084 戦争のゆくえ
「これにて準備はすべて終了です。みなさん、お疲れ様でした」
博物館に集まった従業員に向けて、正司はそう言った。
博物館の最終チェックが終わった。
これでいつでもオープン可能である。
「タダシ様、オープンはいつになさいますか?」
レオナールの問いかけに、正司は一瞬だけ考えた。
「そうですね……五日後でどうでしょう。オープン後は休みもなくなりますし、少し長めの休暇はどうですか?」
オープン前に英気を養ってほしいと正司は言った。
「なるほど。では明日より三日間、従業員を休ませます。それと今日のうちに、オープンの日にちを各所に連絡しておきましょう」
どうやら待ちかねている人たちがいるらしい。
「分かりました。それではレオナールさん、引き続きお願いします」
「はい、お任せください」
最初正司は、オープンを大々的に宣伝した方がいいと考えていた。
だが、そうすると人が一気にやってくることになるとレオナールに言われたのだ。
最初ひっそりとオープンさせた方がいい。
目端の利いた者はすぐ気付く。
そこから順に話が広がっていけば、従業員の負担が少なくて済む。
その話を聞いて正司も「そんなものか」と納得した。
なにしろ、教育を施したとはいえ、これは初めての試みである。
トラブルも多く出ることだろう。
はじめは制御できる人数がよいというのは道理だった。
(明日は約束通り、ルノリーくんを招待しましょうか)
以前正司は「博物館が完成したら、真っ先に見せます」と約束した。
そして明日から三日間は、博物館に誰もいない。
ルノリーを連れてくるのに丁度よいのである。
翌日正司は、約束通り博物館へルノリーを連れて跳んだ。
「わあ、ここがそうなんですか。凄いですね」
ルノリーは当主になるため、日夜勉強に励んでいる。
休みなく知識を詰め込んでいるため、相当のストレスを溜め込んでいるようだ。
それだけではない。
勉強も疎かにできないが、身体を動かすのも大事と、剣の稽古もしているらしい。
家臣たちに顔を売る必要もあるとかで、最近はかなり忙しかったようだ。
「今日は貸し切りですので、ゆっくり見て回りましょう」
「タダシさん、ありがとうございます。僕、ずっと待ち望んでいたんです」
正司がチラッと聞いたことによると、ルノリーは、リーザやミラベルと違って、勉強を始めるのが遅かったらしい。
それゆえ、今になってかなりの詰め込み教育をしているのだという。
(少しやつれていますね。健康面が心配です)
健康的なリーザやミラベルと比べると、どうしてもひ弱にみえる。
あまり陽に当たってないせいか、不健康そうだ。
「ここが一階の展示室です。一階はいくつかの部屋に分かれていまして、テーマ別の展示が楽しめます」
正司がまっさきに連れてきたのは『草原ブース』。
草原に湧く魔物を中心に展示してある。
「はじめて見る魔物が多いです。しかもなんて精巧なんでしょう……これではまるで、生きているみたいですよ!」
最初からルノリーは大はしゃぎだ。
飾られた石像は、独特の硬さはあるものの、微細に彫られた造形や本物と変わらない配色によって、遠目からだと本物の魔物がいるように感じられる。
「ここのブースは草原の魔物の中でもG4までで絞ってあります。すべて原色で、実物大の石像となっているんです」
「そうなんですか。形や大きさを確認できるのはいいですね」
ルノリーは説明文が書いてあるキャプションと魔物の石像を交互にみて感心している。
キャプションには、出現場所や特徴、魔物がよくする行動などが書かれている。
魔物狩人が見たら、大いに参考になるだろう。
街道を行き来する商人も、覚えておいて損はない。
「これはドロップ品ですか?」
「そうです。肉はさすがに展示できませんが、すべて本物のドロップ品ですよ」
「……コインまでありますけど?」
「はい。実物を見たことがない人が多いと聞きましたので、このまえ取りに行ってきました」
「…………」
ドロップ品は貴重である。なぜならば、魔物を倒しても滅多にドロップしないからだ。
とくに素材やコインなどは、実物を見たことある人があまりに少ない。
ほとんどの人がコインを見ずに一生を終えるのは当然といえた。
