婚約がなかなか成立しません。私に何か原因があると思っていたら幼馴染の腹黒魔導師が縁談を潰していたようです。バレた途端、溺愛してきます。
「すまないのだが……、君との婚約話はなかったことにしてくれるかな?」
――まただ。
「……ですが、前回お会いしたときはとても前向きでいらっしゃいませんでしたか?」
「そうなのだが……」
今、私の目の前にいる子爵家の長男、トニー様は、紅茶を一口含んで唇を湿らせた後、気まずそうに視線を下げて金色の前髪を揺らしながら呟いた。
これで何度目だろう。私と婚約の話が出た貴族令息に振られるのは……。
「……あの、よろしければ理由をお伺いしても?」
どうせ今回も、もう無理なのだろう。だからいつものように、理由を尋ねてみる。
「ああ……君には私よりもっと素敵な人がいると思うよ。そう、運命の相手がね」
「はぁ、そうですか」
そしてやはり、いつもと同じ答えが返ってきたことに、私はうんざりしながら内心で息を吐いた。
今回のお相手も、別に好きな人ではなかったし、正直婚約が結ばれなくてどこかほっとしている自分がいる。
けれど、こう何度も何度もお断りされると、さすがに自信をなくすし不安になる。
もしかしたら私はこのまま一生誰にももらわれることなく、行き遅れてしまうのではないだろうか……。
*
「はぁ……」
今回も、父が探してきてくれたお見合い相手の貴族令息との二回目のお茶会で、振られてしまった。
トニー様とお別れをして、帰りの馬車の中で私は盛大な溜め息を吐き出した。
なんで? どうして?
トニー様だって、今までの人だって、初めて会ったときは好感触なのだ。けれど、皆いつも二回目に会うと気まずそうに私から目を逸らして「この話はなかったことに」と言うのだ。
一体、前回会った日から今日までの間に、何があったというのだ。
これだけお断りされるということは、私に何か問題があるのだろうか。
彼らは皆一様に「貴女には自分よりもっといい人がいる」と答えるけれど、それは体のいい断り方に決まっている。だってそんな人、私には未だに現れていないのだから。
私、顔もスタイルもそこまで悪くないわよね……?
確かに普段あまりお化粧やおしゃれに力を入れていないけど……。もっと頑張ったほうがいいのかしら。
シャンデール伯爵家の次女である私、アリナは、それなりに高位の家の娘だ。
だから婚約者なんてすぐに決まるのだろうと油断して、面倒なおしゃれからは逃げてきていた。
けれど、やっぱり見た目って大事なのかしら?
母譲りの金髪と碧眼。
元々の髪質のおかげか、ありがたいことにあまり念入りに手入れをしなくても纏まりがいいから、いつも梳かしてもらうだけの、同じ髪型。だけど、たまには結ったりしたほうがいいのかしら。
性格もそんなに悪くはない……はず。
……もしかして、自覚がないだけ? あ、まさか何か悪い噂でもあるのかな? 聞いたことないけど……。
でも、私には友人だってちゃんといる。彼女たちが私と嫌々付き合っているとは思えない。
「ああ……もう。またお父様を悲しませてしまうわ……」
十九歳になった私にまだ婚約者が決まっていないことに、父は焦り初めている。
この国での結婚適齢期は、女性は十八から二十一歳だからそんなに焦ることではないのだけど、良家の子息は早く婚約が決まってしまう。
それに、魔導師としてお城に仕えている仕事人間の私を、父は心配しているのだ。
放っておいたら、この娘はずっと結婚しないのではないかと。
確かに仕事は好き。だけど、さすがに行き遅れるのは嫌。
これ以上父に心配かけるわけにもいかないし、そろそろ私も本気で動かなければいけないのかもしれない。
「……来週末の夜会が勝負ね」
年に何度か王城で開かれる大きなパーティー。来週末に開かれるその会に招待されている私は、拳をぎゅっと握って「よしっ」と自分に気合いを入れた。
その夜会にはたくさんの貴族令息が集まるし、今までは父が相手を選んでいたから駄目だったのかもしれないのだ。
ごめんね、お父様。でもやっぱりこういうことって、本人同士のフィーリングが大事だと思うから。
自分でいい相手を見つけて、早く父に安心してもらおう。そう決心して、私は夜会に着ていくドレス選びや当日の髪型をどうするか、家に帰って侍女たちと相談した。
*
「今日こそは絶対いい相手を見つけてみせるわ……!」
「随分気合いが入っているのね」
そして迎えた夜会当日。今夜は魔法学園時代からの友人である、伯爵家の次女、リンダと一緒にこの会に参加している。
リンダにもまだ婚約者がいない。だけど、同じ魔導師団に所属している彼女は、まだまだ結婚に焦っていない。
リンダには兄と姉がいて、二人とも既に結婚して子供がいる。
そのためか、彼女の父は次女の結婚をそれほど急いではいないのだ。
私にも姉が一人いて、既に結婚しているのだけど……。
「今日こそは絶対に運命の相手と出会うのよ」
「運命の相手とか、アリナってそういうの信じてたっけ?」
いつもの数倍お化粧や髪のセットに力を入れて。ドレスだって勇気を出して流行りのデコルテが大きく開いたものを着てきた、気合いの入った私の言葉を聞いて、リンダはサラサラの茶色い長い髪を耳にかけながら小さく笑った。
「だって皆、口を揃えて私にはもっといい人がいるって言うから、きっといるんでしょう」
これまで私との縁談を断ってきた男たちに言われたそんな言葉を、本当は信じていない。だけど、前向きに捉えるために敢えて口にしてみた。
「そっか、また断られたんだったわね」
「そうなのよ……」
リンダとは一番仲がいいから、過去のことも知っている。婚約者が決まるかもしれないと話すたび、その話はなくなったと彼女に伝えてきたから、彼女はもうすっかり慣れてしまっているようだ。
「ねぇ、私のどこが駄目なんだと思う?」
だから一番の友人に、思い切ってそれを聞いてみた。
「私って、自分で思っているより性格が悪い? それとも何か悪い噂を聞いたことがある?」
「さぁ……そんな話聞いたことないけど……」
リンダは、思ったことをはっきり言ってくれる子だ。だから、彼女が私に気を使って黙っているとも思えなくて、ほっとするような、結局原因がわからなくて困ってしまうような、複雑な気分だ。
