008 王国の商人
「花に囲まれた家ですか。あそこはエルヴァル王国からきた若夫婦が住んでいます。大人しそうな方々ですが、本人たちは王国から逃げてきたと言っていましたね」
「逃げてきた……のですか? 何か悪いことでもしたのでしょうか」
薬師のクレートにクエストマークのあった家の場所を聞いたところ、意外な言葉が返ってきた。
落ちついた感じの家で、この集落には珍しい都会的なセンスを感じた。
だが、国から逃げてきたとなれば、穏やかでない。
「本人たちはそう言っています。有り体に言えば破産した……でしょうか。商売が上手く行かず、私財のほとんどを失ったようです。商売を再開出来るような元手もなく、知人はみな離れていったらしく、すべてが嫌になって国を出たそうです」
「それで逃げてきた……ですか」
商売に失敗したのならば、夜逃げに近いのだろうか。
クレートの説明を聞いて、正司はホッとした。
とりあえず犯罪者ではないみたいだった。
ここで正司は、とある可能性に思い至る。
(困っている人にクエストマークが出るとして、犯罪者にも同じように出るのだろうか)
クエストは世界に貢献するものだから、無意識に「善良なもの」と考えていた。
だが、人類に貢献するとは一言も書いていない。
犯罪者にクエストが現れてもおかしくないし、クエストの内容が犯罪行為になるかもしれない。
そのような可能性だってあるのだ。
(いろいろ慎重になった方がいいですね)
すべてを盲目的に信じるのは止めようと、正司はまたひとつ心に刻んだ。
さて、エルヴァル王国から逃げてきたという若夫婦である。
商売がうまく行かないことはままある。
破産したことで故郷を離れるなど、どこにでも転がっている話だ。
この辺りはエルヴァル王国から外れていて、どこの国の領土でもないとクレートが言っていた。
つまりこの集落の住民は、どこの国にも税金も払っていない。
かわりに、どの国からも支援や援助が受けられない。保護もしてくれない。
人が住んでいない辺境を自分たちで開拓して、勝手に住んでいるだけという認識のようだ。
砂漠もまた、どこの国にも属していない。
そういった場所はだれでも自由に住むことができるが、もちろん大変不便である。
魔物の襲撃から自衛しなければならず、行商人がやってこなければ、物も手に入らない。
そもそも稼ぐ手段もない。
ではなぜそういった集落が多くあるのかといえば、単純に『国がそれを望んでいるから』である。
どうやら、正司がいた地球とここは土地の考え方が大きく違うらしく、「必要のない土地を持っていると、国が豊かにならない」と考えられている。
国は民を守らねばならない。
かといって、国土が広くなればなるほど、必要な金、守る兵は加速度的に増えていく。
国が欲しいのは『富める土地』であって、『金のかかる土地』を所有する意味はないと考えているらしい。
シュテール族の集落でその話を聞いた正司は、ゴーストタウンと化した商業施設をイメージした。
空き室の多いテナントは、そこにあるだけで毎日マイナスが発生する。
そんな建物を十年も二十年も持ち続けていてもしょうがない。
壊して新しいものを建てるか、だれかに売り払ってしまった方が得策だ。
この世界の土地は、それに似ている。
魔物の脅威があるため、必要でない場所を国土とすると、国全体が貧乏になっていくのだ。
だが、町に住める人の数には限界がある。
当然そこから漏れる人もいるわけで、そういった人たちが、このような過酷な環境で身を寄せ合って暮らしているのである。
それが集落と呼ばれるものの正体である。
「その若夫婦は、王国のもと商売人だったのですね」
「そうみたいですね。わたしも詳しい話は聞いていないですが」
名前は、夫がレヴィアス、妻がドミナと言うらしい。
一年前にふらっとやってきて、この集落の一員となったという。
夫のレヴィアスは手先が器用で、簡単なものならば、何でも作ってしまうという。
自分の作品を集落の人に売ったり、ときおりやってくる行商人に買ってもらったりして生計を立てているらしい。
「何か気になることでもありましたか?」
「いえ……玄関脇に花が飾ってあり、とても居心地の良さそうな家だと思ったものですから」
