081 それはナイショの話
トエルザード公領にあるザインの町で、ついに三公軍が合流を果たした。
これから三軍のトップが顔を合わせ、今後の予定を決定する。
派兵を要請した関係上、トエルザード公家が全体の指揮を執るのはほぼ決まっているが、はじめからそれを言い出したのでは角が立つ。
このトップ会談で決めて、各自が一度、話を持ち帰る。
翌日集まって、正式に決定する感じになる。
「……本当に僕が行くの?」
嫌そうに口を歪めたのは、もちろんオールトン。ルンベックの実弟である。
実質はどうあれ、名目上はトエルザード公軍のトップとなっている。
「トップの集まりなのですから、叔父さまが行くに決まっています。分かったら、支度してください。各軍の代表に挨拶するんですから……ほらっ、服が乱れてます。ボタンもしっかり上まではめて……もっとピシッと!」
リーザはオールトンの服の乱れを正し、文字通り、尻を叩いて送り出した。
このトップ会談について、リーザはあまり心配していない。
人当たりのよいオールトンは、こういうときは得である。
相手を怒らせることはしない。
トップ同士の会談だって、うまく切り抜けるだろう。
ときどき頬をつねりあげたくなるのは身内だからだ。
(問題は、舐められやしないかという点よね)
こいつは頼むに足りないと思われれば、本番で勝手に軍を動かされることもある。
といって、トップ会談にリーザが出て行くのは、かなり無理がある。
小娘がなにを偉そうにと思われたら、やはり同じことになる。
ここはどうあっても、オールトンに頑張ってもらわねばならない。
「とほほ……」
しぶしぶといった風で、オールトンは出て行った。
その間にリーザは、明日行われる作戦会議にむけて、資料を作り始める。
「……まあ、叔父さまも滅多なことは言わないでしょう。こっちはこっちで作戦を練っておかなきゃ」
ここから数日かけて街道を移動し、そのまま王国へ入る予定になっている。
おそらく無事に、オールトンは総指揮をもぎ取ってくるだろう。
翌日の作戦会議の前で、それは承認される。
そうなればリーザが参謀として、作戦案を提出することができる。
(最終戦略目標は、王都クリパニアの陥落でいいわよね。お父様も同意してくれたし。いかにその目的を達成させるかだけど……)
この数日のうちに、リーザは本案と腹案の両方を用意した。
ただ、どれほどリーザが素晴らしい作戦を練ったとしても、明日の会議は荒れる。
それが分かるからこそ、リーザは憂鬱だった。
(王都が落ちるはずがないし、どこを落としどころにするかよね)
その時、王国との交渉役はオールトンになるだろう。
それまでどのくらい勝利を重ねて、何をもぎ取るのか。
作戦を考える上で、リーザはそこまで見越さねばならない。
(心を鬼にして……やるしかないわね)
リーザはため息を飲み込んで、作戦案の続きに取りかかった。
「いや~、疲れたよ」
しばらくして、オールトンが帰ってきた。
「お帰りなさいませ、叔父さま。首尾はどうでした?」
「うん、みんな驚いていたよ」
「まあ……そうでしょうね」
各軍は、王国から攻め込まれたと聞かされてやってきたのだ。
押っ取り刀で集まったと思ったら、敵はすでに捕獲済み。
このまま王国へ逆侵攻をかけるから協力してほしいと言われれば、驚かない方がどうかしている。
現状を把握させるため、リーザはつい先日までの出来事をすべて書き出して、オールトンに持たせていた。
みなそれを読んだのだろう。
「でも叔父さま、王国軍を捕らえたという噂は流れていたはず。とっくに手に入れていたと思いましたけど」
今回リーザが書いた現状説明は、いわば噂の追認でしかない。
「ああ、知っていたみたいだね。だけどバイラル港へ侵攻してきたのは、知らなかったようだよ」
なるほどと、リーザは納得した。
「バイダル軍もフィーネ軍も、王国の同時侵攻までは掴んでいなかったのか。それはそれは……」
さぞ驚いたことだろう。
ミルドラル唯一の港が襲われたと知ったら、慌ててもおかしくない。
だがそれも今は昔の話。正司があっさりと解決してしまった。
「そうそう、二公軍の陣容を聞いてきたよ。反対にこちらの陣容を話したのだけど……」
「ウチの正規兵が少ないって、文句を言われました?」
「うーん、事情が事情だからね。不審に思ったみたいだけど、それほど言われなかったかな」
