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085 博物館オープン

 リーザが取り出した巻物。

 それは出発前、正司に頼んで(・・・)作ってもらったものだったりする。


 正司に巻物を頼むのは、気が進まなかった。

 これまでもかなりの借りがある。


 本来ならば、リーザから言い出すことはしない。

 それでもリーザが頭を下げて巻物を作ってもらったのは、自分の矜持や、貸し借りを越えた『何か』があったからである。



 ――準備に全力を注がないで、この戦争に挑みたくない



 それがリーザの切なる思いだった。

 そして、最善は何かと考え抜いた末の「これ」だったのである。


「それはもしかして……タダシくん謹製の巻物?」

 オールトンは、その巻物が何なのか、理解できたようだ。


「ええ、いまだ家臣たちにも内緒にしているタダシの巻物です」

「ちなみに何の巻物か聞いてもいいかな?」


「土壁を操る〈土魔法〉ですわね」

 土壁を操るとリーザは穏やかに言うが、内容はかなり過激だ。


 オールトンは自軍を見た。

 中央にトエルザード軍。左右にそれぞれ二公軍が展開している。見事な突撃陣である。


「リーザ……ほどほどにね」

 これが戦争だというのに、オールトンは相手を気遣う姿勢をみせた。


「分かっております、叔父さま。たとえ私がどれほど……それはもうどれほど怒っていようとも、この戦争は理性的に行います」


 港を襲われ、多くの人が死んだ。

 生き残った者も、財産、家族、友人、すべてを失った。


 復興にどれだけの苦労と困難が待ち受けているだろうか。


 今なお、歯を食いしばって耐えている領民たちの仇を討ってやりたいと思う。

 同じことをやり返してやりたいと思う。


 だがそれは、ルンベックから禁止されていた。

 これは戦争である。戦争であるがゆえに、個人の感情で行ってはいけないと。


「彼らに思い知らせる必要があるよね」

 出発前、ルンベックは穏やかにそう言った。


「ええ、お父様。当然です」

 対するリーザの表情は真剣だ。


 相手に思い知らせるのは当然だ。

 殴られてヘラヘラと笑っているようでは舐められる。


 舐められたら、与しやすしとまた同じ事が繰り返される。

 そのときまたヘラヘラと笑っていたら、三度目がある。


 とくに国家間ではそうだ。

 弱腰になったら「よしもう一度」と、相手はどこまでも踏み込んでくる。


「私はね、相手に思い知らせるやり方は、色々あると思うんだ」

 出発前のルンベックは、とにかく冷静。一切の感情を表に出すようなことはしなかった。


「ねえリーザ。今から言う二つのことを守ってくれるかな」

 それはリーザにつけられた枷。


 ひとつは、思い知らせる相手は絞ること。

 関係ない者には、できるだけ被害を与えない。


 リーザは頷いた。これが一つ目だとしたら、もうひとつは何なのか。


 そしてもうひとつは、相手が降参したらそこで止めること。

 どれほど好機でも、相手がノーと言ってきたら、それ以上は進んではいけない。


「分かりました、お父様。その二つを守った上で、徹底的にやります」

「うん。気をつけてやりなさい」

 そんなやりとりがあった。


「敵も不思議に思っているでしょう。私たちがこのような突撃陣形をつくったのですから」


「何かあると思っているだろうね」


 ミッタルの町が見えたところで全軍を停止させ、陣形を整えさせた。

 城門までは二キロメートル。ここからでは魔法も弓も届かない。


 リーザは巻物を拡げ、そこに書かれている呪文を声高に読み上げた。

 魔法も弓も届かない……はずだが。


 ――ゴゴゴゴゴゴ


 大地が揺れ、地響きをたてて町の壁が広範囲に沈んでいく(・・・・・)