クエストマークの事を言うわけにもいかず、正司はそう誤魔化した。
「そうですね。あの家は若夫婦が中心となって建てたものです。わたしも手伝いましたが、少し変わった家ですね。王国では普通なのかもしれませんが」
この集落の家はほとんどがログハウスであるが、あの若夫婦の家は板張りだった。
器用で何でも作ってしまうという夫が設計したのかもしれない。
板は加工に時間がかかるものの、使用する材料は少なくて済む。
正司は、クレートから若夫婦の事をもう少しだけ聞き出して、その日は就寝した。
どうやら夫婦揃って温厚な人物らしく、いきなり訪ねても大丈夫だろうとのこと。
翌朝正司は、若夫婦の家を訪問した。
早速、扉をノックする。
「あら、どちら様かしら」
現れたのは、二十代前半の女性だった。
クレートが若夫婦というわけだと正司が納得していると、奥から男性も顔を覗かせた。
「はじめまして、私は砂漠から旅を続けてきました魔道使いのタダシと申します」
サラリーマンの営業時代に培った薫陶だろう。
両手の中指を太ももの中心に沿わせ、腰を深く曲げる挨拶をした。
一分の隙もない正司の姿に、若夫婦はどん引きした。
シュテール族の外套を纏った風来坊が、貴族の従者のような挨拶をしたのである。
「ど、どうも、ご丁寧に。わたしはドミナです」
「レヴィアスと申します、どうかお見知りおきを」
正司の外見と態度のギャップに頭が混乱した若夫婦は、それだけ言うのがやっとだった。
いま二人の頭の中には、「この人、だれ?」という言葉が渦巻いていた。
「なるほど、困っている人の願いを叶えるために旅をしているのですか」
レヴィアスは納得するように、大きく何度も頷いていた。
「そういう方もおられるのですね」
ドミナも同様だ。
正司はクエストというものを信奉し、それには人の悩みを解決することが推奨されているという話をした。
多少語弊があるが、やっていることは変わらない。
スキルを得るにはクエストを多くこなさねばならず、その切実さはこの前死にかけたことで、大いに高まっている。
黄色い三角マークを見つけたら、何でも受けてしまえという心境になっているのであった。
ゆえに正司が熱心に語った内容は真に迫っており、話を聞いたレヴィアスもドミナも、正司が偽りを述べているようには感じなかった。
二人は多くの人と出会い、商売を通じて様々な人と知り合う機会に恵まれていた。
その経験から正司の人となりも分かった。
職業上、普通とは違うものを信奉する人たちのこともよく知っていた。
「そういうわけで、何か困っていることはありませんでしょうか。もちろん解決してもしなくても、お代やお礼をいただくことはございません。これは私が望んで行うことですから」
ようは、親切の押し売りである。
それを是ととるか否ととるかは、その人によるのだが、この二人は正司の言い分をかなり好意的に解釈した。
正司の真摯さが伝わったということである。
「そういうことでしたら、ひとつだけございます」
レヴィアスがそう切り出したことで、正司は内心「やったー!」と喝采を上げた。
「どのような悩みでしょうか」
「お聞き及びかと思いますが、私どもは夢破れてここへ越して参りました。この地が悪いというわけでは決してありません。ですが私どもの商売、仲間、両親はいまも王都にございます」
「失礼ながらクレートさんに伺ったところ、逃げてこの地へ来たとか」
「そのように説明した方が分かりやすいと思い、詳しいお話はしていないのです」
「というと、真実はもう少し違うということですか?」
「はい。私どもは、とある商会の秘密の一端を知ってしまったがために、国を追われたのでございます」
「……秘密」
「そう、秘密です。この大陸に、港はいくつあるかご存じですか?」
突然、話が飛んだ。もちろん、正司は分からないので、首を横に振った。
港の数など、それこそ星の数ほどあると考えたのだ。ところが。
「五つです。王国に二つ、ミルドラルに一つ、帝国に二つしかありません。他はすべて断崖絶壁の地ばかり。港を作ろうにも船を寄せ付ける場所がないのです」
「あの崖がずっと続いているんですか?」
正司が知っているのは、凶獣の森を南に走って抜けたところだ。
