087 王国エレジー
エルヴァル王国の王都クリパニア。
国王ファーランは、玉座の間の中をうろつき回っていた。
室内にいる護衛たちは、無表情でファーランの行方を目で追っている。
ファーランの動きはまるで、餌を探す大型猛獣のようだ。
(レクタの町が落ちたって、どういうことだ? こっちが攻め入ったんだぞ、意味ワカンねえだろが! 隊長はだれよ。ラーゼンの奴、適当な奴を選んだんじゃねえだろうな)
軍務省トップのラーゼンを毒つきつつ、ファーランは思考を巡らす。
つい先ほど、王国の国境の町がミルドラル軍に占領されたと報告が届いたのである。
(情報を集めようにも、人がいねえ……ったく、密偵を呼び戻すには時間が足りねえし、どうすりゃいいんだ?)
トエルザード侵攻に際して、ファーランがもっとも重視したのが、情報速度であった。
信頼できる子飼いをラクージュの町からフィーネ公の住むスミスロンの町まで、いたる所に配置した。
三公会議の様子、ルンベックと魔道士の動きを掴むのが重要だったのだ。
そこに必要と思える人材の三倍を充てたのである。
その甲斐あって、動向はほぼ把握できた。
(三公会議が開催された時点で、おかしなところはなかったはずだ。いや、魔道士の行動は大概おかしかったが)
行きの道中、魔道士は〈土魔法〉だけでなく、〈火魔法〉と〈水魔法〉もかなりの規模で使っていた。
驚愕の事実である。
それぞれ別の魔道士というセンも残っているが、だからといって、ファーランの苦労が軽減されるわけではない。
先日、スミスロンの町に放った密偵から、三公会議終了の報告を受けた。
貴重な鳥を惜しげもなく使ったことで、素早く情報を掴むことができた。
(帰りは別ルートを使うのは分かっていたんだ。密偵も配置した。町の貴族から接待を受ければ、帰りは遅くなる。だからあのとき行動したんだ)
ファーランの読みは当たっていたはずである。
だが、三公会議終了直後から、ルンベックと魔道士の動向が一切掴めなくなった。
他の町へ顔を出した形跡はない。
密偵がきっと見つけると信じて、ファーランは軍に国境を越えさせた。
(襲撃は成功したんだ。港も押さえたし、こっちの勝ちは決まったようなもんだったんだ)
秘密の魔道具『破軍の錫杖』の効力によって、通常の倍の速さで進軍できる。
トエルザード家の防御が整う前に攻め上がるはずであった。
だが現実は残酷。
なぜか、進軍した兵は――みな捕まってしまった――のである。
しかも港も同じだという。
ファーランとしては、天地がひっくり返ってもあり得ない結末であった。
(ラクージュの町に動きはねえっていうし、国境の町と港に放った密偵は、鳥を出すこともできずに捕まった。あそこで何があったってんだよ、まったく)
やきもきしているところに、ミルドラルの逆侵攻の報が入ったのである。
ファーランもまさか、ミルドラル軍が王国領へやってくるとは思わなかったため、街道の町に密偵を派遣していなかった。
当たり前である。
使える人材はみな、トエルザード公領とフィーネ公領に派遣してしまったのだから。
ゆえにファーランの元へ情報が入るのが遅れた。
遅れたというより、子飼いを派遣していないので、町からの伝令を受けて知ったのである。
(国境の町が落ちたのは仕方ない。ここから巻き返さないといけねえんだ。どうすりゃいい?)
