097 それぞれの思い
○エルヴァル王国 宰相ウルダール
ウルダールはいま、長椅子に腰掛けている。どうにも身体の調子が悪いのだ。
部下たちはみな昼食に出かけていない。
ここ数日、ウルダールは食欲がなかった。
「……ふう」
胃のあたりがジクジクと痛んでいる。
何度か治癒魔法使いに頼んだが、症状は改善されない。
「…………」
このまま目を閉じてしまおうか。
ウルダールがそんなことを考えたとき、激しく咳き込んだ。
――ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!
血飛沫が机を汚す。
ウルダールは慌てて懐から布を取り出し、丁寧に拭う。
「まいったな」
治癒魔法も効かないほどの重度の胃炎。
最近のストレスで、さらに悪化したらしい。
「これもみな……いや、止めておこう」
ウルダールは目を閉じた。少しでも休んでおこうと思ったのだ。
胃炎の原因は分かっている。あの大魔道士だ。
かといって、恨むわけにもいかない。
王国はいま、未曾有の危機に瀕している。
重大な岐路に立たされていると言っていい。
(陛下に……言えるわけがない)
つい先ほど国王に呼ばれた。
「何か知らないか」と問いただされたのだ。
ウルダールは「いえ、私もまったく存じません」ととぼけた。
もちろん嘘である。ウルダールは隠し事をしている。
あの秘密を知っている者は、すでに数十人を超えた。
どうやら、王国からも人材を派遣できるらしい。それは良いことだ。
だが……とウルダールは思う。
(いつまで黙っていればいいのだ)
事情を知らされた者が疑心暗鬼になって、城内を彷徨っている。
ことが大きすぎて、不安で仕方ないらしい。その気持ちはウルダールもよく分かる。
それでも周囲の目から隠さねばならないのだ。
許可が出るまで、悟られてはならない。
何人かは周囲から不審な目を向けられている。
それだけではない。柱の陰に呼ばれ、問いただされる光景も目にした。
素知らぬ振りをしたが、内心は気が気ではなかった。
彼らは問いただされても頑として話さない。決して口を割らない。
それが一層、不信感を増すことになる。
国王も例外ではない。何か自分の知らないところで、重大な謀が行われていると確信しているようだ。
こうしてウルダールは王に呼ばれ、問いかけられることになる。
「いえ私は、何も聞いておりません」
とにかく何度聞かれても、真面目な顔でそう答える。
ウルダールは王国を愛している。多少のことには目を瞑る。
王国の発展のために、残された人生すべてをかけてもいいと思っている。
王国の将来が明るいものになるよう、全力で取り組むつもりだ。
ゆえに王に問われても、しらばっくれる。
「何十万人分の物資は、どこから買い入れればいいだろうね」
見学の途中で、ルンベックが何くわぬ顔で言った。
だれもいなかった町に人が住み始める。
物資など、いくらあっても足らない。
消耗品は、その都度買いそろえなければならない。
需要はずっと続くのだ。
「店はあるけど、そこに入る商人はまだだれも決まってないんだよね」
一等地と思われる大通りには、多くの商店……らしき建物が並んでいた。
多くの人が住み始めたら、そこは繁華街になるだろう。
ルンベックは、ウルダールを案内するとき、さも何でもないことのように言った。
――まだ店に入る商人は、だれも決まってないと。
消耗品だけではない。生活必需品の需要はいつでもあるだろう。
贅沢品だってそうだ。人が増えれば格差が生まれる。
人より少し良いものを求める客は必ず出てくる。
高級品の需要は、年々増加するはずだ。
人々の生活に余裕が生まれ、嗜好品が売れ、無駄だけど価値あるものが売れていく。
ウルダールは、町が人で賑わうのを幻視した。
「船はあるんだよね。だけど、それを動かす人がいないから困ったよ。場所もとるし、いっそのこと解体した方がいいのかね」
王国の商船より立派な船を何十隻も並べて、ルンベックは面倒そうに言った。
場所をとって邪魔だと。
あれがあれば、どれほどの物資を楽に運べるか。
