表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/138

091 国のかたち 後編

 正司と武装輸送隊の面々は、細道を夜通し駆け続けた。

 そして翌日の早朝、だれ一人欠けることなく、目的地まで到着した。


 小休止を何度か挟んだとはいえ、かなりの強行軍。

 しかも灯りのない夜の細道である。脱落者が出なかったのは奇跡に近い。


「ここが拠点です、魔道士様」

 リスチャンの声にも疲労の色が濃い。


 拠点は、丸太を組み合わせた防護柵の中にあった。

 リスチャンが門外に備え付けてある鐘を鳴らす。


 ――カーン、カーン


「交代の知らせは、二回と決められているんですよ」

 程なくして、建物の中から若い男が現れ、門のかんぬきを外した。


「見張り御苦労! それでジョエリクは無事か? 何があった?」

 中に入るのももどかしく、リスチャンは叫んだ。


「隊長は安静中です。G4の魔物を狩り損なって、隊長が間に入ったのです」

「やっぱりか! アイツらしい……おい、行くぞ!」


 リスチャンは部下に声をかけて、拠点の中に駆け込んでいった。

 正司はそんな様子をぼーっと眺めていた。


「……あなたは?」

 若い男が、一人だけ残った正司に声をかける。


「初めまして、私はタダシといいます。武装輸送隊の方々とは、途中で会いました」


「そうですか……途中で?」

 若い男は、言葉の意味を考えて首を捻っている。


 村から拠点までは一本道。

 どうやっても、途中で出会うことは不可能だからだ。


「リスチャンさんが困っていたので、少しだけお手伝いさせていただきました。その縁で、一緒に行動させてもらっています」


「そうだったんですか。それはありがとうございます。ここは狭いところですが、どうぞ中へ。他の仲間はまだ、寝ていますけど」


 今は日が昇るかどうかという時間帯だ。

 起き出してくるのは、もう少し後だろう。


「そういえばリスチャンさんが、村に鳥が来たと言っていましたけど、何かあったんですか?」


「G4の魔物を狩っている最中に大雨に降られたんです。雨音も酷いし、視界が遮られたことで、魔物の接近に気付かなかったんです。それで隊の横から襲撃を受けて、猟兵りょうへいの半分が怪我をしてしまいました」


 この若者は未熟らしく、後ろの方で狩りの手伝いをしていたため、無事だったらしい。


 問題は、部隊の中核を担っていた者たちの多くが、その襲撃で怪我をしてしまったことだという。


「王国猟兵の具体的な仕事とは、どういうものなのでしょう。リスチャンさんから、簡単に説明を受けたんですけど、まだ詳しくは把握できていないもので」


「王国猟兵の説明ですか? いいですよ。ただ私が知っているのは、この部隊のことだけですけど」


 エルヴァル王国は、街道を安全に保つため、魔物の間引きに多くの予算を割いている。

 同時に、稀少な魔物のドロップ品を安定供給できるよう、多くの集団と契約している。


「専属契約をしている集団のことを王国猟兵と言うのですね」


「そうです。魔物を狩るだけならば、魔物狩人と同じです。王国猟兵の場合、ドロップ品は王国が指定した商会に卸すことになっているんです」


 これは稀少なドロップ品を国外の商人に売り渡さないための措置らしい。

 たしかに、王国が専属契約した集団が、他国商人と昵懇じっこんなのはよくない。


 王国猟兵は、契約時に大凡の狩り場とドロップ品の買い取り先を決めるという。

 それをすると、契約一時金がもらえ、毎年わずかながらも補助が出るらしい。


「ドロップ品はリスチャンさんに託すわけですか」


「はい。ドロップ品を商会へ持っていくのは武装輸送隊の役目です。物資の補給や交代要員の派遣もそうです。毎回村と拠点を往復するのは手間ですので、ローテーションを入れながら戦っています。本来、交代はもっと後だったんですが……」


 大雨で怪我人が続出して、予定が狂ったのだろう。


 今回、リスチャンが村から率いてきたのが五人で、戻るときも同じく五人連れて戻るらしい。


 戻った彼らは村で休息したのち、またこの拠点に戻ってくる。

 そうやって暮らしているという。


「なかなか大変ですね。そういえばG4の魔物と戦ったと聞きましたが、この辺りに出るのですか?」


「いえ、それはさすがに……いくら拠点に柵があったとしても、G4の魔物が出たら、暮らしていけません。この周辺に出るのはG2かG3の魔物だけです。ここから半日歩いた先が、G4のテリトリーになります」