ファーランは強く唇を噛みしめた。
情報が少なすぎて、いい案が浮かばないのである。
「ラーゼンに言って、国内で遊ばせている傭兵を全雇いさせるか。地方の兵を……いや、今から召集かけたところで間に合わねえ」
ブツブツと呟くファーランのもとへ、文官がやってきた。
「なんだ? 俺はいま忙しいんだ」
追っ払おうとしたが、文官はそっと硬質な薄い板を差し出してきた。
銅板である。表面に何かが彫られている。
ファーランはそれに見覚えがあった。
「八老会の招集状だと!?」
八老会の会議は、過半数の賛同者がいれば開催できる。
四人の名前が銅板に彫ってあった。
銅板を受け取るしかない。それは八老会の義務であるから。
「四日後……?」
思ったより早い。
根回しするには、あまりに少ない時間であった。
そして四日後。
王宮には、特別なときにしか使われない部屋がある。
そこに八人の人間が集まった。
部屋の中央には、また部屋ができている。二重の部屋だ。
そこは入り口がひとつで窓がない。他と完全に隔離されている。
入り口の扉をしっかり閉じると、中で話された内容は、どこにも漏れることはない。
隔離された部屋の周囲には、多くの護衛が控えている。盗み聞きなど、できようもない。
八老会の会議は、必ずここで行われる。
「……ったく」
出席者の中で、ひときわ不機嫌さを隠さないのは、国王ファーラン。
本来、八老会の会議はもう少し先である。
なぜいまここに集まっているかといえば……。
「みな、ようこそ集まってくれた」
立ち上がって礼を述べたのは、ハルマン商会の会頭ロルマール。
もちろん八老会の一員である。
今回、ロルマールが発起人となり、四人の商会長――ジュドム商会のナバル、フォングラード商会のランガスタ、そしてカカドリム商会のディルフが賛同した。
八老会の会議は、過半数の賛同があれば開かれる。
数日前、ファーランは受け取った銅板を見て、盛大に舌打ちした。
中立であったはずのカカドリム商会の名がそこに記されていたからである。
(チィ……ディルフのやつ、裏切りやがって)
ファーランの機嫌は悪い。すこぶる悪い。
過半数の賛成で会議は開かれるが、議案が通るかどうかは別問題である。
否決されたら覚えてろよと、ファーランは剣呑なことを呟いていた。
会議のシステムは単純で、議案を持ち込んだ人が議長を務める。
議案が複数出れば、その都度、議長が交代する仕組みだ。
そして議案が通過するかどうかは、多数決によって決まる。
議長を除いた七名のうち、四名の賛成を集めなければならない。
棄権は、義務の放棄である。許されない。
対立した案件で四票も賛成票を集めるのは、なかなか難しいのだ。
(俺とニノムスは鉄板として、ジョセフは大丈夫だよな)
デルキス商会のニノムスは、ファーランの義父にあたる。
そしてこれまでずっと味方陣営にいたラウルス商会のジョセフもまた、味方となる。
ファーランはそう考えた。
中立派で残るは、ワフカリ商会のリザーニア。
彼女はファーランのひとつ年上の46歳。前王の娘と言った方が分かりやすいだろうか。
公共事業を推し進めた前王。
当時、それを追い落としたのがファーランである。
だが、あのときすでに公共事業にかかる出費で、王国は火の車。
だれかが王位を引き継がねばならない状況だった。
必然、次の王は国を富ませなければならない。
それゆえ選ばれたのがファーランである。
ファーランは王となってからもワフカリ商会に対して、一定以上の敬意を払ってきた。
八老会のメンバーを敵に回したくないからである。
ゆえにリザーニアは中立に属し、全体のバランスを取ってきた。
今回も中道路線を歩むのではないかと、ファーランは思っている。
問題はディルフである。これまでずっと中立に属していたにもかかわらず、今回の会議開催に名前を連ねていた。
ファーランとしては、「反対派に鞍替えしたか」と疑わざるを得ない。
会議開催前の勢力図は以下の通り。
国王派
1.ファーラン(ルブラン商会)
2.ニノムス(デルキス商会)
3.ジョセフ(ラウルス商会)
反対派
1.ロルマール(ハルマン商会)
2.ランガスタ(フォングラード商会)
3.ナバル(ジュドム商会)
中立派
1.ディルフ(カカドリム商会)
2.リザーニア(ワフカリ商会)
ファーランの心情としては、ディルフよりもリザーニアの方が反対派に近いと思っていただけに意外だった。
(まあ、なるようにしかならねえんだが)
ここに至っては、開き直るしかない。
なにしろこれは、政治の名を借りた、商人たちの戦いである。
動く前に根回しは必須。
会議を開いたロルマールは、勝ちが見えたからこそ行動を起こしたのだ。
ファーランが水面下での動きを見逃した時点で、不利は否めない。
あとは、この会議で結論をひっくり返すだけである。
「んじゃ、早いとこ始めようぜ。議案はなにかな? まさか議案がないのに招集したってことはないよな」
