092 牧場とカックンカックン
正司は、ジョエリクから許可をもらい、拠点内をいろいろと見て回った。
魔物を狩るためだけの場所なのだろう。無駄なものがほとんどない。
(みな必死に生きているのですね)
今回、リスチャンやジョエリクなど、商人ではない人たちと交流を持ったことで、王国の普段見えない部分を知ることができた。
(おそらく商人もそうしないと、生活が成り立たないのでしょうね)
日本でも安価な商品が売られている。
それらはみんな労働力の安い地域で作られたものであることを正司は知っている。
工業力が発達した『現代』でさえ、そうなのである。
電気すらないこの世界で労働者に高給を支払っていたら、物の値段がすごいことになる。
(古代ヨーロッパは、労働力を奴隷でまかなっていたんでしたっけ)
結局この世界でも、そういった制度こそないものの、奴隷のように食うためだけに働いている者たちが経済を下支えしているのだろう。
(それもこれも魔物が湧くせいですね。凶獣の森や未開地帯みたいな人跡未踏の地があっても使えない。だからこそ人々は別の方法で生きていこうとするのでしょう)
開墾ができず、小さな場所に押し込まれてしまっている。
生きるためには何かを犠牲にし、知恵を働かせて生きる必要がある。
その結果生まれたのがミルドラルのような三公による合議制であり、王国のような商人優先国家なのだろう。
「魔道士様、交代の人選も済んだので、俺たちは村に戻ります。魔道士様は、どうしますか?」
「そうですか。では予定通り、村を見学させてください」
「了解しました。……本当に荷馬しかいない小さな村ですよ」
「それでいいのです」
「でしたら、準備が終わってから呼びに来ますんで」
「はい、待っています」
リスチャンは去って行った。
(貧しいからといって村から出てしまうと、生きていくのが大変でしょうね)
いつどこで魔物が襲ってくるか分からない。
そんななか、数人、十数人で身を守りながらインフラの整わない場所で暮らしていく。
そういう選択をするくらいなら、村に残った方がいい。
そう考える人たちがほとんどなのだろう。
(もしくは教育の機会が奪われて、これが普通だと思っているかですね)
しばらくしてリスチャンが呼びにきたので、正司は拠点を出発した。
そうしてゆるゆると細道を進み、一緒に帰還した者たちが石橋で驚く姿を眺めながら、二日後、無事ミド村に到着した。
ミド村は、リスチャンが言うように小さな村だった。
村人は二百人ほど。全員が知り合いである。
「この広さの村では、このくらいが限界ですね」
村の人口が増えれば、だれかが町へ出ることで村を維持しているらしい。
「でも町に住めるんですか? 税金が高いと聞きましたけど」
「何とかなりそうな者が出ていきます。男なら技術を持った者、女なら見目麗しい者ですね。町で暮らせるなら暮らしたいってのは、大勢いますんで」
反対にリスチャンやジョエリクのように、実力があっても村から離れたくないと思っている者もいる。
二人は町で十分やっていける能力を持っているが、みなのリーダーとして村に残る選択をしたらしい。
「そういう生き方もいいですね」
あえて故郷で頑張る者たちがいるからこそ、村が成り立つ。
「それじゃ、馬の世話をしている者を紹介しますね」
馬は貴重な移動手段である。
それを世話しているのも、村内で信頼がおけて、能力が高い者たちである。
リスチャンは一人の女性を呼んだ。
歳の頃は二十代くらい。細身で身軽だった。
なにしろ彼女は、乗ってきた馬から羽のように降り立ったのだ。
「普段、馬の世話をしているノースです」
「タダシと申します。今回は無理を聞いてくれてありがとうございます」
ちなみに正司のことは、村人全員が知っている。
なにしろ、先だって拠点から鳥が飛んできてリスチャンが出発したり、橋が落ちたと言って、一人が村に戻ってきたりと、何かとトラブルがあったのだ。
心配した村人が、戻ってきたリスチャンのところへ集まったのも頷ける。
