089 王国商人来訪
その日正司は、朝から博物館に来ていた。
オープンしてから今日まで、大小さまざまな問題が持ち上がってきた。
ほとんどは従業員の頑張りと、支配人のレオナールの裁量によって事なきを得ていたが、正司が何もしなくてよいわけではない。
今日は博物館の三階で、柱の陰から目立たないよう、土産物の売れ行きを眺めているのである。
「行列がすごいですね。店に入るために並ぶのですか」
「はい。毎日、こんな感じです」
正司の言葉に相づちを打ったのは、購買部主任のジョナルド。
正司もジョナルドも従業員に顔が知られている。
そのため、二人が土産物売り場に近づくと、接客中でもそれなりの対応をされることがある。
ゆえにこうして、いい年した大人が二人、柱の陰から眺めているのである。
ちなみにジョナルドと正司は同年代だ。
柱の陰で仲良くコソコソ。
二人の姿を目に留めても、仲の良い友人同士にみえるだろうか。
――おまわりさん、この人です
こちらの方が近いかもしれない。
「お店に入れない人が多すぎますね。もう少し店舗を広くした方がいいでしょうか」
「その方が一度に多くのお客様を中に入れることができますが、店員の数に限りがありますので、結局行列はできると思います」
「……そうですよね」
レジが増えなければ、人は捌けていかない。
そして店の外で並んでいる者、中で買い物している者者……彼らはすべて客である。
急かすわけにもいかない。
なけなしの金で、故郷の家族にお土産を……と考えているならば、十分吟味してもらいたい。
「ですが……そうですね。行列が際限なく伸びるのも困りますし、何か考えましょう」
「よろしくお願いします」
ジョナルドは博物館の購買部主任である。
彼の仕事は、土産物店を切り盛りする店長の意味合いが強い。
将来的には、正司の思いつかないグッズ開発や、博物館の外でもオリジナル店舗、いわゆるアンテナショップの開店なども視野に入れている。
だが現状、そのような夢物語よりも、目の前で並んでいる客を何とかしなければいけない。
(また人を増やしますか……)
最近、そればっかり考えていると正司は苦笑する。
博物館の噂は口コミで広がり、「それならぜひ一度、見に行ってみよう」と、多くの人が足を運んでいる。
同時に「博物館で買ってきた」と、口コミ以上に説得力を持つのが土産物だ。
世界中探しても、ここだけでしか売っていないものが数多くある。
珍しさと稀少さも相まって、高値で転売されているとも聞いている。
長時間並ぶ人々を見て、早急に対策を立てる必要を正司は感じた。
ちなみに土産物店で売っている品物のほとんどは、原価ゼロである。
正司が〈土魔法〉で作ったものを置いているだけなのだ。
売れれば売れるだけ儲かるわけだが、だからといって安値放出はよくない。
レオナールと相談しつつ、すべて「妥当と思える」値段をつけた。
だが、すべてがすべて、狙い通りの金額が付けられたかといえば、そうではない。
実際に『売れ筋』の商品と、そうでない商品が存在しているはず。
そう考えて、正司はジョナルドに問いかけた。
「品薄の商品って、どのくらいあります? いつ頃補充すればいいでしょうか」
「商品はどれも飛ぶように売れていますが、その日に販売する個数を決めています。計算上、まだ数ヵ月は大丈夫だと思います」
そもそも店舗に一定以上、出していないらしい。
最初に用意した分が捌けたら、その日の販売はなし。
売り切れの札を掲げることにしているようだ。
在庫の調整はできているという。
それを聞いて、正司も「なるほど」と呻った。
あればあるだけ、売れれば売れるだけ出すよりもよっぽどいい。
「分かりました。無くなりそうになってから慌てて作るよりは、余裕があった方がいいですね。来月までに一通り用意しておきます」
「よろしくお願いします。……ただ、ひとつ気がかりなものがございます」
「気がかり? ……なんですか?」
「実は、高級品がそろそろ無くなりそうなのです」
「えっ、そうなんですか? 高級品って、こんなものも置いていますって飾ってあったやつですよね」
正司の言葉にジョナルドが頷く。