 それはさながら砂の壁に水をかけたかのように……。


 程なくして、壁はすべて取り払われてしまった。

 見える範囲の壁がすべて地中に潜ったのである。


「敵さんが慌てているね」

「ええ、よく見えます」


 声こそ聞こえてこないが、豆粒ほどの人が右往左往しているのが見えた。


「このあとどうするつもりだい?」

「少し様子をみます」


「このまま突撃しないの?」

「お父様に言われましたので、降伏する時間を与えようと思います」


 ミッタルの町は、王都に負けないほど壁が高い。

 それだけではない。鉄製の門も立派で、どのような攻撃でも跳ね返す安心感があった。


 そう、高い壁と重厚な門があった……すでに過去形である。

 あれだけ高くそびえ立っていた壁はなくなり、悪意ある者を拒む門もまた土中に消えた。


 ミッタルの町はもう裸同然。

 なまじ町が大きいため、大軍が侵攻する道さえある。


 しばらくして敵の守備兵が出てきた。

 まだ心が折れていないらしい。


 頼みの綱の壁が消失したからか、動きに機敏さがない。

 壁のあった場所から出ていいものなのか迷っている感じだ。


「兵が出てきたということは、野戦を挑んでくるつもりだよ」

「順番が逆になりましたが、想定内です。以前お話ししたとおり、この戦いも任せてください」


 ルンベックに言われた二つのことを守らねばならない。

 これは八老会を叩きのめすための戦い。


 ここまでの道中、リーザは目的を達成させるために多くの戦術を考えてきた。

 距離を離して大軍が睨み合った場合の対処法はひとつ。


「僕は戦いが終わったあと、交渉役になるんだよね」

「その通りです、叔父さま。……敵の準備もできたようですので、はじめます」


 敵兵は壁にそって並んでいる。肉壁となるつもりだろうか。

 意味のある行動とは思えないとリーザは考え、フッと笑った。


 壁が消失した場合の戦略など、考えてなかったのだろう。

 住民が不安がるため、兵たちが前に出ただけのようだ。


 リーザが手をあげ、三公軍がゆっくりと前進する。

 ここからだと少し遠いのだ。


 相手側が盾を構えはじめた。

 距離はまだあるが、突撃させるならば、そろそろ走り出さねばならない。


 だがそうはしない。

 頃合いを見計らって、リーザは軍を停止させた。


「?」

 敵軍が一様に訝しんだ。なぜそこで軍を止めるのか。

 距離はまだかなり離れている。


 もしかすると、決戦したくないのか。

 敵がそんなことを考えはじめたとき、リーザが笛を鳴らした。


 高々と鳴り響く笛の音にかぶさって、軍のそこかしこで呪文の詠唱がはじまった。


 呪文詠唱の声がこだまする。

「リーザ、これは?」


「火弾の巻物と火球の巻物を持たせましたの。事前に調べたら、射程が三百メートルくらいだったのです」


「まだ五、六百メートルくらい離れているけど?」

「ええ、ですから両軍の中間に撃とうと思います」


 直接相手にぶつけるつもりはないらしい。


「その巻物もタダシくん作なのかい?」

「もちろんです、叔父さま。もらったもの……」


 リーザがそう答えたとき、火弾や火球の魔法が完成した。


 そのあとに続く「もらったものですが、この戦争のために大盤振る舞いしました」という言葉は、ついぞ聞くことができなかった。


 火球がうなりをあげて飛んでいったからである。


 ――ゴォオオオオオ

 ――ゴォオオオオオ


 数百という火球が空を舞う。

 それだけで空は赤く染まる。


 着弾した瞬間、炎が周囲にまき散らされた。

 それが幾十、幾百と重なると……。


 輻射熱ふくしゃねつで顔を背ける兵が続出した。

 最大射程距離まで飛ばしたものの、あまりに数が多すぎて、熱の余波が防ぎきれなかったのだ。


 リーザは顔の前に手をかざして、炎の行く末を見守る。


 着弾、延焼、着弾、延焼と繰り返された。

 それがどうなったかというと……。


「全軍突撃……は無理そうね」

「無理、無理、無理! 大地が燃えているよ」


「タダシの巻物だというのを忘れていたわ」


 巻物の実験はリーザひとりでやったが、実際はそれの数百倍規模になることを失念していた。予想以上の破壊力だった。


 とどのつまり……。


「勝敗は決したんじゃないかな……というより、巻物の効果を兵に伝えてないでしょ」

 燃え上がる炎で、敵陣は一切見えない。


 ここから見えるのは自陣の兵だけだ。

 そしてなぜか、自分たちが攻撃したはずなのに、兵たちは恐れおののいていた。


「炎の絨毯がおさまるのを待って、降伏勧告しましょう。戦意を喪失しているといいのですけど」


 よもやこれを見て、戦闘を続けるとは言い出さないだろう。

 少しして、オールトンが難しい顔を向けてきた。


「問題は……だ」

「何ですか、おじさま」


「味方がどん引きしているのだけど、何か知恵はあるかな」

「あー……」


 炎がおさまったのは、それから数時間後(・・・・)