 どうやらここは、『魔物が湧かない地』であるらしい。

 ただ、あまりに狭く、村にすることもできない。


 拠点にする以外に、使い道がないのだろう。


「魔道士様、こんなところにいらしたんですか」

 リスチャンが駆けよってきた。


 正司のとなりで若い男が「魔道士様なのですか!?」と驚いている。

「まあ、そういう……感じです」


「魔道士様のおかげで間に合うことができました」

 リスチャンは深く頭を下げた。


「頭をあげてください。あれは私がしたいから行ったことですので……それよりも、隊長さんは、どうでした?」


「ジョエリクですか……容体は芳しくありません。村には高級品のポーションもありませんので、薬で痛みを抑えているところです。もう少ししたら、ここにいる他の連中も起き出してくるでしょう。一度みなを集めて、対応を協議することになりそうです」


「そうですか。私は怪我を治せます。よかったら、治療しましょうか」


「えっ、魔道士様は治療もできるので?」

「はい。怪我や病気は一通り治せます」


「そうですか……でしたら、少しでもアイツの身体を良くしてやってください。他のメンツを庇ったらしくて、アイツの怪我が一番酷いんですわ」


「分かりました。どこですか?」

「俺に付いてきてくだせえ」


 リスチャンが走り出すので、正司もついていく。

 すると、丸太小屋のひとつに案内された。


 隊長という話だったが、別段立派な家ではない。他と変わらない簡素な小屋だ。

 そういう所にこだわらない人物なのだろう。


「こっちです。さっき鎮痛の丸薬を飲ませました。裂傷がひどいんですが、それより出血で意識があったりなかったりの状況みたいです」


 ジョエリクの上半身は爪か何かで引っかかれたような傷が多数できていた。

 包帯が足りず、傷口がみえている。


 そして全身の至るところに、血が乾いてこびり付いていた。

「酷い状態ですね」


「撤退するとき、最後まで残ったようです。他の者はこれほど酷くはないみたいなんですが……」


「なるほど……では治しますね」

「お願いします。奴とは小さい頃からの付き合いでして、少しでも痛みが……って、なんで治ってるのぉお!?」


 ジョエリクの身体が光ったかと思えば、あれほどあった深い裂傷が跡形もなく消え去っていた。


「終わりました」


「…………ハッ! あ(ガチャ)、あっ(ガタン)、ああ(バシャーン)……ありがとうございます、大魔道士様!!」


 リスチャンはとっちらかってしまった。

 急に動いたものだから、そばにあった水差しやら、洗面器やらをシッチャカメッチャカに蹴飛ばしている。


「大丈夫ですか?」

「えっ、ええ……大丈夫です。そ、それより……〈治療魔法〉も見事に使いこなせるんですね」


「そうですね。必要になることも多いですので」

 なぜか正司は、よく怪我した人に遭遇する。


 と言っても、魔物が湧くこの世界では、怪我は日常茶飯事。

 そういった人物と遭遇することはそれほど珍しいものでもない。


「……ん? な、なんじゃこりゃ!? け、怪我が治ってるぅ!?」

 気がついたジョエリクが上半身を起こし、周囲に響き渡るほどの大声をあげた。


 幼なじみというこの二人は、リアクションまで似ていた。




「いや、助かりました。まさかこうして全快するとは」

 ジョエリクが正司に頭を下げる。


 彼の大声に、拠点にいた人々が集まってきた。

 魔物の襲来と思ったのか、剣や槍を持った者もいた。


 リスチャンとジョエリクが事情を説明し、すぐにその場は収まった。

 ついでにと、正司は怪我した人を全員、回復させたのだ。


「それでタダシ様、どうしてこんな辺鄙なところへ来たんですか?」

 ジョエリクとしては不思議らしい。


「偶然リスチャンさんと会ったんです。というのも川沿いを歩いていたら……」

 ジョエリクは、橋が流されたと聞いて顔を青くし、魔法で石の橋を作ったと聞いたら、今度は真っ白になった。


「という事情でした。他に言えることと言えば、王国に来てみたかったからでしょうか。王国の町や村はどういうところなのか、興味があったのです」


「そうですか、王国に……ここはいたって普通の国だと思いますが」

「どこも普通だといいますけど、各国特色がありますから。そういえば、戦争があったのはご存じですか?」


 正司は今回の戦争について聞いてみた。

 すると、ジョエリクはもとより、リスチャンも戦争があったことすら知らないという。


