080 それぞれの新しい動き
「ルンベックさん、魔物の湧かない広い土地を探してるのですけど、まだ調査されていない場所ってありますか?」
ルンベックの部屋に入るやいなや、正司はそんな質問をした。
「うーん、調査されていないねえ……広い場所がいいのかな」
「はい。広ければ、広いほどいいです」
ルンベックは書類を脇に抱え、周囲に数人、お付きがいる。
いまは仕事中で、どうやら戦争準備に忙しいようだ。
「調査されてない土地なんて、まだ一杯あるけど……その中で一番広いといえば」
未調査の土地は、広ければ広いほどいい。
その中で魔物の湧かない、町を作れるほど広い場所が必要なのだ。
「どこかありますか?」
「そうだね……だったら、未開地帯かな。あそこはまだほとんど手つかずだったはずだ」
「未開地帯というと……北にある?」
「そう。フィーネ公領の北にある広い一帯だ」
「なるほど! ルンベックさん、ありがとうございます」
礼を言うと、正司は部屋を出て行った。
「何だったんだろうね。……っと、こうしてはいられない。続きをやろうか」
ルンベックは仕事に戻った。
もし、ルンベックが普段の状態だったならば、正司がきたとき、もしくは普段と違う質問をしたとき、どのような理由があるのか、問い返しただろう。
情報を整理して、正司がもっとも望む回答を出すことができたはずだ。
だが、ルンベックは多くの仕事を抱え、多忙どころか、仕事に忙殺されていた。
ゆえに正司の言葉をよく吟味することせず、思いつくままに答えたのだ。
そう、ルンベックがもし、ほんの少しでも冷静だったならば、結果は大きく違ったものになったはずである。
トエルザード公領内ですら、全ての調査が行われていないのだから、その中で最適な場所を提示できた。
ミルドラル全体に拡げても、正司が求める場所はいくつも思い浮かんだはずである。
「ミュゼさん、未開地帯について教えてください」
「あら、タダシさん。急にどうしたのですか?」
正司が訪れたとき、ミュゼは自分専用の執務室で、書類を眺めていた。
こちらもかなり忙しいらしい。
「魔物が出ない場所を探しているのです」
「ああ……」とミュゼは納得した。
「未開地帯でしたわね。あそこも魔物が出ない一帯はありますわ。フィーネ公が調査させたのはほんの一部でしたが、そのような場所はいくつか見つけています」
この質問、きっと棄民がらみだろうと、ミュゼは当たりをつけた。
そのため、ミュゼは先回って、いくつか情報を補足した。
歴代のフィーネ公が少しずつ未開地帯の調査をしているが、魔物に阻まれて進んでいないこと。
魔物が湧かない土地はあるが、そこに至る道はないこと。
そもそも魔物が湧かない土地は、開拓するために見つけたわけではない。
それらの場所は、鉄や塩を採取する休憩地点を探すついでに見つけたらしかった。
「未開地帯で鉄や塩が採れるのですか?」
「北の未開地帯には、鉱山や塩山がありますの。ですが何百キロメートルも魔物が出る一帯を抜けなければならないので、採算性はかなり低いですわね。いま採取していないと思います」
「そうだったんですか」
「未開地帯には山だけでなく、川や湖だってありますのよ」
未開地帯の大部分は森だが、いまミュゼが言ったように、山もあれば、川も湖、草原や荒地もある。
ただ、それを目にするまでに、死線を何十とくぐり抜けねばならないのだが。
(なるほど。たしかにルンベックさんがいったように未開地帯は、調査されていない場所。とてもいい考えかもしれませんね)
正司がこの世界に出現したのは、凶獣の森の中心部に近い場所だった。
東西南北へ相当歩いたのは、いい思い出だ。
凶獣の森もかなり広いと感じた正司だったが、未開地帯はそれよりもっと広いらしい。
正直、想像できない広さだ。
海から眺める限りだが、未開地帯は数千キロメートルもの距離があるとされている。
帝国側と繋がっていることも分かっている。
もっとも、強力な魔物が出るため、未開地帯を抜けて、帝国と行き来できるわけではない。
「ミュゼさん、ありがとうございます。希望が見えてきました」
「そう……でしたらよいのですけど?」
結局何が知りたかったのだろうか。
ミュゼは首を傾げるも、正司はすぐに執務室を出て行ってしまった。
