さんの葬式でこの町にいない事をも利用してな。そりゃっ。健介も真面目にやっただろうよ。自分の親友の彼女であり、姉弟でもある女子高生が、犯された上に”淫乱”なんて呼ばれて写真と共に町中に好奇の眼に晒された日にゃたまったモンじゃねえよ。」

 「うっ・・・うわあ・・・」

態度が豹変する杉田。

 「しっ知らんぞ。そんな話・・・知らん・・・どっどこに・・・どこに証拠があると言うんだ。ええっ。藤野!!!」

昌弘にくってかかる杉田。

 「証拠。フン。これだよ。健介が死ぬ前に俺に残してくれたノートだ。あの時の状況が全て詳細に書かれてある・・・はじめっから飲まれるはずのない「慰謝料」の増額を拒まれたことを健介から聞いたお前達は・・・」

昌弘が、持っていたバックから二冊のノートを取り出し、杉田の前に投げつけた。

 「そっそんなもん。うっ嘘に決まっているだろうが。嘘だ。嘘だよ。」

頑なに否定する杉田。

 「そう言うと思ってたよ。だがな。これは、偽モンでも何でもねえ。本人直筆のモンだ。勿論、筆跡鑑定もしてもらってある。百パーセント間違いなく健介の字た・・・お前達は知らなかっただろうが、健介って奴は、男にしては珍しく”日記魔”だったんだよ。それに、あの時の事を話してくれる人間達もいてよ・・・全てがな、”真実”なんだよ。」


