あずきバーは固すぎる
小豆を洗う、老男が言った。
「何が、表現だ。生きるのが大前提に決まっとるべや。ふらふらふらふらして、自分の生活すらままらなねえもんが、何を表現だとかぬかしておるのか。寝て、食って、死ぬ。それだけだべや。退屈しとるいうことや。若いもんは。実入りも十分でねえうちから、何を退屈しよることがあるだ。年食ったらよ、嫁さんこしらえて、そいつとつくった子供を養っていかんのとちゃうんか?そいで今までお世話になった、自分のおっかあだとかおっとおを食わしていかねばなんねえだろうに。それを音楽だ物書きだ、”くりえいたー”だと?ふざけんだねえって言ってんだ。それで飯食えてんなら文句言うまいが、雀の涙ほどしか儲けがねえってんなら、やめちまえ。それで表現だ?ふざけんじゃねえべや。そんなことしてる場合があったら、金を稼げ!もっと人様の為になることをせえ。おめえのやってることなんて、ゴミを路上に散らかしてるだけだ。ゴミを拾わされる者の身にもなってみろ。挙句ゴミを拾った方々に感謝もせずに、金をいただこうなんて、ドクズのやることだべや!……なんや、その目は?文句あるんか?へ?じゃあ、あんたのその小豆洗ってんのに意味があるんかって?」
老男はこめかみをポリポリと書いた。
「わしゃ”小豆洗い”って妖怪じゃ。小豆洗わんでどうすんでい」
小豆洗いは、僕の部屋になぜだか住み憑いていて、朝の忙しい時間に洗面所を独占する。
迷惑だから、どっかに行ってほしい今日このごろ。
終わり