puzzle rooms ひろ
使用お題:「パズル」
靖士は打ち沈んだ気持ちで夜道を歩いていた。
原因はわかっている。前を歩く咲希だ。
咲希とは数年間付き合っている。今日も互いの休みをぬってデートに出かけた帰りだ。
ただ、ふたりの間に会話はない。靖士の心にはせっかくの休みを無駄に遣ったという思いしかなかった。
咲希のヒールの音がカツカツと響く。その音がより靖士を苛立たせた。
「あ」
前を行く咲希が久しぶりに声を発した。理由は靖士にもすぐにわかった。
大きな雨だれが顔に落ちてくる。あっという間に数を増し、本格的な雨の様相となった。
よりによって、こんな時に。
沈んだ気持ちに拍車をかけるように雨は強さを増す。
傘は持っていない。慌てて周囲を見渡すと、先に見える公園に真四角な建物が見えた。
公衆トイレか何かだろうか。
とにかくここにいては雨に打たれるばかりだ。
「咲希、あそこ」
最低限の言葉で意図を伝える。
振り向いた咲希の表情はだったが、天候ばかりはどうしようもない。
靖士は建物へ向けて走る。あとを咲希のヒールの音が付いてくる。
建物には軒がない。なんの建物かはよくわからないが、雨を避けるにはひとまず中に入るしかない。
靖士は建物の赤いドアをひき、身を滑り込ませる。続けざまに咲希も建物へと駆け込んだ。
「さいっあく」
咲希が低い声でつぶやく。
ムッとなって言葉を返しそうになったが、ここでまたもめても仕方がないと思いとどまった。
建物は頑丈なつくりなのか、外の雨音は全く聞こえず静かなものである。
もちろん、ふたりの間に会話は生まれない。
靖士はすぐに居心地が悪くなって、スマホを取り出す。画面をタッチしSNSを開こうとしたが、読み込まれない。圏外のようだった。
建物の作りがしっかりしすぎて、電波を通さないのだろうか。
靖士は仕方なく、少しドアを開けようとノブに手をかけたのだが、
「あれ?」
先ほど入ってきたドアは押しても引いてもビクともしなかった。
ガチャガチャと金属音ばかりが静かな部屋に鳴る。
「もう、なんなの!」
後ろから咲希が苛立たしげな声をかける。
「ドアが開かないんだよ」
返す言葉の誤記が思わず強くなる。
ツカツカと歩いてきた咲希は同じようにノブを回す。しかし、結果は同じだった。
「ほらな」
「もうなんなのよ」
頭を苛立たしげに掻き、咲希はスマホを取り出す。
「は? 電波も通じないじゃない!」
靖士は言葉を返す余力もない。
咲希は部屋の隅に座り込む。
「閉じ込められたの? 何とかしてよ」
口を開くと恨み言を言いそうなので、靖士は黙って部屋を観察する。咲希に言われなくても、靖士もここから出られなくては困る。
開かないドアをもう一度観察すると、ドアの上部にプレートが貼ってあるのに気づいた。
『この状態になればここから出ることができます』
その下には、「ア」から「ン」までの50音を入力するタッチパネルがある。入力画面は5つに仕切られている。
パスワードか何かを入れたら開くシステムなのだろうか。なんにせよプレートの文章の意味がわからない。
頭をひねっていても仕方がない。靖士は部屋の内部をみる。
真四角の部屋だ。靖士たちが入ってきた開かないドアに対して真正面と左側に同様のドアがある。部屋の真ん中には銀色の台座。それ以外に装飾品などは何もないまっさらな部屋だった。
靖士は唯一の手がかりであろう、部屋の真ん中の台座へと近づく。
台座には入り口のドア同様に50音を入力するタッチパネルがある。こちらには大きな画面がひとつきり。
台座にはプレートが貼られていた。
『【タテ1】 ○○、乙、丙』
『【ヨコ1】 晴れた日に亀が行うこと』
「これは…」
思わず声を漏らした靖士に、壁際に座っていた咲希が反応する。
「何? 何かわかったの?」
「ちょっと来てみろよ」
咲希も来て台座を覗き込む。