         28

 米山の自宅。

 「終わったわね・・・杉田・・・」

沙織が小声で呟いた。そして、テレビのスイッチを切った。

 「やはり、あなたが、行くしか無いようね。沙織さん。」

後ろから来た順子が、言った。

 「そのようです。」

沙織は、そう言って、部屋を出て、着替えを済ませて、自宅を後にした。

 後ろから見送る順子のスマホが鳴った。


         27

 「いい加減、認めたらどうだ。杉田。」

昌弘が、一喝した。

 「これ以上、まだ俺に何か言わせる気か?まっ。話せと言われれば、まだいくらでも話せるがね。」

 「・・・」

杉田は、もう何も言えなかった。ただ力無く両膝から崩れ落ちる杉田。全身は、小刻みに震えていた。

 それを見た昌弘は、杉田に「哀れみ」さえ感じた。

 「もう。俺に関わるな・・・」

昌弘は、そう言い残して、部屋を出た。

 部屋の前に居た馬場。山崎。立花に

「お前らのご主人様は、あんな風だ。助けてやれ。」

昌弘は、三人に声を掛け、高校を後にした。


         29

 沙織が、自宅を出た一時間半後。

 大博市の旅亭。「すざ久」の一室。

 杉田の父である源九郎が上手に座り、米山の母。順子と県知事の神崎洋三が下手に座っていた。

 順子も神崎も源九郎に平伏していた。

 「なあっ。お婆。戸上の町の町長選挙。あかんな。」

と、源九郎が刺身を食べながら、言った。

 「あんたところの息子も、うちの馬鹿息子も”一三年前の亡霊”の前に形無しじゃ。歯もたたん。」

 「裏部隊の方は?」

 「それもあかんのじゃ。催促してもまるで動こうともせん。」

 「どういたしましょう?」

初めて順子が頭を上げた。

 「今回の選挙。一切無効にしようかと思っておるんじゃが。」

 「今の町長をそのままにして、”一三年前の亡霊”がこの町から消えた後に、また再選挙と言う事で・・・」

神崎も頭を上げてから、言った。

 「そうするしかあるまい。」

 「御前が、そうなさるのであれば、私共には何の異存もございません。」

 「そうか。お婆も賛成してくれるか?」

 「はい。ただ大丈夫なのでしょうか?無理矢理に辞表を書かせた挙句の再登板・・・」

 「町長の事かね。心配はいらん。もう手は打ってある。勿論、再選挙の件もな。」

源九郎は、余裕のある表情で、言った。

 「そこまで御前が、手を回していらっしゃるのであれば、尚更、私共に何の異存もございません。」

順子が、再び、頭を下げた。 

 「解かってくれたか。子供の方。くれぐれもよろしく頼む。」

 「御前の方も。」

 「その子供の事なんじゃが、儂も一度”亡霊”に会ってみたいと思うてな。どんな男か見てみたくなった・・・やはり子供のケツの穴は親が吹かねばなるまいて。」

源九郎が、口元に薄笑いを浮かべて、言った。

 「御前。くれぐれもお気をつけを。相手は”亡霊”ですから。」

順子が、心配そうに言った。

 「解かっておる。いくら”亡霊”でも”権力者”には敵わんだろうて・・・クックック・・・それから神崎君。”亡霊”の会社の方には、もう手を出すな。」

 「はっはい・・・」

神崎も、再び、頭を下げた。

 「二人とも、こんな遠くまで来させて悪かったな。一つ飯でも食って行け。」

 「それでは、お言葉に甘えて。」


         30

 戸上町。昌弘の自宅。

 吉岡が、

「なあっ。藤野。岩城からの連絡だ。いつ動けばいいんだって?聞いてきた。」

と、昌弘に、真剣な表情で、言った。

 「後、二日・・・二日だけ待ってくれ。」

 「後、二日?そうなりゃ選挙の投票日だ。」

 「ああっ。そうだ。」

 「その投票日に何がある・・・?まっまさか・・・」

 「そのまさかだ・・・吉岡よ。岩城に伝えておいてくれ。俺の合図があるまで動くな。と・・・それで最後だ。」

 「わっ分かった・・・しかし。大丈夫なのか。藤野。」

 「何とかなるだろうよ。ならなきゃそん時はそん時よ。」

 「・・・」

吉岡は、それ以上は何も言わなかった。と、言うよりも何も言えなかった。昌弘の身体から物凄い「気」のようなものを感じたからである。

 「・・・」

昌弘も、それ以上は何も言わなかった。どこか自信有り気だった。


         31

 それから、二日間は、五月雨的にぱらぱらと、米山と杉田に覚え目出度くなろうとした人物達。特に町議会議員が多かったが、昌弘の前に現れ、色々説得したり、言い訳等していたが、当然の如く相手にはしなかった。

 しかし、そんな中、一台の町の公用車が昌弘の家に停車した。

 後部座席から降りてきたのは、現職の戸上町町長である竹内義信と町議会議長の濱中雄作であった。

 昌弘と吉岡は、ある意味驚いた。

 現職の町長と町議会議長の自らの謂わば出馬である。

 「二人とも一応は杉田派にも米山派でもない。だから何しに来て、何を言いだすのか。」

吉岡が、少々不気味がっていた。

 「フン。解るさ。」

昌弘は、最初っから二人を見下していた。

昌弘と吉岡は、二人を客間に通し、強引に上座に座らせた。

 「男の一人暮らしなもんで、お茶なんて気の利いたモノは出せませんけどね。」

昌弘が、口元に薄笑みを浮かべながら、嫌みを言った。

 吉岡も町長も議長も昌弘の顔を見て、一瞬ぞっとしたが、何とか平常心を保とうとした。

すると、突然。濱中が、

 「ふっ藤野君。我々に手を貸してくれないか?条件は何でも呑む。」

と、額をテーブルにこすりつけて、頼み込んだ。

昌弘は、露骨に嫌な顔をした。

 「我々は、当初からあの高校を潰す事には、反対だったんだ。しかし、一応は小さいながらも町議会だ。過半数の賛成にはどうする事もできなかったんだ。」

竹内が緊張した表情で、言った。

 だが、昌弘には、それが言い訳がましく聞こえた。そして、すぐに、

「お断りします。」

ときっぱり言い切った。

 「なっ・・・」

驚く。竹内と濱中。

 吉岡も同様であった。

 「もう。今となってはあの高校がどうなろうと僕には関係ありませんがね。それにいくら議会が米山と杉田の側で過半数を握られていたとしても、町長が町民を巻き込んでリコール運動でも起こせたんじゃないんですか?」