船員がいないのは本当だろう。動かす者がいなければ、船が無用の長物となるのも分かる。
だが解体は止めてほしい。
あとでそれを知った者たちの嘆きは、相当なものとなるのだから。
いまどれだけの水夫が、自分で船を持つことを夢想しているか分かっているのだろうか。
どれだけの商人が、フトコロの中身を勘定して、船の購入を諦めているか知っているのだろうか。
彼らが涙をのむ理由はふたつ。
造船所が確保できないのと、良質な木を伐るのに魔物に備えなければならないからだ。
値段が高いので、船がつくれない。
そうすると船大工が育たない。
育たないから、船が中々就航しない。
この悪循環で、船の値段が跳ね上がるのである。
「契約? そんなものは必要ないんじゃないかな」
ルンベックは笑ってそう答えた。
どうしたらこの町の利権に食い込めるのか。
そのさい、何を約束すればいいのか聞いたら、そんな答えが返ってきた。
契約を交わさない。
それは、すべての決定権はこちらにないと言っているのだ。
ルンベックの気分ひとつで、これまでの話はなかったことになる可能性を秘めている。
これまで見てきたものは本物だろう。
だからこそウルダールは考える。
王国の発展のためにも、これは逃したくないと。
ただ、ルンベックとの会話で、どこに罠があるか、どんな穴が掘ってあるのか分からない。
ミルドラルは、八老会の力を削ぎたいと考えている。
国王が替わり、王国はこれでも風通しが良くなったとウルダールは思っている。
新しく王になったランガスタは、フォングラード商会の者だ。
それは正解だったのか?
「大きな商売になりそうですから、八老会の力を借りた方がいいでしょう」
そう提案するのは、正しいことなのか?
おそらくそれらは悪手。
ミルドラルからしたら、八老会の締め付けはまだ終わっていない。
和平交渉のとき、ミルドラルが提示した内容をウルダールは読んだ。
八老会が持つ各種利権を効果的に削ぐ要望が多かった。
最終的にはミルドラルが譲歩したが、あれがそのまま通っていたら、八老会の力が将来的に大きく削られていた。
それを考えるならば、相手の望む答えを出し続けるべきだ。
いつ何時、ルンベックの気が変わって、「やはり協力は結構です」と言われるか分からない。
その一言で、巨大過ぎる商機が、指の隙間からこぼれ落ちる。
あとはそれを黙って見ているしかない。
陸路すらいまだ繋がっていない状態では、指を咥えて見ているのが関の山だ。
「どうやら心得ぬ者がいたらしいね」
ルンベックは冷たく言った。
「どういうことです!?」
「そのままの意味だよ。これでは王国と話を進めることが難しくなった」
「ま、待ってください!」
「私も鬼ではない。そうだね……五年にしよう。五年間、王国との付き合いは止める。それが今回のペナルティだ」
「五年どころか三年でも参入が遅れたら取り返しが付かなくなります。どうか、どうかお慈悲を……」
「……ま……しょうさま……宰相様」
ウルダールは目を開けた。
たったいま、ルンベックと話していたつもりだったが、自身は長椅子に横たわっていた。
夢だったようだ。
「宰相様、私たちの昼食が終わりました。午後の執務を始めたいとおもいますが……」
「そ、そうか……寝ていたのか、私は」
「ええ、ぐっすりとお休みになっておられました。このままにとも思ったのですが、陛下がお呼びとのことでしたので」
「すまぬ。気を使わせたな。陛下の要請か、ならば行かねばなるまい」
ウルダールはゆっくりと立ち上がった。
また素知らぬ顔で、とぼけるために。
○ラマ国 国主レジルオール
「なあガドラよ。どうしてこうなった?」
レジルオールが、疲れ果てた声を出す。
「さて私も何がなんだか……」
困惑しているのはガドラも同じである。
ちなみにガドラは、国政議会の長である。
国政議会は、国主レジルオールを含めた多種多様な組織の代表からなっている。
ガドラは議長であるため、投票権を持っていない。
議長は公平であるべきだからだ。
ゆえにガドラは派閥から距離をおき、権力争いとは無縁な位置を保っている。