正司は、安いものから売れていくと考えていた。
もしくは、値段のわりに質の良いものとか。
ただ、それとは別に、売れなくてもいいから、「見世物」として、高級品も置いていた。
「G5の素材とかですか?」
「……はい」
沈痛な面持ちでジョナルドが頷く。
ちょっとヤバいくらいの値段をつけたやつである。
「買っても加工できる人がいないでしょうに」
いるにはいるが、数年待ちはザラだと正司は聞いている。
「ただ持っている、玄関口に置いてあるだけで価値があるのだと思います」
「えーっ……」
それはどうなのだろうと正司は思う。
G5の皮を革に加工し、そこから防具にするには、かなりの技術が必要と聞いている。
革の持つ特殊効果を付加させるには、熟練の技が必要だとも。
それゆえ、高級品の武具は需要はあれど、供給が追いつかないと言われている。
素材だけあってもしょうがないだろうと、正司はレオナールと相談し、珍しいけど使い勝手の悪そうな素材を飾っておいたのだ。
しかも暴利な値札をつけて。
「他に不足しそうと言えば、通常の魔物のドロップ品でしょう。もっともこれは無くなったら終了、入荷は不定期と説明してあります」
「あー……そっちも売れているのですか」
正司は別に要らないし、欲しい人は買うだろうと、土産物店に魔物のドロップ品を並べていた。
といっても、グレードの低いものばかりである。普通にどこでも手に入るものだ。
デルギスタン砂漠や凶獣の森にしか棲息しない魔物が落とす皮、魔石、素材などは、なかなかミルドラルに入ってこないため、高値でもポンポン売れていくというのは以前聞いた。
ならばと、最初に「高値」と思える値段を考えて、その二割増しの値札を付けている。
それでも商人(と思われる客たち)が大金を支払って購入していくようだ。
博物館で実際に魔物を見て、そのドロップ品が売られているとなれば、少し無理してでも買ってみたいと思うものなのかもしれない。
「ほかにも魔道具が売れています。いわゆる一点ものの魔道具ですから、在庫はもうほとんどないと思います」
「あれは……あれも目玉が飛び出る価格設定だったと思いますけど」
正司が魔物の素材で作った魔道具も並べた。
調子に乗って〈魔道具製作〉で作り過ぎたのだ。
だが、店に並べたのはそれほど複雑な魔道具ではない。
そもそも魔道具と名の付くものは、安値では売れない。売ってはいけない。
ゆえに、「この値段で買う人いるの?」としたはずだった。
「一点ものの限定品。次回入荷は未定となっていますので……売れています」
カバンに金貨をパンパンに詰めて買いに来ているらしい。
「その人たちって、何しに来ているんでしょうね」
「仕入れ……でしょうか」
あくまで真面目に答えるジョナルドに、正司は「そうですか」としか返せなかった。
(博物館は、仕入れにくる所じゃないんですけど……)
それでも正司の魔道具が、必要な人の手に渡るならばまあいいかという気分になる。
「悪質な購入者は取り締まりますが、一点しかないものを購入される方は、それなりに名のある場合がほとんどですので、対応は慎重にやっております」
「買いたいとやってきた人に『ダメです』とも言えないですしね」
「はい。というわけで、在庫は日に日に少なくなっております」
「分かりました。今度作っておきます」
「よろしくお願いします」
相場より高値で置いてある魔道具を購入した商人は、他で捌けるのだろうか。
変なところで心配する正司であった。
正司が博物館の事務室に戻ると、ファファニアが寄ってきた。
「タダシ様、少々お話したいことがございます」
いつものことである。
正司を見かけると、どの部署の主任でも、こうしてやってきて話をしたいと告げてくる。
「でしたら外へ行きましょう。天気もいいですし、木陰のベンチで座りながら、話を聞きます」
正司がそう言うと、ファファニアの顔がほころんだ。
博物館の敷地には、多種多様な樹木が植わっている。
また、人々が散策できるよう、歩道が整備されている。
大きな木の陰にはベンチが備え付けられており、人々の憩いの場となっていた。