「っていうか、ずっと思ってたんだけど」
「なに? なにかあるなら教えて!」
「じゃなくて、ティル様は?」
「え?」
「ティル様とはどうなのよ?」
「ああ――」
ティル・グラナック。伯爵家の中でも、グラナック家はかなり力のある家で、彼はその家の嫡男だ。私たちと同級生で、私とは幼馴染。
「ティルはないわよ」
「どうしてよ? むしろ最有力候補だと思っていたけど。だってティル様が親しくお話しする女性はアリナくらいだし、婚約者だってまだいないはずでしょう?」
「そうだけど、私たちは幼馴染だから。姉弟みたいなものだから」
ティルの家系は代々強い魔力を持っていて、彼の父も祖父も皆優秀な魔導師だった。
もちろんティルもしっかりその力を引き継いでいて、若くして〝天才魔導師〟と言われている。
将来有望なティルは、女性からも非常に人気がある。
だけど、そんなティルのことを私は幼い頃から知っている。
子供の頃の彼は泣き虫で、よく私の後ろを追いかけてくる可愛い少年だった。
同い年ではあるけれど、誕生日はほぼ一年私のほうが早いから、私はずっとティルのことを弟のように思ってきたのだ。
泣き虫ティルのことは、私が守ってあげなければ。そう思ってきたのだ。
「姉弟ね……とてもそうは見えないけど」
「昔から私がお姉ちゃんなのよ」
「……いつまでもそう思っているのはアリナだけじゃない? ティル様は貴女のこと好きだったりして」
「まさか! ないない!」
リンダの言うように、彼と一番親しい女性は私だと思う。
でもそれは、幼い頃から気心が知れた仲だからだ。
今では立派な天才魔導師に育ったティルと一番親しいのが私であることは、確かに少しだけ優越感を覚えるけど、それとこれは別だ。
「――こんばんは」
リンダとそんな話をしていたら、女二人でいた私たちに一人の男性が声をかけてきた。
「こんばんは、タイロン様」
「美女が二人、こんなところでなんの話をしていたのかな?」
「他愛のないことですよ」
タイロン・ノードル様。侯爵家の次男で、同じ魔導師団のふたつ年上の先輩。燃えるような真っ赤な髪が今日も目立っている。
「せっかくのパーティーなのだから、もっと楽しまないとね。よかったら向こうで何か飲みながらゆっくり話さないか?」
タイロン様が私を見つめながらそう言った。
その言葉に、一瞬リンダと視線を合わせてアイコンタクトを取る。女同士にしかわからない、一瞬の会話だ。
タイロン様はとても優しい先輩。次男だけど侯爵家の生まれだし、確か将来は伯父様の伯爵位を継ぐことが決まっている。
彼となら、結婚相手としてこれ以上ないくらい望ましい。
別に好きというわけではないけれど、それを言うなら他に意中の相手がいるわけでもないし、タイロン様のことは人としては好き。
「ええ――」
だから、「行ってきなさい」と言うように小さく頷いたリンダに私も頷き返して、向こうからお誘いしてくれたことに内心でぐっと拳を握り、〝喜んで〟とお応えしようとしたときだった。
「アリナ」
特別大きな声というわけではないのに、スッと透き通るような声が私の耳に届いて、言葉を呑み込む。
「ティル様よ」
「まぁ、今日も素敵ね……」
幼い頃からずっと聞いていたその声の主に顔を向けると、先ほどリンダと話していた私の幼馴染、ティル・グラナックがこちらに向かってまっすぐ歩いてきているところだった。
「こんばんは、ティル様」
私のすぐ前までやって来たティルに、リンダが挨拶する。
「こんばんは、リンダさん。それから、タイロン先輩も」
にこりと浮かべたティルの笑顔は、完璧なまでに美しい。遠くから彼を見ているご令嬢たちから、感嘆の息がこぼれているのが聞こえる。
「はぁぁぁ、なんて素敵なのかしら……」
「本当に……。私もお話ししたいわぁ……」
「無理よ。話したければ貴女も魔導師団に入りなさい」
「それこそ無理だわ……」
耳につくそんな言葉などまるで聞こえていないような涼しい顔のティルは、銀色がかった白く輝く絹糸のような少し長めの髪を緩く後ろで束ね、宝石みたいな金色の瞳を持つ美男子だ。
後ろに向かって纏められた髪の間から覗いている耳には、金縁に青い宝石の耳飾りが輝いていて、彼の色気を際立たせている。
幼い頃はあんなに泣き虫で可愛かったのに、今は私より頭ひとつ分大きく成長してしまったし、性格だって……。
「アリナ、少しいいかな。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」
「手伝ってほしいこと?」
私を名指しして「一緒に来てくれ」と言うティルの言葉に、タイロン様が声を上げる。
「おいおい、先に声をかけたのは俺だぞ? ティル」
「ああ、すみません。でもこれは仕事なんですよ。フィラット殿下が庭の飾りを変更してほしいと言うので、アリナに手伝ってほしいんです」
ティルの説明を聞いて、タイロン様は「殿下の命なら仕方ないか……」と頷いた。
私としてもせっかくタイロン様に声をかけていただいたのに少しもったいない気がするけれど、殿下のご命令ならば仕方ない。
「すみません、それでは行って参りますね」
タイロン様に礼をして、ティルと共にその場を離れる。
「アリナ様、いいなぁ……」
「私もティル様と並んで歩きたい……」
ご令嬢たちから熱い視線を集めているティルをちらりと見上げるけど、やはり彼は涼しい顔でまっすぐ前を見ているだけ。
もしかして聞こえていないのではないかと思ってしまうけど、そんなことないのはよく知っている。
「――アリナさん?」
そんなティルと少し距離を置いて歩いていたら、誰かに声をかけられた。男性の声だ。
「あ――」
「やっぱり、アリナさんだ。いや、驚きましたよ。見違えるように美しくて」
立ち止まってそちらを振り向くと、つい先日私との縁談を断ったばかりのトニー様が立っていた。
「トニー様もいらしていたのですね」
「ああ、それより本当に驚いた。私と会うときはもっと控えめな格好ばかりだったから……貴女がこんなに美しいなんて」
「まぁ、ありがとうございます」
今更そんなに熱い視線を向けられても、貴方は私との縁談を断りましたよね?