昌弘の言葉にある意味の説得力があった。

 「何も解らんくせに、リコール運動なんて訳の解らない事を言いよってからに!!!」

濱中は怒っていた。

「あの議会室の雰囲気で、そんな事が貴様達だったら、言えたのか?」

濱中の本音であった。

 「だからって、安易に僕達に手を貸してくれなんて言えますね。確かに僕らは議員じゃない。しかし、本当にあの高校を潰したくなかったんなら、それくらいの事やれたでしょう。貴方方は、僕が米山や杉田をギャフンと言わせる事が出来たからここに来た。何とか自分達の失敗を取り返すために。そんな手には乗りませんよ。僕を味方に引き入れるんなら、この町に帰って来た時にすべきだった。違いますか?町長。議長。」

 「・・・」

竹内も濱中も何も言えなかった。し、言える筈もなかった。

 「すいませんね。偉そうな事言って。しかし、僕と貴方方とは、決定的に違うところがある。それは、「大切なモノをなくした人間の怒り」ですよ。」

昌弘は、ハッキリと言い切った。

 「すまなかったね。貴重な時間を割いてもらって。」

竹内が、立ち上がり、頭を下げた。

 「確かに君の言う通りだったかもしれん。本当に悪い事をしたな。」

濱中も頭を下げた。

 吉岡が、二人を玄関まで送って行った。

 その時、昌弘のスマートフォンが鳴った。

 身に覚えのない番号だった。

 昌弘は、恐る恐る電話に出た。

そして、数分後。電話を切った。

「誰からだ?」

吉岡が、当然の如くに聞いた。

「”妖怪”のお出ましだ。」

昌弘が言った。

 家の中は静まり返っていた。

 ただ選挙カーだけは、けたたましい音を撒き散らしながら、走っていた。


        32

 電話から一時間半後。

 大博市の旅亭「すざ久」の一室。

 杉田源九郎を上座に座り、昌弘と吉岡は下座にいた。が、頑なに座ろうとはしなかった。

 「何故?座らん。年上の人間に対して無礼ではないのか?」

 「座りたくはないんでね。それに、他人が料理を喰っている所で、一緒に話したくはないな。要件を早く言ってもらえませんか。「権力ボケ」したお爺ちゃん。」

昌弘が、あえて挑発的な言動を取った。

 源九郎は、一瞬。ムッとしたが、すぐに平常心に戻る。

 「そんなに儂と話したくはないか?」

 「誰が子離れの出来ない親と話たくなるもんですか。それに、やたらに、なんでもかんでも「権力者」ぶりたがる年寄りと話しをする必要があるんですか?」

 逆に昌弘が、聞き返した。

 「なかなかの口答えだの?若いの。そうやって、米山の息子や家のバカ息子までも、手玉に取った訳か。」

源九郎は、酒を飲みながら、言った。

 「手玉に取ったんじゃねえ。勝手にお宅の息子さん達が自滅していったんだ。”一三年前の真実”を突き付けられてね。」

 「だから”亡霊”と言われるんじゃ。とうに終わった昔の事をほじくり出し寄ってからに。そんなに、儂らの息子が憎いか!?」

源九郎の言い方は、半分怒声だった。

 「そんな事も解らないのなら、「権力者」とやらは失格だ。実の息子にまともな生き方を教えもせずに、周囲の人間を振り回す。単なる”親バカ”だ。それも相当に質の悪い。」

 「貴様達は、儂の事が怖くないのか!?」

 「吉岡。帰ろうか?「権力者」なんて名乗っても所詮こんな程度だ・・・失礼しました。親バカのお爺ちゃん。」

昌弘は、鼻で笑いながら、吉岡と共に部屋を出た。

 源九郎は、悔しそうに後ろ姿を見送りながら、スマホで電話した。

 「現在。この通話は使用できませんよ。」

と、機械仕掛けの色気のない女性の声が流れた。

 何度やっても同じ事だった。

 「クソが!!!どいつもこいつも、儂の事を舐め腐り寄ってからに。」

源九郎は、吠えた。


       33

 「すざ久」の玄関先。

 「あんなもんで良かったか?吉岡。」

 「流石。相手も”妖怪”と言われた男だけはある。法に触れるような事は何も言っていない。まっ。念のために録音はさせてもらったがな。」

 「上出来。」

二人は、帰って行った。 


       34

投票日の朝。

 町内に設けられた投票所に行く人々の姿は、まだ朝と言う理由だけなのかまばらであった。

 だがしかし、数日前の昌弘と杉田のやり取りの影響が全く無いとは、言えなかった。

  