垂直に切り立った崖があった。海面からは数十メートルあっただろう。
テレビドラマで犯人を追い詰める場所か、自殺の名所になるようなところだ。
どうやらこの大陸には、あれがずっと続いているというのだ。
「この大陸には王国と帝国、ミルドラルの他にラマ国しかありません。内陸にあるラマ国が港を持っていないのは当たり前ですが、それぞれの国でも玄関口となる港しか持ち得ていないのが現状です。ゆえに行き来する船も各国独自のもの。最新技術は秘匿されています」
「……もしかしてレヴィアスさんはその船の秘密を知ってしまったとか?」
ふたりは静かに頷いた。
「……oh」
「現在、王国だけが持ちうる技術。海上のどこにいても自分の位置を見失わず、目的地へ辿りつける魔法のような機器を私は見てしまったのです」
「……ん?」
「私がちょうど仕入れに伺ったときに、『海上方位測定器』と呼ばれるそれを分解していたのです。そして私が来たことに気付いた商会の人たちは、私をその場から追い出してしまいました。はじめそれは何なのか私も分からなかったのです。ですが、後日その商会から執拗な嫌がらせがあり、そのとき相手がポロッと口走ったのです。王国の船にしかついていない海上方位測定機の秘密を見られたからには、落とし前をつけるまで容赦しないと」
「えっと……」
「その言葉に私は震え上がりました。あれはそんなに大切なものだったのかと。ですが、見たのはほんの一瞬。何が何だか分かりませんでした。それなのに……」
「ちょっと待ってください」
正司はレヴィアスの口上を一旦止めさせた。
「その船に積んでいるという海上方位なんとかですけど、こんな形のものですか?」
正司は黒板が目に入ったので、近くにあったロウで『羅針盤』の図を描いた。
「そうです。そんな形をしていました!」
「あー、そうですか」
やはり羅針盤だったかと正司は納得した。
この世界、北も南も言葉として存在している。
方位があるということは、地磁気があるのではと正司は思っていた。
地球では、紀元前から天然の磁石から方位を知る方法が発明されていた。
水に木を浮かべて、その上に磁石を乗せればいいのだから発見は容易だったと思う。
この世界は港が少ないということで、羅針盤の発明は遅れているらしい。
岸に沿って移動する程度ならば羅針盤は必要ないし、そもそも天然の磁石自体が少ないのかもしれない。
「なぜタダシさんが海上方位測定器のことを知っているのか分かりませんが、その秘密を知ったことで、私どもは王都を追われたのです。なにしろ相手はあのルブラン商会なのですから」
「そうですか」
「……反応が薄いですね」
「そうですか?」
「えっ、だって、あのルブラン商会ですよ。現国王の後ろ盾です。少なくとも、現王の治世では逆らうことは不可能なのです」
「そうなんですか?」
「…………」
正司の返答に、レヴィアスとドミナは唖然としてしまった。
その後、正司が砂漠から来て、王国の実情に詳しくないのだと思い直した。
「この大陸には王国はひとつしかありません、私たちがいたエルヴァル王国のみです。そしてこの国の王は、一番力のある商会の主が選ばれます」
商業王国と呼ばれ、国民は金儲けの上手い王を求め、王は国民を富ませることを信条としている。
経済を牛耳ることは世界を牛耳ると同義とばかり、帝国を除く他の二国の流通に多大な影響を与えているらしい。
「なかなか壮絶な国ですね」
政治ではなく経済中心で国が回っているらしい。
「国にお金がありますからね。軍事は常備兵と傭兵で帝国に次ぐ規模です。そして海洋事業にも力を入れています」
二つある港を使い、ミルドラルや帝国とも取り引きしているという。
「その国王がルブラン商会のトップというわけですか」
「はい。王は国を富ませるのですから、自分の商会も富ませます。多少贔屓したところで、だれも文句は言わないでしょう」
文句があるならば、成り代わればいいのだ。
実力主義の王国では、それがまかり通っている。
「そんなルブラン商会に狙われた……つまり、国王に嫌われたわけですか」
正司の質問にレヴィアスは「いやいや」と首を横に振った。
苦笑しつつ「そんな下々の事まで知るほど、王は暇ではないでしょう」と。