三種類のコインを見られるだけで、ここに来る価値がある。
「これは……革鎧ですね」
展示品はなにも石像だけではない。
ドロップ品もそうだが、皮や素材を加工して作ったものも一緒に展示されていた。
「この装備は魔物が落とす皮から作ったものです。ドロップ品の皮からできるものをここに並べてみました」
「こっちはもしかして、魔道具……ですか?」
「はい。魔物が落とす素材から作った魔道具です。実際に効果を確かめるわけにはいきませんが、こういったものが素材のドロップ品から作れるんです」
「…………」
説明を聞いてなるほどとルノリーは思ったものの、これらすべて正司が作ったと聞かされて、ルノリーはもはや声も出ない。
順路にそって見学していく正司とルノリー。
ルノリーは、大型の魔物が展示されているブースに行けば驚き、ジオラマ風の中に展示されている魔物の姿を見ては感嘆の声を上げた。
ラクージュの町からほとんど出たことがないルノリーにとって、博物館は驚きの宝庫。
すべてが初めて出会うものだったのだ。
「タダシさん、これ、凄いです」
「よろこんで貰えてなりよりです」
町民の多くは、町周辺にいる弱い魔物しか見たことがない。
ましてや凶獣の森や未開地帯に棲息するような凶暴な魔物など、一生かかってもお目にかかれない。
出会えば死ぬと言われるG3の魔物ですら、石像で見ても恐ろしい。
博物館に展示されているそれ以上の魔物――G4やG5になると、どれだけの驚きをもたらすのか。
「少し休憩しませんか」
興奮冷めやらぬルノリーに、正司はベンチを勧めた。
博物館の各所には、こうした「ちょっと休憩できるスペース」がいくつも作られている。
「……はぁ~、凄いです」
こんな言葉しか出てきませんけどとベンチに座りながら、ルノリーは笑った。
「ルノリーくんの反応を見て、オープン後の様子が目に浮かぶようになりました」
「町の人はもっと驚くでしょうね。僕の場合は、書物などで勉強したことがありましたので」
「そういえば、実際に見たことがないのでしたね」
リーザからもそんな話を聞いている。
逆にリーザは、魔物討伐に何度か参加している。
話を聞いた正司は「何やっているんだ」と思ったものである。
「僕は身体が弱かったもので、屋敷の外へ出ることも少なかったのです」
自嘲気味にルノリーは笑う。
なんでも五歳くらいまで、よく熱をだして寝込んでいたらしい。
運動をするとすぐに倒れることから、身体が成長するまで剣の稽古も、長時間の勉強も控えていたらしい。
「幼少時に無理をして身体を壊す必要はありませんからね。いい判断だと思います」
いまはその遅れを取り戻すため、人一倍努力しているのだから問題ない。
「僕はいいんです。ただ、僕の身体が弱いせいで、姉さんに苦労と負担をかけてしまいました」
「リーザさんにですか?」
「ええ、僕の身体が弱いばかりに、父様から後継者教育を受けることになったのです」
「あっ、なんか以前、聞いたことがあります」
リーザが頭角を現したせいで家臣が割れそうだとか、そんな話だ。
「やはり知っていましたか。……直接のきっかけは、フィーネ公が亡くなったことなのですけど、僕の身体が弱いために姉様が代わりになったのです」
先代フィーネ公が戦場で没したとき、トエルザード家は多額の援助を行った。
ルンベックはそのとき、こう思ったらしい。
「もし自分が何らかの事故で死んだ場合、トエルザード公領だけでなく、ミルドラルそのものが危うくなる」
三公のうち二公の当主が亡くなった場合、急場しのぎでどうにかなるとは思えない。
ミルドラルは混乱し、王国は牙を剥いてくるだろう。
それを恐れたルンベックは、リーザに当主としての仕事を見学させたという。
実際に働いているところを見せれば、当主という仕事が分かる。
ルンベックは、リーザを部屋の隅に座らせ、政務を続けた。
ある日、ルンベックの手が離せないとき、リーザが簡単な仕事を手伝った。
翌日も、翌々日も手伝った。
そしてひと月もしないうちに、リーザはルンベックの仕事を分担してこなすようになった。