あえて軽い調子で、ファーランはロルマールを挑発する。
「もちろん議案はありますよ、王。それは王が一番よく分かっているかと思ったのですが」
「へえ、そうかい。……で、何?」
「この度の戦争責任についてですね」
ファーランが眉根を寄せた。
「戦争責任ってっもよ、まだ終わってねーじゃん。ようは最後に勝てばいいんだろ」
「クリパニアの町を戦場にしてですか?」
戦争はまだ終わっていない。
王国の侵攻を撥ねのけたミルドラル軍は、王国領内へ逆侵攻をかけ、この四日のうちに複数の町を占領下に置いた。
ここにいる八人がどこまで情報を掴んでいるか分からないが、ロルマールはすでにミッタルの町が落ちたことを知っている。
「この戦争だって、ロルマール老がもっと協力してくれたら違った結果になったんじゃねえの?」
ロルマールは「人」を商材として扱っている。
多数の傭兵団とも繋がりがある。
「いくら数を揃えたところで、あれが相手では無駄だったでしょう」
ファーランがどこまで掴んでいるか分からないため、あえてぼかした言い方をした。
「タダシっていう魔道士のことか? そりゃ想定外だよ。連れてった連中が全員捕まるなんて、信じられるか? おい、まさかその責任を王に取れっていうんじゃないだろうな。そりゃ、通らない話だぜ」
「まあ、そうですね」
ニノムスが頷く。
戦いに負けた責任を国王がとるというのはおかしい。
それは実際に兵を率いた者に帰結されるべきであり、王は責任者を叱責するか許すか、挽回の機会を与えるのが役目だ。
もし上層部に責任の所在を持ってこさせるならば、軍務省のラーゼンが負うべきであろう。
経済が停滞したら経済省のルクエスタが責任をもって代替案を出す必要があるし、政治で失敗した場合は、宰相のウルダールが王に弁明しなくてはならない。
こういったものすべての責任を国の最高指導者に負わせるのは間違っている。
ゆえにファーランの言ったことは正しいし、ニノムスが同意したのも頷ける。
(ロルマールだって、本当に俺の責任を追及したいわけじゃないだろう。このあと、話を有利に持っていくための下地作りだろうな)
ファーランは少し機嫌を戻してきた。
議案が提示された場合、必ずその日のうちに決着がつく。
できるだけ自分に有利な方向に持っていき、相手の譲歩を引き出すために、舌をよく回らさなければならない。
「ではそろそろ議案を提示させてもらう。ワシが提示するのだから、慣例に従って、ワシが議長を努めようと思う。異存はないかな?」
ロルマールの言葉に残りの七人が頷く。
(よし、ここからが本当の勝負だぜ)
「ワシは国王の解任を要求する」
ファーランは「来た!」と思った。
これからの事を考えて、ファーランから実権を取り上げた方がいいと考えたのだ。
今回の会議に呼ばれた時点で、この提案がなされるのはほぼ分かっていた。
(小さなことを積み重ねていくかと思ったが、いきなりか。だがそれはそれで、議論の余地がある)
前王の時代からすれば、ファーランは国を富ませたと言っていい。
帝国との陸路交易は、八老会の悲願でもある。
戦争が終結していない段階で国王が変われば、自国内が不安定になるばかりか、相手国がつけあがることにもなりかねない。
その辺を前面に押し出して議論を尽くし、国王交代までの時間稼ぎをするか、自分が次の王を指名し、その影響力を残すか、国王退任を自主的にする代わりに各商会から譲歩を引き出すかすればいい。
つまりここからタフな交渉が始まる。
(先制パンチとして、帝国との密約の話をしようか)
陸路が再開された場合、帝国が指定する商会を優先的に通行させる旨、ファーランは約束を取り交わしていた。
その商会の荷ならば、関税が安くなり、荷も優先的に運び入れることができる。
他の商会は、こぞって傘下に入るだろう。まさに中間搾取し放題。
ファーランはその餌をチラつかせて、主導権を握ろうとした。
「では決を採ろう」
「ちょっと待った! なんでいきなり採決するんだよ!」
あまりのことにファーランは立ち上がった。
「話すことはまだまだ残っておるでな、簡単なものは先に済ませるべきであろう」
「……んだとぉ!?」
国王の交代劇を簡単なものと言い切ったロルマールに、ファーランは激昂した。
まだだれの意見も聞いてない。横暴にもほどがある。
「賛成ですわ。さっさとやってしまいましょう」
ワフカリ商会のリザーニアがロルマールの意見を支持した。
「てめぇ、どういうこったよ」
ワフカリ商会はもともと中立。
だが、今回だけはロルマール側についたのではとファーランは内心思いはじめた。
(一体いつからだよ)
各商会は見張らせていた。そして不審な報告はあがってない。
(フォングラードとジュドム、それにカカドリムは賛成だろうし、これにワフカリも賛成に加わるのか。いったいいつ根回ししたんだ?)