       34―1 

 戸上町のとある一軒家。

 そのリビングの椅子に昌弘が座っていた。

 テーブルの上には、アイスペール。ウイスキー。水差し。水割りのウイスキーが入ったコップ。昌弘。沙織。健介。三人が写っている写真が入っている写真立てがあり、CDステレオもあった。

 写真の中の三人は、昌弘が沙織の頬にキスをしようとして健介が二人の頭の上で、両腕のバツ印をつくっていた。微笑ましい写真であった。

 ステレオから流れている曲は、昌弘の好きなアマゾンズの「KissInTheDark」だった。

 昌弘は、写真に向かって、

「本当にあの頃の三人に戻りたいぜ。」

と、呟くように言った。そして、ウイスキーを一口飲んだ時、

「ようやっとのご登場か?」

と、言った。

 「やっぱり、ここにいたのね。」

リビングの入口に沙織が、立っていた。

 「ここは、俺達三人の思い出の場所だからな。」

昌弘は、苦笑気味に言った。

 「大学時代にあなたが株か何かで買い戻したんでしょう?」

沙織が、少しぶっきらぼうに言った。

 「それが、何か・・・?」

今度は、昌弘がぶっきらぼうに言った。

 「用があるなら、早く言ってくれ。」

 沙織が、突然にそして無言で服を脱ぎ始めた。

 昌弘は、沙織の方を見ずに、

「あいにく、俺は女に不自由はしてねえし、それにそんな事したって、俺はお前を抱かねえし抱く気もねえ。」

と、吐き捨てる様に、言った。

 沙織は、ありのままの姿になって、

「会社を辞めて、女に不自由してるんじゃないの?それとももうまともな女じゃからないから抱けない?」

と、言った。少々語気が荒い。

 「フン。馬鹿馬鹿しい・・・それに、こんなところで、お前を抱いたら、それこそ眼もあてられないことになる。」

昌弘は、何の躊躇いもなく、言った。

 「そうよね。こんな身体の女を抱こうと思わないわね。でもね。あの人は違った。あの人はいつも抱いてくれる。心の底から愛を持って抱いてくれる。」

 「じゃあ。いいじゃねえか。それで。それで幸せならば・・・それに感謝して米山に協力してくれなんて言うとすれば、とんでもねえ話だ。」

 「どうしても・・・?」

 「俺は昔からあいつらが大嫌いでな。こればっかりはどうにもできんよ。それに今度の件で休暇まで潰され、会社を辞める羽目になった・・・」

 「会社を辞めたのは貴方の勝手。それにもう何年の前の事を言っているの。たとえあの二人が大嫌いでも、この町ではあの二人を好きにならないといけないの。そうしないと・・・」