 そのときすでに、住民の半分は逃げ出していた。




 ミッタルの領主は降伏を受け入れた。

 使者を派遣したら、すぐに了承した。


「あっけなかったわね」


「壁が無くなって町は丸裸。兵を並べた直後にどん引きの魔法が炸裂。こっちは突撃陣形を保ったままだったしね。それで交戦を継続する領主はいないよね」


「まあ、そうですね。本人がやる気を出しても、周囲が止めるかしら」

「もしくは我先にと逃げ出すと思うよ。少なくとも僕なら逃げる」


 三公軍は整然とミッタルの町へ入っていった。

 出迎える者はいない。住民の多くが、町の南側(・・)に避難している。


「もう魔法を撃つつもりないのに……」

「そうは言っても、インパクトがあり過ぎたからね。あの火柱は町のどこからでも見えたと思うし」


 あのときリーザは、火の海というのを初めて見た。

 それは衰えることなく燃え続き、周囲の空気を吸い上げて火災旋風を巻き起こした。


 上昇気流に乗って、炎は百メートル、二百メートル……どのくらいの高さまで打ち上がっただろうか。

 周囲の空気がみな炎に吸い込まれていくのを見守った。


 数百メートルも離れているのに、被害を受けないよう、軍を後退させたほどだ。


 そしてどれだけ待っても、高くのぼった火柱は衰えることをせず、自軍の兵士たちでさえ「この世の終わりだ」とくずおれる者も出たほどだった。


 領主含めて、町民のほとんどが抵抗する気力をなくしても、当然といえた。


 ちなみに後で分かったことだが、もともと高い壁を頼りに防衛戦を行うつもりだったらしく、町の守備兵は三公軍より少なかった。




 一等立派な建物を譲り受け、そこを三公軍の本部とした。

 次の目的地は、王都クリパニアである。


「ここから進軍すると、山をひとつ超えなくてはいけないのよね」

 ミッタルの町から王都までは遠い。


 山を迂回することができず、蛇行しながら山を登ってゆかねばならない。

「山を越えて森を突っ切ったらラミーナの町があるね。そこから歩いて半日で王都だよ」


「ラミーナの町は小さいし、壁も魔物避け程度しかなかったわ」

 留学するときにリーザはこの街道を利用している。


「必然的に次の戦場は王都になるけど、さすがにこの兵数で王都へ行くのは心細いかな」


「第二陣と合流するのを待った方がいいと、叔父さまは考えるのですね」

「そうだね。途中のどこかで襲われるかな」


「私としては、進軍途中で和平の使者が来る可能性が高いと思っているんですけど」

「僕もそう思うけど、奇襲が得意な傭兵団に本隊の司令部だけを襲わせることもあるんじゃないかな」


 なるほど、いかにも国王がやりそうなことだとリーザは納得した。


「でしたら、しばらくこの町で様子見ですね、叔父さま」

「ここまではうまく行ったし、それでいいんじゃないかな」


 この町は広い。

 第二陣を受け入れて軍備を増強すれば、ここを拠点に王国と交渉もできる。

 そう考えたリーザは、ひとつ思い出した。


「そうそう、壁を戻さないといけなかったわ」

 リーザはくだんの巻物を手の中で弄び、にっこりと微笑んだ。




 三日間の休暇が終わり、従業員が博物館に戻ってきた。

 いよいよ明後日、念願のオープンである。


 最終チェックもリハーサルも終わっている。

 あとはオープンを待つだけだ。


 いま一番忙しいのが、宣伝部だろう。

 オープンの日にちを告知してから、ひっきりなしに問い合わせが入ってくる。


 その対応に忙殺されている感じだ。

 この日、ファファニアはなぜか吹っ切れた顔をして、仕事に精を出していた。


 ファファニアは、これまでずっと真面目にやっていたものの、どこか「こんなに頑張っています」というアピールがあったが、そういう部分がそぎ落とされていた。


(ファファニアさん、休みの間に何かあったのでしょうか)


 一皮むけたというか、落ちついた雰囲気が出てきた。

「もう怖い物はなにもありませんわ」


 正司が近くを通ったら、そんな呟きを拾った。

 やはり休みの間になにかあったようだ。


 こういう場合は触れないほうがいいと考え、正司は敢えて気付かないフリをした。


 他の従業員はというと、最後の最終確認を終えたところだった。

 しかし誰もが「確認し過ぎ」と言い出さないあたり、教育が行き届いている。


 問題は、オープン後にイレギュラーがおきた場合の対処だ。

 フォローするメンバーと連絡経路を確認しあって、もう何がきても大丈夫という段階までもってきた。


「あとはお客さんを待つばかりですね」

「左様でございますな」


 そう答えたレオナールの表情が、なぜか冴えない。

 オープンを前にして緊張しているのだろうか。


「レオナールさん、どうしたのですか?」

 正司が問いかけると、レオナールは深い、それはもう深いため息を吐いた。


「実は先日、各所にオープンの日付を伝えましたところ、一番乗りをしようと考えた方々が多数おられまして……」

 レオナールはここ数日起こった話を正司にした。


「えっ!? 五日も前から並んだ人がいたんですか?」

 話を聞いて驚いた。並んだというか、並ばせたというか。


 オープンの話を流した相手は、おもに協力してくれた商人と、上流階級の人々、そして他国の要人である。


 宣伝しすぎるのもよくないということで、控えめにしたのだ。

 すると、オープンの日にちを知った人たちが、人を雇って並ばせたのだという。


「ある方は五人雇って並ばせました。使用人を並ばせますと、家の用事が滞るからでしょう。少額の賃金でも引き受ける者は大勢いるようです。すると別の方は十人雇いました。そうしますと別の方が……と、徐々にエスカレートしていきまして、収拾が付かなくなりました」