目当てのベンチがすべて使用中だったので、正司は大きな木のそばに〈土魔法〉でテーブルとベンチを作った。
「タダシ様、これは……」
ファファニアが目を丸くする。
「こういうのを最近よく作るので、凝ってみることにしたのです」
以前は無骨なテーブルとベンチしか作れなかったが、何百と作っているうちに、色々と考えられるようになった。
そして今では、装飾にまで拘っていたりする。
今回正司が即席で作ったテーブルとベンチだが、工芸品と呼んでも差し支えないレベルに仕上がっている。
日頃の訓練の賜物である。
幼い頃から本物の芸術品に触れてきたファファニアが見ても、それは十分及第点に値するものだった。
「ああ、大丈夫ですよ。終わったら土に戻しますので」
逡巡するファファニアを見て、正司は見当外れのことを言った。
計算された庭園内に勝手に作っていいのかとファファニアが訝しんだと思ったらしい。
ファファニアは黙って座る。
正司が座るのを待ってから、話しはじめた。
「博物館がオープンしてから、ラクージュの町に住む貴族の方々と一通り面会致しました」
ファファニアは宣伝部の主任であり、渉外を担当している。
「それはご苦労様です。大変でしたね。それでどんな感じです?」
「みなさまから要望を伺ってきました。一部は叶えられそうもないものですので、報告書には記載しませんでしたが……」
「叶えられそうもない要望……ですか?」
「はい。石像を譲ってほしいというものでした。これはトエルザード家当主様からも禁止の方向でと通達が来ております」
「そうなんですか? 作るのくらい、訳ないですけど」
「手間などではなく、政治的な思惑が絡んでいるのだと思います」
「……なるほど」
分かってないが、正司は頷いておいた。
どのみちルンベックが「止めた方がいい」というものは、本当にその通りにした方がいい。
ちなみにファファニアも石像を譲る……もっとも対価を支払うわけなので、「等価なものと交換する」になるわけだが、それをしない方がいい理由に心当たりがあった。
正司に擦り寄る者が出ないよう、ルンベックが目を光らせている。
不必要な接触を阻止していると言ってもいい。
石像を譲ってもらったと声高に叫ばれては、非常に困った事態になる。
といって、だれもかれもとなったら、収拾が付かない。
一様に禁止する方が、被害が少ないのだ。
「それはいいのですが、貴族や上流階級の方々から要望がありまして」
「そうでしたね。……えっと、どのような要望でしょうか」
「グレードの高い魔物のドロップ品、それから魔道具の類い……あと、コインですね。こちらの販売をしてくれないかと」
「土産物店に置いて……ああ、もっと稀少なものをですか?」
ファファニアは頷いた。
「オークションを開くならば自分は参加すると息巻いている方ばかりです」
「えーっと……?」
G5の素材だと、レオナールが「これならば並べても被害が少ない」と判断したものだけを土産物店に飾った。
貴族たちはその情報を得て、「他にもっと持っているはず」と思ったのだろう。
喉から手が出るほど欲しいG5の素材などがあるのかもしれない。
「タダシ様がG5の魔物を単独で狩れることはみな分かっております。ラマ国の一件も知れ渡り始めました。将軍の姿を見れば、何があったかなど子供でも分かりますので」
遅まきながら、ライエル将軍がコインを使って大幅に若返ったこと、それに正司が関係していることが、普通の貴族や上流階級の人々にも知られるようになったらしい。
「それでオークションですか」
素材だけでなく、コインにも目を付けたようだ。
「はい。ここ数年、コインは需要が高まっていましたが、王国が独占したままでした。そもそもオークションに流れませんでしたので」
それらの希少性はかなり高まっているようだ。
そしてこの町には、それを供給できる者がいる。
貴族や上流階級の者たちが「オークションを開いてくれ」と願うのも当然のことと言えた。
「どうしたらいいでしょうね。実は大量にありますので、別に売ってもいいんですけど」
そもそも土産物店には並べない方がいいと言われて、『保管庫』の中にはグレードの高いものほど余っている。