そのときリスチャンは、状況の説明と一緒に、正司のことを話している。
「それでは早速ですが、馬をみせていただけますか?」
「いいですよ。少し交代の時間にははやいですが、向かいましょう。馬はここから少しだけ離れた所で飼っています」
村を出て数百メートルほど進む場所にそれはあった。
「ここもミド村の一部なのでしょうか」
「そうですね。ここでは馬を飼っているだけですけど」
ここも魔物が湧かない地であるが、あまりに小さすぎて村として機能させるのに狭すぎたようだ。
「ノースか。交代にはまだ早いだろ」
柵の中に四十代くらいの男がいた。
「彼はタモと言います。交代で馬の世話をする者のひとりです」
タモはずっとここにいたため、正司のことは知らない。
ノースが正司がここへきた経緯を簡単に説明した。
「なんというか、物好きですね」
タモの口が曲がっている。心の底からそう思っているようだ。
「名馬や軍馬だけが馬ではありません。人々が使うのは、こうした馬なのではないですか?」
「そうですが、だからこそわざわざ見に来る必要はないように思いますが」
荷馬ならば、ミルドラル内でも相当数飼われているはずである。
ゆえにタモの言いたいことは分かる。
「王国の村で飼育している姿を見てみたかった感じですね」
「というわけで、ここから交代するね」
「おう、任せたぞ」
タモはノースが乗ってきた馬に跨がって去って行った。
「こんな短い距離でも馬に乗るんですね」
「魔物が出たら、その方が逃げやすいんです」
「なるほど」
わずか数百メートルという距離でも、魔物と遭遇する可能性はあるらしい。
「敷地内ですけど、馬を驚かせなければ、自由に見て回って構いません。わたしは世話をしていますので、何か聞きたいことがあったら、言ってください」
「ありがとうございます」
「大きな音を立てたり、走って近づいたりしなければ大丈夫だと思います」
「分かりました。気をつけます」
正司は言われたとおり、ゆっくりした速度で牧場を歩いた。
(馬小屋の前がすぐ放牧場所になっているのですね)
荷馬は乗馬用の馬とくらべて短躯でがっしりとしている。品種が違うのだろう。
聞けば乗馬用より力強く、スタミナもあるらしい。
(その分速く走るのが苦手らしいですね)
たしかにのんびりと草を食んでいる姿は、競走馬のようには見えない。
腹を地面につけて、ぐでっとしている。
その姿は、日曜日に何もすることのない父親サラリーマンを彷彿とさせる。
(馬は警戒心が強くて、立ったままでいる方が多いと聞きましたけど、違うのでしょうか)
放牧されている馬はどれものんびりとしていて、運動する意志が感じられない。
あまり馬に近づきすぎないように注意しながら、正司は目に付いた建物に向かう。
(ここは馬小屋ですね。中は……想像通りの感じです。隣の建物はなんでしょう)
隣には、乾燥させた草が積んであった。馬の餌だろう。
(なるほど、餌は生えている草だけではないんですね)
これで牧場内を一通り見て回った。
それでも一時間かかったかどうかである。
飼っている馬は五十頭ほど。狭い場所のわりにはそれなりの数が揃っている。
「ノースさん、少し質問してもよろしいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「私の想像だと、馬って、もっとこう運動が好き、走るのが好きって感じなのですが、見ているとどうもそんな様子はないのです。いつもこんな感じなのでしょうか」
正司の質問にノースはクスッと笑った。
「お腹が減るから、動かないんだと思います」
答えはシンプル。運動が好きかどうかではなく、動くと腹が減るから動かないのが正しいらしい。
「そうなのですか? 餌を多くあげたら普段から走ったりするのでしょうか」
「日中の動きは違うと思います。軍馬とは与える餌が違いますし」
さすがに馬の産地出身らしく、自ら飼育してなくても、馬については詳しいらしい。
軍馬は、干し草や生の草だけでなく、穀物や果物を定期的に与えているという。