そのせいか、ガドラはレジルオールのよき相談相手となっていた。
だが、答えの分からない問いをいくらされても困るばかりである。
一方のレジルオールも、ガドラが困惑するのはよく分かっていた。
それでもだれかに愚痴を聞いてもらいたかったのだ。
国主は孤独である。
こんなときくらい愚痴を言っても罰は当たらないと。
「ぬぉおおおおおお」
筋肉と筋肉がぶつかりあっている。
ラマ国の闘技場で、急遽『ラマ国最強決定戦』が開かれた。
国主監修のもと、最強の戦士を決める大会が。
「私は一度も、大会を監修していないのだが……」
観覧席の最上部に座るレジルオールはそう愚痴る。
隣でガドラが「まあまあ」と取り成している。
ことの起こりは、ライエルの一言だった。
「ワシが新しい国へ行く」
突然、そんなことを言い出した。
それに慌てたのが、侍従のエドマンを筆頭とする軍の幹部たち。
ライエルをなだめすかしつつ、理由を聞くと……。
「人がいても、それを守る兵がいなければ話にならん。ならばワシが行くしかあるまい」
魔道士が国をつくったという話は、議会と軍部の上層部だけで共有している。
将軍であるライエルは、もちろん知っている。
町を見学したライエルは興奮した。
最近世界を騒がせているあの大魔道士が絶対に関わっていると。
自分にコインを授けた人物だという確信があった。
「ここで恩を返さないで、いつ返すのじゃ!」
大音響でそうまくし立てたが、ライエルの存在はラマ国の精神的支柱ともなっている。
引き留めにかかる戦士長たちを尻目に、ライエルはいそいそと準備を始める。
レジルオールは悩んだ。
何十年とラマ国を守り続けてきたこの老将軍――若返ったが、それはおいといて。
ラマ国は彼を引き留めていいものだろうかと。
散々悩んだ末、レジルオールは、許可を出した。
もとは寿命で失われるはずだった命である。
レジルオールとライエルは最期の別れも済ませていた。
それくらいあの時は、末期の状態だったのだ。もう好きにさせていいのではないかという思いがある。
そしてラマ国最大の懸念であった絶断山脈の陸路は、完全に塞がった。
あのあと、山脈を削る専門家を連れて、壁の破壊を試みた。
結果は、惨敗。傷ひとつつけることが敵わなかった。
つまり、脅威は払拭されたのである。
そういったことが、レジルオールの心を後押しした。
レジルオールは正式に、将軍ライエルの出向を認めたのである。
そこからが大変だった。
「なんでこうなったのだ?」
「…………」
レジルオールの愚痴をガドラがついに無視しはじめた。
許可が出て喜ぶライエルとは反対に、軍幹部たちは大いに揉めた。
戦士長たちがライエルについていくと言い始めて、現場が収拾つかなくなったのである。
一触即発の事態にまで発展してしまった。
このままでは秘密が外に漏れる。
そう考えたレジルオールは、連れて行くメンバーをライエルに指名させることにした。すると……。
「すべての者をよく知っているわけではありませんからな。ワシについてくるのならば、一定以上の強さは必要。いっそのこと、後腐れのない形で決めましょう」
そういって始まったのが、『ラマ国最強決定戦』である。
表向きはただ、最強を決める大会。裏では、ライエルについていく者を選抜する大会となっている。
新しい町のことを知らない者が多いため、そのような措置を取ることになった。
大会の参加資格は、ラマ国の軍人であること。これは非常に緩い。
レジルオールの肝いりということが広まって、腕試ししたい者、勝って名をあげたい者などがこぞって参加した。
士官の勉強をしていないため、隊長職に就くことはないが、腕に覚えがある者がかなりいたのだ。
そして……
「ぬぉおおおお……」
「なんで将軍自ら戦っているのだ?」
「……さあ」
なぜかライエルも参加していた。
ライエルの参加枠はないため、イレギュラーな扱いになっている。
ライエル将軍に負けても、敗退扱いにはならない。
というか、全盛期の肉体に戻り、経験はそのままというライエルに敵う者は存在しない。
このような感じで始まった最強決定戦だが、レジルオールの心は別のところに飛んでいた。