「無用な混乱を避けるために、オークションは控えた方がいいとわたくしは考えますが、トエルザード家のみが所有するのも良くないと思います」
「うーん、難しいですね」
その言い分も分かる。
「かつて帝国に影狼で作った革鎧が存在しました。それを纏った暗殺者が帝国で猛威を振るったと聞いたことがあります」
影狼はG4の魔物で、本体は大型犬ほどの大きさしかない。
だが、その影は数倍から数十倍と大きく伸びるという。
影は本体よりも強く、凶暴であったらしい。
夜に出会えば、本体から伸びる影は見えない。そのせいで、多くの者が命を絶たれたという。
影狼の革で作った鎧は、身に纏うと暗がりでまったく視認できなくなる特性を有していた。
結果、その革鎧が暗殺者の手に渡ったことで、多くの有力者が命を散らしたという。
「そんな魔物がいるんですか」
「大陸のこちら側で見たという話は聞きません。帝国側にしか存在しない魔物だと思います。ちなみにその暗殺者は、皇帝暗殺を狙ったところ、近衛兵に革鎧ごとズタズタにひき裂かれて亡くなったそうです」
なんとも恐ろしい話だが、グレードの高いドロップ品の中には思わぬ効果をもたらすものがあり、それの加工を可能にする職人が、ほんの僅かだが存在している。
ゆえにグレードの高い魔物の素材は、売買に慎重なくらいでちょうどいいとファファニアは言った。
もっとも、正司がオークションに出さなくても、グレードの高い魔物は、一攫千金を狙って、日々狩られているのだが。
「分かりました。オークションはしないと思いますけど、他に何ができるか少し考えてみます」
「よろしくお願いします」
ファファニアとそんな話をしていると、遠くから身なりの良い男女が近づいてきた。
男女は正司の前まで来ると、声を落として問いかけた。
「失礼致します。もしかして、この博物館のオーナーのタダシ様でいらっしゃいますか?」
背の高い男だった。年の頃はルンベックと同じくらい。
背筋をピンッと伸ばし、どこかの貴族に仕える家令のような所作だった。
またそれが、この男性によく似合っていた。
(ルンベックさんの知り合いでしょうか?)
敵意は感じられないし、変にギラギラしたところもない。
多少警戒しつつも、正司は「そうです」と答えた。
「やはりそうでしたか。伝え聞いた特徴が似ていらしたので、もしやと思い、声をかけさせていただきました。わたくしは王国商人のルドグラと申します」
ゆっくりとした動作で頭を下げるルドグラ。戦闘もこなせそうな体躯だが商人らしい。
正司は意外だと思ったが、となりのファファニアも同じらしく、小声で「商人に見えませんわね」と囁いた。
ルドグラが頭を上げたあと、隣の女性が一歩進み出て、優雅な動作で礼をする。
「私はリディスと申します、タダシ様。投資家を名乗っております。お見知りおきいただけたら幸いです」
「商人に……投資家ですか?」
組み合わせとしては正しいのだろうか。
正司が小首を傾げていると、隣でファファニアが眉根を寄せた。
リディスが投資家と名乗ってからだ。
そんな様子を感じ取ったのか、二人は揃って「わたくし(私)どもは、八老会とは何の関わりもございません(わ)」と言った。
「えっ、どういうことです? それになぜ私に声をかけたのですか?」
「王国も一枚岩ではないということです」とルドグラ。
「新しい時代は、いつも新しい者が切り開くと考えておりますわ」とリディス。
「…………」
今のが何のやりとりなのか分からず、沈黙している正司に、ファファニアが説明した。
「タダシ様、彼らは味方かどうかは分かりません。ですが、少なくとも敵ではないと仰っております。いかがいたしましょう」
いかがも何も、敵、味方とは? ……そう正司がファファニアに目で問いかけると、ファファニアも「分かってます」と頷く。
「少しでしたら大丈夫なようです……ただ、タダシ様のお眼鏡に適わなかったら、そこでお話は打ち切りとさせていただきます」
「それはもう」
「理解しましたわ」
二人は黙って頭を下げた。
(……なにこの流れ)