 なぜか千人を超える行列ができたらしい。


「知らなかったです……でもオープンの話をしたのって、百人か二百人くらいですよね」


「はい。その方の家族分でしたら、一家族分の五、六人で足りますが、懇意にされている方や取引先の招待などを考えますと、必要な人数は簡単に膨れあがるわけです」


「…………」

 百人が十人招待したいと考えたら千人越える。


 ルノリーを案内したときは〈瞬間移動〉で博物館まできたため、外の様子はまったく分からなかった。


 ファファニアと出かけたときも、ファファニアがトエルザード家の屋敷に来てくれたため、博物館には寄っていない。


「あれ? でもいまは並んでいないですよね」


「はい。行列は初日の夜に数千人規模に達しまして、列をめぐる喧嘩が始まりました。さすがに黙っているわけにもいかず、緊急措置を取ることに致しました」


 レオナールが、ここに並んだ人たちは「無効」とすると言ったらしい。

 レオナールは博物館の総支配人であるため、その言葉はさぞ効いただろう。


 当日より前に並んだ人は、その日一日入れないと伝えたら、みなすぐにいなくなったという。

「ならばよかったですね。これで周辺住民に迷惑をかけずに済みます」


「そうでございますね。ですが、彼らが並んだことによって、一般の方々にも広く知れ渡ってしまいましたので、当日は混雑が予想されます」


「あー、そうですか」

 こっそりオープンさせようとしたが、無駄になったようだ。


 というか、五日前から数千人が並んだことに今さらながら、正司は驚いた。


 そして五日もあれば、噂は町中に広がる。

 当然他の町へも広がる。


「それはもう、仕方ないですね」

 今さらオープンの日付を変更するわけにもいかないし、諦めるしかない。


 もともと娯楽が少ないのだ。

 しかも上流階級の人々は特権意識を持っていたりする。


「まあ、まだ博物館に行ってらっしゃらないの? わたくしはオープン三日目に参りましたのに」


「わたくしは二日目ですわ」

「わたくし初日に見学しましたの。おほほほ……」


 などという会話がなされるのかもしれない。


 他にも、先に席を確保しておいて、取引先一行に譲るとか。

 考えれば、並ぶ理由はいくらでもある。


 商人や上流階級の人たちは、人を大勢雇って並ばせるくらい、訳ないだろう。


「そういうわけでして、勝手ながら警備員を倍増……いえ、三倍に増やしました」

「はい?」


「明日の夜中……日付が変わった頃に、一斉に行列ができると思います。それを捌くのに二十人ほど必要かと思いました」


「えっと……ああ、夜間の行列整理ですか?」

 当日ならば並んでもいいと解釈できる。それゆえ、日付が変わった瞬間から争奪戦が始まるだろうと。


 横入りがあれば喧嘩になる。

 喧嘩や怒号が飛び交えば、周辺の人たちに悪印象を持たれかねない。


 レオナールの言うように、律する者は必要だろう。


「はい、そうでございます。それとこれは毎晩繰り返されるかと思います。二交代制で一日おきに寝ずの番で警備をすることにしました」


「…………」

 その日、博物館に入れなかった人たちは、日付が変わった瞬間に並び始める。

 それを放置することもできないので、夜間専用の警備員が必要になったらしい。


(どうしてこうなったのでしょう)

 まったく想定外である。


 とにかく夜間のうちに人を雇って並ばせ、博物館が開く前に入れ替わる。

 そうやって入りたがる人が一定数いるのは、五日前の騒乱を見ていれば容易に想像できる。


「しばらくすれば落ちつくと思いますので、それまでの措置ということでお願いします」

「分かりました。お手数おかけします」


 オープン前日は、レオナールも徹夜で張り込みをするらしい。

 何にせよ、このような形でオープン前の二日間は過ぎていった。


 そしていよいよオープン当日。


 博物館の門を開ける前に、正司は宣誓代わりに、空にデッカい火球を打ち上げた。

 もうヤケである。


 何しろ門を開ける前に、一日分に匹敵する人が列を成していたのだ。

 博物館のことが完全に知れ渡っているとみていい。


 当初の「コッソリ」という予定はどこへいったのか。


 徹夜明けのレオナールが正司のもとへやってきた。


「近隣の町からかなりの人がやってきたようですね。宿屋に入りきらない方々が馬車の中で寝泊まりしたようです」


「なんかもう、好きにしてくれって感じですね」

 正司は呆れた。


 そして定刻になり、開門。

 行列の先頭が動き出し、博物館『オリジン』は、こうして産声をあげた。




「……なんか、凄いですね」

 待機所の中に吸い込まれていく人の流れは、小魚の群れのようだ。


 建物に入っていく人たちは、深夜から並んだとは思えないほど元気だ。

(そうまでして見たいのでしょうか……ただの石像ですけど)


 そこでふと正司は、過去の日本でも同じ光景があった歴史的事実を思い出した。

(たしか大阪万博でしたっけ。月の石を見るのに、大行列がおきたとか)


 まだ正司が生まれていない時代の話だ。

 それでもたまに話題に出るほど有名な話である。


 ただの石をみるために、日本人は何時間も並んだという。

(いまですと、パンダの赤ちゃんなどでしょうか。珍しい動物のお披露目でも行列ができますね)


