095 それぞれの事情
ファファニアが実家に帰るため、ラクージュの町を発った。
リーザはいまだ帰路の途中にある。
そんなとき、トエルザード家の屋敷でついに不満を爆発させた者がいた。
だれであろう、ミラベルである。
ミラベルは両親から「おイタが過ぎる」と、謹慎を言い渡されていた。
もちろん、ただ反省していなさいというわけではない。
これを機にしっかり勉強しなさいという意味も含まれている。
「なんでお兄ちゃんと同じ勉強をしなきゃいけないの?」
連日、しぶしぶ従っていたミラベルだが、それももはや限界。
何しろここ数日、毛穴から変な汗が噴き出るほど勉強しているのだ。
それでも一向に減らない学習量と手綱を緩めることをしない家庭教師に、ついにキレたのだ。
マジキレしたミラベルは、そのまま母親であるミュゼのところへ抗議に行った。
父親のところへ行かなかったのは、最低限理性が残っていた結果だろう。
ミラベルはミュゼに会うなり、食ってかかった。
ルノリーと同じ勉強量はさすがに酷い。当主になるわけでもないのに、厳しすぎると。
たしかにルノリーは、小さい頃身体が弱く、勉強はずっと後回しにされていた。
成人することが何より大事と、無理をさせずに育ててきた。
最近ようやく健康になり、陽に当たって熱を出し、風に吹かれて咳き込むようなことはなくなった。
正司の出現がよい方向に作用したらしい。
次期当主としての心構えもでき、精力的に勉学に励んでいる。
そしてミラベルは、そんなルノリーと同じ勉強量を詰め込まされている。
「お姉ちゃんだって、こんなにはやらなかったでしょ!」
そう主張するものの、根拠はない。
ただ、ミラベルがいましていることは通常の勉強だけでなく、トエルザード家当主として必要なものも含まれていた。
詰め込みすぎなのである。
激しく主張するミラベルに対し、ミュゼは笑顔を絶やさない。
子犬がじゃれてきているくらいにしか感じていないのだろう。もしくはそよ風が吹いた程度とか。
「お母さま、もういいでしょ?」
そろそろ謹慎を解いてくれと、ミラベルは訴えかけた。
「そうね、ルノリーと同じ量の勉強は大変よね」
ミュゼにそう言われて、我が意を得たりとミラベルは微笑む。
だが、それに続く言葉は、ミラベルの予想を裏切るものだった。
「あなたには、大人になってから困らない程度の知識を身につけて欲しかったのです。だからこれまで、かなり控えめな勉強量だったわよね」
そう言われて、ミラベルはグッと詰まった。
たしかにこれまでは、比較的余裕のあるカリキュラムだった。
勉強の合間に抜け出して、正司と遊びにいけるほどには時間に余裕があった。
ミュゼの話は続く。
「でも事情が変わったわ。それは分かるわよね。タダシさんが作った町……あれはこれから、大陸中の注目を集めるもの。あれがどうなるのか、わたくしも予想できないほどなのよ」
「だけど、それとわたしの勉強は関係ないと思うけど」
ミラベルには責任の一割くらいはありそうだが、ここでは言わない。
「町に多くの人をやることになるでしょう。トエルザード家は人材が豊富とはいえ、急激に人材の流出がおきれば、公家の運営は滞るところもでてきます。そして人材の流出は、このあと何度も続くと思います。というわけでミラベル、あなたには早急に成長してもらわねばなりません。もはやルノリーひとりに任せられる時代ではないのです」
「でも当主と同じ勉強は必要ないんじゃ……えっ?」
「気付きましたか」
「う……うん」
ミラベルは気付いてしまった。もともと聡い子なのだ。
言外の意図に、図らずも気付くほどには。
トエルザード家は、ミルドラルの三分の一を治めている。
いまルンベックが切り盛りしていて、ルノリーがそれを引き継ぐ。
そして正司が作った町……だけでなく、これからも町をつくることだろう。
ミラベルが20歳になるころには、町の数はどれだけになっているのか。
そしてそのとき、ミルドラルだけでなく、トエルザード家はどうなっているのか。
周りを見渡しても、領主になるための勉強をしている者は少ない。
小さい頃から行っているのは、領主に連なる家系の者だけである。
ミラベルは気付いた。