それに、ドレスや化粧を変えただけで露骨に態度を変えてくるなんて……ふふ、正直な方ね。むかつく。
「貴女がこんなに美しい方だとわかっていたら私だって――」
「え?」
本当に、今更なにを言おうとしているのだろうか。
馴れ馴れしく私に手を伸してきたトニー様に、思わず顔をしかめて一歩身を引いてしまう。
「彼女に何かご用ですか?」
けれど、トニー様の手が私に届く前に、スッと前に出たティルが彼の手首を掴んでそれを阻止してくれた。
「あ……っ、ティル・グラナック……!」
「貴方は彼女との縁談を断ったのですよね?」
「……あ、ああ……そうだったな」
「では、もう用はありませんね? 僕たちは急いでいるので、失礼します」
「はあ、……」
貼り付けたような笑みでトニー様にそう言ったティルだけど、掴まれていた手首を離されたトニー様は、苦痛に表情を歪めてそこを押さえていた。
「行こう、アリナ」
「……ええ」
トニー様に礼をして、私は再びティルと共に歩き始める。
「……っ、待って!」
けれど、背中からトニー様に呼び止められた。
「あの……、やっぱり私と――」
何か躊躇いがちにそう声を発したトニー様だけど、立ち止まり振り返る私の隣で、ティルがその声に被せるように鋭い声を放った。
「今更どうかされましたか?」
「……っ」
私でもびくりと肩が揺れるほど尖った声に、ティルを見上げる。
彼が人前でこんな声を出すのはとても珍しい。
その顔は笑っているように見えるけど、声からティルが苛ついているのがわかる。
「……いえ」
「そうですか、それでは」
そんなティルに視線を向けて、トニー様は言葉を呑み込んで視線を下げた。
自分で私との婚約を断ったというのに、悔しそうに見えるのはなぜだろう。
再び歩き出したティルに続く私の背中にはいつまでもトニー様の視線を感じていたけれど、ティルがあまりに気にしていない様子だったので、私ももう振り返らずに続いた。
「ティル、トニー様と顔見知りなの?」
先ほどの、トニー様のティルを見たときの反応を思い出して問えば、ティルはちらりと一瞬だけ私に視線を落としてから表情を変えずに口を開いた。
「……さぁ? どうだったかな」
「私がトニー様と縁談の話が出て、断られたのも知っていたのね」
「まぁね」
「……」
ティルとトニー様は知り合いではなさそうだけど、トニー様はティルを見た時、焦ったような顔をしていた。
まぁ、ティルは有名だものね。トニー様が一方的に彼を知っていたのかもしれない。
その割には、やっぱり少し違和感のある反応のように思えたけど。
「それより、もっと寄ったほうがいい。アリナと婚約の話が上がった男は彼だけじゃないだろう?」
「……ええ、ありがとう」
少し強引にティルに手を取られて、そのまま彼の腕に掴まるよう運ばれる。
これではまるでティルにエスコートされているように見えてしまうかもしれないけど……今だけは、いっか。
「――庭の飾りを変更するって、どんなふうに?」
「ああ。庭に作った氷像あるだろ? あれを作り直してくれってさ」
「……ふぅん」
会場を出て二人になった途端、ティルの口調が変わる。
ティルは、確かにとても格好よくなった。
皆の前では愛想もいいし、いつもにこにこしていて感じがいい。
けれど私以外の女性とは親しく話さない。
一方的に囲まれているところは見たことがあるけれど、彼は爽やかな笑顔で女性たちをあしらってしまうのだ。それはもう、魔法のように。
「殿下も人使いが荒いよな。俺たちの魔力が無限にあると思ってるぞ、あれは」
「そんな言い方をしては駄目よ」
「いいだろ、どうせ誰も聞いてないし」
「私が聞いているわ」
「じゃあ、アリナが言わなきゃ大丈夫だな。俺と二人だけの秘密な?」
「……もう」
そう、私は彼の本性を知っている、ただ一人の女性なのだ。
「さっき貴方を見て顔を赤らめていたご令嬢たちが聞いたらさぞがっかりするでしょうね」
「別にいいけどな。がっかりしてくれても。まぁ、面倒だからこのままのほうがいいけど」
二人で王城の庭園の一角に来て、今日の夜会のためにティルが昨夜作った氷像を前にする。
彼は氷魔法が得意だ。
〝天才〟と言われているのは、その力の強さだけではなく、繊細でとても細かいところまで氷を操ることができるその技術面も大きく関係している。
得意とする分野の属性を操れる者はいるけど、ここまで繊細に扱える者はなかなかいないのだ。それも、この若さで。
「確かに、これも十分綺麗なのに、少しもったいないわよね」
「そうだろ? 昨日はあんなに喜んでくださっていたのにな。後でちゃんと時間外手当をもらわないと」
今年十八歳になるフィラット王子は、ティルのこの力をとても気に入っている。
それでよく、庭園に氷像を作らせるのだけど、気分がころころ変わる王子なので、昨日までは気に入っていたこの騎馬隊を表現したパワフルで力強い氷像を、夜会をイメージした可憐なものに変更してほしいと言ってきたそうだ。