「たしかにあの国とは、同盟を結ぼうと考えていたが……」
あの新しい国は、政治面でミルドラル、経済面はエルヴァル王国が主導すると予想した。
そこでラマ国は、軍事面を前面に押し出して協力すれば良いと思った。
ゆえにレジルオールは、ライエルの頼みに頷いた。だがしかし……である。
「これに勝ち上がった優秀な者を連れて行くのか?」
それはどうなのだろうかと、レジルオールは思う。
「将軍の言葉が正しければ、あの国は軍事力を持ちませんし、恩を売るいい機会でしょう」
「……そうか」
ガドラの言葉に、レジルオールも頷く。
ボスワンの町で噂となった孤児院のこともある。
あれは旅の魔道士が建てたものであると分かっている。
時期的に、噂になっている魔道の仕業とみて間違いない。
どうやらくだんの魔道士は、弱者に対して、過剰なまでの優しさをみせる傾向がある。
新しい町もそうだ。
町には人が必要だ。
そのうち移住希望者を集めるに違いない。
利を求めて商人が移住するだろう。
親方から独立して職人がやってくるかもしれない。
さまざまな理由から、様々な人々が移住を決意するだろう。
人が集まれば、それを相手にした商売も成り立つ。
これまで職にあぶれた人だって職にありつく機会がある。
仕事がなく、町に住めなかった人もやってくるだろう。
だからこそ固有の軍隊が必要だ。
最終的には、国防はそこの国民に委ねることになるだろうが、立ち上げ時には、彼らを訓練する者がいなければならない。
ライエルは確信した調子で、そんな話をしていた。
つまりラマ国は、軍事力で貢献し、それを一歩進めて同盟まで結んでしまおうというのだ。
「そう考えて許可を出したのだけどなあ……」
「何かいいましたか? それより勝者が決まりましたぞ」
レジルオールのぼやきは、今に始まったことではない。
ガドラはそれを軽く流し、闘技場を指差した。
大会の勝者が観衆から歓呼によって迎えられている。
優勝者は若い男だった。
「あれは戦士長のノリッツか。成長したものだ」
「ええ、地道に訓練をした成果でしょう。わが国の軍は、世代交代に成功したようですな」
ノリッツは、戦士長の中でもかなり若い部類に入る。
優勝候補として他の名前がいくつもあがっていたことを考えると、殊勲であるといえよう。
「では彼を讃えるとしようか」
レジルオールが立ち上がれば、優勝者がレジルオールの方を向き、膝を折ることになっている。
場が静まったところで、国主が優勝した者に言葉をかける。
それで優勝者の栄誉は、讃えられるはずだった。
「――ちょっとまったぁ!」
ライエルが闘技場の入り口からやってきた。
「勝者を名乗るのは、ワシを倒してからにしてもらおう!」
堂々とした宣言である。
ライエルの手には、槍が握られている。やる気だ。
「あのジジイは、何で乱入してんだ?」
「若返りましたし、もう老人ではないかと」
ガドラが訂正するが、レジルオールは聞いていない。
ちょうど立ち上がったところで、試合が始まってしまった。
ひとりぽつねんと取り残されている。
「あいつ、またもや『ぬぉおおお』とか言っておるぞ」
ライエルの猛攻に、優勝者であるノリッツは、タジタジとなっている。
そもそも今回、レジルオールはライエルに出場権を与えなかった。
勝者がわかりきっているし、意味がないからだ。
するとライエルは「腕を試す」と言い出して、時折、試合に乱入しだした。
もちろんライエルに負けても勝敗には関係ない。
はた迷惑なだけで。
戦った本人と観衆が喜んでいるので、レジルオールは無理に止めさせたりはしなかった。
だがまさか、優勝者にまでからんでくるとは思わなかった。
試合は、ライエルが一方的に押し込んで終わった。
ノリッツはもんどりうって転がり、ひっくり返ったまま気絶している。
尻が一番高くなっているのは、何とかできないだろうか。
優勝者の威厳もなにもあったものではない。
「……優勝者にどう声をかければいいのだ?」
立ったままのレジルオールは、絶望的な気分になった。
だが観衆はレジルオールに注目している。