正司を置いて、周囲は理解し合えたらしい。
「身の証を立てる意味でも、わたくしどもの話をさせてください。政治に商売が介入することを憂ういち商人の戯れ言ですけれども……」
そう言って、ルドグラが静かに語り出した。
もちろん正司は、「身の証って……」と心の中でどん引きしていたのだが。
エルヴァル王国は、八老会に握られている。
仕切っているのではない。一番よいところを握っているのだ。
彼らは、国を大きな商会に見立てている。
商会を富ませるのと同じやり方で、国を富ませている。
国が富めば、そこに属する人々も富む。逆もまたしかり。
商会が富めば、経済が活性化され、市中を巡る金も増える。
八老会が国家を主導すれば、人々の暮らしは毎年良くなってゆく。
それが彼らの言い分である。
「いま王国は、政治と経済が不可分となっています。もちろん完全に分離できないのは分かっていますが、彼らのやり方は度が過ぎるのです」
王国は、経済のために政治をしている。
それがこの二人には不満らしかった。
「経済の上がり下がりに政治が左右されています。政策がとにかく刹那的なのです。長期的視野で物事を見ていません」
一応王国にも三カ年計画、五カ年計画はある。
だが十年、二十年、もっと先の五十年、百年後を見据えた政治ができていない。
いや、やってすらいない。
問題がおきたら場当たり的な対応はする。
だが、根本的にそれを正すことは一度としてやったことがないのだ。
「なぜならば、政治の実権を握っているのが八老会だからです。彼らの意に沿わない政策は、たとえ王といえども採択できません」
そこでルドグラは一息ついた。
すると今度は、隣にいたリディスが話しはじめた。
「私たちは王国に生まれた者ではありますが、八老会とは完全に別個の存在です。敵対していると言っていいでしょう。もちろん王国にも拠点はありますが、ミルドラルやラマ国との繋がりをとても重視しています」
刹那的な政策ばかりを採用している王国は、いつか大きなしっぺ返しを喰らう。
本来国家というものは、損得を度外視してもやりとげなければいけないこともある。
だが損すると分かっていると、手を出そうとしないのだ。
八老会は、儲けばかりを追い求めているのである。
これでは、どこかで袋小路に行き当たってしまう。
王国が行き詰まれば、それをアテにしてきた商会も同じ運命を辿る。
ゆえにルドグラとリディアは、端から王国を当てにせず、他国へと進出したのだという。
「私は投資家です。ですが、王国の……八老会に関わっている商会には一切投資していません。彼らとは見ている先が違います。ともに歩いても、同じ未来はやってこないでしょう」
そう言ってリディアは、正司に微笑みかけた。
分かってくれますか? と目で訴えかけている。
「……はあ。それでどうして私に?」
正司は首を傾げる。正直、意味が分からなかった。
「今回の件で八老会の権勢は地に落ちました。立ち直るには年単位の時間がかかるでしょう。当然、開いた隙間を誰かが埋めなくてはなりません」
ルドグラがそう言うと、リディアがあとを引き継ぐ。
「王国が混乱しています。地方は食糧の供給すら満足にできなくなるでしょう。傭兵を雇って適切に運用しなければ、必要な物資すら望んだ場所に運べません」
今回の戦争で、多くの兵が捕虜になった。
王都を守るために、いま傭兵団を数多く常駐させている。
そのしわ寄せが、地方の町や村に来ているという。
最低限の物資輸送すら困難になっているらしい。
「王国の野望はタダシ様の活躍によって敗れ去りました。八老会が力を落とし、健全な意見が台頭する土壌が生まれました。とても良いことだと思います。王国はこれから、少しずつ自浄してゆくことでしょう」
「……はあ」
正司が相づちをうつと、ルドグラとリディアは声を揃えた。
「「ですから、わたくし(私)どもにも、タダシ様の覇業を手助けさせてください」」
「……へっ!?」
意気込んだ二人の答えに対して、正司の返答はなんとも間の抜けたものになってしまった。
そんな様子を黙って見ていたファファニアは、クスクスと笑い出す。