「貴方も大変ね」
「まぁな。でも天才の俺にかかればこんなの楽勝だけど」
そう言いながら、ティルは氷像に手をかざした。
見事な氷の像たちが、みるみる姿を変えていく。
「……」
やはり、少しもったいない。いくらティルが天才魔導師でも、これだけの像を作るにはそれなりに魔力を消費するはずだ。
せっかく作ったのに、自らの手で消してしまうなんて……。
まぁ、殿下のご命令だから、私たちは従うしかないのだけど。
「――こんな感じでどうだ?」
「とても素敵だと思うわ。きっと殿下もお喜びになるでしょう」
「だな。じゃあ、あとは頼む」
「ええ」
ティルが作り直してくれた、夜会で踊る紳士淑女たちをイメージした美しい氷像に、私は彩りを加える。
色彩魔法が使える私は戦いには不向きだけど、こうした娯楽や装飾品などに彩りを加えるのが得意なのだ。
「……おお、さすがだな」
ティルが作ってくれた氷像に、命を吹き込むような気持ちで鮮やかな色味を加える。
月の光を受けて、氷像たちは一気に華やいだ。まるで本当に、生きて動き出しそうなほど……いや、正直本物の人間よりも幻想的で、美しくすらある。
「素晴らしい! まさに僕が求めていたのはこれだ!」
ちょうどそのとき、フィラット殿下の歓声が私たちの耳に届いた。
「さすがティル! 僕のイメージにぴったりだ!! 二人とも、ありがとう!」
振り返ると、声高にそう言ったフィラット殿下の後ろから、本日の招待客である貴族たちも顔を覗かせていた。
「おお……実に見事だ」
「ええ、本当に。とても素敵だわ」
「これはあの魔導師が作ったのか」
「ほら、グラナック家の」
「ああ、さすがだな」
そんな言葉が耳につき、私とティルは殿下に向かって身を低くし頭を下げた。
「あとでちゃんと褒美を取らすからな。お前たちも今夜の会を楽しむといい」
「は、ありがとうございます」
フィラット殿下は私たちに向けてそう言うと、自分の婚約者に「さぁ、おいで」と声をかけて手を取り、もっと近くで見ようと庭へ足を進めた。
「……俺たちは戻るか」
「そうね」
嬉しそうにしている殿下を視線で見送ると、ティルはぼそりと私に耳打ちした。
*
「はぁ、でも疲れたな。やっぱり戻るのは面倒だから、このまま帰ろうかな」
一応夜会の会場に足を進めていたけど、ティルは溜め息交じりにそう口にした。
「天才魔導師様はモテモテですものね」
「……面倒なだけだって、そんなの」
「もう、昔はあんなに可愛かったのに。そんなこと言って」
隣を歩きながらも、今はもう見上げなければ彼の顔を見ることができない。
昔は「アリナ、アリナ!」と可愛く私の名前を呼びながらてけてけと後ろをついてきていたのはティルのほうなのに。
今では足の長い彼とドレスを着て並んで歩くのは、一苦労だ。
「いつまでそんなこと言ってるつもりだよ」
「いつまでもよ。貴方はいつまでも私の可愛い弟なんだから」
だから、そのままでいてね。という言葉は心の中だけで呟いた。
いつまでもこのままということはあり得ないって、わかってる。
彼はとても優秀で、人気があって、伯爵家の嫡男だから。
きっとそのうち婚約者ができるだろうし、好きな人だってできる。
そしたらただの幼馴染である私なんてあっという間に彼の視界から消えるだろう。
人当たりがよく、腕のいい天才魔導師。でもその本性は面倒くさがり屋の腹黒魔導師。
昔は私のほうが背も高かったし、魔法も上手だった。
それが魔法学園に入学した頃から、いつの間にか身長も魔法の腕もティルに追い越されてしまった。
魔導師団に入るときも、ティルは首席の成績で入団し、ひとつ年下のフィラット殿下のお気に入りとなったのだ。
私だって、ティルほどではないけど、結構優秀なんだけどね。
「足下気をつけろよ」
「平気よ、これくらい」
ドレスのまま歩いている私に、ティルが歩く速度を落としてくれた。
「それにしても今日は随分気合いが入ってるんだな」
さりげなく手を差し出しながらそう言ったティルに、私は素直に掴まることにする。
「……まぁね。そろそろ本気で相手を決めないと、行き遅れて誰ももらってくれなくなってしまったら困るから」
過去のパーティーで、彼にエスコートされたこともあるけれど、あまり社交の場に参加しない彼とこうして手を取り合って歩くのなんて久しぶりで、本当は少しだけ緊張する。
まぁ、弟みたいなティルにドキドキなんてしないけど!
「もしそうなったら俺がもらってやるよ」
「はいはい、同情はいりませんよ」
「同情じゃないんだけど……」
「貴方こそ、いい加減婚約者を決めたほうがいいんじゃない?」
「……決めるよ。そろそろ本気で」
「……ふぅん」
からかうつもりで言ったのに、ティルからは意外な言葉が返ってきて、ちくりと胸が痛む。
あれ? 私どうして悲しいの……?