結局ミュゼも、ルンベックと同じように、忙しさゆえに正司の行動をよく吟味することはしなかった。
――正司から目を離してはいけない
リーザが伝えた言葉が、ここで生きなかったようである。
(未開地帯で、魔物が湧かない場所を探さねばなりませんね。それもできるだけ広い場所がいいです。問題は利便性ですけど……さてどうしましょう)
たとえば凶獣の森には、正司の拠点がある。
あそこを町に改造した場合、どうなるだろうか。
ある程度自給自足はできるものの、外から交流がないと早晩困ったことになる。
かといって、何百キロメートルも西へ進んでも、出るのは砂漠。
そこから北上してエルヴァル王国まで向かうのは、あまりに大変過ぎる。
凶獣の森は、移住先として不適格と言える。
(北の未開地帯の場合、すぐ南にフィーネ公領があります。道を作れば、なんとかなりそうですか……)
正司は北の町へ行ったことがある。
三公会議が行われている間に赴いたのだが、いま考えると僥倖であった。
(あの町から……そうですね、直線で百キロメートル以内に町か村を作っていけば、行き来は可能ですね)
中継地点に小さな町があれば……いや。極端なことをいえば、無人の町でもいい。
それがあるだけで、人の移動は格段に楽になる。
(あれ? そういえば、未開地帯はだれの土地でもないと聞きましたけど……こういう場合、所有権はどうなるんでしょうか)
この世界では、「マイナスになる土地」はどの国も持ちたがらない。
遠隔地に数十人の村ができても、責任ばかり増えて、意味がないからである。
当然、未開地帯はどの国にも属していない。
そこへ町を作った場合、扱いはどうなるのだろうか。
(戻って、ミュゼさんに聞いてみましょう)
正司が、もと来た通路を戻っていると……。
「おお、タダシ殿、こちらにおられましたか。町に戻られたと聞いて、探していたのです。会えてよかったです」
うしろから五十代くらいの老人が追いついてきた。
「これはレオナールさん、お久しぶりです」
彼はルンベックの部下であり、正司が博物館を作ると言い出したときに、部下として使ってほしいと正司のもとに派遣された人物だ。
博物館のオープンに向けて、動いてもらっている。
オープン後は博物館の支配人になることも決まっている。
「タダシ殿に報告することが溜まっておりまして、どこかで時間をいただけたらと思います」
「今で大丈夫です。お話を伺います」
新天地のことは急がない。というより、急いでやっては駄目だ。
一度始めて、思ったのと違うから「やっぱりなし」とはできない。
動くときは、下調べと下準備をきっちりとやってからになる。
(そのためにミュゼさんに聞こうと思ったのですけど……話を聞くだけなら、レオナールさんでもいいですね)
レオナールの部屋へ赴き、正司は資料を受け取った。
「いっぱいありますね」
「漏れがないよう、タダシ殿が出発されてから決まったことは、すべて書き出してあります。一読されてから質問を受けた方がいいでしょうか。それとも、ご説明申し上げた方がよろしいでしょうか」
「うっ……」
時間はあるといっても、手渡された資料は量が多い。
文庫本数冊分の厚さがある。
「そうですね、一度熟読したいと思います。疑問が出たら聞く感じでよいですか?」
「かしこまりました。それでは現在の進行状況だけでもお話しします」
博物館は地下一階、地上三階の建物になっている。
従業員の選定はすでに終了しており、研修も半分以上の者がクリアしている。
「いい調子ですね」
三公会議に行っている間、残った者たちは相当頑張ったようだ。
「暫定的ですが、すでにオープンできるくらいの従業員が揃っております」
これは朗報だ。
研修が終わらなければ、現場には立たせないでほしいと、正司はレオナールに求めていた。
日本だと、「研修中」のバッジをつけたアルバイトや社員がいるが、それはある程度勝手が分かっているからである。
正司が始めた博物館は、この世界で初の試みだ。
自分の常識に照らし合わせて動くことが難しい。
慣れないことで失敗して、本人と客双方が不満を持つよりも、最初はしっかりと研修してから現場に立たせたい。正司はそう考えていた。
(職人の世界だと、半人前が作った品物は売り物にしないようですし、この考えは間違ってはいないはずです)
正司はもちろん研修の結果を見ていない。