今回、三公軍の中でトエルザード家だけ、正規軍が少ない。
ほとんどが傭兵で、いかにも数合わせといった中身になっている。
「もう出発させたと、ちゃんと話してもらえました?」
「ああ、先行させたので、ここにはいないって伝えておいた。……でも、本当にどこに向かわせたんだい?」
「国境ですわよ、叔父さま」
「なるほど、国境を守らせたわけか」
「いえ」
「……?」
「おそらくもう、国境を越えている頃かと」
「……それは、勝手に逆侵攻をかけたということかな?」
「それとも違いますわね。国境を越えさせただけです。……後々必要になると思いましたので、先行させたと思ってください」
「……まあ、リーザがそう言うなら、それでいいけど」
「それで明日の作戦会議の方は、大丈夫ですか?」
「そちらも問題ないかな。説明はリーザがしてくれるんだろ? 僕は難しいことは分からないからね」
「ええ、作戦案は先ほど完成しましたので、問題ないと思います」
「それは良かった」
「ですけど、荒れるかもしれませんわよ」
「えっ!?」
「……まあ、その辺はうまくやります」
リーザは微笑んだ……のだが、疲れていたためか、やや頬が引きつっていた。
翌日、三公軍の代表たちを集めて、作戦会議が開かれた。
各軍から八名ずつ選出して、二十四人が集まった。
前日の件が了承され、総大将にオールトン就任が決定した。
その流れでトエルザード家の作戦案を基軸として、作戦会議がはじまった。
「それでは発表したいと思います」
リーザは真剣な表情で、昨日作り上げた作戦案を読み上げる。
今回の逆侵攻は、王都まで攻め上ることを最終目標とするが、大事なのはその過程。
王国を牛耳っている八老会の力を削ぎつつ、国王を追いつめることを主目的としている。
そして王国側が停戦を持ちかけるまで、侵攻を続けるというものだった。
「……以上で報告を終わります。質問がある方はどうぞ」
ふぅっと、リーザは息を吐き出し、周囲に目をやった。
何人かが不満そうな顔をしている。
予想通りすぎる反応なので、リーザの気持ちは重くなる。
「よろしいかな」
そのうちの一人が手を挙げた。
リーザが「どうぞ」と促すと、その男は立ち上がり、多少言いづらそうにしつつも、キッパリと言った。
「本作戦に、トエルザード家の魔道士殿は参加されないのですかな」
「来た」と、リーザは内心苦々しく思う。
開示した作戦の中に、正司の活動は何一つ入っていない。
説明中も、「魔道士の力をアテにしていたのにどうして?」という顔がいくつも浮かんでいた。
リーザが荒れるといったのはこのことである。
絶対にアテにしているという予想があった。
ゆえに言い訳も考えてある。
「本作戦は、三公軍による侵攻作戦であります。ただ一人の魔道士に依存した場合のデメリットを考えまして、作戦から除かせていただきました。賢明なる皆さまには、その理由が判断つくかと愚考致します」
「ま、まあ……」
「たしかに……」
トエルザード家だけが活躍するけど、いいのか? とまずリーザは暗に言っている。
この戦争は、王国の負けで終結することがほぼ決まっている。
戦後、活躍したのはトエルザード家で、他の二公軍は枯れ木を賑わせただけの存在だった。
戦いには関わっていなかったと言われてもいいのか? そう言われたに等しい。
「ですが、被害を減らすことも作戦としては重要かと思います」
別の誰かが発言した。
「その場合でも、戦争の貢献度という意味で変わらない結果になるかと考えます。もちろん、各軍のみな様がそう仰るようでしたら、『腹案』もございます。たとえば、町の壁をすべて取っ払ってしまうとか……」
二十四人集まった作戦会議場がザワッとした。
それを行ったら、間違いなく敵は降伏する。戦闘が起こりえるはずがない。
するとどうなるか。
ここに集まった者たちはみな、戦後、王国から色々むしり取る算段をつけている。
もし正司が一人のせいで戦争が終わってしまったら、わざわざ国境を越えて軍を移動させたのに、分け前は残っているか疑わしい。
ここに集まった者たちはみな聡明である。
リーザが皆までいわずとも、ちゃんと意味を理解している。
さらに賢明な者は、王国民が受ける恐怖にも思い至った。
たった一人で一軍を軽くしのぐ戦力。それが向けられるのだ。
王国民に恐れられるのは構わない。