何か言わねばならない。
「戦士長ノリッツよ。強者の集まるこの大会でよくぞ優勝した。貴君の活躍は……」
気絶したノリッツに向かって、レジルオールはヤケクソ的な気分で話しはじめた。
○ウイッシュトンの町 バイダル公コルドラード
「おじいさま、この前仰っていた資料が出来上がったようです」
コルドラードの私室にファファニアが顔を出した。
「おお、意外と時間がかかったな」
「前例のないことでしたので、お願いした方々も戸惑っていたようです」
「かもしれんな。それでファファニアよ。おぬしはどう感じた?」
「わたくしは何とも……前例がないことですし、多いのか少ないのか、判断が付きませんでした。それで、これが資料です、おじいさま」
「うむ。受け取ろう」
ファファニアはコルドラードに出来上がったばかりの資料を渡す。
「ウイッシュトンの町にいる棄民は、四千人か。やはり多いな」
「周辺の村からも出てきますから、そのくらいの数になるようです」
コルドラードは、新しい町の構想を聞いてからすぐに動いた。
棄民のための町と聞いて驚いたが、納得もした。
現時点でそれを知っているのは三公と、信頼のおける配下のみ。
全体で百人もいない。
コルドラードは、すぐ棄民の数を調べさせた。
実際、どのくらいいるのか見当もつかなかったのだ。
「この四千人のうち、どのくらいが町中で仕事をしているのじゃ?」
「五、六人にひとりくらいの割合だそうです。臨時を入れたら三、四人にひとりくらいになります」
棄民と一口に言っても、その中身は多種多様。
町中に住居を持たないのは共通しているが、定職のある者、ない者、怪我や病気で働けない者まで、その中には含まれている。
しかも職といっても、多くは人が嫌がるものばかりだ。
ドブさらいや、馬糞の処理、町の清掃などを低賃金で請け負っている。
体力のある者は荷運びや、鉱山労働などで稼ぐことができるが、そういった者はごく少数。
少ない賃金で、その日を暮らしている者が多い。
「それでも餓死者がほとんどいない時点で、恵まれているであろうが」
帝国の一部では、毎年餓死者がでているという。
大陸のこちら側ではまだマシと、コルドラードは思っている。
今のところ、食糧危機で大量の餓死者が出たという話はきかない。
「調査の結果、各町周辺にいる棄民の数は、それほどではありませんでした。ざっくりとした計算になりますが、領内にいる棄民の総数は、二万人と推定されます」
「なるほど、多いのか少ないのか分からんな」
「はい。これまで着目してきませんでしたので、統計的な資料もありません」
「その辺はまあいい。それでこの資料によると、ミルドラル全体で六万人とあるが」
「はい。トエルザード公領では少なく、フィーネ公領では多いと推察されますので、全体だとそのくらいのようです」
「そう考えると少ないのかな」
「王国とラマ国を合わせると二十万人に達しますので、どうでしょうか」
「二十万人……たしかに三国を合わせると、そうなるか」
「知り合いの家にコッソリと身を寄せていたり、大人数で小さな部屋に住んでいる場合もあります。税は公平が鉄則ですが、ささいな漏れが出るのは致し方ありません」
「つまりこの二十万人は最低の数であり、実数はもっと多いということじゃな」
「はい。境界線上にいる方々もあわせると更に増えます。それと、砂漠とその周辺にいる民は除いてあります」
「そう考えると多いのかな」
「増えつつあるということでしょう。わたくしも、数を聞いて驚きましたし」
「よくわかった。調査した者は儂からも労っておこう。問題は帝国じゃな」
「帝国の人口はこちら側の三倍ですので、単純計算で六十万人いることになります」
「それ以上はいるであろうな」
「わたくしもそう思います。ただ、こればかりは計測する手段がありません」
「帝国は仕方ない。すると困ったことになるな。北の新しい国では到底収まりきらんか」
正司の国に名前はまだない。建国宣言していないのだから、それも当然。
ただし、町で働いている人たちは、いつしかノイノーデンと呼ぶようになっていた。