レオナールが合格としたならば、問題ないと考えている。
(従業員の半数といっても、合格した人は、軽く百人超えていますね。たしかに暫定オープンは可能ですけど……さて、どうしましょう)
いまは時期が悪いのではないかと正司は考えた。
その考えをぶつけてみる。
「王国と戦争中であることは、町のみなさんも知っていると思います。こんなときに博物館をオープンさせると、不謹慎だと言い出す人が出るのではないですか?」
「そういった考えはないかと思います。暗い話題を吹き飛ばす意味でも、博物館のオープンは、町の者に喜ばれるでしょう」
「そういう考え方もありますか」
だとすると、暫定オープンした方がいいのかもしれない。
フルオープンしないのは、単に全体を制御できないからである。
あらかじめ起こりそうなトラブルは、対応マニュアルを作成してあるが、完璧ではない。
最初は様子見で、全体の半分程度を開放しようかと考えていた。
(そう考えると、研修が終わった従業員の数もちょうどいいくらいですね)
開放する博物館部分は一階のみ。
三階のレストランと土産物売り場は、品数を絞ればいい。
それでしばらくやってみて、徐々に開放するフロアを増やしていけば、大きなトラブルは起こらないと考えられる。
「いかがしましょうか」
「そうですね。やってみましょう。実際に営業してみて、問題が見つかったら閉めてもいいのですから」
そのときは、研修しなおしだ。
営業中に対処できない事態がおこるとは思えないが、最悪、営業を一時停止することを視野にいれなければならない。
ならば、たとえ見切り発車と言われようとも、従業員に経験を積ませるのはいいことだろう。
「近日オープンの方向で、話を進めておきます」
「よろしくおねがいします、レオナールさん。私も資料を読ませてもらって、何が決まったのか理解しておきたいと思います。……そうだ、関係ない話ですけど、少しよろしいですか」
「何でございましょうか、タダシ殿」
「未開地帯は現在、だれの土地でもないと思いますが、合っていますよね」
「左様でございます」
「もしそこに町を作った場合、所属はどこになるのでしょうか」
「……難しいお話でございますね」と、レオナールはしばらく考えた。
「所属と……いうよりも、町を作った代表者の意志がどこにあるのかが重要になってくるように思います」
どこにも所属するつもりがなければ、独立勢力として扱われる。
デルギスタン砂漠に住むシュテール族と同じ扱いだ。
レオナールは続ける。
「たとえばミルドラルに所属したいと代表者が考えた場合、今度はそれをミルドラル側が受け入れるかどうかが問題になってきます」
国に町を組み込めば、他の町人と同じ扱いをする必要が出てくる。
ただ税収が増えたと喜ぶわけにはいかない。当然、安全を守る義務が生じる。
「受け入れる側の問題ですか……」
それは盲点だったと、正司は愕然とした。
よもや、どこの国にも所属できない可能性があると思わなかったのだ。
「まあ、恐らくですが、受け入れられないだろうと愚考致します」
「そうなんですか?」
しかも駄目らしい。
「未開地帯の中ですと、距離が問題になってきます。可能ならばすでに村か町ができてもおかしくありませんので」
「そ、そうですね……」
ガーンとした表情で、正司はそれだけを言った。
未開地帯に町を作っても、通常は独立勢力。
運が良ければ、国の中に取りこんでもらえるらしい。でもおそらく駄目だろうと。
(いい案かと思ったのですが、思ったより大変そうですね)
棄民救済とはいっても、いまの生活より苦労させるのでは、本末転倒である。
魔物の被害があるとはいえ、通常の町で、壁の外に寄り添って暮らす方がよいのかもしれない。
ショックを受けた正司を見て、レオナールは少し慌てた。
レオナールが、正司が何を考えてこの質問をしたのか分からなかったし、ルンベックやミュゼと、どういう話をしたのかも知らない。
純粋に、聞かれたことに答えただけなのだ。
そのため、なんとか正司を立ち直らせようと、頭を巡らせた。
「ほ、他にも……く、国を建てるという方法もございます」
「国を……建てる、ですか?」
つまり、建国である。
「そうです。町を作ったとして、それはただの独立勢力ですが、複数の町ができ、それが合わされば、国として成り立ちます。そうすれば、どこかの国に属する必要はないかと存じます」