だが、必要以上に恐れられるのは、今後を考えればよろしくない。
王国民を根絶やしにするのなら別だが、停戦後は民間の交流だって再開する。
「もっとも……」
みなが押し黙ったのを確認して、リーザは続けた。
「何かあれば、すぐに我が家の魔道士がやってきます。そうですね……一瞬後には参戦可能です」
「「…………」」
ここにいる全員が〈瞬間移動〉の魔法に思い至った。
集めた噂からそれは事実であると知っている。
「他に質問がある方はどうぞ」
作戦会議は進み、リーザの作戦案はいくつかの修正を加えたうえで了承された。
「さあ、出発しましょう!」
こうして、ミルドラルによる逆侵攻がはじまった。
正司は久し振りに博物館へ足を運んだ。
このところ、ルンベックやミュゼ、リーザはとみに忙しく、正司は放っておかれている。
その分、レオナールをはじめとした、博物館を引っ張っていくメンバーたちとよく会話をしていた。
今日も正司は、レオナールに質問し、いくつかの回答も得られた。
「ありがとうございます。もう資料の中で疑問に思うところもなくなりました」
「それはようございました」
正司が三公会議に行っている間、レオナールたちが行った内容はすべて資料に書かれている。
この数日、正司はそれに目を通し、レオナールに疑問点をぶつけていた。
それももう終わり。ようやく追いついた感じだ。
「あとはオープンに向けて動き出すだけですね」
「はい。聞くところによると、当主様も了承されたとか」
「そうなんです。ですので準備が完了しだい、仮オープンしようと思っています」
「楽しみですな」
「その時は、よろしくお願いします。レオナールさん」
「もちろんですとも。老骨にムチ打って、頑張る所存です」
そこまで気合いを入れなくても……という言葉を正司は飲み込んだ。
開始前から本人のやる気を削ぐわけにはいかない。
「それでは博物館内のチェックに向かいます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
展示物、つまり石像はすでに完成している。
一旦倉庫に眠らせておき、館内の装飾を終えたら搬入する手はずになっている。
土産物についても、正司が三公会議に行っている間、時間のあるときに色々作っていた。
(長いトンネルを作ったときに削り取った岩盤が役立っていますね)
『保管庫』に入っている岩の塊は、塔や博物館を建てただけではまったく減る気配がない。
いまだ多くが眠っている。
事務室に入ると、十数人の職員が忙しそうに働いていた。
「タダシ様、お待ちしておりましたわ」
正司を真っ先に出迎えたのは、宣伝部長のファファニアである。
「お久しぶりです、ファファニアさん。博物館の告知は順調のようですね」
ファファニアには、コネを生かして各所へ宣伝をお願いしていた。
上流階級から商人、はては一般の町民に至るまで、分け隔てなく告知してくれたらしい。
反応は上々と、レオナールの報告書に記載されていた。
「頑張ってくれていると聞きました。ありがとうございます」
「当然のことですわ。それにみなさん、とても興味を持っていらしていて……そういえば、『名前』は何かと、よく聞かれたのですけど」
「名前……ああ、博物館の名前ですか」
正司は虚を突かれた。
たしかに名前はこれまでつけていなかった。
博物館は現在、唯一無二の存在であるが、今後、ほかにもできるかもしれない。
(日本の場合、どうでしたっけ。たしかテーマを名前にしたり、地名を冠することが多かったですね)
有名なのは大英博物館や、スミソニアン博物館だろうか。
国内では、日本国立博物館がある。
テーマを名前にした場合、歴史博物館や近代博物館などが思い浮かぶ。
ニッチなところで、たばこと塩の博物館や、寄生虫博物館などが思い浮かんだ。
(博物館の名前ですから、そういったのでいいのでしょうか……でも)
いざ名前と聞かれて、正司は困ってしまった。
一応、オーソドックスなものを思い浮かべてみる。
(ミルドラル博物館、トエルザード博物館、ラクージュ博物館……どれもいまいちですね。テーマでいえば、魔物の博物館になるのですけど、他に同じのができたら、区別が付かないんですよね)
通常の店ならば、営業している人の名前が使われることが多い。
かといって、正司の名前をつけるのは、あまりやりたくない。