きっと可愛い弟がいなくなってしまうみたいで、それが寂しいのね。いつかはそうなるってわかっているけれど。
「貴方が本気になったら、きっとすぐ相手が決まるのでしょうね」
「……そう思うか?」
「ええ、だってティルって凄い魔導師だもの。天才って言われているけど、それはちゃんと努力してきた結果だし、人気があるのも顔がいいからというだけではないのも知っているわ」
「……まぁな。よくわかってるじゃん」
「ふふ」
否定して謙遜したりしないところが、ティルらしい。でもそれも、きっと私の前だからだ。他の人が相手なら、ティルだって謙遜して見せるのだろう。
「でもそれをわかってくれているのは、アリナだけだぞ」
「そんなことないわよ。見てくれている人はちゃんと見ているわ」
確かに、彼の本当の性格を知っているのは私だけかもしれないけれど、彼がなんの努力もせずに〝天才〟と呼ばれるようになったわけではないことを知っているのは、きっと私だけではない。
「……なぁ、やっぱり今日はもう帰ろうぜ。よかったら送っていくし」
会場の入り口近くまで戻って来たというのに、ティルは足を止めてもう一度そう言った。
「駄目よ。今の話聞いてた? 今夜は本気で相手を見つけに来たんだから」
「……探したってどうせ意味ないのに」
「……え?」
「なんでもない」
なによ、それ。どういう意味?
独り言のようにティルが呟いた言葉は、ちゃんと私の耳に届いていた。
「どうせまた断られるって言いたいの? もう、酷いわね!」
「違う。そうじゃなくて、俺が――」
「アリナちゃん!」
ティルが何か言いかけたけど、それを遮るように会場の入り口のほうから名前を呼ばれた。タイロン様だ。
「お疲れ様。庭の飾りの変更は終わった?」
「はい。フィラット殿下にとても喜んでいただけました」
それを見て、ティルはぐっと唇を噛んだ。
何を言おうとしたのか聞き直そうかとも思ったけれど、タイロン様の前では話したくないのではないかと思い、ティルを気にしつつも今はタイロン様のお話を聞いた。
「それはよかった。さすがアリナちゃんだね。俺もぜひ見たいな」
「いえ、私はいつものように色を付けただけです」
それにしても、まさかタイロン様は私を待ってくれていたのだろうか?
「よかったら、俺と一緒に見に行ってくれないかな? たった今戻ってきたところなのに、悪いけど」
「え――」
タイロン様のお誘いに驚きつつも、「もちろんです」と答えようとした私の言葉は、隣にいたティルの「あー」という不自然に大きな声に呑み込まれた。
「すみません、先輩。僕たちは疲れてしまったので、今日はもう帰ろうかと話していたところなんですよ」
「ちょ……」
そんなこと、私は言ってないんですけど!?
いつもの人当たりのいい笑顔でさらりとそんな嘘を口にするティルを、キッと睨み上げる。
「そういうわけなんで、今日はお先に失礼しますね」
「ちょっと……、待って、ティル……!」
私の視線に気づいていないのか、手を強く握られて(いや、気づいていて無視している可能性が高いけど)、強引に歩き出してしまうティルに、慌てて声をかける。
ティルは面倒なのかもしれないけど、私は本気で相手を探したいの――!
「待てよ」
けれどティルの歩みを止めたのは、私の言葉ではなく、タイロン様の低い声だった。
「知っているぞ? お前がアリナちゃんに何をしているのか」
「え?」
無言でピクリと肩を揺らして立ち止まり、タイロン様を振り返るティルの顔からいつもの笑顔が消える。
「お前が彼女の婚約が結ばれないよう、裏で手を引いていたんだってな」
「…………はい?」
なにそれ。どういうこと?
タイロン様の言葉に思い切り顔をしかめて、ティルを見上げる。
「だが、悪いが俺は本気だ。他の奴らのように、お前の願いを叶えてやることはできない」
「……」
何の反論もしないティルと、耳を疑うようなことを言ったタイロン様の顔とを交互に見やる。
今の言葉はどういう意味?
混乱する頭を抱えながらも、私はなんとか状況を理解しようとタイロン様に向かって口を開いた。
「ちょっと、待ってください……。それって、どういう意味ですか?」
「こいつは君と婚約の話が出た相手に、片っ端から当たってその縁談を潰していたんだ」
「……えっ?」
私の質問に間髪入れずに答えてくれたタイロン様だけど、彼は何を言っているのだろう。
ティルが私の縁談を潰していた? なんで?
意味がわからない。どうしてそんなことをする必要があるのだろうか。嫌がらせ?
私って、実はティルに嫌われていたの?
「……ティル、本当なの?」
先ほどから黙っているティルを見上げて問いかける。
繋がった手に、彼の汗を感じた。
「あーあ。ばれちゃった。先輩も酷いですね。いきなりアリナの前でそんなこと言っちゃうなんて」
「……ティル?」
パッと私から手を離したティルが、息を吐きながら開き直るように笑った。
もう、わけがわからない。
でも、だからさっきトニー様はティルを見た時「まずい」って顔をしていたのかしら。二人はやっぱり顔見知りだったのね。
「言っただろう? 俺も本気だからな。これ以上お前に、俺とアリナちゃんとの仲を邪魔されたくはないんでね」
「……タイロン様」
そうだ、それ。それも、どういうこと? タイロン様って、私のことが好きなの? え? 初耳なんですけど……。
「だが何度婚約を申し込む手紙を書いても一向に返事が来ないし、アリナちゃんもなんの反応も示さないから、おかしいと思って調べさせた。それでわかったよ。ティルが邪魔をしていたんだってな」
「さぁ? どうだったかな」
「惚けるなよ、天才魔導師」
鋭い視線を交える二人の顔を、私は再び交互に見つめる。
え? え? タイロン様が、私に婚約を申し込む手紙を書いてくれていたの?