未開地帯は、トエルザード公領どころか、ミルドラルの何倍、何十倍も巨大である。
10年後、「人」はいるが「人材」はいないということにもなりかねない。
確実に人材は「足らない」だろう。
ならばどうなるか。
ただの領主がトエルザード公領よりも広い地域を治め、ここより多い町民を導いていかねばならなくなるはずだ。
「他の公家も今頃、人材確保に大わらわでしょう。出遅れてはならじと、ラマ国や王国も、いえ、帝国だってこの後、人材を育て始めますわ」
アドバンテージがあるトエルザード家はどうするのか。
それが分かっていて、何もしないとか? そんなのあり得ない。
ミラベルだって分かるのだ。ルンベックやミュゼが分からないはずがない。
直系の娘はいまリーザとミラベルしかいない。
この二人が、何もしなくてよいわけがない。
「勉強は常識を身につけるだけでいいでしょ」と親に言えば、どう返されるか。
「……えっと、もしかしてこれからもずっと?」
「そうです。一人前になるまでずっと頑張ってもらいます」
「ひえっ!?」
「頑張ってもらいます。覚悟しておきなさい」
「はう!?」
ミラベルは、ミュゼの笑顔を見た。
笑顔である。笑顔であるが……なぜかミラベルは、ガクガクブルブルと震えが止まらなかった。
ミラベルの抗議から数日後、リーザは無事、ラクージュの町に帰還した。
三公軍の総大将であるオールトンは、兵を率いて移動中である。まだ到着していない。
リーザだけは僅かな兵とともに、先を急いだ感じだ。
リーザは兵を解散させ、屋敷に向かう。
「ただいま戻りました、お父様」
「おかえり、リーザ。話は聞いているよ」
一度巻物で戻った時点での話は、すべて終わらせてある。
王国との和平交渉の結果も知らせてあった。
オールトンが倒れ、リーザが取りまとめた和平交渉も、一度はルンベックの許可を得ているのだ。
ここで改めて報告することは少ない。
「早速ですが、お父様。新しい町の件について話をしたいのですけど」
「そうだね……まあ、そう言うと思ったので、準備はしているのだけど、旅装を解かなくてもいいのかい?」
「重大事項ですので、このまま話を聞きます。それにもう巻き込まれているのですから、変な遠慮は要りません。家臣にはどう説明しました?」
町の話が外へ漏れる心配はない。
ルンベックが選んで打ち明けたのだ。秘密を共有する相手は信用できる者ばかりだろう。問題は、どんな反応をしたかである。
「そうだね、その話をする前にこれを見てごらん」
ルンベックの視線の先には、宝箱があった。
おとぎ話にでてくるような、「いかにも」な宝箱だ。
「……これは?」
「タダシくんからもらった。登録した人しか空けられない箱らしい」
「魔道具ですか」
「そうだね。馬車数台分の荷物が入るよ。ちなみに破壊と運搬はできない」
「それはまた……」
正司が「貴重品を預けるのに適しています」とルンベックに渡したのだが、もとのイメージは銀行の大金庫である。
さすがに壁一面に開き扉を作るのはアレなので、もっと利便性をよくした結果、このような「らしい」形になっていたりする。
登録は持ち主、つまりルンベックの意志でできる。
もちろん、ルンベックはこの場でリーザを登録した。
「中にいろいろ入っているから、あとで確認するといい。たとえば、〈瞬間移動〉の巻物が千本入っている」
「えっ? せ、せんっぼん?」
「町へはまだ道がない。行き来するのに必要だろうと入れていったよ」
「そうですか。相変わらずタダシは……桁がひとつ違っていますね」
リーザは額に手をやった。
帰宅早々それをやるとは思わなかった。いや、思いたくなかった。
ちなみに正司が巻物を作ると、なぜか一本で数回分の移動ができる。
使用した魔物の皮のグレードか、込めた魔力が関係するのか、七、八回使用できたりするものもある。
そんなものを千本用意して、正司は何を考えているのか。
しばし、リーザは何かを耐える仕草をした。
「これだけあれば、存分に使えるからね。話を通した家臣には実際に見に行ってもらったよ。まあ、みんな頭を抱えていたけどね」
話をしても、さすがに信用されなかったらしい。
「順調に頭痛持ちが増えたわけですね」
「そうだね」
ルンベックは否定しなかった。