つまりレヴィアスは、その配下たちに国を追われたことになる。
両者の力関係が如実に分かる話だった。
「ではレヴィアスさんの願いは、王国に戻りたいとか、そういうことですか」
故郷を追われた者が考えることは、そう多くない。
「いえ、もし故郷に戻るのでしたら、それなりのものを持って帰ろうと思います。私が悩んでいるのはあの海上方位測定器のことです。王都を追われることになったあれは結局なんだったのか。その原理を知りたいのです」
レヴィアスが住むこの家は、自分で設計して建てたという。
他にも色々な物を自作し、行商人に売っている。
根っからの職人なのだろう。職人が商人を兼ねることはよくある。
自分で作って自分で売る。自営業というやつだ。
そんなレヴィアスだからこそ、海上方位測定器、つまり羅針盤の原理に興味があるらしい。
「簡単な原理でしたら私も知っていますが、お教えしましょうか?」
「本当ですか? ぜひお願いします」
ものすごい食いつきを見せたレヴィアスに被さるようにして、システムメッセージが表示された。
クエストを受諾しますか? 受諾/拒否
(ここまで話が進まないとクエストを受けられないのか)
内心辟易しながら、正司は受諾を押す。
「どこから説明した方がいいのか悩みますが、地磁気というのは分かりますか?」
レヴィアス夫妻は首を横に振った。
正司は、地磁気から磁石など、自分が知っている知識をかいつまんで説明することになった。
「では針のようなものを磁石にこすりつけるわけですか」
「正確には、針の真ん中から先ですね。金属の板や棒などは、磁性が移っても短期間で元に戻ってしまいますが、針のような細いものは、かなり長期間保持します」
そこから羅針盤の原理の説明、地図と照らし合わせて自分の目的地を見失わないようにする方法を教えた。
(やはり、この世界に天然の磁石は極端に少ないようだな。一般に目にすることがないから、羅針盤のようなものを見ても、原理が分からないわけだ)
正司は羅針盤だけでなく、登山などで使用する簡易な方位磁針の話をし、その作り方まで教えた。
「透明な油を中に注ぎ込んで密閉すると、針がブレなくていいんです。歩いているときだと、針が揺れ揺れになりますからね」
「海上方位測定器は王国独自の技術と思っていましたが、そこまで詳しい話ができるということは、すでに誰かが作ったことがあるからですか? もしかして帝国が」
「いえ……おそらくそれはないでしょう。これは……その、私が考えたものです」
今の話を「誰かから聞いた」と話せば、「ではどこかに存在するのか」という話になる。
しかたなく正司は、たまたま気付いたことにして話を進めた。
「原理は簡単ですので、羅針盤のような大きなものではなく、手の平に収まるものでも比較的簡単に作成できるのですよ」
もちろん元となる磁石があればであるが。
理科系である正司は、コイルを使って電流を流す方法も知っている。
だがここで電磁力について話をすればやぶ蛇になる。
(まてよ、土魔法で磁石が作れないかな)
魔法のスキルが第4段階以上になると、オリジナル魔法を作成できると情報にはあった。
「どうしました?」
「ちょっと待ってください。いま磁石ができないか考えてみます」
「……?」
原料となる鉱石は鉄でいいだろう。
それに磁性を持たせるにはどうしたらいいか。
(小さい頃の夢、モノポールはまだ存在が確認されてなかったよな。ということは、鉄の中の電子を移動させて……)
ようは片側にマイナス、反対側にプラスが来るようにすればいいと正司は考えた。
「外へ出ませんか?」
「……ええ、構いませんけど」
夫妻は、「何をしたいのだ、この人は」という顔をしている。
三人で家の外へ出て、正司は地面に手をつく。
(地面の中の鉄……案外含まれていないものだな)
鉄分が集まるよう念じて、魔力を注ぐ。
かなり広範囲から少しずつ鉄分が集まる。
砂鉄の類いらしく、完全に粉のようなものが手元に多数集まってきた。
(これを固めて……できた。次は帯電させるつもりで、磁極を作ってみよう)
かなり集中して念じてみる。
魔力がすっと抜けた感覚があったので、そこで止めるが、見た目は変化ない。
「磁石を作ってみたのですけど、実験してよろしいでしょうか」