(これはまったく別の、新しい名前をつけた方がいいですね)
どうせ世界初なのだから、日本の先例にこだわる必要はない。
「分かりました。それでは、『オリジン』はどうでしょう。今考えたのですけど、なかなかいい名前かなと思います」
「オリジンですか?」
「博物館の起源という意味です。最初、唯一無二を表す『ユニーク』にしようかと思ったのですけど、後から似たような博物館ができると、差別化に困るかと思いました。最初の博物館ということで、オリジンという名前はどうかと」
「起源……博物館の起源でオリジンですか。いい言葉だと思います」
「ありがとうございます。では、正式名称は『博物館オリジン』でいきます」
「分かりました。今度から、その名前を使っていきます」
「お願いします。他になにかありますか?」
「そうですね……」
そこでファファニアは言いよどんだ。
どうやら遠慮しているようだと、正司は感じた。
「何でもいいですので。よりよいスタートを切るには、みなさんの意見が大切だと思いますので」
「それでは……あのですね。いくつかのお店に看板をおかせていただけることになったのですが」
「ああ、以前話したあれですか」
「博物館まで直進200メートル」のような看板を作りたいと、正司はファファニアに話したことがある。
これがあると、町の外から来た人にも分かる。
ファファニアは律儀にも、看板を置かせてくれる店を探したらしい。
「看板を置く代わりに、石像を店にも置かせてくれないかと言われました」
博物館を説明するとき、魔物の石像を多数展示すると伝えたらしい。
その上で看板の設置をお願いしたら、「だったら、一体でもいいので、ウチの店にも置かせてくれないか」と言われたそうである。
「わたくしではお答えしかねると話したのですけど……」
言いよどんでいたのはこれかと正司は思うものの、今の話を聞いて、ひとつ思いついたことがある。
「そうか、サンプルを置く……面白そうな案ですね」
「えっ!?」
「お店の目立つところに石像があれば、博物館の宣伝にもなりますし……こういうのはどうでしょう」
正司がこの場で一体の石像を作り上げた。ソードレグロスという魔物である。
ソードレグロスは中指が剣のようになっており、身体が熊で、顔は狼に近い。
全長三メートルほどの、G3の魔物である。
ラクージュの町周辺にも湧くことがあるので、知っている町民も多いだろう。
「これはソードレグロスですわね。かなり危険な魔物と聞きますけど」
「私が作ったのはそのミニ版ですね。身長は本物の三分の一ほどになります。この魔物は後ろ足で立ち上がって、両手を拡げて威嚇するのですけど、これでどうでしょう」
二本足で立ったソードレグロスに、看板を抱えさせる。
看板には、「博物館オリジン この先、右折」と書いてある。
恐ろしい魔物が一気にチープになった。
看板を持たせると、どうしてこう、残念な感じになるのか。
「博物館の石像は実際の大きさで作ってありますが、これはそれより小さいです。場所も取らないと思いますので、これを大量に作りますから、希望するお店に渡してください」
「……はい」
まさか一瞬で作るとは思わなかったファファニアは、返事が遅れた。
その間に正司は、あっという間に20体以上作り上げてしまった。
「看板は木板でいいですね。石像は何体くらい必要ですか?」
「希望されたのは十人ほどですが、実物をみたら、置きたがる人が続出するのではないかと思います」
博物館がオープンすれば、人々が殺到するだろう。
そのとき、三分の一の大きさとはいえ石像が店にあれば、それを見に来る人も出てくる。
すぐに我も我もと言い出すことが予想された。
「そうですか。でしたら、あと五十体くらい作っておきましょう。……まてよ」
「タダシ様、どうされました?」
「オープン時の記念品もこれにしましょう」
最初の数日間は、来てくれた方限定で、ミニフィギュアをプレゼントするつもりであった。
どうせならば、配る魔物のフィギュアをこのソードレグロスにすれば、統一感があっていい。
渡すのは五センチメートルほどのフィギュアである。子供のおもちゃだ。
正司の小指ほどしかない。正司はそれを十個作って、手の平に載せた。
「とても小さくて可愛いですね」
「これを沢山作っておきます。博物館オリジンのマスコットはこのソードレグロスに決めました。なるべくこれで、統一感を出していきます」