ファーランは、訝しげに周囲を眺める。
ことここに至っては、もう自分に勝ち目はない。
あとはどれだけ有利な条件を引き出すかだが、もう決を採るという。
リザーニアに続いて、次々と決に賛成の者が現れた。
「では、国王交代に賛成の者は挙手を願う」
こうしてファーランの失脚が決まった。
しかも賛成六票、反対一票という大差である。
「どうしておまえらが賛成するんだよ!」
ファーランの怒声が再度、室内に響き渡った。
議長のロルマールを除いた全員がファーランの敵に回ったのだ。
何がなんだか分からない。
ファーランはニノムスを睨んだ。
「戦争の早期解決をするためですよ」
ニノムスの弁はそっけない。
「裏切ったのか?」
「いえ、事前に何の話もありませんでしたよ。ただ、時勢を見れば結果は明らかでしょう」
「…………」
それはファーランも分かっている。会議が招集された時点で、負けはほぼ確定していた。
だが、商会長歴の長いニノムスならば、足掻いて譲歩を引き出すことの重要さを理解していると思ったのだ。
「続いて提案させていただきます。私は新王にランガスタ殿を推挙します」
「ちょっと待てい! まださっきの話が終わってないだろ」
「終わりましたよ。それに言ったではないですか、採決する案件はまだまだあると」
ロルマールの言葉には、もはや敬意が感じられなかった。
彼の中ではファーランは、もうただの商会長。同じ土俵に立つ相手でしかないようだ。
「それでは決を採りますので、賛成の方は挙手をお願いします」
こうして八老会の会議は粛々と進み、短時間で幕をとじた。
「まさか……」
呆然とつぶやくファーランを残し、他の七人が部屋を出て行く。
「まさかまさか……」
自分の思考にはまり込み、ファーランは自分以外の全員が出ていったのさえ、気付かなかった。
「私はこのあと寄るところがありますので」
王宮の廊下の分かれ道で、ニノムスは別方面を指差した。
「娘さんのところですか」
「ええ、少し話をしようかと思います。では」
一礼してニノムスだけは別の道を辿った。
そのままニノムスは、ミネアの自室へ向かう。
「待たせたかな」
「いえ、予想外に早かったので、驚いているところですけど」
「そうか……案件は一通り通ったよ」
「そうですか」
「…………」
「…………」
父娘の間に沈黙が流れる。
「フィーネ公も思い切ったことをする」
ニノムスがようやく口を開いたと思ったら、会議のことではなかった。
ミネアは頷いた。たしかにフィーネ公が代替わりを発表しなければ、まだ少しだけ勝ち筋があったのである。
ラコルがすでに死んでいて、いまいるのはその取り替え子。
その秘密を知っているのは、デルキス商会の上層部のみであった。
この秘密を一番よいタイミングで発表するか、極秘に取引材料として使うか、ずっと機会を窺っていた。
よもや王国が戦争を起こす直前のタイミングでルソーリンが手を打ってくるとは思わなかったのである。
秘密を盾にフィーネ公を説得できたはずである。
フィーネ公が動かなければ、何をしてでもバイダル公をラマ国に引きつけるだけでいい。
そうすれば今回の戦争も、違った結果になった。
「今さら言っても詮無いことか」
「そうですわね」
切り札が切り札でなくなった時点で、ミルドラルの結束を阻むものはなくなった。
ニノムスとしては大誤算である。
「それと、ロルマール老が先ほどの会議で言っていたが、ラマ国と帝国の間にある陸路」
「ええ……それが何か?」
「そこに巨大な壁ができたそうだ」
「!? 大魔道士タダシの仕業ですか?」
「だろうな。まだほとんど出回ってない情報だが、あと数日もすればチラホラと話が広がるだろう」
「ハルマン商会の情報網は国随一です。誤報はないでしょうね」
「そうだろう。ファーランはラマ国に多数の商会を根ざさせるつもりだったと聞いたが」
「それはルブラン商会のですか?」
「そうだ。聞いてないか?」
「いえ、私は聞いておりません。夫は少し先走ったようですわね。……それの出所は?」
「フォングラード商会だ。ルブラン商会と裏で揉めていたようだね」
「なんですか、それ?」
こちらの件も、ミネアには心当たりがないようだ。