「はいっ!?」
夫婦としては驚く以外の行動がなかった。
何しろ正司が地面に手をついたと思ったら、鉄と思しきものがみるみるうちに集まりだし、急に塊となったかと思うと、それを磁石にしたという。
理解が追いつかない出来事であった。
「鉄製品があればくっつくと思うんですが……ああ、これが良いですね」
釘が置いてあった。日本にあるようなものより大ぶりで、ビスのように見える。
一本拾い上げると、錆びていた。
正司は釘に磁石を近づけると……。
――チーン
「うおっ!? 危なかった」
すごい勢いでくっついた。
「ま、魔道士さま!?」
「成功ですね。ちょっと……いやかなり威力が強くなってしまいましたけど、これが磁石です。これで針を擦れば、方位磁針が完成します」
あとは検証だけである。
縫い針の真ん中から先を磁石に何度もこすりつけ、水をはった盥の上に木ぎれを置き、そこにそっと針を乗せる。
「針の先が示す方角が北です。次々やっていきましょう」
都合、五つの木ぎれを浮かべてその上に針をのせると、針の先端はどれも北を指した。
「これが羅針盤……海上方位測定器の原理です」
「…………」
「…………」
「あれ? 何か間違えました?」
ここは異世界である。
どれだけ地球の科学知識が通用するか分からない。
たとえば万有引力が働いているとか、摩擦があるとか、そういった力学的なものは元の世界と同じように働いていることも確認している。
量子の世界は確認しようがないが、この程度のことならば、理論から実証まで問題ないと思っていた。
だが、若夫婦の反応はない。
もしかして失敗かと思ったそのとき。
「凄い! 凄いですよ! これが海上方位測定器の原理なんですか。本当に凄い!」
「ビックリだわ。こんなことがおきるなんて!」
反応が遅れてやってきただけだった。
「よ、喜んでもらえてなによりです」
「さすが魔道士さま。まさかこれほど簡単に作りあげてしまうなんて」
「いや、原理を知っていれば誰だってできるものですから……ですから、落ちついてください」
興奮冷めやらない若夫婦をなだめすかして、もう一度家の中に入る。
そこで正司は、あらためて方位磁石の作り方を教えた。
窓にガラスが填まっていることから分かる通り、ガラスの元となる石英は比較的容易に採取できるらしい。
加工技術も発達している。
そこで手に持って移動できるような方位磁針の開発を勧めてみた。
というのも、この世界には特許という概念がいまだ存在せず、そのため技術の秘匿は自衛しなければいけないらしい。
「この磁石は差し上げますので、自由に使ってください。そうですね、もう少し作っておきましょうか」
「よろしいのですか? これは大変貴重なものでは?」
「地面に手を置けば出来るものですから」
「…………」
結局正司は、あと五つ強力磁石を作成した。
二回目以降は、勝手も分かったため、かなり早く鉄を集めることができた。
「ありがとうございます。これをもって故郷に戻れます。私の両親がやっている商会でこれを大々的に売りだそうと思います」
「そうですか、がんばってください」
「私の両親は、『ロレーリオ商会』という名前で商売をしています。何かありましたら、お立ち寄りください」
ロレーリオ商会はレヴィアスの両親と兄が切り盛りしているという。
どちらかというと職人気質であったレヴィアスは、親の商会から離れてまったく別の商売をしていたらしい。
それゆえ、今回の追い出し劇には両親に迷惑はかかってないという。
そこにレヴィアスが戻って、羅針盤の原理を使ったものを売り出せば、ルブラン商会と激突するだろうなと正司は考えた。
だがそれはレヴィアスと家族の問題であり、両親や兄が反対すれば実現しない。
行動を起こすとすれば、激突上等。
はじめから戦う覚悟をするだろう。
だから正司はそれについて何も言わなかった。
「それで悩みは解決しましたか」
「はいっ! もちろんです」
その言葉とともに「クエストを完了しました。 成功 取得貢献値1」と表示された。
(やった! クエストクリアだ)
貢献値は1だが、正司は飛び上がらんばかりに喜んだ。
塵も積もればである。
こうやって、一歩一歩地道にクエストをクリアしていけばいいのだ。