「…………」
G3の魔物など、町民からしたら死の象徴である。
正司はそれをマスコットと言い切った。
「そうか、いま気付きました。統一感って大事ですよね。ということは、博物館ももっと統一感を前面に出していけば……」
正司はひとりの世界に入り、ブツブツと呟いている。
ファファニアは、正司が何かヒントを得たのだと思って喜んだ。
自分が少しでも役に立てて、嬉しかったのだ。
ファファニアとの話が終わったところで、エリザンナが話しかけてきた。
彼女はミュゼの部下で、正司のもとへ貸し出されている。
エリザンナははっきり言って、若いのに有能過ぎる。
自分が彼女を使っていいのだろうかと、不安になるほどだ。
「タダシ様、ひとつ問題がございまして」
「なんでしょう?」
「オープン直後は、博物館前に大行列が予想されます。というのも、町民の関心度が非常に高く、また他の町からも、必ず見に行くと言っている方々が多数いるようです」
「そうですか。入館料は高めに設定してありますけど、それでもですか?」
「はい。従業員からの口コミも広がり、予想はほぼ現実となると思われます」
「大行列ですか……子供やお年寄りは厳しいですね」
入館制限をつけるつもりだが、そうすると長時間並んだのに入れないという人も出てくる。
徹夜されても困るし、体調を崩されたらもっと困る。
「以前、タダシ様が仰っていた『予約制』や『整理券』というのはいかがでしょう」
「あれですか……どうしましょう」
最初正司は、日本と同じようにチケットを用意して、もぎりを置く予定でいた。
だが、いくつかの事情でそれは諦めた。
予約制も同じである。整理券や予約券を発行した場合、ダフ屋が横行するのが目に見えている。
(行列と聞くと、大阪万博の月の石は有名ですけど……最近だとパンダの赤ちゃんですか。結局、行列を捌く方法は存在しないのですよね)
なんとかしようにも、キャパシティ以上に人が集まれば、どうしたって入れない人が出てくる。
問題は、いかにそれを無くすかだ。
(博物館の面積は有限ですから、どうしたって……ん? 博物館の大きさは変えられないですが……そうか。別の手がありますね)
「タダシ様、どうされました?」
「博覧会のパビリオンが、たしかそんなやり方でした」
「パ、パビリオン……ですか?」
エリザンナには何のことか分からないようだ。
「えっとですね、待合室を作って、そこから移動してもらうんです。……そうか、それならば、待っているのも苦ではないですね」
「……タダシ様?」
「エリザンナさん。博物館の横に建物をひとつ追加します」
「はいっ!?」
「できるだけ上り下りが少ない方がいいですね……ということは地上と地下があった方が……」
「タダシ様……あの、どういった?」
正司はエリザンナを連れて、外へ出た。
博物館の正面は公園になっている。
正司は博物館のななめ横に目をつけた。
(ここに、そうですね五十メートル四方の建物を建てましょう)
正司が作り上げたのは地上三階、地下二階の建物。
「完成しました。エリザンナさん。各階に部屋はひとつしかありません。それを待合室にします」
各フロアへ通じる階段は直通のみ。
外から入る階段と、博物館へ通じる階段の二種類を作る。
たとえば入館料を支払って二階の部屋に入ったとする。
出るときは、博物館側へしか出られない。階段は直通しかないのだから。
つまり入った人は時間が来るまで、部屋の中で休憩しているのだ。
「部屋の中には、テーブルと椅子を置きましょう。飲み物を常時おいておけばいいですね」
客には、時間までそこで寛いでもらう。
もし何らかの事情があって入館を取りやめるときは、返金すればいい。
ここはあくまで休憩室だ。
「各フロアに千人は入れますね。合計で五千人が休憩しつつ待機できることになります」
一階の客が博物館に入れば、つぎは二階の客を入れる。
開いたフロアにはまた別の客を待たせておけばいい。
そうすれば行列する苦労も少しは減るだろう。
「あとは待合室内ですが……壁が殺風景ですね」
椅子やテーブルをあとで入れるとしても、壁が真っ白なのはつまらない。
壁に台を置き、そこに五十センチメートルくらいの石像を並べた。
台と接着し、取れないようにする。
飲み物カウンターを作り、トイレを隅に作る。