「それで、戦争はどうなったんです?」

「すみません、私も詳しいことは知らないんです」


「そうですか……ああいう情報は、だいたい複数の店を持つ商会が率先して情報を集めますから、一般の俺たちが知るのは、町で噂になったあとです」


「そうです。村にいると、そういった情報はまったく入ってこねえんですわ。交易商人がついでに話してくれることもありますが、その程度ですよ」


 彼らにとって、王都で何が行われていようと、自分たちの生活にはまったく関係しない。

 戦争がおきたのは驚きだが、だからといって、それに対して何かを感じることもないのだという。


「今回の旅では、王国の町や村を見るついでに、馬を飼育している様子も見てみたいのです」


「魔道士様は、昨日もそんなこと言ってましたね」


「はい、馬をどんな環境で、どのくらいの広さで飼育しているのかとか。何人くらいの人が働いているのかとか、知りたいのです」


「だったらウチの村を紹介してやればいいんじゃないか?」

 ジョエリクがリスチャンに言った。


「そうだけど、俺たちの村にいるのは荷馬用だしな、見て楽しいものじゃないと思うが」


 有名なオーラン村は、主に軍馬を扱っている。

 名馬や高級馬を多数算産出していて、国外にまで名前が広まっている。


 一方、リスチャンたちの村はミド村といって、馬の飼育はやっているものの、乗馬用の馬はほとんどおらず、もっぱら荷運び用の馬ばかりだという。


 荷運び用の馬は、スタミナが豊富で力も強い。

 ただし、速く走ることは苦手らしい。


「そういうのでいいんです。ぜひ、見学させてください」

「……そうですか? 魔道士様にはさんざん世話になったし、村でも歓迎させてもらいますが……本当にただの辺鄙な村ですよ?」


「問題ありません。本当に楽しみです」

「そ、そうですか」

 やはり魔道士は変わっているなと、リスチャンとジョエリクはそっと顔を見合わせた。


 ジョエリクの怪我が治ったとはいえ、すぐに狩りを再開できるわけもない。

 この日と翌日は休息日となった。


 リスチャンは翌日村に帰るという。

 正司もそれに同行する。


 というわけで、今日一日暇をもてあました正司は、拠点の中を歩き回り、珍しいものを見つけては質問を浴びせていた。


 みな客人が珍しいのと、隊長以下、多くの怪我人を治療したのが正司だと知っているので、話しかけられても嫌な顔ひとつせず、正司の相手をしてくれている。


「えっ、ドロップ品の買い取り金額は、一定なんですか?」

 隊の中でも書類仕事や会計を担当している者と話したとき、意外な言葉を聞いた。


「そうです。どの王国猟兵でも、同額だと聞いています」

「横流しは厳禁だと伺いましたが、決まった場所へ卸すだけでなく、金額まで決まってしまっているんですか」


「そうですね。買い取り金額の決定権は、我々にはありません。その値段に不満だからと横流しをして、それが発覚すれば厳罰が待っています。これはだれが行ったかによらず、全員が処罰されます」


 王国の買い取り金額は相場よりも安いらしい。

 だがそのわずかな差額目当てに、ドロップ品の横流しは割に合わないという。


 国との契約とはいえ、場所も値段も一方的に決められるのは、いささか不平等ではなかろうか。

 正司はそんなことを思った。


(あれ? そういえば日本にも同じ制度がありましたね。市場いちばがそうだったと聞いたことがあります)


 一般にはあまり知られていないことだが、市場は生産者から出荷されたものは、全量買い取りが原則である。

 つまり農家が出荷した野菜は、必ず市場が全量買い取らねばならない。


 これだけ聞くと、かなり優遇されているように思えるが、出荷者側に価格の決定権は存在しない。

 価格を決めるのは、その野菜を購入する業者なのである。


 業者が直接買いに来ることもあるが、一般的には仲買人なかがいにんと呼ばれる人たちがその役を担う。


 市場でりが行われ……というのは幻想で、出荷された荷に仲買人が値を付け、その価格で決まる場合がほとんどだったりする。


 そのため、旬のタケノコを朝掘りして10キログラム箱詰めして持っていっても、300円にしかならないときもある。キロ当たり30円である。


 旬とは、それがもっともおいしく、もっとも多く収穫できる時期。

 ゆえに、もっとも多くの荷が市場に集まる。


(だれが値を決めているのか分かりませんが、それは大変ですね)