 目的のためなら、人は並ぶのが苦にならないのだろう。

 人の本質はどこの世界も変わらないのかもしれない。


 これでもかというほど事前準備を施し、起こりえるトラブルを未然に防ぐよう、頭を絞って対策を練ってきた。


 そのため、初日は何事もなく……というわけにはいかない。

「子供が怯えていますか……そうですか」


 上流階級の人たちは、家族連れも多いらしい。

 そして、石像は精巧にできている。


 カラーリングされているからか、魔物の恐ろしさがうまく表現できている。

 いくら石像と言っても、本気で怖がる子供が出ているらしい。


(遊園地のお化け屋敷を怖がるのと一緒でしょうか)


 あれも作り物だと分かっていても、怖いものである。

 まして魔物は現実の脅威だ。実在するものと同じ石像を見せられたら、怖がるのも頷ける。


 子供や気の弱い女性が怖がり、泣き出したり、足がすくんだりするらしいが、その辺はトラブルといえない。

 想定された事態である。


「えっ、行列が進まないんですか?」

 どうやら、見入っている人があまりに多く、人の流れができないらしい。渋滞というやつである。


 かといって、一人何秒と制限をつけるわけにもいかない。

 じっくり見たい人が存外多いらしく、一人の滞在時間が予想より伸びているようだ。


「展示室が空かない限り次の集団を入れませんし、待機室の方々には申し訳ないですけど、少し長めに待ってもらいましょう」


 やはり予想通りにいかないなと正司は思う。


 そして問題は他にもあった。

「展示の説明を求めているんですか?」


 上流階級の人たちが視察に赴くと、だれかが脇について解説をするらしい。

 なるほどと正司は思う。


 彼らはそれを博物館に求めたのだ。


「うーん、それってキュレーターの役割ですね」


 キュレーター……日本では学芸員と訳すことが多いが、普段は研究していて、呼ばれたときに展示物の解説をしたりする。


 日本だとあまりいないが、海外の場合、専用の人がいる場合もある。


(また人を雇った方がいいでしょうか……研究、解説の人は何人かいると便利なんですよね)