「タダシ様、このお二人は、タダシ様が王国に経済戦争を仕掛けたと考えているようです」
二人は頷く。ファファニアの予想は合っていたようだ。
「お二人ともタダシ様と手を組みたいと仰っております……リディア様の場合は、投資したいということでしょう。意味は同じだと思いますけど」
さらに二人は頷いた。
「えっと……意味が」
「世間では……いえ、少し世界が広く見える方々は、世界の流れをこう読んでおりますわ」
――正司が王国に経済戦争を仕掛けた
「そうなんですか?」
ファファニアは頷く。
今回、ミルドラルどころか、トエルザード家の動きに先んじて正司が活動した……と思われている。
もちろんトエルザード家の発表はあったが、それは事が終わってからだ。
正司の行動を追認したようにもみえる。
そもそも大魔道士、もしくは超魔道士……呼び名はどうでもいいが、トエルザード家が抱えるには大きすぎる。
正司とトエルザード家が『協力関係』にあることも、薄々感づいている者が出始めている。
「タダシ様は家臣ではありませんですわね」
それはファファニアの確認だった。
もう、ほぼ確証が採れている。
「私がルンベックさんの家臣ですか? いいえ、違いますよ」
正司のことを調べていくうちに、人々はおかしなことに気付くのだ。
――要職についていない
たとえば王国やラマ国ならば、宮廷魔道士という職がある。
ミルドラルにも似たような職はいくつもある。
だが、正司は要職に就いてないのだ。
これは一体どういうことか?
そもそも、正司の出自すら不明である。
トエルザード家の家臣たちですら見たことも聞いたこともないという。
いつのまにか、どこからともなく現れたとしか思えない。
魔道士ともいえる人間が、突然ポンッと現れるものなのか。
師匠は? 誰に師事したというのか。
住居は? これまでどこに住んでいたのか。
友人は? 親しい者はどこにいるのか。
それらが一切不明である。
そこで人々は考える。
大魔道士タダシとは一体、いかなる人物なのか。
――もしかして、トエルザード家にもとからいなかったんじゃないのか?
そう思うのは自然な流れであった。
と言っても、ファファニアが気付いたのはつい最近。
ルンベックの情報操作によって、そのような可能性があることに思い至らなかった。
そして、これに気付いたのはファファニアだけではないはず。
情報を集めている者たちは、遅かれ早かれ気付くものと思われた。
さらにファファニアは思う。
正司がトエルザード家家臣でないとすると、話はかなり違ってくる。
正司の行動は正司が決める。
他からの干渉があったとしても、最終的な行動指針は正司のもの。
トエルザード家の意を受けることもあるだろうし、違う場合もある。
大魔道士が本気で抵抗したら、何人がそれを止められるだろうか。
そして今回のこと、ファファニアは祖父からの手紙でようやく分かった。
正司の性格からして、王国の侵攻は看過できない。看過したはずがないのだ。
ならば何をする? いや、何をした?
もちろん、正司がしたことは、すでに市中に流れている。
トエルザード家を含めた三公軍は、それに乗っかっただけ。
正司の性格から、ファファニアは今回の顛末をほぼ正確に見抜いていた。
もっとも、バイダル家当主からの手紙がなければ気付けなかったことだが。
そして目の前にいる二人。ルドグラとリディアはどう考えているのか。
優秀そうな二人である。情報も速く正確なものを手に入れていることが窺える。
そして頭もいい。
そこから導き出されるのは、ファファニアが予想したこととほぼ同じ。
違う所があるとすれば、正司が自らの意志で王国に対抗したというところだけ。
正司はファファニアを救ったときと同じく、虐げられた人々を救ったのだろう。
そうファファニアは思っている。
正司と接していると分かる。正司はそういう人物だ。
だが目の前の二人はそれを知らない。
ゆえに正司は、王国の野望を打ち砕く行動に出た……そう考えたのだろう。
「王国の野望は、帝国を自らの経済圏に巻き込んで、経済から支配しようというものです。それは帝国の混乱期にしかできません。ですので、ラマ国経由の交易を最重要課題としていたのです」