 「生きていけねえってか。フン。相も変わらず馬鹿馬鹿しい。そんな身体にされてもか。えっ?」

 「ええっ。」

 「強いな・・・昔よりも強くなってる。」

 沙織は裸のまま、昌弘の方に近づいてきた。

 「やめておけ!!!服を着ろ!!!。」

昌弘は、一喝した。

 昌弘の一喝の迫力を知っている沙織は、諦めた表情で、入口に戻り、服を着始めた。

「悪かったな。声を荒げて。」

昌弘は、素直に謝った。そして、

「飲むか?」

と、沙織に酒をすすめた。

 「飲む。」

昌弘は、その言葉を聞いて、沙織に水割りを作ってやった。

 昌弘に色仕掛けは通用しないと悟った沙織は、何も言わずに、昌弘の横に座り、水割りを取り、一口飲んだ。

 そのまま二人は何も語らず、時間だけが経っていった。

 「悪かったな。俺の為に・・・」

と、昌弘が、言った。

 「・・・」

沙織は、何も言わない。

 「俺がお前達双子の姉弟を不幸にしちまった。すまなかった。」

昌弘は、沙織に向かって頭を下げた。

 「どう言う意味?」

沙織が、語気強めて言った。

 「俺が、あの時。学校さえ離れなきゃこんな事にはならなかった・・・許してくれ。」

 「何を言っているの・・・?相も変わらずヒーローぶっているのね。あの時みたいに。」

 「なっ。」

 「あなたはただの私の弟の死体を抱いて喚き散らしただけの男なの。それだけで一瞬でもヒーローになった・・・違う?」

 「・・・」

昌弘は、言葉が出なかった。

 「そんなあなたに何が出来たと言うの?そう何もできなかった・・・あなたは私達姉弟を巻き込んで、ただ「自由」という言葉を謳歌したかっただけ・・・一三年前のあの出来事で、あなたは学校を離れていなかったからなんて言ってるけど、そんな事ないわ。学校にいてもあなたには、何も出来なかったわ・・・そう何も。」

 「解からないさ。そんな事。」

と、昌弘は精一杯の言い返しをした。

 「解かるの・・・「運命」なの。こうなる事が「運命」だったの・・・」

 「フン。また「運命」かよ。何時からそんなこという人間になっちまったんだ?馬鹿馬鹿しい。この町で生きていきたけりゃ、あの二人には逆らうな。と言うし、運命論者になっちまう。本当にここはまともな町か?」