天井にレリーフをはめ込め、強化ガラスケースの台を設置して、中にお土産を並べておいた。
「こんな感じでどうでしょう。これなら待機中でも博物館の内容に興味を持ってくれそうですし、ここでお土産をじっくり眺めることもできます」
「大変よろしいかと……タダシ様には言葉もございません」
ちょっと問題を提示しただけで、すぐに問題点を見抜き、瞬く間に解決してしまった。
このように魔法を操るのが大魔道士。もしくは、このように操れるからこそ大魔道士になれたのか。
エリザンナとしては、表現する言葉がなかった。
「大変優秀なエリザンナさんにそう言ってもらえると、嬉しいです」
「……いえ」
自分など、比べるべくもありませんとエリザンナは心の中で謝罪した。
この手際を間近で見て、その相手から「大変優秀な」と言われては立つ瀬がない。
慇懃無礼を通り越して、新手の拷問かと思うほどである。
正司との間に差が付きすぎて、比べることができないのだ。
エリザンナから見ても、この待合室は素晴らしいものだと分かる。
ここで博物館内の人数調整が可能になるし、わざわざ立って入館を待たなくてもいい。
しかも待っている間は退屈しない。
各フロアは出入り口が独立しているので、階の移動ができない。
そのことから、管理も容易である。
この建物があるだけで、常時五千人の行列がなくなるのである。
正司のことだから、それでも長い行列が建物の外にできたとき、階数を増やすことですぐに対応できるだろう。
「なんと言えばいいのでしょう……」
本当に正司を表現する言葉が見つからない。
結局エリザンナは、何も言えなかった。
「タダシお兄ちゃん、おかえりなさい。いまから未開地帯に行くんだよねっ!」
屋敷に帰ると、ミラベルが元気よく出迎えてくれた。
「ただいま、ミラベルさん。もしかしてその格好……」
「うん、一緒に行くよ」
すでに支度を終えて、正司が帰ってくるのを待っていたようである。
まったくもって行動が素早い。ついて行く気満々である。
正司が事前に「一緒に行くなら汚れてもいい格好で」と言っていたのを覚えていたようだ。
「ミラベルさん……背負っているのは、リュックですか?」
見た目はリュック。だが、やたらと頑丈そうだ。
魔物の革でできているのかもしれない。
「えへへ……わたしの宝物が入っているの」
「そうですか。無くさないようにしないとですね」
宝物を持って、未開地帯へ行くのだろうか。
正司はよく分からないと思いつつも、子供はそういうものかもと深く聞かなかった。
「それじゃ、タダシお兄ちゃん、お願い!」
ミラベルの中で、行かないという選択肢はないらしい。
「はい。では行きますね」
正司はミラベルを連れて、未開地帯の森の中に跳んだ。
「ふわぁ~~、ここがそうなんだ」
ミラベルが大口を開けて、周囲を見ている。
「ここが未開地帯ですね。これから魔物が湧かない場所を探して移動します」
正司はすでに何度も来ている。
すでに何カ所か、魔物が出ない場所も見つけている。
ただどれも、町を作れるほどの広さはなかった。
いま正司が出現した場所もそのひとつ。直径一キロメートルほどの円形の荒地だ。
(こういう場所はいくつも見つかるんですけどね。定住には向きません。今日はミラベルさんもいることですし、頑張って探しましょう)
獣の遠吠えのような声が聞こえてくる。
「いまのは?」
「魔物の声ですね。この辺は大型の犬みたいな魔物が多いですから、きっとそれが吠えたのでしょう」
ちなみに正司の場合、どんな魔物が出ても魔法で一撃なので、強さは分からない。
大きさから判断するとG2くらいではないかと正司は考えている。
「それじゃ……んっ!」
ミラベルが両腕を突き出した。
「はい」
正司はミラベルを抱え上げた。
ミラベルがしっかりと腕を回したのを確認すると、正司は〈気配遮断〉と〈身体強化〉をかける。
幼女を抱きかかえる正司の図。だれも見ていないからこそできるともいえる。
ちなみに以前、ミュゼと移動したときよりも心の動揺は少ない。
「では出発します」
魔力を存分に注ぎ込み、人には到底出せない速度で森林を駆け抜けてゆく。
ときに山を登り、ときに川を飛び越え、正司はミラベルを抱えたまま、奥地へと入っていった。
「ねえタダシお兄ちゃん」
「なんですか? 疲れたのでしたら、休憩しますけど」
「ううん、そうじゃないけど……さっきから魔物を倒しているよね」