「それは知っています。ただ、そのせいで戦争が起きたり、帝国が攻めてくる危険性があがったりしたわけですよね」
「はい。タダシ様がそれを憂い、巨大な壁を作られました。その噂はミルドラルと王国にも伝わりはじめています」
王国の野望は、一枚の壁に敗れてしまった。
もしくは、たった一人の魔道士が王国の野望を打ち砕いた。
ルドグラは言う。
「これまでどれだけ王国が、帝国との交易再開に向けて、どれほどの額の投資をしてきたか、金額は計り知れません」
リディアが言う。
「つい最近も、急いでラマ国に進出した商会が多数ありました。壁ができたおかげで、陸路交易は不可能。投資した金の回収も不可能でしょう」
あの壁は、どう考えても正司が王国の野望を打ち砕くために行ったとしか思えないという。
というか、それ以外の見方は存在しないだろうと。
「このたびの戦争もそうですわ」
リディアはいい笑顔で言った。
ミルドラルに侵攻してきた兵や傭兵団を、正司は魔法で捕まえた。
現在三公軍は、逆侵攻をかけて王都に迫っている。
それを可能にしたのが、ありえない規模の魔法であると、情報は流れている。
これにも何らかの形で正司が関わっているのは、疑いない。
正司が何を考えてそんなことをしたのか。
それはもちろん、さきの壁と同様。王国の野望を打ち砕くため。
王国が仕掛けてきた戦争を逆手にとって、八老会を追いつめたのだと二人は見る。
「まだ正確な情報を知っている人は少ないですが、あとひと月、ふた月もすれば、兵士たちから語られることでしょう」
それらの情報をいち早く仕入れたのが目の前の二人である。
つまり「正司と八老会の経済戦争」は、「ミルドラルと王国」の名の下に行われ、ミルドラル――つまり正司が勝利した。
そう言いたいらしい。
なんて大それた代理戦争だろうか。
「いや、そんな大それたことは考えていないですよ」
正司としては、そう言わざるを得ない。
別段八老会をどうかしようとか、王国に経済戦争を仕掛けようとは思っていない。
ただ、その時の気持ちが赴くまま行動したに過ぎないのだから。
ただ、世間ではそう見てくれない。
そして弱体化した八老会が率いる未来は、すぐそこまで来ている。
だれかが王国の音頭を取って導かないと、大陸の経済が滅茶苦茶になる。
だれが音頭を取るのか。それは正司だろう。
ゆえに目の前の二人は、正司に協力を申し出てきたのである。
(それ……本当に私がすることなんでしょうか)
違う気がすると正司は考えた。
そもそも二人が考えている前提すらおかしい。
(そういえば、いまの王国は八老会が実権を握っているんですよね。八老会はどう考えるでしょう。自分たちが復活するのが、最優先。なぜならそれが王国を建て直すのに一番の近道なんて考えたら……)
国民の建て直しは後回しになる。
王都の民はまだいい。町の住民もまあ……苦しいだろうが耐えてくれるだろう。
だが街道の護衛が不足した村などは、どうなるだろうか。
街道すらない場所に住んでいる棄民たちは?
八老会が復活するまで、彼らのことは放っておかれるのだろうか。
(それは嫌ですね)
しかも王国が滅茶苦茶になれば、ミルドラルやラマ国だって大変だ。
交易をしているということは、交易に依存している部分があるということだ。
それが急に途絶えてしまえば、やはり他国のこととはいえ混乱する。
(あれ? 何か大事になっていますね……)
リーザたちが、なるべく被害を出さないよう、王国上層部が混乱しないよう配慮していることを正司は知らない。
もし王国の首脳陣が壊滅したら、それこそ王宮の建て直しからスタートせねばならない。
そうなったとき、本当に救済が必要な人々は、怨嗟の声をあげながら死んでゆくことになる。
だがしかし……と正司は思う。
正司はこれっぽっちも、王国と経済戦争するつもりはなかったのだ。たとえそう見えても。
そもそも正司の意志で、ミルドラルが行動したわけではない。
これは断じて違う。
(うーん、困りましたね)
暢気に港を作っている場合ではなかったのか。
正司はそんなことを考えていた。