国に受け入れてもらえないのならば、自分で国を建ててしまえばいい。
乱暴な意見だが、どうせ机上の空論。そう思って、レオナールは続けた。
「魔物が入ってこないように柵で囲えば、町が成立します。そこに旗を立てればいいのです。周辺の国がそれを新しい国と認めるかどうかという問題は残りますが、旗を立てた以上、それは国と扱ってよいと思います」
そして人々は、新しい国ができたことを知る。
彼らは、国に『安全』を求めて、やってくる。
それは住処をなくした人々であったり、交易をしている商人であったりする。
「国作りは思ったより、簡単なのですね」
「どうでしょうか。旗を立てるまでが難しいと考えますが」
そのような立地を見つけるのがまず難しい。
そこへ人が住めるようにするのも難しい。
ここまでで何年、何十年とかかるものだ。
さらに、国として機能させるには、多くの人の手が必要になってくる。
たしかにレオナールの言うことも、もっともだった。
国作りは簡単ではない。
「分かりました。ありがとうございます、レオナールさん」
「いえ、お役に立ててなによりです。いまのお話は、ミュゼ様より与えられた課題か何かですかな……おや、もういませんか」
正司の姿は、もうそこにはなかった。
(いまバイラル港は、町の人々たちが復興に向けて動き出すと聞きました。リーザさんたちトエルザード家のみなさんは、王国との戦争にかかりきりです。レオナールさんはここまで博物館のことを詳しくまとめてくれました。みなさん、本当によくがんばっています)
正司は〈瞬間移動〉でフィーネ公領の北の町へ跳んだ。
そこから〈身体強化〉をかけて、未開地帯へ向かった。
未開地帯に初潜入である。
あとは凶獣の森と同じ。マップの灰色部分を無くしつつ、行動範囲を増やしていく。
魔物が出ない場所を探すのならば、実際に歩いてみるしかない。
(未開地帯の魔物を見てみたかったですし、ちょうど良かったですね)
これまでの経験上、魔物の湧きは、周辺の景色によって明確に区別されている。
森林には森林の魔物が湧き、草原の魔物は湧かない。
森林の中に草原があった場合、草原の魔物がそこにいなければ、その地は魔物が湧かない可能性が高い。
それさえ分かっていれば、魔物の湧かない土地を探すのもそれほど難しくない。
森の中に草原や荒地があればいいのだ。もしくは草原の中にある森とか。
狙うのはそういった場所だ。
しかも町が作れそうなほどの広さがほしい。
(できるだけ町の中で自給自足できるといいですね)
この広大な未開地帯の中には、そういった場所は必ずある。
それを信じて、正司は進んだ。
数日が経った。
トエルザード家の要請によって集まった二公軍は、ラクージュの町からふたつほど東の町で合流を果たしたらしい。
そのニュースに、町の人々はかなり喜んだようだ。
想像以上の兵力が集まったと、町の人たちが噂しているのを正司は聞いた。
他にもよいニュースがある。
国境の町付近からやってくる商人が、ようやくラクージュの町に到着しだしたのだ。
彼らによって、国境の町の様子が、詳細に分かるようになった。
「本当なのか!?」
そんな言葉が、町のあちこちで囁かれている。
不確定な噂として、まことしやかに広がっていたのは、侵攻してきた王国軍が全滅したという話だった。
だが、町の人々はそれを信じなかった。
というのも、王国侵攻のニュースよりも「早く」それが伝わったからだ。
時系列としてはかなりおかしく、王国軍が壊滅したという情報が入ったあとで、王国がミルドラルに宣戦布告した情報が流れたのである。
――これは、真実を覆い隠す嘘だ
そう思われたとしても致し方ない。
町の人々は不安な日々を過ごしたが、行商人の話から、それが払拭されたのである。
いま、ラクージュの町では、王国軍壊滅の話が大盛り上がりである。
正司はというと、博物館のオープンに向けて活動し、少し時間が空いたら未開地帯へ赴いていた。
(灰色部分も、だいぶ埋まりましたね)
未開地帯を縦横無尽に走り回るだけの簡単な作業である。
行き帰りは〈瞬間移動〉を使えばいいので、わずかな空き時間でも構わない。
魔物を倒すことで、肉や皮、素材なども手に入る。
本人が忙しいことを除けば、活動はとても順調に進んでいた。
