始まりの日
ーーーあなたは唯一の希望。
ーーーたった一つの希望。
幼い頃から幾度も聞かされた言葉。
だから私は。
だけど、私は…
「……っ!」
ばくばくと鳴る心臓。
落ち着けるようにゆっくりと呼吸する。
見慣れた天井から視線を下げれば、障子の隙間から細く月明かりが差していた。
ほのかに青白く照らされた静かな自室は、いつもと何ら同じで。
こうして呼吸を整える自分の存在だけが、壱希には異質に感じられた。
「はぁぁ…」
ひとり深く息を吐く。
まだ夜は深い。
嫌なものを振り切るようにゴロリと体の向きを変えると、もう一度眠りに落ちるべく、強く目をつぶった。
✳︎
「昨日はよく眠れたか?」
少し開いた窓から爽やかな風が入り込み、昴の後ろで白いカーテンがふわふわと軽やかに揺れていた。
日の光もあたたかで明るい。
季節は春から少し移ろいつつある。
壱希はゆっくりと瞬きをした。
「子ども扱いするなよ」
「子どもだろ」
ふん、と鼻を鳴らすと、昴は席を立って壱希の前まで来ると、その頭をがしがしと撫でた。
わ、ちょ、と小さく抗議して、形のよい少し猫目の榛色の瞳がジロリと向けられる。
「睨むなよ。…よく来たな、壱希」
「…お前が呼んだんだろ」
「それでもだ。歓迎するよ」
「……うん」
所在なげに視線が泳ぐ。
それを見て、昴は少し困ったように笑うと、もう一度頭を撫でて手を下ろした。
「まあ、ちょっとタイミングはズレたが、今日から晴れてうちの生徒だ。困ったことがあればすぐに言えよ」
「わかったよ」
白いシャツに明るい茶色のブレザー、グレー地に山吹色の細いラインが入ったタータンチェックのネクタイとスカート。
昴か理事長として運営するこの山吹学園の女子制服。
それを壱希が着ていることに、昴は感慨を覚えた。
「もうすぐ担任が迎えにくる。……頑張れよ」
「……ん」
少しの緊張を含んだ短い返事。
常よりもやや表情が固いのは仕方ないだろう。
年相応のその反応が、昴には嬉しかった。
「ーーー神屋さん。迎えにきました」
間も無くやってきた担任と一緒に、壱希は理事長室を後にした。
神屋壱希。
理事長の遠縁の、時期外れの転校生。
閉められた扉を見つめ、昴は願った。
どうかここでの生活が、彼女自身にとって実り多いものになるようにと。