正司はそう確信した。
それに鉄の集め方も分かった。
おそらく鉱山の近くでこれをやれば、比較的簡単に鉄が手に入る。
クレートの家に戻り、正司はレヴィアスの家での話を簡単に説明した。
「そうですか。次の商売の種を見つけたのですね。あの方々はここで腐るような人たちではないと思いましたが、思ったより早かったですね」
クレートは、彼らはいつか出て行くのだろうと考えていたようだ。
「それにしても、商業王国というのは、すごい所ですね」
エルヴァル王国は経済を通して、大陸を牛耳ろうとしているように思う。
そして実行できそうな気がしてくるから怖い。
「そうですね。経済力、武力……王国にはそれだけの力はあると思います。かくいう私も王国出身ですから、その辺のところは実感できます」
「やはり王国出身の人は多いんですね」
「ええ、ここの集落の半分はそうでしょう。残り半分は代々ここに住んでいる方ですね」
「王国内に住み続けるのは難しいのですか?」
「そうですね。ある程度稼げないと、窮屈な思いをすることになるでしょう。もっとも私の場合は、豊富な薬草があるこの辺りが、住むのに適していると判断したからですけれども」
王国にいた時分は、必要な薬草をすべて行商人から購入したらしいが、かなり高くついたという。
必然、それは薬の価格に反映される。
ここでは自分で栽培するか採取に向かえばいいので、元手はかからない。
出来た薬は自分で使い、余った薬は行商人に売れる。
クレート自身、ここでの生活に不満はないようだ。
「王国はこの辺りを領土にはしないのですか?」
「途中にG3の魔物が出る一帯がありますので、難しいでしょうね。この土地に旨みもありませんし。それよりも、王国はラマ国側へと領土を伸ばしたいのではないでしょうか」
「ラマ国は、帝国へ至る唯一の道があるんでしたっけ?」
「そうです。ただ大陸の中央にある『絶断山脈』を越えての商売は難しいでしょう。ラマ国も反対していますしね」
クレートの話によると、現在、王国から帝国へ行くルートはひとつしかない。
三ヶ月かけて船で大回りをする必要があるのだ。
ならば絶断山脈を通過すればいいと考えるが、険しい山に加えて、唯一通行できそうな場所は、ラマ国が押さえている。
ラマ国は、帝国からの侵攻を防ぐために、高い擁壁を築き、一般人の通行を制限している。
それを開放させようと、王国とラマ国は何度も戦争をしているという。
「経済戦争ではなく、実際の戦争ですか」
「経済戦争とは、面白いことを言いますね。ラマ国は精強な軍隊を保持していますから、早々やられることはないでしょう。そもそもあそこは天然の要塞ですし」
山脈の中腹に国があるため、攻め入るには相当な覚悟がいるらしい。
そういうわけで王国は何度かラマ国に攻め入り、譲歩を引きだそうとしているが、いまだなし得ていないという。
「では当面は安泰ですね」
「いや、そうも言っていられないのですよ」
「どういうことですか?」
「ラマ国の将軍がご高齢でして、その方が亡くなれば分かりませんね。私も若い頃、ラマ国へ行って見かけたことがあるのですよ。威風堂々としていて立派な方でした」
ラマ国の将軍といえばただひとり。
異彩を放つほど、実力が飛び抜けているのだという。
その将軍は個人として強いばかりではなく、人を率いる才能に優れ、軍学に明るく、遭遇戦、攻城戦、防衛戦とわず、負け無しなのだそうだ。
その名声は、すべての国に轟いているというから、完璧超人みたいな人だ。
「その将軍が高齢ですか」
「ここ十数年、戦争らしい戦争もありませんでした。王国は力を溜めていると思います。そしてラマ国は将軍の後継者と呼べる者はまだ台頭していません」
「もしラマ国が負けたらどうなりますか?」
「さて。ラマ国は王国の一領となり、王国と帝国の経済交流が盛んとなるでしょう。王国が経済を通じて大陸を支配するか、帝国が武力で大陸を支配するか……どちらが先でしょうか」
絶断山脈を自由に行き来できるようになれば、この大陸に大きな変化が訪れるとクレートは言った。
「変化を受け入れるか、それとも守り通すかですね」
「はい」
それから数日間、正司はクレートの家でやっかいになり、薬師について色々学んだ。