それほど未開地帯は、人跡未踏の地として幼い頃からすり込まれているのだ。
「それでも一通り見学が済んでなによりです。それで、問題は出ませんでした?」
「そうだね……問題だらけだったかな」
「はっ?」
リーザは目を瞬いた。
「あそこがトエルザード家やミルドラルの町ではないと伝えたところ、大反対をおこされてね。日頃派閥に分かれて牽制し合っているのに一致団結して、そりゃもう凄かったさ」
とくに問題となったのが、新しい町を棄民に与えるといった部分だった。
「どうして」「なぜ」の大合唱。しまいには、「それは許容できない」と言い出す者も続出した。
「でもそれは……」
「そう。タダシくんの意志に反するからね。彼は不幸な境遇にある者たちのために動いたといっていい。タダシくんの行動原理は、最初から最後まで棄民たちのためだ」
外野がいくら叫いたところで、それは変わらない。
「許容できないとは、いくら何でも……」
「話を通すのに、派閥のトップを蔑ろにする訳にもいかないからね。彼らを連れて行かざるを得なかった」
どうやら、政治的判断を下したようだ。
「派閥のトップは、自分の派閥を富ませるために動きます。あとで困ることになるのではないですか?」
「ちゃんと最後には思想チェックはするよ。今はまあ……夢を見させておこう」
「分かりました。聞かれたら、そのように対処します」
「うん。ちなみにリーザは棄民について、どう考えているかな」
突然尋ねられて、リーザはしばし考えた。
通り一遍の知識を聞いているのではないと考えたからだ。
「そうですね。必要悪……でしょうか」
「ふむ……たとえば?」
「税金を安くするため、物の値段が高騰させ過ぎないために棄民は必要とかですね」
「彼らが棄民でなくなれば、税金が上がって、物価の上昇もおきる?」
「はい。物が買えなくなるほど、物価は上がると思います」
「なるほど、よく見ている。その通りになるだろうね」
それゆえリーザは、棄民を見て、彼らは必要悪と斬り捨てた。
そうしなければ、一般の人々の暮らしは立ちゆかなくなるから。
家庭教師からは、棄民は税を払えなくなって村や町に住めなくなった人々と習った。
実際にリーザが目で見て感じたことは、彼らは仕事はなく、あっても税を払えるほど稼ぐことができない可哀想な人々だった。
そのどちらも正しい。
だがリーザは、必要悪と答えた。
国が彼らの面倒をみるならば、自ずと税を「あるところ」から取らざるを得ない。
裕福な人からより多くの税を集めるしかないのだ。
税が払えない人を無くそうとするならば、流通を根本から変えなければならない。
物の買い取り金額を上げ、単純労働に対する賃金を上げるしかない。
底辺に生きる者たちでも税を払えるよう、手取り収入を多くさせるのだ。
必然、それらのお金は、商品価格に上乗せされる。
なにしろ原材料費が上がり、加工、運搬、販売に携わる人件費が上がるのだから。
税を抑え、物の値段を抑えるためには、一定以上の人々を斬り捨てるしかない。
リーザの言う「必要悪」とはそういうことだ。
「小地を村と同じ扱いにする試みは、昔どの国でも実施して、どの国でも破綻したからね」
税を支払う必要がある町や村と違って、人が勝手に住み着いた場所を「集落」と呼んでいる。
集落に住む人々は、税の支払い義務がない代わりに、国の保護を一切受けられない。
集落は辺鄙な場所にあったり、グレードの高い魔物が近くに湧いたり、そもそも住める場所が狭かったりする。
かつてどの国でも、国内にあるそういった集落を「小地」と呼び、村に準じた扱いをする試みが行われた。
「聞いたことがあります。町から半日離れたような場所で、十人、二十人が住むのがせいぜいとか」
「そうだね。そういった小地や、小地へ至る道を守っていた時代もあったんだ」
「領内にも小地は数多くありますけど、国が管理するには、労力ばかりかかるのではないですか?」
「その通り。百の小地から得られる税収は、村五つ分から八つ分くらいだった。各地に散らばる小地を守るのに、通常よりも多くの兵が必要になった。結局、管理しきれずに小地を放置した。そうしたら、そこに住む人々はだれも税を支払わなくなった」
「それは……当たり前の話です」