だれもが仮称だと知っているが、コルドラードも便利なのでそれを使っている。
ちなみにファファニアは帰郷後すぐ、新しい町の話を聞いた。
聞いてガックリと項垂れている。いつの間にというのがファファニアの心境である。
すぐさま見学に赴き、向こうで町の名前を知って、魂が抜けた顔になった。
リザシュタットとミラシュタット……その名は、ファファニアの心にグサグサと突き刺さったのだ。ゆえに……。
「おじいさまは、今後も町が増えるとお考えですのね」
「タダシくんの性格ならば、そうするであろうな」
それをする意志があり、それをする力がある。
場所はほぼ無限に存在しているのだから、やらない道理はない。
「そうですね、わたくしもそう思います」
ファファニアは決意する。
三番目の町名には、必ず自分の名を入れてもらおうと。
「この資料でよく分かった。我が領の方針は決まったな」
「はい。新たな町計画のための草案をまとめます」
コルドラードが言うと、ファファニアは微笑んだ。
他国は二つの町へ人を送り込むため、今頃必死に知恵を絞っていることだろう。
バイダル家は、その先を見据えて手を打つ。
町の数がいまの三倍に増えてもいいように準備をはじめるのだ。
もし増えないようならば、現実を突きつけて、増やすよう進言してもいい。
いまの関係が続けば、それも可能であろう。
「しかし未開地帯は広いな」
あらためて未開地帯の資料を集めて読み直した。
正司がつくった町など、ただの点でしかない。
これから北が、世界で一番アツい場所になる。
北の国を起点に、各国のパワーバランスを含め、何もかもが変わるだろう。
「頼むぞ、ファファニア」
「はい、おじいさま。任されました」
そう言って、ファファニアは艶然と微笑むのであった。
○スミスロンの町 フィーネ公リグノワル
「……まったく。隠居して、裏から調整しようと思ったら、こんなことになるなんて」
元フィーネ公ルソーリンは、項垂れたまま、大きく息を吐き出した。
当主の交代は、どれほどうまく行っても、多少の混乱がある。
ルソーリンはそれを押さえるべく、これまでのコネをフルに使って、精力的に活動していた。
現当主のリグノワルは、やるべきことが多い。
その負担を減らすためにも、ルソーリンは楽隠居できないのだ。
だがここへ来て、新たな問題が生じてしまった。
ノイノーデンの誕生である。
正式にはまだ誕生していないが、すでに建国に向けての準備が進んでいる。
場所はフィーネ公領のすぐ北。影響ありまくりである。
「他国とのアドバンテージは、事前に棄民受け入れを知らされていることですね」
ラマ国と王国には話していないと、ルンベックは言っていた。
予想はしているだろうが、確証は得ていないと思われる。
「それでどうするつもり? ウチにだって余分な人材はいないわよ」
これまで当主をやってきたルソーリンだからこそ分かる。
すでに百人単位で優秀な人材を供出してしまっている。
これ以上、実務経験者を出すと、自領の経営が成り立たなくなっていく。
「そのことなのですが、少しお願いしたいことが」
リグノワルの言葉に、ルソーリンの眉根が寄った。不審そうな顔を向ける。
「まさか私にノイノーデンへ行けというのではないでしょうね」
いまだフィーネ公領は、安寧とはほど遠い。
ルソーリンがノイノーデンに行けば、新しい国への影響力は大きく上昇する。
考慮に値する考えではあるのだが。
「いえ、そうではないのです」
「なら何かしら」
「教育を……領主としての教育をみなに施してほしいのです」
「……!? なるほど、そういうことね」
「トエルザード家ではすでに始めているようです。博物館従業員の教育に紛れさせたようで気付けませんでしたが」
ルンベックはこう言った。
「気がついたら町ができていた。私だって被害者なんだ」
三公会議のときはまだ、町はつくってもいなかったようだ。
ではいつ? という問題が残っている。
三公会議が終わってすぐ、正司はルンベックとともにラマ国へ向かった。
そこで戦争である。戦争が終わったと思ったら、町ができていた。
――いつの間に?