「姉さんは、陳情に来た人と面会し、話を聞いて解決策を提示したり、資料を付き合わせて無駄を省いて予算を確保したりしました。あるときは、書類の不備を見つけて担当者を叱責したこともありました」
リーザが頭角を現したと一言で表現できるが、それには下地がある。
健康であったリーザは、物心ついた頃から励み、その上で父親の仕事を手伝っている。
自らを律し、地道に勉学に励んでいたからこそ、花開いたのだろう。
それは褒められこそすれ、問題になるはずがない。
「姉さんのことを見ていた家臣が姉さんを当主にしたらいいといい出したんです」
ほどなくそれはリーザの耳にも入る。
「そのときリーザさんは、どうされました?」
「留学すると言って、突然王国に行きました。それ以来、一度も帰ってきませんでした」
「なるほど、そうでしたか。フィーネ公の死からはじまったのですね」
フィーネ公領が荒れた話は知っている。
当主が戦死して、妻が暫定的に当主の座についた。
それだけでは家臣がひとつにまとまるわけがない。
トエルザード家が援助したと言っていたが、ルンベックは相当苦労しただろう。
これでもしルンベックが病気か事故で亡くなったら大混乱だ。
リーザに後継者教育をほどこすのは間違っていない。
むしろ、よくリーザはルンベックの期待に応えたといえる。
またルノリーも焦らず無理をせず、身体が丈夫になってから本格的に勉強を始めたのも正しい。
人は簡単なことで死ぬのだ。幼少時から無理をさせる必要はどこにもない。
それゆえ発生した後継者問題。根は深そうである。
(それでもリーザさんが結婚し、ルノリーくんが成人すれば状況は落ちつくのでしょうけど、まだ先の話でしょうし)
だからこそリーザは、留学先から戻ってこなかったのだろう。
正司は頭を振って、いまの話を追い出した。
「そうだ、今度売店で売り出す土産物があるのです。魔物のフィギュア二十四点プラスシークレットセットをルノリーくんにあげましょう。飾っておくといいですよ」
正司は、ミニミニ石像をルノリーにプレゼントした。
少しでも早く、嫌な雰囲気を払拭したかったのだ。
翌日。
従業員に与えた休暇は、あと二日残っている。
それが終わればいつ休めるか分からない。
従業員には、十分英気を養って欲しいと正司は思っている。
そして鋭気の養い方はひとそれぞれである。
「今日はどこへ連れて行っていただけるのでしょう、タダシ様」
休暇の二日目。
正司は、ファファニアにせがまれて、一日行動をともにすることになった。
「どこに行きたいですか、ファファニアさん」
「できれば殿方にエスコートしていただきたいと思いますの」
ファファニアはバイダル家の公女である。
ファファニアが外へ出れば、いつでも近くにエスコート役の男性がいた。
しかも女性を退屈させない術を心得ている男性ばかりである。
「そうですね……何か希望はありますか?」
「タダシ様とお出かけできるのですもの、すべてお任せいたしますわ」
ファファニアは微笑む。
ファファニアはなにも洗練されたエスコートを望んでいない。
タダシ様が連れて行ってくれるところならば、どこへでもついていくつもりである。
「そうですね……では、ファファニアさんの為になるところがいいかもしれませんね」
「まあ、それは楽しみですわ」
ファファニアは、自分の為になる場所と聞いて、コネ作りを兼ねた場所を想像した。
どうしても未婚女性のファファニアだけでは、なかなか会いにくい人たちもいる。
仕事で――つまり宣伝部の一環で上流階級の人や商人と会うこともあるが、そんなものはごく一部である。
他の上流階級の人だろうか。それとも魔法使いだろうか。
職人かもしれないし、芸術家というセンもある。そんなことをファファニアが考えていると……。
「今日は私がよく行く場所を案内しますね」
「はい。期待しております」
退屈な場所でも構わないとファファニアは心底思っている。
正司が連れて行ってくれるならば、どこでもいいのだ。
「では行きます」
「わたくしが乗ってきました馬車を使いますか?」
「いえ、跳びます」
「はい? 跳ぶ……?」
ファファニアの視界が一瞬でブレた。
どこかの森の中に転移した。
「ここは凶獣の森の中でも、G5の魔物が出る一帯です」