人がなぜ税を支払うのか。
それは自分たちの安全を国が守ってくれるからである。
それをせずに税だけ徴収しようとすれば、反発されるのは必至。
集落の小地化は、失敗して当然であろう。
「それ以降各国は、棄民の扱いに頭を痛めているわけだ」
「タダシが棄民を引き受ければ、願ったり叶ったりですわね」
「棄民たちはそうだけど、元から村や町に住む住民はどう思うかな。タダシくんの町の方が住みやすいと分かったら、移住する可能性がある。とくにギリギリの生活をしている人たちはそう思うだろう」
「全員の移住を許したら、各国から恨まれそうです」
「恨まれるだろうね。というわけで、いくつか考えている」
税を支払う関係上、町や村の規模、住民の数などは今でも把握されている。
それをもとに、住民が勝手に移動しないよう、各国で一斉に制限をかける案である。
「それと移住時にも検査が必要ですね。説明もしなければいけないでしょうし」
何しろ新しい町である。どのように使用するのか、移住した者はどうすればいいのか、しっかりと理解してもらう必要がある。
「短期間でそれらを行うのは骨が折れそうだ。かといって、各国が適当にやっていると足並みが揃わないばかりか、現場が混乱する。言っていることとやっていることが違ってくれば不公平が出て、不審がる人も出てくるだろう。審査は厳しすぎるくらいが丁度いいかもしれないね」
「それでお父様、根本的な問題ですけど、タダシの国は危険視されないのですか? 私はそこが心配です」
「各国は仲良くしたいと思うだろうね。心の中では警戒していても表には出さないと思う。あれは……あの町は攻め落とせないよ」
ルンベックは苦笑した。
少なくとも正司が目を光らせている間は、どの国だろうと何もできない。
「帝国はどうでしょう、お父様」
「そうだリーザ、内乱が続いている帝国だけど、どうして帝国は反抗勢力を完全鎮圧しないか分かるかい?」
「えっ? 鎮圧できないから内乱が続いているのではないですか? いえ、帝国が本気になれば、鎮圧は……可能?」
「できるだろうね。だけど帝国はやらない。やりたくない。なぜなら、更なる禍根を残すからだ。極秘情報だけど、帝国上層部の中には、もう独立を認めればいいという人たちも多いんだ。だけどそれは実現しない」
「実現しないのですか」
「しないね。なぜなら、独立しても状況は変わらないから。いま帝国に楯突いている勢力は、昔併呑された国の王族やら貴族やらが中心だ。そして帝国を恨んでいる。独立してもその恨みは消えないね。だからいま独立させても意味はない」
「内乱を終結させず、独立もさせない。だとしたら帝国は何を考えているのですか?」
「反抗勢力が息切れするまで待っているのさ。抗い続けるのは気力がいる。体力がいる。そして結束がいる。資金だって必要だ。もう何をしても恨みが消えないならば、相手が諦めるまで待てばいいのさ。事実、職もなく、食料も満足に手に入らなければ、人は生きるだけで精一杯だ。近年、反抗勢力の勢いは徐々に収まりつつある」
といってもそれは帝国全土でのこと。
中には追いつめられて、より過激に走る者たちもいる。
「王国は、反抗勢力に物を売って、燻った火を再び燃え上がらせようとしていますね」
リーザは留学中、王国の取引をつぶさに調べた。
中には、帝国へ武器を輸出している現場も見た。
帝国は、兵の装備を輸入に頼ったりしない。
では王国の武器を誰が使うのか。反抗勢力以外、考えられない。
帝国内で日用品と武器類。どちらが入手しやすいかを考えれば、自ずと結論が出る。
反抗勢力は、武器を王国から仕入れているのだ。
「今では、帝国の領土拡張政策は失敗だったと誰もが認めている。そして前例があるだけに、今後大国が出現したら、内部から反乱の火の手が上がるだろうね。そう考えると、タダシくんの国をどれだけ警戒しても、直接攻めたり、他国を侵略して国を大きくしようとはしないと私は考えている」
「ただし、帝国の考えは未知数……ですよね、お父様」
「正直、帝国の食糧事情はかなり逼迫していて、いつ領土拡張戦争を起こしてもおかしくなかったのだけど、もしかしたらタダシくんの国が救世主になるかもしれないね」