もともとルブラン商会とフォングラード商会は、扱うものがほとんど同じ。ルブラン商会はそれに加えて、帝国との取引があるため、フォングラード商会より二歩はリードしている。
両商会が対立しても良いことはない。
それなりに仲良くやっていたはずだとミネアは思っていた。
「どうやらミルドラルでフォングラード商会を騙って詐欺を行っていたらしい。トエルザード家が動いて、それを突き止めたそうだ。おそらく今頃は大変なことになっているだろう」
ラクージュの町でクエーチェットなる商人が、フォングラード商会の名を使って、地元の商人を騙していた。
たまたま正司のクエスト中にそれが発覚した。
捕縛されたクエーチェットは、フォングラード商会の馬車を使って、王都クリパニアに送られた。
だが、王都に入ったところでその所在は分からなくなっている。
トエルザード家もとりたてて「どうなった?」と問い合わせたりしなかったため、護送の事実そのものもうやむやになっていた。
ランガスタは、クエーチェットを厳しく締め上げて、彼の計画と背後にいる人物を洗いざらい吐かせることに成功したらしい。
案の定というか、バックにはルブラン商会がいた。
といっても、ルブラン商会の名前は一切出てこない。
他の商会を使って、事を起こしていたのだ。
ランガスタは、ダミーの商会を辿り、その都度秘密裏に捕縛しては締め上げ、芋づる式に企みを暴いていった。
結果、分かったことは、完全に資本は別だが、ルブラン商会の隠し資産を使った大規模な交易路占有作戦が明らかになった。
流れはこう。
ラマ国と帝国との陸路が再開されれば、街道の重要性は限りなく増す。
途中に商会や倉庫がなければ、無駄に費用がかかる。
これらをクリアするため、山路が開通する前に商会の基盤となる土地と建物を確保しようと動いたのだ。
もしルブラン商会が少しでも関わっていたら、その情報は他の八老会メンバーに漏れただろう。
だが、資本すら別の商会ならばそれは防げる。
ファーランは隠し資産を使い、まんまとラマ国の首都や街道上の町に、拠点をいくつも作る事に成功したのである。
以前、クリスティーナが調べた商売の新規届出は、みなそれ絡みだったのである。
「ランガスタ殿が動いたということは……」
「見つけた商会、倉庫、人員の情報は、ラマ国とミルドラルに提供するだろうね。いや、もうしているかな。少しでも自分の心証をよくするために」
「…………」
一口に隠し資産と言っても、内緒で商会を運営するほどになると、その規模は相当なものである。
おそらくかなりの年数をかけて、作り上げたものだったのだろう。
「隠し資産も没収の対象になる。……というか、絶断山脈に壁ができたことで、国の計画は白紙に戻さねばならなくなった」
「人口の増加と食糧不足は酷いですけど」
「ああ。あと十年もしたら、多くの庶民が実感するだろう」
帝国は村や町の人口がどう増え、どう減っていくのか、長期的な統計を取っている。
十年以上前に、王国でも同じやり方が導入された。
そしていま、村での人口増加は著しいものとなっていた。
毎年、村の平均人口増加率:1パーセント
1パーセントは、はっきり言って大したことない数字だと、最初は思っていた。
村人が百人いれば、一年後に百一人になるのだから。
だが十年経てば、百十人を超えてしまう。
これは高齢な村人が寿命で亡くなったり、乳幼児が病気で亡くなったり、若者が魔物に殺されたりした分も入っている。
一年間のトータルで、亡くなった人よりも生まれた人の方が多いということだ。
そしてかなりの村で、住める人数の限界を迎えている。
つまり本来もっと村民が増えているはずが、村を捨てて町へ行ったり、棄民として国家の庇護のない場所で生活している。
その数は、村の人口増加率に入っていない。
そのわりに、この十年間で耕作できる面積はほとんど増えていない。
つまりこの十年間、食糧供給は変わらずに十パーセントの人口が増えたことになる。
そしてこれはこの先も続く。
いまはまだ食糧に余裕がある。だが十年後は分からない。
帝国と交易をするならば、今しかない。
おそらく十年後は、食糧自給にアップアップしているだろう。
そう思っての交易計画だったが、それが根底から崩されてしまった。