心底不思議だった。
これまでの正司の行動を精査して、ひとつの結論を得た。
短期間かつ短時間で町くらいならば、簡単につくってしまえるのではないか。
愕然とする話であるが、おそらくそれが正しい。
そこで様々な角度から検証した結果。
町はこれから先も増えていくという結論に達した。
いま町に常駐しているのは、主に技術者である。
各職業の代表者たちもだ。
町に必要なもの、足りないものを専門家の目でみて、意見を言わねばならないからである。
そしてここが大事なことだが、文官も多数常駐しているが、彼らの数は圧倒的に足りていない。
為政者に至っては、いまだひとりも常駐していない。
何しろ、領主の仕事はほとんどが世襲。
一般的な教育の中に、領主になるための勉強は入っていないのである。
「町はいくつできると考えているの?」
「小さいものを入れれば、十や二十はすぐにでもできそうな感じです」
フィーネ公領から一番近いミラシュタットの町まで、直線で約二百キロメートルである。
間にひとつかふたつくらい、町が欲しいと正司は言っているらしい。
港町からミラシュタットまでは千キロメートルほど。
直線で繋げたとき、間に十や二十の町をつくってもおかしくない。
そして「やる」となったら、正司はすぐにでもやるだろう。
後先考えずに……。
「言いたいことは分かったけど……そう単純じゃないわよ。ちゃんと教育するとなったら、一年はみてもらわないと」
「ええ、分かっています。三ヶ月くらいで完成するとは思えません。本来は何年もかけてやるものですし、一年でも早いくらいです」
「でも……そうね。やっておいた方がよさそうね」
「私は確信しました……あれは天災と同じです。いくら備えても、備えすぎということはないのだと思います」
「そういえば、天災に立ち向かおうとした国があったわね」
「結果は推して知るべしでしたね」
「そうだ。家臣たちには、よく言っておきなさい。くれぐれも裏でコソコソ動かないようにって」
「はい。必ず伝えておきます。それで教育の方ですけど……」
「そうね、領主に必要な教育ってのをやってみようかしら。それでどうなるのか、少し興味が出てきたし」
「お願いします。私はできるだけ、自領のことに集中したいですし」
「それは無理じゃないかしら。発表したら、きっと領内は大混乱よ」
「……そうですね」
「骨は拾ってあげるから、がんばりなさい」
「……はい」
フィーネ公に就任して間もないリグノワルにとって、これまでも、そしてこれからも、試練は続くらしい。
おまけ
○ラクージュの町 トエルザード公ルンベック
「そうか、戻ってきたか」
ルンベックは平伏している部下の前でそう呟いた。
部下は恐縮している。
それに気付いたルンベックは部下を労い、何の落ち度もないことを伝えてから退出させた。
恐縮することしきりの部下が去り、ルンベックは執務机の上に書簡を置く。
それはルンベックが書いたものである。
「帝国は……まあ、そうなるのかな」
未開地帯に新しい町をつくったので、それについて話がしたいと手紙に書いた。
当主印を押した正式なものである。
蜜蝋の封が破れていることから、中身は確認したことが分かる。
後日返事をとりに向かった部下は、自らが差し出した書簡を鼻で笑って突き返されたという。
「帝国は、話を聞く意志すらないか……さてどうしましょうかね」
ルンベックは戻ってきた書簡を弄び、思索にふけるのであった。