町からあぶれた人を少しでも引き受けられれば、帝国も一息つけるのではないか。
そうルンベックは締めくくった。
「ただいま戻りました、お母様」
つぎにリーザはミュゼに帰還の挨拶をした。
ミュゼは相変わらず笑みを絶やさず、リーザの帰還を喜んだ。
だが、優しい顔はここまで。いや、顔は相変わらず、笑みをたたえたままだ。
「三公会議のあと、だれもが忙しかったのです。ミラベルを責める訳にもいきませんが、事態は思ったより深刻です」
「残された時間は少なく、やるべき事は多い……ですね、お母様」
「違います……いえ、違いませんけど、それは夫に任せています。それより先日、ファファニア様が実家に戻られました」
「呼び出しがあったのですか?」
「そうでしょうね。急に帰郷する理由としては、それ以外に考えられません。それでリーザ、その理由は分かるわよね」
「ファファニア様を新しい町へやるためですか?」
「それ以外には考えられないでしょう。十分な準備を整え、当主および両親から薫陶を受けて、満を持して乗り込んでくると思います」
ファファニアは正司に並々ならぬ興味を持っている。
端から見て、これが分からない者はいないほどあからさまだ。
ファファニアのあれが恋なのか、リーザは分からない。
だれも何もできなかったあの場に颯爽と現れ、瞬く間に彼女を治療してしまった。
ファファニアにとって正司は、光り輝いて見えたことだろう。
彼女がラクージュの町にやってきたのも、少しでも正司のそばにいたいから。
役に立ちたいからという動機も分かる。
憧れる相手を間近で見たい。そして自分自身で恩を返したい。
リーザもファファニアと何度か話をして、彼女の心に触れた。
「孫可愛さに後押しする……というだけではないのですね」
「ええ。バイダル公の狙いは明白です」
たしかに孫は可愛いだろう。
本人の気持ちを大事にしたいと思っているのも本当だとリーザは考える。
ファファニアをラクージュの町へ出す決断をしたのはバイダル公だという。
決して、孫娘の希望を聞いただけとは思えない。
そして月日は流れ、正司がトエルザード家家臣ではないと向こうには伝わっただろう。
そして正司は、人を治療できるだけでなく、魔法で町までつくれるのだ。
正司の横に誰が立つのか。
それはファファニアでもいいのではと思うのは、自然の流れである。
そうでなくても正司とファファニアの関係は、博物館を通して一歩も二歩も進んでいるのである。
町のスタート時に、ファファニアが重要な地位に就くのは悪いことではない。
そしてバイダル公は、その先も狙っている。
「それで対抗馬が私ですか、お母様」
「わたくしは何も言ってませんわよ」
「目はそう語ってないようですけど」
「あら、そうですの?」
ほほほほとミュゼは上品に笑った。
実際、正司が女性を苦手としている。女性に慣れてないのは明白だ。
正司が慣れていないゆえに変な女性に引っかかってしまえば、今後、様々な問題は発生してくる。
トエルザード家にとっても、正司との縁は大切である。もっと深まってもよい。
いま正司と一番親しい女性は、おそらくリーザであろう。
一番長く正司と一緒にいて、ともに困難も乗り越えてきた。
「ですがお母様、タダシと一緒にいると……正直、寿命が縮まりそうなのですけど」
これまでどれだけ頭痛を経験したことか。
どれほど頽れたことか。
悲鳴や奇声を飲み込んだことは数知れず。
絶句した回数はもはや、数えることすらできない。
少し目を離した隙に、町や城をつくるのである。
どれだけ注意していても、注意しきれないのが正司。
ここ最近のリーザは、年齢以上に老けた自覚がある。
それもこれも正司のせいである。
「わたくしも無理には言いませんわ。ウチにはスペアがありますし……でもそうね。今度会うときはもっとこう……胸元を広く開けておくのもいいわね」
そう言ってミュゼは、リーザの服のボタンを外しにかかる。
「お母様っ!」
ふたつ外されたボタンを慌てて締め、自分の胸をかき抱いた。
ミュゼは、そんなリーザの声もどこ吹く風。
「残念なここは、詰め物でもしましょうか。それなら少しは……」
などと呟いている。
「お母様ッ!」
顔を赤くしてリーザが抗議の声をあげる。