三公会議から戻ってきたら、本来、ミュゼの講義が始まるはずだった。
だが、ミュゼはあまりに忙しく、正司相手に講義をする時間がない。
現在正司は、半ば放っておかれている状態になっている。
(そういえば最近、リーザさんにも会っていませんね)
リーザはいま、オールトンを連れて軍を率いている。
すでにラクージュの町を出発したらしく、会うことはできない。
ルンベックは当主の仕事が山積みになっているらしく、日夜働いていると聞いた。
戦争や復興も大事だが、三公会議に出ていた間に未決済の仕事がいくつも残っていた。
それを上から処理しているらしい。
そして決裁を待つ人の群れが、屋敷の外にまで繋がっているとも聞いている。
何もかもが一度に起こったため、さすがのルンベックも処理能力を超えてしまったらしい。
(戦争の事は気になるのですが……ミュゼさんに聞けば教えてくれそうですけど、邪魔するのも悪いですよね)
ミュゼはルンベックの代わりに港の復興や、周辺の町へ赴き、動揺を鎮めるために動いている。
どうやらミュゼ自身、かなりのカリスマ性があるらしく、彼女が町を訪れると、難しい問題もあっさり解決したりするらしい。
くどいようだが、正司は放っておかれている。
リーザは不在で、ルンベックもミュゼもあまりに忙しく、正司のことはまったく頭の中になかった。
次々とやってくる問題ばかりの案件を処理するのに、大わらわだったのだ。
たまに思い出すのが、レオナールがやってきたときだけで、それも博物館がらみの話を受けるのみだった。
もうすぐオープンすることと、いま正司が最終調整していると報告を受けたのが最後だった。
正司が連日、未開地帯へ赴いているのは、だれも知らない。
そもそも周囲に言って回る性格ではないのだ。
このままいけば、だれにも知られずに事が進むはずだった。このままいけば……。
「タダシお兄ちゃん、なにしているの?」
「あっ、ミラベルさん。……何かお久しぶりですね」
「そうだね。お父さまもお母さまも忙しくて、一緒にお昼にいないし、タダシお兄ちゃんも最近いないから……少し寂しいかな」
リーザが町を出て行ってしまったため、ミラベルとルノリーの二人だけで、昼食や夜食を摂っていた。
「そうだったんですか。それは悪いことをしました……私もお昼に戻った方がいいですかね」
正司ひとりならば、『保管庫』にある食材でなんとかなる。
適当に調理すれば、数日分を一度に作るのも容易なのだ。
「それで、何をしているの?」
ミラベルは無邪気に尋ねてくる。
「私ですか? 私はいま未開地帯を踏破しようと、あちこち移動しているんです」
リーザは言った。
正司を一人にしてはいけないと。
正司が一人で暴走したとき、手綱をとる者がいなければ、どこへ走っていくか分からない。
だれかがやり過ぎだと、自重を促さねばならないことが、過去、何度もあった。
今回、正司とミラベルが邂逅した。
そこまで珍しいことではないが、みな忙しく、正司にかまけている時間がない中で、二人は出会った。
リーザは思う。
妹のミラベルは、かなり「いい性格」をしていると。
もしくは、「ちゃっかり」している。
与えられた条件の中で、自分にとって何が最良か、無意識に選択できるのだ。
「タダシお兄ちゃん、未開地帯に行ってるの?」
「そうですよ」
「ねえ、わたしも行ってみたいな」
「えっ、ミラベルさんがですか?」
「……だめ?」
「えーっと……まあ、いいですけど」
「わあい、やったぁ!」
ミラベルは飛び上がって喜んだ。
無意識に暴走する正司と、ちゃっかりしているミラベルが、この日、はじめてタッグを組んだ。
それがどのような化学変化を起こすのか。
この場にいなかったルンベックやミュゼ、そしてリーザは知らない。
ラクージュの町にいるファファニアのもとへ、バイダル公から使者がきた。
バイダル公本人が寄越した使者である。重要な情報がもたらされたとみていい。
ファファニアはすぐさま使者と会談した。
翌日には、書簡を持たせてバイダル公のもとへ帰らせている。
「お嬢様、お疲れのようですが」
目頭を揉んでいるファファニアの前に、シャルマンがそっと紅茶を差し出した。
「問題ないわ、じい。ありがと。でも、少し疲れたのはたしかね。使者が驚くのも無理ないわよね。なにしろ……」
