雪の道
雪の積もった町を歩く人影一つ。
宇宙服のようなコートを着て、吐く息は霧のように立ち上る。
空は絵の具で描いたような青。指させば吸い込まれてしまいそうだ。
ざくざくという足外を響かせて、コートの彼は新雪にぽっかりと足跡を残す。
キラキラとした陽光が白い雪を照らす。彼の姿はまるで色を忘れた光の中に浮かんでいるようだ。
彼は道をあるいて、空き地に出た。何もない、真っ白なキャンバスのような空き地だ。
彼はそこで立ち止まって、ハーと長く息を吐いて、空を見上げた。
見上げて見上げて、そして彼は後ろ向きに倒れる。
ざふっとという音がして彼は仰向けになった。目は空を見つめたまま。
彼は手足をゆっくりと広げた、真っ白い雪の上に。
青い空のほかには何もない。白い雪のほかには何もない。
彼は空を見ながら、自分なんかもうこの世にいないんじゃないかと考える。ぼくなんてものはとうに死んでいて、そして誰もいないこの光景の夢を見ているのではいかと。僕の魂が空に舞い上がって空の中にあって、その中に溶けていこうとしているのではないかと。
吐く息が白く立ち上る。はーと流れてふあふあと漂って、そしてざっという風にかき消される。
青年は空を見る。青い絵の具を流したような果てのない空だ。
青年は今自分がどこにいるのかと自分の中に問いかける。僕はどこかと問いかける。
答えるものは何もない。ただ雪と空があるだけで。
消えてしまいたい。それすらも思えない。
目を閉じれば僕はこの風景の一部になれるだろうか。
目を閉じれば僕はこの風景の永遠になれるだろうか。
このあるものがあるようにあって、あるもののほかに何もないこの世界に。僕は安息を見出せるだろうか。
青年は目を閉じた。
日が照り付ける。真っ白い雪の上。宇宙服のようなコートを羽織って。
青年は瞳を閉ざす。まるで浮き上がるような感覚がして、背中を預けた雪原の冷たい感触も、彼の中から溶けだした。
僕はどこにもいない。僕はこの空に溶けてしまった。そう思って、しかし次の瞬間にはその気持ちも風にかき消される。
風が吹き抜ける。雪原の上。陽光に万の水晶が光を返す。目にすれば色を忘れてしまいそうな光が、目を閉じた青年を包み込む。
青年はどこにいる。もうどこにもいない。
日が沈んで雪原に影が落ちる。あの万の光も向こう側に帰っていくようだ。
光の引いた雪原に一人の影が横たわっていた。忘れていた、忘れられていた青年が宇宙服のようなコートを着込んで、風の中に寝ころんでいた。
青年は目を開けた。
茜色の雲が暗い空を泳ぐ。風がザンと吹いて、コートの裾がパタパタと音をたてた。
青年はゆっくりと体を起こす。しっかりと冷えきった体にしかし不思議な爽快感がある。自分の中にも雪が降ったような。ひんやりとした容赦のない感覚が胸の中を満たしている。
青年は思い出す。僕はどこにいる。僕はここにいる。
それがそこにしかないように、彼はいまそこにいた。
あの光景は彼をおいて行ってしまった。彼は永遠の一員に迎えられなかった。
彼はため息をつく。白い息がふありと広がる。
彼は立ち上がった。そしてざくざくと音を立てて、きた道を引き返す。
宇宙服のようなコートを着込んだ青年が雪の降った道を行く。
茜の光がその背中を照らしていた。