「それはいい。今後、解決策を見つけていかねばならぬことだ。それよりもミルドラルとの関係を考えて、会議の場で情報共有が行われた」
互いに知らないことがあると、話が噛み合わない。
利害を超えて情報共有しようということになった。
ニノムスは会議の場で、ミネアから聞いた話をした。
ファーランが宰相のウルダールを交えて、何をしていたのかを話した。
みな薄々感づいていたようで、ニノムスが発言しても、大きな混乱はなかった。
ただ、「ミルドラル側にそれがバレたのが痛い」とだけ。
たしかに公女鏖殺に失敗した話や、公子誘拐の話はすこぶる外聞が悪い。
この戦争にミルドラルが本気になるのも分かる気がする。
そして最近、ファーランが行った話をした瞬間、会議に出席した何人かが激昂した。
帝国が過去にした借金を棒引きしたくだりだ。
『破軍の錫杖』を借り受けるためとはいえ、帝国に対して唯一持っていたアドバンテージを放棄したのである。
あまりのことに、リザーニアなどは頭を押さえて呻いてしまった。
過去の王がどれだけの苦労をして、帝国に貸しを作ったのか。
実は最近、前王の公共事業が見直されていた。
街道を整備したことにより、情報が早く伝達できるようになったのである。
また、人の行き来が楽になったことで、取るに足らない噂話でもしっかりと村に届くようになった。
正しい情報が多く伝わったことで、出生率と死亡率が改善され、人々の暮らしは以前に比べて豊かになった。
公共事業は即効性はないものの、長い目でみたら、かなりお得な政策ではないか。
そう考えられはじめたのである。
リザーニアは、そんな父の政策をスリム化し、あらゆるものに応用できるよう、商業活動の傍ら、研究と実践に取り組んでいる。
公共事業は帝国に一日の長があり、リザーニア自身、陸路が開通したら視察に向かう予定であった。
まさかその直前で、帝国との貸し借りがキレイさっぱりなくなってしまうとは思わなかったのだ。
そして『破軍の錫杖』は現在行方不明。
というか、攻め入った兵が捕縛されたため、魔道具の情報は入ってきていない。
戦後交渉で引き取らねばならない。
さすがに帝国の魔道具の引き渡しを拒むとは思えないが、いったいどれだけふっかけられるか分からない。
話を聞いて、リザーニアだけでなくほぼ全員が虚ろな表情になったのは、致し方ないことであろう。
「それで、戦争はどう決着がつくのですか? まさかクリパニアの町が戦場になるなんてことは……」
「さすがにそれはない。向こうも分かっているようで、ミッタルの町で進軍停止中だ」
「それは良かったですわ」
「彼は街道を南下してきた軍を襲撃させようと考えていたらしいが」
「またそういう無謀なことを……」
「そうだな。成功しても失敗してもリスクだけが跳ね上がる。クリパニアの町を蹂躙されたら目も当てられん」
ミルドラル軍は、敵を八老会だけに絞っている。
八老会としてはたまったものではないが、全面戦争をしかけてこなかっただけ、マシと言える。
ミルドラル軍が報復するのはわかるが、やり過ぎれば王国民だって黙っていない。
結局後々までしこりが残ってしまう。
同時に、王国を完全に併呑するのも愚策である。
巨大になったミルドラルをラマ国が警戒する。
結果ミルドラルは、やむを得ずラマ国と雌雄を決することになるだろう。
そうすればあとは帝国と同じだ。
統一国家を作ったあとで各地で反乱がおきる。
抵抗運動の鎮圧に、多くの労力を使わねばならない。
帝国の混乱を知っていれば、ミルドラルは、火中の栗を拾う事はしないと思われた。
会議では和平の使者を出すことが決まった。
ミルドラル軍はそれを望んでいるだろうと。
「向こうの総大将はオールトン殿だとか。風来坊だと聞いていたが、存外あなどれないものだな」
トエルザードの異端児。風を友とする芸術家。人生を恋に殉じたロマンチスト。
呼び名は様々あれど、どれもみな浮き世離れしているものばかりだった。
「指揮するには知識と経験、そして度胸が必要ですし」
「今回が初めてのはずだ。ということは、知識と度胸があったのだろうか」
過去、オールトンが軍を率いた記録はない。
必要な三つのうち、二つ持っていれば、大きな失敗はしないのだろうと、ニノムスとミネアは考えた。