「いっそのこと、もっと大胆に……」
「何をなさるのですか、お母様!」
母と子のスキンシップ……という名のワチャワチャが終わり、双方がぜー、ぜーと荒い息を吐ききったあと、ミュゼはやや真面目な顔で言った。
「ミラベルが内緒にしていたおかげで、採れる対応策がかなり狭まりました。これは分かりますわね」
「はい。ミラベルはキュッと絞めておいたので、今後は大丈夫だと思いますけど。もしお母様がミラベルの立場でしたら、どうしていました?」
正司が棄民のために町をつくる。
ミラベルは秘密基地と称し、無邪気に賛成した。
「そうですわね。わたくしでしたら、更地の段階でこう提案しますわ。試しに住民の一部を移住させてみたらどうでしょうと」
町政を行っている者、治安を維持する者、手に職を持っている者など、町に必要な者は多い。
彼らを少しだけ住まわせてみて反応をみてはどうかと。
そこでトライアンドエラーを繰り返し、問題点が浮かび上がり、その解決方法が分かってから棄民を移住させる。
「なるほど、いまの棄民のほとんどは単純労働しかできない人たちばかりですし、町を機能させてから受け入れた方が混乱が少ないのですね」
「そうです。ですがもう、悠長にやっている時間はありません。人々が騒ぎ出す前に受け入れ体制を確立させる必要があります」
そう考えると、正司をフリーにしたのが返す返す残念でならない。
計画段階もしくは、手を付け始めた段階で知っていれば、いくつか手が打てたのだ。
「タダシさんは王になります。移民がはじまり、落ちついたら、だれもがこう思うでしょう。王の隣には誰が立つのか」
「王の隣……」
ゴクリとリーザは唾を飲み込んだ。
ミュゼが真面目な顔をする。
リーザは、それをただ黙って見つめ返す。
「残念なコレ……寄せて上げましょうか」
ミュゼは、リーザのささやかな双丘をぽよんぽよんと揉んだ。
同じ頃、正司はリザシュタットの町にいた。
高台から海を望み、静かに佇んでいる。
ときおり海からやってくる風に髪がなぶられる。
そのまま正司は小一時間、海を眺めていた。
(きっと必要なのでしょうね)
ここ数日、正司は博物館に赴いて次々とやってくる客の姿を眺めた。
博物館はまだ完全に開放されていない。展示会場の一部や屋上の遊戯施設は閉鎖されたままだ。
これまで二度、研修の終わった従業員が補充された。
新規配属された従業員は、いつしか博物館経営の中に吸収されていった。
問題を解決するのに、人員の補強は必要だったのだ。
そして次の研修終了者が補充されるのはまだ先。
それまでは今のままで運営していくしかない。
(博物館ひとつでてんてこ舞いしているんです。町を運営……経営? とにかく住民の不満がでないようにやっていくのは、きっと大変なことなのでしょう)
正司は「博物館を経営してよかった」と心底思った。
もし博物館を作らず、何も知らないままだった場合、気軽に……それこそ見切り発車で「町をつくればどうにかなる」と考えていただろう。
ルンベックから、「国として機能させた方がいい」と言われても「そこまで大袈裟にするつもりはありませんから」と断っていたはずである。
そうしたらどうなったか……問題は噴出、どこから手をつけていいか分からない状況に陥ったはずである。
だが、今なら分かる。
(だれかがやらなければいけないなら、私がやるべきなのでしょう)
ルンベックの提案は間違っていない。
問題がおきないよう、町はちゃんと国として機能させる。
そのトップに立つのは、それをつくった人。
それは当たり前の話なのだ。だから正司は覚悟を決めた。
ここでウダウダ言って逃げても、世に溢れる棄民たちを救うことができない。
正司はミュゼから受けた講義で、およそこの世界の実情を把握できている。
構造的問題によって、各国はこれ以上、棄民の保護はできない。
できるのは、おそらく正司のみ。そして町は完成した。正司は覚悟も決めた。
(……よし、久し振りにやりますか)
正司は『メニュー』画面を開いた。
以前、スキル欄をつらつら眺めていたとき、気になったスキルがあった。
(ええっと、たしかこの辺に……あった、これです)
目当てのスキルを見つけた正司は、それを取得する。