(ということは、干し草と生の草だけを与えているここの馬は……)
カロリ-不足ということになる。
普段から省エネしていないと、四六時中腹が減るのだろう。
「他の村でも同じですか?」
「そうですね、餌は同じだと思います。ただ馬に関していえば、村ごとに性格が違います」
「性格が違うのですか?」
正司は首を捻った。
「ウチの村は比較的大人しい、穏やかな馬が多いです。神経質な馬が多い村や、臆病な馬が多い村、攻撃性の強い馬が多い村などがありますね」
「それは……飼育している環境のせいではないのですか?」
「そう見る人も多いですね。ずっと馬小屋に閉じ込めていると神経質な馬になりますし」
つまり関係ない人が大勢近くにいて、年がら年中騒がしいと臆病な性格の馬に成長し、多頭飼いでギュウギュウに詰まった馬小屋で飼育されていると、攻撃的になったりするようだ。
各村ではそれを馬の性格と表現している感じか。
(この村では、村人と馬は離されていますし、適度に放牧しているので、ストレスもそれほど感じない。環境としては理想なんでしょうね)
正司は町で牛や馬、羊などを育ててみたいと思っている。
未開地帯は、土地はあり余っていて、しかもだれの所有物でもない。
そんな広い場所があるのだから、存分に生かしていきたいと考えている。
ゆえに正司は考えた。
(馬の飼育は、バランスが大事なのかもしれません)
たとえば、野生の環境に近づけて、一日中放牧しっぱなしで、餌だけ与えていれば、自由奔放な馬が誕生するだろう。
野生の馬とそれほど変わらない。それでは調教するときに苦労する。
かといって、馬小屋に閉じ込める時間が長いと、馬がストレスを感じてしまう。
この村のように人が適宜馬の世話をしてはじめて、従順かつ健康な馬が誕生するのだろう。
(それと餌ですね。草だけ食べさせても、カロリーが足らないのでしょう)
高カロリー食までいかなくても、それなりに栄養のあるものを食べさせないと、ここの馬のようにグデグデした馬ばかりになってしまう。
(ですがその場合、馬の餌を育てなければならないのですね)
馬の食糧を人が育てることになる。
場所は余っているので、それは可能だが、馬の数が増えれば世話する人の数も増える。
(単純に馬を飼うと考えるよりも、馬を飼うために必要なものを一カ所に集めた方がいいですね。ここに来て良かったです)
実際に自分の目で見るのと、人から話を聞くのでは大きく違う。
餌に関しては、牛も羊も同じだろう。
ストレスに関しても同様だ。
つまり新しく家畜を飼育する場合、専門の場所で専門の人たちが飼育し、専門の餌を用意した方が後々いい。
(方向性が見えてきましたね)
こうして正司はミド村にしばらく滞在し、村の人々の生活を見たり、ノースやタモについて馬の世話を見学したりして過ごした。
そしてリスチャンがドロップ品を町へ卸しに行くというので、付いていくことにした。
村から一番近いのはサーマルンの町。
町につくと、正司はリスチャンと町で分かれた。
町でしばらく過ごしたあと、知り合った者から牛や羊の世話についても学んだ。
(今回のことを生かして町作りしたいですね)
未開地帯には二つの町ができている。
町と言っても、誰も住んでいない。
土地を均して、家や倉庫を手すさびに建ててみただけである。
入れ物はあっても中身がない状態だ。
人を呼ぶのはまだまだ先だ。
それでも目標が見えた正司は、気分よく未開地帯へ跳んだ。
「いい具合に生育していますね」
ミラシュタットの町で正司は、麦やイモを試験的に栽培していた。
同時期に蒔いた薬草の類いは、多少生育の悪いものもある。
寒地に適さない種だからであろう。
「この町で農業は十分できそうですね」
食糧の心配はほぼなくなった。
他に不可欠なもの――たとえば水はどうかというと。
正司はいくつかの場所に井戸を掘っておいた。
(試験的に掘ってみましたが、十分水が溜まっていますね。これも十分でしょう)
〈水魔法〉と〈土魔法〉で土中の状態を確認する。とくに問題はなかった。