じいと呼ばれた老人――シャルマンは、礼儀正しく黙って待っている。
「なにしろ……おじいさまの諜報が、これほどアテにならないというのは、はじめてのことではなくて?」
シャルマンは黙って頭を下げる。
バイダル家家臣であるシャルマンには、肯定も否定もできない問いかけであった。
今回、バイダル公コルドラードが、ファファニアのもとへ緊急の使者を送った。
ラクージュの町が落ちたさい、ファファニアが逃げ延びられるよう、秘かに護衛を寄越したというのだ。
だが、使者が到着した頃にはもう、国境を越えた王国兵はみな捕縛されたあと。
町の噂だけではなく、トエルザード家からも正式発表があった。
その発表の中でバイラル港が落ちたと聞いたときは驚きもしたが、それすらすぐに鎮圧されたらしい。
復興に向けて動いているという内容だった。
それもこれもみな、噂の大魔道士が行ったことだという。
「……タダシ様」
ファファニアは驚きを通り越して、呆れ……どころか、畏怖の念さえ抱いた。
正司が三公会議に向かったまでは良かった。
行く先々で正司が行使した魔法の数々は、それなりに有名になり、ファファニアも詳しい情報を掴んでいる。
そこでは〈土魔法〉のみならず、〈火魔法〉と〈水魔法〉を魔道士級に使っていた。
(〈土魔法〉は知っていました。〈火魔法〉は報告にありましたけど……まさか〈水魔法〉までですか)
ファファニアを治療したのは〈治癒魔法〉と〈回復魔法〉の合わせ技である。
正司は、いったいどれだけの魔法を習得しているのか。
話を聞いたとき、震えて足が立たなくなったほどだ。
そして今回、明らかになったことが他にもある。
正司は〈瞬間移動〉も使えるのが確実となった。
入手した情報では、トエルザード家が〈瞬間移動〉の巻物をどうにかして手に入れたとあった。
それっぽいものを使用した形跡も確認できた。
よくもまあ、貴重な巻物を使ったものだとファファニアは思っていたが、使ったのは正司の魔法だった。
なにしろ今回、大量のトエルザード兵を正司が〈瞬間移動〉で運んでいる。
誤魔化すことは不可能だろう。
「侵攻してきた敵を漏れなく〈土魔法〉で捕まえたと聞きましたが、そんなことが可能なのでしょうか」
「長く生きたわたくしでございますが、寡聞にして、聞いたことはございません。タダシ様でしたら……まあ、簡単にできてしまうのかもしれませんが」
「そうですわね……タダシ様、どこまで遠いお人なのでしょうか」
バイダル公の予想を大きく外して、正司は問題を軽々解決してしまった。
使者からの書簡には、援軍が向かうので、脱出のさいは国境へ向かえと書いてあった。
情報が古いのだ。いや古くはない。
正司がそれを上回る速度で解決してしまったといえる。
「最優先で情報を集めたとあります。それよりも早いのですから、たまりませんわね」
今回、トエルザード家の火急の要請ということで、周囲から兵を集めてそのまま出発させたらしい。
同時に、領内部から兵を領境に向けて出発させている。
領内の移動だから、問題も少ない。すぐに済んだことだろう。
ミルドラルに侵攻してきた王国軍と戦うつもりの軍だった。
まさかそれはもう解決済みだとはだれも思うまい。
ファファニアは使者をねぎらい、新しい情報を持たせて帰した。
数日のうちに使者は当主のもとにたどり着くだろう。
そのとき、ファファニアの手紙を読んで、祖父は驚くだろうか。
正司の非常識さは、三公会議で目の当たりにしているので、驚かないだろうか。
どちらにしろ、早馬より速く動ける魔法は反則だとファファニアは思う。
「……さすがタダシ様ですわね。本当に驚かされてばかりですわ」
ラクージュの町が、にわかに活気づいているという。
王国ばかりではなく、フィーネ公領やラマ国も注目している。
ここからしばらくは、正司が何をするかで世界が動くことになるだろう。
正司が次に何をするのか、みなが注目している。
「……お嬢様」
「ぜひタダシ様の隣で、世界が動く様を……ともに手を取り合って眺めたいものですわ」
次に正司がするのは、博物館をオープンさせること。
これには自分も関わっている。
あれを見れば、普通の人は大いに驚くことになるだろう。
それが今から楽しみである。
「本当に楽しみですわ……」
世界が風雲急を告げるその萌芽を、ファファニアはたしかに感じ取っていた。