とても密度の濃い時間であった。
いずれスキルを取得して、正司も『薬師』を名乗れるようになりたい。
そう考えて、正司は必要な知識を詰め込めるだけ詰め込んだのであった。
「こんな高価なものをよろしいのですか?」
「泊めていただいたお礼を兼ねました」
クレートに師事し、多くを学ばせてもらった。
とくにスキルを取得してはいお終いではないということに気付けたのも大きい。
お返しにと正司は、魔獣の皮で作った防具を一式プレゼントしたのである。
「ありがとうございます。これで重い金属鎧を着ずに採取へ行けます」
魔獣の革鎧は金属鎧よりも軽く、動きやすい。
なにより、音を立てない。
そして正司が作ったものは、そこらの金属鎧よりも防御力は上である。
「気に入ってもらえて何よりです」
「そうだ、お礼に私が栽培している薬草の種を差し上げましょう。比較的栽培しやすいものですから、失敗することはないと思いますよ」
「薬草の種ですか。それは助かります」
種は麻の小袋に入っていた。
そのうちどこか落ち着ける場所に撒いてみようと考えた。
(……ん? 凶獣の森なら栽培できるかも)
正司がはじめてこの世界に来たときに立っていた場所。
あの草原ならば、栽培できるのではないかと考えた。
「ラマ国のような山の中腹や、エルヴァル王国よりももっと北に行くと気温が少し下がりますので、栽培には注意が必要です」
「分かりました。思いついた場所がありますので、そこに植えてみようかと思います。砂漠に近い辺りですから、大丈夫かと思います」
「なるほど、それならば安心です」
「立派な薬草を育ててみせます。……また旅の途中に寄らせてください。他にも色々お話を伺いたいですし」
「ええ、どうぞ。いつでも待っています」
クレートは優しげに微笑んだ。
クレートは家の外まで見送りにきた。
「それではお元気で。道中の安全を祈っております」
「ありがとうございます。では出発します」
クレートに別れを告げて、正司は街道とも呼べない細道をひたすら北上した。
人がひとり歩く程度の細道を進み、しばらくして広い道にぶつかった。
「……大きな道に出たな」
正司はこれから、ラマ国にいる人物に手紙を届けることになっている。
手紙を届ける相手は白い点線の先にいる。
つまり、この点線を辿っていけば、自ずとラマ国に着く。
ゆえに正司は、ここがどの辺りなのかはまったく考えていない。
これまで身体強化を生かして、道がなくても好きに進んでいたが、いまは街道に沿って進んでいる。
「集落があれば、クエストを受けられるかもしれないですしね」
先日の若夫婦の一件を思い返す。
クエストは、正司が話しかければ始まるわけではない。
何度も言うようだが、ゲームと現実世界は違う。
「悩みを話したいと思わせないといけないんですよね」
急いては事をし損じるである。
クエストマークを見つけても、くれぐれも「せかす」ような真似はしないようにしようと心に誓った。
「……ん? 休憩しているのかな」
街道に隣接している草地で、一台の馬車と数頭の馬、人が何人かその周りで休んでいるのが見えた。
(どうしようか……離れた方がいいでしょうか。でもここは街道だし、人が歩いていてもおかしくないかな)
正司は身体強化を解いて、早歩き程度の速度に落とした。
「あれ? クエストマーク? しかも馬車の中?」
近づいたところ、休憩中の馬車の中にクエストマークが表示されたのである。
(うーん、どうしよう。せっかくだし。いや、馬車の中って、面倒事になる可能性もあるし……)
正司は悩みながら街道を歩く。
その速度は、通常の歩く速さと変わらなくなってきた。
(どうしたらいいでしょう……)
このままだと、もうすぐ通り越してしまう。
正司は、馬車を盗み見た。
馬車は装飾もなく、立派なものとも思えない。
どこにでもありそうだ。
(貴族の馬車じゃなさそうですね。普通はこう、黒光りしていたり、金キラシャララみたいな飾りがついているんじゃないかな)
それは偏見である。
馬車の持ち主は商人か、裕福な地主、軍人の家族などが思い浮かんだ。
(これならば、話しかけても大丈夫かな?)
少し気が楽になった正司は、休憩中の馬車に近寄った。