5
*
寝殿造の面影を残す、神宿家の屋敷。
その離れで、壱希はひっそりと暮らしていた。
世話をする人間は最低限で、必要以上に会話もない。
望めば書物はいくらでも手に入ったし、社会情勢や規範、常識の類は教育されていたが、娯楽の類のメディアからは隔絶されていた。
そんな中親しくしていたのは、神宿家に仕える真守家の末子、樹だけだった。
その樹も仕事が入れば数日からひと月ほど不在にすることもままあったため、そんな時は屋敷の周りの自然が壱希を慰めた。
そして月に一度か二度の頻度で、壱希にも仕事があった。
「先見の神子様。どうかお力を貸してください」
先見ーーー未来を見る力。
壱希の能力のひとつ。
壱希の生家、神宿家は神がかった能力で古き時代から時の権力者に重用されてきた、神子の一族だった。
現代でも国内外から依頼が入るが、その存在を知るのは特別中の特別な者だけ。
仕事を受けるか受けないかは一族の長がすべて管理しているため、壱希はただ命じられるままその力を使っていた。
山吹学園の理事長、昴ともこの仕事を通じて知り合った。
昴は他の依頼者とは少し違い、壱希や樹の置かれている状況に疑問を感じ、心配してくれていた。
そして理事長に就任することが決まった時、神宿家の長に二人の学園編入を提案してくれたのだ。
成長と共に神子の力が大きく不安定になっていたタイミングだったこともあり、精神的に成長し、力を制御できるのならと長は特別に編入を許可した。
その決定を聞いた時の高揚感と言ったら。
こうして、狭い世界に閉じ込められていた壱希は、山奥の全寮制とは言え、遂に外の世界へ出ることになったのだ。
*
(あれから三ヶ月……まさかこんな風に、誰かと外を歩く日が来るなんて)
校舎から寮に続く道を、涼子と圭にあれこれ案内されながら歩く。
森に囲まれた学園だが、その敷地内も美しい緑と花々で整えられていた。
趣の違う庭園もいくつかあるそうだ。
「中でも広い庭園が東西にあるんだけど、西の庭園はナチュラルなイングリッシュガーデンで、東の庭園は茶室もある日本庭園なんだ。また今度行ってみようね」
にこにこと涼子が説明してくれる。
イングリッシュガーデンは写真で見たことしかなかったので、かなり興味を引かれた。
「あ、でも西の庭園は今あんまり近づかん方がいいかもよ」
「あー、そうだったねー。鳴海がよくいるもんね」
うん、と圭と涼子がうなずき合う。
その表情は困っているような、悲しいような。
そんな複雑な感情が浮かんでいた。
一体何だろう。
「鳴海って?」
圭と涼子の視線が交わる。
少しの逡巡の後、話し始めたのは圭だった。
「鳴海由輝。うちのクラスなんやけど、その…4月にお姉さんを亡くされてて、そっから学校を休みがちになっとんよ」
「教室には来てないけど、時々寮から出てきて、西の庭園にいるの。鳴海って、音楽家一家で、お姉さんも有名なバイオリニストだったんだけど。ほら、鳴海紫って」
鳴海紫。
20歳という若さで亡くなった、才能豊かなバイオリニスト。
そのニュースは壱希も知っていた。
どんな人だったのか気になって、鳴海紫の演奏をいくつか音源で聴いた。
その弟がクラスメイトとは。
…弟。そういえば…
「新聞で見たけど、確か弟といる時に交通事故に遭ったって…」
鳴海紫は交通事故で亡くなっていた。
弟の出演していたコンクールの帰り、両親が乗る車を弟と待っているところにトラックが突っ込んだのだ。
運転手が走行中、突然の心臓発作で亡くなり、トラックはコントロールを失っていた。
本当に、不幸な事故だったと。
鳴海由輝は、一部始終をその目で見ていたのだろうか。
ざわりと鳥肌が立った。
「…そうみたいだね。本人も元々この学園では目立つ存在だったし、有名人だったから。鳴海の心情を思って、鳴海が庭園にいるときは声をかけない、なるべく庭園にも近づかないってのが暗黙の了解になってるの」
「そうなんだ。鳴海のことを思って…」
涼子の言葉を反芻しながら、壱希は微かな違和感を覚えた。
声をかけない。つらいだろうから、そっとしておく。
それだと、つまりーーー
「じゃ、俺は一回部屋に帰るわ」
「うん、またねー。ねね、いっちゃんの部屋って何号室??荷物ってもう片付けてるの?」
「あ、圭!今日はありがとう!」
寮に着いたので、男子の部屋がある棟の方に向かう圭とはホールで別れる。
先ほど感じた違和感は、2人との会話で思考の奥に消えてしまっていた。