汲み上げた水は透明で、濁りも変な臭いもない。
食糧と水が自前で賄えないとどんなに立派な町を作っても、長期に亘って住むことはできなくなる。
これで最大の難関はクリアできたと言っていい。
(あとは資源の確保ですね)
自活できるだけでは、意味がない。
生産品か加工品を輸出して、外からお金を得ることができない限り、 貧しい暮らしが待っているだけである。
(場所だけは腐るほどありますから、それを利用しない手はないでしょう)
すでに正司は、町と町の間に高速道路を通すつもりでいる。
未開地帯に生えている木々よりも高い場所に道を作っていくつもりだ。
(今度は、資源を探しにいきましょう)
未開地帯には山がいっぱいある。谷もあれば川もある。
岩山も多く存在しており、その中には鉄や銅などが眠っている鉱山がきっとあると正司は思っている。
人々の暮らしに欠かせない塩。
岩塩が収穫できる場所を見つけて、そこも高速道路で繋げてしまえばいいのである。
(新しい産業としては、馬や牛などの家畜産業が有力ですね。ストレスのない広い場所で飼いたいものです)
正司は思う。畑の生育具合から、麦などの収穫はほぼ大丈夫。
畑の規模を大きくすれば、輸出も可能だろう。
未開地帯に余りまくっている木々を炭にして、輸出したい。
これは開発する段階でかなり大量に出てくる。
乾燥させた穀物や炭は生鮮食料品と違って保存が利く。
果物や生もののように消費期限が短いわけではないので、距離のデメリットはだいぶ緩和される。
(馬や牛は、生きたまま運ぶ感じになりそうですね)
移動の手間はかかるが、ミルドラルや王国のように町が人で溢れているわけではないので、町中を通行させても問題ないだろう。
道路は広く作れば、移動も問題ない。
(輸出品目として鉄と塩を加えて……何とかなりますか。もう少し未開地帯独自のウリが欲しいですけど)
加工品や芸術品なども本当は町の目玉商品としたい。
だが、熟練の技術を要する職人は、一朝一夕に育たない。
いま世界中で棄民となっている人たちは、単純労働はできるが、熟練の技術は持っていない。
技術が必要な産業は、長い年月をかけて育てていくものだ。
町が軌道に乗ったら、イチから育ててもいい。
(この町はこれでいいとして、次は港町へ行ってみましょう)
未開地帯の北端に正司が作った港町。
リザシュタットの町という名前がすでについている。
港町とはいえ、もともとの地形は、海面から何十メートルも上にあったもの。
それを正司が段々畑をイメージして、崖を削った。
いまでは複数段による町の外観ができあがっていた。
そして今は、町の拡張に入っている。
段々の高さを決めるとき、町に多くの建物を建てていた。
高さを確認するため、家や倉庫を設置したのだ。
(今度は港町を拡げる方向で考えていきましょう)
ミラシュタットの町では、周囲に〈森林浄化〉スキルを使っている。
定期的に〈森林浄化〉スキルをかければ、数ヵ月で土地の性質が替わり、魔物が出ない土地に変貌する。
この現象をこの世界の人々は、『浸食』と呼んでいる。
「さて、張り切って作りましょうか」
港町の一番高い場所――お椀をひっくり返したような高台へ、正司は城を作ることにした。
ミラシュタットの町で城を作ったときは、まだ複雑な巨大建造物をイメージしきれなかったため、四角い部屋と廊下だけの巨大な城を作っただけだった。
一応、部屋の大きさは大小作ったが、それだけである。「凝る」ということはしていない。
その反省(?)を生かして正司は、二度目の城作りにチャレンジしたかったのである。
(……ようやく一階ができあがりましたね)
一気に作ると前みたいになる。
単純な構造ならばそれでいいが、今回はもっと城らしいものを考えている。
だが正司がイメージしづらいものは、魔法で作ろうとしても、うまくいかない。
ゆえに時間をかけて少しずつ作るしかない。
正司がイメージできる範囲で作っていると……。
(ずいぶんと大きくなってしまいましたね)