 ドロップ品の中でも長持ちしない肉だけは拠点で消費し、皮や魔石などを武装輸送隊に託しているという。


(そういえばみなさん背嚢はいのうを持っていましたけど、そういう理由もあったのですね)


 ここまで馬車が入れないため、ドロップ品もすべて背負って持ち帰らねばならない。

「どのくらいドロップ品が出るんですか?」


「月に二度、交代がくるんですけど、ほとんどG2とG3のものばかりです。G4のドロップ品は、一つあるかないかですね」


(ということは、G4のドロップ品は、月に一つか二つ……かなり厳しいですね。これが王国猟兵の暮らしなんですね)


 拠点に篭もり、毎日魔物を狩って暮らしている彼ら。

 危険と隣り合わせで、精神的なストレスは相当なものだろう。


 それでもG4のドロップ品は、月に二つあればいい方。

 大勢を養うのは厳しそうだと正司は思った。


「こういう生活に不満に思ったりしないんですか?」

 思い切って正司は尋ねてみた。


 もう嫌だと、逃げ出したくならないのかと。


「そうですね……ですがこれが仕事ですから」

 その男は、半分諦めたような顔で言った。


「あっ、でも、時々町に行くんです。交代で村に戻ったときなんですけど、町へ納めに行くときに、付いていくんです」


「村まで取りにこないんですか?」


「来ませんね。こちらから納めに行きます……それで町を見て思うんです。来るたびに町は変わるけど、俺たちは変わらないよなって」


「?」

 どういうことか、正司は意味を量りかねた。

 それが顔に出たのだろう。男は説明した。


「王国って、商人の国じゃないですか。だから商人を富ませる政策を採るんですよね。商人が富めば、人々も富むみたいな」


「分かります。お金が市中に流れれば、景気が良くなりますからね」

「するとですね、年々町は豊かになっていくんです。町に住む人も豊かになります」


「国の政策がうまくいっている証拠ですね」

「だけど、俺たちは変わらない。だって変わりようがないじゃないですか」


「そうですか? 経済が上向けば、みんなの生活は豊かになるんじゃないですか?」

 物があふれ、金は市中を廻る。好景気というやつだ。


「なりませんよ、だって魔物の価格は、国が豊かになっても変わりませんもの」

「えっ? ………………ああ、そういうことですか」


 正司は理解した。

 と、同時に背筋に冷たいものが這い上がってくるのを感じた。


(あれ? もしかして、気付いていない? まさかそんなことが……いや、どうなんでしょう)


 現代知識を持っている正司は、その怖さをすぐに理解した。

 だがそれは、高度な教育を受けたからである。


 この場合、目の前の男が理解しないのは仕方ないとして、王国の中枢にいる者たちが果たして理解しているのかどうなのか。

 問題はそこである。


(為政者が拡大再生産と単純再生産の違いに気付いていないとか……ありませんよね)


 商売に限らず、生産活動さえも、毎年拡大していくのが基本とされている。

 正司も詳しく学んだわけではないが、世の中とはそういうものだという認識はある。


 簡単にいえば、その年の余剰分を翌年の投資に回す考え方だ。

 商人ならば設備投資をしたり、新しい品物を仕入れたり、販路を開拓したりでもいい。


 農家でも同じことができる。

 収穫したものを金に換え、余った金で機材を導入したり、新しい種や苗を購入したり、耕地を増やしてもいい。


 もしくは人を雇って効率化を図ってもいい。

 なんにせよ、今年より来年、来年より再来年と、年々規模を大きくしていこうという考え方が拡大再生産である。


 一方、単純再生産は、その設備投資などに回す分が一切発生しない。

 農家で言えば、収穫した分をその一年で食べきってしまう感じだ。


 食べる分しか作らない。作れない。

 この場合、何年経っても生活は向上しない。当たり前だ。


 すると、規模は拡大しない。余剰がないから、拡大することができないのだ。

 十年前も、いや百年前から同じことを繰り返すことになる。


 こうなると、周囲から取り残されてしまう。

 一年、一年はわずかな差でも、五年も経てば、目に見えて分かるほどに差が開いていく。


 そして今、正司は思った。

(もしかして、王国猟兵の人たちって、単純再生産しているってことはないですか?)