それをティルが、魔法で遮っていたってこと?
いやいやいや、さすがにそんなこと……え、本当に?
「君に持ち上がる縁談はすべてお父上が持ってきたものだっただろう?」
「はい……」
「やはり。さすがにお父上にまでは手を出さなかったようだが、その代わりに縁談相手の男に何かしたのだろう」
……そんな、まさか。でもどうして……。
思考が追い付かない。整理できない。でもまずは、タイロン様に謝らなければ……!
「タイロン様、申し訳ございませんでした。知らなかったとはいえ、ずっと手紙を無視していただなんて……」
「君が謝る必要はないよ。彼が仕組んでいたことなのだから」
タイロン様は私に優しく微笑みを向けた後、もう一度ティルを鋭く睨んだ。
本当に、どうしてそんなことをしたのだろうか。理由を聞かせてほしい。
「ティル、どうしてそんなことしたの?」
タイロン様と私の真剣な眼差しに、ティルはしばし黙り込んだ後、はぁ……と息を吐いてその形のいい唇を開いた。
「そんなの、アリナが婚約するのが嫌だったからに決まってるだろ」
「…………え?」
その返答によっては、彼とのこれまでの関係がすべて崩れ去ると思って手に汗を握っていた私に、ティルは想像もしていなかった言葉を口にした。
「それ以外にあるかよ。好きな女が他の男と婚約するのを、黙って見ていられるか」
「……好きな、女……?」
はい? 誰が、誰を好きだって?
まるで子供が駄々をこねているような口調に、やっぱり私は混乱する。
ティルってもう大人よね……? あれ? 本当に私の弟なんだっけ……?
「そうだよ。俺はずっとアリナのことが好きだったんだ。アリナは俺のことをただの幼馴染……いや、弟としてしか見てなかったようだけどな」
「…………ええええええっ!!?」
「なんとか振り向かせてから婚約を申し込もうと思っていたのに……全っ然俺のこと男として見てくれないのな。アリナのために身体も鍛えたし、魔法の勉強も頑張ったのに」
「な、な……」
なんで? いつから? 私のために頑張った? 嘘でしょう!?
そんな言葉は口から出てこない。驚きすぎると、人は何も言えなくなってしまうらしい。
「でもばれたし、もういいや。俺のこと男として見てくれないなら、これからは多少強引にいくから」
「……っ」
本性を吐露したティルの開き直った態度に、タイロン様は苦笑いを浮かべている。
それはそうだろう。いつものいい子で優等生なティルとは違いすぎるのだから。これを初めて見たらそりゃあそういう反応になる。どん引きよ、どん引き!!
「……しかし、俺も譲る気はないぞ」
それでも食い下がるタイロン様に、ティルは言った。
「タイロン先輩。俺と勝負しましょうよ。アリナに求婚する権利をかけて」
「……いいだろう」
ちょっと待って、もう、どうなってるの……!
私はついていけない。頭の整理が追い付いていない……!
「では日にちは一週間後。場所は魔導師団の訓練場でいいな?」
「いいですよ」
それなのに私を置いて、二人は本当に決闘の約束をしてしまった。
「ちょっと待って!!」
頭が痛いけど、もう限界。
とにかく、一回確認させてほしい。
「タイロン様、本気ですか? その……、私に婚約を申し込みたいというお気持ちは……」
「ああ、本気だよ。ぜひ今まで書いた手紙を読んでほしいが……今、口で伝えよう。俺は君のことが好きだ。どうか俺と結婚してほしい」
……まさか、本当に……。
予期せぬ突然の求婚に、私はくらりと目眩を感じた。
ああ、どうしよう。とてもありがたいお話だけど……。
痛いくらいに感じている視線に、ティルのほうに顔を向けると、やはり彼は怖い顔をしてこちらを睨んでいた。
「ずるいですよ、先輩。まだ勝負の前なのに」
「ああ、すまない。返事を聞くのはこいつとの勝負に勝ったときにしよう」
「……わ、わかりました」
なんとかそれだけ返事をすると、タイロン様はとても紳士的に「それでは」と言って礼をして、それ以上食い下がることなく身を引いた。
なんというか……とても大人の魅力を感じる。駄々をこねていたティルとは大違いだ。さすが、侯爵家のご子息というか……年上というか……。
「キザな奴だな」
けれど、そんなタイロン様の背中を見送っていると、斜め上からぼそりと悪意にまみれたティルの声が降ってきた。
「ちょっと……! 来て!!」
今日はもう、本当に疲れてしまった。
どっちみち、今から新しくお相手なんて探せるはずもないし、今日はティルが言っていた通り、帰ろう。もちろん自分ちの馬車でね!!