スキル一覧から消えたのを確認すると、『スキル』画面を開く。
正司は迷わず、そのスキルの段階を上げた。結果、できたのは……。
――第三段階 〈大工船制作〉
リーザから聞いたところ、この世界の大型船はとても高価である。
というか、注文受注となる。
どうやら技術的な問題で、つくれる人が少ないらしい。
(土地が狭かったり、そもそも港が少ないので、船つくりの技術は発達していないのでしょうね)
森の中にあるミラシュタットの町は、フィーネ公領の町まで道を作るつもりである。
直線にしておよそ二百キロメートル。かなりの距離になる。
このリザシュタットの町は、未開地帯の北端にあるため、道を作るには距離が長くなりすぎる。
当面は海上輸送が主になると思われた。
(町と町を道で繋げたいですが、必要に応じて途中に町をつくるべきですね)
将来的には、ミラシュタットの町とリザシュタットの町を繋げたいが、今はその時期ではない。
そういうわけで正司は、スキルで船をつくろうと考えたのだ。
(なるほど、必要なのは木材だけですか)
必要な資材が木だけなのは都合がよい。なにしろ、未開地帯には一杯あるのだから。
しかも最近、町を拡張する準備として、木を大量に根っこから引き抜いたばかり。
引き抜いた木は『保管庫』に仕舞ってある。
正司は『保管庫』から木を取り出した。
どのくらいあればいいのか分からなかったので、数十本出しておく。
(準備はこれでいいですね。まずは簡単なものから)
試しにと、正司は〈大工船制作〉で小型船を一隻、つくってみた。
「……これが船ですか」
新品の船が海に浮かんでいる。
四、五人が乗れば一杯になってしまう程度の船だ。
池に浮かぶボートよりは大きいが、漁船とするにはやや小さい。
(この小型船は手こぎですし、ちょっとした移動用ですね)
マストはない。かわりにオールが二本、船に乗っていた。
このほかにも、正司はいくつかの種類の船をつくってみた。
材料に木を使っているからか、どれも木造の船である。
「あっ、そういうことですか」
スキルには〈大工船制作〉とあった。
なぜスキル名に「大工」がつくのか、ただの「船制作」ではいけないのか。
正司は不思議だったのだ。
(このスキルでつくれるのは木造船だけということですね)
大工スキルのカテゴリーであるため、鉄の船はできないのだろう。
(次は一番大きな船をつくってみましょう)
『保管庫』から木を大量に出す。
魔力を多く注ぎ込み、念じてみる。
すると、用意した木の大部分が消えて、桟橋に巨大な船が出現した。
三本マストの大型船だ。甲板の位置は高い。
船倉がかなり大きく取られている。
「輸送船のようですね」
この輸送船をつくるのに使用した木は、おそらく三百本ほど。
かなりの量である。
(輸送船といっても、荷を運び込むのは大変そうです、どうしましょう)
船の側面にタラップがついている。
それを使って、人が荷を担いで上り下りするのだろう。
正司は昔の写真でそういうのを見たことがあった。
現代日本ならば、クレーンでコンテナごと積み込みできるが、この世界にそんな便利なものはない。
かといって、この港だけクレーンがあっても、コンテナごと船に積み込んだら、他の港で下ろせなくなってしまう。
(いっそのこと、船の高さに合わせて、積み込み用の桟橋をつくりますか。スロープ状にしておいて、縁の高さにあわせて移動できるようにすれば、手間が省けます)
たしかにそう言うやり方もある。
この辺は、船の規格さえ統一してしまえば問題ない。
別の港では手間をかけて荷を下ろす必要があるが、この港だけは積み込むのは簡単になる。
(だとすると、同じ大きさの船が複数必要ですね)
正司は、同じ大きさの輸送船を新たに五十隻つくった。
リザシュタットの港町に、巨大な船が五十隻並んだ。
それはまさに威風堂々とした姿であった。
(乗組員はいませんけど、とりあえずこれで人と物資の移動はできるようになりました)
よくやったと正司は自分を褒めた。
実はこれより数日後、たまたま沖を通りかかった船がこの港町と、そこに居並ぶ巨大な船を見て、一目散に逃げるのであるが、そんなことはもちろん正司は知らない。
ルンベックやリーザも知らない。