 普段から研究していれば、間違いがあれば気付けるし、博物館の運営とは別にそういう部門があってもいい。


 キュレーターを求める人たちは裕福な者が多いだろうし、解説料を高めに設定しても問題ない。


「分かりました。今日は無理ですけど、そういう人たちを揃える用意があると伝えてください」


 事前準備はかなりしっかりやってきたが、それでも見落としはあるようである。

 そして午後になって、新たな問題が発生した。


「レストランに人が殺到したんですか!?」

 普通の魔物の肉を使った料理である。


 高いグレードの魔物肉は使っていない。

 そのへんは「特別なお客様用」にすべきという意見を取り入れて、メニューから外してある。


 しかも価格は周囲のレストランより高めだ。

 人が殺到する理由が分からない。


「G1やG2の魔物肉とはいいましても、砂漠や凶獣の森、未開地帯など絶対に足を踏み入れない場所の肉ですから、まだ誰も食べたことがないからだと思います」


「あー、そういうことですか」

 魔物の肉はドロップ品である。


 砂漠に出没する魔物の肉をミルドラルまで運ぶのは不可能。

 世界中の魔物肉が食べられるのはここだけ。


 たとえG1の肉とはいえ、とてつもなく稀少だったのだ。

「家族で別々の肉料理を頼むテーブルもあるようです。とにかく、レストランに人が溢れに溢れています」


「厨房の大きさや料理人の数もありますから、こればっかりは簡単に増やすわけにはいきませんね」


「いっそのこと、外で食べられるようなメニューを増やしますか」

「調理からなにから外で賄うような……屋台村を作ってもいいですね。これからの課題ですけど」


 本当に起こりえるトラブルは事前に考えて、対応策を練っていたのだ。

 だが、実際にオープンしてみると、初日からこれである。


「たった博物館をひとつオープンさせただけでこんなに大変になるなんて……」

 そう正司は嘆くが、レオナールはそれに同調しなかった。


 かつて日本にMOMA展、つまりニューヨーク近代美術館の展示物がやってきたときのことを正司は思い出せばよかったかもしれない。


 正司はそれを見学するのに、二時間以上並んだのだ。


 この世界は娯楽が少ないし、そもそも博物館自体、はじめての試みである。

 しかも精巧な魔物の展示とあって、価値は高い。


 日本で言えば、有名なテーマパークが同じ敷地に五つも六つも入っているようなものである。

 ここにしかないのだから、みなここへ集まる。


 それは「水は高いところから低いところへ流れる」のと同じくらい道理である。

 二時間やそこいら並んだところで、諦めるわけがないのである。


「これって、明日も同じでしょうか」

 そう問いかける正司に、レオナールは大きく三回頷いた。




 博物館がオープンし、ラクージュの町はいままさに興奮のるつぼとなっていた。

 博物館を訪れた者は、決まってそれを周囲に話したのである。


 一人が五人に話せば、来場者の五倍の人数がそれを聞く。

 話が広がっていくのは、当然といえた。


「ふう、ようやく目処がたったかな」

 目頭をおさえ、首筋をトントンと叩いて、ルンベックは疲れを癒やす。