 だとすると、もう二度とこのサイクルから抜け出せない。

 それどころか周囲が成長しているために、年々貧乏になっている計算になる。


 王国がしていることは、少しでも商人が富むこと。

 物価は、徐々にだが上がっているはずなのである。


 にもかかわらず、ドロップ品の買い取り金額が昔から変わらなければ、手に入る金額は、『実質的に』減ってしまっている。

 そしてそれに気付いてない可能性が高い。


(これはもしかして、大変なことかもしれません)


 この負のスパイラルから抜け出すには、経済成長に合わせて買い取り金額を上げるか、彼らが得るドロップ品の量を毎年増やす意外に方法はない。


(ドロップ品を増やし続けるなんて不可能ですし……少し聞いてみましょうか)


「あの……つかぬことを伺いますけど」

「はい?」


「たとえばですね、国の買い取り金額って、毎年上がったりしています?」

「まさか、そんなことあるわけないじゃないですか」


「……ですよね。以前上がったのって、いつですか?」


「よく覚えていませんけど……ここ十年は変わってないですね。おそらく二十年くらい変わってないんじゃないでしょうか」


「……マジですか」

 思ったより酷かった。そして、国の中枢部は何も分かってなかった。


(こういうのに国がしっかり介入しないと、見えないところで貧富の差が生まれるんですよね。年々その差が開いていくという……)


 声をあげず唯々諾々と従っていると、いつまでたっても改善されない。

「実直」は悪いことではない。それどころか、称賛されてしかるべき行動である。


 だが、たとえ煙たがれようとも、生業にしているのならば、『儲け』を出さなければならない。

 その儲けは、浪費せずに来年への投資に回す。そうしてはじめて拡大再生産といえる。


(王国猟兵の場合ですと、予備の薬の購入や、機械を入れて作業の効率化でしょうか。良い武具を揃えるのもいいですね。ほかにも人を雇って、狩る数を増やすとかも考えられます。……すべて先立つものが必要ですけど)


 正司は王国とは何も関係のない立場の人間だ。

 ああだこうだという権利はない。


 それでも何とかしたいと思ってしまうのは、欲張りなことなのだろうか。




 正司は一人になり、切り株に座った。

 先ほどの話をゆっくり考えてみたかった。


(王国の考え方は理解できます。商人が潤えば、それにぶら下がった人たちが潤います。巡り巡って顧客たちも潤います。ですがもっと生産者寄りの人たちは、潤っているのでしょうか)


 領主や商人、軍人、職人……町で暮らす人たちはいい。

 そうではなく、たとえば農民や狩人など、普段町へ足を向けないような人たちのことは、ちゃんと考えられているのか。


(これは……国政が「商人寄り」になっている弊害ですね。おそらく吸い上げたお金が、末端まで下りていないように思えます)


 他国のことだからどうでもいいとは考えたくない。

 知ってしまったからには、状況をしっかり把握したいと正司は考えた。


(王国に来てみて分かりましたけど、ここはまさに商人による商人のための国なのですね。ミルドラルは三公家が寄り集まっていますし、米国のような感じでしょうか。ラマ国は国全体が小さくまとまって、小さな政府という感じがします)


 こうして考えると、各国それぞれ特色がある。


 どの国が素晴らしいとか、革新的であるとか、そういうものはない。

 みなその特徴の中で、うまく国を回していこうと頑張っている。


 だが、先ほどの話のように、すべてに目が届くわけではないようだ。

 ドロップ品の買い取り価格は、公務員の給与と同じだ。


 本来、その増減が国の貧富を表していなければならない。

 声が出ないからといって、買い取り価格を据え置いてよいものではないはずだ。


 そして恐らく、似たような問題はこれ以外にも存在している。

 商人を優先するため、全体的に他の仕入れ価格も安いのではないかと正司は考えた。


 商人が儲けを出すには、安く買って高く売ることが必要だ。

 商人は、高く売る努力をしているだろう。それはもう一生懸命に。


 同じくらい一生懸命、安く買う努力もしているに違いない。

(これで自由競争の市場原理が働いていれば違うのでしょうけど……)