 「変わらないのね。貴方って・・・」

 「変わりすぎたんだよ。お前って女性が・・・」

 「変わらなきゃいけないの。私みたいにこの町でずっと生きていかなければならない人間は、みんなそうなの。」

 「自分の「プライド」ってもん捨ててまでもか?」

 「そう。そんなものあの二人の親達の前じゃ完璧に捨てさられるわ。」

 「会ったよ。親バカしてた。だからって息子達に協力するつもりはミミズの毛程もねえ。俺は、あのバカ息子達に大切なモン奪わられてしまったからな。それも二つも。」

 「そう言ってくれるだけでもうれしいわ。きっと健介も喜んでくれるわ。」

 「もう元には、戻れねえのか?俺達。」

 「残念ながら私が愛しているのは米山だけ。過去にしがみついているだけの男には興味がないわ。」

 「平行線か・・・?」

 「平行線ね・・・」

 「だろうな・・・分かった・・・幸せに暮らしてくれや。」

昌弘は、そう言うと、残ったグラスの水割りを一気に飲み歩し、リビングを出て、そのまま家を出た。

 「すまねえな。健介。お前の姉ちゃん。俺の手の届かないところに行っちまった。」

昌弘は、涙ながらにそう呟いて、自分のスマートフォンを取り出し、ボタンを押した。

「俺だ。藤野だ・・・始めてくれ。」

と、はっきりとした口調で言った。 


        34―2 

 昌弘からの連絡を受けた岩城は、

「行くぞ。」

と、一緒に連れて来ていた部下達と共に大博市の杉田邸に向かって行った。そして、インターホンを押し、

「東京地検特捜部の者ですが。」

と、大声で言った。

 邸のオートロックが解除された途端、押し寄せる波の様に、捜査員達が一斉に中に入って行った。勿論、お手伝いさんや、所謂杉田派と呼ばれる数人の男たちを押しのけて。

 邸の居間でテレビを見ていた杉田親子は、驚き、動揺した。

 「何用かね?」

源九郎は、そう言うのが、精一杯だった。

 「あなたの長男さんの「戦艦贈収賄事件」とそしてこっちが重要なんですがね、戸上町の選挙違反。「買収」の容疑ですよ。」

岩城が、令状を見せながら、言った。

 「ばっ馬鹿な・・・たかだかあんな小さい町の選挙違反事件に東京の地検の特捜部が動くなんて・・・」

 「ここの県警や地検じゃすぐにあなた達に潰されるでしょう?それを防ぐ為と。それだけたくさんこの町の選挙に違反があると言う事ですよ。」

岩城が、苦笑気味に言った。

 源九郎は、信じられないと言う様な表情をした。

 息子・杉田は、もはや顔面蒼白だった。

 「お父さんも含めて、ご家族全員叩いたら色々出てきますよね・・・取り敢えず捜査本部のある所まで御同行下さい。一応は任意ですけど・・・」

岩城は、言った。

 「儂を誰だと思っておるのじゃ。この福川県にはなくてはならない存在だぞ。そんな男を理由も解らない罪で縛につけと言うのか?貴様達は・・・」

源九郎の最後の抵抗である。

 「解かってますよ。あなたの事は。だからたくさんの罪が出てきたんでしょうが!!!」

岩城が、一喝した。

 「”亡霊だ”・・・”一三年前の亡霊”の仕業だ!!!」

息子・杉田が喚きちらした。周囲から見ると「おかしくなった」ように見えた。

「その”亡霊”さんについても色々聞きますよ。」

岩城がはっきりとした口調で、言った。

二人とも、もう何も言えずにただただ落胆した。

 数名の部下と共に岩城は、杉田親子を連れて家を出た。

 一緒に着いて来ていた吉岡が、杉田親子の写真を撮りまくっていた。

 「まだ任意の段階だ。写真はまだ待て。」

岩城が制した。

 「解かった。」

吉岡もあっさり同意した。

 「その代り、逮捕の場合は頼むぞ。」

 「解かった。」

残りの部下達は、杉田邸の家宅捜査を行っていた。


     34―3

 同じく大博市。

 別班が、岩城邸と同じ手順で、米山邸を訪問した。

 「地検の特捜部が、何の為に・・・」

順子が、そう怒鳴った。

 「ここの県警や地検はダメって事ですよ。」

リーダー格の検事が苦笑交じりに言った。

「貴女も分かっているはずだ。」

とも言った。

 「あっあの男だ・・・あの男が・・・一三年前の”亡霊”が・・・”亡霊が”・・・」

米山は、完全に自分を見失っていた。

 「ここからは、何も出てこないわよ。」

順子が、はっきりとした口調で言った。

 「高木さん。ありました。」

部下の検事がリーダー格の検事イコール高木に言った。

 「藤野昌弘さんの戸籍を不正に戸上町に移したでしょう?その戸籍謄本のコピーが出てきましたよ。」

高木が、コピーを順子に見せながら言った。

 順子は、顔を背けた。

 「色々言いたい事があるようですけど、戸上の選挙についてとにかく話を聞かせてもらいますよ。」

 米山母子は、半ばあきらめた表情で、高木と数人の部下とともにマンションを出た。

 残りの部下達は、部屋内を調べまわった。


      34―4

 福川県。福川市。

 県庁舎。四階。県知事室。

 こちらもリーダー格の検事が、