一階の敷地面積は前につくったものの四倍はある。
正司がこれまで作った中で、一番大きな建造物となった。
「これはまあ、練習ということで……」
想像したものをすべて形にしようとすると、どうしても大きくなってしまう。
あれもこれも入れるのではなく、妥協も必要だと正司は気付いた。
だがそれを生かすのは次回になる。まずはこの城を完成させなければならない。
どうせならば、すべて盛り込んでしまおう。これも練習である。
そう考えた正司は、数日間かけて、世界最大の城を作りあげた。
「――よし、これで完成です」
満面の笑みを浮かべた正司だが、それを見ている者は……もちろんだれもいない。
この港町。どんなに正司ががんばっても、実は使うことができない。
海底が浅く、沖を進む船が入港できないのだ。
だが、伊達に〈水魔法〉と〈土魔法〉を極めた正司ではない。
(海底を広範囲に深くしましょう)
最初にある程度海底を削り取っていたが、どこで座礁するか分からないと、船は怖くて近寄れない。
どこから船がきてもいいように、正司は広範囲に海底の改造に着手したのである。
もちろん海の底のできごとなので、地上から見ても違いは分からない。
だがその実、あれほど遠浅になっていたこの付近一帯の海域だが、目に見える範囲は正司の魔法によって、海底の突起はすべて、キレイさっぱり取り除かれてしまった。
(二つの町ですけど、輸出品目は共通でいいでしょうね。人が住み始めたら、得手不得手で差別化が始まるでしょうし……問題は港町に陸路がないことでしょうか)
これが最大の問題である。
海に面しているから、交通手段は船のみでいい……とはならない。
船が来なくなったら、そこの住民は孤立してしまう。
陸路は必須といえよう。
(ですが距離が結構あるんですよね)
ミラシュタットの町からフィーネ公領の町まで約200キロメートル。
これだけでもかなり遠い。
おそらくこのリザシュタットの町からフィーネ公領の町まで1000キロメートルはあると思われた。
ありえないほど遠いのである。それだけ未開地帯が広いと言ってもいい。
(ミラシュタットとリザシュタットの間に町を二つ三つ作れば解決するんですけど、そんなに都合良く行きませんしね。というか、だれが管理するんだという話にもなりそうです)
多くの町ができると、さすがに正司の手に余る。
(そろそろ事情を打ち明けて、協力をお願いした方がいいでしょうか)
トエルザード家に頼めば、好意的に動いてくれることは分かっている。
それゆえ、見切り発車の段階で話を持っていって、多くの人が動いたあとで、「やっぱり町としては不適格でした」となったら、それまで投資した分がすべて無駄になる。
そうなったら申し訳ないと、正司はこれまでずっと黙って、一人で(ときどきミラベルと)町作りをしてきた。
だがそれもそろそろ限界。
専門家の人の意見を聞いて、町作りの計画をしてもいいのではないかと思い始めたのである。
「……頃合いですね」
正司がそんな呟きを漏らした頃、トエルザード公領にあるラクージュの町では……騒動が持ち上がっていた。
「タダシはどこ?」
執務室で書類を書いていたルンベックのもとに、リーザが飛び込んできた。
「急にどうしたんだい、リーザ。巻物で戻ってきたということは、緊急事態かな」
つい数日前、ルンベックのもとにオールトンからの使いが来たばかり。
中身は和平交渉の経過を知らせるものであった。
王国との交渉は、オールトンが行っている。
三公軍の調整は、リーザが中心となっていると書いてあった。
そのリーザがここにいるということは、王都から巻物を使って戻ってきたことに他ならない。
「お父様、タダシはどこですの?」
ルンベックの問いかけにも答えない。リーザは相当焦っている様子である。
火急のことでも鳥を放てばことは足りる。
念のためにと持たせておいた〈瞬間移動〉の巻物を使ってまで戻ってくるとは、ただごとではない。
聡明なリーザがそれを選択した理由を知りたかったが、どうやら聞いてもまともに答えてくれそうにない。