「ええ、そうですけど、何かありましたか?」
マップに反応があった魔物にはすべて、〈火魔法〉を撃ち込んでいる。
移動しながらだが、正司が何をしているのかは一目瞭然だろう。
「魔物のドロップ品とか、回収しないの?」
「えっ、何でですか?」
「だって、売ればお金になるよね」
「いっぱい余っていますし」
「…………」
それはお金が余っているのか、ドロップ品が余っているのか。
恐らく両方だろうとミラベルは思った。
ミラベルは初めて間近で正司の魔法を見たが、なるほど姉が頭を抱えるわけだと理解した。
この程度の魔物では、危険はまったくない。
ドロップ品もわざわざ手間をかけて回収する必要も感じないと言い切った。
ドロップ品を売って生計を立てている魔物狩人が見たら、踊り出す光景だろう。
そして正司は疲れることもなければ、魔力切れもおこしていない。
これまでミラベルは、正司のことをおもしろい物を持っていて、どこへでも連れてってくれる優しい人と認識していたが、今回それに「とても強い人」というのが加わった。
今さらな話だが、間近で見て、ようやく実感できたのだ。
(今日は少し奥まで行ってみましょうか)
これまで正司は、未開地帯を探索するといっても、なるべくフィーネ公領に近い場所を捜索していた。
町を作ったときに、その方が便利だからだ。
ゆえに数十キロメートル北に進んでは東西に移動して、見つからなかったら、また数十キロメートル奥へ入るのを繰り返していた。
未開地帯は、南北に千キロメートル以上、東西に数千キロメートル存在するらしい。
船を使って外周から簡単に測量しただけなので、正確さに欠くものの、想像を絶する広さである。
すべてを調査するには、時間が足らない。
(今日はいくつか見える山を目指してみましょう)
「うわぁああっ……」
「あっ、これは」
とある山の麓にきたとき、急に視界が開けた。
山林から草原に変わったのだ。
「タダシお兄ちゃん、湖だよ」
「そうですね」
近くに大きな湖があり、そこから二本、川が伸びている。
湖から川へ大量の水が流れていることを考えれば、山に降った雨が地下に浸透し、水の気が多いことも分かる。
「魔物が少ないですね。それに草原なのに森林に湧く魔物しかいません」
ちゃんと調査する必要があるが、草原に湧く魔物がいないことを考えると、草原に魔物が湧かない可能性がある。
「それってどういうことなの?」
「調べてみないと分かりませんが、ここに町を作ることができるかもしれません」
「ほんと?」
「ええ」
「どうやって調べるの?」
「周囲を壁で囲って、中の魔物をすべて倒せばいいんです。それで魔物が湧くかで分かります」
すると、ミラベルの目が輝いた。
「タダシお兄ちゃん、やってみて!」
「分かりました……ですが、思ったより広いですね、ここ。周辺を調べてみましょう」
魔物を倒しつつ、ミラベルを連れて草原を進む。
外周を調べるついでに壁を作ろうかと思い立ち、五メートルほどの壁を作りながら、草原を一周した。
草原は楕円形をしており、短径でも十キロメートル以上あり、長径に至ってはその倍、二十キロメートルを超えていた。
「ようやく壁を作り終えました。ミラベルさん、どうですか? 疲れましたか?」
「ううん。面白かった。それで、このあとどうするの?」
「壁を作りましたし、魔物もいなくなりました。二、三日、様子をみる感じですね」
それで魔物が湧かなければ問題ない。
「じゃあ、今日はもう帰るの?」
「ええ、そうなります」
「じゃあさ、ここは秘密にしようよ」
ミラベルの目がさっきから輝いている。
「えっと……秘密ですか?」
「うん。ここは秘密の場所。わたしとタダシお兄ちゃんの秘密基地だよ!」
「まだここに町を作れるか決まったわけではありませんし、秘密ですか。その方がいいですね」
正司自身、ぬか喜びする可能性を考えていた。
「やったぁ! ほんとにほんとだよ。みんなにはナイショね」
「分かりました。ここはふたりだけの秘密にしましょう」
ここは未開地帯の中。
フィーネ公領からどれだけ離れているかすら分からないこの場所は、大きな山の麓にあり、湖と二本の川を有する草原地帯。
その場所を知るのは、いまはまだ、正司とミラベル……のみ。
「やったぁー! わたしの秘密基地ができたぁ!」
そうはしゃぐミラベルを、正司は温かい目で見守った。