「東京地検特捜部の者ですがね。神崎知事。戸上町の選挙について色々とお話を伺いたい事がありましてね。御同行願えませんか。」

と、大声で言った。

 「しっ知らんよ・・・なぜ私が・・・」

神崎は明らかに狼狽していた。

 「米山さんはもうすぐオチますよ。」

リーダー格の検事が、微笑み交じりに言った。

 「ほっ本当に知らんのだ。私はその米山とか言う連中の事も・・・」

 「連中?おかしいですね。私は、米山さんと一人のつもりでお話したのですが、あなたは連中と仰った。どう説明されるおつもりですか?知事。」

 「くっ・・・」

神崎は両腕を執務机の上に置いた。

 「御同行願いますよ。神崎知事。」

リーダー格の検事と一人の部下が、神崎を庁舎外に連れ出した。

 残りの部下達は、知事室の捜査に当った。


        34―5

 このような東京地検特捜部の捜査が、福川県中のあらゆる場所で行われた。捜査資料の運び出しも行われた。当然の如く、関係者の事情聴取も行われた。


        34―6

 戸上町。

 とある一軒家。

 昌弘と沙織が会っていた家である。

 そこにも女性三人の特捜部員が来た。

 「・・・」

沙織は、無言であった。

 「米山沙織さん。御同行願えますね?」

一人の女性検事が、言った。

 「これ全部。あの男が仕組んでやった事でしょう?」

沙織は、静かな口調で、そう言った。

 女性検事達は、答えない。

 沙織は、何事もなかったかのように、三人に着いて行った。ただ、目の奥はぎらぎらと光っていた。


       35

 戸上町の一斉捜査の日から三日後。

 戸上駅のホーム。

 昌弘は、吉岡に礼を言った。

「世話になったな。ありがとう。」

 「水臭いよ。大学時代の借りはちゃんと返したつもりだ。」

 「十分だよ。いやっ。十分過ぎるぐらいだよ。ありがとう。」

 「よせよ。しかし、これでこの町はどうなるかね?」

 「解からんさ。そして、俺はこの町を捨てた人間だ。興味もねえ。」

 「本心か?」

 「どうだかな。」

 「結局。お前は、嘘のつけない人間なんだよ。どこかでこの町の事。心配している。」

 「かもな・・・この町には親父とお袋の墓があり、親友の墓もある。興味ねえなんて言ったのは、嘘かもしれないな。」

 「だろうな・・・じゃあな。藤野。また会おうや。今度は良い事で。岩城と三人で。」

 「解かったよ。吉岡。今回の事では本当に世話になった。ありがとう。じゃあ。また。」

昌弘は、深々と頭を下げ、吉岡を見送った。

 吉岡が、昌弘に頭を下げ、振り返った瞬間、ドキッとした。自分の前に全身を「怒り」で震わせた沙織が立っていた。

 「ふっ藤野・・・」

吉岡が、咄嗟のあまり昌弘の前に立ちはだかった。自分が盾になるつもりでいた。

 昌弘は、吉岡を軽く制し、彼の前に立った。

 「藤野・・・!!!」

驚く吉岡。

 昌弘は小声で、吉岡に言った。

「大丈夫だ。」

そして、沙織に向かって、

「処分保留につき、取り敢えず釈放・・・そんな身で吉岡刺しゃ間違いなく塀の中だ。俺を刺しても同じ事だがな。」

と、苦笑交じりに言った。

 「そっそれでもいい・・・つっ罪を全部庇ってくれたあの人の為にも・・・」

沙織が、絞り出す様な声で、言った。

 「そんなに大事かね?米山が。」

 「貴方には、解からないわ。」

 「解かりたくもねえよ。」

 「どこまでいっても平行線ね。」

沙織が、涙交じりに言った。

 「刺せよ。お前に刺されて死ねるなら本望だ。」

 「ふっ藤野・・・お前・・・」

 「いいんだ。吉岡・・・最初は恋人同士だったんだから。愛した女に刺されるんなら文句は言えねえ。これで、健介の下に行けるっ訳だ・・・さあっ。どうした。沙織。さっきの「怒り」で俺をもう一回刺せよ。」

 「けっ健介・・・」

そう言うと、沙織が、持っていたナイフを捨て、その場に膝から崩れ落ちた。

 昌弘は、沙織の方に近づき、ナイフを蹴り飛ばした。

「健介の事考えたら、こんな事出来まい。健介はお前の大事な弟だ。それも義理のな。健介もお前を好きだった。だから、身体張ってお前を守ろうとしたんだ。あいつらから・・・だからいい加減眼覚ませや。沙織。俺の事恨むんだったら恨んでいい。だがな。健介の事だけは、忘れないでくれや・・・」

昌弘は、優しく沙織に、語りかけた。

 沙織が両手で顔を覆い隠して、嗚咽した。

 その時、昌弘は腰の当りに強い衝撃をうけた。見るとナイフを持った男が、昌弘に突進してきたのだ。

 「ふっ藤野・・・」

吉岡が叫んだ。

 「わっ忘れていたよ・・・かっ完全に・・・一三年前の”原因”のことをよ。」

昌弘が、苦しそうな声で、言った。

 男は、ナイフを昌弘の腰に刺したまま、手を離し、昌弘と距離を取った。

 「相葉だったよな・・・たっ確か名前・・・」

昌弘が、言った。

 「そうだ。相葉だよ。確かに俺は一三年前の”原因”かもしれねえ。しかし、杉田も米山も結論が出た後も優しく接してくれたぜ。それを今になって、蒸し返しやがって、俺の恩人でもある二人を塀の中に入れようとしやがって・・・」