「はっ!? 凶獣の森? ……じ、G5!?」
――ギョエエエエエ
耳をつん裂く鳴き声が聞こえてきた。
「あっ、マグマバードですね。上空から溶岩を吐いてくるので、気をつけてください」
「はっ? えっ!?」
正司に注意されても、どう気をつければいいのか分からない。
上空から溶岩を吐かれた場合、ファファニアが気をつけることは何だろうか。
ファファニアが狼狽えていると、正司は水柱を発生させてマグマバードに叩きつけた。
水柱に押され、マグマバードは大きくのけぞる。
だがすぐに空中で姿勢を整えて、正司たちに襲いかかる。
マグマバードの口腔から、灼熱した何かが弾け出た。
「吐いてきましたね。冷水を浴びせたから怒っているのです。それであれは溶岩噴射といいます。中々見られない光景ですよ」
「きゃーっ、きゃーっ、きゃーっ!」
ファファニアがパニックに陥っている間に、正司は〈土魔法〉で壁を作り、噴射された溶岩を防ぎきる。
土の壁が消えたときにはもう、マグマバードの姿はなかった。
正司の〈火魔法〉で跡形もなく消滅したのだ。
「向こうにもいるみたいですね。行ってみましょう」
「は、はひ」
声にならないファファニアを連れて、正司は凶獣の森の奥深くへ足を踏み入れた。
結局正司は、ファファニアを連れて凶獣の森だけでなく、デルギスタン砂漠、絶断山脈、未開地帯と、普通人が足を踏み入れない場所を案内してまわった。
これは正司の優しさである。
ファファニアがまだ見たことないもので、正司が見せられるといったら限られてくる。
そしてファファニアは、博物館の宣伝部主任。
魔物の生態について詳しい方がいいだろうと正司は考えた。
「私は石像を作るために各地を回りました。その中でも、いま回ったところが面白いと感じた場所です」
「………………」
ファファニアの目は死んでいる。
ちなみにこれがリーザならば、すぐに順応しただろう。
経験が違う。
ミラベルだった場合、最初は驚いただろうが、慣れてくれば大喜びしたはずである。
胆力が違う。
お嬢様育ちのファファニアには、そのどちらもが欠けていた。
どちらかといえば、事務方。人と会話し、その裏を読むことは優れていた。
権謀術数にも通じ、参謀や軍師にもなれただろう。
だが、少なくともアウトドアな人間ではなかった。
知恵ある深窓の令嬢。それがファファニアである。
ファファニアは今日一日、正司とデートした。
端からどう見えるかはおいとくとして、これはれっきとしたデートである。
男性側がエスコートしたデートだ。しかも相手は正司。
ファファニアとしては、願ったり叶ったりだろう。
加えて、どの場所も退屈しなかった。
ファファニアと一日いて、まったく退屈させないなど、そこらの男性にできることではない。
ファファニアがまだ行ったことない、見たことない、聞いたことない場所へ連れて行ったのだ。
正司は誇っていい。
だがしかし……。
デートを終えたファファニアの目は……完全に死んでいた。
ちなみに今日の収穫は、すべてファファニアにプレゼントしてある。
すべて魔物のドロップ品であり、しかるべきところへ持っていけば、かなりの値が付くことは確実である。
だからといって、それが幸せかどうかは……。
「お……お、お、お嬢様っ!?」
シャルマンが呼びかけると、ファファニアは少しして、「にへら」っと笑った。
エルヴァル王国にあるレクタの町。
ここは国境の町として機能している。
普段は、多くの商人が通りを行き交い、通りから人の姿が消えることがない。
ただし、今は違う。レクタの町は三公軍に占領されているのだ。
町に入った三公軍は、立派な建物をひとつ借り上げ、そこに軍の本部を設置した。
本部の司令室で、リーザは報告を受けていた。
「そう、町中では大きな混乱は起きていないのね」
「はい。商店は軒並み店を閉めており、人通りも途絶えております。みな兵を恐れて近寄ってこないようです」
「今はそれでいいわ。逆に情報収集しようとして寄ってくる者がいたら注意してね。引き続き、通りの警戒は続けてちょうだい」
「かしこまりました」
部下が出て行くのをリーザは見送る。