そう思って彼を停車場の近くまで連れていく。
「なんだなんだ、急に積極的だな」
「ふざけないで! 一体どういうことなの!?」
そして辺りに人がいないのを確認してから改めてそう問えば、今度はすっかり開き直った態度で堂々と「さっき言った通りだけど?」と返された。
「タイロン様の手紙を届かないようにしてたって……酷いじゃない!」
「別に破棄したわけじゃないぞ。少し届くのを遅らせているだけで、俺との婚約が成立したら届くようにしてある」
「それじゃあ遅いでしょう!」
「……遅いってことは、アリナはタイロン先輩のことが好きなのか?」
「え……っ」
好きかと聞かれると……どうなんだろ。いい人だとは思うし、結婚相手としてなんの不満もないけど……でも、男性として好きかと聞かれると、違う気がする。
「そういうわけじゃないけど……」
「俺は、ただアリナの邪魔をしていただけだったんだな……。アリナは早く結婚したいと思っていたのに……俺が邪魔したせいで」
うるうると、急にか弱い子供のように瞳を震わせるティルに、思わず胸がぎゅっと締めつけられる。
私は昔から、ティルのこういう表情に弱い。
「別に、早く結婚したかったわけではないのよ?」
「でも、手紙を読んでいたらタイロン先輩と婚約していたのか?」
「それは……」
わからない。相手がタイロン様なら、私はその話を受けていたかもしれない。いや、きっとそうしていた。父を喜ばせるためにも……。
だけど、ティルがあまりにも悲しそうな目で私を見るから、間違ってもそんなこと言えない。
「タイロン様のことは、好きというわけではないから!」
うるうると可愛く瞳を潤ませるティルに、私はその気持ちだけははっきり伝えた。これは嘘じゃない。
「だよな」
「え?」
けれど、タイロン様への気持ちを否定した途端、ティルはころっと態度を変えた。
「それに他の奴らだって、魔法なんか使わなくても案外あっさり身を引いたぞ」
「……え?」
先ほどまでの潤んだ瞳を、今はキリッとつり上げて、ティルは一歩私に歩み寄ると不適に笑った。
「アリナのことを好きかって聞いたんだ。この天才魔導師の俺よりも、自分のほうがアリナを幸せにできると思うかと聞いたら、皆簡単に身を引いた」
……そんな。他の人たちには、そんなことを聞いて回っていたの?
タイロン様だけは、きっと直接聞いても身を引かなかったのだろうけど……。
「……っどちらにしても、貴方が決めることじゃないわ! それに、そんなに私のことが好きだったのなら……正々堂々そう言ってくれたらよかったのに……!」
自分で言いながら、ドキドキと胸が大きく脈打つ。ティルのことだから、「あんなの嘘に決まってるだろ?」と言われる可能性もまだゼロじゃない。
「言ったら俺と婚約してくれた?」
「え……」
だけど、ティルの声音が変わった。
「好きだと伝えていたら、もっと早く俺のことを男として見てくれていたのか?」
「……っ」
言いながら、とても真剣な表情で一歩、また一歩私に歩み寄ってくるティル。
「ち、近い……!!」
目の前まで迫ってきていたティルと、距離を保つように手を前に出してその身体を押し戻す。
「ほら。そうやってアリナはすぐ逃げる。俺が気持ちを伝えようとしても、冗談で済ませようとするだろ」
「……」
そうだっけ? でも、だってまさか、ティルが私のことをそんなふうに見ているなんて、思ってもいなかったから……。
……なんて、こんなのは言い訳だ。
確かに私はティルのことを男性として意識しないようにしていた。
だってどんどん男らしく成長していくティルが、女の子たちからモテ始めたティルが、いつか私の元からいなくなってしまうのが怖かったから。
私は、ティルのことを好きにならないように、意識していたんだ。
「アリナの一番近くにいるのはいつも俺だ。これからもそうしたいんだけど、俺じゃ駄目?」
「……だから、近すぎる……!」
彼を押している手首を掴まれて、簡単に距離が縮む。
なんとなく、今度は彼を拒むことができなくて、ふと顔を逸らした。
だって顔を上げたらすぐにでも唇が触れあってしまいそうな距離にティルの顔があって、私の心臓は壊れてしまいそうなほど高く脈打っている。
こんな状況で、冷静な判断なんてできるはずない……!!
「アリナを一番幸せにできるのは俺だよ。絶対、誰よりも大切にする」
「……っ」
お願いだから、待ってほしい。
ティルの口からそんな言葉を聞く日が来るなんて……。
これ、夢じゃないよね?
頭の中がパニックになって何も答えられない私に、ティルは短く息を吐いた。
「……とにかく、一週間後の決闘で必ず勝つから。それまで誰のものにもならないでね?」
「……わかったから、離れて……」
なんとかその言葉を絞り出して、彼の身体をもう一度ぐいっと押し返す。
ティルは不満そうに眉根を寄せていたけれど、もうそれ以上彼の顔は見ることができなくて、私は赤くなっているだろう顔を伏せたまま、自分の馬車へと駆け込んだ。
*
それから一週間後――約束の日は訪れた。
魔導師団の訓練場を借りて、炎魔法を得意とするタイロン様と、氷魔法が得意なティルとの魔法の対決が行われることになった。
名目は訓練の一環としての、ただの練習試合。
けれど、話題の天才魔導師と、同じく将来有望な炎の魔導師によるこの対決を、どこからか聞きつけた魔導師や騎士たちギャラリーにより、周囲はどんどん賑わっていく。
氷対炎。どちらが優位なのか、皆興味があるのだ。
けれど、これはきっと魔力の強さと技術力が勝敗を握っている。それでも、タイロン様のほうがあきらかに実戦経験が豊富であることは間違いない。
いくらティルが天才と言われていても、まだ二年目の新米なのだ。タイロン様はティルより実務経験が二年多い。その差は、大きい。
「ではいくぞ」
タイロン様はいきなり仕掛けていった。
手の中から炎の球を生み出し、ティル目掛けて放つ。
「くっ」