相葉の怒声が駅のホームに響いた。

 「フン。忘れてたんだから、そのまま忘れさせてくれれば良かったのによ。」

昌弘は、ゆっくりと立ち上がって、上着を脱いだ。

驚く相葉。

驚いたがすぐに笑顔になった吉岡。

 顔を出し、何があったか必死で、理解しようとしていた沙織。

 昌弘は、分厚い本を何冊も身体に巻きつけていた。

 「せっかく、彼女に買って貰った服に穴が開いちまったぜ。そんな事より、どうするんだ?二回目はないぜ。」

 「うるせえ。お前の知った事か・・・」

相葉が、そう言いながら、上着のポケットから二つ目のナイフを取り出した。

 「フン。いい加減諦めてくれや。お前の恩人だった奴らは、この町にとっては有害な人物だったんだよ。その事に早く気づけや。」

 「そんな風に彼らをしたのは、お前だろうが。藤野。」

 「何を言っても無駄か。」

昌弘は、苦笑交じりに言った。そして、

「岩城よ。この男。何とかしてくれ。」

と、大声で叫んだ。

 その時、相葉の背後に男が数人。ピタッと張り付き、相葉に向かって、

「殺人未遂の現行犯で逮捕する。」

 と、一人が言い、残りの男達が、相葉の両脇を抱えた。

「くっくそ・・・」

吠える相葉。

 昌弘は、ただただ苦笑交じりで、相葉が連行されて行くのを見た。

 吉岡が、相葉の写真を撮って行った。

 駅のホームには、昌弘と沙織の二人だけしか行かなかった。

 「昌弘は、一度深呼吸してから、

「沙織ちゃんよ・・・一三年前の件から今までただ一人だけ無傷の奴がいる。そう何の犠牲も払って無い奴が・・・そいつに今から制裁が下される・・・ようく見といてくれ。そいつの責任の取り方を・・・」

 「なっ何を言っているの・・・」

 「見てりゃ分かるよ・・・おーい。岩城。これで全部カタついた。早くおっぱじめてくれねえかな。お前にとっての最後の仕事をよ。」

昌弘が、叫んだ。

 「何を言っているんだ。藤野。意味が解らん。」

岩城が、いつの間にか、昌弘の数メートル前にいた。

 「フン。いくら小さな町とは言え、”公共の安全”だ。それを壊したらどうなるか解からん俺でもない。もう覚悟はできているんだ。とっととやってくれ。岩城さん。」

 「おっお前・・・どうしてそれを・・・」

 「さっきも言った通りだ。」

昌弘は、そう言って、笑った。

 「本当に覚悟はできているのか?」

 「くどいな。お前らしくもない。」

昌弘の覚悟は、本物だった。

 全てを悟った岩城は、何も言わずに、右腕を上げた。それと同時に銃声がして、昌弘の側頭部を貫いた。

 昌弘は、笑顔を沙織に見せて、倒れた。

 「きゃーあー。」

昌弘の血が飛び散った顔の沙織が、叫び、泣いた。

 「ふっ藤野・・・」

岩城には、それ以上の言葉が、出なかった。

 吉岡が驚いた表情で、昌弘の死体を見た。そして、

「いっ岩城・・・お前・・・」

と、言った。

 「言うな・・・それ以上は言うな・・・」

岩城は、涙声で、それだけ言った。

 その言葉で、全てを理解した吉岡。でも何も言えなかった。

 駅のホームには、沙織の泣き声だけが聞こえていた。

         

         36

 それから三ヶ月後。

 戸上町で、任期満了に伴う町長選挙が、行われ、米山沙織が、現職を破り見事当選した。


         37

 当選した沙織は、何の躊躇いもなく、「戸上高等学校」取り壊しの書類に判を押した。

 拍手する。議員や町の職員達。

 その三日後には、高校は沙織達が見守る中、業者によって取り壊されていった。



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