「問題はどれだけ『むしられる』かですね」
「すでに街道の町では、私たちの拠点は残ってない。ずいぶんとうまくやったものだ」
狙い撃ちしたということは、事前に商会の情報を得ていたということ。
商会員が逃げる暇なく徴発している。
不動産は解体する念の入れようだ。
この建物の解体は、八老会にとってかなり痛い。
その土地は、和平交渉後、ミルドラルから買い取らねばならないだろう。
買い取りは各商会の資産で行わねばならないが、複数の土地をすべて買い戻すのは、結構な額が必要である。
だがそれをせずに、同じ町のもっと安価な土地で商売を始めた場合、商会はもとの土地を買い戻す資産すらないのかと思われてしまう。
ここは無理をしてでも、すべて買い戻さねばならない。
だが、問題は他にもある。
そこに建物がないのだ。
丁寧に更地にしてしまったと報告がある。
買い戻した土地に、新しく店舗や倉庫を建てなければならない。
そうしなければならないことを分かっていて、建物を破壊したことになる。
これはやられたとニノムスは思った。
「ルブラン商会は買い戻す資金すら残らないだろう」
「やはりそうですか」
「ミルドラルは賠償金を求めてくる。おそらく国庫とは別に私たちにもだ。だが、いまのルブラン商会に、支払い能力は無い」
ルブラン商会は、この戦争に賭けていた。
かなり各方面に、かなりの投資をしていた。それがすべて未回収になったのだ。
投資金額が多ければ多いほど、ダメージは大きい。
事前にすべての情報を知っていたからこそ、動けたわけだが、今回それは、致命傷となり得てしまった。
「四、五十年に一度くらいで、八老会の構成員が変わるようだ。今年がその節目なのだろうな」
つまり、来年には新しい商会がひとつ、八老会に加わる。
もはやルブラン商会に、八老会に属する資産はない。
交渉によっては、商会を畳むこともあり得る。
「話は以上だ。……それで決心はついたのか?」
「…………ええ」
「それは良かった」
ニノムスは、娘を離縁させてデルキス商会へ連れ帰るつもりでいた。
王でないファーランに興味は無いし、商会の存続すらも怪しい。
そんなところに娘を預けておくわけにはいかないのだ。
「では帰ろうか。荷物はあとで取りにこさせる」
八老会の会議が行われた場所にひとり。
ファーランは一言も発することなく、ただ座り続けていた。
ミルドラルとの戦争は、王国が『和平』を持ちかけることに決まった。
提示される賠償金は、かなりの額になるだろう。
一部は国庫から供出されるが、八老会でも「賠償金を支払った」という実績がなければならない。
過失割合に応じた額をそれぞれの商会が負担することが決まった。
もちろん過失が一番多いのは、ルブラン商会である。おそらくダントツ。
それもあって、ルブラン商会が浮かび上がる目はもう皆無と思われた。
何もかも失ったファーランは、身ひとつどころか、マイナスのスタートとなるだろう。
何千人といた商会員も、何十とあった店舗も、溢れんばかりの物資もすべて失った。
そして国王の地位と、家族までも……。
座ったまま微動だにしないファーランの手に、華奢な手がそっと添えられた。
「キレイな……手だ」
ポツリとファーランはそう言った。
「あら、覚えてくれていたのですか」
肩口から掛けられた声は、ファーランがよく知っている人物のもの。
「ミネア……」
行ったんじゃなかったのか。
そう喉元まで声がでかかったが、ファーランはそれ以上続けることができなかった。
「あなたと初めて引き合わされたとき、あなたはわたくしの手を褒めてくださいましたわね」
「そうだっけか」
そのとき、ファーランは何と言ったか覚えていない。
「ええ、ですからわたくし。この手をずっとケアしてきましたのよ」
ミネアはもう一方の手も、ファーランの手に重ねた。
「すべて失ったよ」
「ええ、分かっています」
「借金まみれだ。小さな店すら開けない」
「いいじゃありませんか。二人で地道にやっていきましょう」
「……ミネア?」
「知ってますか? わたくし、王妃よりも商売人の妻の方が、性に合っているんですよ」
そう言ってミネアは、ファーランに笑いかけた。