町の人々は大人しくしている。これは予想通りだ。
ヘタに逆らって目を付けられては堪らないと、商人たちは息をひそめて、こちらの様子を窺っているのだ。
オールトンがいま、領主のところに行っている。
領主から発表があれば、町民の不安も幾分解消されるだろう。
いま怖いのは、一部の兵が暴発することだ。
どさくさに紛れて、人や商店を襲うことも十分ありえる。
(他の二公軍の代表と話をしたいのだけど……いまは無理よね)
バイダル公軍は降伏した王国兵を武装解除している真っ最中。
フィーネ公軍は町の外にいる。王国側に軍を展開させて、敵の襲撃に備えている。
レクタの町から街道を王国方面に進むと、アルトルという町に着く。
もし王国軍がやってくる場合、その町から来る可能性が高い。
ゆえにフィーネ公軍の指揮官を呼び寄せるわけにはいかない。
ちなみにトエルザード公軍は、町中の治安維持を受け持っている。
そしてそれは今のところ成功している。
「領主と会ってきたよ」
疲れた顔で、オールトンが戻ってきた。
「おかえりなさい、叔父さま。そんなに疲れた顔をして、どうされましたの?」
「どこぞの参謀が無茶ぶりしたから……とは考えないのかな?」
「まあ、それは大変。……ですが叔父さまが総大将なのですから、仕方ありませんわね。だって、一番偉いのですもの」
「そう思っている? ……なんか、いいように使われている気がするのだけど」
「もちろん、思っていますわ。私が表に出るよりうまく行くのですから、もっと自信をもった顔をしてくださいませ」
リーザは疲れた顔のオールトンに、濡れたタオルを渡した。
オールトンはそれで顔を拭い、大きく息を吐き出す。
「領主から盛大に文句を言われたけど、大凡了承してもらったよ」
「まあ、それは良かったです」
リーザはにっこりと笑った。
今回の戦争、八老会が欲にまみれておこなった信義なきものだというのが、ミルドラル側の見解である。タテマエというやつだ。
王国の開戦理由を否定し、そっくりそのまま返した形になっている。
そして三公軍がこうして王都へ攻め上るのも、国を私物化する八老会を正すという大義名分が含まれている。
王国民だって、それを信じるほど単純ではない。
一番金を持っている商会が狙われたんだな、程度の認識だろう。
それでも商人たちは強かだ。
自分たちに被害が及ばないのならば、寛容になれるというものである。
逆に名指しされた八老会と、それに連なる者たちの心中は穏やかではないはずだ。
レクタの町でミルドラルがしたことは、すぐに広まる。狙いは八老会だと、みなこぞって触れ回るだろう。
「それで領主はなんと?」
「僕らが財産を没収した二十四の商会について認める……というか黙認することに合意した。それと、僕らの主張をそのまま民衆に流すことにも同意したよ。他の提案には、渋い顔をされたけどね」
領主に対する責任問題や、商工会議所の完全解放なども今回の要求に入れていた。
「それは想定内です」
過剰な要求は通らなかったが、それは落としどころを決めやすくするためのブラフでしかない。
真の目的は、私利私欲のために襲ったのではないこと周知させること。
それを領主に発表させることに意味がある。
町民の不安を払拭させることができれば、今後においても大いに役立つ。
「ありがとうございます、叔父さま。それで先ほども言いましたけど、このままこの町に留まりますので、よろしく」
「……あ、ああ。理由は分からないけど、言いたいことは分かったよ」
このまま進軍して、相手の準備が整っていないうちにどんどんと町を攻略した方がいい。
最初の町を落としただけで進軍を止めるのは下策である。
だがリーザは、そんなことは百も承知。
それでも「軍を滞在させる」というのだから、しょうがない。
「だけどこれで、しばらくゆっくりできるね。いや~疲れたよ、ホント」
オールトンは首をコキコキ鳴らしながら、部屋を出て行った。
三公軍は、本当に町に留まった。
町に入って、早くも四日目に突入した。
「王国が、攻めてこないね」
オールトンは椅子に腰掛け、両足をテーブルの上に載せて、大きくあくびをした。ヒマなのである。