 少し前まで、目が回るような忙しさだった。


 それもそのはず。

 三公会議で留守をしていた間に溜まった案件は多かった。


 しかもそのどれもが難しい決断を迫られた。

 ミュゼが「自分では決断できない」と残した分である。


 また、留守の間に決裁された内容のチェックをせねばならず、現在進行形でさまざまな案件が持ち込まれる。


 それはいい。分かっていたことだ。

 他にすることと言えば、三公会議で決まった内容を実行に移す段取り決めだ。


 ところが、仕事を割り振ろうにも、家臣たちの多くが出払ってしまっているのである。

 エルヴァル王国との戦争によって、さまざまな弊害が各町におこっている。


 一番大きいのが、人の流入流出が途絶えたことによる交易の減少だろう。

 町の経済は、他の町と繋がってこそまわってゆくのである。


 戦争によって、それが一時的にでもマヒしてしまったために、多くの家臣が調整に動いていた。


 そして国境の町と港町での出来事。

 それらの処理も合わさって、ルンベックの仕事量は、当初予定していたよりも、かなり多くなっていた。


 だがそれも、日頃の頑張りによって、なんとか峠を越えた感じである。


 この後は、後回しにしていた有力者との会談を入れてゆき、徐々に平常運転の状態まで持ってくるだけである。


「さて、面会希望のリストを作るか」

 これまでは火急の用件以外は、すべて断っていた。


 面会を希望する者は鈴なりになっているはずである。

 ルンベックは、希望者の名前が書かれた書類に目を通す。


「なるほど……ルーン商会は代替わりのため、挨拶にくるのか。商工議会の代表は……商圏について意見を交換したいね……ん? 法の不備が見つかったので、検討したいことがらがあるね。法務部も大変だ」


 優先順位の高いものにチェックをつけていく。

 すると、見慣れない名前が書いてあった。


 通常、ルンベックと初見で会談を希望する者はいない。

 このリストに名前があるのは、みなよく知っている者たちばかりである。


 よしんば、別の者を寄越す場合でも、引き継ぎとして一度や二度、顔なじみの者が一緒にいるはずである。


「マルグリットねえ……でもどこかで聞いたような……あっ!」

 ルンベックは声をあげた。


 そして立ち上がると、机の周囲を歩き出した。

 古い記憶を思い出すために、こぶしで額をトントンと叩く。


「やはりそうだ。この名前で思いつくのは、語り部の……長老マルグリットしかいない」


 ミルドラルが保護している語り部の一族。

 それを統括する者の名が、マルグリットだった。


 ルンベックは、ようやくその名を思い出した。


 そして新たな時代が動き出す。


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― 新着の感想 ―
[一言] いくらG5の魔物の肉やドロップを無限に近く集めてこれると言っても、大陸中に散らばっているG1~5の魔物数百種類分の肉を一定数以上集めるというのは不可能に近いw
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