「タダシくんはいま、町を離れているよ」
オールトンは先にリーザの懸念を晴らすことにした。
「なぜ? というか、どこです? どこに行ったんです、お父様」
「タダシくんの周囲が騒がしくなってね。落ちつくまで少し遠くに行くことになった感じだね。タダシくんは、王国に行くと言っていたよ」
「王国!? なんでまた王国なんかに?」
「少し落ちつきなさい、リーザ。タダシくんに直接接触しようとする者たちが出てきたんだ。事情を説明するからそこに座りなさい。……タダシくんの行方は、レオナールが知っているはずだ。いま呼びに行かせよう」
ルンベックは、最近のいきさつをリーザに話してきかせた。
どうやら前々から正司の素性を調べていたものが、相当数いたらしい。
ラクージュの町を含めて、これまで正司が生活していた形跡がないことを彼らは掴んでいた。
これまで正司の「やらかした」ことを検証すると、トエルザード家、もしくは当主のルンベックがおよそ採択しそうにないものが、かなり含まれていた。
とにかく、動きが場当たり的なのだ。
しかも後になって、慌ててトエルザード家がフォローしているフシも見える。
「これはもしかしたら、魔道士を御せていない?」
そう思うに十分な正司の「やらかし」具合であった。
正司の出自が不明であることから、予想はさらに進む。
「実はトエルザード家の家臣ではないのかもしれない」
そう考えるのは自然の流れであった。
だが、金で繋がった関係とは思えない。
魔道士がその気になれば、金などいくらでも稼ぎ出せる。
ならば義理か。それとも恩か。
いずれにせよ、外からでは詳細は分かるはずもない。
ならば直接聞いてみるしかない。あわよくば自分たちも……と考える者が増え始めたのだ。
「なるほど……思い当たることはいろいろあります、お父様」
ラマ国やバイダル公領での出来事も知れ渡っている。
それらを『別人の仕業』とするには、時期も力量も合いすぎている。
場当たり的に正司が魔法で強引に解決したのは事実であるため、反論もできない。
その後、リーザなどはできるだけフォローしたが、それすらも読まれていた。
情報を集めている者たちが、正司のことを正確に知れば知るほど、トエルザード家が「振り回された」ことも明らかになってしまう。
――正司とトエルザード家との関係は、結局どうなっているのだ?
そう思うのも当然と言えた。
「だったら、本人に聞いてみよう」となるのは、リーザにも理解できた。
「お呼びと伺い、参上しました」
レオナールが入ってきた。
と思ったら、ミュゼとミラベルも一緒にきた。
リーザが巻物で戻ってきたと聞いて、心配してやってきたのだ。
「レオナール、タダシはどこ? すぐに教えて!」
すぐに問いただすリーザに、レオナールは片眉をピクリと動かした。淑女にあるまじき行為だ。
「タダシ様でしたら、いま王国の町に行っていると思います」
「どこの町?」
「おそらく、サーマルンの町かと思います。タダシ様は馬の飼育できる環境に興味を持ったようでして、どこが一番盛んかと聞いてこられました」
「サーマルンの町……王都からだと東北の町ね。私は行った記憶にないわ」
巻物で行くのは難しい……などとリーザは呟く。
「それでリーザ、タダシくんの行方はこれで分かっただろう。そろそろ戻ってきた理由を話してくれるかな」
「そうだよ、お姉ちゃん。急にどうしたの? 王国に行ったんじゃなかったの?」
ミラベルにも言われて、リーザはようやく少し冷静になれた。
「ごめんね、ミラベル。少し驚いたことがあって、どうしてもタダシに問い詰め……聞いておかなきゃならないことがあったの」
「それだけのために戻ってきたのか」
「少し軽率ではないかしら」
ルンベックは半ば呆れている。ミュゼもため息を吐いた。
さすがに和平交渉の途中で戻ってきたにしては、意味不明な言動だ。
「王国との交渉は、どうなったのかな」
「順調です、お父様。当初の予定通り、八老会の力を削ぐ方向で調整を続けています。バイダル、フィーネの両軍も問題なく過ごしています」