「レクタの町は高い壁に覆われています。再占領は至難の業ですよ。ミルドラル公領とも近いですから補給は短いし、援軍も容易。本気で攻略しても一ヶ月はかかります」
「このままだと、第二陣が到着するんじゃないの?」
三公軍はもうすぐ増援……というか、本隊を送ってくることになっている。
第一陣はトエルザード公領に近い町から派遣したため、これだけ早く集まったのだ。
第二陣はおそらく、当主のいる町から精鋭を派遣してくるだろう。
第二陣は、陣容もさることながら、規模もそれなりになることが予想される。
「到着は……たしかにそろそろですわね」
「いつまでここにいるつもり?」
「そろそろだと思うのですけど」
リーザがそう返したとき、扉がノックされた。
室内にいる護衛が戸を開ける。使者が来たという。
「どうやら、そろそろが来たようですわ、叔父さま。部屋に入れてよろしいですわね?」
「ああ……だけど、何をやったのか聞きたいような、聞きたくないような……」
リーザはすぐに使者を招き入れ、報告を促す。
使者が話したそれは……。
――アルトルの町が降伏した
ということだった。
次に攻めようとしていた町が、なぜか降伏したという。
三公軍がレクタの町に滞在している間に、何がおこったのか。
オールトンは首を傾げることになった。
事実はこうである。
レクタの町から追放された商会員たちは、薄衣一枚で街道をひた走った。
街道を警戒していたアルトルの常備兵に発見され、町中に入ることができた。
ここでアルトルの町は、ようやくレクタの町で何が行われたのか知った。
商会員たちの話を聞いて、全員が思った。
『この町が落ちたら、同じ目に遭う』
ミルドラルの目的は、八老会の力を削ぐこと。
各町の支店を潰し、荷を掠奪し、悪評を流して回るつもりだと気付いた。
アルトルの町にも、八老会ゆかりの店は多い。
三十の商会がそれに該当する。
彼らは考えた。
「いまのうちに逃げよう」
そう決断するのに、さして時間がかからなかった。
というのも、レクタの町は簡単に占領されてしまった。
この町とて安全ではない。
そして、もっと安全ではないのが、自分たちの財産である。
「店を潰して更地にするなど、やり過ぎだろ」
「ヤツらは着ている服すら奪うのか」
そう憤ってみても意味は無い。
そして、自分たちに味方がいないことをすぐに悟った。
他の商会は、「八老会がターゲットになっている限り、自分たちは安全」と思っている。
逆に、手を貸したら無関係でも巻き込まれるとも。
八老会の商会員たちは財産を荷車に押し込み、敵がやってこないうちに町を出ることにした。
彼らは、三公軍がいまだレクタの町に留まっているとは、夢にも思っていないのだ。
逃げるならば早い方がいい。
だがここで、ひとつの誤算が生じた。
「正規兵を貸せるわけがなかろう」
領主から無慈悲にも、そんなことを言われてしまった。
日頃なにかと目をかけてやったのにこの仕打ちと商会員たちは憤るものの、これから町は戦場になる。
領主の兵を勝手に連れ出すわけにもいかない。
傭兵を雇うにも、すでに領主に雇われた後である。
逆に、いまだに雇われていない傭兵団の方が怪しい。護衛が途中で盗賊に変身する可能性だって考えられる。
「時間がない。大勢で進めば、魔物だって怖くないさ」
「そうだな。だって俺たちは三百人もの集団なのだ」
何十台という荷馬車とともに、商会員たちは町を出た。
目指すはミッタルの町。そこに到着すればもう安心できる。安心でき……
「げぇ! て、敵だ!」
「なぜ、こんなところに!?」
アルトルとミッタルの町のちょうど中間地点で、商会員たちは千を超えるトエルザード兵に襲撃された。
実は彼ら、リーザが前もって秘かに国境を渡らせていた正規兵たちである。
目的は逃げ出した八老会の商会員を捕まえるため。彼らの財産を根こそぎ押さえるためである。
出発前、オールトンが「トエルザード公軍は正規兵が少ない」と言ったのは、リーザがここへ派遣していたからである。
傭兵団こそ雇えなかったものの、それなりに腕っ節に自信がある者たちや、対人戦をかじったことがある町民を隊列に加えていた。
数で勝る正規兵たちを相手に、そんな彼らは戦えるだろうか。