「これってあれだよな」
「ほんと、なんなのよ!」
咲希もすぐに理解したようだ。
靖士は奥へ進む部屋の扉を開ける。そこには同様の銀色の台座。同じように入力画面と、別の指示内容が書かれたプレート。
元の部屋に戻り、台座のそばでへたり込んでいる咲希に告げる。
「どうやら俺たちは、このクロスワードパズルに閉じ込められたらしい。そして、これを解かないと出られないみたいだ」
数十分後、不機嫌な咲希と俺は建物の中を歩き回っていた。
鞄にペンと紙が入っていて助かった。部屋を開けては記録しながら進んでいく。
全体像はおおよそわかった。あとはこのパズルを解いていくだけだ。
スマホは圏外で使えない。己の知識を頼りにするしかない。
幸い、部屋を開けるたびに現れる質問はそれほど難しくはなかった。亡霊のように無言でついてくる咲希を無視して俺は解いては、パネルに入力していく。
順調かと思われた時、一つの質問が現れた。
『【ヨコ8】 ヤシ科に属する常緑の高木。果実はデーツ』
なんだこれは。靖士は頭を抱える。
「ナツメヤシでしょ」
「え?」
いつの間に隣に咲希が立っていた。
「だから、答え。ナツメヤシ」
確かにこのラインは5部屋が連なる5文字の単語だ。
「そっか。ありがとうな」
「別に、健康食品だから知ってただけ」
咲希はプイと立ち去る。
呆然と立ち尽くす靖士に咲希の声がかかる。
「次に行こ。早く出たいし」
その声には、当初の苛立ちはやや薄れていた。
その後、靖士と咲希は協力しながらパズルを解いていった。図ったかのように、靖士がわからない問題は咲希が、咲希がわからない問題は靖士がその回答を知っていた。
奇妙な問題もいくつかあった。
『【ヨコ4】 初めていったデートの場所』
「水族館のはずだよな? なのにこのパネルは別の回答で「エ」がすでに入っている」
「もう、忘れたの? 一番初めは映画館でしょ。ほら、あの有名なアニメ映画を一緒に見たじゃん」
『【タテ5】 靖士が初めてもらったクリスマスプレゼント』
「えっと、私なにあげたっけ?」
「マフラーだよ。俺、大学の間ずっと使ってたんだぜ」
いつの間にか、部屋を訪れた時の感情は綺麗に洗い流されていた。
手元にメモしたクロスワードパズルが埋まっていく。
入り口のドアの色は赤色。何部屋も巡る中で銀色の台座の他に、ドアと同色の赤い台座があるのは気づいていた。これが脱出の鍵に違いない。
部屋を巡りきり、最後の問いがふたりを出迎えた。
『【タテ9】 かけがえのないもの。○○○で過ごした思い出』
答えはすぐにわかった。
「「ふたり」」
靖士と咲希の声が重なる。
最後の答えを入力する。一番最後に開いた部屋が赤い台座だった。
最後の言葉は「リ」。これで全部の赤い台座の言葉が揃った。
急いで初めの部屋に戻る。
「これから赤い台座の言葉を並び替えないといけないんでしょ?」
咲希が心配そうに声をかける。
「大丈夫。もう出れるよ」
ドアに掲げられたプレートの文字を改めて読んでニヤリとする。
そうか。そういう意味だったのか。
靖士は手元の赤い台座の文字を並び替えて入力する。
ピッという電子音がかすかにした。ドアに手をかけて回すとすんなりと開いた。
ドアから明るい日差しが部屋に差し込んだ。
外はすでに夜が明け、早朝の澄んだ空気が漂っていた。
「あーあ。一体なんだったのよ」
咲希がぼやくが、どこか楽しそうな気配がにじんでいるのを靖士は聞き逃さなかった。
数年付き合っていたから、それくらいはわかる。
「とりあえず、うちのマンションに帰るか」
「そうねー」
朝日が照らす道を二人で歩く。
「そういえば、最後のパスワードってなんだったの?」
「後で教えてやるよ」
靖士は笑いながら答える。
『この状態になればここから出ることができます』
その問いに対して最後に入力した答え。
その言葉は、
『ナカナオリ』