ティルはなんとかそれを避けているけれど、当たれば大火傷は必須。
万が一のことを考えて、私は回復薬と傷薬を持ってきた。
でも、できれば二人とも怪我なんてしてほしくない。
とてもいい訓練にはなるだろうけど……本気で相手を傷つけようとはしないでほしい。
「どうした、ティル!! 逃げているだけでは今までと変わらないぞ! これからは攻めるのだろう!?」
「言われなくても、わかってますよ……!」
なんの話をしているのか一瞬考えてしまったけど、そんな暇はない。
ティルもやり返そうとタイロン様に手をかざすけど、なんとも頼りない弱々しい氷の結晶を少し出すだけで、それよりも攻撃を躱すことに必死で、応戦できていない。
きっとタイロン様は本気で攻撃を当てる気はないのだろうけど、このままではティルに勝ち目がない。
「俺に勝とうなど、まだまだ早い!!」
「……っ!」
そう叫んだタイロン様の手から放たれた炎が大きく燃え上がり、ティルの逃げ場を塞ぐ。
「もらった!!」
「――ティル! 負けないで!!」
追い詰められたティルに、タイロン様が迫った瞬間、気がついたら私は手のひらをぎゅっと強く握り締め、そう叫んでいた。
自然に、ティルを応援する言葉が口から出ていたのだ。
「――終わりですよ」
「!?」
そして、その言葉を待っていたかのようにティルの口元が一瞬持ち上がったのを見た瞬間、彼は素早くタイロン様の後ろに回り込み、その足下に手をかざした。
「な……っ!?」
途端、タイロン様の膝から下にビキビキ――と音を立てて氷が張り巡らされ、彼の動きを拘束した。
バランスを崩したタイロン様が地面に手を突いて倒れたと思ったら、今度は私の目では追えないほどの速さで彼の近くまで行き、ティルは「ドン」と呟いてタイロン様の背中に手を当てた。
「…………」
一瞬にして、辺りは静まり返る。
「――俺の勝ちでいいですよね?」
「……ああ、負けたよ」
まさか、タイロン様の背中に直接攻撃したのかと、一瞬ひやりとした。
けれど手を当てただけでさすがにそれ以上の攻撃が行われることはなかったことがわかると、タイロン様の降参の言葉を聞いて皆は一斉に息を吐いた。
「いや、凄かったよ」
「炎と氷か。二人とも本当に凄かったよな」
「ああ、いいものを見たぞ」
ティルには「おめでとう」の言葉が贈られ、タイロン様の健闘も皆は称えていた。
ティルがタイロン様を拘束していた氷を解除すると、タイロン様も炎の壁を一瞬にして消して見せた。
そして二人は称え合うように軽く抱き合った。
そんな彼らにゆっくり歩み寄ると、タイロン様と一瞬目が合った。
彼は何も言わずに口元に小さく笑みを浮かべると、私に軽く礼をして身を引くようにその場を離れていく。
「ティル……」
「勝ったぞ、アリナ」
「うん……おめでとう」
潔く去っていくその大きな背中を見送っていると、その視界を遮るようにティルが私の前に立つ。
「アリナが俺に負けるなって言ってくれたおかげで勝てた」
「まさか。貴方の実力でしょう?」
「いや? あの言葉でアリナが俺のことを好きだとわかったからな」
「え?」
「わざと負けたわけではないだろうけど、タイロン先輩だってそれが知りたかったんだろう。アリナがどっちに勝ってほしいと思っているのか。どちらと結婚したいと思っているのか」
「――そんな」
じゃあ、もしかしてティルはわざとピンチのふりをしたの? 私が彼を応援するように?
「酷い! 騙したわね!!」
「騙したって……じゃあ、俺に負けてほしかったのか? やっぱり、タイロン先輩と結婚したいのか?」
「それは……っ」
ずるい。そんな聞き方。
「……本当に心配したんだからね」
「ごめんごめん。でも――」
怒って身を乗り出している私の肩を、ティルがぐいっと引き寄せる。
「もう二度と離さないから」
「ティル……」
「俺と結婚してくれる?」
「……うん」
すっかり大きく、男らしくなってしまったティルの胸の中は、とてもあたたかくて落ち着く。
「……ティル、すっごくドキドキしてる」
「当たり前だろ? ずっと好きだったんだから。アリナのこと。少しは信じてくれた?」
強く抱きしめられて耳元で囁かれた言葉はとても熱を孕んでいて、彼が今、本当に嬉しいのだということが伝わってきた。
「アリナももっと俺のこと男として意識しろよ」
「……してるよ。だから一生懸命ティルのこと、弟だって自分に言い聞かせていたんだもの」
「……え? そうなのか?」
「うん……」
白状すれば、ティルは私の肩を掴んで少し距離を取り、じっと顔を見つめてきた。
その金色に輝く瞳を見つめ返すと、私が嘘を言っていないことを悟ったらしいティルの頰がほんのりと赤く染まっていく。
「それじゃあ俺たち、両思いだったってこと?」
「……そうみたいね」
こくりと頷いた私に、ティルは「なんだ……だったらさっさと言えばよかった」と呟きながら、もう一度私の身体をぎゅっと抱きしめた。
これからは自分の気持ちに正直になっていいのだと思うと、私もすごく嬉しい。
だから素直に彼の背中に手を回すと、「そういえばタイロン先輩の手紙……」とティルが呟いたので、ふと顔を持ち上げた。
「……――っ」
「――は、また今度渡すから」
「ティル……」
にこりと微笑んだ可愛らしいティルの笑顔が目の前にある。
顔を上げた私の唇に、ティルは不意打ちでちゅっと軽いキスをした。
周りにはまだ魔導師の仲間や騎士の方たちだっているのに……この腹黒魔導師……!!
「ごちそうさま。おかわりはまた今度にしておく」
「……もう!」
にこにこと笑っているティルの頭から、悪魔の触覚が見えたような気がした。
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作者、他にも騎士多めで恋愛メインの異世界恋愛を書いてるので、よろしければお時間のあるときに覗いてくださると嬉しいです(*´˘`*)