答えは否である。大した戦闘もなく武装解除され、全員揃って身ぐるみ剥がされることになった。
「おぼえてろよー!」
彼らはいつもの格好――薄衣一枚にされた状態で、泣きながら街道を駆けていった。
リーザたちが国境の町でのんべんだらりと過ごしている間に、そのようなことが行われていた。
そしてアルトルの町の領主は、凡庸ではなかった。
彼は少なくとも、国王交代劇が近々起こると察した。
(この町を守るために戦ったところで、援軍は期待できない。そもそも反抗すれば、八老会に与する者として町全体が同じ扱いを受ける)
領主は、戦争が終わったあとのことを考えた。
降伏した領主という立場と、降伏せずに町の財産をすべて奪われた領主では、どちらが傷が少ないだろうか。
今回の戦い、八老会側に属さねば、あまり被害を受けずに済む。
そこまで判断して、領主は降伏を選択した。それが最善であると判断したのだ。
「それでは叔父さま、お願いしますわね」
アルトルの町に入るなり、リーザはそう言った。
「お願いってなに?」
「町に入ってからするお願いといえば、あれですよ、あれ。い・つ・も・の」
一字ごとに発音を区切るリーザに、オールトンは「とほほ」としか返せなかった。
アルトルの町に二日間滞在すると、町はだいぶ落ちついてきた。
レクタの町の状況が伝わってきたことも大きい。
ミルドラルは八老会に狙いを絞っており、それに関わらなければ、存外危険は少ないと判断したのだ。
「後続が国境を越えたみたいですね」
三公軍の本隊がレクタの町に入ったと報告がきた。
「次のミッタルの町は、簡単に攻略できないと思うよ」
「叔父さま、さすがにそれは分かっています。あの町は交通の要所ですもの」
ミッタルの町は、レクタや、アルトルの町と比べて規模が大きい。
町の面積で言えば、倍以上ある。
なにしろミルドラルとラマ国へ街道が通っており、王国を含めて、大陸の西側で扱われるすべての物資がここを通るのだ。
「ミッタルの町の次の次が王都だしね。おそらく王国は最初からそこを防衛するつもりだったんじゃないかな」
「次の次と言っても、ミッタルの町の先はほぼ王都ですもの。あそこが最終防衛ラインになるのは、最初からわかりきっていたことです」
ですから準備は万全ですと、リーザは微笑んだ。
「後続頼みかな? でも後続がこの町に到着すれば、町は兵で埋まってしまうよ」
「はい。それを避けるためにも、私たちはそろそろ出発した方がいいですわ」
「後続を待たないの?」
「ええ」
「…………」
オールトンは唖然とした顔をした。
三公軍は慌ただしく準備を整え、町を出発。街道を南進する。
そして翌日、ミッタルの町の大壁が見えてきた。
「ねえリーザ。どうやら王国は籠城を選択したみたいだよ」
どうするの? とオールトンは尋ねる。
「とりあえず一戦……と野戦を仕掛けてくるかと思いましたが、アテが外れましたわね」
「あの壁があるからね。それとこの軍にタダシくんがいないことがバレたんじゃないかな」
「町中に密偵でもいましたかね。兵にも口止めしていませんでしたし。ですかそれも想定内ですわ、叔父さま」
「そうなの?」
驚きとともにオールトンが聞き返すが、リーザはただ、「ええ」とだけ。
国境の町レクタで、王国軍が野戦を挑んできたのは、正司という規格外の土魔道士を恐れたからであった。
今回、町中に篭もっているということは、城壁を崩されないという自信があるからだろう。
三公軍の中に正司がいないことをほぼ正確に見抜いたことになる。
「それでどうするつもりだい?」
「もちろん、こうするのです」
リーザは三公軍を密集隊形――突撃陣の形に並べ替えた。
町を包囲するには不向きな陣形である。
この突撃陣で何をするのか、オールトンには分からなかった。
城門は閉まっているし、そもそも突撃陣は敵陣に穴をあける戦術だ。
城門の幅は決まっている。馬が三頭も並べば、武器を振るうのも大変だ。
突撃陣では、大きすぎるのだ。
「ねえ、リーザ。このあとどうするの? 本気で分からないのだけど」
「敵が野戦を選択しないのでしたら、これの出番です」
リーザはポーチから、一本の巻物を取り出した。