「今回の戦争では、なるべく禍根を残さないようにしたいね。人死にもできるだけ押さえられたし、解決までもう少しだ。できればリーザには、そっちに集中してもらいたいのだけど」
「そうなのですけど、お父様。アーロンス港に到着した船の乗組員が、王都でおかしなことを言い始めたのです」
「おかしなこと? アーロンス港と言えば、王国が所有する港のうち、北にある方だったね」
「はい。北回りで帝国から戻ってきた大型船の乗組員の話なのですけど、未開地帯に変なものがあったと」
「変なもの?」
大型船は、未開地帯に近づくと難破してしまう。ゆえに安全を考えて、陸地がかすかにみえるかどうかのあたりを航行するのが慣わしとなっている。
「切り立った崖が抉れて、まるで町のようになっていたと。しかもキレイに整地されたかのような有り様だったと、みな口を揃えて言うのです。そこに建物も見えたとか。……あっ、もっとも船は近づいてないそうです。船底に穴を空けられたら大変ですし」
「未開地帯に町だって? そんな馬鹿な話があるものか」
「私もそう思います。乗組員がどれほど必死に話しても、だれも信用しようとしません。何しろ未開地帯ですから……けど」
「けど?」
「タダシならあり得るかなと」
「!?」
未開地帯はそれこそ人跡未踏の地である。
比喩ではなく、本当に人が辿り着けないのだ。
ゆえに、そこに町があると言われても、だれも信じようとしない。
もちろん、何隻もの船が同じものを見たらさすがに信じるだろうが、それでも「偶然崖が町のように崩れた」と思うのが普通である。
そう、普通はそう考える。
だがリーザは違った。『また』正司が何かやらかしたのではないかと。
だが、未開地帯に町を作るか? まさか。
そう思ったが、それ以上に、正司以外の誰がやるだろうかとも考えた。
そして乗組員から詳しい話――町の形や大きさを聞き出した。
リーザは町の規模を想像した途端、眩暈がした。たしかに町と言える規模なのである。
「これは今すぐ確かめねば!」と思い立ち、わざわざ巻物を使って戻ってきたらしい。
「……まさか」
話を聞いて、ルンベックも絶句している。
ルンベックですら、未開地帯とは人跡未踏の地であると、幼い頃から刷り込まれている。
「まさかそこを踏破して町を作ったとか?」
あり得ないと思う反面、町ができているのならば、それをやったのは、正司以外にはあり得ない。
それでも「だがしかし……」と信じ切れないのである。
「あー、リザシュタットかぁ!」
何かを思い出したかのように、ミラベルが叫んだ。
事実思い出したのだろう。握った拳と手のひらをポンッと鳴らしたのだから。
瞬間、リーザ、ルンベック、ミュゼの視線が一カ所に集まった。
「……あれ?」
可愛らしく小首を傾げるミラベルに、リーザはそろりそろりと近づく。
ゆっくりと後ずさろうとしたミラベルは、背中がミュゼに当たった。
「ねえ、ミラベル。ちょっとお話しましょうか。そのリザシュタットって何かしら?」
唇をヒクヒクさせたリーザの顔が迫る。
「えっ? タダシお兄ちゃんと一緒に作った……町?」
「町を作ったの?」
「うん」
「タダシと一緒に?」
「……うん」
「未開地帯の北端に?」
「それだけじゃないよ、別の場所にも……きゃぁあああ、お姉ちゃぁ」
「どぉおおおして、あんたはそう余計なことぉおおお」
リーザはミラベルの肩を掴んで、カックンカックンと揺すった。
「王国とぉおお、和平交渉中なのよぉおお……なんでぇええ、パワーバランスを崩すことをぉおおお……」
カックン、カックン、カックン。
「ラマ国だってぇええ、黙ってないでしょぉおおおおお」
「リ、リーザ、や、止めなさい。ミラベルが、ミラベルがぁ、泡を吹いている!」
ルンベックが慌てて止めに入るが、リーザには聞こえていない。
ぶくぶくぶく。
口から泡とエクトプラズムらしきものを排出させて、白目をむいたミラベルの頭は、カックン、カックンと揺れ続けるのであった。