 商人の国が価格を管理した場合、商人の意見を取り入れ、商人寄りの価格になってしまうものなのだろう。


「どうにかならないものですかね」


 切り株に座り、頬杖をついたまま、正司は深いため息を吐くのであった。




 トエルザード領ラクージュの町。

「やあ、お待ちしておりました」


 ルンベックは今日も屋敷に来客を迎え入れた。

 これはいつものことである。


 ただ、普段と違うのは、来客がフードで顔を隠していることだろうか。

「どうぞこちらへ。足下にご注意ください」


 玄関先まで出迎え、ルンベックは客人を先導する。

 ルンベックのあとに続いた人物は小柄で、背が曲がっている。老人であることが窺える。


 執務室の脇にある一番小さな会議室へ客人を招き入れると、ルンベックは相手に座るように促す。

 この部屋にはルンベックと客人のみ。余人はいない。


 ここでようやく客人は、ゆったりとしたフードを取った。

 現れた顔は男性のものである。顔には深いシワが数多く刻まれている。


 歳は八十代か九十代、それ以上かもしれない。

 バイダル公よりもはるかに年上に見える。


「ようこそいらっしゃいました、歓迎しますよ、長老」

 長老と呼ばれた人物は、ゆっくりと頷いた。


 そしてルンベックを真正面から見据える。

 一瞬だけだが、ルンベックの動きが止まった。


 というのも、長老と呼ばれた老人の目は白く濁っていた。

 何物も映さないであろうその目はしかし、ルンベックをしっかりと捉えている。


 老人には社交辞令を言う習慣がないのだろう。

 単刀直入に、用件を切り出した。


「我が一族に新しいおさが誕生します」

「新しい長ですか……それはおめでとうございます。そして長老、長い間のお勤め、御苦労さまでした」


 長老はゆっくりと頷く。


「新しい長はまだ若く、今はまだ記憶の混濁から抜け出せぬようです。近いうちに整理がつくでしょう。今でもその片鱗が見え始めました」


「それは……優秀ですね」

 再び老人は頷く。


「ともに挨拶に来ようと思いましたが、それまで私が生きているか分かりません」

 だから先に来たのだと老人は言った。


「知識の継承をしたばかりなのですか?」

 老人は頷いた。


 ルンベックの目の前にいる老人こそ、『語り部』一族の長老である。


 かつて語り部の一族は、帝国で迫害に近い扱いを受け、絶断山脈を越えて大陸の西へやってきた。


 途中でその多くが死に絶え、後世へと語り継ぐことができなくなっていた。

 そして生き残ったわずかな者たちもまた、過酷な環境に馴染めず、歳を経るごとにその数を減らしていった。


 トエルザード家が保護している者たちの他に、最近バイダル家でも語り部を保護していることが確認できた。


 他は分からない。どこでなにをしているのか、生きているのか、いないのか。

 そもそも彼らが話す言語は一切理解不能なのだ。


 ときおり天恵のように一部分だけ解読できることがあるが、それだけ。

 言語として体系的に解明されたという話は聞かない。


「一族の多くは変わらずです。あれに耐えられる者は最近少なくなりました」

「では後継者の方は……」


「ええ、久し振りに現れました」


 老人はニッコリと笑った……ようにルンベックにはみえた。

 ただシワが深くなっただけの可能性もあるが。


 語り部の一族は、人智を越えた言語を継承するため、それで頭がいっぱいになってしまうらしい。

 新しく記憶できず、これまでの記憶も生かせず、満足に日常生活が送れないのだ。


 頭の中で100の記憶する力があるとした場合、99までも知識の継承に使ってしまう。

 ゆえに言動や行動が他者と違ってしまう、周囲から奇異な目で見られることになる。


 帝国では無能者として迫害を受けていた。

 ただ長老のように、100のうち70までしか使わずに継承できる者が現れる。


 これまで、そういった者が一族を率いてきたのだ。

 一族は、成人する前に知識を継承する。だが、ほとんどの者はそれだけだ。


 長老のように余力を持って知識の継承を終わらせることが難しい。

 だが、長老は「新しい長が生まれた」と言った。


 知識を継承した直後ならば、まだ若いはず。

 それが新しい長であると。


「分かりました。次代も変わりなく庇護してゆきます。なんなりとこのトエルザード家を頼って下さい」

 その言葉に老人は安心したように何度も頷く。


 その後、老人とルンベックは、静かに言葉を交わすのであった。

 その日遅くまで、二人の会話は続いたという。



 正司をめぐる最後のピースが、もうすぐ揃う。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